研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

推論

クリティカルシンキングの活用(伊勢田哲治+戸田山和久+調麻佐志+村上祐子編「科学技術をよく考える」より)

イノベーションには科学技術が重要、というのは事実かもしれませんが、技術的に優れているだけではイノベーションがうまくいくとは限らないことは多くの方の認めるところだと思います。新たなイノベーションをどうやって顧客や社内外の利害関係者に受け容れてもらうか、経済面も含めてイノベーションを継続的に提供していく仕組みをどう作るか、イノベーションが社会に与える影響はどのようなものかなど、科学技術と社会とのかかわりの問題について考えておくことが求められるようになりつつあると思います。

クリティカルシンキング(CT)と科学技術社会論(STS)は、そうした問題を扱う上で役に立つスキルと考え方を提供してくれるように思います。今回は、伊勢田哲治+戸田山和久+調麻佐志+村上祐子編「科学技術をよく考える クリティカルシンキング練習帳」[文献1]から、役に立ちそうな知識やスキルをまとめたいと思います。本書は、10のテーマ(遺伝子組換え作物、脳神経科学の実用化、喫煙を認めるか否か、乳がん検診を推進するべきか、血液型性格判断、地球温暖化への対応、宇宙科学・探査への公的な投資、地震の予知、動物実験の是非、原爆投下の是非を論じることの正当性)について、対立する2つの意見が紹介され、その議論を材料にクリティカルシンキングの知識やスキルが解説される、という構成になっていますが、本稿ではその議論の部分は省略させていただいて、紹介されている知識やスキルのうち実用面で役に立ちそうに感じたものを以下に抜き出してまとめてみます。

クリティカルシンキング(CT)とは

・「CTというのは、他人の主張を鵜呑みにすることなく、吟味評価するための方法論である。・・・CTの教科書ではしばしば、『CTの3要素』というものが挙げられる。それは知識、スキル、態度である。[p.iii]」
・知識:「吟味の対象となっている話題についての具体的な知識が必要なのはもちろんだが、もう少し一般的なレベルで、私たちはどういう時に間違いを犯しやすいかという知識、科学というものがどういう仕組みで運営されているかという知識など[p.iii]」。スキル:「吟味の具体的な手続き」。態度:「相手の言っていることをよく確かめようと思いつかなければ、そうした知識やスキルは発動されない」[p.iii-iv]。

スキル
・議論の流れ:1、議論の特定、2、言葉の意味の確定、3、前提の検討、4、推論の検討[p.iv-v
・議論を特定する:「議論とは、何らかの根拠に基づいて結論を導き出すという構造を持つような発言を指す。・・・議論の構造がわからない限り、議論を批判的に吟味することはできない[p.14]」。議論の構造を図で示した論証図が使える。
・暗黙の前提の明示化:「議論において明示的に述べられた根拠からは結論が演繹的に導かれないと、または根拠と結論の間に何らかのギャップがあると感じた場合に、そこに隠された前提があると見なして、それを明示化する作業のこと・・・。この作業をもってして、ようやく『議論の特定』は完成する[p.71]」。事実についての暗黙の前提(この世界がどうなっているかという事実に関する)と、価値についての暗黙の前提(何が善くて何が悪いのかというような価値に関する)がある。[p.72-73
・妥当(valid)な推論:「仮に前提が全て正しいとするなら、結論も必ず正しいものとして出てくる推論・・・。妥当な演繹的推論は、絶対確実ではあるものの、前提に含まれる情報以上のことを述べない。[p.41]」
・成功した議論(推論):「妥当な議論であり、かつ[諸]前提が(実際に)正しい議論のこと[p.42]」
・対立点を整理する:「なぜ違う結論が出ているのかをはっきりさせなければ、対立を解消する手がかりも得られない。[p.98]」。対立の主なバターン:1、言葉づかいの違いによる対立、2、事実についての対立、3、価値や規範についての対立(議論が難しくなる)、4、問題の見方についての対立(解消するのが非常に難しい)[p.99-100
・言葉の定義:報告的定義(標準的な用法の定義)、規定的定義(特定の意味の定義、専門用語など)、解明的定義(意味の本質の解明となる定義)[p.130
・標本調査(サンプリング)の注意:十分な数があるか、母集団が定義されているか、回収率が高いか、確率標本であるか(無作為抽出であるか)[p.134
・通約不可能性(incommensurability):「二つのグループがまったく違う世界観で物事を見るために基本的な出来事でさえも違って見え、そのために話が通じなくなるというような、意思疎通の困難な状態を表現するために広く用いられている[p.151]」。決定的と思われる証拠が通じない、相手の議論の重要性、根拠が理解できないなどの徴候を見逃さないようにすべき。互いの議論の構造を明確化し、気づいていない前提が潜んでいないかをチェックし、その前提がなければ議論はどうなるかを考えてみることも大切。[p.153
・意志決定:限定的合理性(サイモン)とは、「自分の目に付く範囲内で、十分満足できる選択肢が見つかったならば、最善の結果を探してそれ以上の探索をしたりはしないのが合理的だ、という考え方[p.156]」。「期待効用最大化は、個人の意思決定のモデルとしてはいいかもしれないが、それを社会に拡張してもいいかどうかはいろいろと議論がある。[p.156]」
・フレーミング:「さまざまな物理的・社会的プロセスから、特定の現象や側面を注目すべきものとして選び出すことによって問題を設定し、知識を組織化すること」。「自分のフレーミングから理解できないような意見の対立が生じたら、まず相手のフレーミングが自分のものと異なるのではないかと疑ってみることが必要・・・議論の前提を明確にすることで、両者の意見のすり合わせを行っていくための土台を築くことができる[p.178-180]」
・確証バイアスと利用可能性バイアス:仮説や主張が正しいかを検証する方法として、仮説に一致した証拠を集めて、その仮説が正しいことを証明する方法があり、確証と呼ぶ。「人が仮説や主張を証明するときには、反証よりも確証が好まれるという論証の偏りが生じることがある。この偏りを確証バイアスと呼ぶ。[p.209]」、「すぐに利用可能である情報がどれだけあるかをもとにして、そのものの頻度を直観的に判断してしまうことを、利用可能性ヒューリスティック(バイアス)と呼ぶ。[p.211]」
・「ある二つの物事の間には確かな関係があるという仮説を検証する際、四分割表を利用する方法がある[p.213]」。四分割表とは、原因の有無、結果が期待どおりとなったかどうかで4通りの場合を調査すること。
・二重基準:「一見同じ基準を用いているように見えながら、二つの異なる基準を使い分けている」状態。「二重基準の使用を探知するのに有効な技法として、『普遍化可能性テスト』がある。普遍化可能性とは、『Xについての判断は、Xと同じ普遍的性質を持つ他の全てのものについても当てはめることができる』という性質」[p.242
・自然さからの議論:「『自然なことはしてもよい』『不自然なことはしてはならない』といった一般論は、例外が多すぎてとうてい成立しないと言わざるをえない。[p.246]」
・実践三段論法:「実践三段論法の形式は、・・・通常の三段論法の形式と同じであり、そこに規範にかかわる言葉『べきである』という言葉が付加されたもの[p.270]」、「実践三段論法は大前提と結論が規範命題になっている。[p.271]」

知識
・予防原則(precautionary principle):「社会的に大きな影響を与えうるような技術については、危険性について十分な証拠がまだなくとも、予防的な措置を取ることが許される、という考え方[p.21]」。予防原則を使う際の6つの原則:比例性(リスクの大きさと犠牲の大きさの比較で)、無差別性(似たような状況を違うように扱ったり、同じような状況を違うように扱ったりしない)、一貫性(科学的根拠のある同等の領域で取られている対策と同様の対策を行なう)、費用と効果の吟味、見直しの実施(新しい科学的事実の下での見直し)、科学的証拠の生成の責任の明確化(誰が立証責任を負うか)。[p.23
・健全な科学(sound science):「不確実性のある場合でも、きちんとした科学的証拠もなしに規制などの措置をとるのはおかしい、という考え方[p.22]」
・因果関係の推定:「因果関係の推定の際に、時間的・生物学的に先行している要素を予測因子(predictor)、後行しているものを転帰(outcome)と呼ぶ。」(分野によって微妙に用語法が違う)
「予測因子と転帰が因果関係にあると推論するためには、本当は無関係であるのに見かけは関連しているように見えている可能性と、両者は関連しているが因果関係とは言えないような可能性が除外される必要がある。前者の可能性は、偶然誤差や系統誤差(バイアス)によって引き起こされる。後者の可能性は、転帰と関連する第三の因子によって引き起こされるもので、そのような因子を『交絡因子(confounding factor)』と呼ぶ。[p.48
・自由主義:「成人であれば、他者に危害を与えない限りは、どのような思想を持とうとも、どこに行こうとも、どのような職業に就こうとも、どのような行為をしようとも自由であるという考え方[p.77]」。
・パターナリズム(paternalism):「当人の利益のために、当人の意志にかかわらず、当人の行動に干渉すること[p.77]」。
・統計的仮説検定の問題点:「仮説検定では、『めったに起こらないグループ』とそうでないグループの間の『運命の分かれ目』をどこに引くのかが大きな意味を持つ。だが、『その線をどこに引くべきか』について、統計学は何も教えてくれない。・・・このような判断は、多かれ少なかれ恣意的であり、どれが『正しく』どれが『誤り』なのかは一意的に判定できない。[p.80]」
・「リスクコミュニケーションを適切に実行するためには、個人や集団がリスクおよびコミュニケーションをどのように認知・理解するかについての知識が重要である。たとえば、正常性バイアスとして知られる認知的特性により、リスクがその実質よりも過小評価される傾向があることが知られている。[p.108]」
・社会的CT:「自分とは異なる他者の存在を意識し、人間の多様性を認めながら、偏ることなく他者を理解しようとし、文脈や状況によっては譲歩することができ、そして、異なる他者や多様な価値観に対する寛容さを持つことを重視した概念[p.140]」。「日本においては、論理性を重視したCTよりも、文脈や対人的な配慮を強調した社会的CTの方が望ましいと考えられる。[p.141]」
・「科学研究活動では通常、新しい原理・法則の発見、新しく観察された現象の合理的説明のための分析に重点が置かれる。これに対して、健康・安全・環境政策の科学的合理性の確保を目的とする科学研究が存在し、レギュラトリー・サイエンスと呼ばれ・・・科学知識生産のあり方としてリサーチ・サイエンスとは大きく異なる特徴を持っている。[p.161]」
・「『科学的事実の確立』はけっこう時間がかかる上に、どの時点で確立したのかとはっきり言うことの難しい連続的なプロセスであることが多い。・・・古い説があって、発見があって、新しい説に代わる、というような一直線のシンプルな話にはならない。[p.219-221]」
・「科学において、必ずしも予断を持ってはならないということではない。しかし、それらは玉石混淆であるため、丹念に検証することが大切である。[p.226]」
・「功利主義は、・・・できるだけ多くの人ができるだけ満足する行為や方針を決定することが正しいと考える(期待効用最大化)。[p.278]」、「功利主義は・・・幸福が全体の幸福量に還元されてしまい、『私の』幸福が保証されるかどうかは不明確である。・・・マクシミン規則(ロールズ)は、最も恵まれない人々ができるだけ幸福になる行為や方針を選択、評価する。[p.278]」

・思いやりの原理(principle of charity):「相手の発言や行動を解釈する際には、できるだけ筋が通ったものになるように解釈せよ、という原理[p.25]」
・推論のタイプ:演繹的推論、類推(analogy、ある種の対象Aについて成り立つことを別な対象Bについても成り立つと推論すること、外挿(extrapolation)とも呼ばれる)、帰納(induction、いくつかの個別事例から一般法則を推論すること)、仮説形成(abduction、ある観察された事実を説明する仮説を立てること)[p.55]。「仮説がとれだけ良いかは、他の背景知識との整合性などの基準によって評価される。通常、仮説形成はいくつかの可能な仮説を比較して最善のものを選ぶというプロセスを含むため、『最善の説明への推論』とも呼ばれる。・・・類推や帰納、仮説形成は『演繹的』という意味での『正しい』あるいは『妥当な』推論ではなく、従って誤謬とみなされることもある。・・・しかし多くの場合、私たちがこれらの推論を用いるのは、結論の正しさを論証するためではなく、有用な行動の指針となる仮説を得るためである。・・・私たちは観察された事実から類推や帰納、仮説形成によって、何らかの仮説を立てる。そしてその仮説と既に持っている信念から演繹的に予測を導き出す。その予測がさらなる観察事実と合致していれば、私たちはその仮説をより確かなものと見なす。逆に予測に合致しない事実が観察されれば、私たちはその仮説(あるいは信念のどれか)を誤りとして棄却する。こうして私たちはより良い信念体系を構築していくのである。[p.56-57]」
・協調原理(グライス):「人は会話の際にお互いに協力的な態度をとる、という前提に基づいてお互いの発言を解釈する、という会話の原理」。「一つの例として、『相手の関心と無関係なことを会話にもちこまない』というのがある。[p.111]」
FBI効果:フリーサイズ効果(どの人にも当てはまるような性格表現を使って、多くの人に当たっていると感じさせる、バーナム効果とも)、ラベリング効果(ある事物・事象にラベル(名称や特徴づけ)を与えた場合に、人はそれらの事物・事象について、そのラベルに基づいた認識・判断をしやすくなる)、インプリンティング効果(一度信じてしまうと、そのような信念に合った情報に注目するようになり、信念はますます強固になる)[p.125-126]」
・藁人形論法(Strawman argument):「相手が本当に言っていることではなく、相手の言っていることを単純化したり極端にしたりして、やっつけやすくする」論法。代表的な詭弁。[p.143
・論点ずらしの誤謬:「もともとの論点と関係のない論点を持ちだして話を混乱させてしまうこと」[p.163
・対人話法:「議論の中身ではなく、議論をしている人の持つ特徴に言及することで、反論をしようというもの[p.228]」。
・誤った二分法:「ABか、可能性は二つしかない。しかしAはありえない。従ってBだ」のように「単純ではない問題を単純化して論じるタイプの詭弁である。[p.282]」
―――

イノベーションを立ち上げるには、まず自分のアイデアに基づいて「うまくいくに違いない」という信念をつくり上げ、そのアイデアを関係者に納得してもらって具体化することが求められることが多いと思います。CTのスキルは、その過程で自分自身の判断や推論のミスを防ぎ、他者の異なる意見との調整を図る際に重要な役割を担いうるものだと思います。特に、CTの考え方を活用すれば、議論による意見の対立を超えて議論から新たな情報やアイデアを入手する可能性も開けるように思いますので、実践的にも活用の意義は大きいと感じましたが、いかがでしょうか。


文献1:伊勢田哲治+戸田山和久+調麻佐志+村上祐子編「科学技術をよく考える クリティカルシンキング練習帳」、名古屋大学出版会、2013.

参考リンク




データから言えること(ソーバー著「科学と証拠」より)

ある推論を行おうとする場合、何らかのデータや証拠に基づいて考えることはごく普通のことだと思います。しかし、例えば本ブログ「イノベーションとあいまいな意思決定」でヒューリスティクスについてとりあげたように、十分な証拠が得られない状況で推論しなければならない場合もありますし、証拠を正しく用いて正しい推論ができているかどうか怪しい場合もあるでしょう。今回は、証拠とその扱い方の問題について、科学哲学の観点からどのような実践的示唆が得られるかと考えてみたいと思います。

エリオット・ソーバー著、「科学と証拠」[文献1]では、証拠に基づく科学的推論について議論されています。ただし、著者によれば、「科学的推論の完全な把握というのは目標であって、既知のことがらではない。自然に対する現在の理解がそうであるように、科学的推論の本質についても、理解できていることがらは断片的であり、私たちはまだその探究の途上にある。・・・この本は、すでに十分な意見の一致を見たことがらについて、報告するものではない。統計的推論の本質に関して私がここで説く立場にはまだ多くの論争がある。[p.ii]」とのことであり、本書には科学哲学の立場からの推論の問題、確率や統計手法とその数理についての専門的な内容も含まれています。その内容は、私の理解の及ぶ範囲を超えているものもあり、また、マネジメントをテーマとした本ブログの範囲を超える部分もあると思われましたので、本稿では、実践において特に重要と感じた点についてまとめさせていただきたいと思います。

ロイヤルの3つの問い
1、現在の証拠から何がわかるか
2、何を信じるべきか
3、何をするべきか
・「合理的に考える人間であれば、いま手にした証拠をもとに自分の信念を形成し、また何をするべきか(どのような行為を行うべきか)を決めるときには、そうした信念を考慮に入れるはずである。[p.6]
・2、何を信じるべきかに関しては、現在の証拠と事前の信念の度合いが関わり、信念の度合いが更新される。[p.71]
・3、「何をするべきかを合理的に決めるには、あなたがもっている証拠以外のもの、あなたが抱く信念の度合い以外のものが必要となる。行為の選択には、価値のインプット(経済学者が効用と呼ぶもの)が必要である。」[p.12]

ベイズの定理と示唆
・ベイズの定理:Pr(H|O)=(Pr(O|H)Pr(H))/Pr(O)
ここで、Oが観察、Hが仮説。Pr(H|O)はOという条件の下でのHの確率(Hの事後確率)、Pr(O|H)はHという条件の下でのOの確率(Hの尤度)、Pr(H)は観察前にHがもつ確率(事前確率)、Pr(O)は観察の無条件確率。
・ベイズ主義では、「何か観察を行う前に、あなたは仮説Hに対して確率を割り当てる。・・・観察を行い、それによってある観察言明Oが真であることがわかったならば、その後、いまわかったことがらを考慮して、Hに割り当てていた確率を更新する。・・・ベイズの定理は事前確率と事後確率とが互いに関係づけられることを示している。[p.13-14]
・確率Pr(H|O)と尤度Pr(O|H)は異なることに注意が必要[p.15](一般的な注意点であって、ベイズの定理から導かれるものではない)。(以下本ブログ筆者による例)例えば、H=研究部隊が優秀である、とし、O=その企業の業績向上が観測される、としたとき、優秀な研究部隊の存在のもとで業績が上がる確率が高かった(Pr(O|H)が高い)としても、業績が向上したからといって研究部隊が優秀であった(Pr(H|O)が高い)したとは言えない(他の理由で業績が上がったかもしれない)。
・ある命題と、その否定の尤度の和は1でないかもしれない[p.16]Hの否定を¬Hと書くとき、Pr(O|H)+Pr(O|¬H)は1とは限らない。(以下本ブログ筆者による例)例えば、優秀な研究部隊の下で業績が向上したとしても、優秀な研究部隊がいなくても業績は向上するかもしれない。
・ベイズの定理から次の式が導かれる。
(Pr(H|O)/Pr(¬H|O))=((Pr(O|H)/(Pr(O|¬H))×(Pr(H)/Pr(¬H))
O
の結果が得られたことによって、事前に考えていたHであるかないかの比(Pr(H)/Pr(¬H))が(Pr(H|O)/Pr(¬H|O))に変化する度合いは、尤度の比((Pr(O|H)/(Pr(O|¬H))による。(以下本ブログ筆者による例)例えば、研究部隊が優秀かどうかの事前認識が、業績がよかったことによって高く変化するのは、研究部隊が優秀な時に業績が上がる確率が、研究部隊が優秀でない時に業績が上がる確率より大きい時。
・「ベイズ主義に従えば、観察だけでは事後確率を得ることができず、事前確率もまた必要である。[p.32]
・「頻度データ、および十分支持されている経験的理論は、事前確率を割り当てるための基礎を与える[p.40]」。
・このような考え方により、「2、何を信じるべきか」についての示唆が得られる。

ベイズ主義の限界と尤度主義
・「ベイズ主義には『キャッチオール仮説問題』(¬Hすなわち『Hでない仮説すべて』は確率的に評価できない場合があるという問題)と『事前確率問題』(事前確率は、主観的に与える以外に与えられない場合があるという問題。たとえば『一般相対論』の事前確率は客観的に決まらない)があり、客観性の基準をつねに満たすわけではない。[p.228訳者解説]
・「もし、事前確率が経験により正当化でき、また仮説の尤度、および仮説の否定の尤度に割り当てられる値も経験から正当化できるなら、あなたはベイズ主義者であって然るべきだろう。一方、事前確率や尤度がそのような特徴をもたないならば、・・・『あなたの信念の度合いがどうあるべきか』という問いから、『証拠から何がわかるか』という問いへとテーマを移すべきである。[p.48]
・「尤度の法則:観察Oが仮説H2よりも仮説H1を支持するのは、Pr(O|H1)>Pr(O|H2)のとき、かつその時に限る。そして、仮説H2よりも仮説H1を支持する度合いは、尤度の比((Pr(O|H1)/(Pr(O|H2))で与えられる)[p.49]
・「尤度主義によれば、Oが1つの仮説を裏付ける度合いといったものは存在しない。裏付けは本質的に対比的なのである[p.49]」。「明確な尤度をもつような仮説のみを互いに比較するのである。たとえば、一般相対性理論をそれ自身の否定と比べるのではなく、・・・一般相対性理論と特定の代替理論、つまりニュートン理論とを比べる。[p.48]
・このような考え方により、「1、現在の証拠から何がわかるか」についての示唆が得られる場合がある。
・尤度の法則は「単純仮説(確率変数の分布を1つの形に決める仮説。コインの表のでやすさを1つの確率で表わす仮説などのこと)には適用できても、複合仮説(分布に幅がある仮説)には適用できない」[p.230訳者解説]

頻度主義
・ネイマン-ピアソンの仮説検定、フィッシャーの有意検定に代表される頻度主義は、「3、何をするべきか」への「一応の答え(仮説を『受け入れる』、または『棄却する』という態度を導く)にはなっても、『1、証拠から何がわかるか』に答えるものではない。」[p.230訳者解説]
・「ところが、同じ頻度主義ではあってもAICは事情が異なる。・・・AICの妙技は、問いの大転換にある。仮説について考える際に、『真理とは?』という問い(ベイズ主義、フィッシャー、ネイマン-ピアソンの頻度主義、尤度主義のいずれも、ある部分ではこの問いに絡め取られていた)から『より正確な予測とは?』という問いに照準を大きく変えたのである。」[p.231訳者解説]。(注:AIC=赤池情報量規準)
・「ソーバーは・・・ネイマン-ピアソン流の頻度主義については徹底して批判」、「仮説検定の有意水準の恣意性(客観性の欠如)、有意水準に基づく尤度主義との不一致、停止規則の問題(実験計画の違いにより同じときに実験を停止してもテスト結果が異なる問題)、尤度比検定の『入れ子構造』に伴う問題[p.230訳者解説]」を指摘。

「証拠」に対するソーバーの規範的な確率・統計の戦略
・「(i)単純仮説について、もし事前確率が客観的に与えられるのであればベイズ主義に従い、(ii)そうでない場合は尤度主義に従い、(iii)複合仮説についてはAIC(もしくはそれを発展させたモデル選択規準)に従う、ということになるだろう[p.231訳者解説]」。
―――

証拠をもとに、自らの考え、態度をどう決めればよいか、という問いは、それほど簡単な問いではありませんが、本書は、そうした哲学がどこまでわかっていて、主要な考え方や手法の特徴や問題点、限界がどこにあるかについてのひとつの考え方を示している点で非常に興味深く感じました。本稿では細かな議論など割愛した部分も多いので、ご興味のある方はぜひ本書をご参照いただきたいと思います。

マネジメントを含め、日々の意思決定の実践においては、データや証拠をいかにうまくとり、うまく活かすかということが重要です。しかし、その取り扱いにおいては、多くの落とし穴があり、せっかくの証拠から誤った結論を導いてしまったり、役に立たないデータを取ってしまったりということもないとはいえないように思います。単純な理解不足や推論の錯誤もあり得ますし、手法自体、例えば、データ解析でよく用いられる統計的手法についても、場合によっては問題を含んでいる場合もあることをよく理解しておく必要があるでしょう。本稿で引用したベイズ主義と尤度主義に関する本書からの示唆は、言われてみれば当たり前のことかもしれませんが、日々の推論においてともすると注意がおろそかになることもあるように思います。せめて、そうした部分だけでも常に意識しながら、より正確な推論ができるようにしたいものだと思います。


文献1:Elliott Sober, 2008、エリオット・ソーバー著、松王政浩訳、「科学と証拠 統計の哲学入門」、名古屋大学出版会、2012.
原著表題:Evidence and Evolution: The Logic behind the Science, Chapter 1 “Evidence”

参考リンク<2014.9.28追加>





「科学を語るとはどういうことか」(須藤靖、伊勢田哲治著)感想

科学哲学に関連した話題は、今までにも何度か本ブログでとりあげました(末尾:本ブログ関連記事)。以前の記事では、マネジメントに科学哲学を役立てることができるのではないか、という観点でいくつかの本のまとめを試みましたが、今回は、それらの本とはやや異なる視点から科学哲学の議論がなされている、「科学を語るとはどういうことか」(須藤靖、伊勢田哲治著)[文献1]を取り上げて考えてみたいと思います。

この本には、副題(科学者、哲学者にモノ申す)にもあるように、物理学者(須藤靖氏)が科学哲学者(伊勢田哲治氏)に議論を挑む形での対話が収められています。しかもその議論は、科学哲学の内容やあり方に関して科学者が感じる疑問を哲学者に率直にぶつける、という内容ですので、標準的な科学哲学の解説書というわけではありません。しかし、須藤氏が抱く疑問は、科学哲学に興味を持ちはじめた私のような技術者にとっても共感でき、私自身も疑問に思っていたことも多く、その答えを知ることで科学哲学に対する理解が深まったのも事実です。その意味では少し毛色の変わった入門書と言えるのかもしれません。

以下、本書の中から特に興味深く感じた点を抜粋しておきたいと思います。(ただし、抜き書きによって前後の文脈が反映出来ていない点がありうることはご注意お願いします。疑問点についてはぜひ本書をご参照ください)。なお、本書のまとめとしては、文献2が優れていると思いますので内容全体にご興味のある方はそちらをご参照ください。

「『知』の欺瞞」(ソーカル&ブリクモン)について
・「ソーカルは・・・彼のイメージする哲学者たちを擁護するために、変なことを言っているポスト・モダンの人たちを批判しようとした[p.22]」。
・「英米のクリシン系(注:この分類については後述)の哲学においては、ラカンはじめポスト・モダン系思想への評価は非常に低い[p.31]」。
・ただし哲学分野全体では、「変なことをいろいろ言っていても、ひとつでも、我々の思考を触発してくれるような、他の誰も思いつかなかったような鋭いことを言っていれば、それで評価されるところはあります[p.31]」。

哲学の流儀
・クリシン型:「筋道を立て、隠れた前提を明らかにしながら、できる限り明晰に考えること、要するにクリティカルシンキングを実践する[p.29]」
・思考触発型:「『読者を考えさせるのがよい哲学的文章だ』という視点で哲学を捉える」、「このルールで判断すると、一読すればわかるような文章はむしろ哲学的な文章として格が落ちる」[p.42
・うがったもの勝ち型:「言っていることの根拠がどうこうではなく、誰も思いつかないような、『へー』と感心するようなことを言ったらいい」[p.42
・文献読解型:「圧倒的に多くの哲学研究者が、カントやヘーゲルなどの古典の読解研究を行っています。この古典読解という『ゲーム』のルールは非常に複雑ですが、『実際に書いてあることについての読解の正確さ』『解釈のもっともらしさ』『解釈の面白さ・新しさ』などの総合的な評価になります。・・・このタイプの研究をしている人たちは『哲学者』ではなく『哲学の研究者』と呼べると思います」[p.42-42

哲学の4分類p.99
・形而上学:「本質」や「存在」などを問う
・論理学:「正しい推論」や推論のモデル化を考える
・認識論:「知る」ことについて問う
・価値論(倫理学):価値とは何か、どのようなものに価値(善・悪)があるかを考える

推論のパターン
・「推論のパターンとしては以下の3つがよく挙げられます。『演繹』、『帰納』、それから『最善の説明への推論』(これは英語のInference to the best explanationを略して、しばしば『IBE』と呼ばれます)です。[p.101
・「帰納の一種として仮説演繹法というのがあって、・・・仮説を立ててそこから実験、この仮説が正しければこういう実験結果が得られるだろうと推測してその実験を行う。そして、実験通りの結果が出ることによって仮説が確かめられる[p.101-102
・「IBEは現象がいくつかあって、それを説明する仮説がいくつかあるときに、それぞれがどの程度説明できるのか、あるいは仮説そのものにどれぐらい無理があるのかといったことを総合的に評価して、最もいい説明をするものを、おそらくこれが一番正しいだろうとして推論するというもの[p.102]」
・「『すでに観察したもの』から『まだ観察していないもの』 への推論全般が帰納的推論になります。すでに起きたことについても、我々が実際に観察した範囲を越えて帰納をしていいかどうかはわからない、比喩的に言えば我々が後ろを向いたとき背中で何が起きているかということだってわかりはしない、というのがヒュームの懐疑的な議論です[p.258]」。

哲学の様々な考え方について
・「哲学に固有なやり方としてひとつ言えるのは、『そこを疑っても仕方ないだろう』というところまで疑う点」、「他の人がやらない異常なところまで哲学者はやることがある」[p.44-45
・「我々が想像している意味の『因果』については知り得ない[p.134]」(ヒューム)
・「反実在論の一応定義的なことを言えば、ひとつには、科学理論が観測不可能なものについては我々はコミットする理由を持たない[p.222]」
・「『科学者たるもの根拠の無い主張を受け入れてはならない』というのは、科学のエートスとして割と共有されている前提ではないかと思います。それを科学者自身よりも徹底して推し進めるのがヒュームだったり反実在論だったりするわけです[p.251]」
・「解けるようになった、決まった手順で積み重ねていけるようになってしまった問題は、哲学から『卒業』して、独立の研究領域になったり既存の別領域の守備範囲になったりしていくんです[p.275]」
・「哲学があまり蓄積的じゃない理由のひとつでもあるのですが、・・・みんな自分で前提から組み立てるんですよ。みんなそれぞれ違うものを組み立てるんですね。他の人から見ると、『なんでそれを前提に入れているのかわからない』というようなことも当然起きている。それをお互いに壊し合って、また個々に新しいものを作る[p.249]」

科学と科学哲学
・「哲学というのは、もともと、須藤さんの言う意味での『科学』ではないんですよ。おそらく科学というものに特別に内在している仕事のやり方のイメージを、哲学にも求めて考えていらっしゃる[p.286]」
・「科学は常に自然と密に関わりながら具体的に一つひとつ何かを解き明かすことで、少しずつ確実に進んでいる。・・・私(須藤氏)は科学哲学にそれを求めているのですね。一方、音楽や芸術、小説などが決してそのような性質のものではないこともまた自明です。・・・ところが科学では、先人の業績をもとに誰でもそれより先に進むことができます。よく考えればむしろ科学の方が例外的な性質を持っているのでしょうね。[p.287-288]」
・(伊勢田氏)「科学と科学哲学のずれが『価値観の違い』の問題であるということ自体、対談の中で理解していただいたことだと思っています。[p.293]」
―――

私が技術者であるせいもあると思いますが、科学哲学に対する私の考え方はどちらかというと須藤氏に近く、本書の議論をつうじて多くのことが学べたと思います。これは、疑問を持っている人が直にその疑問を専門家にぶつける、という対話形式ならではの一つの効果なのだろうと思いますが、それにも増して須藤氏が的を射た質問をしていることも大きいと感じました。

全体をつうじ、内容について特に重要と感じたのは、科学者と科学哲学者の価値観の違いがずれを生み、それが何をとりあえず正しいと考えるかにまで影響している点です。この価値観の違いは、実際には科学と科学哲学の間の問題のみならず、科学者と、科学者とは異なる考え方をする人々との間にも発生しうる問題なのではないでしょうか。だとしたら、科学を社会に活かすためには、この価値観の違いをうまく乗り越える術をみつけていかなければならないでしょう。例えば、技術者が科学的な成果を社会に適用したいと考える時、まずは、その科学技術の開発・実用化段階で社内(民間会社なら)においてこうした価値観の衝突が起こる可能性があります。そして、その段階を乗り越えた後、今度は、社会の人々との間に価値観の衝突が起こるかもしれません。科学者が、「これでよい」と考えた結論に対し、社会はその結論の受容を拒絶することもありうると思います。そんな時、その社会の拒絶に対して、それが合理的なのかどうかを吟味するには、科学哲学的な考え方が助けになるのではないでしょうか。例えば、社会の側での感情的な拒絶や非論理的な拒絶が起きた場合、それに対して科学の論理を用いて説明しても効果的ではないかもしれないことは、本書の議論から想像に難くありません。価値観の違いに至ってしまえば議論が歩み寄れないこともあるでしょう。しかし、徹底的に懐疑的な科学哲学の考え方を利用すれば、そうした社内や社会の側の懐疑に対しどこに正当性があり、どこに正当性がないのかがわかり、何らかの説得の余地、解決策が見つかる可能性もあるのではないでしょうか。

伊勢田氏は本書の「終わりに」において、「学問観などの基本的な前提が違う人同士が有意義な会話をするのは大変時間と手間がかかるものなのである。大事なのはいろいろな背景や考え方の存在への想像力と結論の一致を性急に求めない忍耐力というか『気の長さ』であろう[p.301]」と述べています。科学と社会との関わりを考える際に、科学と社会との間をとりもつ考え方として科学哲学や、科学哲学における考え方自体が重要な位置を占めるようになるのかもしれません。技術者にとってはまず科学を使うことが重要ですが、科学哲学をうまく使っていくことも考える価値があるように思います。


文献1:須藤靖、伊勢田哲治著、「科学を語るとはどういうことか 科学者、哲学者にモノ申す」、河出書房新社、2013.
文献2:ブログ(shorebird 進化心理学中心の書評など)、「科学を語るとはどういうことか」、2013.6.23
http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20130623

本ブログ関連記事:

「理性の限界」「知性の限界」(高橋昌一郎著)
「感性の限界」(高橋昌一郎著)より
科学哲学の使い方(「理系人に役立つ科学哲学」感想)
(森田邦久著)
「なぜ科学を語ってすれ違うのか」に学ぶ
(ブラウン著):ソーカル事件など

参考リンク<2014.9.28追加>




科学哲学の使い方(「理系人に役立つ科学哲学」感想)

森田邦久著、「理系人に役立つ科学哲学」[文献1]の感想です。以前に、科学哲学が予想以上に「使えそう」と書きましたが(「理性の限界」「知性の限界」-高橋昌一郎氏の著書の感想)、今回はその続きとして、上記の本のまとめを試みようと思います。

この本は、書名に「理系人に役立つ」と銘打たれているとおり、理系的なバックグラウンドのある人を対象読者としていることがひとつの特徴でしょう。確かに私のような、理系で、科学哲学に興味を持ち始めた人にはちょうどよい入門書といえると思います。それに加えて、「役立つ」ことを目指して書かれている点も特徴のように感じました。これは、知的興味だけでなく役に立つかどうかも重要な判断基準とする理系人の考え方を考慮した上でのことかもしれませんが、「哲学」は「役に立たないもの」という従来一般のイメージを覆すことも著者の意図にはあるような気もします。そこで、以下では、本書で解説された科学哲学全般にわたる内容の中から、科学を扱っている人に「役立つ」と感じた点を中心にまとめてみたいと思います。

本書は以下の12章からなっています。

I部:科学の基礎を哲学する

1章:科学と推論-科学で使う推論は問題だらけ?

・推論として「演繹」「枚挙的帰納法」「アブダクション」「アナロジー」「仮説演繹法」が紹介されているが、これらのうちで論理的に妥当な推論は「演繹」のみ。ただし、演繹的推論では知識が増えることはない。

・枚挙的帰納法とは、「いくつかのすでに観測された事例からまだ観測されていない事例や普遍的法則を導く推論」であるが、その推論は、「自然界で起こる現象には規則性がある(自然の一様性原理)」ことを前提にしている。

・アブダクション(最善の説明への推論)とは、「手持ちの法則(規則)と組み合わせればうまく観察事実が導き出せるような説明項を推論する」「いくつかの可能な説明のなかからもっともよいと思われる説明を選んでいる推論」。ここで「最善の説明」かどうかの基準のひとつとして、「科学においていくつも競合する理論的説明があるとき、もっとも単純で適用範囲が広いものが選ばれる傾向」が挙げられる。

・アナロジーは「ある対象の性質を、それと似た対象の性質から推論する」こと。

・仮説演繹法では、「まず、観察事例から、帰納的推論によって仮説を立てる。その後、そこから演繹的に、いままでまだ観察されていない事象を『予測』し、検証する」。このうち、観察結果から仮説を導く過程を「発見の文脈」とよび、その仮説から予測を導き観察によって検証する過程を「正当化の文脈」とよぶ。

2章:科学の条件-科学と非科学はどう分けられるのか?

・検証可能性基準とは、「意味のある命題(科学的な命題)は経験によって正しいことが証明できる可能性がなければならない」というもの。

・確証可能性基準とは、「意味のある命題(科学的な命題)は経験によって確からしさが増す可能性がなければならない」というもの(カルナップによる)。

・反証可能性基準とは、「科学的な命題は経験によってまちがっていることが証明される可能性がなければならない」というもの(ポパーによる)。このとき、まちがっている可能性が高い(反証可能性が高い)ほど情報としての価値が高い。反証された命題は捨て去られるか、修正されなければならないが、修正される場合、反証可能性が増大しないような修正は「アド・ホックな修正」としてしりぞけられる。

3章:科学と反証-科学理論は反証できない?

・全体論とは、「われわれの知識や信念の全体は相互につながりあった一つの構造体である」というもの(クワインによる)

・観察の理論負荷性とは、「なにを観察するか、また、観察された結果をどう解釈するかは、なんらかの理論に依存している」というもの(ハンソンによる)。ここから、「新しい発見は、適切な予期によってこそ可能である」とも言える。

4章:科学の発展-どんな科学理論が生き残るのか?

・パラダイムとは、「ある特定の理論だけではなく、明文化できないような研究活動上の指針や模範的な研究なども含めたもの」(クーンによる。クーンは後に「専門母体」と呼んだ)。このパラダイム間を比較するための共通の尺度の不在を「共約不可能性」といい、パラダイム間の優劣を決定する客観的基準はない、とされる。しかし、後に、「正確さ」「無矛盾性」「視野の広さ」「単純性」「豊饒性」という選択基準を認めた(ただし、異なるパラダイムのどちらが「真理」に近いか、ということは決定できない)。

・研究プログラムとは、「『堅い核』とよばれる命題を中心として構成される命題群であり、この堅い核は、補助仮説のつくる『防御帯』によって、どのようなことがあっても反証から保護される」というもの(ラカトシュによる)。そして、新しい予測を成功させることができるものは「前進的プログラム」、そのような性質のない疑似科学的なものは「退行的プログラム」とよばれる。どのプログラムを選ぶべきかは、『どちらのプログラムがより真であるか』ではなく、『どちらのプログラムにより発展性があるか』の観点で比較決定される。

・研究伝統とは、「やるべきこと」や「してはならないこと」のひとそろいの存在論的形而上学的命令(ラウダンによる)。ここには理論そのものは含まれない。競合する研究伝統があるとき、どちらを選択するべきかは、「どちらがより高い問題解決能力をもっているか」で合理的に決めることができる。

5章:科学と実在-原子って本当にあるの?

・科学理論には直接的に観察できない対象が多くあらわれる。この時、理論的対象が存在するとする立場を「科学的実在論」、存在しないとする立場を「科学的反実在論」という。

・奇跡論法とは、あるものが実在していないとすれば、実在しているとして説明可能な多くのことがあることが奇跡的である、だからあるものは実在する、と考える実在論の立場。

・介入実在論とは、「『それそのものを操作して予想どおりの結果を出せる』ような対象は実在しているとしてよい」、とするもの(ハッキングによる)。

II部:科学で使われる概念を見直す

6章:説明とはなにか-説明を説明するのは難しい?

DN理論:「科学的説明とは、ある特定の事実から、少なくとも一つの一般的法則を用いて『説明されるべき現象を記述した文』(これを『被説明項』という)を演繹的に導出すること」。(ヘンペルとオッペンハイムによる)

・説明の因果説:「説明とは推論ではなく説明されるべき現象の原因を示すもの」(サモンによる)

・説明の統合説:「ある原理や法則に、説明されるべき現象や法則が統合される。」「統合とは推論パターンを減らすこと。」(キッチャーによる)

・説明の用語論:「説明とは“なぜ疑問”への答えであり、答えるべき“なぜ疑問”の発せられた文脈が重視される」(フラーセンによる)

・一つの現象を説明するしかたは一とおりではない。説明を考えることは、その現象について新しい光を当てることになる。

7章:原因とはなにか-本当の原因はなに?

・因果の規則説:「原因が結果と時間的・空間的に連続、結果は原因のすぐ後に起こる、結果と似たタイプのできごとは、規則的に原因に似たタイプのできごとに引き続いて起こる」(ヒュームによる)。ここでは根拠となるのはこれまでの経験しかなく、原因と結果とのあいだに必然的な結びつきを認めない。

・反事実条件文による因果の分析:「できごとcができごとeの原因であるとは、できごとcとeが実際に生じ、かつ、できごとcが生じなかったならばできごとeは生じなかったであろうとき、そのときのみである」

・マーク伝達理論:「因果過程においては、なんらかの変化がくわえられたとき、それ以上の介入がなければその変化の跡、すなわちマークが伝達される」(サモンによる)

・保存量伝達理論:「因果関係とは保存量を伝達する過程である。二つの過程の交差は、それらのあいだで保存量の交換があるときに因果的相互作用といえる。」(ダウによる)

・介入理論:「二つの変数XとYがあるとき、ある特定の状況下で、ある介入IによってXを変化させたとき、つねにYがなんらかの変化をこうむるならば、XはYの原因だとする」(ウッドワードによる)

8章:法則とはなにか-法則はなぜ法則なのか?

・法則についての規則説:法則は必然的なものではないとする立場。「どのような時間・空間でも成り立つ規則」(普遍性がある)、「投射可能な(いままでの経験が未来にも通用すると推論できる)述語を用いる」(予測に使える)、「論理学の体系のように演繹体系をつくってみて、ある命題が公理もしくは定理になるのなら、その命題は法則とよべる」(法則の網の目説-法則どうしの論理的関連を重視する)

・法則に必然性があるとする立場では、介入によって変化しないものが法則であると考えることもできる。

・ある特定の条件を満たしたモデル(法則定立機構-法則が成り立つ前提をとしてのモデル)を考えたときに、そのモデルがもつ能力が法則であるとする考え方もある(カートライトによる)。

9章:確率とはなにか-確率は主観的なものか客観的なものか

・確率の応用により、理論の確証度の測定や科学と疑似科学の線引きに利用できるかもしれない。

10章:理論とはなにか-科学理論はウソをつく?

・理論は、現象と直接的に対応づけられるようなものではなく、世界を抽象化・理想化した「モデル」である。

III部:現代科学がかかえる哲学的問題を知る

11章:量子力学の哲学-ミクロの世界は非常識?

・波動関数の解釈、観測問題、不確定性関係の解釈など

12章:生物学の哲学-進化論は科学か?

・進化論、道徳、生命の哲学など

以上、科学を取り扱う際の様々な考え方が紹介されていますが、確実に正しいといえるのは演繹による推論だけであって、他はあくまでひとつの考え方にしかすぎません。また、すべてを統合するような考え方も「ない」ということのようです。さらに重要と思われるのは、正しいとされる演繹では知識が増えないということでしょう。研究を行なう場合でも、科学的な議論をする場合でも演繹以外の考え方を使うことは多いわけですが、多かれ少なかれ危うさを孕んだ議論のみが知識を増やす可能性を持つということです。従って、未知のことへの挑戦を行なうならば、正しいかどうかが危うい推論は必須、ということになります。

このように、確かなことがはっきりしないというのが結論では、科学哲学は「役に立たない」と感じられるかもしれません。しかし、これだけの考え方を並べてみると、自分の扱っている現象を理解、整理し、さらに異なる角度から見直すためにどのような考え方の選択肢があるのか、ということがわかるのではないかと思います。科学的な思考としてどのような方法をとるのが「正しい」か、ということは言えなくても、少なくとも、間違っている可能性の高い考え方を見分ける基準になるのではないでしょうか。さらに、これらの考え方のいくつかに当てはまるような考え方は、より確実な考え方に近い、とも言えるような気もします。このように、判断基準となりうる多くの考え方(しかも、ある程度の支持を得ている考え方)に触れられる点こそが、科学哲学の「役に立つ」ところ、といえるのではないかと思います。


例えば、科学的かもしれないあるアイデアを思いついたときに、そのアイデアがどのような危うさをもっているか、そのアイデアの確からしさや説得力を高めるには、どのようなサポート情報を集めればよいか、などについてのヒントが科学哲学の成果から得られるのではないかと思います。工場で不良品が発生したような場合、その原因をいい加減なものに求めていないか(例えば、天気のせいにするなど)、妙な先入観にとらわれていないか(観察結果自体やそこからの発想が、単なる経験や理論の盲信から生まれてはいないか)をチェックすることができるでしょう。さらに広げれば、例えば、超自然的な能力はあるのか、霊魂は実在するのか、マーフィーの法則は法則といえるのか、などについても考える拠りどころを与えてくれるような気がします。そんな荒唐無稽なところまで考える必要はないかもしれませんが、いい加減な理論や説明が「ビジネス」として成立している場合もありますし、もう少し科学に近い感じがするものは実際に多くのビジネスの手段として使われている場合もあるように思います。そうした考えを利用するのかどうかは、科学者、技術者の倫理の問題にも関係してくるはずです。

以前のブログでは、推論を行なう際の危うさと、そうした危うい推論を行なうメリットについての私なりの考え方を「ヒューリスティクス」という概念を利用してひとまとめにしてしまいました。しかし、その背景には科学哲学における多くの知恵の蓄積があったわけです。科学哲学に基づいて考えてみると、ヒューリスティクスとして取り上げた簡便な意思決定には、哲学的にそれなりの根拠のある考え方と、単に思考の節約を目的としたり心理的バイアスに影響されたりする考え方とがあり、それらは区別すべきだったようにも思われます。科学哲学はそのような考え方の線引きにも役立つかもしれません。科学哲学に触れたからといって、技術者の仕事は自らの考えの拠りどころをデータに求め、未来を予測することだという私の個人的な考え方の基本は変わるわけではありませんでしたが、その際の指針を与えてくれるものとして、やはり科学哲学は役に立つと思います。理系人だけではなく、一般の人にとっても役立つはず、と思うのですがいかがでしょうか(一般の人にとっては、科学に対する考え方の大きな見直しを迫ることになるかもしれませんが...)。



文献1:森田邦久、「理系人に役立つ科学哲学」、化学同人、2010.

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