研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

新興国

「[実践]リバース・イノベーション」(ウィンター、ゴビンダラジャン著、DHBR2015年12月号)に学ぶ

リバース・イノベーションは、「新興国で製品開発し、これを先進国に展開する」イノベーション(2009年発表のゴビンダラジャンによる論文の定義)として可能性が期待される手法だと思います(本ブログでも、最初の論文とその後2012年に出た本の内容をとりあげました)。ただ、その後の発展の状況や、どの程度の可能性があるのか、どうやったらリバース・イノベーションがうまく進められるのかについてはあまり取り上げられる機会がなかったように思います。

最近発表された、ウィンター、ゴビンダラジャンによる論文「[実践]リバース・イノベーション」(DHBR201512月号)[文献1]では、「リバース・イノベーションがなかなか浸透しない理由」として「妨げとなる観念的な落とし穴」を挙げ、その落とし穴を避けるための設計原則が紹介されており、最近の状況およびイノベーションにおける意味を知る上でも参考になる点が多いと感じましたので、今回はその内容のポイントをまとめておきたいと思います。

新興国市場における多国籍企業の失敗
・多国籍企業の「経営幹部たちは新興国市場の制約条件を克服する方法、もしくは、途上国ならではの自由な発想を巧みに活かす方法をなかなか見極められないでいる。彼らは前進させる方法を見いだせず、リバース・イノベーションを首尾よく展開するうえで妨げとなる観念的な落とし穴にはまる傾向がある」。
・「多国籍企業はたいてい、あらゆる製品について3つのバリエーションを設定している。最高性能でプレミアム価格の最高級品と、その80%の性能および価格の上級品、そして70%の性能および価格の良品である。非常に高い期待を抱きつつも極めて財力の乏しい消費者がいる新興国市場に食い込むために、多国籍企業は通常、先行投資リスクを最小化する設計哲学に従う。良品のバリュー・エンジニアリング(価値の最大化)に励み、50%の価格で50%の性能を提供する『適正な』製品へとダウングレードするのだ。これは十中八九うまくいかない。途上国では、『適正な』(十分なレベルの)製品は中間層にとって高すぎることが判明するばかりか、懐に余裕のある高所得層が好むのは最高級品なのである。それと同時に、規模の経済やサプライチェーンのグローバル化のおかげで、地元企業はいまや、高価値の製品を比較的安価に、以前よりも早いスピードで生み出しつつある。その結果、大半の多国籍企業はごくわずかなローカル市場しか獲得できていない。多国籍企業が途上国の消費者を取り込むには、既存の製品やサービスの性能と同等かそれを上回りつつ、コストを抑えなくてはならない。言い換えると、10%の価格で100%の性能を実現しなくてはならないのだ。」
・「前述の落とし穴のせいで、企業はこの難問に対処できずにいる。そのような落とし穴を避けるためには、次の5つの設計原則に従わなくではならない。」

落とし穴1、市場セグメントを既存製品に合わせようとする
・「多国籍企業が途上国向け製品をつくり始める際に、既存の製品やプロセスが大きな影響を及ぼしている。当初は、既存製品を適応させたほうが一から開発するよりも手っ取り早く、安価で、リスクも少ないように見える。・・・設計担当者は既存のテクノロジーから抜け出せずに苦労する。」
設計原則1、解決策から離れて、問題を定義する
・「あらかじめ考えていた解決策を捨て去れば、最初の落とし穴を避けられ、既存の製品ポートフォリオの外側にあるチャンスを見極めやすくなる。」「経営幹部は問題を明確にする際、はっきりと言葉には出さなかったもののニーズを示すような顧客の行動に目を向け、耳を澄まさなくてはならない。」

落とし穴2、機能を省いて価格を下げようとする
・「途上国の人々がより低い品質や旧式のテクノロジーに基づく製品を喜んで受け入れるというのは、議論を呼ぶ点である。このアプローチは往々にして間違った意志決定やお粗末な製品設計につながってしまう。」
設計原則2、新興国市場たから得られる自由度の高い設計を使って、骨抜きの解決策ではなく、最適な解決策を生み出す
・「新興国市場には制約条件が多いが、新興国ならではの自由度の高い設計も利用可能である。」(例えば、人件費の安さを活用するなど)
・「企業は利用者のニーズだけでなくウォンツにも訴求しなければならない」

落とし穴3、新興国市場における技術要件すべてについて熟慮することを忘れる
・「科学法則はどこでも共通だとしても、新興国市場の技術インフラはまったく異なる。・・・問題の背後にある技術的要因を理解し、厳密に分析し、取りうる解決策の実現可能性を判断しなくてはならない。」
設計原則3、消費者の問題の背後にある技術的状況を分析する
・「社会的、経済的な要因によって製品の技術要件が決まることも多い。」
・「エンジニアが技術的状況を研究することにより、周囲の創造的道筋だけでなく、ペインポイント(悩みの種)も確認することができる。エネルギー、力、熱伝導などの要件を理解すれば、それらを満たす斬新な方法が浮かび上がってくる。」

落とし穴4、利害関係を顧みない
・「消費者のニーズや要望について製品設計担当者を教育するには、・・・数日間、新興国市場に送り込み、いくつかの都市や村落、スラム街を車で回り、現地の様子を観察させればいいと思っている多国籍企業が多いようだ。・・・そんなことが真実であろうはずがない。」
設計原則4、なるべく多くの利害関係者を交えて製品をテストする
・「企業は設計プロセスの最初に、製品の成功を左右する一連の利害関係者をすべて洗い出すとよいだろう。誰がエンドユーザーか、どのようなニーズかと尋ねることに加えて、誰がその製品の生産、流通、販売、支払い、修理、廃棄をするかについても考慮しなくてはならない。これは製品のみならず、拡張可能なビジネスモデルの開発にも役立つだろう。利害関係者のためではなく、利害関係者と一緒に設計しているという態度を取るのがベストである。」
・「エンジニアがどれほど完璧主義だったとしても、ユーザーは使い手でなければ気づかない設計上の不備を明らかにしてくれる。」
・「設計は繰り返しであることを忘れてはいけない。最初から正しく理解するのは不可能なので、多くのプロトタイプをテストする準備をすることだ。」

落とし穴5、新興国市場向けの製品が、グローバルに訴求できる可能性を信じようとしない
・「欧米企業は先進国市場の消費者は・・・新興市場からの製品などけっしてほしがらないと思い込みがちだ。たとえそうした製品に人気があったとしても、高価格で高利益率の製品やサービスとのカニバライゼーションを起こすので危険ではないかと懸念する。」
設計原則5、新興国市場の制約条件を生かしてグローバルで勝てるものをつくり出す
・「企業は解決策を計画する前に、新製品やサービスに影響を及ぼす固有の制約条件を確認すべきである。・・・リストアップしていくと、価格、耐久性、素材など、新しい設計で満たさなくてはならない要件が確定する。途上国の制約条件によって通常、技術的ブレークスルーを迫られ、それがイノベーションでグローバル市場をこじ開けるのに役立つ。新製品がプラットフォームとなって、企業はそこに、世界中のさまざまなタイプの消費者が喜ぶ特徴や性能を追加することができるのだ。」


新興国市場の意味についての著者のコメント
・「欧米企業のほとんどは、過去15年でビジネスの世界が劇的に変化してきたことを知っているが、その重心が新興国市場にほぼシフトしていることにはまだ気づいていない。・・・市場リーダーの座を維持したいと思う企業であれば、そうした国々の消費者を重視する必要がある。経営陣にとって、新興国市場で製品開発に必要なインフラ、プロセス、人材への投資を始める以外に選択肢はない。投資により、多国籍企業も新興国ならではの『フルーガル・エンジニアリング』の恩恵にあずかることができる。こうした国々では熟練の人材(特にエンジニア)が豊富におり、比較的低賃金なので、先進国よりも製品をつくるコストを低く抑えられることが多いのだ。」
―――

この論文を読むと、リバース・イノベーションには次の2つの側面があるように感じられます。1つめは、新興国での新興国消費者向け製品開発であり、2つめは、新興国で開発された成果の先進国への展開です。もちろん、最初の新興国での製品開発がなければ、次の先進国への展開もありませんので、新興国での開発ノウハウが重要であることは言うまでもありませんが、それだけではイノベーションの成果が新興国内に留まってしまうでしょう。成果をさらに大きなものにするために重要なのが先進国への展開、と言えるのではないでしょうか。

著者は、多国籍企業がリバース・イノベーションを行うことの重要性を強調していますが、実際には新興国の企業が自国内で起こしたイノベーションの成果を先進国向けに改良して輸出してくる、そんなシナリオも考えられるように思います。多国籍企業にとってのリバース・イノベーションの意味は、単に新興国市場から利益を得ることだけではなく、新興国企業からの技術輸入をうまくコントロールする意味もあるのではないか、という気がしました。

この論文に述べられた5つの設計原則は、単に新興国での開発に特有の指針というわけではないように思います。5つの設計原則を、もう少し一般的な言葉で言い換えると以下のようになるのではないでしょうか。
1、既存製品や既存製品の改良にとらわれない発想が必要な場合がある。根本的な問題を認識し、解決策を提供することが必要。そのためには、想定顧客が欲していることは何か、既存の製品やサービスをどのように使っているのか、環境条件(使用環境、メンテナンス環境など)はどうか、などを参考に解決すべき問題を見直すことも必要。
2、制約条件はアイデアの源にもなり得る。環境上の条件を制約としてではなく資源として使う発想もできる。イノベーションを進める方法、ビジネスモデルを構築する方法にとっても、異なる環境は選択肢の幅を広げる上で役に立つ可能性がある。

3、イノベーションをとりまく様々な技術要件をできるだけ検討することが必要。先入観を捨て、当たり前と思っている前提を疑ってみることも必要。
4、イノベーションは、想定どおりには(特に先進国にいて考えた想定どおりには)進まない。様々な利害関係者の理解を得る努力と、テスト、フィードバックによる改良が必要。
5、開発された製品のアイデアは、当初の目的だけではなく異なる環境にも使える可能性があることを考えなければならない。
これらは、何か新しいイノベーションを起こそうとする時に考えるべき基本的なことのように思います。しかし、普通に研究開発をしていると気づきにくいこともあるでしょう。「新興国」という環境は、こうした点に気づかせてくれる刺激になっているのではないかと思うと、「リバース・イノベーション」の進め方を知る、ということは、新興国での研究開発を考えていない人にとっても、あらゆるイノベーションに必要な観点を再認識するよい機会でもあるといえるように思います。


文献1:Amos Winter, Vijay Govindarajan、エイモス・ウィンター、ビジャイ・ゴビンダラジャン著、渡部典子訳、「[実践]リバース・イノベーション 5つの設計原則が新興国での製品開発を促す」、Diamond Harvard Business Review, December 2015, p.98.
原著:”Engineering Reverse Innovations”, Harvard Business Review, July-August 2015.


ジュガードイノベーション(ラジュ、プラブ、アフージャ著「イノベーションは新興国に学べ!」より)

新興国経済の台頭とともに、イノベーションのやり方も変わりつつあるということがよく指摘されます。今回は、ラジュ、プラブ、アフージャ著「イノベーションは新興国に学べ!」[文献1]に基づいて、ジュガードイノベーションと呼ばれるシンプルで柔軟、倹約的なイノベーションの手法について考えてみたいと思います。

原著の表題にもなっている「ジュガードイノベーション」の「ジュガード」とは、ヒンディー語で、「『革新的な問題解決の方法』とか『独創性と機転から生まれる即席の解決法』という意味」ということで、ジュガードの精神とは、「常識にとらわれない思考と行動によって問題に対処すること、どんな逆境にあってもチャンスをとらえ、シンプルな手法によって臨機応変な解決策を見出す。より少ないもので、より多くを成し遂げることなのである。[p.19]」とのことです。著者らは、こうした精神に基づくイノベーションが、すでに新興国で成果を挙げつつあり、先進国でも有効に機能している例を挙げ、こうしたイノベーションの方法がこれからの時代に(新興国のみならず先進国においても)求められていると主張しています。以下、そのポイントをまとめておきたいと思います。

ジュガードの6つの原則
1、逆境を利用する(第2章):「厳しい制約はイノベーションのきっかけになる[p.39]」。チャンスをとらえるやり方は、「『障害を成長のチャンスに変える』『制約を自分に有利に働かせる』『問題をすばやく解決することで変化する環境につねに適応する』[p.54]」。学ぶべき考え方としては、「コップには水が半分も残っていると考える」、「過酷な条件は思い切った革新を生む豊かな土壌であると認識する」、「自信を持つための心理的資本を作り上げる」、「成長志向のマインドセットで大きな挑戦に臨む」、「巨大市場の脅威に挑むためにネットワークの力を選ぶ」など[p.65-76]。
2、少ないものでより多くを実現する(第3章):「あり合わせのものでなんとかする[p.40]」。欧米企業の多くは、「過去に成功した『多くのものから多くを得る』戦略に固執している。欧米企業は競合他社との差別化を図るため、R&Dに莫大な投資をして、高価格で、しばしば過剰性能の製品を開発し、べらぼうな値段で顧客に売りつけてきた。過去にはこの戦略が機能した。・・・しかし、この『大きいほど良い』という手法はもはや継続できない。欧米企業は資源不足に直面し、コスト意識の高い顧客は、高価格の製品ではなく、払った金額にふさわしい価値のある製品を求めるようになっている。[p.103]」
3、柔軟に考え、迅速に行動する(第4章):「つねに今のままでいいのかと問いかけ、どんな選択肢も可能性として残し、既存の製品やサービスやビジネスモデルを作り変える。体系的プロセスに制約を受けないため、環境の予期せぬ変化にもすばやく対応できる[p.40-41]」。柔軟な考え方や行動力を身につけ、維持することができる戦略としては、「必要に応じてルールを破り、価値観を変える」、「投資家や顧客に口出しさせてはいけない」、「社員が思いつきで作り、実験できる時間と空間を提供する」、「心地よい領域を飛び出し、新たな視点を得る」「柔軟な考えを持つパートナーと提携する」、「複数のビジネスモデルを実験する」、「安く失敗し、速く失敗し、何度も失敗する」などがある[p.138-143]。
4、シンプルにする(第5章):「ジュガードは、過剰な性能を持たせることで、製品に洗練や完璧を求めるものではない。目的を果たすために十分な優れた解決法を考え出すことだ[p.41]」。シンプルにする方法としては、組織をシンプルにする、「顧客のニーズを本質まで絞り、それを中心に製品をデザインする」、「一からシンプルな製品を作る」、「ユニバーサルデザインの哲学を掲げて製品の有用性を高める」、「エンジニアと工業デザイナーを協働させる」、「製品を越えて設計をシンプルにし、プラットフォームを再利用する」、「シンプルにするが、シンプルにしすぎない」などがある[p.162-172]。
5、末端層を取り込む(第6章):「ジュガード起業家は、あえてサービスが行き届かない末端層の人々を見つけ出して、主な顧客とする。彼らのニーズを満たす、格安の解決法をすばやく考え出すのである。末端層を取り込む(インクルーシブ)ビジネスモデルでは、低所得者を受け身の消費者ではなく、価値を共創する相手としてとらえている[p.42]」。次のような戦略が可能:「インクルージョンをビジネスとして考える」、「拡大する欧米の低所得層の需要に応える」、「インクルーシブな職場文化を作る」、「末端層の知識が乏しいわけではないことを理解する」、「テクノロジーでインクルージョンのコストを抑える」、「非営利組織と提携する」、「経営陣から支持を得てビジネスモデルを根本的に変更する」、「新興市場の成功事例を取り入れ、適応する」、「インクルーシブなデザイン原則を受け入れる」[p.199-206]。
6、自分の直観に従う(第7章):「フォーカスグループや型通りの市場調査には頼らずに、どんな製品を作るかを決める。投資家の反応も気にしない。顧客のことも、自分の製品のこともよく知っている。だから、自分の心を信じ、それに従うのである。大切にするのは、直観、共感、情熱である[p.43]」。

ジュガードイノベーションが求められる理由(先進国企業の戦略の問題点)
・体系化されたイノベーションの問題点[p.24-29]:あまりに多くの資金と資源を必要とすること、柔軟性に欠けること(「シックス・シグマのような、安定した予測可能なプロセスを中心にする改革プログラムは、企業が求める急激な変化を実現できない」)、排他的でエリート主義(「ソーシャルメディアの力で強く結びつき合う世界では、金銭で買える知的財産だけが新たなアイデアの源ではない」。なお、シックス・シグマの導入によって3Mのイノベーション能力が損なわれ、導入を見直した事例も紹介されています[p.78-82]。
・欧米企業を悩ます5つの複雑性[p.30-35]:リソース不足(天然資源、消費者と政府の経済的苦境、倹約的な消費者の増加)、多様性(消費者、従業員の多様化)、相互の結びつき(SNSなど)、加速する変化、グローバル化。
・欧米企業を取り巻く逆境[p.60-62]:マクロ経済の悪化、多くの新たな規制、人口の構造的変化(労働力の高齢化など)、コンピューターによるソーシャル革命、加速する天然資源の不足、新興市場との容赦ない競争。
・難しい問題に直面した欧米企業の反応[p.63-65]:問題に気づかない、もしくは気づかないふりをして手遅れになる、厳しい制約を力ずくで抑え込もうとする(改革に取り組まず、競争相手を排除しようとする)、新しい問題に古い手法で対応する、大きな挑戦をするときに小さく考える(大きな困難に直面すると守りに入り、わずかな改良で対応しようとする、など)。
・欧米企業が柔軟に動けない理由[p.131-138]:自己満足(成功体験、硬直した考え方や古い行動から抜け出せない)、二元的な思考(すべてが予測可能で白か黒かに分けられると考えてしまうが、灰色が増えつつある)、リスク回避(既存製品との共食いを恐れる)、意欲のない社員(従業員の柔軟な発想が正当に評価されず、安全な選択をすることで、集団思考に陥り、変化を求めなくなる)、厳格で時間がかかる生産・開発プロセス(市場調査や、企画開発に時間をかけすぎる)。
・欧米における簡素化の動き[p.158-160]:消費者がシンプルなものを求めている(複雑すぎる設定や操作の反動)。Y世代、Z世代、ベビーブーム世代は進化した技術を拒否する。生活を切り詰めている人が増えている。オーバースペックの製品は多くの研究開発費と時間を要する。シンプルを強みにする俊敏なライバルに市場シェアを奪われつつある。
・末端の顧客を取り込まない理由[p.194-196]:末端層のために製品を作ったり、サービスを提供したりするのは、中核事業にとってのチャンスではなく、社会的使命だと考えている。ビジネスモデルが末端層の多様なニーズに応えられない。末端層向け商品やサービスに対する長期的な投資ができない。

ジュガードの活用
・「ジュガード・イノベーションは、すべての状況ですべての問題を解決できる万能薬ではない。・・・伝統的で体系的な手法に代わるものではない。補完的に使うと役に立つものである。[p.235]」
・ジュガードが最も効果的に働くとき[p.236-237]:変化が速いとき、全般的なリソース不足、節約意識の強い多様な顧客、成熟していない業界、つながりを求めるとき
・伝統的イノベーション手法の利点[p.239]:量を重視した規模の経済が実現できる、ハードな資本の注入(大きなリスクを負って、大きな報酬を得る)、効率性(シックス・シグマのような標準化されたプロセスは、環境が安定していれば、効率的で、効果的な結果につながる)
・ジュガードの利点[p.240]:価値を重視した規模の経済(異質的市場のそれぞれの顧客に、より大きな価値を提供できる)、ソフトな資本の注入(従業員の情熱を引き出し、顧客と意味のある関係を築くことができ、生産性の伸びや顧客ロイヤルティといったソフトな資本を蓄積できる)、柔軟性
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本書に述べられたジュガード・イノベーションの6つの原則は、すでに似たような指摘が多くなされていると思います。例えば、逆境はニーズの源であると同時に競争を減らす作用があることは容易に想像できます。少ないもので多くを実現する考え方は、不確実な状況で「小さくはじめる」という考え方に近いですし、オーバースペックを避けシンプルな製品やサービスを目指すべきことは、Christensenによるイノベーションのジレンマの指摘から導かれることと言ってもよいでしょう。末端層を対象としたイノベーションも様々な成功事例が知られるようになってきたと思います。柔軟、迅速、直観重視も、小規模な起業家であればそのような行動はとりやすいですし、試行錯誤を前提とする手法としては普通のやり方であると考えられます。こうした方法での成功事例も知られていますので、本書に述べられた手法が有効であることについては、理解しやすいでしょう。

本書の興味深い点は、このようなジュガード・イノベーションの手法が、先進国企業にとってもこれからの進む道であるとしていることと、先進国企業においてジュガードの考え方が受け入れ難い点を明らかにしていることでしょう。もちろん、本書に述べられた新興国でのイノベーションの事例がそのまま先進国企業に適用できるとは限りませんし(先進国企業での事例として紹介されているもののなかにはやや強引なものもあると感じました)、新興国や先進国での成功事例を取り上げてそれがジュガード的であったからといって、ジュガードの方法が必ずうまくいくとも言えない点には注意が必要ですが、ジュガードが効果的とされる場合に、イノベーション手法の選択肢の一つとして考えてみる価値は十分にあるものと思われます。先進国企業のイノベーション戦略の問題点についての著者らの指摘はなかなか示唆に富んでいると感じましたので、我々はそうした従来のやり方を今後も続けていくのか、それとも新たな手法(ジュガードもひとつの候補として)を試みてみるべきなのかはそれぞれの立場でよく考えるべきなのではないでしょうか。


文献1:Navi Radjou, Jaideep Prabhu, Simone Ahuja, 2012、ナヴィ・ラジュ、ジャイディープ・プラブ、シモーヌ・アフージャ著、月沢李歌子訳、「イノベーションは新興国に学べ! カネをかけず、シンプルであるほど増大する破壊力」、日本経済新聞出版社、2013.
原著表題:Jugaad Innovation: Think Frugal, Be Flexible, Generate Breakthrough Growth

(参考)ジュガードイノベーションwebページ
http://jugaadinnovation.com/

参考リンク<2014.8.3追加>

「リバース・イノベーション」(ゴビンダラジャン、トリンブル著)より

リバース・イノベーションについては、以前にHBR誌に発表された論文に基づいてご紹介させていただいたことがありますが、最近、その詳細が書籍[文献1]として出版されました。書籍でも基本的な考え方は同じなのですが、取り上げられている事例が増え、実践的な手法の整理も進んでいて、概念の深化や若干の変化もあるように感じられました。これからのイノベーションを考える上で、重要な考え方だと思いますので、再度取り上げておきたいと思います。

まず、リバース・イノベーションの定義ですが、本書では、「リバース・イノベーションとは、簡単に言うと、途上国で最初に採用されたイノベーションのことだ。こうしたイノベーションは意外にも、重力に逆らって川上へと逆流していくことがある。」[p.6]とし、論文での「新興国で製品開発し、これを先進国に展開する」という定義よりも、広い内容となっているように思います。原著の題名は「Reverse Innovation: Create Far from Home, Win Everywhere」(リバース・イノベーション:本拠地から遠く離れた場所で開発し、世界中で勝て、というところでしょうか)ですので、先進国から途上国へという従来の流れとは逆の意味でのリバースという視点とともに、どうやって新興国で世界的に展開可能なイノベーションを実現するか、という意味合いが濃くなっているように思います。

著者らは、リバース・イノベーションについて、「ベスト・プラクティスというよりもむしろ、新たな試みである。」[p.x]と述べています。しかし、グローカリゼーション(「富裕国の顧客向けに開発されたグローバル製品にわずかな修正を加え、主に機能を落とした低価格モデルを輸出するだけ」)で「新興国市場を開拓できると考えている」ことは「完全な誤り」とし、「富裕国で有効なものが自動的に、顧客ニーズがまったく異なる新興国市場でも幅広く受け入れられるわけではない。リバース・イノベーションが急速に勢いを増している理由はそこにあり、そうした動向は今後も続いていくだろう[以上p.7]」としています。「途上国の経済は大きく、とてつもないスピードで成長を遂げている[p.13]」、従って、「富裕国と有力な多国籍企業が成功を持続したければ、次世代のリーダーやイノベータは、(中略)途上国におけるニーズや機会にも関心を向けなければならない。」「未来は本国から遠く離れたところにある」[p.11]」、さらに、「いわゆる『新興国の巨人』と呼ばれる、途上国を本拠とする新世代の多国籍企業」との競争を考えるなら、「リバース・イノベーションを無視することは、(中略)海外での機会を逃すこと以上に高くつくおそれがある」、つまり「リバース・イノベーションは選択肢というよりも、酸素のように必要不可欠なもの」[以上p.12]、というのが著者らの基本的な考え方です。なお、著者は、「本書の読者には、富裕国を本拠とする多国籍企業のリーダーが多数含まれると想定しているので、本書では主に、そうした企業が強さを維持し、未来をかたちづくっていくための要件について取り上げていく」という立場で書き進めています。そのため、我々富裕国企業の実態に沿ったアドバイスが豊富に述べられていますが、「新興国の巨人はまた、本書の概念を用いて、世界進出の際にリバース・イノベーション戦略を活用できるだろう」[p.15]とも述べていますので、リバース・イノベーションをどちらかの視点に偏った考え方とは見ていないようです。以下、本稿では、本書前半で述べられているリバース・イノベーションの基礎理論、戦略策定と行動(実行方法)の内容を中心にまとめてみたいと思います(本書後半のケーススタディについては本書をご参照ください)。

富裕国と途上国の間にある5つのニーズのギャップ

以下のギャップが、リバース・イノベーションの機会を考える上での出発点。

・性能のギャップ:「途上国の人々は、私たちが富裕国で慣れ親しんできたような高いレベルの性能を求めることはできない。」「超割安なのにそこそこ良い性能を持つ画期的な新技術を待ち望んでいる」(わずか15%の価格で、50%のソリューションのような)[p.24-25

・インフラのギャップ:「富裕国ではインフラが広範に行き届いているが、途上国はそうではない」。ただし、富裕国には既存のインフラという制約がある。[p.26-27

・持続可能性のギャップ:新興国には環境に優しいソリューションを用いるニーズがある[p.28

・規制のギャップ:「規制による影響を受けない途上国のほうが、より早くイノベーションが進展する可能性がある。」[p.29

・好みのギャップ:「国ごとに存在する味覚、習慣、儀式などの豊かな多様性」[p.30

このような違いは、富裕国がいまだ解決したことのない問題であったり、富裕国が数十年前に似たようなニーズに対処した際にはまだ利用できなかった最新技術を用いて対応することになるため、「貧困国で機会をつかむことは、一から始めることを意味する。」(「白紙状態のイノベーション)。「イノベーションを行う企業が勝ち、輸出する企業は負ける」[p.32

川上へとさかのぼるパターン

富裕国でリバース・イノベーションが魅力を持つのは次の場合。

・今日の取り残された市場:「富裕国には、無視されたり、サービスが不十分だったりする『取り残された市場』がある。そうした市場でイノベーションが起きなかったのは、それが必要ないからではなく、市場が小さすぎて多額のイノベーション投資を正当化できないから」。[p.33

・明日の主流市場:富裕国と途上国の間のニーズの「ギャップがある間は、富裕国の主流市場では魅力を出せないイノベーションも、ひとたびギャップが解消傾向に転じれば、最終的には魅力的なものとなる。」[p.36

リバース・イノベーションのためのマインドセット

著者は、「リバース・イノベーションの規律を熟知するうえで、過去にとらわれることは唯一最大の弊害」[p.53]と述べています。貧困国のニーズを無視したり、貧困国がいずれは成長して富裕国と同じ製品を求めるようになるはず、という考え方が新興国での成功に結びつかないことは容易に想像できますが、グローバル企業の次のような思考がリバース・イノベーションの障害となると指摘しています。

・グローカリゼーション:「グローカリゼーションは富裕国間の違いには効果的」。しかし、「新興国市場の真の成長機会は大衆市場にある。そしてそれはグローカリゼーションが壁に突き当たるところ」。「グローカリゼーションが無効になったのではない。」「グローバル企業はリバース・イノベーションとグローカリゼーションを同時に実行することを学ばなければならない。」[p.62-63]。「グローカリゼーションとリバース・イノベーションは、ただ共存していればよいわけではなく、両者が協力しあう必要がある。[p.95]」

・思考の罠:1)貧困国の顧客は古い技術で満足というような、「貧困国の市場を斜陽技術のゴミ捨て場のごとく見ることは、重大な間違い」[p.64]。2)リバース・イノベーションでは、「必ずしも徹底的に低価格にしなくてはいけないわけでもない。」[p.65]。3)「リバース・イノベーションの可能性は、ただ製品設計をいじるだけの問題ではなく、(中略)多くはビジネスモデルのイノベーション」。[p.66

・妨げとなる不安:1)新興国では利益率が低いと考えがちだが、「たとえ、粗利益率が低かったとしても、新興国の固定費は比較的低く、潜在的なボリュームははるかに大きいので、営業利益率とROI(投資収益率)は同等かそれ以上になるかもしれない。」[p.68]。2)低価格市場での競争は自社の高級ブランドを危険にさらすか、自社製品に対するカニバリゼーション(共食い)をもたらす危険があるが、「何もしないことのリスクに比べれば、(中略)比べものにならないほど小さい。」[p.69]。3)技術リーダーとして優れているから超低価格とは相容れない、というのは間違い。

CEOのとるべきステップ:まずは、このような隠された前提、罠、不安を認識した上で、CEOは次の3つのステップをとる必要がある。1)組織の重心を新興国市場に移す。2)新興国市場の知識と専門性を深める。3)個人として象徴的な行動をとることで雰囲気を変える。[p.73-80

リバース・イノベーションのマネジメント

リバース・イノベーションを実行する部隊が取り組むべきこととして、著者は以下の指摘をしています。

・支配的論理を覆す:経営者や組織を支配しているリバース・イノベーションの障壁となる考え方を取り除く。

・ローカル・グロース・チーム(LGT)を組織する:「組織上の障壁を取り払うための方法は、リバース・イノベーションのために特別な組織単位を作ること」[p.92]。白紙の状態で組織を設計する(外部人材の活用も有効)。

・グローバル組織の資源を活用できるようにする:グローバル企業としての資産が、ローカルの競合企業に対する優位となる。ただし、「LGTと社内の他の組織との間で、健全な協力関係を進展させることはなかなか難しい[p.104]」。対立解決のためにはLGTを上級幹部の直轄とし、橋渡し役を有効活用する。

・統制のとれたやり方で実験を行なう:計画を達成することよりも、「将来について仮説を立て、テストを行い、不確実性を知識や情報に変換し、実行可能なビジネスモデルを開発するための教訓を導き出すほうが大切[p.110]」。具体的には、重要な未知の事柄の解明への集中、LGTに適した業績評価、頻繁な計画の修正、計画の実行結果ではなく学習結果について説明責任を負わせることが重要。[p.110-114

リバース・イノベーション戦略の「9つの重要ポイント」

以上の本書前半部のまとめとして、著者は以下の9つのポイントを挙げています。[p.125を要約]

戦略レベル

1、新興国市場の成長をつかむために、単なる輸出ではなく、イノベーションに取り組む。

2、イノベーションを他の貧困国、富裕国の取り残された市場、富裕国の主流市場へと移転させる。

3、いわゆる新興国の巨人を自社のレーダーで捕捉し続ける。

グローバル組織レベル

4、人材、権限、資金を、成長している場所である途上国に移す。

5、リバース・イノベーションのマインドセットを全社的に培う。新興国市場にスポットライトを当てる。

6、グローバルとは別の損益計算書をつくり、成長性に関する指標を重視した業績評価を設ける。

プロジェクト・レベル

7、LGTに権限を委譲する。白紙の状態でニーズを評価し、ソリューションを開発し、組織を設計する。

8、LGTが自社のグローバルな経営資源の基盤を活用できるようにする。

9、迅速かつ経済的に、重要な未知の事柄の解明に注力し、統制のとれた実験として管理する。

本書の後半では、9つのケーススタディが紹介されています。もともと著者は、GEのコンサルタントとしてリバース・イノベーションを推進していたため、GEのケースについてかなり詳しく説明されていますが、その他のケースにおいても、似たようなアプローチが取られている点は興味深いと思います。特に上記の、2、4、7(特に)、8、9のポイントが複数の事例で強調されていました。

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以上が本書のまとめですが、著者の主張は軽々しく無視できるようなものではないでしょう。本書の解説では、小林喜一郎慶応義塾大学教授が日本企業にとっての課題を挙げています[p.371-372]。内向きからの脱却、新興国を生産拠点ではなくイノベーション拠点ととらえること、経営システムのユニバーサル化、投資しないリスクの大きさ、新興国における社会との互恵関係を念頭に置いた事業創造、など、いずれも日本企業にとって容易ならざる課題と言えると思いますが、小林氏も指摘されているように、かつて、日本が新興国だった時代に日本で技術開発した製品が海外進出していった状況には、リバース・イノベーションとも似たような要素があったと思います(その頃には今日のような多国籍企業がなかった点は違いますが)。もちろん新興国の動向は予測が難しい面もありますが、リバース・イノベーションの流れを念頭におき、著者の指摘するように、貧困国に対して、慈善や援助ではなく、ビジネスを通じて貢献できる[p.336]可能性もよく認識した上で、グローバル戦略を考える必要があることは間違いなさそうに思われます。


研究開発マネジメントの観点からは、Christensenによる破壊的イノベーションとの関係が重要でしょう。著者は、「リバース・イノベーションと破壊的イノベーションは一対一の関係ではないが、重なり合う部分がある。すべてではないが、リバース・イノベーションの一部は破壊的イノベーションの事例でもある。」[p.360]と述べています。リバース・イノベーションと破壊的イノベーションの類似は、リバース・イノベーションの論文を取り上げた際にも述べましたが、起きている現象、考え方、進め方のノウハウなどにかなり共通の要素が認められます。ただ、Christensenの理論では、イノベーションや技術の進歩の傾向とそれによる企業の盛衰が破壊的イノベーションの考え方で理解、予測できる、という現象面の重要性が強調されていて、実際に、どうしたら破壊的イノベーションを起こせるのか、特に、その芽を見つけるにはどうしたらよいのか、という点についてはそれほど詳しい手法が提示されているわけではないと思います。「最初の戦略は必ず間違っている」「正しい戦略を知っているかのように意図的に行動するのではなく、正しい戦略が市場から『わき出る』、つまり創発するようなアプローチを採用すべき」[文献2、p.373,236]というのが基本的な考え方になっていて、ChristensenAnthonyもその具体的な方法を提案しているわけですが、本書に示された新興国発のリバース・イノベーションについて言えば、かなりの確率で計画的に破壊的イノベーションの芽をみつけ、育てることが可能なのではないかと思われます。その意味で、リバース・イノベーションが破壊的イノベーションを効率的に生む方法になりうることを示したことは、著者らの指摘の最も重要なポイントではないでしょうか。実践的な観点からは、リバース・イノベーションの中には、新興国の中だけのイノベーションにとどまり、破壊的にもリバースにもならないものもあるでしょうが、その可能性については十分に認識しておく必要があると言ってもよいと思います。著者は日本語版への序文で「必要なのは行動することである」[p.iii]と言っています。どう行動するかが問われているということでしょう。


文献1Govindarajan, V., Trimble, C., 2012、ビジャイ・ゴビンダラジャン、クリス・トリンブル著、渡部典子訳、「リバース・イノベーション 新興国の名もない企業が世界市場を支配するとき」、ダイヤモンド社、2012.

文献2:Anthony, S.D., Johnson, M.W., Sinfield, J.V., Altman, E.J., 2008、栗原潔訳、「イノベーションへの解実践編」、翔泳社、2008.


(参考)

原著のwebページ

http://www.tuck.dartmouth.edu/people/vg/reverse-innovation/

ビジャイ・ゴビンダラジャン、小林喜一郎、渡部典子、「リバース・イノベーション講座」、ダイヤモンド社書籍オンライン、2012.10.1から

(第1回)http://diamond.jp/articles/-/25138

他の回も上記URLからたどれます。

参考リンク<2013.1.14>


 

 

 

技術者流出考

最近の日本企業の苦戦の一因として、日本企業を退職した技術者が新興国のライバル企業に転職し、ライバル企業の技術力を向上させるという、いわゆる「技術者流出」の問題が取り上げられることが増えているように思います。これを産業スパイのように見なしたり、技術者個人の愛社精神の欠如、自らを育ててくれた企業への恩を忘れた行為、果ては愛国心の欠如のように考える見方もあるようですが、はたしてそんな単純な問題なのでしょうか。

技術者の視点からみた技術者流出

このようなセンセーショナルな取り上げ方に対して、その実態はどうなっているかのきちんとしたデータは不足しているようです。残念ながら私自身にこのような経験はないのですが、先輩技術者の中には現役引退後に新興国で技術指導に携わっている人がいる、という話は聞いたことがありますので、それほど稀な事例ではないのだと思います。以下、推測の部分もありますが、技術者の立場から、新興国の競合企業への転職について考えてみたいと思います。

まず、どのような事情で転職に至るのかを考えてみましょう。次のようなパターンがあると思います。

1)自分のステップアップ、自分の希望の実現のために、自ら職を辞して転職する。

2)新興国の企業からの引き抜き、移籍の誘いに応じて転職する。

3)勤めていた企業からの退職(リストラに伴う早期退職を含む)をきっかけに転職する。

このうち、1)の自らの意思による転職例は従来から存在しています。この場合、ステップアップを目指した先進的な企業への転職か、現在の業務とのミスマッチが原因であることが多く、技術者流出の問題とはあまり関係がないように思います。これに対し、近年問題にされているのは、主に2)と3)だと思われますが、その背景には、日本企業に勤めることの魅力が低下し、相対的に移籍先の方が魅力的に見える状況とともに、特に3)については、技術者の意思に反して退職させられる場合や、自らの技術が評価されない部署に異動させられる場合などが転職のきっかけになっていることが多いように思われます。3)の事例については、企業が自社にとって不要と判断した人材が転職しているわけで、退職者の職業選択の自由を考えれば、正当な秘密保持契約や競業禁止契約のもとでは、放出した企業の責任をさしおいて技術者に技術流出のすべての責任を負わせることには無理があるように思います。また、例えば、日本にA社、B社という競合メーカーがあったとき、A社がある事業から撤退して放出した技術者が新興国企業に移ったとしても、A社に対して不利益を与えたことにはならないという状況もありうるでしょう。B社の競争力を低下させることにより、「日本」というくくりで見れば不利益になるとしても、もはやこれは一技術者の問題ではないはずです。

技術者とて、愛社精神や愛国心がないわけではありません。ですから、技術者の自制心や好意に訴えて転職を思いとどまらせようとすることが無力だとは思いませんが、それだけで技術流出を抑止できると考えることには無理があると思われます。自分を育ててくれた会社に恩義を感じていても、その会社にとって不要と判断されリストラや異動されたような場合には、自らを必要としている新興国企業から誘いがあれば心を動かされるのは自然な感情ではないでしょうか。特に、他社から誘いを受けるほどの優れた能力を持つ人材であれば、自らの育成にかかったコスト以上の成果を会社に還元した(つまり、恩には報いた)という自負もあるでしょう。また、専門技術者の中には自らの立場についてプロのスポーツ選手のような感覚を持っている人もいます。他企業への転職も、所属チームの移籍のようにとらえる人もいるでしょう。あるいは、スポーツの世界ではよく見られる、コーチや監督として他国チームの指導にあたるイメージの方が近いかもしれません。こうした環境では、好条件のオファーを断ること自体思い上がりと感じる人もいるでしょうし、そうしたオファーを受けることが技術者全体のステイタスを上げ、後輩のためになると考える人もいるでしょう。そもそも、技術流出というものは、その技術をもった人の大多数の転職を思いとどまらせたとしても、少数の誰かが技術を流出させてしまえば流出抑止の意味がなくなるという性格のものです。自分が行かなくでも他の誰かが行けば同じこと、と思えば、それも転職に応じる気持ちに影響するでしょう。技術者の気持ちに関する私の推測はこのあたりなのですが、実際にどれぐらいの人がどういう状況で新興国企業に移り、その技術力向上にどのぐらい貢献したのか、という具体的な状況がわからないのが残念です。少数の事例だけで作られた単なるイメージに踊らされているような気もしますので、やはりきちんとした調査を期待したいところです。そのためには、他社に転職した人や、転職後日本に戻ってきた人からの情報収集は必須でしょう。そういう人たちに報復的な行動をとったり、愛国心がないと非難したりするようでは、転職者の実態に目をつぶることにしかならない点で、問題の解決にはつながらないように思います。

技術者流出の背景

上記のように、技術者流出については技術者個人の行動が注目されがちですが、以下のような時代背景の影響による技術流出の増加も無視できないと思います。

・人材の流動化:転職への心理的バリアの低下

・実力主義、成果主義の普及:お金で意思決定することへの抵抗感の希薄化、例えば経営不振などで給料が下がった場合にそれが自分への低い評価と感じてしまうこと、評価されにくい要因(組織力、協力環境など)の軽視

・グローバリゼーション:企業の多国籍化(国単位での発想の希薄化)、国境を越えた人材の流動化、日本企業の新興国への進出と現地人材の採用、日本企業への外国企業の資本参加、日本企業における外国人の採用、外国企業の日本での合弁会社や研究所の設立と日本人技術者の雇用

・日本人技術者へのニーズの高まり:転職市場の活性化、求人増に伴いヘッドハンティングビジネスによる勧誘が活発化

・オープンイノベーション:社内外の協力によるイノベーションの活発化を通じた技術流出機会増

・暗黙知の重要性認知:新興企業では個人が持つ暗黙知の重要性への認識の高まり、日本企業では効率化重視による個人の暗黙知の軽視(マニュアル化、形式知化)

こうした背景の影響を認めるならば、技術者流出を食い止めようとすることは世の中の流れに逆らうことのようにも思われます。

技術者流出抑止の本質

もちろん、自社の優位を守るために技術流出を避けることは非常に重要です。退職者との秘密保持契約や競業禁止契約を確実に締結する意義があることには異論はありません。しかし、退職者への制約強化とその効果には限界があることに加え、時代の流れを考えると、技術流出は避けらないと理解すべきなのではないでしょうか。さらに、技術の特質として、最先端の技術を開発するよりも、既存技術に追いつくこと、すなわち、すでにできるとわかっていることを実現することのほうが容易です。この時、先行他社の技術を入手できれば追いつくことはさらに容易になりますが、それができなくても、うまくやりさえすればいずれ先行技術に追いつくことはまず間違いなく可能と言っていいでしょう。すなわち、技術流出を完全に抑止できたとしてもいずれ追い付かれる可能性があるわけです。とすると、技術流出を防ぐことの本質は、他社に追いつかれるまでの時間をできるだけひきのばすこと、すなわち時間稼ぎをすることである、ということになると考えられます。つまり、先行企業が本来考えるべきことは、その時間稼ぎをしている間に、優位を維持するために何ができるかを考えることではないでしょうか。

技術者流出対策

技術流出が避けられないものであれば、技術者流出対策として行なうべきことは、i)技術流出を極力遅らせ、優位維持のための時間稼ぎをする、ii)技術流出を前提にそれを利用した戦略を立てる、iii)時間稼ぎをしている間に優位構築のための行動を起こす、ことであると考えられます。

i)まず、技術者流出を遅らせる方法について考えてみましょう。もちろん、契約などで流出に制約を加えることは必要ですが、それに加えて以下のような方法が考えられます。

・技術者の安易なリストラを避ける:技術者のリストラが技術者流出を加速していることは間違いのないところだと思われます。従って、技術者のリストラをすることは自社の技術的優位の喪失につながりかねないことをまず認識すべきでしょう。加えて日本の他社のリストラが新興国企業を利する可能性についても注意しなければなりません。人員削減は経営上の必要に迫られて実施するわけですが、技術流出まで考慮すると、短期的な業績回復には効果があっても、長期的にはより困難な状況に陥る可能性があることも覚悟すべきです。やむなく人員削減が必要な場合には、自社におけるその人材の必要性とともに、競合他社にとっての必要性も加味して判断すべきでしょう。

・技術者の待遇改善:技術者の退職や転職に対する意欲を減ずる意味で重要です。日本では技術者に対する報酬がまだ低いという意見もありますので、報酬を上げることも当然考慮すべきでしょうが、それができればリストラの苦労はありませんし、金銭的報酬は、スカウト先がそれ以上の待遇を提示してきた場合には容易に無力化されてしまいます。金銭的報酬以外の報酬(名誉や、仕事のやりがい、仕事上の裁量、自由度、将来性なども含めて)も考慮する価値があると考えます。

・仕事環境の改善:仕事しやすい環境を与えることも重要です。一般に技術者は全く独力で仕事をしているわけではないので、技術者をサポートする環境が整っているかどうかは成果を上げる上で重要です。

・業務の分散:集団で協力して仕事を進める体制になっていれば、その中の少数の人が引き抜かれたとしても、その人が直ちに競合企業において力を発揮できる可能性が低くなります。また、協力的環境を作ることによって、転職した後でも元の仲間と敵対しなくない、という感情が生まれることも期待できます。なお、これに関連して、技術者の担当する業務を狭く限定することも考えられますが、その場合でも少数の重要人物には技術が集中しますし、個人の技術を限定することで全体の技術の社内伝承が難しくなる可能性がありますので、注意が必要です。

ii)次に考えるべきことは、技術流出を利用する戦略でしょう。

・戦略的技術開示:技術を出さないというだけでなく、分野によっては早いうちからの競合企業との連携を探り、自社および連携先に有利な方向に積極的な技術開示を行なうことが考えられます。

・コンサルタントビジネス:技術流出が避けられないものであるならば、積極的にそれを売り物にする戦略もあり得るでしょう。これも提携が前提となるかもしれませんが、コンサルタントにより余剰技術者の活用も図れますし、何より、出す情報をコントロールし、技術提供先のレベルを確認できる利点もあるのではないでしょうか。

iii)そして、最後には、こうした時間稼ぎを行なった上で、技術的に追いつかれるまでの間に何をするか、を考えておく必要があります。自社の技術をさらに高める努力をすることも選択肢でしょうが、その場合には技術レベルがニーズを超えた意味のないものになっていないか(いわゆるイノベーションのジレンマの状態)に十分な注意が必要です。新興国企業に対し、流出技術と同じ分野の高度化でリードを保とうとしてもそれには限界があります。となると、いままでの技術蓄積や残した経営資源を利用して、技術流出が起きた分野以外に注力する、ということが基本になるのでしょう。イノベーションにおいて技術は重要な役割を担うことが多いわけですが、技術的優位だけでビジネスが成功できるわけではないことは多くの事例で指摘されています。技術流出は脅威として警戒しつつも、他の技術やノウハウと組み合わせて総合的な優位を確立することを狙う価値はあるように思います。

結局、技術者流出に対抗するためには、自社の保有している技術の意味をよく理解し、何を極力秘匿し、何は開示してもよいのか(あるいは追随されると想定するのか)をはっきりと認識することがまず必要でしょう。重要な技術に対する国内企業の動向、新興国競合会社が何を求めているのかについて情報収集を怠らず、その将来を予測し、さらに、社内で有用な暗黙知を保有しているのは誰なのか、そして、技術者の考え方をよく理解することが重要でしょう。例えば、オープンイノベーションを活用したいなら、アイデア段階は広く外部の援助を求めたとしても、生産段階や他社との差別化を図る段階では極力自社にノウハウを蓄積するようにすべきかもしれません。さらにその上で、他社の追随を少しでも遅らせ、その間に何をするのかを考え、行動していく、ということになるのだと思います。本稿では「技術」について考えてみましたが、狭義の「技術」だけではなく「ノウハウ」全般の流出までを考えるべきことは明白だと思います。今まで以上に技術やノウハウの本質を知り、それを欲しがっている人、持っている人のことを理解し、うまくマネジメントすることが技術流出への本質的対策として求められているのだと思います。


参考資料

宇賀神幸司、吉野次郎、蛯谷敏、「特集 今どきの産業スパイ なぜ日本は技術を守れないのか」、日経ビジネス2012.7.9号、p.24.

伊藤正倫 、中川雅之、「『技術流出』 特効薬なきジレンマ」、日経ビジネスONLINE, 2012.5.23

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20120518/232279/

山本雅暁、「日経記事;"()日本の人材 どう守る 電機の技術流出 教訓に"考察」、All About プロファイル、2012.5.13

http://profile.allabout.co.jp/w/c-74296/

熊野信一郎、「見えないノウハウ流出、帰国したがらない技術者」、日経ビジネスONLINE, 2012.8.6

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20120803/235307/

白木真紀、「韓国サムスンが日本人技術者引き抜き加速、人材戦略弱い国内勢」、ロイター、2012.4.23

http://jp.reuters.com/article/jpMobile/idJPTYE83M01520120423?pageNumber=3&virtualBrandChannel=0

テリー伊藤、「“日の丸”家電ピンチ!技術者の流出防げ」、zakzak, 2012.5.8

http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20120508/enn1205080728002-n1.htm

NHK「追跡!AtoZ」取材班、「技術立国・ニッポンに赤信号? リストラされた日本人技術者が作る『高品質のメイド・イン・チャイナ』」、Diamond Online, 2010.11.19

http://diamond.jp/articles/-/10139



参考リンク<2013.2.11追加> 

 

橋渡し役の重要性

イノベーションを成功に導くためには、様々な役割を担う人が必要です。今回は、ワッシュバーン、ハンセイカー著の論文「新興国市場発のアイデアを橋渡しする 破壊的イノベーターの条件」[文献1]に基づいて、「橋渡し役」の意義について考えてみたいと思います。

この論文で取り上げられている「橋渡し役(Bridger)」とは、「新興国市場でイノベーションを見出し、アイデアを試し、それを本国へ持ち帰って世界的な製品・サービスにつなげる」ことができるマネジャーのことで、著者らは、新興国における多国籍企業のマネジャーを調査した結果に基づいて、その特徴をまとめています。まずはそのポイントを以下にご紹介しましょう。なお、論文の原題は「Finding Great Ideas in Emerging Markets」ですので、破壊的イノベーターに限った議論ではありません。どちらかというとリバースイノベーションをうまく進めるマネジャーについて述べられていると言ってよいでしょう(もちろん、破壊的イノベーションとリバースイノベーションは関係がありますが)。

すぐれた橋渡し役の特徴

1、信頼関係の維持:「地域の重要人物や、本社で自分のアイデアを支持してくれる経営幹部と関係を築く必要がある。」「ある研究によれば、人は親切で、有能で、誠実であると見なされた時、すなわち他者や組織の利益を最優先に考え、仕事をやり遂げる能力があり、合意した原則を必ず守ると思われた時に、信頼を築くことができる。」

2、新興国市場に対する理解:「成功する橋渡し役の多くは、海外でさまざまな任務についた経験がある。あるいは、新興国市場の重要性やグローバル・ビジネスに注力する教育機関で学んだことがある。途上国で生まれるアイデアに価値を見出そうとするなら、そうした準備や経験は欠かせない。」まずは、「新興国市場にイノベーションの潜在力があると考える」ことが必要と考えられます。

3、社歴の長さ:橋渡し役は「会社の競争優位性、歴史、ビジネスモデルに関する深い知識に大きく依存している。その知識ゆえ、彼らは有望なイノベーションを見極めるのに長けている。」

4、アイデアの売り込み:「橋渡し役はまたコミュニケーション能力にも優れ、自分のアイデアの正当性を他人に納得させるのが特にうまい。」

橋渡し役が果たすべき役割

このような特徴を持った橋渡し役がどうやって成果を挙げるのかについて、著者は以下の点を指摘しています。

1、アイデアを見出す:「『見たいものを見る』から『見るべきものを見る』へ」。「優れた橋渡し役は、顧客、サプライヤー、競争相手を意識的に観察し、これらの人たちの行動の基礎となる諸条件を理解しようとする。」

2、翻訳者を育てる:「現地国の環境を良く理解し、橋渡し役が注目しているものを説明できる人材の育成」。橋渡し役の同僚や部下のみならず、部外者(現地国の競争相手の戦略を把握しやすい)も翻訳者として活用できる。

3、実験する:「優秀な橋渡し役は、観察した結果をふるいにかけて価値が高いものを選り分け、みずからの力で、または翻訳者の助けを借りて、実験を行なう」

上記のポイントに加えて、「橋渡し役は自分たちのアイデアが会社の中枢に届くよう、多角的なアプローチを取る必要がある。本社の言葉で話し、実験に基づく証拠を提出し、アイデアを売り込み、他のエグゼクティブを支援者として味方につけなければならない。」という指摘がなされています。このとき支援者となるエグゼクティブは、「アイデアがこき下ろされるのを防ぎ、他の人にその価値を説得するために必要な会話を促し」、さらに「破壊的イノベーションに向けた組織体制を新たにつくらせる」など、「単なる助言や援助以上のことをする」べきであるとし、さらに、「橋渡し役にアイデアを製品化する責任を持たせる」ことも成功のカギだとしています。

橋渡し役の本質は?

以上が、新興国市場発のイノベーションを念頭においた著者の考え方ですが、上記の橋渡し役の役割は、新興国のみならず、様々な状況のイノベーションにおいても意味のあることではないでしょうか。橋渡し役の役割を言い換えると、現場と協力して情報収集し、アイデアを発見し、アイデアの有効性を認め、実験で確認し、社内に説明して支援・協力してもらう、ということになり、これらは他の様々な状況のイノベーションでも必要なことだと思われます。情報収集においては、信頼関係構築が有効でしょうし、情報ソースの確保(著者が翻訳者と言っている人の役割の一つ)も有意義なはずです。また、アイデアの発見においては新市場の理解が有効に作用するでしょう。自社にとってのアイデアの意味を判断し、それを会社にとって有意義で実現可能な形に仕上げていくには、社内事情を良く知らなければできないでしょうし、そのアイデアが社内で生き残り社内の資源を獲得するには、社内への説明と支援者の獲得がカギになるでしょう。つまり、本論文で述べられた「橋渡し役」の存在意義とその果たすべき役割は、イノベーション全般に一般化可能、すなわち、新興国に限らず市場の情報を集め、それに基づいてイノベーションを行なおうとする場合に有効となると考えることができると思います。

さらに、橋渡し役の意義は、上記の例のようなニーズ情報に基づいたイノベーションだけでなく、シーズ情報に基づくイノベーションにまで拡張できるのではないでしょうか。例えば、シーズ情報を保有している大学や研究機関、さらに社内の研究部隊からアイデアを得てイノベーションを進める場合にも橋渡し役は有効に機能すると考えられます。社内の研究部隊に関して言えば、本来そこが保有している情報は社内に知られているべきなのでしょうが、実態としてはあらゆる情報が社内に報告、周知されているわけではありません。報告されない知識は、研究員の頭の中に暗黙知の形で保有されることになるわけですが、それを知的資源として活用するには、何らかの表出化プロセスが必要になるでしょう。それを担うのが橋渡し役、という考え方もできると思います。橋渡し役と研究者との信頼関係が重要であることは上記の指摘と同じでしょうし、研究者が保有している生の情報の性質(その精度や、確実性まで含めて)を知っておくことは、「市場の理解」に通じるものだと思われます。その後の社内支援の獲得については、シーズ主導の研究でもニーズ主導の研究と同様に重要であることは言うまでもないと思います。

もちろん、従来でもこうした橋渡し役の意義は認識されていたかもしれません。多くの場合、橋渡し役の役割は暗黙のうちに研究員または研究マネジャーに求められていたのではないかと思います。しかし、橋渡し役がすべき仕事の内容と、橋渡し役の特性、その仕事への適性を考えてみると、その役割を第一線の研究員に期待することは必ずしも効率的とはいえないように思います。では、研究マネジャーの業務として橋渡し役の役割が認知されているのかというと、そうでもないでしょう(そもそも、研究マネジャーの仕事、あるべき姿というものが曖昧なことが多いのですが)。橋渡し役の機能を重視するなら、研究マネジャーに対しその業務を公式に認知してその遂行を求める、あるいは、研究マネジャーとは別にそうした役割を専門に担う担当者を置くことが必要なのではないでしょうか。研究開発、イノベーションを研究部隊だけに任せっきりにしてそれがうまく進むのかどうかを考えると、研究に付随して求められる橋渡し役の役割を明確化し、その役割に適した人材を選び、職務として与え、有効に活用する環境を整え、組織としてイノベーションを成功に導く方法と体制を整備することが今後ますます必要になってくるのではないかと考えます。


文献1:Nathan T. Washburn, B. Tom Hunsaker、ネイサン・T・ワッシュバーン、B・トム・ハンセイカー著、編集部訳、「新興国市場発のアイデアを橋渡しする 破壊的イノベーターの条件」、Diamond Harvard Business Review, 2012, 5月号、p.116.

原題”Finding Great Ideas in Emerging Markets”, Harvard Business Review, Sep., 2011.

参考リンク<2013.1.14追加>


 

 

リバース・イノベーション(DHBR2010年論文より)

 最近、リバース・イノベーションという考え方が話題になっているようです。今回は、ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー20101月号に発表された「GEリバース・イノベーション戦略」という記事[文献1]に基づいてその意味を考えてみたいと思います。なお、原論文は200910月号に発表[文献2]されており、その記事の抄訳が村永氏のブログに紹介されています[文献3]

 

リバース・イノベーション戦略とはひとことで言えば「新興国で製品開発し、これを先進国に展開する」イノベーションのやり方です。これは、今までグローバル企業が行なってきた新製品の開発の方法、すなわち、「先進国で製品開発し、これを各地域仕様にマイナー修正を施して、グローバルに販売する」やり方とは正反対のアプローチということになります。GEは、「GEの各事業が今後10年を生き残り好業績を得る」ために、「新興国で成功することは先進国で勝ち残るための必要条件」と考えてリバース・イノベーションを推進しているとのことで、この記事ではその成功事例と考え方が述べられています。

 

「リバース・イノベーションとは何か」と題するGovindarajan教授(共著者)のblog記事[文献4]には、アメリカの多国籍企業の新興市場に対するアプローチの変化が以下のようにまとめられています。

フェーズ1:グローバリゼーション-自国で開発した商品を世界に販売する。

フェーズ2:グローカリゼーション-商品は自国開発だが、新興国の市場に合わせて製品を修正する。

フェーズ3:ローカルイノベーション(リバースイノベーションの前半)-ローカルマーケットのための製品をその国で開発する。多国籍企業はその開発を支援する。

フェーズ4:リバースイノベーション-新興国で開発された製品を世界に販売する。

この、フェーズ34の段階を合わせたものがリバース・イノベーション、というわけです。

 

このようなリバース・イノベーションがなぜ必要とされるかは以下の点に集約されます。

・新興市場は先進国と同じようには発展しない。進んだ技術を一気に導入することもあるし、所得が低いため、超低価格でそれなりの性能の製品でよい場合もある。また、インフラや課題が異なるためニーズも異なる。

・新興国のニーズに対応した製品を作っても先進国では売れないというのは思いこみで、技術は進歩するし、そうした製品でも先進国で独自の市場を築く可能性がある。

・新興国でイノベーションを行なわなければ、新興国のライバル企業に先を越される可能性がある。

 

このような認識のもと、GEGEヘルスケア)はインドと中国において、その国向けの新製品を開発するチーム(ローカル・グロース・チーム:LGT)を立ち上げました。例えば、中国では、大型の高性能超音波診断装置が高価で売れないため、ポータブルな超音波診断装置の開発が進められました。GEの世界ネットワークの支援のもと、ハイエンド品の15%の価格に抑えられた中国開発品は(もちろん高性能ではありませんが)中国の農村部の診療所にも普及していき、さらに、アメリカでも可搬性が欠かせない事故現場や狭い場所での利用を目的として新たな市場を開拓しているといいます。

 

このような成功は、新興国において開発に適した組織をつくり、適切にマネジメントを行なった結果としてもたらされたものと考えられます。開発にあたったローカル・グロース・チームのマネジメント5原則を見てみましょう。

1、成長が見込める地域に権限を移転する。独自の戦略、組織、製品を開発する権限を持たせる。

2、ゼロから新製品を開発する。先進国向け製品のカスタマイズではない(もちろん、これまでの研究成果の活用はなされている)。

3、ローカル・グロース・チームは新会社と同じくゼロから立ち上げる。従来グローカリゼーションを支えた組織にはこだわらずゼロから組織を設計する。

4、独自の目的、目標、評価基準を設定する。既存事業の基準に合わせるのではなく、地域の状況にあった基準にする。

5、経営陣はローカル・グロース・チームを直属に置く。ローカル・グロース・チーム(LGT)は経営陣の強力な支援がなければ成功しない。また、LGTを監督するビジネスリーダーには、LGTとグローバル事業の対立の仲裁、LGTがグローバルR&Dセンターなどの資源を使えるようにする、LGTが開発したイノベーションを先進国に導入する際に支援に回る、という役割が求められる。

 

ただ、GEでもこれらのローカル・グロース・チームがうまく機能して成果を挙げた例はまだ少ないようで、中国やインドにおける業務の中心は実際には先進国向けのプロジェクトが大部分だそうです。従って、こうしたイノベーションの進め方もまだ道半ばというところでしょうし、マネジメントの方法についても今後変わっていくのかもしれません。ただ、少なくともこうしたアプローチが成功を生んだ事例があるということは重要なことだと思われます。

 

以上が補足、感想を含めた記事の概要ですが、このリバース・イノベーションを考える上で、Christensenの「破壊的(disruptive)イノベーション」の考え方との関連は無視できないものと考えます。原著記事の題名も「How GE is disrupting itself(直訳すれば、「GEはいかに自身を破壊したか」、でしょうか)」と、disruptiveという言葉を使っていますし、Govindarajan教授もblogで「リバース・イノベーションは、常にではないが、破壊的イノベーションでありうる」[文献4]と述べていますので、著者もその関連を認識しているはずです。

 

破壊的イノベーションについてはノート4で紹介しましたが、ひとことで言えば、技術の進歩に伴い製品がオーバースペックになると、品質を落としてもその他の特性(安価、簡便、新たな応用など)に優れた製品が開発され、新興企業がその分野に進出すると既存企業が競争に負けてしまうことがある、というような種類のイノベーションと理解することができると思います。Christensenはこのようなイノベーションには、ローエンド型破壊(ハイスペックを求めない顧客に低価格製品を提供する)と、新市場型破壊(今までその製品を使っていなかった顧客に利便性や新たな特性を提供し新市場を創造する)の2種類があると述べていますが[文献5p.55]、この記事でとりあげられた事例はまさにこの両者にあてはまっているのではないでしょうか。

 

Christensenらは、このような破壊的イノベーションを進めるためには「破壊的技術はそれを求める顧客を持つ組織に任せる」[文献6p.143]、「企業が中核事業と異なる事業を成功裏に作り出すためには、十分な組織上の自立性が必要(単に独立したベンチャー企業を作ればよいというものではない)」[文献7p.288]、破壊的イノベーションを推進できる「価値基準」[文献5p.228]を持つこと、上級役員は、経営陣とチーム間のインターフェースおよびチームと他組織間のインターフェースを管理する必要があり[文献7p.288-295]、「破壊的事業を成功に導くために必要な資源のなかで、最も重要なものの一つが、上級役員が自ら行なう監督である」、「破壊的イノベーションは、実力のある上級役員が自ら直接関与しなければならない」、上級役員の役割は「持続的世界と破壊的世界の橋渡し」[文献5p.319-325]、と指摘していますが、これらはGEのローカル・グロース・チームの5原則と極めて類似していると思います。

 

このように考えると、GEのリバース・イノベーションは、破壊的イノベーションを起こすことを狙って計画的にマネジメントを行なったものなのかもしれません。だとすれば、研究開発の不確実性をいくぶんかでもコントロールして実績に結び付けたという点で、単なる成功事例以上の意味を含んでいるのではないかと思われます。言うまでもなく、この記事の共著者のImmelt氏はGEの会長兼CEOですので、村永氏も指摘するとおり[文献3]、この記事はGEの従業員に向けてのメッセージでもあると受け取れます。新たなイノベーションの方向に果敢に挑戦して成果を挙げつつあることのアピールとともに、今後のGEの研究開発のひとつの展開を宣言したものともいえるのでしょう。

 

 

文献1Immelt, J.R., Govindarajan, V., Trimble, C.、(ジェフリー・R・イメルト、ビジャイ・ゴビンダラジャン、クリス・トリンブル)、関美和/訳、「GEリバース・イノベーション戦略」、Diamond Harvard Business Review, Jan.2010, p.123, (2010).

文献2Immelt, J.R., Govindarajan, V., Trimble, C., “How GE is disrupting itself”, Harvard Business Review, Mar.2001, p.51, (2001). Oct.2009, p.56, (2009).なお、原文はGovindarajan教授のblog[文献4]で読めます(blogには要約とコメントもついています)。<注:文献の巻、号、頁を間違えているのに気付きましたので修正しました。2011.4.24>

文献3http://d.hatena.ne.jp/muranaga/20091017/p1

文献4http://www.vijaygovindarajan.com/2009/10/what_is_reverse_innovation.htm

文献5Christensen, C.M, Raynor, M.E, 2003、クレイトン・クリステンセン、マイケル・レイナー著、桜井祐子訳、「イノベーションへの解」、翔泳社、2003.

文献6Christensen, C.M, 1997、クレイトン・クリステンセン著、伊豆原弓訳、「イノベーションのジレンマ」、翔泳社、2000.

文献7Anthony, S.D., Johnson, M.W., Sinfield, J.V., Altman, E.J., 2008、スコット・アンソニー、マーク・ジョンソン、ジョセフ・シンフィールド、エリザベス・アルトマン著、栗原潔訳、「イノベーションへの解実践編」、翔泳社、2008.


参考リンク<2011.8.14追加>
上記文献へのリンクの他、イメルト氏インタビュー紹介、参考記事など。

<2012.11.25:「リバース・イノベーション」の本紹介の記事を書きましたので、この記事の題名に「(DHBR2010年論文より)」を追加しました。>

 

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