研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

暗黙知

「オートメーション・バカ」(ニコラス・カー著)より

技術の発達が人の仕事を奪う、という議論が最近よく話題になります(例えば、本ブログでも「コンピュータが仕事を奪う(新井紀子著)」、「機械との競(ブリニョルフソン、マカフィー著)」をとりあげました)。人の仕事を楽にすることは技術開発の大きな目的のひとつですので、機械が人の仕事を代替し、それによって人が仕事を失うことは、当然起こりうることでしょう。しかし、長期的に見れば技術の発展は新しい仕事を生み出すのだから、一時的な失業増加はそれほど大きな問題ではない、という意見もあります。

もちろん、こうした未来予測で確定的な答えを得ることは困難ですが、未来を考える上で、技術の発展が人間にどのような影響を及ぼすかを知ることは重要でしょう。ニコラス・カー著「オートメーション・バカ」[文献1]では、この問題が議論されており、著者は、「本書はオートメーションについての本である。かつてわれわが自分でしていたことをやらせるために、コンピュータやソフトウェアを使うことについての本である。オートメーションのテクノロジーや経済学、ロボットやサイボーグやガジェットの未来のことも話には入ってくるが、そうしたことについての本ではない。オートメーションが人間にもたらす影響についての本なのである。・・・オートメーションは必ず、隠された深い影響を与えるものだ。・・・すべてがよい方向に働くわけではない。[p.10]」と述べています。単なる雇用の問題を超えて示唆に富んだ多くの事実、考え方が述べられていると思いましたので、今回はその中から興味深く感じた点をまとめたいと思います。

オートメーションの意味するもの
・「コンピュータの能力を測るに際し、経済学者や心理学者は長年、知に関する二つの基本的分類に依拠してきた。暗黙知と形式知である。暗黙知はしばしば手続き的知識とも呼ばれ、考えることなしにわれわれが行なうすべての事柄を指している。・・・コンピュータは形式知に基づくスキルは複製できるけれど、暗黙知から来るスキルとなると得意ではないものだとわれわれは思いこんでいる。」しかし、「グーグルカーは、人間とコンピュータとの境界線をリセットする。・・・思っているほどわれわれは特別な存在ではないのだ。暗黙知と形式知の区分は、心理学の領域ではいまなお重要であるけれど、オートメーションについての議論においては、妥当性の多くを失っている。・・・コンピュータの超人的速度が意味することは、われわれが暗黙知をもって行なう複雑なタスクの多くを、彼らは形式知を使って遂行できるだろうということだ。・・・コンピュータ独特のこの力は、場合によっては、われわれが暗黙知によるスキルだと考えているものを、われわれ自身よりも上手く遂行することを可能とする。[p.19-22]」
・「どんな活動が自分を満足させ、どんな活動が不満をもたらすかを、われわれはまるでわかっていない・・・心理学者はこれに『欲求ミス(ミスウォンティング)』という詩的な名前をつけている。好まないものを欲し、欲していないものを好む傾向がわれわれにはある。・・・・仕事には、『人が関与し、集中してわれを忘れるよう催促する』ゴールと難題が、『ビルトイン』されている・・・。だが、われわれをあざむく精神は、われわれにそのようには思わせない。機会さえあればわれわれは、労働の過酷さから自身を解放しようとする。[p.27-29]」
・「オートメーションは悪いものだということではない。オートメーションと、その先駆者である機械化は、何世紀にもわたって前進してきたのであり、その結果われわれの状況は、全般的に大きく改善されてきた。オートメーションは賢く使えば、われわれを骨の折れる労働から解放し、もっとやりがいと充足感のある試みへと駆り立ててくれる。問題は、オートメーションについて合理的に考えたり、その意味を理解したりするのが難しいということだ。[p.30]」

オートメーションと雇用
・「世界的に製造業の雇用者数はここ数年減少しつづけている。・・・その一方、製造業全体の生産量は急増している。経済成長が新たな製造業の職を創出するより速く、機械が工場労働者に取って代わりつつあるのだ。・・・資本家にとってみれば労働は問題であり、この問題を解決してくれるのが進歩なのだ。テクノロジーが雇用を消し去るのではという恐怖は、非合理的なものであるどころか、『きわめて長期的には』実現する運命にあるのだと、高名な経済史家ロバート・スキデルスキーは主張する。[p.47-48]」

高度専門職へのオートメーション拡大と人への影響
・オートパイロット:エアバスA320のモニターに覆われた操縦室は、パイロットからは「グラスコクピット」と呼ばれた[p.70]。「『オートメーションが高度になるにつれ、パイロットの役割は、オートメーションの監視者または監督者へとシフトしている』。・・・コンピュータ・オートメーションに過度に依存すると、パイロットの専門技術が浸食され、反応が鈍り、注意力が減じる可能性があり、・・・『乗務員のスキル棄却』を招きうる・・・。[p.73-75]」「精神運動的スキルがさびついたため、操縦に戻ることを要求される、まれな、しかし重大な機会において、パイロットが身動きを取れなくなるケースが出てきたのだ。[p.79]」「グラスコクピットは、ガラスの檻(グラス・ケイジ)にもなりうる。[p.86]」(注:Glass Cageは原著表題)
・医師による電子医療記録の利用でもスキル棄却などの様々な問題が指摘されている[p.124-149]。また、トレーダー、弁護士、経営者、システム技術者などのエリート専門職の仕事へのコンピュータの侵入も進んでいる[p.150-153]。GPSの利用によりナヴィゲーション・スキルが失われてきているという(ナヴィゲーションに関わる脳内の細胞は、出来事や経験の記憶の形成にも関わっているらしい)[p.164-179]。コンピュータで作業するデザイナーでは、初期段階のデザインに固執する傾向(早期固定)などの問題が指摘されている[p.179-191]。

オートメーションと人
・「われわれのほとんどは・・・オートメーションをよいものだと考えている。・・・行動や思考のあり方を変えるものではないと思っている。だがそれは誤謬だ。オートメーションの研究者が『代替神話』と呼ぶものの表われである。労働節約の装置は、ある仕事のなかから、切り離し可能な限られた部分だけを代替するのではない。それに参加する人々の役割、姿勢、スキルを含めた、仕事全体の性格を変えるのだ。[p.90]」
・「コンピュータの助けを借りてタスクに取り組む者は、『オートメーション過信』と『オートメーション・バイアス』という、2つの認知的不調に陥りがちである。・・・オートメーション過信は、コンピュータがわれわれを偽りの安心感へと誘いこむことで生じる。機械は不具合なく動くだろう、難題にもすべて対処してくれるだろうと信じこむと、われわれの注意力はさまよいはじめる。[p.91]」「オートメーション・バイアスは、・・・モニターに流れる情報に過度の重みを置いた場合に忍び寄る。その情報が間違っているとき、あるいはミスリーディングであるときも、それを信じこんでしまうのだ。[p.93]」
・「1970年代以来、認知心理学者は、生成効果と呼ばれる現象を記録している。・・・書かれたものを読んでいるだけのときよりも、積極的に心に呼びだしているとき――生成しているとき――のほうが、単語をはるかによく記憶するというものだ。・・・ソフトウェアによって仕事への没入度が下がっているとき、およびとりわけ、観察者やモニターといった受動的役割へと押しやられているとき、われわれは、生成効果の支えである深層認知処理活動を止めている。その結果、ノウハウへとつながる類の、現実世界の豊かな知識を獲得する能力が阻まれる。〔p.97-100〕」
・ヤーキーズ・ドッドソンの法則:「刺激のレヴェルが非常に低いとき、人は注意も向かず意欲も起こらず不活発なままで、パフォーマンスもほぼゼロのままである。刺激の程度が上昇すると、それにつれてパフォーマンスも向上し、・・・やがて頂点に達する。すると、刺激が強まりつづけているにもかかわらずパフォーマンスは低下しはじめ・・・る。刺激が最高度に達したとき、人はストレスのせいで実質上麻痺してしまっており、パフォーマンスは再びゼロになる。・・・学習とパフォーマンスの質が最も上がるのはヤーキーズ・ドッドソン曲線の頂点にあるとき、すなわち、難題に直面してはいるけれども圧倒されていないときである。[p.118-119]」
・「最初の人工知能戦略は惨敗に終わった。われわれの脳内で動作しているものが何であれ、それをコンピュータ内部で動作する計算に還元することはできなかったのである。今日のコンピュータ科学者たちは、人工知能に対して非常に異なるアプローチを取っている。・・・目標はもはや、人間の思考の過程を複製することではなく・・・思考の結果を複製することとなっている。・・・精神が生み出す特定のもの・・・に注目し、精神を持たないコンピュータが、同じ結果に到達するようプログラムしている。[p.155]」
・「もしわれわれが不注意であれば、知的労働のオートメーション化は・・・文化そのものの土台のひとつを浸食してしまうだろう――つまり、世界を理解したいというわれわれの欲望を、である。予測アルゴリズムは、相関関係の発見に神のごとく長けているかもしれないが、特色や現象の裏にある原因にはまったく無関心だ。しかし、因果を見出すこと――物事がなぜ、どうやってそのように動いているのかを、細心に解きほぐしていくこと――こそが、人間の理解の範囲を押し広げ、究極的に、知に対するわれわれの探究に意味をもたらすのである。[p.160-161]」
・「われわれは知的労働を、あたかも肉体労働とは違うもの・・・として語りがちであるが・・・どんな労働も知的労働なのだ。・・・現代の心理学と神経科学において、最も興味深く、最も教えてくれるところの多い研究分野のひとつに、『身体化された認知』と呼ばれるものがある。・・・脳と身体は同じ物質からできているだけでなく、その働きもまた、われわれが思っているよりもはるかに緊密にからみ合っているのだ。[p.192-194]」

人間のためのオートメーション
・「機械はその製造者同様、誤る可能性を持っている。[p.199]」「オートメーション・テクノロジーが複雑化」するにつれ、「システムは、科学者が言うところの『カスケード故障』を起こしやすくなる。ある一部分の小さな不調が、広範ににわたるカタストロフィックな故障の連鎖を引き起こす現象のことだ。[p.200-201]」
・「最終的に人間は単なるモニター、スクリーンを受動的に監視するだけの存在になる。しかしその仕事は、精神がふらふらさまようことで悪名高いわれわれ人間が、とりわけ不得意としているものだ。[p.203]」
・「人間の心身に対してコンピュータなどの機械が与える影響についての懸念は、最大限の効率と速度、正確性を達成しようとする――または単純に、できるかぎり多くの利益を上げようとする――欲望によって、いつも打ち負かされてきた。・・・テクノロジーの進歩は『利益を求める動機と結びついており、したがって、人間をほとんど考慮しない』〔p.205〕」
・「ヒューマンファクターの専門家たちはずっと前から、テクノロジー第一主義のアプローチから離れ、『人間中心的オートメーション』を取るようデザイナーたちにうながしている。人間中心のデザイン・・・の目的は、コンピュータの速度と正確さを利用するだけでなく、労働者が・・・関与的で、能動的で、注意力を持っていられるよう、役割と責任を分担させることである。・・・人間中心的アプローチの最も興味深い応用例のひとつが、『アダプティヴ・オートメーション』である。・・・アダプティヴ・オートメーションは、コンピュータの分析能力を人間的用途に回すことで、オペレータのパフォーマンスをヤーキーズ・ドッドソン曲線のピークに保ち、認知的負荷の過剰も過少も防ぐことができる。[p.211-213]
・「テクノロジー中心的オートメーションの悪影響について、エンジニアとプログラマーだけが責任を負わされるべきではない。・・・彼らは・・・雇い主やクライアントの要求に応えているのである。・・・結局のところ、彼らがオートメーションに投資する主たる理由は、労働コストを下げ、オペレーションを合理化することなのだから。[p.225]

オートメーションの将来とわれわれの対応
・「複雑な人間の活動をオートメーション化するには、道徳的選択をオートメーション化することが不可欠[p.239]」
・「いかなる大企業も、このまま上手くやっていきたいのなら、オートメーション化し、それからさらにオートメーション化する以外、ほぼ選択の余地はない。[p.253]」
・「ロボット自動車やロボット兵士のプログラミングが提起した倫理的難題――ソフトウェアを制御するのは誰か? 何が最適であるかを決めるのは誰か? 誰の意図や利害がコードに反映されるのか?――は、生活をオートメーション化するアプリケーションの開発にも同様に関連してくる。プログラムがわれわれへの影響力を増せば・・・遠隔操作のような様相が呈されることになる。[p.261-262]」「社会を幸福にしようとするコンピュータ企業の重要な貢献は歓迎されるべきであるが、それらの企業の利害を、われわれ自身の利害と混同してはならない[p.266]」「計り知れないテクノロジーが目に見えないテクノロジーになったとき、われわれは不安を抱くのが賢明だろう。そのとき、テクノロジーの前提や意図は、われわれの欲望や行動に浸透してしまっている。ソフトウェアに助けられているのか、制御されているのか、もはやわからない。[p.268]」
・「道具によって新たな能力の開発が可能となるたびに、世界はいままでと違うもっと興味深い場所、さらに多くの機会のある場となる。自然の可能性に、文化の可能性がつけ加わる。[p.277-278]」しかし、「すべてのツールがそれほど親和的なわけではない。・・・デジタル・オートメーション・テクノロジーは、われわれを世界に招き入れ、知覚と可能性の幅を広げる新たな能力の開発をうながすのではなく、むしろ逆の影響を及ぼすことも多い。[p.179-180]」
・「オートメーションが引き起こす、または悪化させる社会的・経済的問題は、ソフトウェアをさらに投入すれば解決するというものではない。・・・未来の社会の幸福を確かなものにするには、オートメーションに制限をかけねばなるまい。進歩観を改め、テクノロジーの前進にではなく、社会と個人の繁栄に重きを置かねばなるまい。これまでは考えることすらできないと、少なくともビジネス界においては見なされてきた考えをも、受け入れねばならないかもしれない――機械よりも人間を優先することを、である。[p.291]」
・「われわれはラッダイトを、後進性を象徴するカリカチュアにしてしまった。新しいツールを拒んで古いツールを好む者は、ノスタルジアからそうしている、つまり合理性ではなく感傷から選択を行なっているのだとわれわれは思いこんでいる。だが真に感傷的な誤謬とは、新しいものは古い者よりも、われわれの目的や意図につねにかなうものだとする考えだ。それは、うぶでだまされやすい子どもの考えである。あるツールがほかのツールよりすぐれたものである理由は、新しさとは何ら関係がない。重要なのは、それがいかにわれわれを拡張または縮小するか、自然や文化やわれわれ相互についての経験をいかに形成するかなのだ。[p.295]」
・「オートメーションは目的を手段から切り離す。欲しいものがたやすく手に入るようにしてくれるが、知の労働からわれわれを遠ざける。・・・生産の手段ではなく経験の道具としてツールを取り戻すことで、われわれは自由を享受できるだろう。その自由とは、親和的なテクノロジーが世界をいっそう完全に開いてくれるとき、われわれに与えてくれる自由である。[p.296-297]」
―――

人の作業を機械に行なわせることは、省力化による人件費削減、能力向上、効率化、品質や利便性向上、人為的ミスの削減や労働環境の向上など、様々なメリットを生むものとして、研究開発における重要な検討項目のひとつになっています。そこから生まれる経済的利益は、企業の成長の源として期待され、また、研究開発への投資を正当化する論理の裏付けとなることも多いでしょう。しかし、省力化による雇用減少、雇用構造の変化が社会的な問題となることが指摘され始めています。加えて本書で指摘されているようにオートメーション化自体が人間の能力や社会に悪影響を与えるとすれば、こうした影響をも考慮することは技術者にとっての義務であると言えるでしょう。

本書の示唆の中で、技術開発の視点から特に重要と感じたのは以下の点です。

・人間の特性についての理解が求められていること:特にコンピュータと関わりの深い人間の脳の活動に対する理解を深める必要があるように思います。科学的根拠に基づく、人間の精神活動の捉え直しがマネジメントを考える上で必要とされているように思います。
・結果を求めることはよいことなのか:結果を出すだけならもはやコンピュータの能力は人間の能力を上回りつつあるようです。しかし、因果関係(相関関係ではなく)を発想する能力は人のほうが上回るとすれば、そして、結果をコンピュータに求めることが人の能力の発達を阻害するのであれば、結果を求めることはほどほどにしておくべきなのではないかとも思います。このことは機械が関与しない効率化にも言えるのかもしれません。人間が深く考えなくてすむような作業のマニュアル化、効率化は能力の発達を阻害する可能性があるでしょう。その結果として、新しい発想が出にくくなっているとすれば、効率化を求めるプロセス自体が、人をうまく使いこなすことを阻害しているともいえるような気がします。

とはいえ、経済的なメリットを追求する企業においては無論のこと、近年では公的研究機関でも同じような発想が求められていることを考えると、オートメーション化を批判的に捉えることはそれほどたやすいことではないように思われます。本書の著者も、オートメーション化が抱える問題の将来については悲観的なように感じました。もちろん簡単なことではないでしょうが、効率化から利益を生む発想ではなく、人間に新しい世界を与えるような技術開発、新たな因果関係を見出しそれを発展させる技術開発を目指すべきなのかもしれません。そのために、人間の特性をよく理解し、それに基づいた仕事のやり方を実践していくことが、これからのマネジメントに求められることなのではないかと思います。


文献1:Nicholas Carr, 2014、ニコラス・G・カー著、篠儀直子訳、「オートメーション・バカ 先端技術がわたしたちにしていること」、青土社、2015.
原著表題:The Glass Cage: Automation and Us

参考リンク



ノート改訂版・補遺:これだけは知っておきたい研究マネジメント知識

2013年3月に始めた「ノート:研究マネジャー基礎知識」の改訂も、全14回分の改訂を終えました。「ノート」の記事は、研究マネジメントに関する基本的な知識をまとめたいという意図で書いてきましたが、実践の際に常に意識すべき内容としては全14回の内容では多すぎるのではないか、とも感じます。そこで、今回は、研究マネジメントの実践において特に重要だと思うこと、知っておいて折に触れてチェックすべきこと、知らないと大きな判断ミスを冒す可能性があると思われることを選んでまとめることにしました。もちろん、選んだ内容には個人的な見解が入っていますので、ひとつの意見として見ていただければ幸いです。ご参考までに関連する本ブログの記事へのリンクを入れていますので、詳しい内容はリンク先をご参照願います。

研究は不確実なもの
結果が予測できれば研究は不要です。つまり研究しなければならないのは結果がわからないからであって、わからないことに挑んでいるわけですから成功するかどうかは不確実です。思ったとおりに、あるいは計画のとおりに研究が進むとは限りません。予想外の障害が現れた時には、想定したシナリオにこだわって単に努力を積み重ねるのではなく、異なる発想が必要になるかもしれないことも考えてみる価値があるでしょう。一方、思っていた以上にうまくいくことや、当初の狙いとは違っていても面白い結果に行きあたるかもしれません(セレンディピティ)。そうしたチャンスも見逃さないようにしたいものです。

人間の思考・予測には限界がある
物事の原因や未来に起こるだろうことについてよく考えることは重要です。しかし、よく考えたからといって真実がわかる、あるいは未来予測ができるとは限りません。人間の無意識の思考特性によって判断を誤ることもありますし、知識や認識の不足に気づかないこともあります。また、原理的に予測ができない対象もあり得ます(例えば複雑系の現象にはそういう例があることが知られています)。不確実性とともに思考の限界も認識しておく必要があるでしょう。

競争相手の存在
よいアイデアを思いつくと、それは自分たちしか知らないことだと思ってしまうことがあります。しかし、たいていの場合、どこかで誰かが似たようなことを考えているものです。少なくともそういう競争相手がいる可能性があることは忘れてはいけないと思います。研究を進めるにあたっても、自分たちの望むシナリオだけでなく、競争相手がどう考え、どう動くかも考慮すべきでしょう。

しかし、成功しやすいイノベーションはあるらしい
研究やイノベーションは不確実であるとはいっても、成功しやすいイノベーションのパターンはあるようです。なかでも大きな成功をもたらしやすいという意味で重要なのはChristensenの「破壊的イノベーション」の考え方ではないかと思われます。(もちろん、破壊的イノベーションだけが成功するということではありません)

アイデアや技術だけでは不十分
優れたアイデア(研究テーマ、課題)や、優れた技術だけではイノベーションの成功は保証されないのが普通です。どう実行するか、どう収益をあげるしくみ(ビジネスモデル)を構築するか、どう関係者を取り込み、社内外の協力関係(エコシステム)を構築するか、どうやって顧客に受け入れてもらうのか(普及)なども成功のための重要な要因になります。

ニーズは簡単にはわからない
研究テーマを考える際や、アイデアの源として、どんなニーズがあるかを知ることは重要です。しかし、真のニーズを知ることはそれほど容易ではありません。顧客(消費者)の要求と真のニーズは必ずしも一致しないことは認識しておくべきでしょう。真のニーズを知るためには、行動観察(エスノグラフィー)や、Christensenによる「片づけるべき用事」の考え方は重要と思われます。

形式知と暗黙知
は違う
知識には、形式知(形式的・論理的言語によって伝達できる知識)と暗黙知(特定状況における個人的な知識で、形式化したり他人に伝えたりするのが難しい知識)があると言われています。新たな知識は、異なる知識の出会いから生まれることが多いとされていますが、形式知だけでなく暗黙知の重要性も忘れてはならないと思います。

研究者(イノベーションを推進する人)のやる気を引き出すには
人(特に研究者)はお金や地位だけでは動かない(場合が多い)と言われます。Herzbergは高次な欲求を刺激するものを動機付け要因(motivators)、低次な欲求を刺激するものを衛生要因(hygienic factors)とし、衛生要因を改善しても不満がなくなるだけで動機付けることはできないとしています(お金は衛生要因)。Maslowの欲求階層理論では、人間の欲求は低次なものから、生理的欲求、安全欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求、自己実現欲求の5段階の階層をなし、人間は低次欲求がある程度満たされると、より高次の欲求によって動機付けられるようになり、その際、低次の欲求は人を動機付ける欲求としては機能しない、とされます。また、Deciは、給与や人間関係など人を動機付ける要因が個人の外部にある場合の「外発的動機づけ」よりも、自らの有能さの確認や自己決定などに関わる「内発的動機づけ」が重要と述べています。

研究組織の望ましい特性
研究組織の望ましい特性としては、自律性、目的・感情・価値観の共有、多様性、閉鎖的になりすぎずメンバーが目標達成に積極的に関わること、他の組織との協働、があげられることが多いようです。どんな研究組織の構造であっても、こうした特性を持つように運営することが必要でしょう。

研究リーダーの役割
研究リーダーには、多様性の確保、コミュニケーションの活性化、組織外部との連携調整、部下の育成指導、ロールモデルという役割が求められるようです。働きがいのある会社ランキング常連のSASCEOJim Goodnightによれば「マネジャーは社員の『部下』となり、それぞれが高いモチベーションで働き、能力を発揮するよう努める」ことが望ましいとされているようですが、それもひとつの考え方かもしれません。

研究の進め方はそれぞれ
一口に研究、イノベーションとはいっても、内容は様々です。技術分野も違えば、企業におけるイノベーションの意味も、顧客にとっての意味も様々ですし、イノベーションの段階(例えば、技術的検討段階、製品化段階、市場投入、改善など)も様々でしょう。当然その進め方も異なるはずで、結局、どんな場合にも適用可能な成功の処方箋のようなハウツーは存在しないのではないか、と思われます。従って、本稿に述べたような注意点を常に考慮しつつ、状況に応じたマネジメントを工夫していくことがマネジャーには求められているのでしょう。ただ、最も重要なマネジメント上のポイントは何か、と問われたら、私は、イノベーションに携わる人の「意欲の管理」だと答えたいと思っています。

以上が、現在私が考えている「これだけは知っておきたい研究マネジメント知識」です。何らかのヒントになれば幸いです。


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一技術者からみた「源泉」(ジャウォースキー著)感想

今回は、ジャウォースキー著「源泉」[文献1]を取り上げます。ただし、正直、このブログで取り上げるべきかは少し迷いました。というのも、書かれている内容に理解できない(というよりは「受け入れ難い」)点が多かったためです。しかし、監訳者の金井壽宏氏や、帯にコメントを寄せられた野中郁次郎氏は、本書の内容の重要性をある程度認めておられるように思われましたし、ネットでもそれなりに評価されてもいるようで(私も、マネジメントの実践面では、ひとつの手法として意味がありそうに感じたところもありました)、なぜそれらの評価とは異なる印象を私が持ったのかを、考えてみることにしました。

著者の主張のポイントについての私の理解
著者が探究しようとしている基本的な疑問は次のようなもののようです。「知とつながって、まさにその瞬間に必要な行動をとれるようになる私たちの力の源泉は何なのか[p.31]」。リーダーシップの問題に関していえば、次のような経験、すなわち「私たちの小さなチームは、途中で放り出すことなく作業をやり抜いた。みなで力を合わせて作業している間、私はチームがエネルギー場に包まれているのをはっきり感じた。意識が研ぎすまされている。ふつうでは考えられないくらい頭が冴えて、ものごとの全体がわかるような感じがする。時間がゆっくりと進んでいく。私たちは、極めて難しい作業をまるで造作ないことであるかのようにこなすことができた。・・・チームのリーダーシップは必要に応じ、そのときそのときで切り替わった。私は意識することなく、また誰かに命じられたわけでもなく、行動していた。個人の判断で行動しているという感覚もなく、作業をしていた。私たちはまるで、達成すべきことを達成するために、道具として役立てられているかのようだった。しかし何より、私が衝撃を受けたのは、より深いレベルの知を自分が体現していることだった。これだ、と直観したことは常に正しかった。作業している間、私たちは必要な強さと、勇気と、辛抱強さと、精神力を持っていた。[p.18]」。確かにこのような「フロー」とも呼べるような状態が個人やチームに訪れることはあるでしょう。そうした状態が何によってもたらされるのか、人為的にそうした状態を作れるのかといった点は確かに興味のあるところです。

マネジメントの視点からは次のような問いになるでしょう。「企業家的な衝動の源泉は何か? 知とつながって、まさにその瞬間に必要な行動をとれるようになる私たちの力の源泉は何なのか?[p.23]」。「未来がどのように現れたいと思っているか、それをチームが感じられるようになるようなプロセスを開発すること、そして実際に現れさせることを。そのプロセスは、メンバーの意志と、あり方と、選択によって導かれるだろう。このプロセスの探究によって、どのような分野においても飛躍的な進歩となる変革が起き、今ある世界を変える知を創造することになるだろう[p.24]」。そして、著者らはその答えとして次のUプロセスに至ります。

U
プロセスのアイデアはブライアン・アーサーの考えに基づくとされ、「ひたすら観察する」(Uの左側)ことから始まり、「より深い知の場所に行く」(Uの底)を経て、流れに乗って素早く行動する(U右側)に至る、というものです[p.32]。それをさらに洗練して、Uの左側として、1)準備する(心のセルフマネジメントという規律ある道を歩み始める)、2)目標に向かって情熱を燃え上がらせる、3)観察し、集中する(判断を脇へ置き、存在するデータに集中する)、4)手放す(現在持っているメンタルモデルや、ものの見方や、世界観を手放す)を挙げ、Uの底として、5)内在とひらめき(その取り組みにどっぷり浸かり、その仕事に没頭し、その経験に夢中になる。・・・やがて啓示――新たな現実に対する知覚――を得て、隠された解決策を見出す)を挙げ、Uの右側として、6)結晶化とプロトタイピング(見出されるものを明らかにする)、7)テストと確認(新たな知を、有効な製品や決定や戦略へ変える)、というプラクティスとして提案されます[p.241-243]。

リーダーシップについては、以下の段階における第4段階のリーダーシップを目指すべきだとしています。[p.77-80
・第一段階、自分が中心になるリーダー:「信念がなく、自分の意思のほかにはおよそ何にも左右されない。しかもその意思とは、そのときそのときで変わる可能性があるため、彼らのあり方には誠実さが欠けている。中には、有利かどうかや自分自身の野心を第一に行動し、結果として高い名声や権力を持つ地位に就く人もいるかもしれない。
・第二段階、一定の水準に達しつつあるリーダー:「彼らは、公正さと礼儀とメンバーに対する敬意を何より大切にする。・・・その成功は、メンバーとともに、そしてメンバーを通して成し遂げられる」
・第三段階、サーバント・リーダー:「自分の権力や影響力を使って、メンバーの役に立ったりメンバーを成長させたりする。・・・『強い達成欲求』を示すが、組織のメンバーや社会の誰かを犠牲にすることはない。また、独立への欲求が強く、習慣に従わなければという気持ちはあまりない。さらには、適切にリスクをとろうとする傾向が強く、自己効力感が高く、曖昧さに対して寛容である。そのため、複雑で混乱した時代にあっても成功を収めることができる。」
・第四段階、新生のリーダー:「サーバント・リーダーの特徴と価値観を併せ持っているが、全体的なレベルが一段上がっている。・・・業績の中心には暗黙知を使う力があるが、この暗黙知を活かすと、私たちが望む組織や社会を思い描いて創り出すことを含め、画期的な考えや、戦略策定や、業務上の卓越性や、イノベーションを行うことが可能になる・・・。第四段階のリーダーは、宇宙には目に見えない知性があって、私たちを導き、創り出すべき未来に対して準備させてくれると確信している。

そして、Uプロセスは、「『4つの原理』に示される世界観を持って実践されると、最高の効果を発揮する[p.242]」とされます。4つの原理は次のとおり[p.10]。

(1)宇宙にはひらかれた、出現する性質がある。:一連のシンプルな構成要素が、新しい性質を持った新しい統一体として、自己組織化という、より高いレベルで突然ふたたび現れることがある。そうした出現する性質について原因も理由も見つけることはできないが、何度も経験するうちに、宇宙が無限の可能性を提供してくれることがわかるようになる。

(2)宇宙は、分割されていない全体性の世界である。物質世界も意識も両方ともが、分割されていない同じ全体の部分なのだ。:存在の全体――一つの物であれ、考えであれ、出来事であれ――は、空間と時間それぞれの断片の中に包まれている。そのため、宇宙にあるあらゆるものは、人間の意思やあり方を含め、ほかのあらゆるものに影響を及ぼす。なぜなら、あらゆるものは同じ完全なる全体の部分だからである。

(3)宇宙には、無限の可能性を持つ創造的な源泉(ソース)がある。:この源泉と結びつくと、新たな現実――発見、創造、再生、変革――が出現する。私たちと源泉は、宇宙が徐々に明らかになる中でパートナーになるのである。

(4)自己実現と愛(すなわち宇宙で最も強力なエネルギー)への規律ある道を歩むという選択をすることによって、人間は源泉の無限の可能性を引き出せるようになる。:その道では、数千年にわたって育まれてきた、いにしえの考えや、瞑想の実践や、豊かな自然の営みに直接触れることから、さまざまな教えを受けることになる。

どこが理解しにくい(受け入れにくい)のか
以上が、著者の考えについて議論するために抜き出しておくべきだと私が思った部分です。このうちUプロセスの具体的方法論は、知識創造や新たなアイデアを生み出し実現するプロセスのひとつのやり方として、考慮に値する考え方だと思います。また、リーダーシップの4段階についても、第一から第三段階までの進歩については異論がありません。しかし、Uプロセスの底である、ひらめきの段階で、宇宙にある源泉とつながることで発想を得るかのような説明、第四段階のリーダーシップにおいて宇宙の知性が導いてくれるというようなくだり、さらに、4つの原理の意味しているところは受け入れることができませんでした。

本書では、著者の主張の根拠とされる、様々なエピソードが登場します。量子もつれの話[p.98]が宇宙の全体性(あらゆるものがつながっているというような意味かと思われます)の根拠とされ、人の意思もつながりあっているという根拠とされているようですが、こうした考え方には論理の飛躍があると思いました。また、テレパシーやサイコキネシス[p.136]、遠隔透視[p.142]、予見的感覚[p.172]の例も、科学的な測定結果があることが述べられていますが、仮にそういうデータを認めたとしても、それが本書でいう「源泉」が存在することの根拠にはならないでしょうし、「源泉」と人がつながってこうした効果を発現させているということにもならないと思います。チームとしての一体感や精神的な高揚感、フローのような状態を理解するためにこのような事例を持ちだす必要もないのではないか、と感じました。さらに、ポランニーの暗黙知や知識創造プロセスについての考え方[p.192-200]も、著者の主張に合致するものとして取り上げられていますが、私にはその解釈はポランニーの意図とは異なる著者独自の解釈のように思えました。(他にもエピソードはありますが、いずれも著者の思想の正しさを裏付ける材料としては不十分だと感じました。)

このように、著者の主張は、受け入れられる部分と、受け入れ難い部分が混在している、というのが私の感想です。人の能力を引き出す方法、新しい発想を生む方法、知識創造の方法の各論的主張には、役に立ちそうな点もあるのに対し、その根拠とされている主張には、受け入れにくいものが多く、あえて述べる必要もないもののように思われます。もちろん、そうした「源泉」を探究しようとすること自体は意味のあることと思いますし、本書の主張を受け入れるかどうかは個人の自由だと思います。ただ、上記のような問題が感じられる結果、著者の主張は特に技術者や科学者には受け入れられにくいと思いますので、著者が考えるマネジメント手法の普及に意味があると考えるならば、もっと受け入れられやすい根拠に基づいて考察した方がよいのではないか、というのが正直なところです。

なぜ私にとって受け入れにくいのか
ある論理を受け入れられるかどうかは個人の考え方によります。著者の考え方が受け入れにくい理由を検討してみることで、私の考え方自体および、著者の主張を受け入れられる人との考え方の違いがはっきりするように思いましたので、私が受け入れ難く感じる根拠を考えてみました。

まず挙げられるのは、科学を扱っている者としてのバックグラウンドです。「『科学者たるもの根拠のない主張を受け入れてはならない』というのは、科学のエートスとして割と共有されている前提ではないかと思います[文献2、p.251]」という意見がありますが、私もそうした考えを持っています(もちろん、根拠があると認めるかどうかには個人の判断が関与しますが)。さらに、科学と非科学の境界として、ポパーによる反証可能性の基準、すなわち「そもそも反証があり得ないような仮説は科学としての最低限の条件を満たしていないだろう[例えば文献2、p.62]」という考え方は、多くのケースで有効だと思っています。こうした考え方に基づくと、本書に書かれた内容だけでは、著者の主張を科学的に根拠のあるものと受け入れることには躊躇せざるをえません。ただし、科学的に十分な根拠がないからといってその考え方を否定するつもりもありません。上記のエートスに従えば、反証可能でありながら否定的な根拠がない場合には、肯定も否定もできないものとして扱うべきでしょう。

こうした科学的判断に加えて、ビジネスとして科学、技術を扱う立場からの実用的な判断基準もあると思っています。実際、ビジネスとして成立している技術の中には、科学的に十分に解明されていないものもあると思いますので(例えば、ヒトや生物が関わる分野では経験に頼った技術というものも多いような気がします)、理由はよくわからないけれどうまくいく、というものもビジネスとしては可能性があるといってよいと思います。ただし、その場合でも次の条件は満たす必要があると思います。
1、技術的成果が再現できること(再現できる条件が明確なこと)
2、成果を再現できる条件が狭すぎないこと(ある程度技術に汎用性があること)
上記1の条件が満たされないと、顧客に対して製品やサービスの保証ができず、ビジネスとして成立しません。また、2の条件はビジネスとして必須ではないかもしれませんが、例えば、特定の人でしか実現できない技術(特定の人が持つ特殊な能力を前提とした技術)は、ビジネスの継続性や発展性の点で問題があるように思います。この基準は科学的な基準よりも甘いものですが、残念ながら本書に述べられた考え方は、上記2条件を満足しているとも考えられないため、やはり技術者としては受け入れ難いという印象になってしまうと思います。

もちろん、マネジメントや、技術の創造は一度でもうまくいけばそれで十分、仮に前提が正しくなくとも、終わりよければすべてよし、という考え方もありますので、そこまで否定するつもりは毛頭ありませんが、上述のような科学としての条件を満たさず、技術としての実用的な基準も満足できないような考え方では、少なくとも多くの技術者の理解や支援を得ることは困難なように思います。仮に本書の考え方でうまくいったとしても、次も同じ考え方でうまくいくという保証がなければ、技術者としてはそのリスクを容認しにくいですし、根拠の薄い考えを疑うことによる機会損失のリスクと、信じて失敗するリスクを比較すれば、その考え方に疑いを持つ方がやはり自然なように思われます。

以上、本書についての感想を述べましたが、確たる根拠のない考え方に基づいたマネジメント論は、実は本書以外にも多いのではないか、という気がします。例えば、経験至上の考え方、過去の特定の思想や事例に基づく考え方もその範疇に属するものかもしれません。また、科学的根拠を用いていたとしても、それが特定の分野にだけ偏ったり、考慮すべきことを無視したりすることも同じといえるかもしれません。こう考えると、何かに頼って正解を得ようとすること自体が危ういとも思えてきます。真実を知りたい、正解を得たいと思うのが人間の性であったとしても、実際には、「正解」ではなく、よりましな理解、よりましな選択を得ることしかできない、というのが実際のところなのかもしれません。


文献1:Jpseph Jaworski, 2012、ジョセフ・ジャウォースキー著、野津智子訳、「源泉 知を創造するリーダーシップ」、英治出版、2013.
原著表題:Source: The Inner Path of Knowledge Creation
文献2:須藤靖、伊勢田哲治著、「科学を語るとはどういうことか 科学者、哲学者にモノ申す」、河出書房新社、2013.


ノート6改訂版:研究部門が実施したいと考えるテーマ

1、研究開発テーマ設定とテーマ設定における注意点
1.1
研究活動における基本的な注意点
→ノート1~3
1.2
、研究テーマの設定
①企業収益に結び付くテーマ(事業的に成功が期待されるテーマ)→ノート4
②研究部門に求められるテーマ(企業が研究部門に求める活動と、それに付随する研究テーマ)→ノート5

③研究部門が実施したいと考えるテーマ(研究部門が主体的に提案するテーマ)
研究部門が行なう業務や研究テーマには、研究部門が主体的に考え、実行するものもあります。これは実質的には、企業組織において研究を担当する部門が、与えられた業務分担の範囲で、ある程度自主的に実施すべき内容を考え、実行するテーマということになります。②で説明した「研究部門に求められるテーマ」では、他部署の要求に応えることである程度研究の意義が認められやすいわけですが、「研究部門が実施したいと考えるテーマ」では、研究の内容やその意義自体も自らが判断しなければならない点が大きな違いです。何をアイデアの源として、どう研究テーマの形にしていくかを考えることから始めなければならないわけで、ここでは研究部隊で行なうテーマの発案を中心に、その時にどういう点に注意すべきかを考えたいと思います。

研究部門が発案するテーマは、一般に「ボトムアップ」のテーマと呼ばれることが多いと思います。これに対し、②で説明したテーマや課題は「トップダウン」、ということになります。トップダウン、ボトムアップのどちらが望ましいかという議論に関しては、不確定要素や不確実性の存在のため研究開発の計画は完全にトップダウンだけでは決められないことに特別の注意が必要[文献1、p.177]との指摘があります。また、形式知(形式的・論理的言語によって伝達できる知識)と暗黙知[文献5](特定状況における個人的な知識で、形式化したり他人に伝えたりするのが難しい知識)[文献6、p.88]の相互作用が組織的知識創造にとっと重要であるとの立場から、トップダウンモデルは形式知を扱うのに向いているが組織の第一線での暗黙知の成長を無視しており、ボトムアップモデルは暗黙知の処理が得意であるが暗黙知を組織全体に広めて共有することを難しくしており[文献6、p.187]、組織的知識創造のための最良の環境として「ミドル・アップダウン・マネジメント」が提案されています[文献6、p.238]。いずれにせよ、「ボトムアップ」テーマの重要性は広く認識されているものの、研究部門が持つ知的資源や能力をうまく活かすことが課題、ということになるようです。

研究テーマのアイデアの源に関しては、
「サイエンス・プッシュ」「テクノロジー・プッシュ」vs.「マーケット・プル」「デマンド・プル」
「シーズ志向」vs「ニーズ志向」
という区分がなされることがあります。

イノベーションがどのような過程で発生するかについて、過去(1950年代)においては、基礎的研究がイノベーションを生むという「サイエンス・プッシュ」の考え方が重要視されていたようです。これに対し、近年では科学技術と市場の間の双方向コミュニケーションの重要性が認識されて、上記のような「サイエンス・プッシュ」と「マーケット・プル」の2つの逆向きの流れを組み合わせる「カップリングモデル」を考慮すべきだと言われています[文献1p.119-121]。さらに、Tiddらは、テクノロジー・プッシュ型か、さもなくばニーズ・プル(必要は発明の母)型かのどちらかといったアプローチの限界は明らかであり、現実には、イノベーションとは何かと何かを結びつけ調和させていくプロセスであって、相互作用こそが最も重要な要素である[文献2p.54]と指摘しています。また、Rogersは「知覚されたニーズがイノベーション過程を始動させたり、イノベーションの知識がそれに対するニーズを創出したりする」[文献3p.410]と述べており、同様の見解は他にもみられます[文献4p.149]

このように、イノベーションにとってはいわゆるシーズとニーズの双方が必要ということは広く認識されていることのようですが、にもかかわらずシーズ志向の研究というものは企業内では評判が悪いように思われます。この原因としては、シーズ志向の研究は、古典的な企業経営の手法すなわち、企業内外の環境分析に基づいて戦略的に目標を設定し、それを効率的に実行するという考え方になじみにくいことがまずあげられるでしょう。それに加え、開発(あるいは導入)された技術と、製品や実機に使えるような技術との間のギャップ(レディネス・ギャップ)を誰がどのように埋めるかがはっきりしないために「研究所で生み出された技術は、市場よりもサイエンスに近いものとして評判が悪い」[文献7p.232]と判断されてしまうこともあると思われます。

これに対し、ニーズ志向の考え方は、その研究がうまくいけば収益が上がるはずだ、という期待から、テーマ設定において重視される場合があります。しかし、真のニーズを理解することはそう容易ではない、として、ニーズ志向の考え方に否定的な見解を持つ人もいるようです。例えば、顧客にヒヤリングして得たニーズは、実現できた方がよいという程度の顧客の希望であることも多く、また、何らかのイノベーションが実現した後になって初めて、顧客がそうしたニーズがあったことに気づく場合もあると言われます。破壊的イノベーションの理論では、真のニーズとは、「片づけるべき用事」[例えば文献4、p.119]に基づくものとされ、その真のニーズを見出す方法として行動観察などのエスノグラフィー的な手法が着目されています。ニーズというと、顧客や、顧客と接する他部署から与えられるものと考えがちですが、好ましくは、研究部隊がニーズの把握段階から関与すべきものなのかもしれません。結局のところ、ニーズ志向、シーズ志向という考え方については、二者択一ではなく、両者を重視したテーマ設定が求められるようになってきているということのようです。

ただ、シーズを創造し、磨くことは多くの場合研究部門に求められる、研究部門ならではの業務です。特に技術的シーズに関しては、専門的な知識や訓練が必要とされることが多いため、研究部門以外の部署では取り扱いが困難な場合もあるでしょう。従って、シーズに基づく研究テーマが求められる場合には、研究部門がその検討を行なうことが最も合理的ということになります。研究部門にとっても、技術シーズは身近に存在するため、シーズを発展させるプロセスに技術者が関与する余地が大きく、成果も得やすいというメリットもあって、取り組みやすいものです。さらに、シーズ技術がそれ自身で(ニーズがなくても)成長し、さらに新たなシーズを生み出す可能性がある点も重要でしょう。

シーズ技術のもつこのような特性は、セレンディピティーにも繋がるものと考えられます。セレンディピティーとは、偶然に幸運な予想外の発見をする能力を指し、Robertsは、以下の2種類に分類しています。[文献1、p.198] [文献8、p.ix]
・擬セレンディピティー(pseudoserendipity):追い求めていたことを、偶然に発見できること
・真のセレンディピティー(true serendipity):思ってもみなかったことを、偶然に発見できること
このうち、真のセレンディピティーは「予想外」の結果に基づくものであるため、オリジナルなものとなることが多く、差異化のためには特に重要と考えられます(擬セレンディピティーであっても発見に偶然を必要とするものは同様です)。セレンディピティーに恵まれれば、それは競合他社が容易に達成できる成果ではなく、技術的に優位に立つための重要な足がかりになるはずです。ただ、真のセレンディピティーは、目的志向を強く意識した研究においては目的外の結果や単なる異常値として見逃されてしまうこともありうるので、注意が必要です。

このように、いわゆるシーズ志向のテーマは、ニーズとの組み合わせでイノベーションを達成するための重要な要素となると考えられますが、シーズとしては、現有の技術を単に深めるだけではなく、外部の技術、埋もれた技術、失敗の結果に終わった技術なども加える必要があるでしょう。そして、真のニーズを理解した上で、シーズとニーズをうまく組み合わせて、より可能性の高い研究テーマを、研究部門が実施したいと考えるテーマとして実施していく努力をすべきなのだと考えます。

考察:実践的な研究テーマの分類について
このノートでは、基礎研究、応用研究といった研究の分類についての議論は行なっていません(「」参照)。それは、こうした研究の分類は実践的にあまり役に立たないように思われるためですが、ノート4~6において、3つの側面から研究テーマの性格の違いについて議論しました。研究というものは、その内容や位置づけなどが異なっていれば、その効果的な進め方や注意点は当然違って然るべきと考えられますが、もし、テーマをうまく分類することによって、そうした好ましい進め方に関する理解が深まるならば、そうした分類には意味があるのではないかと考えています。

ノート4~6で試みた3つの視点によるテーマの分類は、それぞれが排他的なものではなく、同時に2種類の特徴を持つテーマや時間の経過とともにその分類が変わっていくテーマも想定しているものです。ただ、この分類は、誰がその研究テーマを主体的に判断するかが異なっていること、それによって、研究部門の役割と注意点が変わってくることが、特徴としてあげられると思います。具体的には以下に示すとおりです。
①企業収益に結び付くテーマ(事業的に成功が期待されるテーマ):判断主体は経営層。最終的に経営に寄与することを目指すため、全社的なテーマとなる可能性があり、研究部門の役割は、全社的なテーマ推進の中で分担する役割をこなすことになる。経営層への専門的助言も役割のひとつ。
②研究部門に求められるテーマ(企業が研究部門に求める活動と、それに付随する研究テーマ):判断主体は研究部門以外の部署。研究部門の役割は、まず外部からの期待に応えること。その上で、よりよいものを生み出せれば望ましい。
③研究部門が実施したいと考えるテーマ(研究部門が主体的に提案するテーマ):判断主体は研究部門。研究部門の役割は、イノベーションの種を生み、育てること。シーズであろうとニーズであろうと、あらゆる情報を集めて組み合わせて種を生む研究部門の能力が問われる。

もちろん、こうした視点は、現状では私のアイデアにすぎませんが、企業における研究部門の役割を考えると、このように分類することは、それぞれのテーマの効果的な遂行方法を考える手がかりになるのではないかと思っています。


文献1:丹羽清、「技術経営論」、東京大学出版会、2006.
文献2:Tidd, J., Bessant, J., Pavitt, K., 2001、後藤晃、鈴木潤監訳、「イノベーションの経営学」、NTT出版、2004.
文献3:Rogers, E.M., 2003、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.
文献4:Anthony, S.D., Johnson, M.W., Sinfield, J.V., Altman, E.J., 2008、栗原潔訳、「イノベーションへの解実践編」、翔泳社、2008.
文献5:Polanyi, M., 1966、高橋勇夫訳「暗黙知の次元」、筑摩書房、2003.
文献6:Nonaka, I., Takeuchi, H., 1995、梅本勝博訳、「知識創造企業」、東洋経済新報社、1996.
文献7:Leonard-Barton, D., 1995、阿部孝太郎、田畑暁生訳、「知識の源泉」、ダイヤモンド社、2001.
文献8:Roberts R.M., 1989、安藤喬志訳、「セレンディピティー」、化学同人、1993.

参考リンク

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「集合知とは何か」(西垣通著)より

多数の素人の意見の寄せ集めが、専門家の予測よりもよい答えを出すことがある、などの現象で注目される「集合知」については、以前にスコット・ペイジ著「多様な意見はなぜ正しいのか」という本を取り上げて考えてみました。今回は、西垣通著、「集合知とは何か」[文献1]に基づいて、さらに視点を広げて考えてみたいと思います。

著者はまず、3.11震災と原発事故を契機に、「『専門家の権威』にたいする一般の人々の信頼がゆらいで」いること、そのかわりに「一般の人々の意見をあつめる『集合知』」とりわけ、「『ネット集合知』への期待が高まっている」ことを指摘しています[p.ii]。その上で、「ただ、みんなの発言を機械的にあつめ、集計すればよいわけではないだろう。ネット集合知が有効性を発揮するための条件とは何か。客観的な知識命題と、主観的な利害や感情との調整はどうするのか。そんな具体的問題を考えていくと、われわれは厭でも『人間にとって、知とは何か』という、いっそう根源的な問題につきあたる。この難問を解くための第一歩として、本書を位置づけて」ほしいと述べています[p.iii]。以下、本書の要点をまとめましょう。

第1章、ネット集合知への期待
・著者は専門家が信頼を失った理由のひとつとして、「アカデミズムの質的な凋落」を指摘しています。その原因は2点、「過度の専門分化」と「学問研究への無制限な市場原理の導入(著者は、大学向け教育予算の大幅削減が狙いではないかとしています)」を挙げています。その結果、「専門知の普遍性が崩れ」、「専門家が一般のアマチュアと同じく、いわば主観的な知しか生みだせないならば、一般の人々の専門家にたいする無条件の信頼はゆらいでいかざるをえない。[p.16]」と分析しています。
・その状況にインターネットの発達が加わり、「従来、民主主義社会における一種の夢想でしかなかった『集合知(collective intelligence)』の実現が、にわかに現実味をおびてきた[p.19]」、としています。
・「集合知というのは、広義には、生命体の群れのなかに宿る知のことである」。「ただし、本書でとりあげる集合知はより狭く、人々のいわゆる『衆知』、とくにインターネットを利用して見ず知らずの他人同士が知恵をだしあって構築する知のことを意味する。」[p.19-20
・集合知が正しくなる条件:はっきりした正解が存在し、それを多数の人が予測する場合には、集合知が効果を発揮する可能性は高い。ポイントは、「集合知定理」であって、このときには、「推測方法の多様性」の増大が、精度のよい集合知の決め手になる。[p.192-193
・集合知定理[p.36-37]とは、集団誤差=平均個人誤差-分散値
 ここで、集団誤差=(集団内の個人の推測値の平均-真の値)2
  平均個人誤差=(集団内の個人の推測値-真の値)2の平均値
  分散値=(集団内の個人の推測値-集団内の個人の推測値の平均)2の平均値
 (ペイジ著「多様な意見はなぜ正しいのか」では、多様性予測定理として、集団的誤差=平均個人誤差-予測多様性、と表現されていたもの)
・一方、正解がなく、人々の意見や価値観が対立している問題については、集合知が有効かどうかはわからない。[p.43p.193

第2章、個人と社会が学ぶ
・「もし専門知にかわる集合知という新たな知の枠組みを本気でもとめるなら、単にネットから所与の知識命題をあつめてくればよいというわけにはいかない。誰しもが、知の構築という困難な作業と向き合わなくてはならなくなる[p.51-52]」。
・「所与の知とは『社会的に権威づけられた知』ということである。・・・人間社会が存続していくためには、社会集団の誰もがその妥当性を疑うことのない、何らかの所与の知が不可欠である。さもないと集団の秩序が失われ、人々の行動がたちまち紛糾し混乱してしまうからだ[p.52]」。「『所与の知識』は学校に通う年齢になってから勉強するものがほとんどだ。・・・だが、生きるための基本的な知識は、もっと幼いころ、母語習得とともに身につけることが多い。そこに生命的な知の原点がある。生命的な知とは、本来、本能的、身体的なものである。敵から逃げたり、エサを探したりするための知がもっとも基本的なものだ。つまり、知とは生物が生きるための実践的な価値とかかわっており、『真理』といった普遍的かつ超越的な価値を反映した天下りの知は、むしろ歴史的、文化的、宗教的な所産である。権威づけられた『所与の知識』も、その基盤は、いわば、人間が社会的にこしらえあげたものに他ならない。・・・現代の科学技術に支えられたいわゆる『客観世界』も、実は、われわれ人間が相互にコミュニケートしあいながら生きていくための便利な約束事、くらいに考えたほうがよいのだ。[p.74]」
・「ラディカル構成主義」によれば、「人間は世界についての知識を外部から獲得するのではなく、世界のイメージを『内部でみずから構成していく』ということになる。ラディカル構成主義において、人間の認知活動とは、外部の客観世界のありさまを直接見出すことではない。大事なのは、試行錯誤をつうじて周囲状況に『適応(fit)』することなのである。ここで『適応』というのは、何らかの行動をした結果を自分の世界イメージにフィードバックすることだ。自分の概念構造にもとづいて行動してみて、うまくいけばそれでよし、失敗したら概念構造を変更するのである。ポイントは、所与の概念構造への一致は要求されない、という点だ[p.76]」。
・「コンピュータとは論理実証主義の潮流をふまえ、『人間のかわりに正確に思考をおこなう機械』として半世紀あまり前に誕生した[p.60-61]」。「その後、21世紀にかけてIT業界では・・・『AI(Artificial Intelligence)からIA(Intelligence Amplifier)への転換』」が起こった。「人間の思考というものの理想型を『形式的ルールにもとづく論理命題の記号操作』とのみとらえ、それを実現する『汎用機械』としてコンピュータを位置づける、という20世紀的な考え方が大きな壁にぶつかった」という認識とともに、「コンピュータに問題解決を丸投げするのではなく、コンピュータの能力を上手につかって人間の知力を高め、問題を解決するという方向」に転換しつつある[p.69-71]。

第3章、主観知から出発しよう
・「クオリア(qualia)とは、・・・心のなかに生じる、一回かぎりの『感じ』のこと[p.79]」。「われわれの喜怒哀楽をともなう体験はみな、取り換えのきかない個別の身体をベースにしたクオリアから成り立っている。微妙で割り切りがたい感覚にもとづいて、主観的な世界イメージが構成されるのだ。・・・情報を共有するとか、心を開いて共感するとか言う。だが、それらはあくまでも、心がほんとうは閉じているという絶望的な事実をふまえた上での、一種の希望以上のものではない[p.82]」。
・ジェームズ=ランゲ説:「『自覚的な感情の体験より、末梢神経の生理学的反応が先行する』という理論。・・・生物進化史をふりかえれば、複雑な感情よりまず身体反応ありきという仮説は、まことに腑に落ちる[p.84]」
・「知というのは、根源的には、生命体が生きるための実践活動と切り離せない。・・・生命的な行動のルールは、遺伝的資質をふくめた自分の過去の身体的体験にもとづいて、時々刻々、自分で動的に作りださなくてはならない。だから生命体は、システム論的には自律システムなのである。コンピュータのように外部から静的な作動ルールをあたえられる他律システムとは成り立ちが違うのだ。・・・幼児の発達とは、外部の客観世界を正確に認知していくのではなく、環境世界に適応するように主観的な世界を内部構成していく過程に他ならない。それが知のベースであることは、現代人でも共通である。要するに、現実に地上に存在するのは、個々の人間の『主観世界』だけなのだ。・・・まずは、クオリアに彩られた生命的な主観世界から出発しなくてはならない。[p.198-199]」
・ポラニーの「暗黙知理論のすばらしさは、単に語れない知識の存在を指摘した点ではない。ある対象の意味を把握するには、それより下位の要素的な諸細目を身体で感知しつつ、対象を全体として包括的にとらえる作用が必要だという、生命的な認知のダイナミックスを指摘した点にある。[p.95]」
・「細胞は、外部から与えられる設計図なしに、自分と似た細胞を次々につくりだす。だから『オートポイエティック(自己創出的、Autopoietic)』な存在なのである。・・・自分で自分を創りだすとは、作動の仕方も自分で決めるということだ。だから生命体は『自律的(autonomous)』なシステムでもある。[p.100-101]」
・「心はもともと閉鎖系だ。知の原型は、主観的で身体的なクオリアをベースにして、一人称的なものとして形づくられる。その意味で閉じている知を、簡単につたえることなどできるはずはない。それなのに、社会のなかで『情報』が伝達され、それらを組み合わせて三人称的な『知識』が構成されていくのはなぜか。これは、個人と社会という2レベルのHACS(階層的自律コミュニケーション・システム、Hierarchical Autonomous Communication System)の関係を考えることで明確になる。[p.107]」
・「コミュニケーションとプロパゲーション(意味伝播)をつうじて、クオリアのような主観的な一人称の世界認識から、(疑似)客観的な三人称の知識が創出されていく。形づくられるのは、一種の社会的な『知識』であり、『意味』である。[p.110]」

第4章、システム環境ハイブリッドSEHSとは
・ウィーナーが提唱した「サイバネティクスとは本来、生命体が生きつづけるために、いかに電子機械を活用すればよいか、という実践知に他ならない。・・・つまり、サイバネティクスの狙いは、生命体を機械化することではなく、逆に機械を利用可能なかたちで生命体に組み込むことにあった。[p.114]」
・「ウィーナーのかかえていた問題点を見ぬき、生物の主観世界を考慮した革新的なサイバネティクスが・・・『二次サイバネティクス』と呼ばれている。『二次(second-order)』という用語は『サイバネティクスのサイバネティクス』、つまり『観察行為を観察する』という世界認識上の操作からきている。・・・ウィーナーの一次サイバネティクスは『観察されたシステム』を対象とするが、二次サイバネティクスは『観察するシステム』を対象とする、とよくいわれる。これは要するに、前者が機械のような入出力のある開放システムを対象とするのに対し、後者は生物のような再帰的・循環的な閉鎖システムを対象とする、ということだ。[p.116-117]」
・マーク・ハンセン、ブルース・クラークは、「二次サイバネティクスやオートポイエーシス理論や機能的文化社会理論など、閉鎖システムの議論をまとめて『ネオ・サイバネティクス』と命名し、21世紀をになう中心的な知の一つとして位置づけ[p.127]」ている。さらにハンセンは、「SEHS(システム環境ハイブリッド、System-Environment Hybrids)」を提唱。SEHSとは「高水準の包含性をもつ『暫定的な閉鎖システム』。[p.128]」
・「人間集団のなかに、ある種の不透明性や閉鎖性があるからこそ、われわれは生きていけるのである。情報の意味内容がそっくり他者に伝わらないというのは、本質的なことなのだ。[p.208]」

第5章、望ましい集合知を求めて
・一人称の主観知から三人称の客観知をいかに導けばよいのだろうか。・・・ネットを利用してクオリアの壁をのりこえ、真の客観知とはいわないまでも、何らかの有効な共通知が導出できるなら、それはネット集合知の名に値するだろう。ここで注目されるのは『二人称の知』である。・・・要するに二人のあいだの対話、問いと答えの繰り返しこそが、ボトムアップの集合知の基本単位となるのだ。それがコミュニケーションにもとづく三人称的な知識の長期的な意味伝播(プロパゲーション)につながる。[p.151-152]」
・「対話における不透明性(不確実性)に注目するのが二人称の心身問題[p.154]」。「二人称の心身問題について、非常に示唆にとんだ研究成果が情報学者西川アサキによって発表された。[p.155]」その「シミュレーション結果は、『オープン』な社会がかならずしも望ましくないことをしめしている。つまり、人間が自律性を失って開放システムに近づくと、社会がいわば透明になりすぎ、外部環境の変動にともなって、『絶対的リーダーへの一極集中/多極化/完全な無秩序』といった諸状態のあいだをぐるぐる彷徨することになりやすいのだ。・・・これに対して、人間(生命体)本来の閉鎖性が保たれていれば、それぞれが自律的で唯一の価値尺度は存在しないにもかかわらず、社会のなかに一種の『慣性力』がはたらいて安定したリーダーが生まれ、そのもとで一定の権威をもつ質疑応答がおこなわれる。たぶんこれは、実践的なネット集合知の生成につながるだろう。[p.176-177]
・「階層的な連合体としての情報社会において、ITはいかなる役割をもつべきなのだろうか。個人同士、社会集団同士をむすぶグローバルなネットはもちろん不可欠だが、それだけでは足りない。むしろ大切なのは、ローカルな社会集団内でのコミュニケーションの密度をあげ、活性化していくためのITだろう。言いかえると、社会集団の下位レベルにある暗黙知や感性的な深層をすくいあげ、明示化するような機能が、ITに期待されるのである。[p.209]」「切望されるのは、人間のコミュニケーションにおける身体的・暗黙知的な部分を照射し、人間集団を感性的な深層から活性化し、集団的な知としてまとめあげるためのマシンなのだ。[p.212]」

第6章、人間=機械複合系のつくる知
この章では、全体のまとめが述べられています。(本稿では各章の紹介に含めてまとめました)
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本書では、単にみんなの意見としての集合知の問題にとどまらず、IT技術の発達を前提とした「知」のあり方が議論されています。知とは何か、知を伝えること、知を学ぶこと、知を創造すること、とはどういうことなのか、本書の考え方が唯一絶対の客観的な真理というわけではありませんが、本書から得られる示唆について個人個人が自律的に考えてみる価値はあるのではないでしょうか。

本書の議論の実践面での適用範囲はかなり広いように思われます。例えば、野中氏による知識創造理論(SECIモデル)について、なぜそのようなモデルで組織的知識創造が進むのかに対するひとつの考え方を提供しているといえるのではないでしょうか。SECIモデルで考察される暗黙知は個人の心の中、閉鎖系に存在するものだとすれば、それを組織内に伝えることには困難が伴います。それを組織で活用するには、対話を通じて表出化し、他の知識との連結をはかり、そしてそれを自分の知識として内面化し、新たな暗黙知を創造することが必然的に求められるということ、すなわち、これは本書でいうところの階層的自律コミュニケーション・システムの作用として考えることができると思います。また、効率化を目指して人間を機械と同じように扱うことが知識創造にとって好ましくないことも理解できそうです。さらに、シミュレーションに基づいた組織の安定性についての考え方も興味深いと思います。すわなち「メンバーの多様な価値観を包摂し、リーダー(中枢)にたいする『ほどほど』の従属関係があるとき、世界の崩壊はおきにくい。逆に、メンバーに『できるだけ透明な情報伝達』と一元的な価値観とを強制する独裁社会のような場合には、多様性にもとづく知が生まれず、世界は不安定になってしまう。[p.177-178]」という洞察は、企業マネジメントの観点からも示唆に富んでいると言えるでしょう。集合知に限らず知の本質についての理解を深めることが、このような人間活動に対する理解につながるとすれば、それは実践的にも意味があるはずです。理系の研究者、技術者にとっても、知識を扱う専門家として、こうした知識の本質を知っておく必要があるのではないでしょうか。

文献1:西垣通、「集合知とは何か ネット時代の「知」のゆくえ」、中央公論新社、2013.

参考リンク<2014.3.23追加>


 

エキスパートになる、育てる(金井壽宏/楠見孝編、「実践知」より)

エキスパートといえば、「専門家」、「達人」ということになるでしょうが、その意味には少し違いがあるでしょう。どちらも、ある人が特定の分野についての有用な知識やスキルを持っていることを意味している点では同じとしても、専門家は職業として成立するようなある一定レベル以上の能力を持つことを指すのに対し、達人となるとある分野における能力が卓越していることを意味しているように思われます。

では、どうやれば達人になれるのでしょうか。研究者でいえば、初学者の段階から知識と経験を蓄え、やがて一人前の専門家になり、そのうちの一部の方が達人の領域にまで達する(研究の分野では「第一人者、権威」と言われることが多いと思いますが)、という成長の過程をたどります。もし、少しでも速く、簡単に達人になれるとすれば悪くない話ですし、逆に育成がうまくいかなければ問題を引き起こすかもしれません。今回は、専門的能力の熟達過程と、成長の方法について、金井壽宏/楠見孝編、「実践知」[文献1]に基づいて考えてみたいと思います。

本書は3部構成になっています。以下、その中の重要と思われるポイントをまとめます。

I部、実践知――獲得と継承のしくみ1~3章)

第1章、実践知と熟達者とは(楠見孝)

・「実践知(practical intelligence)とは、熟達者(expert、エキスパート)がもつ実践に関する知性である。熟達者とは、ある領域の長い経験を通して、高いレベルのパフォーマンスを発揮できる段階に達した人をさす。・・・本書では・・・実践知を獲得する学習過程を『熟達化』と定義し、熟達者を熟達化の過程を経た人というより広い意味でとらえる。[p.4]」

・「学校知とは学業に関わる知能、学校の秀才がもつ知能である[p.5]」

・「知能検査で測定される知能は、実践知というより学校知を予測するものである。知能検査の限界として、よく指摘されるのは、知能検査の成績は、学校を終えてからの職場での実績についての予測力が低い点である。こうした知能検査の限界に基づいて、仕事をはじめとする実践場面における知能を説明・予測するために提唱されたものが、実践知なのである」[p.6-7

・「実践知は、経験から実践の中に埋め込まれた暗黙知(tacit knowledge)を獲得し、仕事における課題解決にその知識を適用する能力を支えている。[p.12-13

・「熟達者は、・・・実践知あるいはスキルを経験から獲得することで、高いレベルのパフォーマンスを発揮している」[p.17]。熟達者の特徴は次の9点にまとめられる。1)実践知、とりわけ事実に関する詳細な知識、さらに言語化、意識化されにくい知(暗黙知)を多くもっている。2)最高のパフォーマンスを、素早く正確に実行できる。3)初心者がわからないような重要な特徴に気づく検出、それが何であるかがわかる認識、さらにそれを他のものと弁別できる知覚的スキルをもつ。4)すぐれた質的分析ができる。5)正確な自己モニタリングを行い、自分のエラーや理解の状態を把握できる。6)適切な方略を選ぶことができる。7)その場の状況の情報をリソースとして適切に活用できる。8)不確実性に対応できる広範な方略をもつため、不測の事態にも対応できる。9)短い時間と労力での実行を可能にする効率よく状況を動かすポイントを見つける。

・仕事の実践知を支える4つのスキルと暗黙知:1)テクニカルスキル(タスク管理)、2)ヒューマンスキル(他者管理)、3)メタ認知スキル(自己管理)、4)コンセプチュアルスキル。[p.28

第2章、実践知の獲得(楠見孝)

・「エリクソン(Ericsson)は、仕事に限らず熟達化における高いレベルの知識やスキルの獲得のために、およそ10年にわたる練習や経験が必要であるとして、『10年ルール』を提起している。」[p.34

・熟達化の段階:1)初心者(指導者からコーチングを受けながら、仕事の一般的手順やルールのような手続き的知識を学習し、それを実行する手続き的熟達化が行われる)、2)一人前における定型的熟達化(指導者なしで自律的に日々の仕事が実行できる段階)、3)中堅者における適応的熟達化(柔軟な手続き的熟達化によって、状況に応じて、規則が適用できる。さらに、文脈を越えた類似性認識(類推)ができるようになり、類似的な状況において、過去の経験や獲得したスキルを使えるようになる)、4)熟達者における創造的熟達化(高いレベルの完璧なパフォーマンスを効率良く、正確に発揮でき、事態の予測や状況の直観的な分析と判断は正確で信頼できる)、5)叡智(仕事場を含む幅広い人生経験に基づく深く広い知識と理解に支えられた知性)[p.35-39

・実践知獲得のための学習:1)観察学習、2)他者との相互作用(対話、情報のやりとり)、3)経験の反復、4)経験からの機能と類推、5)メディアによる学習(書物、研修など)[p.41-45

・経験から実践知をどれだけ多く獲得できるか:経験から学習する態度(挑戦性、柔軟性、状況への注意とフィードバック、類推)、省察(過去の体験に意義や意味を解釈して深い洞察を得る、実践の可能性について考えを深める)、批判的思考(基準に基づく合理的(理性的・論理的)で偏りのない思考)による。[p.45-51

・実践知獲得を促進する組織特性や職場環境:異動、責任、負担、障害、コミュニティ、批判的思考ができるクリティカルコミュニティ[p.51-53

第3章、実践知の組織的継承とリーダーシップ(金井壽宏・谷口智彦):

・リーダーを育て、育成の仕組みをつくるのはリーダーの役割のひとつ、薫陶を受けながら学ぶ、リーダーシップの持論を言語化し、それと言行一致した行動をとるときに最も促進される、研修以上に経験と薫陶が大事。[p.61-62

・「持論の特徴は、暗黙知であること、経験と経験の物語に根づいていることであり、加えて、それ自体が暗黙知で物語に支えられているなら、持論そのものが言語化されることが不可欠となる[p.68]」

・リーダーシップエンジン、リーダーシップパイプライン:リーダーが次世代リーダーを生み出すリーダーシップ育成の連鎖の仕組み[p.97

II部、エキスパートの仕事場から(第4~6章)

II部に述べられた事例から特徴的と感じたものを抜き出しておきます。

第4章、組織の中で働くエキスパート:営業職(松尾睦)、管理職(元山年弘、金井壽宏、谷口智彦)、IT技術者(平田謙次)

・目標達成志向の信念(自身の売上目標を達成することを重視)は、目の前の販売業績を高める力がある。顧客志向の信念(顧客を満足させ、顧客から信頼されることを重視)は、現在の販売業績を高める力はないものの、経験から学習する能力を高め、将来の販売業績を高める力をもつ[p.117-118

・管理職が持つ実践知:1)タスク管理、2)他者管理、3)自己管理[p.125,28

・参照実践知:体系化された実践知(知識、基本スキル)[p.150

・遂行実践知:タスクプライオリティ知(実践の仕事場でタスクを選択したりタスクの優先順位をつけたりする)、資源配分知(適切な認知資源を投入する)、状況知(参照実践知を状況において実働可能にする)[p.153

第5章、人を相手とする専門職:教師(坂本篤史、秋田喜代美)、看護師(勝原裕美子)

・「教師の仕事は、時々刻々と進まざるをえないために、複雑な状況を無視したルーティン化の危険性がある。とくに、個人で省察を行っていると、個人的な信念を強固にしていく可能性がある。したがって、他者に開かれた省察を行う必要がある。→教師のコミュニティの中での学習[p.184

・看護師においては、各レベルにおいて到達すべき目標が具体的に決められ(クリニカルラダー)、自分のレベル確認、次レベルへの目標につなげられる[p.215]。また、新人をチーム全体で育てる仕組みがある[p.211]。

第6章、アートに関わるエキスパート:デザイナー(松本雄一)、芸舞妓(西尾久美子)、芸術家(横地早和子、岡田猛)

・正統的周辺参加:「学習者は熟達者の所属する実践共同体に所属し、最初は共同体の周辺から、その中で熟達に応じた役割を果たしながら、共同体への参加を深めていく」[p.236]。新人が雑用を引き受けることにはそうした意義もある。

・芸舞妓の世界では、教育システム、メンターシステム、顧客を含む実践コミュニティが形成され、実践知がひきつがれている。

・「芸術家が熟達するためには、作品を発表する場、適切な評価を受けられる場、鑑賞者からのフィードバックを得られる場などが必要」[p.291

終章、熟達化領域の実践知を見つけ活かすために(金井壽宏)

・主体性(agency)と共同性(communion):「どんなに卓越した熟達者(エキスパート)であっても、『おれが、おれが』で通している人は、その意味で発達不全であり、その領域で人を育てる意志と、その領域で切磋琢磨する人々をうまく導くリーダーシップが、望まれるようになる」[p.298

・熟達化への動機づけ要因(モティベータ):有能感(その領域で有能で、効果的に環境に働きかけることができ、その領域をうまくマスターしているという実感[p.304])、用具性(熟達することがポジティブな諸結果(広義の報酬)をもたらす主観的確率)、自己決定と自己イメージ(自分で決めること、才能や有能さの自己イメージ)が重要。

・熟達化へのモティベーションの自己調整:熟達に必要な長期間、熟達へのモティベーションを維持する必要がある。その自己調整のための方法として、1)緊張系(未達成だと気づくと人は動く、欠乏動機、ハングリー精神、危機意識)、2)希望系(希望、達成感、達成に対する承認や賞賛、報酬への期待、成長感、楽しみや熱中)、3)持論(自分自身を自分で動機づけるためのモティベーションの持論)、4)関係系(他者との関係性の中で人は動機づけられる、親和動機、親密動機)[p.311-317

・「孤高にエージェンティックに自分を研ぎ澄まそうとするだけでなく、師匠、仲間との切磋琢磨と相互刺激の源泉となるコミューナルな関係性の中で、熟達のレベルを挙げ、十分に腕を挙げて、究極には、外的技術からうまい!といわれるレベルを越えた、自分のスタイルに達する。そういう創造的熟達者(エキスパート)への道を、仕事の世界でも歩みたいものである。」[p.340

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研究者にとっての熟達のひとつの形は自分の専門分野で高い能力を発揮することです。そのためには、まず高いスキルを持つ必要があります。科学技術分野では、そうしたスキルは学校知の範囲に入ることも多いため、育成や継承を考える際に実践知が軽視されてしまうことがありますが、暗黙知を始め経験に基づく実践知は、特に未知の領域、不確実な領域、人間がかかわる領域では無視できるものではないはずです。さらに、研究者は競争的環境に置かれることも多く、孤高になりがちだとすれば、「共同性」や組織としての育成ということにもう少し目を向けるべきでしょう。研究組織、研究のエキスパートが保有する実践知について、どういう点に注意してその熟達と継承を行わなければならないのか、本書は多くの示唆を含んでいるように思われます。

さらに、研究者としての熟達と研究マネジャーとしての熟達の違いについても注意が必要だと思います。多くの研究マネジャーは研究者としてキャリアを始め、研究者としてのスキルを磨くことになりますが、やがて、他者との協働プロジェクトに参加したり、後輩を指導したりし、やがては管理職という業務につく場合もあるでしょう。その時、今まで積み上げてきた研究者としての専門的スキルの熟達の成果が通用しない場合もあることは自覚しておく必要があるはずです。本書の第II部では、ひとつの分野での熟達の事例が多くとりあげられていますが、専門分野のスキルの熟達から管理職としての熟達化を目指す方向に志向を切り替える方法についても考えておく必要があると思いました。おそらくは、「共同性」を重視した熟達のプロセス、組織的なサポートをうまく利用する必要があるのではないかと思いますがいかがでしょうか。組織としても個人としても求められる熟達レベルが高まっている現在、研究者として、研究マネジャーとしての熟達のあり方、進め方についてしっかり考えておく必要があると思います。



文献1:金井壽宏、楠見孝編、「実践知 エキスパートの知性」、有斐閣、2012.


参考リンク<2013.8.18追加>

 


 

技術者流出考

最近の日本企業の苦戦の一因として、日本企業を退職した技術者が新興国のライバル企業に転職し、ライバル企業の技術力を向上させるという、いわゆる「技術者流出」の問題が取り上げられることが増えているように思います。これを産業スパイのように見なしたり、技術者個人の愛社精神の欠如、自らを育ててくれた企業への恩を忘れた行為、果ては愛国心の欠如のように考える見方もあるようですが、はたしてそんな単純な問題なのでしょうか。

技術者の視点からみた技術者流出

このようなセンセーショナルな取り上げ方に対して、その実態はどうなっているかのきちんとしたデータは不足しているようです。残念ながら私自身にこのような経験はないのですが、先輩技術者の中には現役引退後に新興国で技術指導に携わっている人がいる、という話は聞いたことがありますので、それほど稀な事例ではないのだと思います。以下、推測の部分もありますが、技術者の立場から、新興国の競合企業への転職について考えてみたいと思います。

まず、どのような事情で転職に至るのかを考えてみましょう。次のようなパターンがあると思います。

1)自分のステップアップ、自分の希望の実現のために、自ら職を辞して転職する。

2)新興国の企業からの引き抜き、移籍の誘いに応じて転職する。

3)勤めていた企業からの退職(リストラに伴う早期退職を含む)をきっかけに転職する。

このうち、1)の自らの意思による転職例は従来から存在しています。この場合、ステップアップを目指した先進的な企業への転職か、現在の業務とのミスマッチが原因であることが多く、技術者流出の問題とはあまり関係がないように思います。これに対し、近年問題にされているのは、主に2)と3)だと思われますが、その背景には、日本企業に勤めることの魅力が低下し、相対的に移籍先の方が魅力的に見える状況とともに、特に3)については、技術者の意思に反して退職させられる場合や、自らの技術が評価されない部署に異動させられる場合などが転職のきっかけになっていることが多いように思われます。3)の事例については、企業が自社にとって不要と判断した人材が転職しているわけで、退職者の職業選択の自由を考えれば、正当な秘密保持契約や競業禁止契約のもとでは、放出した企業の責任をさしおいて技術者に技術流出のすべての責任を負わせることには無理があるように思います。また、例えば、日本にA社、B社という競合メーカーがあったとき、A社がある事業から撤退して放出した技術者が新興国企業に移ったとしても、A社に対して不利益を与えたことにはならないという状況もありうるでしょう。B社の競争力を低下させることにより、「日本」というくくりで見れば不利益になるとしても、もはやこれは一技術者の問題ではないはずです。

技術者とて、愛社精神や愛国心がないわけではありません。ですから、技術者の自制心や好意に訴えて転職を思いとどまらせようとすることが無力だとは思いませんが、それだけで技術流出を抑止できると考えることには無理があると思われます。自分を育ててくれた会社に恩義を感じていても、その会社にとって不要と判断されリストラや異動されたような場合には、自らを必要としている新興国企業から誘いがあれば心を動かされるのは自然な感情ではないでしょうか。特に、他社から誘いを受けるほどの優れた能力を持つ人材であれば、自らの育成にかかったコスト以上の成果を会社に還元した(つまり、恩には報いた)という自負もあるでしょう。また、専門技術者の中には自らの立場についてプロのスポーツ選手のような感覚を持っている人もいます。他企業への転職も、所属チームの移籍のようにとらえる人もいるでしょう。あるいは、スポーツの世界ではよく見られる、コーチや監督として他国チームの指導にあたるイメージの方が近いかもしれません。こうした環境では、好条件のオファーを断ること自体思い上がりと感じる人もいるでしょうし、そうしたオファーを受けることが技術者全体のステイタスを上げ、後輩のためになると考える人もいるでしょう。そもそも、技術流出というものは、その技術をもった人の大多数の転職を思いとどまらせたとしても、少数の誰かが技術を流出させてしまえば流出抑止の意味がなくなるという性格のものです。自分が行かなくでも他の誰かが行けば同じこと、と思えば、それも転職に応じる気持ちに影響するでしょう。技術者の気持ちに関する私の推測はこのあたりなのですが、実際にどれぐらいの人がどういう状況で新興国企業に移り、その技術力向上にどのぐらい貢献したのか、という具体的な状況がわからないのが残念です。少数の事例だけで作られた単なるイメージに踊らされているような気もしますので、やはりきちんとした調査を期待したいところです。そのためには、他社に転職した人や、転職後日本に戻ってきた人からの情報収集は必須でしょう。そういう人たちに報復的な行動をとったり、愛国心がないと非難したりするようでは、転職者の実態に目をつぶることにしかならない点で、問題の解決にはつながらないように思います。

技術者流出の背景

上記のように、技術者流出については技術者個人の行動が注目されがちですが、以下のような時代背景の影響による技術流出の増加も無視できないと思います。

・人材の流動化:転職への心理的バリアの低下

・実力主義、成果主義の普及:お金で意思決定することへの抵抗感の希薄化、例えば経営不振などで給料が下がった場合にそれが自分への低い評価と感じてしまうこと、評価されにくい要因(組織力、協力環境など)の軽視

・グローバリゼーション:企業の多国籍化(国単位での発想の希薄化)、国境を越えた人材の流動化、日本企業の新興国への進出と現地人材の採用、日本企業への外国企業の資本参加、日本企業における外国人の採用、外国企業の日本での合弁会社や研究所の設立と日本人技術者の雇用

・日本人技術者へのニーズの高まり:転職市場の活性化、求人増に伴いヘッドハンティングビジネスによる勧誘が活発化

・オープンイノベーション:社内外の協力によるイノベーションの活発化を通じた技術流出機会増

・暗黙知の重要性認知:新興企業では個人が持つ暗黙知の重要性への認識の高まり、日本企業では効率化重視による個人の暗黙知の軽視(マニュアル化、形式知化)

こうした背景の影響を認めるならば、技術者流出を食い止めようとすることは世の中の流れに逆らうことのようにも思われます。

技術者流出抑止の本質

もちろん、自社の優位を守るために技術流出を避けることは非常に重要です。退職者との秘密保持契約や競業禁止契約を確実に締結する意義があることには異論はありません。しかし、退職者への制約強化とその効果には限界があることに加え、時代の流れを考えると、技術流出は避けらないと理解すべきなのではないでしょうか。さらに、技術の特質として、最先端の技術を開発するよりも、既存技術に追いつくこと、すなわち、すでにできるとわかっていることを実現することのほうが容易です。この時、先行他社の技術を入手できれば追いつくことはさらに容易になりますが、それができなくても、うまくやりさえすればいずれ先行技術に追いつくことはまず間違いなく可能と言っていいでしょう。すなわち、技術流出を完全に抑止できたとしてもいずれ追い付かれる可能性があるわけです。とすると、技術流出を防ぐことの本質は、他社に追いつかれるまでの時間をできるだけひきのばすこと、すなわち時間稼ぎをすることである、ということになると考えられます。つまり、先行企業が本来考えるべきことは、その時間稼ぎをしている間に、優位を維持するために何ができるかを考えることではないでしょうか。

技術者流出対策

技術流出が避けられないものであれば、技術者流出対策として行なうべきことは、i)技術流出を極力遅らせ、優位維持のための時間稼ぎをする、ii)技術流出を前提にそれを利用した戦略を立てる、iii)時間稼ぎをしている間に優位構築のための行動を起こす、ことであると考えられます。

i)まず、技術者流出を遅らせる方法について考えてみましょう。もちろん、契約などで流出に制約を加えることは必要ですが、それに加えて以下のような方法が考えられます。

・技術者の安易なリストラを避ける:技術者のリストラが技術者流出を加速していることは間違いのないところだと思われます。従って、技術者のリストラをすることは自社の技術的優位の喪失につながりかねないことをまず認識すべきでしょう。加えて日本の他社のリストラが新興国企業を利する可能性についても注意しなければなりません。人員削減は経営上の必要に迫られて実施するわけですが、技術流出まで考慮すると、短期的な業績回復には効果があっても、長期的にはより困難な状況に陥る可能性があることも覚悟すべきです。やむなく人員削減が必要な場合には、自社におけるその人材の必要性とともに、競合他社にとっての必要性も加味して判断すべきでしょう。

・技術者の待遇改善:技術者の退職や転職に対する意欲を減ずる意味で重要です。日本では技術者に対する報酬がまだ低いという意見もありますので、報酬を上げることも当然考慮すべきでしょうが、それができればリストラの苦労はありませんし、金銭的報酬は、スカウト先がそれ以上の待遇を提示してきた場合には容易に無力化されてしまいます。金銭的報酬以外の報酬(名誉や、仕事のやりがい、仕事上の裁量、自由度、将来性なども含めて)も考慮する価値があると考えます。

・仕事環境の改善:仕事しやすい環境を与えることも重要です。一般に技術者は全く独力で仕事をしているわけではないので、技術者をサポートする環境が整っているかどうかは成果を上げる上で重要です。

・業務の分散:集団で協力して仕事を進める体制になっていれば、その中の少数の人が引き抜かれたとしても、その人が直ちに競合企業において力を発揮できる可能性が低くなります。また、協力的環境を作ることによって、転職した後でも元の仲間と敵対しなくない、という感情が生まれることも期待できます。なお、これに関連して、技術者の担当する業務を狭く限定することも考えられますが、その場合でも少数の重要人物には技術が集中しますし、個人の技術を限定することで全体の技術の社内伝承が難しくなる可能性がありますので、注意が必要です。

ii)次に考えるべきことは、技術流出を利用する戦略でしょう。

・戦略的技術開示:技術を出さないというだけでなく、分野によっては早いうちからの競合企業との連携を探り、自社および連携先に有利な方向に積極的な技術開示を行なうことが考えられます。

・コンサルタントビジネス:技術流出が避けられないものであるならば、積極的にそれを売り物にする戦略もあり得るでしょう。これも提携が前提となるかもしれませんが、コンサルタントにより余剰技術者の活用も図れますし、何より、出す情報をコントロールし、技術提供先のレベルを確認できる利点もあるのではないでしょうか。

iii)そして、最後には、こうした時間稼ぎを行なった上で、技術的に追いつかれるまでの間に何をするか、を考えておく必要があります。自社の技術をさらに高める努力をすることも選択肢でしょうが、その場合には技術レベルがニーズを超えた意味のないものになっていないか(いわゆるイノベーションのジレンマの状態)に十分な注意が必要です。新興国企業に対し、流出技術と同じ分野の高度化でリードを保とうとしてもそれには限界があります。となると、いままでの技術蓄積や残した経営資源を利用して、技術流出が起きた分野以外に注力する、ということが基本になるのでしょう。イノベーションにおいて技術は重要な役割を担うことが多いわけですが、技術的優位だけでビジネスが成功できるわけではないことは多くの事例で指摘されています。技術流出は脅威として警戒しつつも、他の技術やノウハウと組み合わせて総合的な優位を確立することを狙う価値はあるように思います。

結局、技術者流出に対抗するためには、自社の保有している技術の意味をよく理解し、何を極力秘匿し、何は開示してもよいのか(あるいは追随されると想定するのか)をはっきりと認識することがまず必要でしょう。重要な技術に対する国内企業の動向、新興国競合会社が何を求めているのかについて情報収集を怠らず、その将来を予測し、さらに、社内で有用な暗黙知を保有しているのは誰なのか、そして、技術者の考え方をよく理解することが重要でしょう。例えば、オープンイノベーションを活用したいなら、アイデア段階は広く外部の援助を求めたとしても、生産段階や他社との差別化を図る段階では極力自社にノウハウを蓄積するようにすべきかもしれません。さらにその上で、他社の追随を少しでも遅らせ、その間に何をするのかを考え、行動していく、ということになるのだと思います。本稿では「技術」について考えてみましたが、狭義の「技術」だけではなく「ノウハウ」全般の流出までを考えるべきことは明白だと思います。今まで以上に技術やノウハウの本質を知り、それを欲しがっている人、持っている人のことを理解し、うまくマネジメントすることが技術流出への本質的対策として求められているのだと思います。


参考資料

宇賀神幸司、吉野次郎、蛯谷敏、「特集 今どきの産業スパイ なぜ日本は技術を守れないのか」、日経ビジネス2012.7.9号、p.24.

伊藤正倫 、中川雅之、「『技術流出』 特効薬なきジレンマ」、日経ビジネスONLINE, 2012.5.23

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20120518/232279/

山本雅暁、「日経記事;"()日本の人材 どう守る 電機の技術流出 教訓に"考察」、All About プロファイル、2012.5.13

http://profile.allabout.co.jp/w/c-74296/

熊野信一郎、「見えないノウハウ流出、帰国したがらない技術者」、日経ビジネスONLINE, 2012.8.6

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20120803/235307/

白木真紀、「韓国サムスンが日本人技術者引き抜き加速、人材戦略弱い国内勢」、ロイター、2012.4.23

http://jp.reuters.com/article/jpMobile/idJPTYE83M01520120423?pageNumber=3&virtualBrandChannel=0

テリー伊藤、「“日の丸”家電ピンチ!技術者の流出防げ」、zakzak, 2012.5.8

http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20120508/enn1205080728002-n1.htm

NHK「追跡!AtoZ」取材班、「技術立国・ニッポンに赤信号? リストラされた日本人技術者が作る『高品質のメイド・イン・チャイナ』」、Diamond Online, 2010.11.19

http://diamond.jp/articles/-/10139



参考リンク<2013.2.11追加> 

 

「イノベーションの知恵」(野中郁次郎、勝見明著)感想

本書では様々なイノベーションの事例を取り上げ、野中教授の知識創造理論をベースにその成功の要因が解説されています。さらに、それぞれの事例におけるリーダーの考え方と行動について詳しく述べられている点は、イノベーションにおけるリーダーシップについての示唆も多く含んでいると言えるでしょう。取り上げられた事例はいずれも従来の考え方や方法の革新が成し遂げられたもので、イノベーションによって世の中を変えることができる人間の能力とその成果を再認識できたことは、(特に震災の記憶が生々しいこの時期、)力づけられる気がしました。

 

取り上げられているのは、以下の9事例です。

ケース1、旭川市旭山動物園:動物の行動展示によって人気を得た有名な事例。

ケース2、京都市立堀川高校:自ら学ぶ教育を実現して大学受験と生きる力の教育を達成。

ケース3、JR東日本エキュート:これも有名ですが、駅構内のあり方を改革したエキナカの創造。

ケース4、トヨタiQ:「カイゼン」を超えた発想による小型車の開発。

ケース5、アサザプロジェクト:霞ヶ浦の自然を再生させるプロジェクト。

ケース6、社会福祉法人むそう:知的障害者の能力を地域再生に生かす福祉ビジネス。

ケース7、再春館製薬所:大部屋経営を通じて「監視」から「共創」を達成。

ケース8、いろどり:料理に添えるつまものをビジネスとして創造。

ケース9、銀座みつばちプロジェクト:都心で養蜂し、都市のあり方を変えた事例。

 

いずれも研究開発や技術が主役ではありません。しかし、技術があっても、それを成果に結び付けるための多くの技術以外の努力が必要であるというのは多くの方の認識が一致するところでしょう。技術的イノベーションを考える上でもこのような事例から学べることは多いのではないでしょうか。

 

野中教授はこの事例から、イノベーションを生むための方法、リーダーの行動として、次のような概念を示しています。

・「理論的三段論法」ではなく「実践的三段論法」(ケース1、2)

・「モノ的発想」から「コト的発想」への転換(ケース3、4)

・「考えて動く」ではなく「動きながら考え抜く」(ケース5、6)

・「名詞」ベースではなく「動詞ベース」で発想する(ケース7)

・「見えない文脈」を見抜く(ケース8)

・偶然を必然化する(ケース9)

そして、まとめとして

・リーダーにとって大切なのは「場のマネジメント」

・知を創発する場の条件は「チームの自己組織化」、「身体性の共有」による「相互主観性」

・リーダーとチームを支えるのは「共通善」

・経営は「サイエンス」ではなく「アート」

と述べています。

 

とまとめてみたものの、はっきり言ってこれらの概念は私には非常にわかりにくいものでした。もちろん、事例の解説を読めばなんとなくわかったような気にはなるのですが、例えばその概念を自分で使おうと思った時、あるいは、野中教授の知識創造理論を知らない人に伝えてその人を動かすことに使えるかというと、非常に心もとない感じがしてしまいます。

 

恐らくその原因のひとつは、「概念」の種類が多すぎることのような気がします。特に技術系の人は、新しい理論や概念に触れると、それが本当に正しいのか、どんな場合にでも正しいのか、なぜ正しいのか、何を根拠に正しいと言えるのか、などのことを考える習慣がついている人が多いので、一度に多くの概念に触れると混乱をもたらすことになるように思います。さらに、多くの概念があると、実際の場面においてどの考え方を使えばよいのかがはっきりせず、「使いにくい」という印象になってしまい、使いにくい概念をわざわざ受け入れる必要はない、と思ってしまうこともあると思います。

 

しかし、事例に基づいてよく考えてみれば、これらの概念には重要な示唆が多く含まれていると言えると思います。そこで、野中教授の概念を使う立場から私なりにわかりやすく言い換えてみようと思います。

・「実践的三段論法」とは、「目指すべき目的がある」「目的を実現するにはこんな手段がある」「ならば、実現に向けて行動を起こすべきである」と結論を導き出し、行動を起こすこと[文献1p.32]。さらにこのプロセスには「仮説→検証→修正」の反復が含まれており、経験から仮説を立てる段階ではアブダクションが活用されます[文献1p.73-74]。このように考えれば理解しやすいと思います。

・「モノ的発想」から「コト的発想」への転換については、まず「モノ」と「コト」の理解が必要でしょう。モノはsubstance、コトはevent[文献1p.82]、「モノはそこに人間がかかわろうとかかわるまいと存在するのに対し、コトはそこにかかわる人間との関係性のなかで成立し、人間の経験として生成される」 [文献1p.99]、だそうです。「モノ的発想」から「コト的発想」へということは、物を提供してそれをどう使うかは物の受け取り手に任せるということではなく、その物が受け取り手にどのような経験を与えるか、ということまで考える、ということではないかと思います。単なる物ではなく、その作用や、人がどんな作用を求めているかの着目しようとする人間中心のイノベーションなどと近い考え方だと思います。

・「考えて動く」ではなく「動きながら考え抜く」というのは比較的理解しやすいですが、最初に考えを立ててそれを実行し、改善点があればフィードバックする、という方法ではなく、動いて得られた経験を直ちに発想につなげる、という意味で従来よりもダイナミックなアプローチ重視している、ということと考えられます。

・「名詞」ベースではなく「動詞」ベース、というのは固定的な考え方(名詞ベース)ではなく、何かになる(become)とか変化するとかの流動的な考え方を重視すべき、ということであると思われます。「モノ」から「コト」へという考え方と本質的な違いはないように思います。

・「見えない文脈」を見抜く、については「一見、関係ないモノがジグソーパズルのように結び付くと、これまでなかった新しいコトが生まれ、変革がもたらされる」[文献1p.222]とのことですので、違うものを結びつける力だと言ってよいでしょう。そのきっかけにセレンディピティーが存在する場合もあり、イノベーションの原動力になりうることは経験的にも明らかだと思いますが、そのきっかけには「強い好奇心」と「強い目的意識」があるとされています[文献1p.239]

・偶然を必然化、については偶然により生まれたチャンスを大切にする、という意味ではないかと思います。偶然というのは誰にでも訪れるものではありませんので、偶然の力を活用すると他者との差別化が容易に行なえます。これは「真のセレンディピティー」(ノート6で取り上げました)に近い考え方のように思われます。

・場のマネジマントとは、組織や環境や人や知識を別個にマネジメントするのではなく、新たなイノベーションが起こるようそれらを総合的にマネジメントすること、という風に受け取りました。野中教授は「場は、人々が目的を共有し、価値観や感情を共鳴させ、互いに知を共振させ、信頼、愛、安心感などの社会関係資本を共有し合う時空間」[文献1p.51]としていますが、こうした場を作るためには総合的なマネジメントが必要なのだと思います。

・自己組織化とは、リーダーが引っ張るとか、管理者がこまかい調整を行なう、という方法ではなく、組織が自主的に全体として最適な行動をとれるように動き、個を超えた大きな主観(相互主観性)を確立するということのようです。そのためには「身体性の共有」つまり、「相手と身体的に時空間を共有し、触れ合うことによって、相手の視点に立ち、相手の経験を自分のなかで持つことができるようになる」[文献1p.287]ことが必要ということのようです。

・「共通善」とは「『世のため人のため』『よきことをする』という根源的な思い」[文献1p.5]ということです。このような思いが人を動かす大きな力を持つことについては疑う余地はないでしょう。

 

野中教授の考え方をこのように言い換えてしまうこと自体、私の理解不十分の可能性に加えて、野中教授の暗黙知を不十分な形の形式知として表出化してしまうという危険がありますので、適切なことではないかもしれません。また、野中教授が様々な概念を提示されていることも、暗黙知を単純な形で形式知化させないためなのかもしれないとも思います。しかし、このようなわかりやすい言い換えを行なわなければ野中教授の概念はそれを使う立場から眺めている私にとってはただのモノにしかすぎず、こうした考察によって初めてコトになりうるのではないか、とも思います。そんなわけで、あえてトライしてみました。野中教授の理論は受け取る側の知識が多いほど、深い内容を受け取れるようにも思いますので、さらにどのような解釈ができるかは私自身の今後の課題とも言えるかもしれません。

 

なお、本書には上述の概念の他にも多くの有用な示唆や興味深い概念が語られています(ここでは限られた点しか取り上げられず申し訳ありません。詳しくはぜひ本書をご参照下さい。)。しかし、それらの概念を単なる羅列ではなく、重要性を正しく判断して系統的に整理することは少なくとも私には困難だったので上記の点に絞らせていただきました。本書で述べられているように経営がサイエンスではなくアートである、という考え方に立てば、そうした概念の整理は必要ではないのかもしれませんが、アートであったとしてもその質を高めていくことは有益なことでしょう。本書では経営をサイエンスと位置付けるアメリカ流の考え方はあまり評価されていないようですが、私はアメリカ流の考え方であっても役に立つものもあると思っています(アメリカ流とひとまとめにしてしまう必要もないようにも思いますが)。本書で示された概念も含めてあらゆる考え方を総合していくことが経営の質の向上に役立つのではないかと思いますがいかがでしょうか。

 

 

文献1:野中郁次郎、勝見明著、「イノベーションの知恵」、日経BP社、2010.

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%8E%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%9F%A5%E6%81%B5-%E9%87%8E%E4%B8%AD-%E9%83%81%E6%AC%A1%E9%83%8E/dp/4822248291/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1300717571&sr=1-1


参考リンク<2011.8.14追加>
 

技術を維持する-イノベーションの負の側面への抵抗

イノベーションが企業の成長にとって不可欠のものであるとしても、イノベーションには負の側面もあるように思います。そのひとつとして既存技術を軽視してしまうことがあるのではないでしょうか。研究開発部門の役割についてノート5で考えたときに、研究開発部門の本来の役割が新規なことへの挑戦だとしても既存の技術基盤の確保も重要なのではないか、ということを述べました。技術力で定評のあった日本製品が意外な品質トラブルを起こす事例に接すると、その陰には技術基盤の弱体化があるのではないか、原因な何なのだろうかと考えることがあります。

 

もし、こうしたことが、新技術の追求によって加速されているのだとすれば、これはイノベーションの負の側面と言えるのではないでしょうか。もちろん、単純に製品に対する期待が高くなりすぎたため、とか、企業が大きくなったことによる意識の変化や管理上の問題という解釈もあるでしょう。しかし、既存事業において大きな成長が見込めなくなった現在、新技術やイノベーションに期待が集まることで新技術ばかりが注目され、既存事業では高効率化を目指して過度な合理化や省力化、技術のブラックボックス化などが行なわれがちであるような気がします。特に新興国の追い上げを受けている分野でこのような傾向が著しいように思うのですが、これでは新技術がうまくいくより先に既存技術の崩壊により足元をすくわれるのではないか、と思うことがあります。

 

イノベーションが本当にこうした負の側面をもつかどうかは議論のあるところでしょうが、新技術の開発と既存技術の維持のバランスが崩れていることがあるように思います。もちろん、既存分野を持たず、新製品の開発のみを目指す企業ではこのようなバランスを考えることは不要なのかもしれません。しかし、新製品が市場に出た後、さらに成長を続ける場合にはこうしたバランスが必要となるはずです。イノベーションを積極的に追求するとしても、それだけに集中していてはいけないのではないか、そうだとすればどのようにマネジメントすべきなのかについて考えてみたいと思います。

 

まず、イノベーションに注力しすぎて失敗した例を確認しておきましょう。Collinsの「ビジョナリーカンパニー③」には、ラバーメイドの衰退の例が述べられています。ラバーメイドはイノベーションによる成長を目指し、1日あたり1つの新製品発売を行ない、1年から1年半に一分野のペースで新しい製品分野に進出することを目標にしていたといいます。そしてそれを実行した結果、3年間で1000点近い新製品で窒息状態となり、原料コストの上昇による打撃も受けた結果、野心的な成長目標に追いまくられて、コスト管理や納期管理といった基本的な部分で失敗が目立つようになったといいます。Collinsはこうした例から「イノベーションは成長の原動力になるものの、イノベーションに熱狂していると、成長が速すぎて戦術面の卓越性を維持できなくなり、簡単に衰退の段階を下る」と結論づけています[文献1p.89-91]Leonard-Bartonも「コア・ケイパビリティがコア・リジディティになってしまう最も一般的な理由は的を撃ちすぎることである。つまり、よいことはもっとたくさんすれば、もっとよいだろうという単純な考えに陥ってしまう」「それまで利益をもたらしていた活動もいきすぎると、成功の妨げになってしまう。」[文献2p.49]と述べていますので、イノベーションがよいものであっても、それに集中していれば問題ない、という考え方は単純すぎるように思われます。

 

もちろん業種によって事情は違うでしょうし、中には3Mのように、各部門において売上の30%を過去4年間に発売された新商品と新サービスであげるようにすることを目標[文献3p.263]にしてもうまく経営できている企業もありますから、こうした目標自体が問題であるとは言えないでしょう。要はバランスを考えることと、実力に応じてイノベーションの進め方をいかにうまくマネジメントするか、ということに帰結することになるのだと思います。

 

上記のような研究開発マネジメントの失敗を避けるためには、まず組織の面でイノベーション組織を過度に持ちあげすぎないことが重要だと思います。研究に対しては将来の収益源という観点から期待が大きいのも事実ですし、研究部隊は高度な専門性を持つことが多いものですが、現在の収益の点では研究段階での寄与は小さいのが普通でしょう。従って、研究への期待の大きさが強調されすぎると、実績をあげながら相対的に期待の小さな既存部署の意欲は下がりますし、既存分野では優秀な人材を集めにくくなる可能性もあります。また、研究部隊の中でも革新的で注目されやすい分野と、既存技術や補助的技術に近く注目されにくい分野とがありますので、そのバランスをとることも重要になるでしょう。ともすると、研究開発はその初期のアイデア段階が着目されがちですが、実際にはアイデアを収益に結び付けるために設計や製造、マーケティングなどの部署と協働することが不可欠です。そうした部署の協力を確実なものとするためにもバランスのとれたマネジメントは重要なはずです。研究に対する期待が過小なためにうまくいかない場合もあるでしょうが、いずれにしても企業の戦略に合わせて各部署で最高のパフォーマンスが発揮できるようなマネジメントが必要と言えるのではないでしょうか。

 

人の配置という観点からは、ある個人にどのような経験をどのように与えるか、という視点と、ある組織にどのような人を何人ぐらい置くべきか、という視点から考える必要があるでしょう。個人の観点から重要なことは、専門性の育成にはある時間がかかることだと思います。知識を学び、使用することで暗黙知を得るためには少なくとも10年程度はかかると言われていますので、そうした専門家となるべき人材については専門の部署において長期間の経験をさせ、それに加えて短期のプロジェクトや異動によって様々な経験を積ませるのが望ましいと考えます。一方、ゼネラリストを育成するためにいろいろな部署へのローテーションを行なうべきであるという考え方もありますが、私は技術者は基本的にはT型人間、つまり、少なくともひとつの分野での深い知識と、様々な分野への理解を併せ持つ人間であることが望ましいという意見[例えば文献5p.85]に賛成です。これは科学の発達とともに技術が深くなってきた結果、多くのことに精通することが困難になってきたため、なんでも屋のような人材の活躍の場が減ってきているように思われるためです。

 

ある分野の専門家を何人ぐらい確保すべきか、という点については、専門家の育成方法からその人数を決めることができると思います。専門を育成する、ということは書物や授業から得られる知識に加えて教師の暗黙知を生徒に伝え、実地に経験を積ませることと同義であると考えることができるでしょう。暗黙知を伝えるためにはどうしても人対人の接触が必要になりますので、ある専門分野には最低2人いないと技術が受け継がれていかないことになります。しかし、人対人であっても年齢や経験が離れすぎてしまうと、先生と生徒というより上司と部下という関係になってしまい、指導よりは指示になってしまいやすいですし、人数が少なすぎるとT型人間に育てるべく他部署での経験を積ませるための異動の自由度も下がってしまうと考えられます。したがって、同一専門分野で3人(10歳程度の年齢差で)、というのが最低限の人数と思われます。言い方を変えれば、同一分野で3人置くことができないような分野であれば、その技術を保有することはあきらめなければならないのではないかと思います。優れた暗黙知を持っていなければ、あるいはその継承ができなければ、その技術はその企業にとっていずれは消え去る運命にある、ということになるのでしょう。

 

専門的な技術というものは暗黙知という形で人に付随しているものだとすると、技術を担保するということは人を担保するということとも言えるでしょう。時代の変化とともに、ある企業にとって必要とされる技術は変わりますので、あらゆる既存の技術を伝承していく必要はありませんが、少なくとも、現在収益源になっている技術、強みとして保有している技術であればその暗黙知を伝承しないことは損失ではないでしょうか。「選択と集中」は重要な概念としてよくとりあげられますが、新技術か既存技術かという選択は得策であるとは思われません。それは、新技術であっても基盤が既存技術にあることが多いことに加えて、選択されずに一度放棄した技術はなかなか元に戻すことができないからです。社外の能力を活用して自社の技術を補うという考え方も当然ありますが、社外の技術が自社以上の暗黙知を保有しているのか、その暗黙知を自社内にうまく移転できるのか、と考えると、技術を捨てること、つまり、獲得が難しい暗黙知を捨てることについては慎重な判断が求められると思います。暗黙知と同様の概念としてディープスマートを定義しているLeonardは、次のように言っています。「ディープスマートは暗黙のものなので他人に移転するのが難しい。移転が困難だからこそ、ディープスマートは競争の武器になる」[文献4p.296]

 

以上、イノベーションの裏にかくれた技術の維持、伝承という問題について考えてみました。技術的なフロントランナーになろうとする努力だけでなく、その地位を維持しようとする努力もイノベーションには必須の要因ではないかと思います。

 

 

文献1Collins, J., 2009、ジェームズ・C・コリンズ著、山岡洋一訳、「ビジョナリーカンパニー③衰退の五段階」、日経BP社、2010.

文献2Leonard-Barton, D., 1995、ドロシー・レオナルド著、阿部孝太郎、田畑暁生訳、「知識の源泉」、ダイヤモンド社、2001.

文献3Collins, J.C., Porras, J.I., 1994、ジェームズ・C・コリンズ、ジェリー・I・ポラス著、山岡洋一訳、「ビジョナリーカンパニー」、日経BP出版センター、1995.

文献4Leonard, D., Swap, W., 2005、ドロシー・レナード、ウォルター・スワップ著、池村千秋訳、「『経験知』を伝える技術」、ランダムハウス講談社、2005.

文献5Tom Kelly, Jonathan Littman2005、トム・ケリー、ジョナサン・リットマン著、鈴木主税訳、「イノベーションの達人! 発想する会社をつくる10の人材」、早川書房、2006.

 

 

 

 

 

創造性を引き出すしくみ

研究開発には様々な段階があり、何もないところから何かを生み出すことが必要な段階もあれば、それを育てて製品化し収益を挙げるようにする過程での様々な問題解決が求められる段階もあると思います(大雑把すぎる区分ですが)。しかし、どちらの場合にも従来にないことを生み出していくこと、すなわち「創造性」が必要とされるというのは一般的に認識されていることでしょう。

 

どうしたらそのような「創造性」をひきだすことができるかについては、様々な提案がなされています。そうした提案について、個人の関わり方の観点から大きくわけると、

・個人レベルでの創造性発揮(発想法など)

・集団レベルでの創造性発揮(他人の知識との接触や交流、相互刺激による発想など)

となると思います。このうち、マネジメントに強く関係しているのが、後者でしょう。

 

集団レベルでの創造性発揮については、ブレーンストーミングやKJ法による集団でのアイデア抽出技法がまず思い起こされるでしょうが、マネジメントの観点からは野中らによる組織的知識創造が重要と思われます。これは、以下の4つの知識変換プロセスを繰り返すことによって組織的知識創造が進むとされているものです(SECIモデル)[文献1p.90-109]。(一部は、ノート14でも述べました)

1、共同化:個人の暗黙知からグループの暗黙知を創造する

2、表出化:暗黙知から形式知を創造する

3、連結化:個別の形式知から体系的な形式知を創造する

4、内面化:形式知から暗黙知を創造する

 

そして、この知識創造プロセスを促進するために、以下の役割を持つ人々で構成される「ナレッジ・クリエイティング・クルー」の設置が提案されています[文献1p.227-238]

・ナレッジ・プラクティショナー:暗黙知と形式知の両方を蓄積し創造する。ナレッジ・オペレーター(経験に基づいて体系化された技能の形で豊かな暗黙知を蓄積・創造する。ほとんどは第一線社員やラインマネジャー。)とナレッジ・スペシャリスト(伝達可能で量的なデータの形できちんと構造化された形式知を扱う。)からなる。

・ナレッジ・エンジニア:暗黙知を形式知に、形式知を暗黙知に変換し、上記4つの知識変換プロセスを促進する。一般に、ミドルマネジャーとして、トップと第一線をつなぐ。

・ナレッジ・オフィサー:企業全体レベルでの組織的知識創造プロセスのマネジメントを行なう。一般にはトップマネジャーで、会社の知識創造活動に方向性を与える。

 

このような集団の創造性を引き出すしくみは、知識創造の原理に基づいた方法として概念的には理解できるものの、実務的な立場からすると具体的にどうすればよいのかがわかりにくいように思われます。恐らくは、何らかの目標をもったプロジェクトを進めるためにそれなりの組織体制を構築する場合には有効だと言えるのでしょうが、萌芽段階の研究にとっては必要とされる組織が大きすぎるようにも思いますし、この方法が研究開発におけるあらゆる場面で有効なのかどうか、創発的戦略(ノート12)にもこの方法で対応できるのかどうかはよくわかりません。また、研究グループを率いるミドルマネジャーだけの力では実行しにくいと思われることも難しい点だと思います。

 

しかし、この理論を以下のように非常に単純化した形で捉えると、応用が開けてくるように思います。

・個人が持つ知識は、他の知識と出会うことによって、新たな知識を生み出す(=創造の)可能性がある

・組織的知識創造には、個人の知識と別の個人(あるいは組織)の知識が出会うことが効果的

・個人の暗黙知はそのままでは他の暗黙知と交流することが困難なので、形式知化する必要がある

・知識の出会いによって創造された新たな知識には、正しいものも正しくないものもあり、断片的でまとまりのないものだったりするので評価、整理を行なう必要がある(集団による多様なチェックを経て評価、整理し、体系的な形式知を創造することが必要)

・正しいことが確認され、まとめられた新たな知識は個人の頭のなかに蓄えられ、次の発想の原点となる

 

このように考えると、創造のためにまず重要なのは知識の出会いであると言えるのではないでしょうか。こうした知識の出会いを作ることが集団による創造性発揮の基本ではないかと思われます。しかし、知識の出会いの場を広げていくことは実際にはそう易しいことではありません。これは、情報の交流は同類性の高い人々の間では活発になるが、同類性の高い人々は同じような情報しか持っていないことが多く、イノベーションに役立つ異類的な情報を入手するのには困難が伴う[文献2p.334]ことがその理由ではないでしょうか。情報の交流を活発化させるため、例えば、アイデア提案制度や、失敗事例の収集、知識のデータベース化など、個人の暗黙知や経験を表出化して集団で活用できるようにしようとする試みはいろいろとなされているようですが、ノート14にも述べたとおり、こうした試みは必ずしもうまくいっていないのが現実のようです。

 

従って、情報の交流による創造性の発揮を期待するならば、情報交流を促進するための仕組みとともにその仕組みを活性化する努力が必要になるのではないかと思われます。野中らが述べている組織的知識創造の仕組みの中では、ある目的のためにチームが編成されたり、チーム同士の協力が奨励されたりすることが効果的に作用していると言えるでしょう。これは単なる仕組みだけでなくその中に仕組みを活性化させる要因(例えば、特定の目的を達成するためにいろいろな人が協力しようとする共通認識やそれを推進するマネジャーの存在)があったのではないかと思われます。これに対し、そのような目的が希薄である(例えばテーマ探索、アイデア出し段階など)場合には、情報の交流には特別な努力が必要なのではないでしょうか。つまり、知識やアイデアを表出化し、形式知として情報交換できるようにする体制を作るとともに、例えば組織のゲートキーパーを結びつけるような制度や、情報交流の媒介をする担当者を置くことなどの施策を設けて情報交流の努力を行ない、その仕組みを活性化することが必要と考えます。

 

創造性を引き出すことを狙った仕組みを作ることは、例えて言えば、コーヒーに砂糖を入れるようなものではないでしょうか。砂糖を入れただけではいくら待ってもコーヒーはほとんど甘くなりません。誰かがかき混ぜるという努力を行なわなければ目的は果たせないでしょう。もし、水と油の混合によって発生するイノベーションに期待するなら、かき混ぜる努力は継続的に行なう必要があるはずです。

 

多角的な経営を行なっている企業の中には、それぞれの専門分野の知識を融合して、相乗効果(シナジー)を期待することもあると思いますし、「総合力」という名目で多面的な能力をアピールし、その成果を期待することもあると思います。しかし、丹羽の指摘のように、総合力の発揮によって成果を得ることはかなり難しい、というのが現実のようです[文献3p.94]。おそらく原理的には、異なる知識の出会いによる新たなイノベーションの創出に期待することは間違っていないと思いますが、マネジメントの方法にはまだまだ工夫が必要ということではないでしょうか。創造性を引き出す仕組みづくりとともに、その仕組みを活性化し、創造性を発揮させる努力を継続することが求められているのだと思います。

 

 

文献1Nonaka, I., Takeuchi, H., 1995、野中郁次郎、竹内弘高著、梅本勝博訳、「知識創造企業」、東洋経済新報社、1996.

文献2Rogers, E.M., 2003、エベレット・ロジャーズ著、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.

文献3:丹羽清、「イノベーション実践論」、東京大学出版会、2010.

 

関連記事:「『イノベーションの知恵』(野中郁次郎、勝見明著)感想」<2011.8.14リンク追加> 

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