イノベーション成功のためには、他者との協力が重要になります。その協力行動は利他行動と深い関係があると考えられますので、人間のもつ利他性について理解することは、よりよい協力関係を構築し、研究開発の成功確率を上げるうえで重要なことと言えるでしょう。小田亮著、「利他学」[文献1]では、人間の利他性、利他的行動はどのようなものか、なぜ人間はそのような行動や思考のパターンを持っているのかが解説されており、マネジメントを考える上でも示唆に富んだ指摘が多いと感じました。
本書の特徴は、利他性が進化の過程における淘汰によって人間に備わったもの、という観点から考察されていることでしょう。もちろん、進化の過程を厳密に証明することは不可能なのだと思いますが、なぜ人が利他性を持っているかについて考えることは、人間の性質をよりよく理解する助けになるでしょうし、その性質を考慮したマネジメントの有効性にもかかわってくると思います。以下、特に興味深いと感じた点、重要と感じた点をまとめます。
利他性とは
・「利他行動とは自分が何らかの損をして、相手が得をするという行動」[p.34]。
・「利他行動は自分の適応度を下げる」[p.40]。(「次世代にどの程度遺伝子を残したか、という度合いを『適応度』という[p.24]」。
・利他行動の「相手が血縁であれば、自分と同じ遺伝子を高い確率で共有しているので、相手の適応度の上昇を通じて自分の遺伝子が残っていく可能性がある[p.40-41](ハミルトンの法則)」
・「血縁関係にない相手を助けると、遺伝子が共有されていないので適応度は上がらない。しかし、後で相手から同じだけ返してもらえば、差し引きはゼロになり、どちらも損をしないうえに、お互い困っているときに助かるので、両方とも得をすることになる。このような場合には、非血縁個体に対する利他行動も進化しうる[p.41]」。(トリヴァースによる『互恵的利他行動』の理論)
・「助けてあげた相手から直接にではなく、全く別の人から間接的にお返しがあることがある。これを、『間接互恵性』と呼ぶ」[p.45]。
・評判の重要性:「誰かにした利他行動に対したとえ本人から直接的なお返しがなくても、それを見ていた第三者によって、『あの人は親切な人だ』という評判がたてば、その後のやりとりで利他的にふるまってもらえるだろう。(アレグザンダーによる)」[p.46]
・群淘汰(自分が損をしても、自分の種や属する集団が存続すればよい)は基本的にありえない[p.35,47](その集団内での利他的個体は残れない)。(ただし、例外も示されています。)
・利他行動をする個体どうしで集団を形成する場合、「利他的な集団の方が利己的な集団よりも全体としての適応度を上げることができれば、集団のための行動が進化しうる[p.47]。(ウィルソンによる『マルチレベル淘汰』)
つまり、利他的であることにより進化上有利になる状況がありうるため、人間持つ利他性は、進化の過程で生物として獲得した性質である可能性がある、ということになります。
利他性の発揮
・目の効果:「目の絵や写真があることが利他性を高める[p.64]」。「目の絵が罰への恐れを喚起するのではなく、状況を互恵的なものだと誤解させることによって、利他性を高めているのではないか[p.75]」。
・性淘汰の影響:「美人に見られていた男性は、より他者に対して気前よく振る舞う[p.81]」。
・利他的な罰:「利他的ではない他者を、わざわざコストを払って罰する傾向がある[p.66]」。
・私的自意識とは「自分の内面・気分など、外からは見えない自己の側面に注意を向けること[p.76]」。私的自意識が強いと、「自分の信念を明確にもち、それに従って生きようとする傾向がある[p.214]」。そういう人にとっては「状況如何にかかわらず一貫して利他性を示すことが重要[p.216]」。
・脳内活動:寄付行為によって脳内の線条体(快の刺激を得たときに活動する報酬系の一部といわれている)が活発になり、「他者に対して親切にふるまうという、そのこと自体を報酬と感じるしくみがあることが、脳研究から明らかになっている[p.216-217]」。
こうした傾向をみると、人間の持つ利他性には、理性による判断以外の性質が反映しているように思われます。
利他性の維持
・「互恵的利他行動が維持されていくためには、他人からは助けてもらうが、自分は何もしない裏切り者が大きな問題になる。」[p.92]
・裏切り者検知:「私たちには(中略)明らかな裏切り者を探すような『しくみ』が備わっているのではないか」[p.96]。(純粋な推論問題にするとあまり解けない問題も、表現を裏切り者を検知するというかたちにすると正解できる。)
・利他主義者検知:「私たちには(中略)利他主義者を見つけ出して微妙な裏切りを防ぐしくみ」[p.100]も備わっているようだ。例えば、微笑みの左右対称性で利他性を判断している[p.139]」。
・非利他主義者は記憶に残るが、利他主義者は記憶に残らない[p.114](非利他主義者を避ける傾向)。これは、裏切り者に罰を与えるほうが、利他主義者に報酬を与えるよりもコストがかからないことと関係するが影響しているかもしれない[p.117-118]。
・感情の影響:「道徳に関連するような感情は、互恵的利他行動への適応として進化してきたのではないか(トリヴァース)[p.120]」。例えば、他人に対する好き嫌い、友情、義憤、罪悪感(恩や親切に充分なお返しができなかったとき)、同情(相手を助けたいと思う感情)、感謝など。真面目な人に同情しやすいのは互恵的利他行動が期待できるからかもしれない。感謝は「逆行的利他行動(利他行動の受け手が第三者に利他行動を与えること)」の要因となる。これが間接互恵性を進化させた可能性がある。
自分の利他性を相手に伝える行動
・「利他的な人の方が周囲から利他行動をされやすいので、自分が利他的であることを実際よりも大げさに宣伝する方向に進化する」[p.132]。
・コミュニケーションとは:「平均すれば送り手が受け手の反応によって利益を得るような、ある動物から他の動物への信号の伝達」[p.139]。
・コストのかかる信号は正直な信号として機能する[p.146]。
・「信号の送り手は自分が利他的であることを宣伝するような信号を送るわけだが、受け手の方には、それが正直な信号であるかどうか見極める能力が進化する。[p.152]」
・相手を操作するための究極の信号が言語。[p.156]
利他性の起源と進化
・利他性の起源としては、共同繁殖[p.178]、抽出食物(食べられるようにするには何らかの処理が必要な食物)への依存(シルク、ボイド)[p.185]、教育行動[p.186]が考えられる。
・利他主義のニッチ:「生態系のなかで、それぞれの種は周囲の別の生物種、気温や湿度、地形などの物理的条件といったものと関わり、影響を受けている。これらの関わりを『ニッチ』と呼ぶ。」ニッチの考えかたは社会的環境についても使え、「他者に対して利他的にふるまう人は、それが報われるような社会的ニッチにおいて生活しているのではないか。」[p.207]
・「現代人が持っている大脳新皮質の割合に見合った集団サイズは、約150人」[p.221]。
・「私たちの利他性は、基本的には友人や知人のあいだでの互恵的な関係によって形成される『利他主義のニッチ』において育まれている。」「150人という認知的な限界を超えていくには、もうひとつ、人間がもつ大きな特徴が必要だ。それが、私たちがもつ道徳性である。」[p.223]
・制度:「非血縁である他者への利他行動は、何らかのお返しがあるということによって成り立っている。私たちにはそのお返しを確実にするためのさまざまな認知的適応があるのだが、これが制度として確立されることにより、はるかに効率的に利他性を発揮できるようになる。」[p.228]
・制度設計:「制度をうまく機能させたければ、単純に合理的なものにするのではなく、互恵性のような、私たちが進化によって身につけた性質をうまく引き出すようなかたちの設計にすることが考えられる。」[p.233]
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以上、やや断片的な知識や考え方の羅列のような面もありますが、利他性についての詳細はまだ研究途上のようです。本書中の説明にしても「考えられる」とか「可能性がある」とかのような表現で書かれていることが多いように思いましたが、これはこの分野の現在までの発展状況から考えてしかたのないことのように思います。ただ、著者もいうように、「進化心理学がなぜ有用なのかというと、心のしくみについて一貫した説明を与えてくれるからである。進化心理学者は、思いつきで、あるいは単なる経験則でモデルをつくるのではなく、進化と適応の結果としてどう考えられるか、という視点からさまざまな実験や調査を行う。」[p.86]という点には大きな期待ができるのではないでしょうか。特に研究開発のマネジメントにおいては、人や組織の能力をできるだけ引き出すことが重要です。そのためには、人の考え方や行動を支配する要因について知り、マネジメントしていかなければなりませんが、その理解や理論が完璧でない場合には、何らかの仮説に従って進めるしかありません。その時に、その仮説が妥当かどうかの見込みを得るために、「進化」という視点から一貫した解釈が可能かどうかはひとつのチェックポイントになるのではないでしょうか。例えば、人間を経済合理性に基づいて利己的に判断する生物と理解することは、進化の視点からみるとおそらく人間の一面しか捉えていないことが考えられます。そのような前提にたったマネジメントが果たして有効なのかどうか、それを見直すヒントを与えてくれると思います。また本書の最後の方に指摘されている、利他性を引き出す「制度設計」は、特に研究開発においては重要になるでしょう。研究開発における「協力」を目指したしくみは様々に提案されていますが、人間が本来持つ利他性の観点からそれらのしくみをより実効あるものにできるのではないか、という期待も持ちました。利他性には、進化の結果人間が生まれながらにもっている部分と、周囲に影響されて形成されていく部分があると思います。研究開発組織を利他主義のニッチととらえ、その集団の利他性を高めることが「協力」の活発化につながるように思いますが、いかがでしょうか。
文献1:小田亮、「利他学」、新潮社、2011. (参考) 「人はなぜ利他的行動を行うのか?進化的視点から人の心の行動の秘密を探る比較行動学の研究紹介:小田亮准教授」、名工大ラジオ http://radio3.nitech.ac.jp/?p=3404
参考リンク