研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

片づけるべき用事

イノベーションの方法(ファー、ダイアー著、「成功するイノベーションは何が違うのか?」より)

研究開発やイノベーションの方法は、取り組む課題に応じて変える必要がある、ということは多くの方が指摘していますし、私の経験からもそう思います。しかし、どういう場合にどのようにすべきか、ということはあまり明確になっていないというのが実情でしょう。

ただ、最近では、イノベーションの具体的手法について、かなり多くのことがわかってきていると思います。今回は、そうした具体的手法のなかから、ネイサン・ファー、ジェフリー・ダイアー著「成功するイノベーションは何が違うのか?」[文献1]に書かれた考え方をまとめておきたいと思います。なお、原著の表題は「The Innovator’s Method: Bringing the Lean Start-up into Your Organization」であり、Christensen氏の推薦の言葉「本書はイノベーションのプロセスを初めから終わりまで詳しく解説した初めての本だ[p.iii]」からもわかるように、最近の考え方も入れて、著者らが考えるベストの手法が解説されていて、実務家にとってもかなり役立つ内容になっているのではないかと思います。

序章、はじめに
・「本書で伝えたいことは、あらゆる分野で、不確実性の高い野心的なアイデアを検証するための新しい手法や視点が登場してきているということだ。リーンスタートアップであれ、デザイン思考であれ、アジャイルソフトウェア開発であれ、このような新しい手法は、マネジャーが新しいアイデアを生み出し、洗練させ、市場に投入して成功させるための今までの方法を根底からくつがえすものだ。・・・本書では既存企業のマネジャーが新しい取り組みを採用しやすくするために、『イノベーション実現メソッド』と呼ぶイノベーションを管理するための新しい方法論を提唱する。[p.2]」
・「一言で言えば、『イノベーション実現メソッド』とは、成果を上げているイノベータが、イノベーションの不確実性をうまく扱う際に使っているプロセスである。本当は顧客が欲しくないような製品を開発し、市場に投入することでリソースを無駄にしてしまう前に、独創的なインサイトをテストし、検証するプロセスである。[p.9]」
・「本書で紹介する類書にはない重要な考え方は、不確実性に対処するためには、新しいマネジメント手法が必要になるというものである。伝統的なマネジメント手法は、比較的確実な状況における課題にはうまく機能していたが、不確実な状況での課題に対しては機能しなかった。[p.21]」

第1章、イノベーション実現メソッドThe Innovator’s Method
・「企業が顧客を創造する能力に影響を与える不確実性には2つの種類がある。需要の不確実性(顧客はそれを買うのか?)と技術の不確実性(理想的なソリューションを提案できるのか)である。[p.25]」
・「抱えている課題の不確実性率が低い場合、おそらくこれまで使われていたマネジメント手法を適用することができるだろう。一方、不確実性率が高い場合、イノベーション実現メソッドが指針となるだろう。[p.34]」
・イノベーション実現メソッドの4つのステップ[p.40-41

ステップ1、インサイト――サプライズを味わう:「解決する価値のある課題についてのインサイトを幅広く探す」
ステップ2、課題――片づけるべき用事の発見:「ソリューションから考えるのではなく、・・・片づけるべき用事を探すことから始める」
ステップ3、ソリューション――最小限の素晴らしい製品のプロトタイピング:「完全版の製品を開発する代わりに、・・・プロトタイピングを繰り返し行い、・・・最終的には最小限の素晴らしい製品を開発する」
ステップ4、ビジネスモデル――「ソリューションの核心をおさえると、ビジネスモデルの他の要素を検証する準備が整ったことになる」
「各ステップは挑戦の要となる仮説を実験するため、『仮説、実験、学習』のループを繰り返し行なう」
・「実際は、これらのステップはお互いに重複したり、時には少し違った順序で起きることもある。[p.57]」

第2章、不確実な時代のリーダーシップLeadership in the Age of Uncertainty
・「テイラーの科学的管理法の原則・・・つまり課業の専門化、作業の標準化、説明責任、分業などは、・・・これまで大きな効果を上げてきたが、問題が一つある。この原則は、イノベーションのマネジメントのためには完全に間違っているのだ。顧客を維持するためのタスクを効率的に実行する場合には優れた原則なのだが、顧客を『創造する』・・・ための作業の指針としては、うまく機能しない。[p.60-61]」
・リーダーの主な4つの役割:
1、トップの実験者となる:「最も重要なことは、リーダーがトップの意思決定者ではなく、トップの実験者にならなければならないということ[p.66]」。「トップの実験者は、次の3つに注力している。挑戦の要となる仮説をチームでまとめる、仮説実験を通して素早く検証する、データ(多くの場合、顧客から収集したもの)を使って意思決定を行なう[p.69]」
2、大きな課題を設定する:「リーダーはメンバーが機会を探すように駆り立てなければならない[p.72]」
3、イノベーション実現メソッドについて幅広く、深い専門知識を構築する:「不確実な状況をマネジメントするには、これまでとは別の手法が必要だと理解してもらう何らかのトレーニングを全員が受ける必要があると考えている。[p.76-77]」
4、障壁を取り除き、実験を支援する:「イノベーションのための時間を割く」。顧客と専門家、そしてツールを与える。組織の障壁を取り除く。[p.82-86

第3章、インサイト――サプライズを味わう(Insight: Savor Surprises
・「イノベーションは、解決する価値がある課題についてのインサイトを生み出すことから始まる。・・・調査の結果、インサイトを生み出すきっかけとなるものは『サプライズ』だということがわかった。[p.95]」
・「前著『イノベーションのDNA』では、優れたイノベータがサプライズを見つけ、新たなインサイトを生み出す方法を解説した。同書では、『関連づけ思考』を引き起こす4つの行動を紹介している。関連づけ思考とは、一見無関係の情報やアイデアを結び付け、それらを新しい方法でまとめる能力である。・・・関連づけ思考とは、質問力や観察力、ネットワーク力、そして実験力を駆使して収集した情報を統合し、意味づけをしようとする脳の働きによって起きるものなのだ。・・・質問をすることは、新しい連想やインサイトを促進する原動力となる。・・・観察力は新しい視点を生み出す。・・・ネットワーキングを行って単に情報を入手するのではなく、多様な人とやり取りをし、新しいアイデアを手に入れる。・・・インサイトは絶えず実験を行うことによって得ることができる。[p.96-99]」
・インサイトを選ぶ:「不確実性の高い状況下で、見込みがあるアイデアを選ぶのは極めて難しいことなのだ。それよりも実験を行って、追求すべき優れたアイデアを検証するほうがよいのだ。[p.114]」
・「究極的には、アイデアを突き詰めていくための時間と機会を与えることが、会社として提供できる最も重要なことである。[p.116

第4章、課題――片づけるべき用事の発見(Problem – Discover the Job-o-Be-Done
・「『課題』には顧客の苦悩と願望の両方の意味がある・・・片づけるべき用事とは、顧客が製品を購入する理由となるニーズのことである。[p.43]」「すべての用事には機能的、社会的、感情的という3つの側面があり、これらの要素の重要性は用事ごとに異なっている。[p.120]」
・「どの用事が解決する価値があるか・・・の判断には、『収益につながる用事』を探すとよい。収益につながる用事とは、(1)お金を持っていて、(2)用事を解決するためにはお金を払う顧客の多くが抱えている重要なニーズや課題のことである。・・・どのような用事にも最大で3種類の顧客が存在する。その3種類とは、経済顧客(用事の解決にお金を払う顧客)、技術顧客(ソリューションを導入する顧客)、最終顧客(ソリューションを利用する顧客)である。[p.122]」
・収益につながる用事を見つける3種類のツール:ペイン・ストーミング(課題に関する仮説-カスタマー・ジャーニー・マップ-最も困っている根本原因を分析-顧客にとって最も重要な根本原因を選ぶ-根本原因の背後にある前提を特定し、顧客と共に実験する)、エスノグラフィー、アドバイス・インタビュー(顧客にインタビューする際にアドバイスを求める)[p.126-137]」
・解決に値する課題を見つけられたかどうかを確認するための2つのテスト:飛び込みテスト(売り込み電話やメールに顧客が時間を割いてくれるか)、スモークテスト(ウェブ上の「詳しくはこちら」などの行動喚起に反応した顧客を調査するなど)[p.140-144

第5章、ソリューション――最小限の素晴らしい製品のプロトタイピング(Solution: Prototype the Minimum “Awesome” Product
・ソリューション・ストーミング:「顧客に対して実験をしてソリューションを一つに絞り込む前に、幅広くソリューションを調査」。ヒントは類似性(自分の業界に近いか遠いか)、要素(部分か全体か)、観察可能性(過去の事例から学べるか)。[p.156-160
・4種類のプロトタイプ:理論上のプロトタイプ(「自分の考えをきちんと整ったイメージとして表現することで、ソリューションの使用ではなく、全体像を示すことができる」)、バーチャルプロトタイプ(ソリューションを持っているふりをする、「本物に見えるようなもの」)、実用最小限のプロトタイプ(「最小限の機能を組み合わせた製品で、顧客が抱える『核となる』課題を解決するものの、単独で動作する最小限の機能を持つ製品」「エリック・リースが『リーン・スタートアップ』で使っていた『製品』という言葉ではなく『プロトタイプ』という言葉を使う」)、最小限の素晴らしい製品(「顧客があらがうことができず、強い関心を抱くような素晴らしいもの」)。[p.162-179]」
・プロトタイプが「正しい」ものかどうかを確認する3つのテスト:ワオ・テスト(顧客が熱狂しているような様子が見られるか、どの程度わくわくするかを回答してもらう)、NPSテスト(ネット・プロモーター・スコア、製品やサービスを同僚や友人に勧めるかを尋ねる)、支払いテスト(「実際に料金を徴収するかどうかは別として、自社のソリューションに対して顧客がお金を払ってくれるようにお願い」してフィードバックを得る)[p.182-187

第6章、ビジネスモデル――市場投入戦略の検証(Business Model – Validate the Go-to-Market Strategy
・「ビジネスモデル」という用語は、顧客に価値を届ける、そして顧客から価値を得るための企業の全体的な戦略を意味している。[p.196]」
・ビジネスモデル・スナップショット:ビジネスモデルキャンバスの部分集合として6つの要素を抽出。価値提案(提供するソリューション)、価格戦略(ソリューションの価格をどうするか)、顧客との関係(顧客獲得の方法)、チャネル(顧客がソリューションを手にいれる方法)、主要活動(コスト構造)、リソース。[p.196-198
・顧客影響ピラミッド:顧客への影響は、自社に近く、コントロールしやすいものから、ターゲット顧客に近く顧客への影響が大きいものまである。自社に近いものから、1、パートナー、2、広告、プロモーション、ソーシャルメディア、3、インフルエンサー(参照顧客、専門家、同僚、出版物、メディア)、4、直接の推薦や口込み、となる。[p.213-217
・コスト構造:「固定費は前払い資金が必要になり、量に左右されやすい。不確実な状況下では、このような投資は危険なのだ。[p.220-221]」
・「破壊的イノベーションを既存のビジネスモデルに持ち込もうとする場合は、ほぼ間違いなく、既存のビジネスモデルを破壊しなければならない。新しい事業部を設立したり、既存の事業部から分離させたり、ビジネスモデル自体を検討するための個別の事業部を作ることまでしながら、新しいビジネスモデルを実践していくための機会を作ることを恐れてはならない。[p.223]」

第7章、ピボットのマスターMaster the Pivot
・「成果を上げたイノベータを研究した結果わかったことは、不確実な状況下で実施するビジネスのほとんどの時間は間違っているのだと『覚悟しておく』べきだということだ。・・・自分が間違っていることを素早く学び損ねることが失敗なのだ。[p.231]」
・「自分が間違っていることに気づいた時には変更をする必要がある。その変更がピボットである。[p.231]」
・「実際に変更する際には、すべてを投げだすのではなく、その過程で学習したことを利用して、片足は地に着けつづけるのだ。ピボットを行う際は、アイデアの一つの側面を変更する。・・・変更をするといっても、『ピボット』という言葉は、ソリューションを最適化したり、流通経路を精緻なものにしたりといった小さな変更を意味しているわけではない。そのような変更はイテレーションと呼んでいる。[p.232]」
・ピボットのタイミング:仮説検証結果に基づく(そのためには仮説が明確であることが必要)。見直しのタイミングをあらかじめ設定しておくこともよい。[p.237-239
・「不確実な状況下で学習するという前提で考えると、3つのテスト手法がある。それは仮説的、帰納的、演繹的なものの3つである。『仮説的』学習というのは、推論をするプロセスで、通常、直観に基づいたものである。例えば、顧客が求めている製品やサービスについての仮説を作るために、顧客にとって必要かどうかと実験するのではなく、実際に製品を作ってしまうような方法である。次の『帰納的』学習というのは、理論を構築するプロセスで、通常、推論に基づいて構築するのだが、その際にエスノグラフィーやインタビューなどの定性的な手法を活用する。・・・最後の『演繹的』学習は、理論を実験するプロセスで、通常、定量的な手法を使い、理論が正しいかどうかを証明する。[p.238]」「調査では、あまり成果を上げられていないマネジャーはアイデアの検証に一つの手法しか使っていない傾向があり、なかでもアンケート調査のような定量的なツールしか使っていなかった。[p.239]」
・「不確実性が高い課題を解決する初期段階では、範囲を狭める前に幅広く眼を向ける必要がある。[p.240-241]」
・「ピボットサイクルは延々と続けるべきなのだろうか。・・・答えは『ピボットによる急成長』地点を探すことだ。ピボットによる急成長は、変更を行ったあと、顧客の関心の軌跡に大きな変化が見られた場合に起きる。・・・ピボットを行っても、それぞれの変更に対してわずかな改善しか見られなかったり、かえって悪い結果になってしまう場合、現在の手法によって実現できることの限界に達しているのかもしれない。・・・12~18ヵ月の間に6~7回の大きなピボットを行ってもピボットによる急成長が実現できない場合、現在考えている課題やソリューションをあきらめ、まったく新しいものを探すタイミングかもしれない。[p.243-244]」
・「ピボットによる急成長を実現したあとは、その成長を最大化することに注力すべきである。[p.247]」
・「比喩として景色について考えてみると、平地や谷は機会がない状態を、丘は小さな機会がある状態を、そして山は大きな機会がある状態を表している。研究者たちの長年の調査によれば、多くの企業が小さな丘にはまってしまい、近くのより大きな機会の山を見損ねてしまっている。[p.250]」「時には視線を上げ、自分のそばに見逃してしまっているような機会の山がないかどうか確認しなければならない。[p.253]」

第8章、拡大Scale It
・「イノベーション実現メソッドを適用することに熟練している場合、拡大フェーズに移行する際に大きな困難に直面するかもしれない。・・・拡大フェーズになると・・・優れたイノベータは成果を上げられないマネジャーを生み出してしまう可能性がある。[p.255]」
・「プロジェクトに潜んでいる不確実性を素早く解消するためにイノベーション実現メソッドを適用すると、仮説が事実になり、未知のものが既知のものになり、不確実なものが確実なものになる。・・・イノベーションを起こすことから実行することに移行する際に、そのプロジェクトは、起業家的なマネジメントでも伝統的なマネジメントだけでも十分ではない、移行フェーズを通過することになる。この期間は、成熟した成長するビジネスに移行するため、二つのマネジメント慣習を効果的に融合する方法を学ぶ時期である。[p.257]」「インサイトや課題、ソリューション、ビジネスモデルを特定するために使うプロセスは、ビジネスを拡大する際には役に立たないということだ。伝統的なマネジメントの原則を取り入れる必要がある。[p.281]」
・拡大するタイミング:「一般に同じ種類の課題が繰り返し発生する場合、転換点に達していることになる。・・・転換点に達し、拡大するタイミングであることを示す別の二つの指標がある。それがソリューションの標準化とチームの成長である。[p.260-262]」
・「スタートアップが拡大していく際、最初の成長のあとに停滞を経験する場合が多く、創業チームはこの状況に困惑する。・・・ロジャーズ・・・が『イノベータ』や『アーリー・アダプター』と呼んでいるグループは、リスク許容度が高く、最先端に居続けるために新しいものを試すことをいとわないので、いかなるイノベーションでも最初に採用する。結果、このような顧客は可能性のあるイノベーションの欠点を気にとめず、利点を探そうとする。一方、『アーリー・マジョリティ』や『レイト・マジョリティ』と呼ばれるグループは異なる好みを持っている。・・・この違いについては、後にジェフリー・ムーアによって、企業が直面する『キャズムを超える』際の大きな課題として取り上げられた。アーリー・マジョリティやレイト・マジョリティは実用最小限の製品は求めていない。彼らが求めているのは『ホールプロダクト』である。ホールプロダクトとは、すべての機能が搭載され、機能的で、不具合がまったくないソリューションである。[p.264]」

第9章、イノベーション実現メソッドを機能させるMaking the Innovator’s Method Work for You
・「トップマネジメントチームがイノベーション実現メソッドの考え方を支援しなかったり、知らないような場合、どのようにすべきなのだろうか。イノベーション実現メソッドを自分自身や自分のチーム、あるいは組織で機能させるには、どのようにすればよいのだろうか。答えはイノベーション実現メソッドを自分の環境に合わせて編集することだ。[p.283]」「状況に合わせて手を加えたとしても、基本的な原則に照らして忠実に行う部分は残しておかなければならない。基本的な原則とは、課題を特定し、それを解決するために必要な仮説を特定し、コストをかけずに実験を行い、仮説を検証し、できる限り時間をかけずに学習をするということだ。[p.311-312]」

まとめ、不確実性を機会に変えるTurn Uncertainty into Opportunity
・「不確実性の高い状況下では、消えずに残る唯一の優位性は不確実性をマネジメントする能力である。・・・この不確実な時代において、学習速度は新しい競争優位である。[p.321-325]」
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どういう場合にどのようなイノベーションの進め方をとるべきか。著者の主張のポイントは、不確実性の程度に応じて方法を変えるべきだとしている点だと思います。そして、様々に提案されている手法の中から、特に不確実性の高いイノベーションにおいて有効な方法を選び出してまとめているところが本書の特徴といえるでしょう。もちろん、本書の方法が唯一というものでもないでしょうし、これからよりよい方法が提案され、イノベーション手法はさらに発展していくでしょう。しかし、基本的な方向性は本書で十分に示されているように思います。特に実務家にとっては、現時点での最も使いやすい指針と言えるように思いますがいかがでしょうか。


文献1:Nathan Furr, Jeff Dyer, 2014、ネイサン・ファー、ジェフリー・ダイアー著、新井宏征訳、「成功するイノベーションは何が違うのか?」、翔泳社、2015.
原著表題:The Innovator’s Method: Bringing the Lean Start-up into Your Organization

参考リンク




ノート6改訂版:研究部門が実施したいと考えるテーマ

1、研究開発テーマ設定とテーマ設定における注意点
1.1
研究活動における基本的な注意点
→ノート1~3
1.2
、研究テーマの設定
①企業収益に結び付くテーマ(事業的に成功が期待されるテーマ)→ノート4
②研究部門に求められるテーマ(企業が研究部門に求める活動と、それに付随する研究テーマ)→ノート5

③研究部門が実施したいと考えるテーマ(研究部門が主体的に提案するテーマ)
研究部門が行なう業務や研究テーマには、研究部門が主体的に考え、実行するものもあります。これは実質的には、企業組織において研究を担当する部門が、与えられた業務分担の範囲で、ある程度自主的に実施すべき内容を考え、実行するテーマということになります。②で説明した「研究部門に求められるテーマ」では、他部署の要求に応えることである程度研究の意義が認められやすいわけですが、「研究部門が実施したいと考えるテーマ」では、研究の内容やその意義自体も自らが判断しなければならない点が大きな違いです。何をアイデアの源として、どう研究テーマの形にしていくかを考えることから始めなければならないわけで、ここでは研究部隊で行なうテーマの発案を中心に、その時にどういう点に注意すべきかを考えたいと思います。

研究部門が発案するテーマは、一般に「ボトムアップ」のテーマと呼ばれることが多いと思います。これに対し、②で説明したテーマや課題は「トップダウン」、ということになります。トップダウン、ボトムアップのどちらが望ましいかという議論に関しては、不確定要素や不確実性の存在のため研究開発の計画は完全にトップダウンだけでは決められないことに特別の注意が必要[文献1、p.177]との指摘があります。また、形式知(形式的・論理的言語によって伝達できる知識)と暗黙知[文献5](特定状況における個人的な知識で、形式化したり他人に伝えたりするのが難しい知識)[文献6、p.88]の相互作用が組織的知識創造にとっと重要であるとの立場から、トップダウンモデルは形式知を扱うのに向いているが組織の第一線での暗黙知の成長を無視しており、ボトムアップモデルは暗黙知の処理が得意であるが暗黙知を組織全体に広めて共有することを難しくしており[文献6、p.187]、組織的知識創造のための最良の環境として「ミドル・アップダウン・マネジメント」が提案されています[文献6、p.238]。いずれにせよ、「ボトムアップ」テーマの重要性は広く認識されているものの、研究部門が持つ知的資源や能力をうまく活かすことが課題、ということになるようです。

研究テーマのアイデアの源に関しては、
「サイエンス・プッシュ」「テクノロジー・プッシュ」vs.「マーケット・プル」「デマンド・プル」
「シーズ志向」vs「ニーズ志向」
という区分がなされることがあります。

イノベーションがどのような過程で発生するかについて、過去(1950年代)においては、基礎的研究がイノベーションを生むという「サイエンス・プッシュ」の考え方が重要視されていたようです。これに対し、近年では科学技術と市場の間の双方向コミュニケーションの重要性が認識されて、上記のような「サイエンス・プッシュ」と「マーケット・プル」の2つの逆向きの流れを組み合わせる「カップリングモデル」を考慮すべきだと言われています[文献1p.119-121]。さらに、Tiddらは、テクノロジー・プッシュ型か、さもなくばニーズ・プル(必要は発明の母)型かのどちらかといったアプローチの限界は明らかであり、現実には、イノベーションとは何かと何かを結びつけ調和させていくプロセスであって、相互作用こそが最も重要な要素である[文献2p.54]と指摘しています。また、Rogersは「知覚されたニーズがイノベーション過程を始動させたり、イノベーションの知識がそれに対するニーズを創出したりする」[文献3p.410]と述べており、同様の見解は他にもみられます[文献4p.149]

このように、イノベーションにとってはいわゆるシーズとニーズの双方が必要ということは広く認識されていることのようですが、にもかかわらずシーズ志向の研究というものは企業内では評判が悪いように思われます。この原因としては、シーズ志向の研究は、古典的な企業経営の手法すなわち、企業内外の環境分析に基づいて戦略的に目標を設定し、それを効率的に実行するという考え方になじみにくいことがまずあげられるでしょう。それに加え、開発(あるいは導入)された技術と、製品や実機に使えるような技術との間のギャップ(レディネス・ギャップ)を誰がどのように埋めるかがはっきりしないために「研究所で生み出された技術は、市場よりもサイエンスに近いものとして評判が悪い」[文献7p.232]と判断されてしまうこともあると思われます。

これに対し、ニーズ志向の考え方は、その研究がうまくいけば収益が上がるはずだ、という期待から、テーマ設定において重視される場合があります。しかし、真のニーズを理解することはそう容易ではない、として、ニーズ志向の考え方に否定的な見解を持つ人もいるようです。例えば、顧客にヒヤリングして得たニーズは、実現できた方がよいという程度の顧客の希望であることも多く、また、何らかのイノベーションが実現した後になって初めて、顧客がそうしたニーズがあったことに気づく場合もあると言われます。破壊的イノベーションの理論では、真のニーズとは、「片づけるべき用事」[例えば文献4、p.119]に基づくものとされ、その真のニーズを見出す方法として行動観察などのエスノグラフィー的な手法が着目されています。ニーズというと、顧客や、顧客と接する他部署から与えられるものと考えがちですが、好ましくは、研究部隊がニーズの把握段階から関与すべきものなのかもしれません。結局のところ、ニーズ志向、シーズ志向という考え方については、二者択一ではなく、両者を重視したテーマ設定が求められるようになってきているということのようです。

ただ、シーズを創造し、磨くことは多くの場合研究部門に求められる、研究部門ならではの業務です。特に技術的シーズに関しては、専門的な知識や訓練が必要とされることが多いため、研究部門以外の部署では取り扱いが困難な場合もあるでしょう。従って、シーズに基づく研究テーマが求められる場合には、研究部門がその検討を行なうことが最も合理的ということになります。研究部門にとっても、技術シーズは身近に存在するため、シーズを発展させるプロセスに技術者が関与する余地が大きく、成果も得やすいというメリットもあって、取り組みやすいものです。さらに、シーズ技術がそれ自身で(ニーズがなくても)成長し、さらに新たなシーズを生み出す可能性がある点も重要でしょう。

シーズ技術のもつこのような特性は、セレンディピティーにも繋がるものと考えられます。セレンディピティーとは、偶然に幸運な予想外の発見をする能力を指し、Robertsは、以下の2種類に分類しています。[文献1、p.198] [文献8、p.ix]
・擬セレンディピティー(pseudoserendipity):追い求めていたことを、偶然に発見できること
・真のセレンディピティー(true serendipity):思ってもみなかったことを、偶然に発見できること
このうち、真のセレンディピティーは「予想外」の結果に基づくものであるため、オリジナルなものとなることが多く、差異化のためには特に重要と考えられます(擬セレンディピティーであっても発見に偶然を必要とするものは同様です)。セレンディピティーに恵まれれば、それは競合他社が容易に達成できる成果ではなく、技術的に優位に立つための重要な足がかりになるはずです。ただ、真のセレンディピティーは、目的志向を強く意識した研究においては目的外の結果や単なる異常値として見逃されてしまうこともありうるので、注意が必要です。

このように、いわゆるシーズ志向のテーマは、ニーズとの組み合わせでイノベーションを達成するための重要な要素となると考えられますが、シーズとしては、現有の技術を単に深めるだけではなく、外部の技術、埋もれた技術、失敗の結果に終わった技術なども加える必要があるでしょう。そして、真のニーズを理解した上で、シーズとニーズをうまく組み合わせて、より可能性の高い研究テーマを、研究部門が実施したいと考えるテーマとして実施していく努力をすべきなのだと考えます。

考察:実践的な研究テーマの分類について
このノートでは、基礎研究、応用研究といった研究の分類についての議論は行なっていません(「」参照)。それは、こうした研究の分類は実践的にあまり役に立たないように思われるためですが、ノート4~6において、3つの側面から研究テーマの性格の違いについて議論しました。研究というものは、その内容や位置づけなどが異なっていれば、その効果的な進め方や注意点は当然違って然るべきと考えられますが、もし、テーマをうまく分類することによって、そうした好ましい進め方に関する理解が深まるならば、そうした分類には意味があるのではないかと考えています。

ノート4~6で試みた3つの視点によるテーマの分類は、それぞれが排他的なものではなく、同時に2種類の特徴を持つテーマや時間の経過とともにその分類が変わっていくテーマも想定しているものです。ただ、この分類は、誰がその研究テーマを主体的に判断するかが異なっていること、それによって、研究部門の役割と注意点が変わってくることが、特徴としてあげられると思います。具体的には以下に示すとおりです。
①企業収益に結び付くテーマ(事業的に成功が期待されるテーマ):判断主体は経営層。最終的に経営に寄与することを目指すため、全社的なテーマとなる可能性があり、研究部門の役割は、全社的なテーマ推進の中で分担する役割をこなすことになる。経営層への専門的助言も役割のひとつ。
②研究部門に求められるテーマ(企業が研究部門に求める活動と、それに付随する研究テーマ):判断主体は研究部門以外の部署。研究部門の役割は、まず外部からの期待に応えること。その上で、よりよいものを生み出せれば望ましい。
③研究部門が実施したいと考えるテーマ(研究部門が主体的に提案するテーマ):判断主体は研究部門。研究部門の役割は、イノベーションの種を生み、育てること。シーズであろうとニーズであろうと、あらゆる情報を集めて組み合わせて種を生む研究部門の能力が問われる。

もちろん、こうした視点は、現状では私のアイデアにすぎませんが、企業における研究部門の役割を考えると、このように分類することは、それぞれのテーマの効果的な遂行方法を考える手がかりになるのではないかと思っています。


文献1:丹羽清、「技術経営論」、東京大学出版会、2006.
文献2:Tidd, J., Bessant, J., Pavitt, K., 2001、後藤晃、鈴木潤監訳、「イノベーションの経営学」、NTT出版、2004.
文献3:Rogers, E.M., 2003、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.
文献4:Anthony, S.D., Johnson, M.W., Sinfield, J.V., Altman, E.J., 2008、栗原潔訳、「イノベーションへの解実践編」、翔泳社、2008.
文献5:Polanyi, M., 1966、高橋勇夫訳「暗黙知の次元」、筑摩書房、2003.
文献6:Nonaka, I., Takeuchi, H., 1995、梅本勝博訳、「知識創造企業」、東洋経済新報社、1996.
文献7:Leonard-Barton, D., 1995、阿部孝太郎、田畑暁生訳、「知識の源泉」、ダイヤモンド社、2001.
文献8:Roberts R.M., 1989、安藤喬志訳、「セレンディピティー」、化学同人、1993.

参考リンク

ノート目次へのリンク


「ホワイトスペース戦略」-ビジネスモデルイノベーションの方法

すぐれた技術だけでイノベーションを成功に導くことができないことはよく指摘されます。マーク・ジョンソン著「ホワイトスペース戦略」[文献1]ではイノベーションにおけるビジネスモデルの重要性と、ビジネスモデルイノベーションのノウハウが述べられており、技術とイノベーションの問題を考える上で参考になると思われますので、今回はその紹介をさせていただきたいと思います。なお、邦題からはキム、モボルニュによる「ブルーオーシャン戦略」[文献2]の二番煎じのような印象を受けてしまいますが、原著の題名は「Seizing the White Space, Business Model Innovation for Growth and Renewal」で、述べられている内容も視点も全く異なっています。ちなみに著者は、Innosight社(破壊的イノベーションの提唱者Christensen氏が共同設立者になっているコンサルタント会社)の会長ですので、イノベーションのジレンマ、破壊的イノベーションの考え方の影響を受けていることは予備知識として持っていると理解がスムーズかもしれません。実際、その考え方を発展させた内容になっていました。

さて、昨年(2011年)は、スティーブ・ジョブズ氏によるアップルの飛躍について多くの記事が発表されました。本書では、アップルの復活について、iPodiTunesストアにより、「新しい形で顧客に価値を提供」し、この「ビジネスモデル・イノベーションの成功により、アップルは息を吹き返した」[文献1p.39]と分析しています。MacintoshにしてもiPodにしても、アップルとジョブズ氏は製品に使われている技術を一から開発したのではないことはよく指摘されますが、その成功の秘訣は単によい製品を開発して販売しただけではなかったことは多くの人の認めるところでしょう。

本書の目的は、このような「ビジネスモデル・イノベーションを無計画・無秩序なプロセスではなく、計画的で予測可能なプロセスに変える手助けをすることにある」[文献1p.47]としています。つまり、ジョブズ氏のような天才がおそらくは意図せずに成し遂げたようなビジネスモデル・イノベーションを「マネジメント可能なものに、つまり理解可能で再現可能なプロセスに」[文献1p.260]しようとするものです。以下、その主張を見てみましょう。

まず、「ホワイトスペース」について、本書では「その企業の既存のビジネスモデルが活動の対象としていない領域」であって「新しいビジネスモデルを確立しないと生かせない領域」であるとしています[文献1p.28]。そして「ホワイトスペースで成功するためには、これまでとは異なる新しいスキル、新しい強み、新しいビジネスの手法が求められる。自社のビジネスの最も中核をなす部分を革新し、自社が実践している『ビジネスの理論』にイノベーションを起こす必要がある。そのプロセスが『ビジネスモデル・イノベーション』である」[文献1p.36]としています。しかしそのビジネスモデルイノベーションが難しいのは、そもそもビジネスモデルとは何かを正しく理解している人がきわめて少ないことが理由だと著者は指摘したうえで[文献1p.46]、ビジネスモデルの基本要素として次の4つのポイントを挙げています。


ビジネスモデルの基本要素[文献1p.52-85]

・顧客価値提案:一定の金銭的対価と引き換えに、顧客がそれまでより有効に、あるいは確実に、便利に、安価に、重要な懸案を解決したり、課題を成し遂げたりするのを助ける商品やサービスの提供。

・利益方程式:企業がどのように自社と株主のために価値をつくり出すかという青写真。収益モデル、コスト構造、商品やサービス一単位あたりの目標利益率、経営資源の回転率の四つの変数で構成される。

・主要経営資源:顧客価値提案を実現するために必要な人材、テクノロジー、商品、施設・設備、納入業者、流通経路、資金、ブランドなど。

・主要業務プロセス:持続可能、再現可能、拡張可能、管理可能な形で顧客価値提案を実現するための手段。

その上で、これらの要素をまとめあげ、システムのバランスを保つために、ビジネスのルール、行動規範、評価基準が必要とされます。

ここで、顧客価値提案の目指すべきものは、顧客にとって重要な未解決のジョブとされます。これは、Christensenによって「片づけるべき用事」とされているもので、顧客は「特定のジョブを成し遂げるためにその商品を『雇って』いる」[文献1p.55]というレビットの考え方に基づいていて、「顧客がどのような商品を買いたがるかを推測するのではなく、顧客がどのようなジョブを成し遂げたいと思っているかを考えるべきだ」ということが重要なポイントになります。このようなジョブを見極めるためには顧客の行動観察(エスノグラフィー手法と理解できます)が活用可能であることはChristensenも指摘していますが、この要素をビジネスモデルイノベーションを考える上での第一に持ってきたことが著者の考え方の特徴と言えるでしょう。

つづいて、どのようなホワイトスペースに、どんな場合に進出する必要があるかについて述べられます。

・内なるホワイトスペース(既存の市場を変革する):既存の市場(既存の顧客)のニーズが変化し、競争の基準(機能性、信頼性、利便性、価格)が変化した場合、特に利便性と価格のニーズが変化した場合。[文献1、第3]

・かなたのホワイトスペース(新しい市場をつくる):現在の顧客ではない層(=非消費者)を対象に新しい市場をつくりだす場合。[文献1、第4]

・はざまのホワイトスペース(市場の地殻変動-原著の表現はIndustry Discontinuity-に対処する):市場、テクノロジー、政府の政策に予測不能あるいは劇的な変化が起こる場合。[文献1、第5]

具体的なビジネスモデルイノベーションの進め方として提示される内容は次のとおりです。

・第1ステップ:未解決の重要なジョブを抱える現実の顧客のニーズを満足させる方法を考える。顧客のジョブの発見には、顧客の希望を調査するよりは解決したい課題を調査することが重要。この時、機能面だけでなく、情緒的、社会的な面も考慮する。[文献1、第6]

・第2ステップ:顧客のジョブを解決しながら利益をあげる青写真を描く(ビジネスモデルの枠組みを活用)。顧客価値提案として、何をどのように売るかを考える。売る方法については、顧客が商品やサービスを手に入れる方法、料金を支払う方法を考え、顧客価値提案の実現によって力強い成長が生まれるという筋書きを描けるかを確認する。利益方程式の設計は、試行錯誤を含む仮説のマネジメントが必要であることを意識し、成長を実現させるための財務シナリオを複数描けるかを確認する。[文献1、第6]

・第3ステップ:顧客価値提案と利益方程式を現実化するためにどのような経営資源、業務プロセスを準備すべきかを明らかにする。ビジネスモデルを実際に導入しながら仮説を検証して修正していく。収益性の確認のため、早期に安価に頻繁にテストをおこない、利益をあげることは過度に急がない。ビジネスモデルの育成期に既存事業の干渉を許さないようにする。既存企業の場合、既存の組織と統合するか分離するかを慎重に判断する。[文献1、第7]

特に既存企業特有の課題として、イノベーションに対する既存のビジネスモデルの抵抗があることを認識しておくべきであって、既存のルール、行動規範、評価基準が新事業への進出を阻むことがある点には注意が必要としています[文献1、第8]。思うに、既存企業でのビジネスモデルイノベーションや、新事業への進出を目指したM&Aがなかなかうまくいかないのはこれが一因ということなのでしょう。

本書では、上記以外にも考え方の指針や、ビジネスモデルの類型[文献1p.138,198]に加え多くの事例が紹介されていますので、具体的な戦略を考える場合には参考になると思われます。上記の考え方はごくあたりまえのことである、という意見もあると思いますが、本書の重要な点はビジネスモデルを議論する際に役立つ枠組みを提案していることではないでしょうか。実際、今自分の働いている会社、競合の会社がどんなビジネスモデルで収益を挙げているのかを上記の基準でしっかりと認識できているかというと、意外にわかっていないかもしれません。持続的イノベーションなら今までのビジネスモデルを暗黙の前提として引き継げばよいかもしれませんが、新事業を考えるならどんなビジネスモデルを想定するのかをはっきりさせる必要があるはずです。ただし、著者は「本書で示したものが唯一絶対の枠組みだと言うつもりはない。自社のホワイトスペースについて理解を深めるための一つの有益なレンズとして使ってほしい」[文献1p.263]と述べていますので、これもまた仮説のひとつと理解すべきでしょうが、少なくともビジネスモデルをいい加減にしたままで新事業を考えてはいけないということは著者の重要な主張のひとつと言えるでしょう。

最初に述べたとおり、本書は基本的に破壊的イノベーションの考え方に基づいて書かれています。片づけるべき用事(ジョブ)、非消費者を対象とした新市場創造、最初は小さく始めること、既存事業との分離、仮説のマネジメントなどの考え方は破壊的イノベーションを成功に導く要因として過去に発表されたものです。ホワイトスペースへの進出と破壊的イノベーションは同義ではありませんが、破壊的イノベーションの中にはビジネスモデルイノベーションがかなり含まれていて、具体的な進め方には共通する要素がかなりある、というのが著者の考え方であって、その具体的な枠組みを本書で提供していると言う意味で、本書は破壊的イノベーションの思想を発展させたものと言えるように思います。

イノベーションというととかく技術的要因が注目されがちですが、少なくとも企業にとって収益を挙げることを前提として考えるならば、ビジネスモデルイノベーションの寄与は無視できない時代になっているように思います。これはおそらく、従来であればイノベーションにおける技術の寄与が大きかったため、ビジネスモデルにはあまり工夫しなくてもよかったということが背景にあるでしょう。本書の考え方でいえば今までは商品の機能性や信頼性が問題になっていたということになります。しかし、機能性や信頼性が顧客のジョブに対して十分な程度にまで進歩し、その技術を手に入れることも容易になってくると、技術の寄与の重要性が相対的に低下してくることは考えられます。Christensenが、根本的な問題が優れたアイデアの不足であることはほとんどない[文献3p.19]と述べていることもビジネスモデルイノベーションの重要性を示唆しているのではないでしょうか。もちろん、本書でもテクノロジーの変化がホワイトスペースを生むことは指摘されていますし、ビジネスモデルを試してみて、その不具合を技術的に改良していく必要がある場面もあるはずですので、技術を持つことが不要ということにはならないでしょう。そうすると、ビジネスモデルイノベーションにおける技術の役割は、技術が必要とされる場面でのイノベーションの実現可能性の拡大、技術改良の能力を確保しておくことになるのかもしれません。技術者としては技術で勝負をしたいという気持ちになるのはわからなくもありませんが、技術開発の成果を収益に結びつけたいならば、ビジネスモデルまで考慮する必要がある、そんな時代になっていることは自覚しておくべきであろうと思われます。


文献1Mark W. Johnson, 2010、マーク・ジョンソン著、池村千秋訳、「ホワイトスペース戦略 ビジネスモデルの<空白>をねらえ」、阪急コミュニケーションズ、2011.

原著のwebページ

http://www.seizingthewhitespace.com/

文献2Kim, W.C., Mauborgne, R., 2005W・チャン・キム、レネ・モボルニュ著、有賀裕子訳、「ブルー・オーシャン戦略 競争のない世界を創造する」、ランダムハウス講談社、2005.

文献3Christensen, C.M, Raynor, M.E, 2003、クレイトン・クリステンセン、マイケル・レイナー著、桜井祐子訳、「イノベーションへの解」、翔泳社、2003.

参考リンク<2012.7.8追加>


 

 

エスノグラフィーとイノベーション

i.schoolについて取り上げた時に、「エスノグラフィー」という言葉が登場しました。最近の「日経ビジネス」誌2010.12.6号にエスノグラフィーの記事がありましたので、エスノグラフィーについてまとめてみたいと思います。

 

日経ビジネス誌記事[文献1]の簡単な紹介

エスノグラフィーとは、文化人類学や社会学の調査手法で、集団の内部に入り込み長期間の観察やインタビューを行なうことで、豊富な定性情報を取得するフィールドワーク手法、ということですが、この手法を企業におけるマーケティングや既存業務の見直しに活用する事例が増えるにつれ、注目が高まっているようです。この手法が得意とするところは、消費者や働く人が自分自身でも気付いていないような潜在的な意識や思考の理由などを探しだす点ですが、時間とコストがかかることが欠点と言われていました。しかし、近年ITを活用した調査ツールの発達により、エスノグラフィー調査が容易になってきたことから、活用を図る企業が増えているようです。記事では活用の事例として、大阪ガス(行動観察研究所)、富士通(フィールド・イノベーション)の事例が詳しく述べられていますが、その他にも、国内ではがんこフードサービス、北海道日本ハムファイターズ、花王、博報堂、アキレス、富士ゼロックス、海外ではインテル、ノキア、サムスンなどで活用が進められているそうです。大阪ガスや富士通では社内の調査にとどまらず、ホテルや病院などからの依頼も受けており、今後応用範囲が広がると期待されている、とのことです。

 

エスノグラフィーと市場調査、マーケットリサーチ

エスノグラフィーのビジネスへの活用は市場調査に関連した分野から始まったようです。特に従来の市場調査、マーケティングに関する以下のような問題点に対する反省が出発点とされています[文献2、文献3]

【従来の市場調査やマーケティング活動についての6つの誤り】(ジェラルド・ザルトマン著『心脳マーケティング』(2005)からの抜粋[文献2、文献3から引用しました]

1. 生活者の思考プロセスは筋の通った合理的なものである

2. 生活者は自らの思考プロセスと行動を容易に説明することができる

3. 生活者の心・脳・体、そしてそれを取り巻く文化や社会は、個々に独立した事象として調査することが可能である

4. 生活者の記憶には彼らの経験が正確に表れる

5. 生活者は言葉で考える

6. 企業から生活者にメッセージを送りさえすれば、マーケターの思うままに、これらのメッセージを解釈してくれる

 

こうした背景から、市場調査の世界ではすでにエスノグラフィーは重要な手法であると認識されているようで[文献4]、その特徴は、「あえて事前に仮説を立てずに、定性調査を重ねて豊富な情報から仮説を見つけ出すのが特徴。従来型の消費者調査が仮説検証型とすれば、エスノグラフィは仮説発見型といえる。データベースやアンケート、グループインタビューなどに比べて、より深く消費者の本音やこだわりに迫ることができるという」[文献5]ということです。そして、そこから「インサイト」すなわち、1)データでは見えてこない真実、2)心の奥深くに存在する自覚のない感情やニーズ、3)ビジネスを成長させる可能性を秘めるもの(P&G Japan桐山社長による定義)[文献6]が得られるとしています。これに対し、従来の調査に比べ調査手法に問題があり定量性に欠けると批判されることもあるようで[文献6]、さらに、「行動観察の結果から『大きな発見』があることはマレと考えた方がよい。」[文献7]という意見もあるようです。結局のところ、エスノグラフィーから得られた結果をどのように利用するかに応じて考えるべきなのでしょう。

 

エスノグラフィーの発展とイノベーションへの適用

こうしたエスノグラフィー手法を市場調査以外の分野にも展開させようというのが最近の傾向のようで、エスノグラフィー活用の国際会議も開催されています[文献8]。おそらくその背景には、人間の行動についての洞察が新たな恩恵をもたらすのではないかという期待があるのでしょう。顧客調査以外の分野では、業務における行動を観察して改善しようとする方向が着目されているようです。こうした分野では従来IEIndustrial Engineering)手法により、作業時間を計測したり、物の配置や人の動線に注目した分析が行なわれたりしていましたが、エスノグラフィーは、人の意識やモチベーションを分析するという新たな視点を追加することになります[文献9,10]。この分野でも市場調査同様、従来手法の行き詰まり、批判があったのかもしれません。

 

こうした流れに従えば、エスノグラフィーがイノベーションやビジネス全般に取り入れられること(「ビジネス・エスノグラフィー」とも呼ばれるようです)は自然の成り行きと言えるでしょう[文献11、文献12]i.schoolでも取り上げられているのが「人間中心のイノベーション」という考え方ですが、単に顧客の声を聞く、あるいは市場調査で売れるものを探る、といった視点だけでなく、潜在的な真のニーズを探りそれを出発点にイノベーションを行なおうとするアプローチと考えられます。すでにIDEOKellyはイノベーションにおける「人類学者」の重要性を指摘していますし[文献13]、潜在的な真のニーズを把握することの重要性は、Christensenも「片づけるべき用事」という概念で提示しています。Christensenらによれば、「顧客の思考プロセスには、まず何かを片づけなくてはという認識が生じ、次に彼らはその用事をできるだけ効果的に、手軽に、そして安くこなせる物または人を雇おうとする。」[文献14p.92]「顧客は製品を『買う』のではなく、自分の『用事』を片づけるために、その製品を『雇う』ということだ。ゆえに、新たな成長の機会を探すためには、まず、現時点で利用可能なソリューションではうまく片づけられない『用事』を探すことが必要になる」[文献15p.120]とし、従来の市場調査のあり方に疑問を呈し、どんな用事を片づけようとして製品を雇うかについて観察やインタビューから明らかにすることが有効であった事例を挙げています。エスノグラフィーの手法が顧客ニーズに基づくイノベーションの出発点を設定する上で有効に機能しうる、というのは間違いのないところではないでしょうか。

 

ただ、有効だろうとは言っても、イノベーション実現のためには課題もあると思います。第一には、エスノグラフィーが最も効果的だと考えられるのが、人間の関与が重要な役割を持つ種類のイノベーションであって、かつ真実のニーズ、真実の問題点が明確になっていない場合であろう、という点です。もちろん、人間の行動に着目しようとする視点は今までとは異なるもので、大きな可能性があるとは思いますが、プロセスや物の扱いが主要な役割を持つイノベーションには適用が難しいと思われますので、エスノグラフィー適用の範囲がどの程度広がりうるのかは未知数と考えられます。また、課題の第二としては、新たなニーズや問題点が明らかになったとして、そのニーズを満たし、問題点を解決する方法については別に考えておかないといけない点が挙げられると思います。問題点の解決に専門的な技術を必要とする場合、そうした技術を保有する人との連携が必要になるでしょう。これは、いわゆる「ニーズとシーズのマッチング」の問題と考えられるとも思いますが、そうした方策を用意する必要があるということです。また、単に真実を明らかにするためではなく、問題解決を前提とした調査を行なおうとする場合には、どうしても手持ちのシーズに調査結果が影響されるのではないか、すなわち、手持ちのシーズ技術によって解決できるような問題点に目が向いてしまいがちなのではないか、という点も懸念されます。第三は、イノベーションによる競争優位の獲得という観点からの課題です。エスノグラフィーを導入することによって導入しないケースに比べた競争優位を獲得できるとしても、エスノグラフィーが標準的な手法になった場合には、それだけで競争優位は獲得できず、ニーズや問題点の把握の巧拙、あるいは解決手段の独自性などが必要になるだろう、という問題点です。そして、最後の点として、調査によって抽出されたニーズや課題をイノベーションの材料とし、それをいろいろな部署との協働で形にしていく段階で、協働のためのモチベーションをつくりあげられるか、という点です。一般に研究者は、できることしかやろうとしない、と言われます(ノート7でまとめたモチベーション理論から言えば、努力が成果に結び付く期待が小さければモチベーションがあがらないとされますので当然の行動だと考えられますが)。上述のニーズとシーズのマッチングとも関連しますが、調査と解決を分担しようとするような場合、調査担当者から解決すべき課題を投げかけられただけでは、解決を任された人々は積極的に課題に取り組めるだろうか、という問題があると思います。おそらく、調査担当者が解決のプロセスにも深くかかわっていく必要があるのではないでしょうか。ただ、エスノグラフィーの場合、調査対象に深く入り込むことが必要とされるため、調査対象が問題解決にあたるような状況の場合には、ありきたりのアンケート調査などよりは成果にむすびつきやすいのではないかとも思われます。

 

上記のような問題点が感じられるものの、イノベーションの入り口に近い段階における解決すべき課題の設定においてはエスノグラフィーは効果的な手法となりうるのではないか、と思われます。上記の問題点に注意をすれば、入口段階がネックになっているイノベーションの成功の確率を高めることのできる手法として期待してよいのではないでしょうか。コストや時間がかかる欠点があると言われていますので、そうした点に耐えることのできる企業でなければその恩恵に浴することはできないかもしれませんが、どのような成功事例を生むことができるのか、注目していく価値は大きいと思います。

 

 

文献1:上木貴博、「エスノグラフィー 人類学に学ぶ現場主義」、日経ビジネス、2010.12.6号、p.78.

文献2:橋本紀子、「『エスノグラフィ』という手法」、RANDOM誌、vol.53p.1(2007).<2013.1.12現在リンク切れ>

http://www.rad.co.jp/random/53/11_ethno.html

文献3TWAKさんのブログ記事、「かんかく雑記:エスノグラフィー&行動観察調査 現状まとめ」<2013.1.12現在リンク切れ>

http://tanoshiikankaku.com/Entry/29/

文献4Shigeru Kishikawaさんのブログ記事、「オンライン・エスノグラフィ調査」

http://www.minnanomr.com/2010/02/blog-post_15.html

文献5:上木貴博、「花王 消費者調査にエスノグラフィー手法を導入」、ITpro

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/JIREI/20090209/324475/

文献6Shigeru Kishikawaさんのブログ記事、「こんな「調査部」ならいらない?」

http://www.minnanomr.com/2010/12/blog-post.html

文献7:石井栄造さんのブログ記事、「今、脚光を浴びる行動観察」

http://auraebisu.blog53.fc2.com/blog-entry-180.html

文献8http://www.epiconference.com/epic2010/about

文献9:石垣一司、指田直樹、矢島彩子、「業務把握インタビュー手法」、FUJITSU誌、vol.58No.3p.188、(2007.

http://img.jp.fujitsu.com/downloads/jp/jmag/vol58-3/paper04.pdf

文献10:岸本孝治、寺沢真紀、平田貞代、「ビジネス・エスノグラフィと組織モニターによるワークスタイル変革」、FUJITSU誌、vol.60No.6p.591、(2009.

http://img.jp.fujitsu.com/downloads/jp/jmag/vol60-6/paper09.pdf

文献11:読売ADリポート「オッホ」20101011月号 特集・イノベーションのためのエスノグラフィー

http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/tokusyu/20101005/201010toku1.html

文献12:田村大、「人間中心イノベーションとは~ビジネス・エスノグラフィが探求すること~」、慶應MCC通信【てらこや】、Vol.94 [2010/12/14]

http://www.keiomcc.net/terakoya/2010/12/report94.html

文献13Tom Kelly, Jonathan Littman2005、トム・ケリー、ジョナサン・リットマン著、鈴木主税訳、「イノベーションの達人! 発想する会社をつくる10の人材」、早川書房、2006.

文献14Christensen, C.M, Raynor, M.E, 2003、クレイトン・クリステンセン、マイケル・レイナー著、桜井祐子訳、「イノベーションへの解」、翔泳社、2003.

文献15Anthony, S.D., Johnson, M.W., Sinfield, J.V., Altman, E.J., 2008、スコット・アンソニー、マーク・ジョンソン、ジョセフ・シンフィールド、エリザベス・アルトマン著、栗原潔訳、「イノベーションへの解実践編」、翔泳社、2008.


参考リンク<2011.8.14追加>
 

 

 

 

 

 

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