研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

行動経済学

「ずる 嘘とごまかしの行動経済学」(ダン・アリエリー著)より

行動経済学の発展とともに、経済合理性だけで人間の意思決定と行動が理解できるものではないことは広く認識されるようになってきたと思います。本ブログでも、心理学と行動経済学の立場から意思決定について議論されているカーネマンの著書(「ファスト&スロー」)を紹介しましたが、今回はカーネマンがあまり議論していなかった「不正」の問題について、ダン・アリエリー著、「ずる 嘘とごまかしの行動経済学」[文献1]に基づいて考えてみたいと思います。

原著の表題は「The (Honest) Truth about Dishonesty, How We Lie to Everyone – Especially Ourselves」です。著者は序章で、次のように述べています。「この本の一番の目的は、不正行為を駆り立てると考えられているが・・・実はそうでないことが多い、合理的な費用便益の力と、重要でないと思われがちだが、実は重要なことの多い、不合理な力について調べることにある。・・・不正行為が起きるのは、一人の人が費用便益分析をして大金を盗むからとは限らない。むしろ多くの人が、現金や商品をちょっとだけくすねることを、心のなかでくり返し正当化する結果として起きることの方が多いのだ。この本では、わたしたちをこうしたずるに駆り立てる力について考えるとともに、正直さを保つためには何が必要かを、さらにくわしく調べていく。また何がきっかけで不正が醜い頭をもたげるのか、わたしたちが自分の利益のためにずるをしながら、自分に対する肯定的な見方をどうやって保つのかを説明する。わたしたちの行動のこの側面が、不正のほとんどを成り立たせているのだ[p.17]」。以下、その詳細を見ていきましょう。

第1章、シンプルな合理的犯罪モデル(SMORC)を検証する

SMORC (Simple Model of Rational Crime)とは、合理的経済学の立場からベッカーによって提唱された不正行為についての概念で、「3つの基本要素からなっている。(1)犯罪から得られる便益、(2)つかまる確率、そして(3)つかまった場合に予想される処罰だ。合理的な人間は、最初の要素(便益)と残りの2つの要素(費用)とを天秤にかけて、一つひとつの犯罪が実行に値するかしないかを判断できるというのだ。」[p.23

・不正が可能な状況において、不正を行なうかどうかを調べた実験によれば、多くの人がちょっとずつごまかしをする、ごまかしによる報酬が増えてもごまかしは増えない、ごまかしが見つかる確率が増えてもごまかしに大きな影響は与えない、という結果が得られた。すなわち、「不正が単に費用と便益を分析した結果行なわれるわけではない[p.36]」。「わたしたちは『そこそこ正直な人間』という自己イメージを保てる水準まで、ごまかしをするのだ。[p.32]」

・つじつま合わせ仮説:「わたしたちはほんのちょっとだけごまかしをする分には、ごまかしから利益を得ながら、自分をすばらしい人物だと思い続けることができるのだ。この両者のバランスをとろうとする行為こそが、自分を正当化するプロセスであり、わたしたちが『つじつま合わせ仮説』と名付けたものの根幹なのだ。[p.37]」

第2章、つじつま合わせ仮説Fun with the Fudge Factor):

・「『つじつま合わせ係数』と訳したfudge factorとは、科学で理論値と観測値との間にズレが見られるとき、つじつまを合わせるために導入される、補正項のこと[訳者あとがき、p.299]」。

・「不正の動機となるのは、主に個人のつじつま合わせ係数であって、SMORCではない・・・。犯罪を減らすには、人が自分の行動を正当化する、その方法を変えなくてはいけないことを、つじつま合わせ係数は教えてくれる。利己的な要求を正当化する能力が高まると、つじつま合わせ係数も大きくなり、その結果、不品行や不正行為をしても違和感を覚えにくくなる。また逆も言える。自分の行動を正当化する能力が低くなれば、つじつま合わせ係数は小さくなり、不品行やごまかしに違和感をもちやすくなる。[p.66]」

・不正をしやすいのは、例えば、不正行為とそれがもたらす結果の間の心理的距離が大きいとき。また、「鉛筆やトークンといった、金銭ではないものを前にすると、本物の現金を前にしたときより不正をしやすい[p.43]」。「道徳規範を思い出そうとするだけでも、道徳的な行動を促す効果があるようだ[p.51]」。「自分の行動が不正行為の実行から離れているときや、わかりにくいとき、また正当化しやすいとき、・・・不正をしやすいと感じる。・・・ルールに解釈の余地があるときや、判断があいまいなグレーな領域があるとき、自分の成績を自分で評価するときには、不正をしやすくなる[p.77-78]」。

第3章、自分の動機で目が曇るBlinded by Our Own Motivations):

・利益相反(conflicts of interests)は行動に影響を及ぼす。金銭的利益だけでなく、恩義を返したい、借りを返したいという感情も利益相反の原因となる。利益相反を避けるために行われる開示や公開主義は必ずしもよい結果を生むとは限らない。「わたしたちは自分の金銭的動機にどれほど目を曇らされているかを自覚する必要がある。利益相反のからむ状況には大きな不都合があることをわきまえ、また利益相反の費用が便益を上回るときには、慎重に排除しようとしなくてはならない。[p.108]」

第4章、なぜ疲れているとしくじるのかWhy We Blow It When We’re Tired):

・「消耗すると論理的思考力が多少低下すること、またそれとともに道徳的に行動する能力も衰えることがわかった。[p.121]」

第5章、なぜにせものを身につけるとごまかしをしたくなるのか(Why Wearing Fakes Makes Us Cheat More

・「にせものをそれと知りつつ身につけると、道徳的な抑制力がいくぶん弱まり、その結果不正の道に歩を進めやすくなる[p.142]」。「人は、偽造製品のせいで自分自身が不正直な行動をとるようになるだけでなく、他人のこともあまり正直でないと見なすようになる[p.151]」。「いったん自分の規範を破る(ダイエットでずるをしたり、金銭的報酬を得るためにごまかしをする)ようになると、自分の行動を抑えようという努力をずっと放棄しやすくなる[p.146]」、これが『どうにでもなれ』効果。「人は何かの『ふりをする』と、自分の行動と自己イメージ、それに周りの人たちに対する見方が変わる[p.152]」。

・「一つの反道徳的行為は、また別の行為につながる可能性が高く、一つの領域での反道徳的行為が、ほかの領域での道徳心に影響を与え得ることは明らかだ。これを踏まえて、不正行為の初期兆候に注目し、満開になる前、出芽期のうちに芽を摘むよう、全力を尽くさなくてはならない。[p.157]」

第6章、自分自身を欺くCheating Ourselves):

・「人は自分のはったりを自分で信じるようになることが多い[p.177]」。

・「自己欺瞞は、自信過剰や楽観主義に近いもので、・・・よい面もあれば悪い面もある。よい面としては、根拠のない自信のおかげで、ストレスにうまく対処できるようになり、全体的な健康感が高まる、困難な仕事や退屈な仕事にとりくむ根気がでてくる、まったく新しいことを試す意欲がわいてくる、といったことがあげられる。・・・悪い面としては、人生をあまりにも楽観視して甘い考えで行動していると、万事がうまくいくと誤って思いこみ、よりよい決定を積極的に下そうとしなくなるかもしれない。・・・過大な思いこみをもっていると、現実が押し寄せてきたとき、深く傷つくことになる。[p.179-180]」

第7章、創造性と不正――わたしたちはみな物語を語るCreativity and Dishonesty – We Are All Storytellers

・「創造性の高い人たちは不正をする度合いも高かった。だが知能と不正の間には、何の相関性もなかった[p.199]」。「創造性と不正の間の関連性は、自分が正しいことをしていなくても、『正しいことをしている』という物語を自分に言い聞かせる能力と関係があるように思われる。創造的な人ほど、自分の利己的な利益を正当化する、もっともらしい物語を考え出せるのだ。[p.194]」

・「わたしたちがいったん人やものに対していらだちを感じると、自分の反道徳的行動を正当化しやすくなる・・・この場合不正は、自分をいらだたせたそもそもの原因に対する代償を求める行為、つまり報復と化す[p.201]」。

第8章、感染症としての不正行為――不正菌に感染するしくみCheating as an Infection: How We Catch the Dishonesty Germ

・「ごまかしには感染性があり、周りの人の問題行動を目撃することで量が増える場合がある・・・ごまかしをする人が自分と同じ社会集団に属しているとき、わたしたちはその人を自分と重ね合わせ、ごまかしが社会的により受け入れられやすくなったと感じる。だがごまかしをする人がよそ者だと、自分の不品行を正当化しにくくなり、その不道徳な人物や、その人が属するほかの(ずっと道徳性の低い)外集団から距離を置きたいという願望から、かえって倫理性を高める[p.231-232]」。

第9章、協働して行なう不正行為――なぜ一人よりみんなの方がずるをしやすいのかCollaborative Cheating: Why Two Heads Aren’t Necessarily Better Than One):

・「利他性はごまかしを促し、直接の監視はごまかしを抑える効果があるが、協力者が交流を図る機会を与えられてから監視し合うような状況に置かれると、利他的なごまかしが監視効果を圧倒することがわかった[p.255]」。

・「協働は生活に欠かせない要素だ。しかし、協働が諸刃の剣だということもはっきりしている。協働は一方で楽しみや忠誠心、モチベーションを高める。だがその一方で、ごまかしの可能性も高めるのだ。・・・もちろん、集団で仕事をするのはやめ、協働を中止し、互いを思いやるべきでないなどとは言わない。だが協働と親近感の高まりに潜む代償は、肝に銘じる必要がある。[p.261]」

第10章、半・楽観的なエンディング――人はそれほどごまかしをしない!A Semioptimistic Ending: People Don’t Cheat Enough

・「ある種の要因(たとえば不正をして得られる金額や、つかまる確率など)が人におよぼす影響は、一般に考えられているよりずっと小さい。逆に、予想以上に大きな影響をおよぼす要因もある。道徳心を呼び起こすもの、現金からの距離、利益相反、消耗、偽造品、捏造した成績を思い出させるもの、創造性、他人の不正行為を目撃すること、チームメンバーへの思いやりなどがそうだ。[p.264-265]」

・「文化的文脈は、主に2つの方法で不正に影響をおよぼすことがある。一つは、特定の活動を道徳的領域のなかにひきずりこんだり、ひきずり出したりする方法。もう一つは、特定の領域で妥当と見なされているつじつま合わせ係数の大きさを変える方法だ。・・・一部の社会では眉をひそめられるごまかし(脱税や不倫、ソフトウェアの違法ダウンロード、車がいないときの信号無視など)が、ほかの文化では支障がないと思われていたり、武勇伝になることさえある。[p.270]」

・「自分の望ましいとは言えない行動が、本当は何によって引き起こされているのか、それをよりよく理解すれば、自分の行動をコントロールし、結果を改善する方法を見つけられるようになる。これが社会科学の真の目的なのだ。この探究の旅が今後ますます重要に、ますます興味深くなることを、わたしは確信している。[p.284]」

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本書で取り上げられた不正は、主に、だれもが手を染めてしまうようなちょっとした「ずる」であって、大きな不正ではありません(もちろん、ちょっとした不正が、大きな不正に繋がる可能性は大いにあるでしょうから、大きな不正に関係ない行動であるとは思いません)。企業における研究活動においても、このような「ずる」の可能性は日常的に発生します。例えば、本書にも指摘がありますが、実験データから異常値を除外する必要がある場合、あいまいな結果の解釈をする場合など、「ずる」をするつもりはなくても、恣意的な判断や、論証の手抜き(これは「ずる」と言えるでしょうが)が入り込んでくる可能性はあります(ヒューリスティックスはまさにそうした状況にあるともいえるかもしれません)。もちろん、そうした恣意的な判断の可能性をすべて考慮し検証した上で結論を導ければ理想的ですが、現実的には、ある程度の証拠に基づいて暫定的な結論を得て、それによって次のステップに進まなければならないこともあります。もちろん、そうした暫定的判断が後日覆されることはありえますので、誤りの可能性は推論に伴う「リスク」として、受け入れなければなりません。そんな時、どのような状況で、「ずる」をしがちになるのかがわかっていれば、暫定的な判断をし、それを評価し、結果を扱う上での誤りに気づきやすくなるわけで、それは実務的にも有用な知識と言えると思います。

本書の指摘で特に重要な点は、そのような「ずる」をするかしないかが、損得や、倫理観や論理以外の要因で決まることがある、ということではないでしょうか。おそらく、より心理的に本能に近い判断(カーネマンのいう「システム1」)に深く関わるものではないかという気がします。不正について深く考えることが倫理学の守備範囲だとすれば、論理的、哲学的に倫理を極めるアプローチに対して、人間の心理的作用を加味した本書のアプローチは、「行動倫理学」(経済学+心理学→行動経済学、というおおまかな理解のアナロジーによる思いつきの造語ですが)とでも呼べる考え方なのではないかと思います。道徳心が関わる意思決定のよりどころとなる理論が導かれるのではないか、という期待を込めて、今後の発展に注目していきたいと思います。

 

文献1:Dan Aariely, 2012、ダン・アリエリー著、櫻井祐子訳、「ずる 嘘とごまかしの行動経済学」、早川書房、2012.

 

(参考)著者webページ

http://danariely.com/

「ファスト&スロー」(カーネマン著)より

今回は、心理学者であり、ノーベル経済学賞受賞者のダニエル・カーネマンによる「ファスト&スロー」[文献1]についてとりあげたいと思います。本ブログでも、ヒューリスティクスやバイアス、意思決定感性限界の問題について触れてきましたが、行動経済学の創始者の一人とされ、心理学者としてこうした問題を研究してきたカーネマンによって述べられる内容は、この分野の基礎となりうるものだと思います。以下、各章の内容を簡単にまとめてみたいと思います。

第1部、2つのシステム:判断と選択を2つのシステムで説明する二重過程理論に基づくアプローチが取り上げられます。

第1章、登場するキャラクター――システム1(速い思考)とシステム2(遅い思考):「『システム1』は自動的に高速で働き、努力はまったく不要か、必要であってもわずかである。・・・『システム2』は、複雑な計算など頭を使わなければできない困難な知的活動にしかるべき注意を割り当てる。」「考えたり行動したりすることの大半は、システム1から発している。だがものごとがややこしくなってくると、システム2が主導権を握る。・・・システム1とシステム2の分担はきわめて効率的にできている。すなわち、努力を最小化し成果を最適化するようになっている」。思い違いという錯覚を『認知的錯覚(cognitive illusion)』と呼ぶ。

第2章、注意と努力――衝動的で直観的なシステム1:「システム2にしかできない重要な仕事は・・・努力や自制を要する仕事で、このようなタスクの実行中には、システム1の直感や衝動は押しのけられる。」

第3章、怠け者のコントローラー――論理思考能力を備えたシステム2:「システム2が忙殺されているときには、システム1が行動に大きな影響力を持つ」。「システム2に困難な要求を強いる活動は、セルフコントロールを必要とする。そしてセルフコントロールを発揮すれば、消耗し不快になる。」「システム2は論理思考能力を備えていて注意深い。しかし、少なくとも一部の人のシステム2は怠け者である」。システム1、システム2の名称を最初に提案したのは、スタノビッチとウェスト(最近ではタイプ1、タイプ2という表現)。

第4章、連想マシン――私たちを誘惑するプライム(先行刺激):システム1は状況をできるだけ筋道の通るものにしようと試み、因果関係に仕立てる。プライミング効果(priming effect)により、「自分では意識してもいなかった出来事がプライムとなって、行動や感情に影響を与える。」

第5章、認知容易性――慣れ親しんだものが好き:繰り返された経験、見やすい表示、プライムのあったアイデア、機嫌がいい状態などは認知容易性(cognitive ease)をもたらし、親しみ、信頼、快感、楽だという感じを引き起こす。慣れ親しんだものは好きになる、これが単純接触効果(mere exposure effect)。

第6章、基準、驚き、因果関係――システム1のすばらしさと限界:システム1は周囲の状況を連想によって関連づけ、世界を表すモデルを構築し、その予想に反することに驚く。システム1は手持ちの断片的な知識を結びつけて、つじつまの合う因果関係をこしらえる。

第7章、結論に飛びつくマシン――自分が見たものがすべて:「システム1はだまされやすく、信じたがるバイアスを備えている。」「自分の信念を肯定する証拠を意図的に探すことを確証方略と呼び、システム2はじつはこのやり方で仮説を検証する」(確証バイアスconfirmation bias)。「ある人のすべてを、自分の目で確かめてもいないことまで含めて好ましく思う(または全部を嫌いになる)傾向は、ハロー効果(Halo effect)として知られる。」システム1の形成する世界のモデルは現実以上に一貫性がある。「限られた手元情報に基づいて結論に飛びつく傾向は、・・・自分の見たものがすべて(what you see is all there is, WYSIATI)だと決めてかかり、見えないものは存在しないとばかり、探そうともしないことに由来する。」「情報の質にも量にもひどく無頓着」

第8章、判断はこう下される――サムの頭のよさを身長に換算したら?:「システム1は、とりたてて目的もなく、自分の頭の中と外で起きていることを常時モニターし、状況のさまざまな面を絶えず評価している。こうした日常モニタリングは、難しい問題の置き換えに威力を発揮し、直感的判断で重要な役割を果たす。これが、ヒューリスティックスとバイアスの基本である。」システム1は平均はうまく扱えるが、合計は苦手。含まれているものの数を無視しがち。システム1には、他に、次元の異なる価値を変換して比較する能力(レベル合わせ、intensity matching)、「状況のある面だけを評価しようとしても、そこに照準を合わせることができず、日常モニタリングも含めた他の情報処理が自動的に始まってしまう(メンタル・ショットガン、(mental shotgun)」傾向がある。

第9章、より簡単な質問に応える――ターゲット質問とヒューリスティック質問:「もともと答えるべき質問を『ターゲット質問』、代わりに答える簡単な質問を『ヒューリスティック質問』と呼ぶ」。「ヒューリスティックスの専門的な定義は、『困難な質問に対して、適切ではあるが往々にして不完全な答えをみつけるための単純な手続き』」。「スロビックは、好き嫌いによって判断が決まってしまう『感情ヒューリスティック(affect heuristic)』の存在を提唱している。」

第2部、ヒューリスティックスとバイアス

第10章、少数の法則――統計に関する直感を疑え:「少数の法則とは、大数の法則は小さな数にも当てはまるとする法則」(これは研究者に対する皮肉)。「小さい標本に対する過剰な信頼は、より一般的な錯覚の一例にすぎない。その錯覚とは、私たちはメッセージの内容に注意を奪われ、その信頼性を示す情報にはあまり注意しないことである。その結果、自分を取り巻く世界を、データが裏付ける以上に単純で一貫性のあるものとして捉えてしまう。」「連想マシンには、原因を探すという性質がある。」

第11章、アンカー――数字による暗示:「ある未知の数値を見積もる前に何らかの特定の数値を示されると、・・・見積もりはその特定の数値の近くにとどまったまま、どうしても離れることができない。」この現象が、アンカリング効果(anchoring effect)(または係留効果)。

第12章、利用可能性ヒューリスティック――手近な例には要注意:事例が頭に思い浮かぶたやすさ、予想していたほどたやすく思いだせるかどうかで頻度を判断するのが、利用可能性ヒューリスティック(availability heuristic)。

第13章、利用可能性、感情、リスク――専門家と一般市民の意見が対立したとき:感情ヒューリスティックは置き換えの一種であり、難しい質問(それについて自分はどう考えるか?)の代わりに、やさしい質問(自分はそれを好きか?)に答えている。「政策立案者は、市民を現実の危険から守るだけでなく、不安からも守るべく努力しなければならない。」

第14章、トム・Wの専攻――「代表性」と「基準率」:代表性(representativeness)とはステレオタイプとの類似性。基準率(base rate)とは、もともとの存在比率。「確率(可能性)を見積もるのは難しいが、類似性を判断するのはたやすい。」「ステレオタイプには一面の真実があり、それが代表性の判断を支配している。」「だが、ステレオタイプが誤解に基づいていて、代表性ヒューリスティックが判断を誤らせることもよくある。とりわけ基準率が代表性とはちがうことを示唆しているときに、基準率情報を無視するのは、誤判断につながりやすい。」

第15章、リンダ――「もっともらしさ」による錯誤:2つの事象が重なって起きることと単一の事象を直接比較したうえで、前者の確率が高いと判断する錯誤が『連言錯誤(conjunction fallacy)』。「つじつまの合うストーリーの大半は、必ずしも最も起こりやすいわけではないが、もっともらしくは見える。そしてよく注意していないと、一貫性、もっともらしさ、起こりやすさ(確率)の概念は簡単に混同してしまう。」

第16章、原因と統計――驚くべき事実と驚くべき事例:基準率には2種類ある。「一つは『統計的基準率』で、これは母集団に関する事実である。しかしこの数字は、個々の予測では無視されがちである。もう一つは『因果的基準率』で、こちらは個々の予測を変える効果がある。」因果的基準率とは因果関係を確率的に表現したようなもの。驚くべき個別の事例は強烈なインパクトを与える。

第17章、平均への回帰――誉めても叱っても結果は同じ:ランダムな値の変動に基づく平均への回帰(regression to the mean)は理解されにくい。「回帰が検出されると、ただちに理由づけが始まる。だがこれは誤りだ。平均回帰を説明することはできても、原因は存在しない。」「システム2がこれを理解困難と感じるのは、のべつ因果関係で解釈したがるシステム1の習性のせい」

第18章、直感的予測の修正――バイアスを取り除くには:「根拠薄弱な情報に基づいて極端に偏った予測やごく稀な事象を予測するのは、どちらもシステム1のなせる技である。・・・システム1は、手元情報がら作り出せるストーリーの筋が通っているときほど自信を持つので、ごく当然のように自信過剰な判断を下す。・・・直感は極端に偏った予測を立てやすいものだと肝に銘じ、直感的予測を過信しないよう気をつける」べき。

第3部、自信過剰

第19章、わかったつもり――後知恵とハロー効果:「人間の脳の一般的な限界として、過去における自分の理解の状態や過去に持っていた自分の意見を正確に再構築できない」。その結果、「必然的に、過去の事象に対して感じた驚きを後になって過小評価することになる。」これが後知恵バイアス(hindsight bias)。「企業の成功あるいは失敗の物語が読者の心を捉えて離さないのは、脳が欲しているものを与えてくれるからだ。・・・こうした物語は『わかったような気になる』錯覚を誘発し、あっという間に価値のなくなる教訓を読者に垂れる。」

第20章、妥当性の錯覚――自信は当てにならない:「自分たちの予測が当てずっぽうより少しましであることを知っていた。それでもなお、自分たちの評価は妥当だと感じていた。」これが妥当性の錯覚(illusion of validity)。「強い主観的な自信がいくらあっても、それは予測精度を保証するものではない」。「とはいえ、近い将来に関する限り、評論家の知見には価値がある。」

第21章、直感対アルゴリズム――専門家の判断は統計より劣る:予測困難な問題に関して、専門家の予測が単純なアルゴリズムに負けてしまうのは、いろいろな要因を複雑に組み合わせて予測を立てようとすること、複雑な情報をまとめて判断しようとすると一貫性が欠けてしまうことのため。

第22章、エキスパートの直感は信用できるか――直感とスキル:直感がスキルとして習得できる可能性が高いのは、「十分に予見可能な規則性を備えた環境であること、長期間にわたる訓練を通じてそうした規則性を学ぶ機会があること」。

第23章、外部情報に基づくアプローチ――なぜ予想ははずれるのか:「ベストケース・シナリオに非現実的なほど近い、類似のケースに関する統計データを参照すれば改善の余地がある」、ような計画や予測が「計画の錯誤」と呼ばれる。

第24章、資本主義の原動力――楽観的な起業家:楽観的な自信過剰が楽観バイアス。意思決定にあたっては、よい面も悪い面もあるが、「ものごとを実行する段になったら、楽観主義はプラスの効果の方が大きいだろう。」「学術研究も失敗率が高く、楽観主義が成功に必須の分野ではないかと私はつねづね考えている。」

第4部、選択

第25章、ベルヌーイの誤り――効用は「参照点」からの変化に左右される:「富の効用によって幸福の度合いが決まる」という「ベルヌーイの理論はまちがっている。」「感じるしあわせは、当初の富の状態に対する変化によって決まるのである。この当初の状態を参照点(reference point)と呼ぶ。

第26章、プロスペクト理論――「参照点」と「損失回避」という2つのツール:プロスペクト理論の3つの認知的特徴は、1)評価が参照点に対して行われること、2)感応度低減性(diminishing sensitivity)、3)損失回避性(loss aversion)。合理的経済人であるエコンに対し、ふつうの人であるヒューマンを想定している。

第27章、保有効果――使用目的の財と交換目的の財:持っているだけで価値が高まるような場合を「保有効果(endowment effect)」と呼ぶ。自分が使用する目的で保有する財と、交換する目的での財との違いが影響する。

第28章、悪い出来事――利益を得るより損失を避けたい:「損失回避は現状の変更を最小限にとどめようとする強い保守的な傾向であり、組織にも個人にも見受けられる。近所付き合いや結婚生活や職場で安定した状態が維持されるのは、こうした保守的な傾向が寄与しているといえよう。」

第29章、四分割パターン――私たちがリスクを追うとき:選好の四分割パターンは、1)高い確率で大きな利得を手にできる見込みを前にすると、人々はリスク回避的になる(確実な利得を選ぶ)。2)低い確率で大きな利得が得られる場合、リスク追求する(宝くじなど)、3)低い確率で大きな損失がある場合、リスク回避的になり平安を買う(保険など)、4)高い確率で大きな損失がある場合、リスク追求的になりなんとか損を防ごうとする。

第30章、めったにない出来事――「分母の無視」による過大な評価:「稀な事象の確率がよく過大評価されるのは、記憶の確証バイアスが働くから」。頭の中で現実のものとして思い描くと確率が過大評価され、それでない場合は一転して無視される(稀な事象を経験していないから)。

第31章、リスクポリシー――リスクを伴う決定を合理的に扱う:「私たちは『見たものがすべて』と考えやすく、頭を使うことを面倒くさがる傾向がある。・・・私たちは、自分の選好をつねに首尾一貫したものにしたいとも思っていないし、そのための知的資源も持ち合わせていない。私たちの選好は、合理的経済主体モデルで想定されているような美しい整合性にはほど遠い」。リスクポリシーを決め、広いフレーミングをすることはバイアスを打ち消す効果がある。

第32章、メンタル・アカウンティング――日々の生活を切り盛りする「心理会計」:投資家が銘柄ごとに勘定を設定し、その勘定を最後は黒字で締めたいと考えていることは、気質効果(disposition effect)と呼ばれる。「他にもっとよい投資先があるにもかかわらず、損を出している勘定に追加資金を投じる決断は、『サンクコストの錯誤(sunk-cost fallacy)』として知られる。後悔を避ける気持ち、あらゆるリスクの増加を認めないトレードオフのタブー視も意思決定に影響する。

第33章、選好の逆転――単独評価と並列評価の不一致:「単独評価の場合には、システム1の感情反応が強く反映されるため、一貫性を欠きやすい。」

第34章、フレームと客観的事実――エコンのように合理的にはなれない:問題の提示の仕方が考えや選好に不合理な影響をおよぼす現象がフレーミング効果。こうした場合には選好は問題のフレームの好き嫌いと解釈できる。「大事なのは、こうした認知的錯覚の存在を示す証拠は否定できないこと」。

第5部、二つの自己

第35章、二つの自己――「経験する自己」と「記憶する自己」:経験する自己(experiencing self)は今の状態を評価する。記憶する自己(remembering self)はそのうちの代表的な瞬間だけで代表させる(ピークと終了時(ピーク・エンド)を評価、持続時間は無視)。

第36章、人生は物語――エンディングがすべてを決める:人生におけるしあわせの評価もピーク・エンドに左右され、持続時間は無視される。

第37章、「経験する自己」の幸福感――しあわせはお金で買えますか?:「所得が多いほど生活満足度は高まる」が、「閾値を超えると所得に伴う幸福感の増え方は、平均してなんとゼロになる。」「人々の生活評価と実際の生活での経験は、関連性はあるとしても、やはり別物」。

第38章、人生について考える――幸福の感じ方:「私たちは、幸福の概念を複合的に捉える必要性を認め、二つの自己それぞれの幸福を考えるべきだろう。」そのとき注意が向けられていた生活の一要素が、総合評価において不相応に大きな位置を占めることを「焦点錯覚(focusing illusion)」と呼ぶ。

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以上が本書に述べられた概念のまとめです。できる限り短くまとめたかったので、多少無理しているところがありますが、ご容赦ください。ちなみに著者は、結論の章で、次のように述べています。「私たちは、自分自身の判断や意思決定をどうしたら向上させられるだろうか。・・・一言で言えば、よほど努力をしない限り、ほとんど成果は望めない。・・・システム1に起因するエラーを防ぐ方法は、原理的には簡単である。認知的な地雷原に自分が入り込んでいる徴候を見落とさず、思考をスローダウンさせ、システム2の応援を求めればよい。・・・だが残念ながら、最も必要なときに限って、こうした賢明な手段はめったに講じられないものである。・・・それに引き換え、他人が地雷原に迷い込もうとしているときにそれを指摘するのは、自分の場合よりはるかに簡単である。・・・ことエラーの防止に関する限り、組織のほうが個人よりすぐれている。組織は本来的に思考のペースが遅く、また規律をもって手続きに従うことを強制できるからだ。・・・一部なりとも明確な用語の定義を決めて共通の文化を浸透させ、地雷原に近づいたらお互いに警告を発することができるのも、組織の強みである。・・・建設的に批判するスキルには、的確な語彙が欠かせない・・・オフィスでの井戸端会議が質的に向上し語彙が的確になれば、よりよい意思決定に直結するだろう[下p.272-274]」。人間の認知、意思決定に存在する問題点を認識することがまず必要なことは言うまでもありませんが、問題への対処法として組織的な協力が示唆されている点が特に意義深いと感じました。人間の思考と行動を理解する上で、これからの基本的概念になりうるものだと思うのですが、いかがでしょうか。


文献1:Daniel Kahneman, 2011、ダニエル・カーネマン著、村井章子訳、「ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか? 上、下」、早川書房、2012.

原著表題:Thinking, Fast and Slow

原著webページ:http://us.macmillan.com/thinkingfastandslow/DanielKahneman


 

 

「感性の限界」(高橋昌一郎著)より

高橋昌一郎著、「感性の限界」[文献1]の感想です。以前に本ブログで同じ著者の「理性の限界」「知性の限界」について書かせていただきましたが、本書はその続編(姉妹編?)です。本書では前2作よりも「人間」についての話題が多く取り上げられていること、前2作の観念的(哲学的、思索的)な話題から少し変わって、最近の成果も含むより実験科学的な話題が多く議論されていることが特徴だと思います。前2作同様、科学と人の関わりを考える上で興味深い話題がわかりやすく述べられており、非常に参考になりました。

著者は、「なぜ人間は『空気』に支配されやすいのだろうか?」「なぜ理性的であるはずの人間が(中略)『愚かな』集団行動を取るのだろうか?」「人間は、『論理』や『情報』とは別のアプローチによって、結論を導いているという可能性が出てくる。理性や知性とは別の感性によるアプローチとは、いったい何なのだろうか?」などを本書の主題の一例として挙げています[p.249-253]。要するに、私たち人間の思考や行動の本質、メカニズムはどうなっているのか、そこから何が言えるのか、といったことが取り上げられているわけですが、その中から私が特に興味深く感じた点を以下にまとめておきたいと思います。

第1章、行為の限界

1、愛とは何か:外界からの刺激を受けて体内で起こる物理的変化(ホルモン濃度変化など)が「心」と深く関わっている可能性がある。

2、カーネマンの行動経済学:プロスペクト理論(不確実な状況における人間の意思決定が、『効用』ではなく、『効用の変化』に基づき、損失を回避する傾向が強い)[p.58]。認知バイアスの中で重要なのがアンカリング(「何らかの数値に繋ぎ止められたうえで、意思決定をくだす状況」[p.61]。人間には、得をするフレーム(表現のしかた)ではリスクを避け、損をするフレームではリスクを冒そうとする傾向がある(フレーミング効果)[p.100]。

3、二重過程理論と不合理性:二重過程理論(スタノヴィッチによる)とは、ヒトの脳内には、2つの異なるシステムが並行して存在し、それぞれが独自のメカニズムで働くという考え方。ひとつは自律的システム(ヒューリスティック処理システム)、もうひとつは分析的システム(系統的システム)[p.82-85]。分析的システムは、言語や規制に基づく処理を行い、意識的に刺激を系統立てて制御。自律的システムは、ヒューリスティックなモジュール型のシステムで、刺激を自動的かつ迅速に処理し、意識的に制御できない反応を引き起こす[p.90]。(情報科学におけるヒューリスティック処理システムは、精度は低くなるけれども短時間で結果を予測できるシステム。人間でいえば、一種の「発見」、あるいは「直観」的処理のようなもの[p.83]。)

4、人間行為の限界と可能性:矛盾した認知を同時に抱えたような状況である「認知的不協和」も二重過程理論で説明可能。専門家でさえ認知バイアスから抜けきれない。人間が完全に合理的な判断をくだすことは不可能。[p.103

第2章、意思の限界

1、自由の限界:ヒトの行動は与えられた環境によって完全に決定される(環境決定論)という考え方がある(ワトソン)[p.118]。

2、ドーキンスの生存機械論:例えば、ミルグラムの服従実験などで明らかになった権威に盲目的に服従する行動様式は、脳に遺伝的に組み込まれている可能性がある[p.134]。ドーキンスは人間を、「利己的遺伝子を運ぶ生存機械」と定式化しているが、「自律的システム」は、進化の過程で人間に組み込まれた遺伝的傾向を示しているといえる[p.132-133]。服従実験の結果も二重過程理論で説明可能。「『自律的システム』は遺伝子の利益を優先し、『分析的システム』は個体の利益を優先していると解釈できる[p.137]。

3、進化と不自由性:脳内の「自律的システム」は無意識的に利己的遺伝子の利益に沿って判断を下しているが、「分析的システム」はそうではなく、どうすれば自身の利益を最大にできるかを合理的に考えることができる[p.156]。分析的システムの力によって自律的システムに叛逆することが「自由意志」とも考えられる(デネット)[p.156]。

4、人間意志の限界と可能性:もしあらゆることが決定されているという意味での「決定論」が正しければ「自由意志」は錯覚にすぎない。「決定論的世界観」と「非決定論的世界観」についてのイメージを、複雑性に応じて理解すること、すなわち、複雑性が極端に低い(量子論的現象)場合と、複雑性が高い(複雑系の現象)の場合には不確定性が高く、その中間では不確定性が低くなるように捉えることが可能ではないか[p.170]。

第3章、存在の限界

1、死とは何か:ヒトは生物学的には遺伝子の乗り物としての「ジーン・マシン」、社会学的にはミームの乗り物としての「ミーム・マシン」と考えることができる(ブラックモア)[p.184]。ミームとは、「コミュニケーションをする複雑な脳によって用意される環境だけで繁栄する」複製子であり、「脳から脳へ伝達される最小単位」の情報(ドーキンス)[p.180]。

2、カミュの形而上学的反抗:「利己的遺伝子」が無目的に繁殖を続けているように、世界には生々しい『実存』が優先してあるのみ」。「それなのに人間は、何らかの『本質』を懸命に探し求めている。そのことを『不条理』と呼ぶ」[p.202]。カミュによれば、不条理に対処する3つの方法は、『自殺』『盲信』『反抗』。「世界が『不条理』であることをそのまま認めて、あらゆる真実を包括するような科学的、合理的あるいは宗教的な『本質』も存在しないことを理解し、さらに人生に意味がないことを受け入れ、そのうえで『反抗』するという方法が『形而上学的反抗』[p.205-206]。

3、意識と不条理性:「カミュのように現実から目をそむけるような態度の方が、許しがたい『美徳の暴力』(サルトル)」[p.215]。科学技術が意識的あるいは無意識的に悪用される脅威がある(テロやバイオエラーなど[p.217-221])。

4、人間存在の限界と可能性:テロリストは「小集団の論理」に無抵抗に従う特徴がある[p.224]。「『意識』的なレベルでは、愛国心や信仰こそが自分の行動の動機だと認識していますが、実際には自分が小集団で特別な存在だと認められたい、小集団に自分を捧げたいという『無意識』的な衝動に突き動かされています。」「この衝動も脳内の『自律的システム』から生じるもの」[p.225-226]。「意識」も「脳の作り上げた幻想」である可能性もある[p.226](無意識が勝手に行なった行動について、あたかも『意識』の命令で行動したかのように、後付けのイメージ処理がなされる[p.229])。科学者も人間。科学技術者が未来を不安に満ちたものにしたのは、彼らが自分の仕事だと思ったことをただこなしていった結果(ズッカーマン)[p.239]。「『科学』を視野に入れない『哲学』も、『哲学』を視野に入れない『科学』も、もはや成立しない」[p.245]。「『愛』と『自由』と『死』のような抽象概念が、行動経済学、進化生物学や認知科学、あるいは神経生理学や実存哲学の視点から考えていくと、すべて一種の『幻想』かもしれないことが見えて」くる[p.246]。

以上が本書全3章の私なりのまとめですが、最後に著者は以下のように述べています[p.252-254]。「未知の現象に対する『恐れ』や無意識的『認識』の相違によって、議論の出発点から結論まで、大きく影響を受ける可能性がある」。「『充分に進歩した科学技術は、魔法と見分けがつかない』というアーサー・クラークの有名な言葉がある。それに付け加えたいのは、現代の科学者は『科学』を行っているが、一般大衆は『科学』ではなく『魔法』を期待している」。「残念ながら、現実の世界は『限界』に満ちている。」(本書を含めた3作の内容は)「壮観なネガティブの山のように映るが、逆に言うと、どれほど果敢に限界に挑戦し続けていることか、信じられないほどポジティブな人間の姿が見えてくる。」

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イノベーションを考える上で、科学の問題、科学を利用してイノベーションを作り上げる人とそのマネジメントの問題、イノベーションの成果を受け取り使う人の問題は重要です。本ブログでは、著者による前2作で科学哲学に触れて以来、興味の赴くまま、科学的な考え方や科学と社会の関わりの問題を取り上げ、さらに、協力の問題から進化心理学へ、意志決定の問題から行動経済学や複雑系へ、という方向に関心が広がってきたのですが、本書はそうした展開をまとめてくれるような内容で非常に参考になりました。なかでも、二重過程理論は、人間の思考や行動を考える上で柱となる考え方なのではないかと思います。科学者ですら自律的システムに影響されることは十分に認識しなければなりませんし、科学者自身、気付かぬうちにありもしない「魔法」に期待していることもあるかもしれません(思考停止苦しい時の技術開発頼み、といった現象も根は同じかもしれません)。

著者はこの3作で取り上げた9つの「不○○性」を「壮観なネガティブの山」と言われていますが、あることが「存在しない、あるいはできない(かもしれない)」と認識していることは実用的にも非常に重要なことです。できないという知見に意義を感じられないとすれば、そのこと自体、自律的なシステムに影響されすぎているということではないでしょうか。良くも悪くも科学の影響が大きくなっている現代において、なるべく判断の誤りを減らすために、また、できる範囲で着実に前進していくために、限界を知ることは意味のあることだと思います。加えて、限界を知ろうと努力することで開けてくる新たな世界というものもあるような気がします。前進することが単純によいことなのかどうかは分かりませんが、第2章に述べられた、「利己的遺伝子のプログラムに叛逆し、自らの道を歩もうと」[p.155-156]努力することが我々の役割なのかもしれません。



文献1:高橋昌一郎、「感性の限界」、講談社、2012.

参考リンク



 


 

イノベーションとあいまいな意思決定(判断の根拠は何か?、ヒューリスティクスの活用?)

他のビジネスプロセスと同様に、イノベーションにおいても意志決定は重要です。しかし、研究開発が本来的に持つ不確実性のため、その意志決定は、量的に不十分で、しかも正確とは限らない情報に基づいて行なわなければなりません。加えて、企業における研究開発では開発スピードを優先するため、純粋科学の研究のように正しいことを確認して確実な事実を積み重ねていくアプローチが採られないこともあります。そこで今回は、イノベーションにおける意志決定の特徴と注意すべき点、活用方法などについて考えてみたいと思います。

 

企業でのイノベーションにおける意志決定の特徴は、「限られた情報に基づく、素早い判断」+「素早い見直し」が必要とされていることではないでしょうか。つまり、十分な情報に基づいて、十分に吟味した上で判断することよりも、とにかくプロジェクトを前に進める判断を行ない、進めながら同時に確認や見直しも行なう、という判断が求められるのではないかと思います。

 

このような状況における判断については、ヒューリスティクスという考え方があります。ヒューリスティクスとは、「論理的に厳密な手続きに頼らず、確実ではないが効率よく問題を解決しようとする考え方」[文献1p.149]とのことです(実際には、いろいろな定義がある幅の広い概念のようですが、最大公約数的に「簡便な問題解決法」という説明が最も理解しやすいように思いました。様々な定義や例については記事末尾[参考文献]をご参照いただければと思います。)。この考え方は特に心理学や行動経済学の分野で、人間の意志決定に影響する要因として重視されているようで、心理学の分野では、簡便な意思決定による正確な判断からのずれ(心理バイアス)が問題にされることが多く、また、行動経済学の分野では、簡便な意思決定を行なうことによって経済合理性に従わなくなる人間の行動が検討の対象にされているようです。いずれも、簡便な意思決定を行なおうとする人間の考え方をしかたのないものと認めつつ、簡便な方法をとることによる誤りの可能性などの問題点が多く注目されているように思います。

 

しかし、研究を進めていく過程では結構あいまいな考え方をしているものです。これはひとえに、熟考できるだけの材料がない状況でも判断を効率的に行ない、少しでも早く物事を進めたいという意欲の表れと考えることができるでしょう。つまり、イノベーションにおけるヒューリスティクスは、発想を次の段階に発展させるために積極的に簡便な意思決定を使っている、とも言えるのではないかと思います。企業における研究の場合、最終目標は真理の探究ではなく、イノベーションを世の中に送り出すことですので、こうした考え方を認めざるを得ないのではないでしょうか。もちろん、ヒューリスティクス自体が持つ誤りの可能性については十分に注意しなければなりませんが、私はイノベーションにおける簡便な意思決定は、後でその考えの正当性が確認されることを前提として、有用なもの、不可欠なものとして肯定的に考えてもよいのではないかと思っています。

 

具体的にどんな判断がなされ、どんな点に注意すべきなのでしょうか。研究開発における簡便な意思決定の例として、ある情報(データ)に遭遇した時に、それを「正しい」と認識する過程を考えてみたいと思います。この過程は次のようなプロセスからなると考えられるでしょう。すなわち、

第一段階:情報を認識し解釈する

第二段階:その情報が正しいことを納得しようとする

です。ヒューリスティクスの議論では主にこの第一段階が注目されているようですが、私は第二段階も重要であると思います。研究開発のような場合、最初は得られる情報が少ないため第一段階の情報認識と解釈が十分には行なえず、必然的に第二段階の推論にも頼って判断しようとすることになるでしょう。

 

つまり、情報が少ない状況では、

・得られた情報をとりあえず信じる

・情報が得られた前提条件を十分に吟味できずに汎用化、拡大解釈する

ということが起こりやすい、あるいはそうせざるを得ないことになってしまうと思われます。このような状態で、ある情報を「正しい」と認識して問題がない場合もありうるとは思いますが、研究開発の場面においては、この段階だけの簡便な判断で結論を出すのは大胆すぎるでしょう。従って、そのような場合には、第二段階でその解釈の正当性が高いことを確認しようとするのが普通であると思います。つまり、「データは少ないが、データ以外の傍証があるのであれば、『正しい』と考えてもよいだろう」と思えるわけです。しかし、第一段階での情報が少なければ、第二段階での考えをサポートする情報も少ないはずですので、第二段階でも「簡便な判断」が使われることになるのではないでしょうか。

 

では、第一段階の推論をサポートしようとする第二段階での簡便な判断にはどのようなものが考えられるでしょうか。

 

まずは、間接的な証拠(第一段階の推論をサポートする別の情報)に着目する場合が考えられるでしょう。例えば、以下のような場合に第一段階の推論がサポートされると思うのではないでしょうか。

・偶然ではおこりそうもないこと(こんな結果が得られるのは偶然ではあり得ないと思う)

・再現性がよい(同じことを何度やってもいつもそうなる)

・反例がない(いろいろやってみても解釈に合わない例が出てこない)

・結果から推理したことが当たる(第一段階の判断が正しいとすれば、別のことをしたらこうなるはずだ、と推理し、それを試した結果が期待どおりとなる)

・第一段階での判断が正しいとすると多くの現象の辻褄が合うと思える

いずれも、きちんと考えれば第一段階での推論を証明するものにはなり得ないはずですし、ヒューリスティクスの議論でよく取り上げられる認知バイアスによって判断が歪められる可能性を持った考え方なのですが、このような間接的な結果であっても、第一段階での推論が正しいという根拠のひとつとして感じてしまうことがあります。

 

さらに、より不確かな方法として、自分の考え(先入観や予想)を根拠として第一段階の判断が正しいと思うことがあります。例えば、

・自分がうすうす思っていた仮説に一致する(やっぱりそうか)

・自分がそうなってほしいと期待していたことに一致する(自分の予定や計画どおりに結果が出る)

・自分の過去の記憶(経験)に一致する(そういえばそうだ)

・自分が正しいと思っていることから、自分が正しいと思っている論理に従って導けることに一致する

・第一段階の判断が誤っている、という論理を組み立てることができない(他にどんな説明が可能だというのか?)

このような、すでにもっている知識や態度、信念、仮説を保護・維持しようとする傾向は、「認知的保守性の原理」「認知的一貫性の原理」と呼ばれ[文献1p.183]、複数の認知が矛盾する状態(不協和)を避けようとする心理的作用が反映されていると考えられます。つまり、このような考え方を用いると心理的に楽になるために、ついそうしがちである、ということです。なお、自分の考えの中には、過去に誰かから聞いて、そのように聞いたことを忘れてしまって、さも自分が考えたように思いこんでいる場合(「スリーパー効果」というらしいです)も含まれるでしょう。

 

同様に、他人の意見を根拠として正しいと認識する場合もあり得ます。例えば、

・自分が偉いと思っている人(信頼している人)の意見に合っている(権威への服従、その人と同じ意見を持つことがうれしい)

・多数の人が言っている意見と同じである(同調の心理)

・世間で正しいとされていることから、正しいとされている論理に従って導ける結果に一致する

 

これよりもさらに不確かな方法としては、あるいは、自分自身でも間違っているかもしれないと思いつつも正しいことにしてしまう、あるいは、疑う心を故意に封じてしまう、ということも起こり得るでしょう。

・事前の予定や計画に沿ったデータである(それに反していると面倒なことになる)

・他人の意見との衝突を避けるため、他人の主張に従ってもよいと思ってしまう

・他人の意見に従っておくと、利益が得られるのでそれでよいことにしてしまう

・自説に固執すると、不利益が予想されたり、面倒なことになる可能性があるので、自説を曲げてしまう

・第一段階の判断が正しいとすると自分の評価が上がる、自己満足感が増す

・間違っていても大きな損失にならないと思う

・第一段階の情報は都合のよい解釈が可能で、違っていても後で言い訳ができる

このような判断は、判断した時点では間違っている可能性があることを覚えているものですが、時間がたつと、妥協的な判断をしたことや間違っている可能性を忘れてしまう場合もあるそうです。

 

このように、不十分な情報しかない状態での判断については、上記のような第二段階での追加的考察によって、自らの考えを正当化しようとするのではないかと考えられます。しかし、ここで見た第二段階の推論も簡便な判断であると言えるでしょう。より正しい判断を行なうためにはさらなる検証が必要であること、簡便な判断は間違っている可能性があることを認識して、その判断を改めることに躊躇しないことを心掛けなければならないと思います。

 

だたし、上記の点にさえ注意すれば、このような簡便な判断を有効に使うことによって、研究をとりあえず先に進めることができます。簡便な判断を用いることを避けようとすると「失敗や挑戦を恐れる」ということにつながり、恐らく未知なものへの挑戦やイノベーションの達成には逆効果となる可能性もあるのではないでしょうか。このような理由から私は簡便な判断であっても、十分な注意を払ったうえで有効に活用すべきであると考えています。

 

さらに、このような判断のパターンを認識することは、他者を説得する場合にも有効だと思われます。そもそも、簡便な方法で考える傾向があるのは、あることに対し熟慮する気持ち (motivation) がなかったり、情報処理する能力的余裕なかったりする場合に(あるいは年長者にありがちな傾向として)多くみられるということです[文献2]ので、例えば研究内容を十分に吟味する時間のない(年長の)経営層や、新しい成果にまだ興味を持っていない潜在的顧客は簡便な判断を行なう可能性があると思います。例えば、研究成果を経営層や他部署に納得させる場合、開発した製品を買ってもらうよう顧客を説得する場合など、データの解釈の正当性を主張するだけでなく、情報の受け手のその情報に対する正当化の手助けをしてやることによってその情報に対する信頼感を形成できるのではないかと考えられます。

 

もちろん、認知バイアスを悪用して他者の判断を誘導するようなことは厳に慎まなければなりませんし、誤った判断を正当化する情報を提供するようなことも行なうべきではないでしょう。しかし、簡便な判断を活用した大胆な仮説の構築や、判断の効率化については、そうした判断のメカニズムをきちんと認識しておけばイノベーションにとって有用な手法になりうるのではないかと思います。

 

(注)今回の話題については、心理学、行動経済学、リスク評価、科学哲学、計算機科学などの分野で様々に研究されているようです。この記事を書くにあたり、そうした成果を少し調べてみましたが、短時間ではとてもまとめきれるものではないと思いました。勉強不足、理解不十分の点も多いと思いますが、まずはとりあえずの考えをまとめたものとご理解いただければ幸いです。機会があればもう少し詳しいまとめを試みたいと思います。

 

 

文献1:菊池聡、「超常現象をなぜ信じるのか」、講談社、1998.

文献2:「消費者心理学とマーケティング -消費者心理学・消費者行動論の研究より-」ブログ記事より、「心理学のお勉強(社会心理学)No9:バイアスのかかった判断(Judgement heuristicsNo1

http://ameblo.jp/consumer-psychology/entry-10016073404.html#main

 

参考文献(上記「文献2」以外で見つけた参考になるweb上の資料です)

なお、英文表記の最後にsがあったりなかったり、日本語でもヒューリスティク、ヒューリスティックスなどの表記の揺れがあるようです。

・ウィキペディア:「ヒューリスティクス」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B9

・原子力技術リスクC3研究ホームページ、「リスク認知とは」より、「ヒューリスティックスから生じる認知のバイアス」

http://tokaic3.fc2web.com/rc/rc2142.html
<2011.8.14追記:残念ながら現在このサイトにはつながりません>
同上サイトより、谷口武俊、「私たちが物事を判断するときに陥りやすい罠とは?」2004.5.25

http://tokaic3.fc2web.com/body/lesson/text02.pdf
<2011.8.14追記:残念ながら現在このサイトにはつながりません>

sapporokoyaさんブログ記事より、「心理学とヒューリスティックと科学コミュニケーション」2008.04.15

http://dole.moe-nifty.com/etc/2008/04/post_8746.html

Q-BPM.orgBPM -Business Process Management-に関する百科事典サイト)記事より、「心理バイアス」

http://ja.q-bpm.org/mediawiki/index.php/%E5%BF%83%E7%90%86%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9

・友野典男、「行動経済学—経済は『感情』で動いている」、ITmediaエグゼクティブ誌 2007929日号、早稲田大学IT戦略研究所webページより

http://www.waseda.jp/prj-riim/ITS-56.pdf

・大阪大学 社会経済研究所 附属行動経済学研究センターwebページより講義資料、多田洋介、「行動経済学のイントロダクションと応用可能性について」2004.8.25

http://www.iser.osaka-u.ac.jp/rcbe/event/tada.pdf

・「社会人の経済学お勉強ノート」webページより、「行動経済学入門/多田洋介,2003

http://jwiz.net/es/?no=t018&type=pdf&u=1184139561

・高尾義明さんwebページより、「意思決定とバイアス」

http://homepage1.nifty.com/~ytakao/MDMS05-03.pdf

・瀬戸口毅さんブログ記事より、「ヒューリスティクスとは/依田高典」

http://agarusagar.way-nifty.com/we_see/2010/12/index.html

(依田高典「行動経済学」岩波新書、が取り上げられています)

Web担当者Forumwebページより「選択肢は多い方が良い? アンカリング? 代表性バイアス? - 行動経済学の“選択アーキテクチャ”(中編)」

http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2009/08/20/6326

同上、「利益vs損失? プライミング効果? 測定作用? - 行動経済学の“選択アーキテクチャ”(後編)」

http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2009/08/21/6327

(リチャード・セイラー、キャス・サンスティーン著、「実践行動経済学 健康、富、幸福への聡明な選択」日経BP社、が取り上げられています)

・小林英二さんブログ記事より、「論理的な話が通じないワケ。行動経済学から学ぶ20のバイアス」

http://d.hatena.ne.jp/favre21/20090626

(柏木吉基「人は勘定より感情で決める 直感のワナを味方に変える行動経済学7つのフレームワーク」技術評論社、が取り上げられています)


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