研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

進化

「人と『機械』をつなぐデザイン」(佐倉統編)より

人間の生活の向上に科学技術が大きな役割を果たしてきたことを疑う人はいないでしょう。しかし、技術が災厄をもたらす場合があることも事実です。どんな研究開発にどのように取り組むべきかを考える際には、技術と人との関わりの視点からも、技術を社会に適用することの影響をよく考えておくことが必要だと思います。

佐倉統編、「人と『機械』をつなぐデザイン」[文献1]では、この問題に関するいくつかの考え方が紹介されています。この本は、「2011年度-2013年度におこなわれた、オムロン・グループの人文社会系シンクタンク、ヒューマンルネッサンス研究所(HRI)と、東京大学の学際的教育研究部局である大学院情報学環の佐倉研究室との共同研究≪人と機械が理想的に調和する社会≫[p.iii]」の成果をもとにまとめられたとのことで、トピックス的な議論が中心の本ですが、今回はその内容から個人的に興味深く感じた点を抜き出させていただきたいと思います。書かれていることをまとめるように抜き出しているわけではありませんので、実際に述べられている内容、議論については本書をご参照ください。

第1部、人と「機械」の行方

01、日常生活とテクノロジーの行方(歴本純一氏へのインタビュー)
・「不便とチャレンジに関係する大きな領域があります。それはゲームです。ゲームはわざわざ面倒な問題を解こうとしますよね。・・・『便利なゲーム』は概念的に存在しえないものです。・・・チャレンジを達成する喜びみたいなものが『不便のインターフェース』だと思うのです。・・・不便の先に達成したときの充足感のような快感が巧みにデザインされていなければならないというわけです。[p.9]」
・「『面倒くさい』ことと機械にやってほしいこととが必ずしも一致しないということもあります。[p.12]」
・「本当にいい道具はその存在自体が意識から消え、意識を拡張させる。それが一体感であり、僕の考える人と機械の理想的な関係です。[p.20]」

02、コンピュータと脳の関係の行方(金井良太)
・「個人の脳構造の特徴は、遺伝子によって生まれつきに決まっている部分もあるが、環境の違いやトレーニングの効果によってもMRI画像で確認できるほどの脳構造の大きな変化が生じることが明らかになっている。[p.25]」
・「インターネットが脳に与える影響は、論者によってポジティブにもネガティブにも捉えられている。・・・ポジティブな意見もネガティブな意見も現時点では未検証の仮説[p.28-29]」。

03、サイエンス・エンジニアリング・デザイン・アートの行方(八谷和彦×川端裕人)
・「やっぱり科学的なアプローチだけじゃ説得されない部分があって、当事者ではない小説家とかアーティストみたいに科学との利害関係があまりない人の言葉のほうが、すんなり頭に入ることもありますよね。特に科学者の信用がなくなっているときには、そういう利害関係のない人たちが科学コミュニケーションをやったほうがいい局面もあるのかもしれない。[p.52-53、八谷氏]
・「人が物事の善悪を判断するときって、そのものの性能だけから合理的に判断するというよりも、誰がつくったかで判断している部分もあると思うんです。・・・対象に応じて対応を変える必要があるんじゃないかと思います。[p.62、八谷氏]
・「自分の興味のあるものをとことん追究したい人もいますが、それとは別に『地図を描きたい』人もいると思うんです。[p.64、川端氏]

04、身体との調和に向かう義足の行方(渡部麻衣子、大野祐介、臼井二美男)
05、義足とポスト近代的モノづくりの行方(臼井二美男×大野祐介×梅澤慎吾×山中俊治)
・具体的事例としての義足
・「人と機械の『調和』が、機械の側の発展や、機械を作る人の技能の発達によって達成される事象としてのみならず、作る人と使う人の相互行為によって生成されていく現象として読み解くことができる。[p.92-93]」
・「近代産業が合理的になればなるほどそこから振り落とされるマイノリティがいることがはっきりしてきたので、それに対する補償や補完作業の必要性をデザイナーたちが感じはじめた[p.108、山中氏]」
・「人と技術の『調和』というものが、社会における人に対するパースペクティブの変容を必要とする、ということが示唆される。これは、具体的には、技術的合理主義に基づいて標準化された『人』の理念型から離れて、人を、一人一人固有で変容し続ける存在として捉え直すということを意味する。[p.119-120、渡部氏]

第2部、技術と環境をつなぐデザインの行方
06、センサーと生活環境の行方
(森武俊氏へのインタビュー)
・「技術的に自動化はどこまでも進むだろうと考えていて、むしろ社会的にどこまで進む『べきか』については、その時代に応じた判断が必要なのでとても難しいと感じますね。むしろ自動化がどこまで進む・進まないは、『自分に対してポジティブなフィードバックが返ってくるのが早いこと』を一つの判断基準として決まると思います。[p.137]」

07、歩きやすさと都市環境の行方(山田育穂)
・「歩くことを促進するウォーカブルな都市は、自動車依存度を低下させエネルギー消費を抑えるエコロジカルな都市でもある。・・・住民の健康だけでなく、資源・環境問題にも貢献できる可能性を秘めたウォーカブルな都市環境は、それぞれの面で弱点を抱える日本の都市にとって大きな希望となるだろう。[p.135]」

08、デジタル・ネットワークと読み書きの行方(中村雄祐)
・「研究者も実務者も、そして受益者である住民も、それぞれの立ち位置でICT(Information and Communication Technology)を使っていかざるをえない・・・そして、20世紀的な『文系対理系』、『基礎対応用』といった棲み分けでは歯が立たなくなることは覚悟しておきたい。[p.179]」

09、デジタルファブリケーションとコミュニティの行方(田中浩也×渡辺ゆうか)
・「ファブラボとは、3Dプリンターやレーザーカッターなどのデジタル工作機械の普及によって実現される『新しいものづくり』の可能性を、そこに集う多様な方々と共同で開拓していくための実験工房だ。[p.183]」
・「公文俊平先生・・・のお話ですが、コンピューテーションとコミュニケーションという二つの流れ――産業のデジタル化の流れ(第三次産業革命)と、コミュニケーションがソーシャルになっていく流れ(第一次情報革命)――とがあるんです。このソーシャルな流れがファブラボになっていて、メイカーズムーブメントみたいなものが産業のほうになっているんだと考えています。[p.189-190、田中氏]」

10、イノベーションとデザイン思考の行方(澤田美奈子)
・「本来は人間のための技術だったはずが、次第に技術の要求が社会を変容させ、人間側が技術に順応せざるをえないといった倒錯や葛藤を引き起こしているのではないか。ものづくりを今一度、人間中心の発想に戻す必要がある。[p.201-202]」
・「人々のありのままの姿を実際の生活世界の中で観察し、問題解決のための道具のプロトタイプを制作して実験を繰り返しながらデザインを行っていくことでイノベーションを目指すというのが『デザイン思考』に基本プロセスだ。・・・『デザイン思考』の方法論の大きな柱が『エスノグラフィー』による踏み込んだ人間理解および、つくりながら考える『プロトタイプ』発想法である。[p.203]」
・「統計分析や平均的な人間観・機械観、現状の延長線上的思考回路を飛び越えたところにイノベーションは存在するのだ。人間視点のイノベーションを実現するためには、イノベーションの担い手が主体的な創造力を発揮できる、組織・社会への転換も必要なのではないか[p.216]」。

11、科学技術とイノベーションの行方(網盛一郎)
・「社会が未成熟で社会ニーズが豊富にあり、科学技術の進歩が社会ニーズに応えやすかった時代は、技術シーズを社会ニーズに転換させやすかったのでリニアモデルが適用でき、従来型のイノベーションを起こしやすかった。ところが社会が成熟すると、生活が満たされ、人のニーズが多様化する。社会ニーズがなくなったわけではないが、科学技術の進歩で応えられるものがだんだん少なくなり、問題解決型はどんどん難しくなっていった。一方でニーズの多様化により重要度が高まってきたのが職人型イノベーションである。職人型イノベーションでは、きっかけは誰のニーズであってもよい。・・・職人型では既存市場はなく、市場規模はおろかそこに市場があるかすら直感に頼ることになる。・・・ヴィジョン(Vision)がそれを後押しする。つまり問題解決型はMission-orientedであり、職人型はVision-orientedである。・・・Vision-orientedな職人型イノベーションを目指してはどうだろうか。・・・研究開発と市場の間には『ダーウィンの海』、すなわち成功の予測が困難な淘汰のプロセスがあるという考え方があり、いわゆる『選択と集中』ではなく『多産多死』こそ、経営あるいは科学技術政策の観点で有効な戦略である。[p.232-234]」

第3部、身体と技術的環境の行方
12、ロボットと心/身体の行方
(石原孝二)
・「情報が価値を持つためには、あるいはそもそも情報が情報として成り立つためには、情報を利用する利用者の関心体系に位置づけられ、『関連性(relevance)』を持つ必要がある。[p.245]」
・「機械やコンピュータによって支えられた環境の中で、またそれらに媒介されながら発揮される人間の『本来の能力』とは一体何なのかという問題に関する議論を進めていくことが現在の課題となっている。[p.249]」

13、身体-環境系の行方(佐々木正人×佐倉統)
・「ドーキンスは生物の身体は遺伝子の乗り物だということを言っているんだけど、遺伝子から見たときの表現型はその個体の身体に限ったことではないと主張しています。たとえばビーバーがつくるダム。ダムがうまくできたかできないかによって遺伝子が子孫を残せる確率が変わってくるわけだから、その個体が獲物をうまく狩ることができるかできないかという個体の能力と同じだと。・・・それを『延長された表現型』と呼んでいます。[p.263-264、佐倉]」
・「最近、ロボティクスとか建築とか、それから身体運動に関する研究でキーワードになっている一つに『テンセグリティ(tensegrity)』があります。引っ張る力、張力“tense”と、それに抵抗して突っ張る力、圧縮力との『統合』。“integrity”をくっつけた造語です。20世紀の半ばにアメリカのバックミンスター・フラーが言いだした。・・・1970年代にハーヴァード大学の細胞生物学者が一個の細胞の構造にもテンセグリティ構造が見られることを発見してから、俄然からだの構造を見直す原理として脚光を浴びている。[p.265、佐々木]」

14、科学技術と人間の行方(佐倉統)
・「生物は周囲の環境を自分たちに都合の良いように改変し、それによってみずからのニッチを作りだしていく。そうして改変された環境が次の生物の進化に影響を与えていくこの機能をニッチ構築(niche construction)という。・・・ぼくたち人類は、機械という強力な延長された表現型を発展させ、さらなるニッチ構築を続けてきた生きものだ。[p.289-290]」
・「通常の生物が次の世代に伝える情報は遺伝情報だけだが、人間はそれに加えて文化情報も伝えていく(遺伝子と文化の二重伝承モデル)。[p.291]」
・「機械を含む人工物の進化について、進化理論で扱えるような地ならしをしたのが、ドーキンスのミーム理論である。彼は、生物進化の情報の最小単位が遺伝子であるのになぞらえて、文化進化の情報の最小単位をミーム(meme)と名づけた。・・・ミームの考え方をそのまま適用すれば、要するに機械を含む人工物もある種の生命体のように振る舞う、ということになる。[p.292]」
・「機械を含む人工物システムが、独立した生命系のように進化していくのだとすれば、ぼくたちにてきるのは、そのメリットを少しばかり大きくする(あるいはデメリットを少しばかり小さくする)ための、ちょっとした工夫や心構えの仕方を考えることぐらいだ。[p.299]」
・「機械は、人間個人も、社会も、大きく変える力をもっている。であれば、その変化の幅は、できるだけ小さくするような社会的規範を設けておくべきなのだ。急激な規範や理念の変化は、社会を不安定にする。不幸になる人間が続出するかも知れない。新しい規範についていけない人たちも出てくる。格差が広がる。これは良くないことなのだ。一方で、新しい技術に習熟している人々からすれば、技術革新の進み型が遅すぎて、進歩的な人たちが苛立ちながら舌打ちをしている、それぐらいの変化がちょうどいいのだと思う。[p.300]」

おわりに(近藤泰史)
・人と機械の関係の進化:機械が人の担っていたことを「代替」→人と機械が互いの適性を発揮して「協働」→人が機械の支援を得て、自らの可能性や能力を「創発」[p.306
―――

本書に述べられた機械と人間の関係についての議論は、もちろん定説として理解すべきものではないでしょう。しかし、これからの時代における技術の方向性を考える上では重要な視点を含むものと言えると思います。実務者としては、これらの指摘を頭に入れて自らの行動を考えることがよりよい技術開発や判断につながることを認識すべきだ、ということになるのでしょう。不確実な未来に対応するための羅針盤となるとまでは言えないかもしれませんが、未来を考えるヒントとして実践的にも有用なのではないか、という気がします。


文献1:佐倉統編、「人と『機械』をつなぐデザイン」、東京大学出版会、2015.

参考リンク



無意識の作用(ムロディナウ著「しらずしらず」より)

意識せずに行う判断や行動の問題については最近も本ブログで取り上げました(「無意識のわな」――他の本ブログ記事はそこからたどれます)。今回は、無意識の作用について、最近の研究成果も含めてより詳しく解説されているムロディナウ著「しらずしらず」[文献1]を取り上げたいと思います。

原著の表題は「Subliminal: How Your Unconscious Mind Rules Your Behavior」です。著者は、この「『サブリミナル』の語源となっているラテン語の単語は、『閾下』と訳される。心理学者はこの用語を、『意識の閾下』という意味で使う。本書は、この幅広い意味でいうところのサブリミナルの効果、つまり、無意識の心の働きとそれが及ぼす影響を説明した本である[p.vi]」、「わたしたちが進化によって受け継いできた遺産、わたしたち自身の心の表面下で作用している奇妙で驚くべき力、そして、それらの無意識の本能が、ふつうは意志に基づく理性的なものであると考えられている行動に及ぼす影響・・・は、以前考えられていたよりもはるかに大きい[p.x-xi]」、と述べています。以下、特にマネジメントの観点から興味深く思われた点をまとめたいと思います。

I部、「あなた」を支配する無意識(原著:The Two-Tiered Brain
第1章、なぜ同じ名前というだけで好意を抱くのか?(原著:The New Unconscious

・「わたしたちは哺乳類として、原始的な爬虫類脳の基盤の上に新しい皮質の層を持っており、加えて人間として、さらなる大脳組織をその上に持っている。わたしたちは、無意識の心と、それに重ね合わされた意識的な脳を持っている。人間の感情、判断、行動のうちどの程度がそれぞれの心に由来しているかをいうのはきわめて難しく、わたしたちはつねに2つの心のあいだを行き来している。[p.8-9]」
・「今日、無意識に関する考え方に革命が起きている。それは、脳のなかの各構造や部分構造がさまざまな気分や感情を生み出している様子を、現代の装置によって観察できるようになったためだ。・・・このような研究や測定を基礎とした現代の無意識の概念は、『新しい無意識』と呼ばれ、・・・フロイトが世に広めた無意識の考え方とは区別されることが多い。[p.11-12]」
・「わたしたちは意識的な影響にしか気づいておらず、そのため部分的な情報しか持っていない。その結果、自分自身や自分の動機、そして社会に対するわたしたちの見方は、ほとんどのピースが欠けたジグソーパズルのような状態になっている。・・・人間は、知覚し、経験したことを記憶し、判断を下し、行動する。そしてこれらの営みすべてにおいて、自分では気づかない要素に影響を受ける。[p.32]」

第2章、視力を失ったのに表情が見える?(原著:Senses Plus Mind Equals Reality
・「この2層のシステムのなかでより基本的なのは無意識の層のほうであることが、十分に明らかになっている。それは進化の早い時点で発達したもので、基本的に必要な機能や生存に関係しており、外界を感知して安全に反応する。・・・進化によって人間が無意識の心を獲得したのは、・・・膨大な情報を取り込んで処理する必要のある世界のなかでも、無意識のおかげて生き延びることができるからだ。・・・意識的な心で何をしていようとも、精神活動の大部分を占めているのは無意識であって、そのため、脳が消費するエネルギーのほとんどは無意識が使っている。[p.41-43]」
・「人間が知覚する世界は人為的に構築されたものであって、その特性や性質は、実際のデータの産物であるとともに、無意識の精神的な情報処理の結果でもある。自然は、わたしたちが情報の欠落を克服できるようにと、知覚した事柄に気づく前に、無意識のレベルでその不完全さを修正するような脳を与えてくれた。・・・人間は、無意識の心がつくりだした視覚を、何の疑問も持たずに受け入れる。また、それが単なる一つの解釈でしかなく、生存確率を最大限に高めるようつくられていながら、あらゆるケースでもっとも正確な描像ではないことにも、気づきはしない。[p.67]」

第3章、なぜ、「目の前の人物が入れ替わっても気づけない」ことがありうるのか?(原著:Remembering and Forgetting
・「人間は誰しも、絶え間なく出くわす膨大な出来事の詳細な記憶を漏れなく保持できないし、また、それぞれの記憶違いには共通の理由があるという。すべての記憶違いは、どうしても欠落してしまう部分を埋めるために人間の心が用いる手法によって、つくりだされたものである。その手法の一つに、予想、もっと一般的に言えば、信念体系や予備知識に頼るというものがある。そのため、予想、信念、予備知識が実際の出来事と食い違うと、脳は欺かれてしまうのだ。[p.84-85]」
・「人間は、完璧な記憶を犠牲にすることで、・・・膨大な量の情報を扱い、処理する能力を手にしたのだ。[p.87]」
・「自分にとって本当に重要であるぶんだけを保持するために、・・・大量のデータをふるい分けられるようにするという難題に、心は直面し、無意識はそれに遭遇することになる。[p.88]」
・「どうやら人は知らず知らずのうちに、奇妙な物語を、もっと理解しやすい慣れ親しんだ形に変えようとするらしい。[p.97]」

第4章、傷ついた心は「鎮痛剤」で癒せる?(原著:The Importance of Being Social
・「人間は言葉を超えた社会的および感情的つながりを持っており、意識的に考えることなしに意志を伝え、理解する[p.114]」
・「人間は、親切心に高い価値を置く。さらに、相互扶助行動に加わるときには、報酬作用と関連した脳の部分が活動し、親切にすることが自分自身への報酬になりうることがわかっている。[p.115]」
・「不安のあるときや困ったときには、他人と一緒にいることで安らぎを感じる。[p.116]」
・「社会的な痛みもまた、肉体的な痛みの感情的要素に関わっているのと同じ、『前帯状皮質』と呼ばれる脳の構造体と関連していることが明らかとなっている。[p.118]」
・「人間の知性が社会的な目的のために進化したのだとしたら、人間をほかの動物と分け隔てている一番の特性は『社会的なIQ』であるはずだ。とくに、他人が何を考え感じているかを理解したいという欲求とその能力は、人間に特有のものに思える。『心の理論』(Theory of Mind)略して『ToM』と呼ばれるこの能力が、他人の過去の行動を理解し、現在または未来の状況に基づいてその人が今後どのような行動を取るかを予測するという、驚くべき力を与えている。[p.122-123]」
・「現在では神経科学者は、脳を、機能、生理、進化的発生に基づいて3つの大きな領域に分けている。なかでももっとも原始的な領域が『爬虫類脳』と呼ばれるもので、これは、摂食、呼吸、心臓拍動といった基本的な生存機能と、『闘争・逃走』衝動を促す原始的な恐怖や攻撃的感情を担っている。・・・第二の領域である辺縁系は、もっと高度であり、無意識な社会的知覚の源となっている。・・・辺縁系は爬虫類的な反射的感情を補い、社会的行動の発生において重要な役割を担っている。・・・第三の領域・・・新皮質は、いくつかの葉に分かれており、人間ではきわめて大きい。[p.146-147]」
・「視覚、聴覚、記憶など人間の社会的知覚のほとんどは、自覚や意図や意識的努力を伴わない経路に沿って進められているように思われる。[p.150]」

II部、「社会」を支配する無意識(原著:The Social Unconscious
第5章、なぜ「作り笑い」はすぐにバレるのか?(原著:Reading People

・「わたしたちは非言語的なコミュニケーション手段も使っており、それによって伝えられるメッセージは、慎重に選んだ言葉よりも多くのことを明かし、ときには言葉と食い違うこともある。非言語的な信号の伝達とその信号の読み取りの、ほとんどではないものの多くは、機械的であって、意識的な認識や統制の外でおこなわれており、人間は非言語的な合図を通じて、自分自身や自分の心の状態に関する大量の情報を、知らず知らずのうちに人に伝えている。身振り、姿勢、顔の表情、非言語的な声質、これらすべてが、他人にどうみられるかに影響するのだ。[p.158]」

第6章、「顔」で選んで投票してしまうのはなぜ?(原著:Judging People by Their Covers
・「どんな人も、カーテンの後ろに別の人格を隠している。わたしたちは社会的関係を通じて、そのカーテンを開けてもいいほどに親しい、友人、仲間、家族、そしてもしかしたら飼い犬(猫は無理だろう)といった数少ない相手と、深く知りあうようになる。しかし、出会ったほとんどの人にはそのカーテンをあまり開けさせないし、初対面の人と会ったときにはカーテンはふつう完全に閉ざしている。そのため、声、顔、表情、姿勢など、・・・非言語的特徴のような表面的な特性が、よい同僚や悪い同僚、隣人、医者、我が子の教師、あるいは、支持する、または反対する、または無視しようとする政治家に対するいくつもの判断に、影響を与えることになる。[p.209-210]」
・「どうやらタッチは、・・・社会的協力や友好を高めるための重要な道具であるらしく、そのために、社会的つながりに対するサブリミナルな感情を皮膚から脳へ伝える、特別な物理的経路が進化してきた。[p.201]」
・「人間は生まれつき、他人の感情や意志を察知せずにはいられない。その能力は脳のなかに組み込まれており、それを切るスイッチはどこにもないのだ。[p.210]」

第7章、なぜ、ガンディーもリンカーンも「同じ過ち」に陥ったのか?(原著:Sorting People and Things
・「前頭前野皮質には分類に反応するニューロンがあるらしく、・・・分類をすることは、人間の脳が情報をより効率的に処理するために使う戦略である。[p.213]」
・「世の中で出会う物や人はすべて二つとないものだが、もしそのように知覚していたら、わたしたちはこれほどうまくは行動できていなかっただろう。身の回りのすべてのものを細かいところまで観察検討する時間もないし、精神的な処理容量もない。そこで人間は、観察した数えるほどの目立つ特徴を使ってその物体を一つのカテゴリーに当てはめ、その物体そのものでなくカテゴリーに基づいて評価を下す。そして、いくつかのカテゴリーを持ちつづけることで、素早く反応できるようにしている。[p.213-214]」
・「人間は分類をおこなうと、偏重した考えを持つようになる。何らかの恣意的な理由で同じカテゴリーに属すると考えたものどうしを、実際よりも似ているととらえ、異なるカテゴリーに属するものどうしは実際よりも大きく違うととらえるのだ。無意識の心は、曖昧な違いや微妙な差異を、明確な境界線へと変えてしまう。その目的は、重要な情報を残したまま、不必要な委細を消してしまうことにある。それがうまくいけば、周囲の世界を単純化し、より簡単に素早く渡り歩くことができる。しかし下手をすると、認識が歪められ、他人を、さらには自分自身を傷つける結果になりかねない。[p.217]」
・「『現実の身の回りの環境は、あまりに大きく、あまりに複雑で、あまりにはかないため、直接知ることはできない。・・・・・・わたしたちはそんな環境のなかで行動しなければならないが、それには、その環境をより単純なモデルに再構成しないと、うまくやっていくことはできない』そのより単純なモデルをリップマンは『ステレオタイプ(固定観念)』と呼んだのだ。[p.219]」
・「重要なのは、分類という行為をどうやってやめるかではなく、分類をすることで一人ひとりの本当の姿をとらえられなくなっていることに、いかにして気づけるかだ。[p.230]」

第8章、なぜマックユーザーとウインドウズユーザーは互いにいがみ合うのか?(原著:In-Groups and Out-Groups
・「自分が属していると感じるグル―プのことを『内集団』、自分が含まれていないグループのことを『外集団』と呼ぶ。・・・人間は、自分が属しているグループのメンバーと、属していないグループのメンバーのことを違うふうに考え、・・・おのおのに対して違うふうに振る舞う。しかも、グループに基づいて差別しようと意識的に思っているかどうかにかかわらず、機械的にそのような行動を取ってしまう。[p.243-244]」
・「わたしたちは、自分の内集団を外集団よりも多彩で複雑だと考える傾向がある。[p.250]」
・「数多くの研究から裏づけられているとおり、グループ単位の社会的帰属意識はきわめて強力であり、たとえ『彼ら』と『自分たち』を区別する規則がコイン投げに近いものであっても、わたしたちは『彼ら』を差別して『自分たち』をひいきする。[p.256]」
・「グループどうしで協力して行動しなければならない状況になると、グループ間の衝突が突如として減る[p.260]」。

第9章、幸せな「ふり」があなたを幸せにする?(原著:Feelings
・「人間は、怒るから身震いしたり、悲しいから泣いたりするのではなく、身震いするから怒っていることに気づき、泣くから悲しいと感じるということだ。・・・感情も知覚や記憶のように、得られているデータから再構成される。そのデータのほとんどは、知覚によって受けた環境刺激を無意識の心が処理し、生理的反応を引き起こすことで得られる。脳はそれ以外にも、もとからある考えや予想、および現在の状況に関する情報といったデータも使う。これらの情報がすべて処理されることで、意識的な感情はつくられるのだ。[p.273]」

第10章、なぜ「楽観的すぎる」締め切りを設定してしまうのか?(原著:Self
・「心理学者は、・・・自分を過大評価する傾向を『平均以上効果』と呼び、運転能力から経営手腕までさまざまな場面でこの効果が存在することを実証している[p.298]」。
・「心理学者のジョナサン・ハイドいわく、真理にたどり着く方法は2つある。科学者の方法と、弁護士の方法だ。科学者は証拠を集め、規則性を探し、観察結果を説明できる理論をつくって、それを検証する。弁護士は、ほかの人たちに納得させたい結論からスタートし、それを裏づける証拠を探すとともに、それに反する証拠を斥けようとする。人間の心は、科学者と弁護士の両方であるようにつくられている。つまり、客観的真理を意識的に探し求める存在であるとともに、信じたい事柄を無意識に熱を込めて主張する存在でもある。・・・望んでいることを真実であると信じ、それを正当化する証拠を探すというやり方は、日常的な判断を下すのに最良の方法ではないように思える。しかし・・・自分がより幸せになれるのはその不合理な選択のほうかもしれない。人間の思考プロセスにおける『因果律の矢』は、一貫して信念から証拠へと向きがちであり、その逆ではないのだ。・・・心のなかで熱を込めて主張する弁護士が取るアプローチを、心理学者は『動機づけられた推論』と呼んでいる。動機づけられた推論は、自分の善良さや有能さを信じ、自分は何でもできると思い込み、一般的に自分自身を実際以上に肯定的にとらえる後押しをする。[p.301-303]」
・「人間の無意識がもっとも本領を発揮するのは、自己に対する前向きで好ましい感覚、つまり、権力がはびこる世界のなかで、自分はただの人間よりもはるかに大きな能力と統制力を持っているのだという感覚を抱かせてくれたときだ。心理学の文献には、自分自身に対する前向きな『錯覚』を持つことが、個人と社会の両面で利点となることを実証した研究があふれている。・・・動機づけられた推論のおかげで、わたしたちの心は不幸から自分の身を守ることができ、それとともに、本来なら圧倒されかねない、人生で直面するいくつもの障害を克服する力を手にする。・・・世の中と向かい合うとき、非現実的な楽観主義は、いわば溺れないための『救命胴衣』になってくれる。[p.325-327]」
―――

本書でいう「無意識」が話題になる場合、今までは心理バイアスやヒューリティクスの根源として、論理的な思考に対する悪影響、判断や思考上の「失敗」という側面が注目されることが多かったように思います。しかし、本書に述べられた最新の研究成果を読むと、「無意識」こそが人間の本質なのではないか、という気がしてきます。マネジメントの役割のひとつは、人を扱うことだと言ってもよいと思いますので、人がどのように考えるのか、どのように行動を起こすのかを知ることは、よいマネジメントを行うために必要なことでしょう。例えば、「動機づけ」の問題も、従来の「意識的」な思考の側面だけでなく、無意識の視点も求められているかもしれません。そして、それにより、よりよい手法が考えだされる可能性もあるかもしれません。本書に述べられた社会神経科学の進歩は、近い将来マネジメントの世界にも大きな影響を及ぼすようになるのではないか、と思いますがいかがでしょうか。


文献1:Leonard Mlodinow, 2012,、レナード・ムロディナウ著、水谷淳訳、「しらずしらず あなたの9割を支配する『無意識』を科学する」、ダイヤモンド社、2013.

参考リンク<2015.4.5追加>



協力とフリーライダーと罰(大槻久著「協力と罰の生物学」より)

研究開発に限らず、組織の行動において協力は不可欠です。しかし、いつもうまく協力ができるとは限りません。協力の何が難しいのか、どうしたら協力をうまく引き出せるのか、協力は命令すればできるものなのかなど、協力のマネジメントは組織運営にとって重要なはずですが、その方法論は明確にはなっていないように思います。

本ブログでも協力の問題は何回か取り上げましたが(「不機嫌な職場」「利他学」「働かないアリに意義がある」利他性と協力)、今回は大槻久著、「協力と罰の生物学」[文献1]を取り上げます。この本では、協力行動自体の議論に加えて、進化の観点から見た協力行動、協力的環境で発生するフリーライダーと罰の問題が議論されている点が特徴的だと思いますので、以下、その中の興味深い点をまとめたいと思います。

自然界にあふれる協力のすがた
・「協力とは、ある個体が他の個体に対して利益を与えることをいいます。[p.3]」
・協力の種類:共生(異種の生物が協力し合う)、利他行動(自分の子の数を犠牲にして行う協力)、相利行動(協力行為が自分の利益にもなる)[p.21-22
・「生物の世界では、他者に利益を与える『協力』が、さまざまなところで行われている。[p.21]」

なぜ「ずるいやつら」ははびこらないのか
・フリーライダー(free-rider):「自らは協力をせず、協力の利益を搾取する個体のこと[p.41]」。「フリーライダーは周囲に協力をさせておきながら、自分は協力をせずに、その分のエネルギーや時間を繁殖に振り向けるので、協力する個体はその繁殖スピードに追いつけず、最終的に協力というシステムが破壊される原因となります。[p.29]」
・「にもかかわらず、自然界ではさまざまなところにフリーライダーが存在する。[p.41]」

協力の進化を説明せよ!
・「協力の進化はシンプルな自然淘汰説だけでは説明が困難です。なぜなら、協力的なシステムには、常にフリーライダーがつけ入る隙が存在するからです。[p.44]」
・群淘汰説(ウィン=エドワーズ):「有利な群れこそが生き残るはず[p.45]」。しかし、「いくら群れの利益になったとしても、自分の利益にはならない行動は進化できず、協力の進化を説明するためには、群淘汰ではない別の理論が必要(ウィリアムズ)[p.45-46]」。
・血縁淘汰理論(ハミルトン):「血縁者の間ならば協力行動が進化できる[p.47]」。協力は、「血縁関係を通して少しでも多く自分の遺伝子を残そうとする試みである、と説明することができる。[p.48]」
・直接互恵性理論(トリヴァーズ):「協力をした側は繁殖・生存上のコスト(負担)を負ってしまうものの、後で相手から協力をし返してもらえばそのコストを埋め合わせることができて、協力行動が進化する[p.49]」。この理論の示唆は、1)血縁と関係としない、2)「直接互恵性で進化する協力行動というのは、助ける側にとってはそれほどの負担にはならないものの、助けられた側にとっては大きな利益となるようなものでなければならない」、3)「フリーライダーに対する警戒心の進化を予測した」。「ヒトは自然淘汰を通して、裏切りを鋭く検知する能力を身につけたはずだと予測します」[p.49-50]。
・「協力の進化モデルとして最も有名な『囚人のジレンマゲーム』[p.50]」は、「裏切り、すなわちフリーライダーになる魅力と、互いが協力してもたらされるよい結果が決して両立しないことを教えてくれます。そして、個々が自らの利益を最大化しようとすると、協力が達成できないことを教えてくれる[p.53]」。囚人のジレンマのゲームで最も効果的なのは、「しっぺ返し戦略」(協力されたら協力し返すが、裏切られたら裏切り返す)。しっぺ返し戦略では、「相手がフリーライダーとみたら、断固として協力をやめるのです。・・・トリヴァーズの理論とともに、アクセルロッドとハミルトンの研究は、『もちつもたれつ』の達成のためにはいかにフリーライダーを検知し、協力を拒絶することが大切かを示しています。[p.55]」
・間接互恵性理論(アレキサンダー):「自分の評判などを通じて過去にした手助けが間接的に第三者から返ってくるメカニズム」。「アレキサンダーは、ヒトのもつ道徳性をこの間接互恵性として理解しようとしました。つまり、見知らぬ人を助けるのは、第三者からのお返しが期待できるからだ、という説明です[p.56]」。ただし、「間接互恵性の理論は、個々の行動の動機について説明するものではありませんし、その善悪判断をするものでもありません。あくまで、ヒトの祖先の環境(たとえば石器時代)においては、他者を手助けすると見返りが得られることが多かったはずだ、だから他者を助ける行動が自然淘汰で有利だったはずだ、という論理を述べているにすぎない[p.58]」。

自然界には罰がいっぱい
・「互恵性の理論から我々が学べることは、フリーライダーに対してはそれを検知するメカニズムが必要であること、そして、そのようなフリーライダーには協力しないなどの報復が必要であることの2点です。[p.60]」
・利己的な遺伝子:「生物の進化においては、個体だけでなく遺伝子までもが、自分のコピーを次世代に残すための巧みな方策をとっていることがわかります。まるで遺伝子が利己的に振る舞っているようにも見えるので、これを称して『利己的な遺伝子』とよびます。[p.64]」
・「フリーライダーによる協力の利益のただ乗りを防ぐ方法として、罰がある」。「生物の世界での罰は、相手を殺したり、追っ払ったり、仲間はずれにしたり、とさまざまな形をとる。」[p.75
・懲罰(punishment)と制裁(sanction):「懲罰というのは、・・・協力的に振る舞わなかった相手を懲らしめることで、次回から協力を引き出そうとする行動を指します。行ってみれば『反省』を期待したやり方です」。「自然界ではよく『相手を殺す』という懲らしめ方がとられます。これは制裁に対応します。」「フリーライダーを殺して、付き合いを強制的に終了させ、自らの協力が搾取されるのを止めるという働きがあります。」[p.75-76

ヒトはけっこう罰が好き?
・「単なる論理学の問題を、社会の文脈を与えることで『裏切り者検知』の問題へと置き換え」ると、正解率が上がる。「この実験結果は、ヒトが裏切り者検知の問題が得意であることを示している」(コスミデスによる実験)。[p.85
・「間接互恵性の理論は、『ヒトが協力的に振る舞うのは、自分の行動が他人に観察されている時である』と予測します」。写真の視線でも同じ反応をしてしまう(ベイトソンによる実験)[p.86-87]。
・「『協力しないと罰を受ける』という強い恐れがある場合、協力的に振る舞う」ので協力率は上昇する。[p.92
・「罰のコストを払わない人は、『二次のフリーライダー』とよばれます。[p.93]」
・他者に罰を与えることの利益:「罰を受けた個体が、その後協力的になる」ことに加え、「自分の厳格さに関する評判を広められる」利益がある[p.94]。
・ヒトは、「他者からの罰を警戒し、協力率を上げてしまう傾向」と「罰を与えてもその人自身にとって何の利益にもならないことをわかっているにもかかわらず、他者を罰してしまう傾向」(利他的罰)を持っている[p.96]」。
・「感情は、もともとは状況に対して即座に反応するための適応と考えられます。・・・理性的に判断した場合には損であっても、感情という回路が我々に利他的罰をとらせるのかもしれません[p.98]」。「罰を与えたときには、快感を引き起こす神経回路が活性化していた・・・。・・・ある行動に『快』の情動が伴っているということは、その行動をとることが進化の過程において有利であった有力な証拠です」。[p.104
・「罰の度合いには社会間で差がある[p.99]」。協力的な人への罰(非社会的罰)もある[p.100]。「集団主義的な社会では、他者との協調や団結が重視されます。集団主義的社会においては、『協力しすぎる人』は『協力しない人』と同じように、集団の和を乱す存在と考えられる可能性があります。実際、・・・集団主義社会のほうで、より強い非社会的罰が生じていました。[p.101]」
・「罰の代わりに報酬を用いても、協力は達成できた」。「報酬あるいは、罰のいずれかの機会があると、人はより協力的に振る舞うようになる」、「そして、報酬と罰が同時にある場合には、実際の報酬の回数が多いほど協力率は上昇するのですが、実際に罰が何回行われたかということは協力率の上昇には貢献しないのです。つまり、人は報酬という正の動機と罰という負の動機が混在するときには、正の動機に対してのみ反応し、負の動機には反応しないのです。この結果は、罰がいつも万能であるとは限らないことを示しています。[p.106-107]」
・「『報酬を与える人』は評価されるのだけれど、『罰を与える人』は特に評価はされないらしい」[p.107]。
・制度化された罰:習慣や道徳などの暗黙のルールに基づく個人レベルの罰の他に、「多くの社会には、罰の制度が法という形で存在しています」。コストがかかるにもかかわらず人が罰を制度化してきた理由としては、罰の効率の上昇と、二次のフリーライダーの排除効率が優れていることが考えられる。[p.109-111

ヒトと罰、その未来
・相手との関係を断ち切ってしまうような罰は、「自分の協力相手を選べる場合によく起こります」。相手の改心を狙って与える罰は、「相手に学習能力があるときに起こりやすいものです。また、パートナーを変えることがそれほど簡単でない場合にも、起こりやすいと言えます」。[p.113
・「罰は協力を促進するという点では効果的ですが、罰にかかるエネルギーや時間などは相当なものです。・・・罰は、もともと個体間の協力を促し、それによってそれぞれの個体が、独立に生きていくよりも高い効率を得ることが目的なので、罰自体がとても非効率ならば、そうやって得られた協力の価値というものは半減してしまうのです。[p.114]」
・「フリーライダーの出現はなかなか避けられず、むしろよくあることなのではないかと私は思っています。ですから、次善の策として、フリーライダーの出現に備えて罰をもっておくことは、協力というシステムを保つためのよい対策であると考えられます。しかし、この罰がしょっちゅう行使されているようでは、罰の非効率性が、協力することの利益に勝ってしまいます。・・・罰という制度を誰から見ても納得のいく公平なものとして設計し、その抑止効果をうまく利用して協力を達成することが、罰の優れた使い方なのではないかと思います。[p.115]」
―――

協力に限らず、人の行動を予測し、他者に自分の望みの行動をしてもらうためには、人がどのように考え、感じ、行動するかの傾向を知っておくことは重要でしょう。その時、単に経験から学ぶだけでなく、人はなぜある傾向を持つのかという視点で考えることも必要ではないかと思います。進化の観点は、このような「なぜ」についてのヒントを与えてくれるアプローチとして実践的にも役に立つのではないでしょうか。

本書の指摘の重要な点のひとつは、協力行動があるところにはフリーライダーの出現は避けられず、フリーライダーによる悪影響を抑止しようと思えば罰は不可欠であり、人は協力維持のために罰を用いることを進化の過程で身につけている、というところではないでしょうか。もちろん、人間には理性がありますので、進化によって身につけた本能だけに基づいて行動を決めるわけではありませんが、本能の影響を完全に排除できないことは本ブログでもたびたび取り上げてきました(例えば、「ファスト&スロー」など)。そう考えると、理性だけに頼ったマネジメントではなく、ヒトの本能を考慮したマネジメントも求められているのだと思います。

具体的に企業活動における協力の姿を考えてみると、人々が力を合わせて何かを実行するという協力の他に、ある人が別の人に指示や依頼をして労働の提供を受けるということも協力と考えていいのではないかと思います。例えば給料と労働の交換のような契約に基づくものであっても、「ある個体が他の個体に対して利益を与えること」という本書の協力の定義は満たしていることになるでしょう。つまり、企業内での人の活動の大部分は何らかの形で「協力」と関わっているといえるのではないかと思います。

協力におけるフリーライダーの発生が不可避だとして、では、企業におけるフリーライダーはどんな人なのでしょうか。協力しない(必要な仕事の分担をこなさない)人はもちろんフリーライダーですが、協力関係を壊す人(にもかかわらず報酬を得る人)、企業内に構築されている協力システムを使って不当に多くの利益を得ている利己的な人もフリーライダーと言ってよいのではないでしょうか。おそらくどんな企業にもそうしたフリーライダーはいるでしょう。そして、企業が好調なうちは、フリーライダーはその数を増やしていくはずです。しかし、フリーライダーが増えるに従い、仲間の中にフリーライダーを罰したいという感情が蓄積します。そしてある時、実際に協力関係が壊れて収益性に悪影響を及ぼすようになるかもしれません。そうして企業が寿命を迎える・・・。そんな場合もあるように思えてきます。

もちろん、企業の不調をすべてフリーライダーのせいにするわけにはいきませんが、マネジメントにおいてフリーライダーに注意を払う必要があることは間違いないでしょう。本書を参考にすると、フリーライダーと罰の問題に関して、以下のようなマネジメント上の注意点が挙げられると思います。
・フリーライダーはどこにでもいるはずです。従業員に注意を向けることももちろん必要でしょうが、マネジャーにもフリーライダーはいるかもしれません。直接互恵関係が成り立ちにくい過剰な協力を求めるマネジャーはいないでしょうか。高位のマネジャーや経営層の高待遇については、それにメリットがあるとする考え方もありますが、フリーライダーではないといい切れるでしょうか。過剰な利益を得ることに対する罰の制度は機能しているでしょうか。もしそれが機能していないとすると、協力している人のフリーライダーを罰したいという感情が、罰のコストを増やしてしまうことにもなりかねないでしょう。
・フリーライダーを罰するシステムはうまく設計されているでしょうか。その罰は、反省を促すことを意図したものか、関係を断ち切ることを意図したものか、どちらでしょうか。頻繁な罰は協力率の向上には寄与しない可能性があります。罰と報酬の関係は適正でしょうか。
・成果の評価システムは、利己的なフリーライダーを高く評価するような偏ったものになっていないでしょうか。個々の利益を最大化すると協力は達成できない可能性があることは認識されているでしょうか。
・本能的に罰に積極的な人、罰の力によって他者を自らに協力させようとする人もいるかもしれません。罰を加える人は周囲から評価されない傾向を認識しているでしょうか。
・組織に非社会的罰は存在しているでしょうか。組織の和を重視することで発生する非社会的罰は、かえって協力を抑制しているかもしれません。

このように考えると、フリーライダーと罰をめぐる問題は、科学の話題にとどまらず、生物としての人間のマネジメントの問題に深く関わっているように思われ、非常に興味深く感じます。


文献1:大槻久、「協力と罰の生物学」、岩波書店、2014.

参考リンク<2015.4.5追加>



「バグる脳」(ブオノマーノ著)-思考、判断のバイアスと誤りを理解する

人間の判断に伴うバイアスと、バイアスが原因の判断ミスについては本ブログでも何度も取り上げてきました(例えば、「ファスト&スロー(カーネマン)」、「意思決定理論入門(ギルボア)」、「まさか!(モーブッサン)」、ヒューリスティクス、「無意識のわな」など)。どんな場合にどんなミスを犯しやすいかの事例はそれぞれ非常に面白いですし、そうした事例を知ることは、判断ミスを防止する上で重要でしょう。しかし、数多くの事例を覚えておいて、具体的な判断の場面で自在に適用することはそれほど簡単なことではない、とも思います。

もし、そうした判断ミスをもたらす本質的な原因がわかれば、多くの事例も記憶にとどめやすくなって、注意すべきポイントも絞り込めるのではないか、と思っていたところ、バイアスの問題について脳科学の立場から解説した本(「バグる脳」(ブオノマーノ著)[文献1])を見つけましたので、今回はその内容をまとめてみたいと思います。

はじめに:脳は今日もバグってる
・「人間の脳にはもともと向いている課題とそうでない課題があるのだ。あいにく、それを見分けるのも脳は苦手なので、自分の人生が脳のバグにどれほど支配されているかについて、私たちはたいてい、おめでたいほど無知でいる。[p.10]」
・「デジタルコンピューターと脳では、得意とする種類の計算がまったく違う。計算に関する脳の長所のうちでも際立っているのは(そして、現在のコンピューター・テクノロジーの持つ周知の弱点は)、パターン認識だ。[p.14]」
・「あなたの脳は、約900億のニューロンが100兆のシナプスでつながっているウェブで、素子と接続の数では・・・ワールドワイドウェブを凌ぐ。情報素子としては、ニューロンは外向的で、接続を構築したり、何千というほかのニューロンと同時にコミュニケーションをしたりするのがうまい。だから、パターン認識のように、部分の関係から全体を理解する必要がある計算課題にはうってつけだ。・・・これとは対照的に、数値計算は、コンピューター・チップ上の何百万というトランジスターに任せるのが理想的だ。トランジスターのそれぞれは、事実上絶対に誤りがなく、独立したスイッチのような特性を持っているからだ。ニューロンはノイズの多い素子なので、スイッチとしてはお粗末[p.19]」。
・「今日私たちが暮らしている世界は、初期のホモ・サピエンスが見慣れた世界とはまったくの別物だ。・・・それなのに私たちは、本質的に昔と同じ神経系のオペレーティング・システムを相変わらず使っている。現在、人間はもともと棲息するようにプログラムされていない時代と場所に暮らしているのに、脳の構築の仕方について私たちのDNAに書き込まれた命令一式は、10万年前と変わらない。[p.26]」

第1章、ニューロンがもつれるThe Memory Web
・人間の記憶と認知が持つ根本的な特徴:1)知識は互いに結びついた形で貯蔵されている、2)ある概念について考えると、それがどういうわけか、関連したほかの概念にも「拡がり」、そうした概念が思いだしやすくなる[p.29]。「この無意識で自動的な現象は、『プライミング』として知られている。[p.30]」
・「人間の脳は、まわりの世界についての事実知識を互いに結びつけて貯蔵する[p.33]」。「私たちが頭に浮かべうるものや概念は事実上無限にあり、それを脳がどうやってコード化しているか、正確なところはわからないものの、『シマウマ』といった概念はすべて、それぞれ一群のニューロンの活動によってコード化されているのは明らかだ。だから『シマウマ』ノードは漠然としたニューロンの集まりと考えるのが最善だろう。そして・・・どのニューロンも多くの違うノードに所属できる。[p.36]」
・「長期記憶がシナプスの可塑性に依存していると言っても、今ではもう大丈夫だろう。シナプス可塑性とは、新しいシナプスを形成したり、すでに存在しているシナプスを強めたり(あるいは弱めたり)できる性質のことだ。・・・シナプス可塑性を利用して脳は情報を書きとめるという現在の考え方は、意味記憶の連合アーキテクチャーとぴったり合致する。新しい結びつき(ノード間の新しいリンク)を学習するのは、とても弱いシナプスの強化か新しいシナプスの形成に相当すると言える。[p.39]」
・「ニューロンXとニューロンYの間のシナプスの強さは、この2つのニューロンがほぼ同時に活性化すると強まることを、今や私たちは知っている。この単純な概念は・・・『ヘップの法則』と呼ばれる。この法則は、『いっしょに発火するニューロンはつながる』というわかりやすい言葉で表わされるようになった。[p.42]」
・「アフリカや白と黒という考えを呼び起こせば、シマウマを思い浮かべるように仕向けられるのは、さまざまな概念の結びついたネットワークとして知識が貯蔵されているからだけではなく、記憶の検索が伝染性のプロセスだからでもある。『アフリカ』ノードが活性化すると、私たちはまったく意識していないのに、それとリンクしているほかのノードも活性化し、シマウマを思い浮かべる可能性が高まる。・・・プライミングが脳のハードウェアに埋め込まれていることは明らかだ。私たちが好むと好まざるとにかかわらず、ある単語を耳にすると脳は次に来そうな単語を無意識のうちに予測しようとする。・・・おそらくプライミングは、単語が現れるコンテクストをすばやく考慮して言語につきものの不明瞭さを解消する私たちの能力に貢献しているのだろう[p.45-46]。」

第2章、記憶のアップデートについていけないMemory Upgrade Needed
・「私たちは記憶の連合アーキテクチャーのせいで、リストに実際に乗っている単語に密接に関連した単語がリストに載っていると錯覚するといった、特定のミスを犯しやすい。・・・脳の中では、読み出しと書き込みの作業は互いに独立していない。記憶を検索する行為が記憶の中身を変えうる。[p.62]」
・「自分の経験の記憶は事実の忠実な再現ではなく、時間と空間の異なるさまざまな点にまたがる出来事のモザイクに基づいた、部分的で流動的な再建物だ。脳の貯蔵の仕組みは柔軟なので、私たちの記憶は時間の中で途切れなくアップデートされている。・・・事実をまぜこぜにしたり消し去ったり、出来事がいつ起こったかを取り違えたり、何もないところから偽りの記憶を創り上げたりさえするという私たちの性向も、記憶の流動性で説明がつく。こうした特徴やバグは、部分的には、(コンピューターとは違って)脳で行なわれる記憶と検索の作業が互いに独立した過程ではなく、密接に絡み合っているという事実に帰することができる。[p.85]」

第3章、場合によってはクラッシュするBrain Crashes
・「脳は計算上の必要に応じて、皮質という資源を動的に割り当てることができる[p.96]」。「適応能力と再編能力は、皮質のとりわけ強力な機能だ。皮質に可塑性があるため、練習すれば物事がうまくできるように・・・なる。・・・だが皮質の可塑性は、軽度あるいは重度の障害に応じて起こる脳のバグのうち、いくつかの原因でもある。幻肢痛は脳自体の欠陥であり、手や足の喪失に適応しようとする脳の不具合によって引き起こされる。脳の驚くべき再編能力が不適応を起こすこともあるのだ。[p.101]」
・「性能に劇的な影響を及ぼさずに相当量の変化と損傷に耐えうるシステムは『グレースフル・デグラデーション』を示しているという」、「皮質のニューロンが数十個消失したとしても、・・・それとわかる影響は出ないだろう。これは一つには、ニューロンとシナプスが驚くほどノイズの多い、信頼できない計算装置だからだ。・・・個々のニューロンとシナプスが信頼性に欠けるのは、脳がグレースフル・デグラデーションを示す理由の一つとも考えられる。[p.104-105]」

第4章、時間感覚が歪むTemporal Distortions
・「時間的隔たりのある出来事の間の関係を理解するのは楽ではない。[p.117]」
・「即座に満足感を得たがる傾向を『時間割引』と呼ぶ[p.117]」。「脳には即時の報酬によってかなり活性化する部分がある。早いうちに進化を遂げた『大脳辺縁系』という情動処理にかかわる部分は、その一例だ。・・・私たちの脳は即座に満足感を得たがるように作られているので、長期的な幸福に悪影響が及ぶことがある。[p.120]」
・「進化につきものの非体系的な設計過程を経た結果、私たちはそれぞれ特定の時間的尺度を専門とする生物的時間計測装置の寄せ集めを持つにいたった。・・・だが、時間を知るために脳が使う戦略は、多くの脳のバグにもつながる。そうしたバグのなかには、主観による時間の伸び縮み、感覚刺激の実際の順番をひっくり返す錯覚、原因と結果の間の妥当な時間のずれについての先入観から生まれる心理的盲点、行動の短期的影響と長期的影響を正しく天秤にかけることの難しさなどが含まれる[p.136]」。

第5章、必要以上に恐れるFear Factor
・「動物が捕食者や有毒な動物や敵など、命を脅かす危険に対して確実に先回りして反応できるように進化が与えたのが恐れだ」。しかし、「私たちの環境は初期の人間が生きてきた環境とはまったく異なるので、祖先にとっての危険について学習するように遺伝的にできている私たちは、厄介な状況に陥る可能性がある。たとえば、私たちの世界ではさほど危険でないものに対して、恐怖心を抱くときがそうだ[p.141]」
・「情動の処理に貢献する、進化的に古い脳構造の一つである扁桃体は、恐れを表したり学習したりするのに欠かせない。[p.146]」
・「私たちが何を恐れるかは、進化によって編み出された3つ組の戦略に由来する。その3つとは、生まれつきの恐れ(先天的なもの)、学習した恐れ(後天的なもの)、そして、この両方を兼ね備えた、あらかじめ特定のものへの恐れを学習しやすくなっているという遺伝的性質だ。この3通りの戦略から少なくとも2つ、恐れにかかわる脳のバグが生じている。1つ目は、私たちが恐れるようプログラムされている対象は、現状には不適応と言えるぐらいどうしようもなく時代遅れだということ。2つ目は、私たちは観察によって、自分の害になりそうもないさまざまなものへの恐れを、知らず知らずのうちに学習していくということだ。[p.157]」

第6章、無意識に不合理な判断をするUnreasonable Reasoning
・「プライミングとフレーミングとアンカリングはすべて互いに関連した心理現象で、同一の神経メカニズム、つまり、結びついている概念や感情や行動を表すニューロン群の間で活動が拡がる仕組みが原因かもしれない。[p.192]」
・「私たちの生活を形作る判断には、とても相補的な2つの神経システムの産物という面がある。一方の自動システムはすばやく無意識に働き、脳の連合アーキテクチャーに大きく依存している。・・・もう一方の熟慮システムは意識的なもので、努力が必要で、長年の教育や訓練の恩恵を積み上げたときに最善の状態になる。[p.194]」

第7章、広告にすっかりだまされるThe Advertising Bug
・「神経系のオペレーティング・システムがマーケティングにこれほど左右されやすい原因を何か一つに絞ることはできない。だが、模倣によって学習する性向と、脳の連合アーキテクチャーの2つが大きな原因であることは確実だろう。[p.223]」

第8章、超自然的なものを信じるThe Supernatural Bug
・「歴史を振り返っても現状を見ても、信仰には理性も基本的な本能も一様に退ける力があるのを多くのデータが裏づけていることを考えると、超自然信仰はどうやらほかの知的能力のたんなる副産物ではなさそうだ。むしろ、それは私たちの神経系のオペレーティング・システムにプログラムされているのかもしれない。そして、そこで特権的な地位を占めているからこそ、私たちはそれを脳のバグとして認識しにくいのだ。[p.251-252]」

第9章、脳をデバッグするということDebugging
・「脳のバグを認識してその埋め合わせをすることを自らに教え込むために、私たちは神経科学や心理学の知識を使わなければならない。その過程は、自分にとって最も重要な器官の長所と短所を子供たちに教えることによって間違いなく加速できるだろう。誰もが脳の欠点を抱えていることや、私たちの住む世界がますます複雑で生態学的に不自然になってきていることを考えると、脳のバグを受け入れることは、私たち自身の生活と遠くや近くの仲間の生活を発展させ続けるためには避けて通れないステップとなるだろう。[p.270]」
―――

脳科学の知見による人間の思考や行動のパターンの理解は、まだ確立された理論とまではいかないまでも、かなりわかってきたというのが現状のようです。記憶と思考の仕組みがどうなっているのか、どれがどう変わっていくのか、なぜ、人はそのような仕組みを持っているのか(進化)、という観点から考えると、様々な興味深いバイアスや心のバグの原因が統一的に理解でき、対処方法もわかるようになるのではないか、という印象を持ちました。人をマネジメントするうえでも、脳の特性の優れたところを活用しながら、バグによる不都合を回避することは、これからの時代、ますます重要になるのではないかと思います。今後の展開に期待して注目していきたいと思います。


文献1:Dean Buonomano, 2011、ディーン・ブオノマーノ著、柴田浩之訳、「バグる脳 脳はけっこう頭が悪い」、河出書房新社、2012.
原著表題:Brain Bugs: How the Brain’s Flaws Shape Our Lives

参考リンク<2015.4.5追加>



「利他学」(小田亮著)より

イノベーション成功のためには、他者との協力が重要になります。その協力行動は利他行動と深い関係があると考えられますので、人間のもつ利他性について理解することは、よりよい協力関係を構築し、研究開発の成功確率を上げるうえで重要なことと言えるでしょう。小田亮著、「利他学」[文献1]では、人間の利他性、利他的行動はどのようなものか、なぜ人間はそのような行動や思考のパターンを持っているのかが解説されており、マネジメントを考える上でも示唆に富んだ指摘が多いと感じました。

本書の特徴は、利他性が進化の過程における淘汰によって人間に備わったもの、という観点から考察されていることでしょう。もちろん、進化の過程を厳密に証明することは不可能なのだと思いますが、なぜ人が利他性を持っているかについて考えることは、人間の性質をよりよく理解する助けになるでしょうし、その性質を考慮したマネジメントの有効性にもかかわってくると思います。以下、特に興味深いと感じた点、重要と感じた点をまとめます。

利他性とは

・「利他行動とは自分が何らかの損をして、相手が得をするという行動」[p.34]。

・「利他行動は自分の適応度を下げる」[p.40]。(「次世代にどの程度遺伝子を残したか、という度合いを『適応度』という[p.24]」。

・利他行動の「相手が血縁であれば、自分と同じ遺伝子を高い確率で共有しているので、相手の適応度の上昇を通じて自分の遺伝子が残っていく可能性がある[p.40-41](ハミルトンの法則)」

・「血縁関係にない相手を助けると、遺伝子が共有されていないので適応度は上がらない。しかし、後で相手から同じだけ返してもらえば、差し引きはゼロになり、どちらも損をしないうえに、お互い困っているときに助かるので、両方とも得をすることになる。このような場合には、非血縁個体に対する利他行動も進化しうる[p.41]」。(トリヴァースによる『互恵的利他行動』の理論)

・「助けてあげた相手から直接にではなく、全く別の人から間接的にお返しがあることがある。これを、『間接互恵性』と呼ぶ」[p.45]。

・評判の重要性:「誰かにした利他行動に対したとえ本人から直接的なお返しがなくても、それを見ていた第三者によって、『あの人は親切な人だ』という評判がたてば、その後のやりとりで利他的にふるまってもらえるだろう。(アレグザンダーによる)」[p.46

・群淘汰(自分が損をしても、自分の種や属する集団が存続すればよい)は基本的にありえない[p.35,47](その集団内での利他的個体は残れない)。(ただし、例外も示されています。)

・利他行動をする個体どうしで集団を形成する場合、「利他的な集団の方が利己的な集団よりも全体としての適応度を上げることができれば、集団のための行動が進化しうる[p.47]。(ウィルソンによる『マルチレベル淘汰』)

つまり、利他的であることにより進化上有利になる状況がありうるため、人間持つ利他性は、進化の過程で生物として獲得した性質である可能性がある、ということになります。

利他性の発揮

・目の効果:「目の絵や写真があることが利他性を高める[p.64]」。「目の絵が罰への恐れを喚起するのではなく、状況を互恵的なものだと誤解させることによって、利他性を高めているのではないか[p.75]」。

・性淘汰の影響:「美人に見られていた男性は、より他者に対して気前よく振る舞う[p.81]」。

・利他的な罰:「利他的ではない他者を、わざわざコストを払って罰する傾向がある[p.66]」。

・私的自意識とは「自分の内面・気分など、外からは見えない自己の側面に注意を向けること[p.76]」。私的自意識が強いと、「自分の信念を明確にもち、それに従って生きようとする傾向がある[p.214]」。そういう人にとっては「状況如何にかかわらず一貫して利他性を示すことが重要[p.216]」。

・脳内活動:寄付行為によって脳内の線条体(快の刺激を得たときに活動する報酬系の一部といわれている)が活発になり、「他者に対して親切にふるまうという、そのこと自体を報酬と感じるしくみがあることが、脳研究から明らかになっている[p.216-217]」。

こうした傾向をみると、人間の持つ利他性には、理性による判断以外の性質が反映しているように思われます。

利他性の維持

・「互恵的利他行動が維持されていくためには、他人からは助けてもらうが、自分は何もしない裏切り者が大きな問題になる。」[p.92

・裏切り者検知:「私たちには(中略)明らかな裏切り者を探すような『しくみ』が備わっているのではないか」[p.96]。(純粋な推論問題にするとあまり解けない問題も、表現を裏切り者を検知するというかたちにすると正解できる。)

・利他主義者検知:「私たちには(中略)利他主義者を見つけ出して微妙な裏切りを防ぐしくみ」[p.100]も備わっているようだ。例えば、微笑みの左右対称性で利他性を判断している[p.139]」。

・非利他主義者は記憶に残るが、利他主義者は記憶に残らない[p.114](非利他主義者を避ける傾向)。これは、裏切り者に罰を与えるほうが、利他主義者に報酬を与えるよりもコストがかからないことと関係するが影響しているかもしれない[p.117-118]。

・感情の影響:「道徳に関連するような感情は、互恵的利他行動への適応として進化してきたのではないか(トリヴァース)[p.120]」。例えば、他人に対する好き嫌い、友情、義憤、罪悪感(恩や親切に充分なお返しができなかったとき)、同情(相手を助けたいと思う感情)、感謝など。真面目な人に同情しやすいのは互恵的利他行動が期待できるからかもしれない。感謝は「逆行的利他行動(利他行動の受け手が第三者に利他行動を与えること)」の要因となる。これが間接互恵性を進化させた可能性がある。

自分の利他性を相手に伝える行動

・「利他的な人の方が周囲から利他行動をされやすいので、自分が利他的であることを実際よりも大げさに宣伝する方向に進化する」[p.132]。

・コミュニケーションとは:「平均すれば送り手が受け手の反応によって利益を得るような、ある動物から他の動物への信号の伝達」[p.139]。

・コストのかかる信号は正直な信号として機能する[p.146]。

・「信号の送り手は自分が利他的であることを宣伝するような信号を送るわけだが、受け手の方には、それが正直な信号であるかどうか見極める能力が進化する。[p.152]」

・相手を操作するための究極の信号が言語。[p.156

利他性の起源と進化

・利他性の起源としては、共同繁殖[p.178]、抽出食物(食べられるようにするには何らかの処理が必要な食物)への依存(シルク、ボイド)[p.185]、教育行動[p.186]が考えられる。

・利他主義のニッチ:「生態系のなかで、それぞれの種は周囲の別の生物種、気温や湿度、地形などの物理的条件といったものと関わり、影響を受けている。これらの関わりを『ニッチ』と呼ぶ。」ニッチの考えかたは社会的環境についても使え、「他者に対して利他的にふるまう人は、それが報われるような社会的ニッチにおいて生活しているのではないか。」[p.207

・「現代人が持っている大脳新皮質の割合に見合った集団サイズは、約150人」[p.221]。

・「私たちの利他性は、基本的には友人や知人のあいだでの互恵的な関係によって形成される『利他主義のニッチ』において育まれている。」「150人という認知的な限界を超えていくには、もうひとつ、人間がもつ大きな特徴が必要だ。それが、私たちがもつ道徳性である。」[p.223

・制度:「非血縁である他者への利他行動は、何らかのお返しがあるということによって成り立っている。私たちにはそのお返しを確実にするためのさまざまな認知的適応があるのだが、これが制度として確立されることにより、はるかに効率的に利他性を発揮できるようになる。」[p.228

・制度設計:「制度をうまく機能させたければ、単純に合理的なものにするのではなく、互恵性のような、私たちが進化によって身につけた性質をうまく引き出すようなかたちの設計にすることが考えられる。」[p.233

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以上、やや断片的な知識や考え方の羅列のような面もありますが、利他性についての詳細はまだ研究途上のようです。本書中の説明にしても「考えられる」とか「可能性がある」とかのような表現で書かれていることが多いように思いましたが、これはこの分野の現在までの発展状況から考えてしかたのないことのように思います。ただ、著者もいうように、「進化心理学がなぜ有用なのかというと、心のしくみについて一貫した説明を与えてくれるからである。進化心理学者は、思いつきで、あるいは単なる経験則でモデルをつくるのではなく、進化と適応の結果としてどう考えられるか、という視点からさまざまな実験や調査を行う。」[p.86]という点には大きな期待ができるのではないでしょうか。特に研究開発のマネジメントにおいては、人や組織の能力をできるだけ引き出すことが重要です。そのためには、人の考え方や行動を支配する要因について知り、マネジメントしていかなければなりませんが、その理解や理論が完璧でない場合には、何らかの仮説に従って進めるしかありません。その時に、その仮説が妥当かどうかの見込みを得るために、「進化」という視点から一貫した解釈が可能かどうかはひとつのチェックポイントになるのではないでしょうか。例えば、人間を経済合理性に基づいて利己的に判断する生物と理解することは、進化の視点からみるとおそらく人間の一面しか捉えていないことが考えられます。そのような前提にたったマネジメントが果たして有効なのかどうか、それを見直すヒントを与えてくれると思います。また本書の最後の方に指摘されている、利他性を引き出す「制度設計」は、特に研究開発においては重要になるでしょう。研究開発における「協力」を目指したしくみは様々に提案されていますが、人間が本来持つ利他性の観点からそれらのしくみをより実効あるものにできるのではないか、という期待も持ちました。利他性には、進化の結果人間が生まれながらにもっている部分と、周囲に影響されて形成されていく部分があると思います。研究開発組織を利他主義のニッチととらえ、その集団の利他性を高めることが「協力」の活発化につながるように思いますが、いかがでしょうか。


文献1:小田亮、「利他学」、新潮社、2011.


(参考)

「人はなぜ利他的行動を行うのか?進化的視点から人の心の行動の秘密を探る比較行動学の研究紹介:小田亮准教授」、名工大ラジオ

http://radio3.nitech.ac.jp/?p=3404

参考リンク


 

 

 

進化心理学からの示唆(「友達の数は何人?」ロビン・ダンバー著)より

人間の行動はどこまで予測できるのか。何に基づいて決まるのか。これは、組織をマネジメントする場合にも、市場動向を予測して製品を買ってもらおうとする場合にも、競争相手の行動を予測する場合にも重要なことでしょう。

人間は損得に基づいて合理的に判断するものだ、というのが従来の経済学や経営学における考え方だと思いますが、そうした人間観では不十分である、とする指摘が増えているように思います。行動経済学、ヒューリスティクス、心理バイアスの問題など、人間が合理的な判断を行なえない例や、そもそも合理的な判断とは何かを考え直さなければならないような例について本ブログでもいくつか紹介しました(ヒューリスティクスヒトは環境を壊す動物である利他性と協力人間の判断の問題)。

進化心理学は、人間がそうした合理的とは言えない判断をなぜするようになったのかについて、さらには生物としての人間の行動を予測、理解する上での重要な示唆を与えてくれるものだと思います。今回は、ロビン・ダンバー著「友達の数は何人? ダンバー数とつながりの進化心理学」[文献1]にもとづいて、人間の認知、判断の問題を考えてみたいと思います。

本書の主題は「つながり」ということになるでしょう。人間が集団で生活し、社会を構成するように進化してきたことは多くの人が認めるところだと思いますが、著者によれば「霊長類は大きな集団で生活する必要があり、そのため脳が大きく発達し」、「集団のサイズ(社会の複雑さと言いかえてもいい)と、脳のいちばん外側の層で、意識的な思考を主に担当する新皮質のサイズのあいだに見られる強い相関関係」に基づいて判断すると、「ひとりの人間が関係を結べるのは150人まで」[文献1、p.21-22]ということになる、といいます。この150人という数字が著者の名に由来して「ダンバー数」と呼ばれるもので、本書では、このことをはじめとして、人類の進化や個人のつながり、集団の形成、それに伴う社会との関わりなどについての様々なトピックスが紹介されています。ちなみに、原題は「How Many Friends Does One Person Need?, Dunbar’s Number and Other Evolutionary Quirks(訳せば、人には何人の友達が必要か?、ダンバー数やその他の進化のいたずら、でしょうか)」です。以下では、そのなかから、人間の判断に関わる話題をピックアップしてご紹介します(その他の話題も興味深いものが多いのですが)。

進化の結果としての人の判断に影響する要因

・オスとメスの違い:メスは社交性が重要、オスは戦い[p.14]。男性は女性より高リスクをとる[p.97]。「ほとんどの霊長類の場合、メスが無事に子どもを産んで育てられるかどうかは、ほかのメスの協力で決まる」ため、社交上手のメスほど多くの子孫を残す、とのこと。

・生物学的能力の違い:男性の目の錐体細胞(色を感じる細胞)は3種類、女性の中には4~5種類を持つ人がいる。すなわち、人により色の区別の精度が異なる[p.16]。これも社会性に役立つ顔色の判断に好都合なため?。

・血縁による相互の結びつきが強いと運命の波を乗り越えやすくなる[p.36]。血縁による結びつきは、強い安心感と満足感をもたらすため、とのこと。

・化学物質の作用:オキシトシンは人を信用しやすくする[p.59]。エンドルフィンは幸福感、満足感と深く関与(脳内鎮痛剤)し、集団の団結を促す[p.66, 218]。アンドロステノン、アンドロスタジエノンは異性に対する好みに影響[p.94]。

・遺伝子の有無により反応が異なることがある[p.110]。

・頭脳は連続性を扱うことが苦手。二分法に陥りやすい[p.185]。

もちろん、どの程度、これらの要因が理性的な判断に影響するかについては明確とは言えないと思います。しかし、人のすべての行動が理性に基づいたものではないこと、人が理性に基づいて判断していると思っていても実は理性とは関係ない生物としての特性に影響されている可能性があることは言えるのではないでしょうか。少なくとも、ダンバー数が、1人の人間が扱える集団の大きさに制限を加えているのと同様に、こうした要因も人間の理性的な判断に制限を加えていることは確かなように思います。すなわち、人間の行動を予測するためには、経済合理性に基づく行動だけでなく、このような因子の影響も考慮しなければならないということでしょう。

ただ、現状では、進化心理学の成果は人間行動の予測に使えるほどにはなっていないでしょう(本書で取り上げられている男女の問題に関しては使えるかもしれませんが――男女の問題は理性より本能ということかもしれません)。また、人間が平均としてそういう性質を持っていたとしても、平均から外れた人がどのくらいいて、そういう人たちが社会にどんな影響を与えるのかも考慮しなければならないでしょう。しかし、例えば経済合理性に基づく判断にしたところで、それによる予測の精度は似たりよったりかもしれない、といったら言い過ぎでしょうか。進化心理学が、人間の判断に関する従来の考え方を補完するものになるのか、それとも進化心理学の示唆の方が本質なのか、今後の発展に注目していきたいと思います。

ついでになりますが、著者は、進化研究の観点から、薬剤耐性菌の問題[p.125]、中国の一人っ子政策による男性過剰の問題[p.133]、世界の人口増加への懸念[p.149]にも言及しています。世界がかかえる問題に対して、著者は、「楽観論者は科学が何とかしてくれると言うだろう。」しかし、「科学はただ時間を稼いだだけだ。化石燃料の消費量が増えることや、廃棄物や余剰物をところかまわず捨てることがどうというより、とにかく人間が毎年どんどん増えていくことがまずいのである。伝統的な狩猟・採集社会は、むかしも今も自然にやさしかったという意見がある。残念ながらその主張は誤りであることが裏付けられている。そうした社会が自然を守っているように見えたのは、人間の数が少なくて、無茶をやっても環境が破壊されなかっただけだ。」[p.148-149]、と述べています。本稿の最初に書いた判断の問題とは離れますが、進化の観点というのは、このような人間の活動と考え方の本質を問い直すちからもあるのかもしれません。





文献1:Robin Dunbar, 2010、ロビン・ダンバー著、藤井留美訳、「友達の数は何人? ダンバー数とつながりの進化心理学」、インターシフト、2011


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