研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

金井壽宏

ノート7改訂版:研究者の活性化

1、研究開発テーマ設定とテーマ設定における注意点→ノート1~6

2、研究の進め方についての検討課題
ここからは具体的な研究の進め方を検討したいと思います。研究の分野やタイプによって研究の進め方は異なるのが普通ですが、多くの場合に共通する注意点や知っておくべき知識はあるでしょう。研究にまつわる人の問題、組織の問題、運営管理の問題などは、いずれも経営学上の大問題でしょうが、研究グループのマネージャーとして研究者を率いて研究を行なう立場と、経営者の立場とではその重要性は若干異なると思われます。以下では、研究グループのマネージャーとして、与えられた資源を有効に使い、どのようにマネジメントを行なうべきかという視点から、重要と考えられる課題についてまとめてみたいと思います。

2.1
、研究を行なう人の問題
まず研究を行なう人々をどのようにマネジメントしていくかについて考えます。研究者個人のマネジメントと研究者集団のマネジメントの2つの側面を検討する必要がありますが、野中らも指摘するとおり、「厳密にいえば、知識を創造するのは個人だけである。組織は個人を抜きにして知識を創り出すことはできない。組織の役割は創造性豊かな個人を助け、知識創造のためのより良い条件を作り出すことである」[文献1、p.87]と考えられますので、ここでは、まず研究者個人に焦点を当てて考え、研究者の集団としてのマネジメントは後ほど、組織運営に関する話題を取り上げる際に考えてみたいと思います。

①研究者の活性化
研究成果を高めることを研究マネジメントのひとつの目標とする場合、個々の研究者を活性化し、持っている力を十分に発揮させることは重要です。もちろん、それだけで研究成果が上がるわけではないですが、外的環境(研究組織、マネジメント体制、資源など)が同じ条件であれば、研究者が活性化されている方が成果が期待できるはずです。

従業員からより多くの成果を引き出す方法として、古くは伝統的管理論、すなわち従業員を命令を受けて作業を行なう機械のようにみなす考え方(機能人仮説)や、経済的刺激によって意欲が高まるという考え方(経済人仮説)に基づく方法が効果的という考え方がありました。しかし、その後の人間関係論の発展とともに、従業員の人間性が重視され、動機付け要因が注目されるようになります。実務的には、その後提唱されたコンティンジェンシー理論に基づいて、状況に応じた管理をすべきであるという考え方が最も受け入れやすいように思いますが、現在に至ってもまだ伝統的管理論に基づいたマネジメントを信奉する人がかなりいるのではないでしょうか。

現代の多くの研究課題は、結果の予測が困難な不確実な課題であり、臨機応変の対応が迫られることを考えると、伝統的管理論に基づくマネジメントでは限界があるように思われます。そこで、ここでは、研究者の活性化、モチベーションに関わる基本的な事項を、三崎[文献2]、開本[文献3]の著作に基づいて概括してみたいと思います。

人間がどんな欲求に基づいて行動するのかについては、Maslowの欲求階層理論が有名です。これは、「人間の欲求は生理的欲求、安全欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求、自己実現欲求の5段階の階層をなし」、「人間は原則的に、まず低次の基本的欲求によって動機付けられ、低次欲求がある程度満たされると、より高次の欲求によって動機付けられるようになり、その際、低次の欲求は人を動機付ける欲求としては機能しない」「ただし、最上位の自己実現欲求は際限なく追い求められる」というもので、非常に理解、納得しやすく実践的にも有用なモデルです。このような欲求についての考え方はその後さらに発展し、例えば、McGregorは、上記の低次の欲求を強く持つ組織成員のモデルをX理論、高次欲求を強く持つ組織成員のモデルをY理論とし、Y理論に基づいた管理の重要性を指摘しています。また、Herzbergは高次な欲求を刺激するものを動機付け要因(motivators)、低次な欲求を刺激するものを衛生要因(hygienic factors)とし、衛生要因を改善しても不満がなくなるだけで動機付けることはできないとしています。さらに、Deciは、給与や人間関係など人を動機付ける要因が個人の外部にある場合の「外発的動機づけ」よりも、自らの有能さの確認や自己決定などに関わる「内発的動機づけ」が重要と述べています[主に文献2、p.111-114]

上記の動機づけに関する考え方は欲求説(need theory)と呼ばれますが、これに対して、モチベーションが生じる心理的メカニズムに着目した過程説(process theory)と呼ばれる考え方があります。これはLawlerの期待理論に代表されるもので、「人の行動は、その行動が報酬につながる期待と報酬の魅力度によって規定される」というものです。ここでは欲求と密接に結びついた報酬の魅力度(誘意性Valence)に加えて、それが得られる期待も考慮に入れているわけですが、この期待については、努力が業績に結びつく期待(EP期待)と業績が報酬に結びつく期待(PO期待)に分けて考えることができるとされています。Lawlerは、これらの積としてモチベーションをモデル化しており、単純な積の形に表現するのはやや乱暴なモデルだと思われるものの、例えば、成果から得られる報酬が期待でき、それが魅力的であっても、成果が得られる可能性が低ければモチベーションがあがらないだろう、という心理的側面をうまく表現できているように思います。ただし、研究者のモチベーションに関しては、成果が得られる期待(EP期待)が高すぎても(つまり、課題が簡単すぎても)モチベーションは上がらないという考え方(Atkinsonの達成動機理論)のように達成感が重要な因子として作用するという考え方もあるようです[主に文献3、p.39-41]。(なお、達成動機の研究にはMcClellandも多方面からアプローチしています[文献4、p.154]。)

さらにエンパワーメントという考え方があります。これは開本によれば、「高いエネルギーに関わる心的活力」「モチベーションが短期的な、瞬間的な概念であるのに対し、エンパワーメントは、より長期的なスパンでとらえるべき概念」[文献3p.57,59]とのことです。欲求や期待以外に人間の行動に影響を与える因子、特に周囲の状況や感情的な側面、モチベーションの維持に影響を与える因子も考慮の対象になっている点が特徴のように思われます。エンパワーメントに影響する項目としては、個人の目標の集団にとっての意味、集団にとって必要な人材であることの認識、自分が有能であるという認識、自信、影響力、自己の適性や嗜好との合致、無力感、情報へのアクセス、行動に際しての自律性、権限委譲、自己決定、仕事自体の組織や社会への貢献、上司の能力と態度、メンター、支援、周囲の反応、チームとしての能力、成長機会、などが挙げられています[文献3p.57-75171]

このように、人の動機については様々な要因が影響することが示されており、上記以外にも、Lockeの目標設定理論、Snyderの希望の心理学、Csikszentmihalyiのフロー経験、Seligmanのポジティブ心理学なども重要な考え方と言えると思います[文献4]。ただし、すべてを統一的に理解でき、かつ実践の役にも立つような包括的な理論は未確立のようですので、結局のところ、人を思い通りに動機づけ活性化する簡便な方法はない、と考えるべきだと思われます。

そんな中で、金井は、やる気を生み、育てる要因を次の4つの系統に整理しています[文献4、p.22]。
1、緊張感・危機感・欠乏・心配・不安がやる気を起こす(ズレ・緊張系)
2、夢・希望・目標を持つことで、やる気が起こる(希望・元気印系)
3、その人それぞれの考えで、やる気が起こる(持論(自論)系)
4、コミューナルな関係性、共感がやる気を起こす(関係系)
そして、それぞれの系統の役割として、やらなければという緊張感(ズレ・緊張系)で、やる気が起こりアクションを開始→希望や期待、ビジョン(希望・元気印系)を持ってアクションを持続→ただし、やる気にはアップダウンがあり、それを自己調節するのに必要なのが持論(自論)、という流れを示しています。さらに、こうしたやる気を支えるための土台(心身の健康状態、プライベートの充実など)も必要であって、加えて、他者から受ける影響(関係系)によってやる気が影響を受けることも指摘しています。この考え方は単なる動機づけだけではなく、やる気の持続や調節への影響も考慮されている点で、様々な動機づけ理論を状況に応じて使う上で参考になる考え方だと思います。

以上、研究者の活性化に関わる因子について、おおまかにまとめました。動機づけややる気の研究には多くの蓄積があり、実用的には、それらからの重要な示唆を認識した上で、状況に応じて使いこなしていくことが求められる、ということでしょう。
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考察:研究者の活性化における注意点
不確実な課題に挑戦し、予想外の発見に至るために決められた課題を逸脱しなければならないこともある研究開発活動において、以上のモチベーション理論に基づいて「研究者はこうマネジメントすべきだ」という実務的な回答を得ることは不可能のように思われます。しかし、少なくとも以下の点には留意するべきでしょう。
・欲求には低次のものと高次のものがあり、低次の欲求は満たされることによって動機付けの力を失うことがあるが、高次の欲求は動機付けの力を失いにくいと考えられる。
・欲求には、それが充足されないと不満を感じる種類のもの(衛生要因)と、動機付け要因となりうるものがある。
このことに加え、結果が予想しにくく努力が報われない可能性のある研究開発活動の特徴を考慮すると、強い動機づけが継続的に確保されるようなマネジメントが効果的なのではないかと考えられます。すなわち、衛生要因となりうる待遇などの外的要因は確保した上で、低次の欲求を刺激することよりも、高次の欲求しかも内発的な動機に焦点をあてたマネジメントを行なう必要があるということになるのでしょう。さらに、研究者の個性、考え方や欲求、取り組むべき課題の多様性を考えると、特定の動機づけの考え方にあまり固執せずに柔軟なマネジメントを行う必要があると思われます。加えて、これからの時代には、個人の活性化を主対象とした上記のようなモチベーションの議論だけでなく、コラボレーションを推進するために、個人の意欲を維持しながら組織としての能力を最大限発揮するような活性化の方法を考えていかなければならないかもしれません。

このノートの改訂版「はじめに」では、研究マネジメントにおいて最も重視すべきこととして「研究開発やイノベーションに携わる人が継続的に意欲を持ちつづけられること」をあげました。そのための基礎として、動機づけ、モチベーションの知識はひとつの拠りどころとなると思います。どんな場合にでも役立つ人材活性化の方法のようなものはないかもしれませんが、モチベーションに影響する様々な因子を理解した上で、研究者のモチベーションの状態を見ながら(例えば、本ブログ別稿「モチベーション管理る?」に書いた試案のような方法はどうでしょうか)、臨機応変かつ総合的に活性化のためのマネジメントを行なっていくことが求められるように思います。


文献1:Nonaka, I., Takeuchi, H., 1995、野中郁次郎著、竹内弘高著、梅本勝博訳、「知識創造企業」、東洋経済新報社、1996.
文献2:三崎秀央、「研究開発従事者のマネジメント」、中央経済社、2004.
文献3:開本浩矢、「研究開発の組織行動」、中央経済社、2006.
文献4:金井壽宏、「危機の時代の[やる気]学」、ソフトバンククリエイティブ、2009.
 →文献4については本ブログ別稿「モチベーション再考」で少し詳しく取り上げています。

参考リンク

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エキスパートになる、育てる(金井壽宏/楠見孝編、「実践知」より)

エキスパートといえば、「専門家」、「達人」ということになるでしょうが、その意味には少し違いがあるでしょう。どちらも、ある人が特定の分野についての有用な知識やスキルを持っていることを意味している点では同じとしても、専門家は職業として成立するようなある一定レベル以上の能力を持つことを指すのに対し、達人となるとある分野における能力が卓越していることを意味しているように思われます。

では、どうやれば達人になれるのでしょうか。研究者でいえば、初学者の段階から知識と経験を蓄え、やがて一人前の専門家になり、そのうちの一部の方が達人の領域にまで達する(研究の分野では「第一人者、権威」と言われることが多いと思いますが)、という成長の過程をたどります。もし、少しでも速く、簡単に達人になれるとすれば悪くない話ですし、逆に育成がうまくいかなければ問題を引き起こすかもしれません。今回は、専門的能力の熟達過程と、成長の方法について、金井壽宏/楠見孝編、「実践知」[文献1]に基づいて考えてみたいと思います。

本書は3部構成になっています。以下、その中の重要と思われるポイントをまとめます。

I部、実践知――獲得と継承のしくみ1~3章)

第1章、実践知と熟達者とは(楠見孝)

・「実践知(practical intelligence)とは、熟達者(expert、エキスパート)がもつ実践に関する知性である。熟達者とは、ある領域の長い経験を通して、高いレベルのパフォーマンスを発揮できる段階に達した人をさす。・・・本書では・・・実践知を獲得する学習過程を『熟達化』と定義し、熟達者を熟達化の過程を経た人というより広い意味でとらえる。[p.4]」

・「学校知とは学業に関わる知能、学校の秀才がもつ知能である[p.5]」

・「知能検査で測定される知能は、実践知というより学校知を予測するものである。知能検査の限界として、よく指摘されるのは、知能検査の成績は、学校を終えてからの職場での実績についての予測力が低い点である。こうした知能検査の限界に基づいて、仕事をはじめとする実践場面における知能を説明・予測するために提唱されたものが、実践知なのである」[p.6-7

・「実践知は、経験から実践の中に埋め込まれた暗黙知(tacit knowledge)を獲得し、仕事における課題解決にその知識を適用する能力を支えている。[p.12-13

・「熟達者は、・・・実践知あるいはスキルを経験から獲得することで、高いレベルのパフォーマンスを発揮している」[p.17]。熟達者の特徴は次の9点にまとめられる。1)実践知、とりわけ事実に関する詳細な知識、さらに言語化、意識化されにくい知(暗黙知)を多くもっている。2)最高のパフォーマンスを、素早く正確に実行できる。3)初心者がわからないような重要な特徴に気づく検出、それが何であるかがわかる認識、さらにそれを他のものと弁別できる知覚的スキルをもつ。4)すぐれた質的分析ができる。5)正確な自己モニタリングを行い、自分のエラーや理解の状態を把握できる。6)適切な方略を選ぶことができる。7)その場の状況の情報をリソースとして適切に活用できる。8)不確実性に対応できる広範な方略をもつため、不測の事態にも対応できる。9)短い時間と労力での実行を可能にする効率よく状況を動かすポイントを見つける。

・仕事の実践知を支える4つのスキルと暗黙知:1)テクニカルスキル(タスク管理)、2)ヒューマンスキル(他者管理)、3)メタ認知スキル(自己管理)、4)コンセプチュアルスキル。[p.28

第2章、実践知の獲得(楠見孝)

・「エリクソン(Ericsson)は、仕事に限らず熟達化における高いレベルの知識やスキルの獲得のために、およそ10年にわたる練習や経験が必要であるとして、『10年ルール』を提起している。」[p.34

・熟達化の段階:1)初心者(指導者からコーチングを受けながら、仕事の一般的手順やルールのような手続き的知識を学習し、それを実行する手続き的熟達化が行われる)、2)一人前における定型的熟達化(指導者なしで自律的に日々の仕事が実行できる段階)、3)中堅者における適応的熟達化(柔軟な手続き的熟達化によって、状況に応じて、規則が適用できる。さらに、文脈を越えた類似性認識(類推)ができるようになり、類似的な状況において、過去の経験や獲得したスキルを使えるようになる)、4)熟達者における創造的熟達化(高いレベルの完璧なパフォーマンスを効率良く、正確に発揮でき、事態の予測や状況の直観的な分析と判断は正確で信頼できる)、5)叡智(仕事場を含む幅広い人生経験に基づく深く広い知識と理解に支えられた知性)[p.35-39

・実践知獲得のための学習:1)観察学習、2)他者との相互作用(対話、情報のやりとり)、3)経験の反復、4)経験からの機能と類推、5)メディアによる学習(書物、研修など)[p.41-45

・経験から実践知をどれだけ多く獲得できるか:経験から学習する態度(挑戦性、柔軟性、状況への注意とフィードバック、類推)、省察(過去の体験に意義や意味を解釈して深い洞察を得る、実践の可能性について考えを深める)、批判的思考(基準に基づく合理的(理性的・論理的)で偏りのない思考)による。[p.45-51

・実践知獲得を促進する組織特性や職場環境:異動、責任、負担、障害、コミュニティ、批判的思考ができるクリティカルコミュニティ[p.51-53

第3章、実践知の組織的継承とリーダーシップ(金井壽宏・谷口智彦):

・リーダーを育て、育成の仕組みをつくるのはリーダーの役割のひとつ、薫陶を受けながら学ぶ、リーダーシップの持論を言語化し、それと言行一致した行動をとるときに最も促進される、研修以上に経験と薫陶が大事。[p.61-62

・「持論の特徴は、暗黙知であること、経験と経験の物語に根づいていることであり、加えて、それ自体が暗黙知で物語に支えられているなら、持論そのものが言語化されることが不可欠となる[p.68]」

・リーダーシップエンジン、リーダーシップパイプライン:リーダーが次世代リーダーを生み出すリーダーシップ育成の連鎖の仕組み[p.97

II部、エキスパートの仕事場から(第4~6章)

II部に述べられた事例から特徴的と感じたものを抜き出しておきます。

第4章、組織の中で働くエキスパート:営業職(松尾睦)、管理職(元山年弘、金井壽宏、谷口智彦)、IT技術者(平田謙次)

・目標達成志向の信念(自身の売上目標を達成することを重視)は、目の前の販売業績を高める力がある。顧客志向の信念(顧客を満足させ、顧客から信頼されることを重視)は、現在の販売業績を高める力はないものの、経験から学習する能力を高め、将来の販売業績を高める力をもつ[p.117-118

・管理職が持つ実践知:1)タスク管理、2)他者管理、3)自己管理[p.125,28

・参照実践知:体系化された実践知(知識、基本スキル)[p.150

・遂行実践知:タスクプライオリティ知(実践の仕事場でタスクを選択したりタスクの優先順位をつけたりする)、資源配分知(適切な認知資源を投入する)、状況知(参照実践知を状況において実働可能にする)[p.153

第5章、人を相手とする専門職:教師(坂本篤史、秋田喜代美)、看護師(勝原裕美子)

・「教師の仕事は、時々刻々と進まざるをえないために、複雑な状況を無視したルーティン化の危険性がある。とくに、個人で省察を行っていると、個人的な信念を強固にしていく可能性がある。したがって、他者に開かれた省察を行う必要がある。→教師のコミュニティの中での学習[p.184

・看護師においては、各レベルにおいて到達すべき目標が具体的に決められ(クリニカルラダー)、自分のレベル確認、次レベルへの目標につなげられる[p.215]。また、新人をチーム全体で育てる仕組みがある[p.211]。

第6章、アートに関わるエキスパート:デザイナー(松本雄一)、芸舞妓(西尾久美子)、芸術家(横地早和子、岡田猛)

・正統的周辺参加:「学習者は熟達者の所属する実践共同体に所属し、最初は共同体の周辺から、その中で熟達に応じた役割を果たしながら、共同体への参加を深めていく」[p.236]。新人が雑用を引き受けることにはそうした意義もある。

・芸舞妓の世界では、教育システム、メンターシステム、顧客を含む実践コミュニティが形成され、実践知がひきつがれている。

・「芸術家が熟達するためには、作品を発表する場、適切な評価を受けられる場、鑑賞者からのフィードバックを得られる場などが必要」[p.291

終章、熟達化領域の実践知を見つけ活かすために(金井壽宏)

・主体性(agency)と共同性(communion):「どんなに卓越した熟達者(エキスパート)であっても、『おれが、おれが』で通している人は、その意味で発達不全であり、その領域で人を育てる意志と、その領域で切磋琢磨する人々をうまく導くリーダーシップが、望まれるようになる」[p.298

・熟達化への動機づけ要因(モティベータ):有能感(その領域で有能で、効果的に環境に働きかけることができ、その領域をうまくマスターしているという実感[p.304])、用具性(熟達することがポジティブな諸結果(広義の報酬)をもたらす主観的確率)、自己決定と自己イメージ(自分で決めること、才能や有能さの自己イメージ)が重要。

・熟達化へのモティベーションの自己調整:熟達に必要な長期間、熟達へのモティベーションを維持する必要がある。その自己調整のための方法として、1)緊張系(未達成だと気づくと人は動く、欠乏動機、ハングリー精神、危機意識)、2)希望系(希望、達成感、達成に対する承認や賞賛、報酬への期待、成長感、楽しみや熱中)、3)持論(自分自身を自分で動機づけるためのモティベーションの持論)、4)関係系(他者との関係性の中で人は動機づけられる、親和動機、親密動機)[p.311-317

・「孤高にエージェンティックに自分を研ぎ澄まそうとするだけでなく、師匠、仲間との切磋琢磨と相互刺激の源泉となるコミューナルな関係性の中で、熟達のレベルを挙げ、十分に腕を挙げて、究極には、外的技術からうまい!といわれるレベルを越えた、自分のスタイルに達する。そういう創造的熟達者(エキスパート)への道を、仕事の世界でも歩みたいものである。」[p.340

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研究者にとっての熟達のひとつの形は自分の専門分野で高い能力を発揮することです。そのためには、まず高いスキルを持つ必要があります。科学技術分野では、そうしたスキルは学校知の範囲に入ることも多いため、育成や継承を考える際に実践知が軽視されてしまうことがありますが、暗黙知を始め経験に基づく実践知は、特に未知の領域、不確実な領域、人間がかかわる領域では無視できるものではないはずです。さらに、研究者は競争的環境に置かれることも多く、孤高になりがちだとすれば、「共同性」や組織としての育成ということにもう少し目を向けるべきでしょう。研究組織、研究のエキスパートが保有する実践知について、どういう点に注意してその熟達と継承を行わなければならないのか、本書は多くの示唆を含んでいるように思われます。

さらに、研究者としての熟達と研究マネジャーとしての熟達の違いについても注意が必要だと思います。多くの研究マネジャーは研究者としてキャリアを始め、研究者としてのスキルを磨くことになりますが、やがて、他者との協働プロジェクトに参加したり、後輩を指導したりし、やがては管理職という業務につく場合もあるでしょう。その時、今まで積み上げてきた研究者としての専門的スキルの熟達の成果が通用しない場合もあることは自覚しておく必要があるはずです。本書の第II部では、ひとつの分野での熟達の事例が多くとりあげられていますが、専門分野のスキルの熟達から管理職としての熟達化を目指す方向に志向を切り替える方法についても考えておく必要があると思いました。おそらくは、「共同性」を重視した熟達のプロセス、組織的なサポートをうまく利用する必要があるのではないかと思いますがいかがでしょうか。組織としても個人としても求められる熟達レベルが高まっている現在、研究者として、研究マネジャーとしての熟達のあり方、進め方についてしっかり考えておく必要があると思います。



文献1:金井壽宏、楠見孝編、「実践知 エキスパートの知性」、有斐閣、2012.


参考リンク<2013.8.18追加>

 


 

人事のプロへの期待(八木洋介、金井壽宏著、「戦略人事のビジョン」より)

イノベーションを事業として成功させるためには、様々な部署、専門家との協力が必要です。しかし、「人事部門」と協力しながらプロジェクトを進めることはあまりないのではないでしょうか。もちろん、人事配置や採用、処遇や評価、給与、厚生といった業務では人事と連携することはあるでしょうが、それ以外の場面では、人事という職種の専門家にどんな点で協力してもらえるのか、何を期待できるのかがよくわからない、というのが実際のところだと思います。

八木洋介、金井壽宏著、「戦略人事のビジョン 制度で縛るな、ストーリーを語れ」[文献1]では、人事のあるべき姿、その役割、本質が語られています。人事と技術者との協力が本書の主題というわけではありませんが、人事部門以外の人にとっては、人事の専門家(人事のプロ)に期待できること、人事とどう協力していけば成果につながるのかについて参考になるヒントが示されていると思いますので、そのまとめを試みたいと思います。なお、著者の八木氏は、NKK(現JFE)とGEにおいて人事の仕事をされてきた方とのことであり、本書には、GEで八木氏が実践された戦略人事について述べた部分と、それにとどまらない八木氏の人事感が述べられている部分とがあります。当然両者の重なる部分は多いのですが、以下ではその両者を分けてまとめてみました。

人事のあるべき姿

八木氏は、人事のあるべき姿として以下のような内容を述べています。

・人事部門は本来、ラインマネジャーと働く人たちにとっての、よい意味でのサーバント(奉仕する人)なのだ[p.7、金井氏コメント]。

・マネジメントには「戦略性のマネジメント」と「継続性のマネジメント」がある。「『戦略性のマネジメント』は、『現在』を見て、勝つための戦略を立て、それを企業内の各機能に一貫性をもって反映させるマネジメント。」「他方、『継続性のマネジメント』とは、『過去』を見て、企業における歴史的連続性を重視するマネジメント」。戦略性のマネジメントのもとでは、変化に対応して臨機応変に動くのに対して、継続性のマネジメントでは前例踏襲、制度やマニュアル固守といった姿勢になりやすい。「多くの日本企業の人事部門は『継続性のマネジメント』に縛られています」[p.27-28]とのことです。

・「企業を実際に動かしているのは、ふつうの人たちです。一部の優秀なリーダーやエリート経営陣が会社を動かしていると考えるのは誤りで、ふつうの人たちが、リーダーの言うことや会社の経営方針に納得し、頑張って働くことで、会社は業績を伸ばし、成長します。」[p.36

・「戦略は『こうやって勝つ』というふうに話の筋が通っていて、ふつうの人が聞いて納得できるストーリーになっていなければなりません。そういった戦略をベースに、ふつうの人である社員とのコミュニケーションを図り、そのやる気を最大化し、企業の生産性を向上させること、これが私の考える戦略人事のあり方であり、人事部門が担うべき役割です。」[p.37

・「社員の頭の中に霧がかかっていれば、霧を晴らす手伝いをする。社員の心の中で火が消えかけているのであれば、熱く語って火付け役になる。(中略)そうやって、社員のやる気を高めるために人事の仕事はある」。[p.40

・「『人事の役割は社員のやる気を引き出すことだ』などと言うと、『それはむしろラインマネジャーの仕事ではないか』と反論する人がいるかもしれません。(中略)ただし、世の中のすべてのマネジャーが『人間のプロ』とは限りません。(中略)さまざまな得意分野をもったマネジャーたちが集まって形づくっているものが企業です。(中略)会社の中に『人間のプロ』がいることで社員の生産性を高めることができていれば、その会社において人事部門の存在意義はあるとも言えます。」[p.41-42

・「人事制度ができれば、人事部門には権限が生まれ、人事担当者はルールや権限に基づいて仕事をするようになります。そして、いくら権限を振りかざしたところで、結局のところ、社員の心を揺り動かすことはできませんし、社員のやる気を本当の意味で引き出すことは不可能です。なぜなら、少なくともふつうの人は、人を縛り付ける制度が嫌いだからです。」[p.45

・「人事担当者にとってのリーダーシップとは、権限ではなく見識をもち、正しいことを正しく主張することです。その場合の正しいこととは、ストーリー化した戦略であり、企業が業績を上げて成長していくための大きな絵(ビッグピクチャー)であり、あるいは世の中の変化に合わせて会社に起こすべき変革の道筋です。そういう事柄を社員に対して真摯に語りかけ、会社が目指していく方向に向かって人々を巻き込んでいく。それが本当の『人事の力』」[p.46]。

・「人事部門は、個人や組織が最高のパフォーマンスを出せる状態をつくり出すことで経営に貢献します。」[p.47

・「人事部門のきわめて重要な仕事の一つに、次世代リーダーの育成が挙げられます。」[p.160

・日本人にはハイパーフォーマンスのすばらしいフォロワーは多いが、リーダーには育ちにくい。それは、その人たちの中に、自分を突き動かすエンジンが欠けているからではないか。「もともと『勝ちたい』とか『一番になりたい』というエンジンをもっている人、あるいは『創造性を発揮したい』とか『正義を実現したい』というエンジンをもっている人は、少なくとも自分の考えをもとうとします。自分で意思決定しようとしますし、相手が誰であろうと怖がらずに自分の意見を言おうとします。」「ところが、日本人の場合は、自らを突き動かし、駆り立てるエンジンをもともともっていないわけですから、いきなりリーダーの行動や条件について教え込んでも、それらはせいぜい知識として型通りに吸収されるだけです。」「日本人をリーダーに育成するには、エンジンをもってもらうことから始めなくてはならない。」[p.167-170

・人事のプロに求められる資質:情熱があること、ビジネスを知ること、人間に対する理解(人間についてのプロ)、人の心を揺り動かす(正しいことを言って正しい行動をとれるストイックさ、変革を恐れない勇気、自らがリーダーとして成長する)、常日頃からの努力と学習。[p.210

GEの戦略人事について

GEのやり方あるいは、日本GEにおいて八木氏が進められたやり方の特徴は次のようなものです。

・「GEの戦略はシンプルで、なおかつストーリー性があり、社員にとって納得感のあるもの」[p.62]。

・「業績が悪くなれば、人事にも問題があると見なされます」[p.68]。「GEでは人事は結果責任を負うことになっており、組織のパフォーマンスが下がり、目標が達成できなかったら、リーダーとともに責任を問われる」[p.79]。

GEグロースバリュー:GEのビジネスを成長させるリーダーに求められる5つの資質。外部志向(external focus)、明確でわかりやすい思考(clear thinking)、想像力(imagination)、包容力(inclusiveness)、専門性(expertise)。これは、トップクラスのリーダーの調査から導かれたもの。[p.71-72

GEにおける人事評価:ナインブロック。パフォーマンスの度合いと、GEグロースバリューの発揮度を、それぞれ「期待以上」「期待どおり」「期待以下」に分けた9つのブロックで評価。これは世間一般の成果主義とはかなり異なった考え方。通常の成果主義では、業績のみを重視するが、GEでは会社が理想とする価値観や行動規範(バリュー)にどのぐらい合った働き方をしているかも評価。長い目でみれば、バリューの発揮が必ずやGEのビジネスを成長させるという前提。細かい測定項目はなく、おおむね主観で評価。[p.72-76

・「組織を活性化できない人事担当者は、GE社内で敬意を払ってもらえません。コーチングやファシリテーションなどの手法が使えない人事担当者は本物の人事とは見なされません。」[p.89-90

・「組織開発には、人事担当者が自ら現場に介入していって組織の問題点を掘り起こし、解決への道筋をつけることも含まれます。」[p.92

GEにおける人事の役割:ビジネスパートナー(ビジネスの目標をパートナーとして達成する)、チェンジリーダー(変革を率先して引っ張る)、オーガニゼーションコーチ(組織の状態を見抜き、リーダーや社員に対して適切なコーチングをする)、タレントチャンピオン(優秀な人材を採用し、社員の悩みを解決したり代弁者になったりする)、HRエキスパート(給与や労務などの専門家)。八木氏はこれに、アンバサダー(進むべき方向性を示す)、トランスレーター(トップが言うことを社員にわかるように伝え、社員が抱いている思いをトップに正しく伝える)、ストーリーテラー(社員のやる気を引き出して集団のパワーを最大化するために、会社の戦略をストーリーとして語る)、エンライター(社員の悩みやフラストレーションを、言葉によって前向きの考えに変えていく)を付け加えています。[p.208-209

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つまり、こうした考え方の特徴は、人事が「人間のプロ」として、社員のやる気をひきだすこと、組織を活性化すること、次世代のリーダーを育成することなどのマネジメントの多くの側面に対し、直接的介入も含めて積極的に関わる、というところにあるように思います。そして、そうしなければならない理由が「強い会社」「強くて、よい会社」をつくる、というシンプルな戦略にある、ということではないでしょうか。当然、異なる戦略、ビジョンを持つ会社には異なる人事のあり方があるかもしれません。GEのやり方が魅力的に見え、それを参考にしたとしても、結局自分たちで作り上げていく必要があるのだろうと思います。

研究開発やイノベーションの観点から見るとどうなるでしょうか。業種や状況によっては、技術や事業を独占していたり、変革が漸進的でゆっくりでよい場合もあるでしょう。そのような場合には、継続性の人事マネジメントでもよいのかもしれません。しかし、イノベーションは多くの場合、何らかの変革を伴いますので、古いものに「勝つ」必要がある、つまり「強い」ことが要求されるでしょう。そうなると、「強さ」を実現するためのマネジメントとして、著者の言うような人事のあり方は非常に参考になると思います。

実は、ここに書かれたような社員の活性化を図るというリーダーの役割は、様々なところで指摘されていることだと思います。本ブログでも、研究開発組織運営(ノート10)リーダーの役割(ノート11)で考えてみましたが、つまるところ多様な研究員の能力を引き出すことこそがリーダーの役割であるという点は、本書に述べられていることと近いように思います。しかし、研究開発のリーダー(つまりはラインマネジャー)がそうした役割を身につけ、実行するにあたって、人間のプロである人事部門が手助けしてくれる可能性がある点については、認識を新たにすべきでしょう。研究における自前主義の問題点が指摘され、自分の知識不足の点や専門外のことについては他者の協力を仰ぐべきであることは理解していても、「人事」にそれを求めうる、とはなかなか思いつかないのではないでしょうか。さらに、リーダー自身が持つマネジメントスキルについて、人事が専門の視点からアドバイスをしてくれるとなれば、それだけをとっても意義は非常に大きいように思います。

もちろん、このような人事の役割を実践している企業はまだ少数かもしれません。八木氏も指摘されるように、日本では継続性のマネジメントにとらわれている人事部門がまだまだ多いように思います。しかし、継続性にとらわれて戦略的なマネジメントができていないのは技術部門においても然り、ではないでしょうか。例えば、事業性の意識が低い研究開発や、目的を見失ったプロジェクトにいつまでもこだわることがあることはよく指摘されます。「『継続性のマネジメント』に縛られた人事部門では、人事担当者はいつしか考えることを忘れてしまいます」[p.36]という指摘は、そのまま技術部門にもあてはまるかもしれません。シンプルな戦略によって社員のやる気を引き出すこと、そのために人事のプロを含めた様々な専門家の知恵やノウハウを結集することはイノベーションの成功を目指す上でも有効な手法なのではないでしょうか。八木氏は「制度に頼らない人事」を目指す[p.228]と言われていますが、それで社員のやる気が引き出せるのであれば、すばらしいことだと思います。「機械の性能を上げようといくら改良を加えても、生産性が一気に5倍も10倍も向上することはありません。けれども、(中略)人がやる気を出せば、その生産性は5倍にも10倍にも跳ね上がります。」[p.40]という指摘は、研究開発の世界でも肝に銘ずるべきことだと思います。


文献1:八木洋介、金井壽宏、「戦略人事のビジョン 制度で縛るな、ストーリーを語れ」、光文社、2012.


参考

「“人間のプロ”として、人事はどうあるべきか?~今、求められる「戦略人事」の実現に向けて 八木洋介さん」、日本の人事部 インタビューwebページ、2012.10.15

https://jinjibu.jp/article/detl/keyperson/794/

野田稔、八木洋介、「HRトークLIVE、グローバルで躍動する人材づくりのために、人事は今何をすべきか?」、jin-Jour webページ、2012.8.22

http://www.rosei.jp/jinjour/article.php?entry_no=57315

参考リンク


 

 

 

モチベーション再考

研究者のみならず、高いモチベーションを持ち、やる気に満ち溢れて仕事に取り組めば多くの成果が得られるだろうことは想像に難くありません。しかし、実際には、研究者をこのように「活性化」された状態にし、その状態を維持することはそれほど容易なことではありません。ノート7で、モチベーションに関わる基本的な事項をまとめましたが、多くの研究のごく一部の紹介しかできませんでしたし、こうした理論を実際に使うにはさらなる整理が必要と感じていました。

そこで、今回は、金井壽宏著、「危機の時代の[やる気]学」[文献1]に基づいて、モチベーションに関わる重要な考え方の追加整理を試みたいと思います。この本については、著者が「自分のモティベーションの持論を書いてみるということを主眼に、理論の紹介はやめて、ひたすらわかりやすさをめざした書籍にしました」[文献2]と述べている通り、モチベーションに関する学術的な本ではありませんが、実用的な面から示唆に富む点が多々あると感じましたので、本書の内容の重要ポイントをまとめてみることにしました。なお、筆者はモチベーションという言葉のかわりに「やる気」という言葉を使われていますが、ここでは厳密な定義にこだわることはせずに、同じような概念を指す言葉と理解しておきます。

筆者はまず、「やる気を生み、育てる要因は4つの系統に分かれる」と述べています。その4つとは、

1、緊張感・危機感・欠乏・心配・不安がやる気を起こす(ズレ・緊張系)

2、夢・希望・目標を持つことで、やる気が起こる(希望・元気印系)

3、その人それぞれの考えで、やる気が起こる(持論(自論)系)

4、コミューナルな関係性、共感がやる気を起こす(関係系)

です[文献1p.22]。そして、それぞれの系統の役割として、やらなければという緊張感(ズレ・緊張系)で、やる気が起こりアクションを開始→希望や期待、ビジョン(希望・元気印系)を持ってアクションを持続→ただし、やる気にはアップダウンがあり、それを自己調節するのに必要なのが持論(自論)、という流れを示しています。さらに、こうしたやる気を支えるための土台(心身の健康状態、プライベートの充実など)も必要であって、加えて、他者から受ける影響(関係系)によってやる気が影響を受けることを指摘しています。

何がやる気に影響するかについてはいろいろな要因が考えられるでしょう。危機感も、夢と希望も、個人の考え方もやる気の醸成に重要、ということは経験的にわかるのですが、そのどれが支配的なのか、それだけで万能なのか、といったことにはなかなか確信が持てないと思います。そこを整理するために、上記のようにそれぞれの因子と役割を関連づけることはひとつの考え方として面白いと思いました(人によっては、危機感だけで、あるいは夢や持論だけでやる気を生み、持続できている場合もあるようにも思いますが)。さらに、この考え方には「時間」の概念が含まれていることも重要だと思われます。モチベーションを持ち始めることと、それを持続させることは同じ因子の作用の結果ではない、というのは説得力に富む考え方ではないかと思いました。

その上で、筆者は主要な9つのモチベーション理論を上記の1と2に区分して、それをベースに自分に役立つ持論を作ることを推奨しています。その9つとは、以下の通りです[文献1p.157]

1)心配・欠乏系

・緊張感と未達成感-K.レビンの「ツァイガルニーク効果」

・ハングリー精神-A.H.マズローの欠乏動機

2)希望・元気印系

・目標-E.A.ロックの目標設定理論

・意味-V.フランクルの「ロゴセラピー」

・夢-生涯発達の心理学と中年齢で有名でD.レビンソンの理論

・希望-C.R.スナイダーの「希望尺度」

・楽しみ-M.チクセントミハイの「フロー経験」

・達成感-D.マクレランドの達成動機

・自己実現や個性化-A.H.マズローの自己実現の欲求と、C.G.ユングの個性化

さらに、1)と2)の系統をつなぐ概念として、2)から生じる「ズレ」や「乖離」が1)の緊張を生むこともあるとしています。

この中で著者が詳しく解説しているのが、マズローの自己実現と欠乏動機、マクレランドの達成動機、ロックの目標設定理論、スナイダーの希望尺度です。ノート7の内容と重なるところもありますが、興味深いコメントも書かれていますのでそれぞれを簡単にまとめます。

マズローの欲求階層説についてはノート7でも概要を述べましたが、著者は欠乏動機とされる生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求、他者からの承認と自尊心の4つの欲求と、存在欲求とされる自己実現の欲求の間には大きな断絶があることを強調しています。そしてマズローの「自己実現は、動機づけの問題ではなく発達の問題だ」という言葉を引用し、下位の基本的な欲求が満たされている社会でないと自己実現の欲求までたどり着かないとして、自己実現が生じるためには、社会も相当よくないといけない、と述べています[文献1p.160-169]

マクレランドの達成動機の研究は、マレーの達成欲求(動機)の考え方に基づいており、その定義は「難しいことを成し遂げること、自然物、人間、思想に精通し、それらを処理し、組織化すること。これをできるだけ速やかに、できるだけ独力でやること。障害を克服し高い標準に達すること。自己を超克する、他人と競争し他人をしのぐこと。才能をうまく使って自尊心を高めること。」ということです。そしてマクレランドは達成動機が喚起されやすい状況の特徴として、

・成功裡に達成できるかどうかは、(運ではなく)努力と能力次第

・課題の困難度、あるいはリスクが中程度

・努力の結果、うまく目的が達成できたかどうかについて、曖昧さなく明瞭なフィードバックがある

・革新的で新規の解決が要求されそう

・未来志向で、将来の可能性を予想して先を見越した計画を立てることが要請される

を挙げています。しかし、マクレランドはそれだけではなく親和動機(他の人々と一緒に何かを成し遂げた、達成したときに感じる喜び、人と一緒に頑張ること、夢を育むこと、ときに依存すること、親密になれること)と、勢力動機(他の人々を通じてことを成し遂げたり、また、大きな絵(大義)を描いて人々を巻き込んでいく、影響力やパワーを求める)にも注目していることが重要としています[文献1、p.170-183]

目標を持つことがやる気を起こさせるために重要であることは、経験的にも理解しやすいものす。ロックはその目標のどのような点に注意すべきかを明らかにしたとされています。すなわち、

・目標の困難度:高い目標の方がよく、やりがいの基準ともなるが、納得のいかない目標を他者が設定する場合などは目標が高ければよいというものでもない。

・目標の具体性:具体的な目標の方が一般に効果が高い。

・目標へのコミットメントと目標の受容:特に他人が目標を設定する場合には、本人がそれを自分のものとしてかかわるかどうかが重要。

・集団目標と個人目標:集団の力を引き出すためには集団への目標設定が効果的だが、その場合でも個人の寄与の測定は必要。

が挙げられています。そしてこうした目標を設定することにより、実際に生産性向上などの効果が認められていると言います。加えて、先に挙げたやる気を生み、育てる4つの要因のすべてに関わる目標設定理論は、これらの要因の統合に寄与するのではないかと著者は期待しているようです[文献1、p.184-202]

スナイダーの希望の心理学について、希望のもたらすエネルギーは、目標を抱くこと、目標に向かう意志力を強めること、目標に至る経路が描けていることから生まれるパワーを活用することの相乗効果として説明されると述べています。この概念には、目標設定アプローチを超える視点も含まれているとのことです[文献1、p.203-205]

さらに、従来の理論に対する次のような興味深い指摘もあります。

Deciによる内発的動機づけと外発的動機づけの考え方に対し、その実態が相互に絡み合う場合が多いので、両者を対立的、二律背反的にとらえすぎることはよくないという批判が近年出てきているそうです[文献1、p.218-220]

・外発的報酬が悪影響をもたらす理由として、報酬が罰になること、人間関係を破壊すること、理由を無視すること、冒険に水をさすこと、興味を損なうこと、を挙げているコーンの説を紹介しています[文献1、p.238-253]

以上の筆者の指摘は研究開発におけるモチベーションの問題を考える上でも重要でしょう。ただし、研究開発には様々な職務、プロジェクトの形態が存在しますので、筆者の指摘だけですべての問題が解決できるとは言えないと思います。少なくとも研究の特性に合わせてやる気を出させる方法も工夫しないと効果が期待できないでしょう。例えば、開発目標やスケジュールがしっかりと与えられている場合や仕事の内容がはっきりしている場合には、多くのルーチンに近い業務と同様に、ほぼ上記のモチベーション理論は適用可能と思われます。しかし、不確実性の高い分野において容易に目標が決められず仕事が曖昧であったり、フレキシブルな対応が必要な場合には、上記の方法ではモチベーションを上げることは困難ではないでしょうか。ところが皮肉なことに、モチベーションが下がりやすい困難な研究テーマほど、研究員の高いコミットメントが求められ、高いモチベーションが求められます。では、どうすればよいのか、研究の特質に応じて著者の考え方からどんな示唆が得られるのかを考えてみます。

・長期的視点からの研究開発の場合、緊急性、危機感が得られにくいことがある→やる気を起こさせることが難しいことになる。

・研究開発期間が長期にわたる場合がある→やる気の維持に必要な、希望・元気印系、持論系、関係系の要因を考慮することが特に重要になると考えられる。

・研究課題への深いコミットが要求される場合→欠乏動機よりは自己実現を重視する必要がある。

・特に基礎的な研究の分野では達成動機によって動機づけられている場合が多いように思われる→その世界で意欲をさらに高めようとすれば、達成動機の要因のうち、課題の困難度、努力の効果、成果の認識しやすさといった点においてマネジメント上の配慮が必要と考えられる。

・目標設定については注意が必要→特に、研究部門に対して外部から目標が与えられる場合には、その目標が研究員に受容されるように、目標の内容の調整と、与え方の調整が必要になると考えられる。例えば、目標を与える人よりも与えられる研究員の方が技術に詳しいことは往々にしてあり、そのような状況では、いい加減な目標設定では到底本人が目標を受容することは不可能になる。本人ですら結果のわからないことに挑戦する仕事であれば、不用意な目標設定は、逆効果になる場合もあると思われる。

・目標に至る経路が明確にできない場合がある→希望の心理学の観点からは、やる気の低下を招く可能性があるので何らかの対応が必要。

つまり、研究開発の場合には、職務の性質上、外から動機づけることが困難な場合が多く、さらに、やる気を長期にわたって維持することが必要と言えるでしょう。別に、研究開発は難しいことをやっているから、あるいは研究者は専門性の高い仕事をしている人だからやる気の管理が難しいというつもりはありません。ただ、単に仕事の性質のせいで動機づけが難しいということが、モチベーション理論から必然的に導かれるように思えるのです。では、どうしたらよいのか、おそらく解決策も理論の中にあるのではないでしょうか。金井氏の考え方に従えば、夢・希望系の要因を総動員し、持論に働きかけて自分自身でやる気を調整できるようにもっていくべきだというのが一つの答えのように思います(やる気を起こさせる場合にも夢・希望系からのズレをきっかけとすべきかもしれません)。もちろん、この考え方は一つの仮説であって、これが常に正しいということではないかもしれません。しかし、やる気を生み、育てる4つの要因とその作用についての考え方を前提とし、さらに金井氏の重要視するモチベーションをコントロールする要因を考慮すると、研究者のやる気を引き出すための実践的指針が得られるように思いますが、いかがでしょうか。

文献1:金井壽宏著、「危機の時代の[やる気]学」、ソフトバンククリエイティブ、2009.

文献2:神戸大学大学院経営学研究科、教員の著書紹介のページより「危機の時代の「やる気」学」

http://www.b.kobe-u.ac.jp/resource/books/2009/crisis.html


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