研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

10年ルール

ノート5改訂版:研究部門に求められるテーマ

1、研究開発テーマ設定とテーマ設定における注意点
1.1
研究活動における基本的な注意点→ノート1~3

1.2
、研究テーマの設定
①企業収益に結び付くテーマ(事業的に成功が期待されるテーマ)→ノート4

②研究部門に求められるテーマ(企業が研究部門に求める活動と、それに付随する研究テーマ)
企業は研究部門にどのような役割を求めているのでしょうか。企業活動に貢献する研究を目指すならば、まずは企業が研究部門に期待している仕事を果たすことを考える必要があるでしょう。その中には、いわゆる研究活動すなわち、イノベーションにおける技術的要素の追究も含まれますが、実際には、イノベーションには直接結びつかない様々な仕事も研究部門には求められます。具体的には、生産現場の業務とは異質だが、ある程度の専門性を必要とする仕事が研究部門に任せられることが多く、こうした活動は研究者のマンパワーの中で無視できない比率を占めることがあります。研究活動への資源配分を考える上でも、このような活動を含めた、研究部門に求められている業務を整理しておきたいと思います。

研究部門に求められていることは業種や分野、さらには企業内における業務分担の考え方によって異なりますが、大きく分けると、頭を使うことと体を使うことに分けられます。さらに、取り組む課題によって、未知のこと(新規なこと、創造)と、既知のこと(応用など)とに分けられるでしょう。この視点に立って、業務を分類してみたものを下図に示します。

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一般的な研究開発とはイメージが異なる業務も含まれていると思いますが、現実にはこのような業務を要求されることは例外的なことではありません。いずれも技術に関する情報を扱う仕事であり、こうした業務が必要とされているならば、技術にかかわるどこかの部署が担当する必要があるわけです。

一般には、研究の役割としては図の右側、新規なことへの挑戦が注目されます。しかし、左側も無視することはできません。既存のことを知っておくことは、新たな創造のための基盤となるとともに、既存の事業を有する企業にとってはその技術的基盤を確保する意味でも重要と考えられます。Anthonyらは「安定した中核事業の存在がイノベーションの前提条件」と述べています[文献1、p.29]。彼らは主に収益面で中核事業が安定することの重要性を強調していますが、中核事業を支える技術の面でも安定が損なわれてしまってはイノベーションの成功はおぼつかないでしょう。例えば、既存技術分野での過度な人員削減により、育成指導の弱体化や、業界、社会動向の監視不足が生じたり、人員削減のための機械化や設備の高度化により製造技術がブラックボックス化し、さらにはトラブル(非定常)経験が不足するなど、既存事業の技術基盤の弱体化を招く要因は存在します。イノベーションに注力しようとして、経営資源を既存分野から新規分野に振り向けようとしたとしても、既存分野に問題が発生すればその問題への対応は誰かがやらなければなりません。結局そうした対応に研究部隊のマンパワーを割かれてしまう可能性があることには十分な注意が必要でしょう。

なお、これら研究部隊に求められる様々な業務の一部を外部との連携で処理しようとする考え方もあります。外部の知識の有効活用を狙ったオープンイノベーション[文献2]、他社に対する優位性を生み出さない業務のアウトソーシングにより優位性を生む分野に社内資源を再配分すべきとする考え方[文献3]もこうした考え方に含まれると思われます。しかし、図の左側の業務であっても研究者、技術者を育成するという側面があるため、その部分まで外部との連携やアウトソーシングに頼ってよいかどうかには議論の余地があるでしょう。例えば、「エリクソン(Ericsson[1996])は、仕事に限らず熟達化における高いレベルの知識やスキルの獲得のために、およそ10年にわたる練習や経験が必要であるとして『10年ルール』を提起している[文献4、p.34]」とのことです。一般の企業では、10年間、教育のためだけに時間を費やすことは不可能でしょうから、既知のことに関わる業務を行ないながら経験を積むことは有効な育成の方法と言えるのではないでしょうか。また、左側あるいは下側の業務には新たなアイデアを生み、その可能性を正しく評価するための基盤としての重要性もあると思われます。ノート2で少し触れた(ノート6でより詳しく触れます)「セレンディピティー」についてRobertsはパスツールの言葉を引用し、「観察の場では、幸運は待ち受ける心構え次第である」と言っていますが[文献5、p.viii]、「観察の場」は上述の図の下の部分に、「心構え」は既存知識の充実という意味で図の左側の部分に相当すると考えられます。このような既存知識を含む社内の技術力の充実の必要性は、丹羽によるChesbroughのオープンイノベーションへの批判においても述べられていて、「結局のところ、強い知識と技術やマネジメント力も兼ね備わった企業が、外部の知識や技術を効果的に活用することができる」[文献6、p.79]としています。Mooreの主張するアウトソーシングによる資源の創出[文献3]は、経験を積んだ人材を競争力の発揮に活用する、という意味ならば有益と思われますが、技術力の蓄積を損なうようなアウトソーシングでは意味がないように思われます。

また、図の左側の業務は、一般にその業務の必要性がわかりやすい(例えば、どこかからの問い合わせに対応するとか、顧客からのクレームに対応するとか)ことに加えて、計画しやすく成果が目に見える形で出やすいため(つまり不確実性が低い)、ともするとそうした業務を優先してしまいがちになる場合があることにも注意が必要と思われます。新規なことへの挑戦を重視するならば、図の右側の業務への動機づけ、評価とのバランスも重視しておくべきでしょう。

要するに、研究部隊に求められる仕事の内容を理解し、そうした業務への資源配分のバランスをとることが重要、ということに帰着してしまうわけですが、現実的には、それぞれのプロジェクトや、その企業の置かれた状況に応じて臨機応変に、しかし片寄り過ぎないように資源配分を調整することはそう容易なことではないと思われます。それぞれの企業のマネジメント力が問われるといってもよいかもしれません。

もうひとつ、表に示した分類には現れない研究の役割として「宣伝」が挙げられます。ノーベル賞を受賞した田中耕一氏が、彼の所属する島津製作所の企業イメージアップに大きく貢献したことは比較的記憶に新しいところですが、そこまでの業績ではなくとも研究成果の社会へのアピールがうまくできれば宣伝効果は十分に期待できるのではないでしょうか。Tiddらはアライアンスのマネジメントにおいて、「ある技術、もしくはその技術のソースが企業に与える信用度は、企業の技術取得方法に影響を与える重要な要素」と述べています[文献7、p.272]。「宣伝」という側面での研究活動の寄与はもう少し認識されてもよいのではないかと思われます。

以上、企業が研究部門に求めている課題として、イノベーションへの直接の寄与だけではなく、それ以外の役割もよく認識しておく必要があることを述べました。こうした業務の位置づけや進むべき方向性を明確にし、必要な業務全体を考慮したテーマ設定、業務分担、資源配分を行なうことはトップマネジメントの課題であるのと同時に、第一線の研究マネジャーにとっても重要なことと思われます。

考察:イノベーションと既存事業とのバランス

要するに、研究開発だからといって、新しいこと、未知のことばかりに気をとられすぎてはいけない、ということだと思います。これは、上述したような、企業が研究部隊に求めている役割からも明らかだと思うのですが、最近では、Govindarajanらにより、既存事業を「パフォーマンスエンジン」ととらえ、イノベーションと既存事業とのバランスを重視したイノベーションの進め方が提案されています[文献8]。ここで「パフォーマンスエンジン」とは、「成長して成熟していく企業は毎四半期に安定した利益を上げるというプレッシャーによってかたちづくられ、型にはめられる[文献8、p.30]」組織であって、これが既存事業において利益を生み出す原動力になっていると考えられるものです。パフォーマンスエンジン(既存事業)だけでは画期的なイノベーションは不可能だが、イノベーションとパフォーマンスエンジンとのバランスをとることにより、イノベーションを成功に導ける、というのがGovindarajanらの主張ですが、既存事業を運営する組織は、パフォーマンスエンジンに貢献するように形作られるということは忘れてはならないと思います。つまり、企業が研究部門に求めていることの一部は、既存事業に貢献するようにできている、ということで、イノベーションのためにそうした業務をどう扱うか、既存事業の一部としての活動と新規事業のためのイノベーション活動のバランスをどうとるかをよく考えなければならない、ということになるでしょう。本稿でとりあげた研究部門への様々な要求は、既存事業への貢献に主眼をおいたものか、あるいは新規事業のために必要な業務なのか、その比率は様々に異なると思います。とすれば、それらをひとまとめにして資源配分を考えるのではなく、研究部隊に対する様々な要求のそれぞれについて、何を重視するかを判断し、場合によっては、研究部隊を分割することも含めて考えなければならないのだと思います。そのためにも、研究部隊に要求される日々の業務について、まずはその意味と位置づけを研究員、研究マネジャーがしっかりと認識することが、イノベーションと既存事業のバランスをとるために役立つのではないかと思います。


文献1:Anthony, S.D., Johnson, M.W., Sinfield, J.V., Altman, E.J., 2008、スコット・アンソニー、マーク・ジョンソン、ジョセフ・シンフィールド、エリザベス・アルトマン著、栗原潔訳、「イノベーションへの解実践編」、翔泳社、2008.
文献2:Chesbrough, H., 2003、ヘンリー・チェスブロウ著、大前恵一朗訳、「Open Innovation」、産業能率大学出版部、2004.
文献3:Moore, G.A., 2005、ジェフリー・ムーア著、栗原潔訳、「ライフサイクルイノベーション」、翔泳社、2006.
文献4:金井壽宏、楠見孝編、「実践知 エキスパートの知性」、有斐閣、2012.
文献5:Roberts R.M., 1989、R・M・ロバーツ安藤喬志訳、「セレンディピティー」、化学同人、1993.
文献6:丹羽清、「イノベーション実践論」、東京大学出版会、2010.
文献7:Tidd, J., Bessant, J., Pavitt, K., 2001、ジョー・ティッド、ジョン・ベサント、キース・パビット著、後藤晃、鈴木潤監訳、「イノベーションの経営学」、NTT出版、2004.
文献8:Govindarajan, V., Trimble, C.、ビジャイ・ゴビンダラジャン、クリス・トリンブル著、吉田利子訳、「イノベーションを実行する 挑戦的アイデアを実現するマネジメント」、NTT出版、2012.

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エキスパートになる、育てる(金井壽宏/楠見孝編、「実践知」より)

エキスパートといえば、「専門家」、「達人」ということになるでしょうが、その意味には少し違いがあるでしょう。どちらも、ある人が特定の分野についての有用な知識やスキルを持っていることを意味している点では同じとしても、専門家は職業として成立するようなある一定レベル以上の能力を持つことを指すのに対し、達人となるとある分野における能力が卓越していることを意味しているように思われます。

では、どうやれば達人になれるのでしょうか。研究者でいえば、初学者の段階から知識と経験を蓄え、やがて一人前の専門家になり、そのうちの一部の方が達人の領域にまで達する(研究の分野では「第一人者、権威」と言われることが多いと思いますが)、という成長の過程をたどります。もし、少しでも速く、簡単に達人になれるとすれば悪くない話ですし、逆に育成がうまくいかなければ問題を引き起こすかもしれません。今回は、専門的能力の熟達過程と、成長の方法について、金井壽宏/楠見孝編、「実践知」[文献1]に基づいて考えてみたいと思います。

本書は3部構成になっています。以下、その中の重要と思われるポイントをまとめます。

I部、実践知――獲得と継承のしくみ1~3章)

第1章、実践知と熟達者とは(楠見孝)

・「実践知(practical intelligence)とは、熟達者(expert、エキスパート)がもつ実践に関する知性である。熟達者とは、ある領域の長い経験を通して、高いレベルのパフォーマンスを発揮できる段階に達した人をさす。・・・本書では・・・実践知を獲得する学習過程を『熟達化』と定義し、熟達者を熟達化の過程を経た人というより広い意味でとらえる。[p.4]」

・「学校知とは学業に関わる知能、学校の秀才がもつ知能である[p.5]」

・「知能検査で測定される知能は、実践知というより学校知を予測するものである。知能検査の限界として、よく指摘されるのは、知能検査の成績は、学校を終えてからの職場での実績についての予測力が低い点である。こうした知能検査の限界に基づいて、仕事をはじめとする実践場面における知能を説明・予測するために提唱されたものが、実践知なのである」[p.6-7

・「実践知は、経験から実践の中に埋め込まれた暗黙知(tacit knowledge)を獲得し、仕事における課題解決にその知識を適用する能力を支えている。[p.12-13

・「熟達者は、・・・実践知あるいはスキルを経験から獲得することで、高いレベルのパフォーマンスを発揮している」[p.17]。熟達者の特徴は次の9点にまとめられる。1)実践知、とりわけ事実に関する詳細な知識、さらに言語化、意識化されにくい知(暗黙知)を多くもっている。2)最高のパフォーマンスを、素早く正確に実行できる。3)初心者がわからないような重要な特徴に気づく検出、それが何であるかがわかる認識、さらにそれを他のものと弁別できる知覚的スキルをもつ。4)すぐれた質的分析ができる。5)正確な自己モニタリングを行い、自分のエラーや理解の状態を把握できる。6)適切な方略を選ぶことができる。7)その場の状況の情報をリソースとして適切に活用できる。8)不確実性に対応できる広範な方略をもつため、不測の事態にも対応できる。9)短い時間と労力での実行を可能にする効率よく状況を動かすポイントを見つける。

・仕事の実践知を支える4つのスキルと暗黙知:1)テクニカルスキル(タスク管理)、2)ヒューマンスキル(他者管理)、3)メタ認知スキル(自己管理)、4)コンセプチュアルスキル。[p.28

第2章、実践知の獲得(楠見孝)

・「エリクソン(Ericsson)は、仕事に限らず熟達化における高いレベルの知識やスキルの獲得のために、およそ10年にわたる練習や経験が必要であるとして、『10年ルール』を提起している。」[p.34

・熟達化の段階:1)初心者(指導者からコーチングを受けながら、仕事の一般的手順やルールのような手続き的知識を学習し、それを実行する手続き的熟達化が行われる)、2)一人前における定型的熟達化(指導者なしで自律的に日々の仕事が実行できる段階)、3)中堅者における適応的熟達化(柔軟な手続き的熟達化によって、状況に応じて、規則が適用できる。さらに、文脈を越えた類似性認識(類推)ができるようになり、類似的な状況において、過去の経験や獲得したスキルを使えるようになる)、4)熟達者における創造的熟達化(高いレベルの完璧なパフォーマンスを効率良く、正確に発揮でき、事態の予測や状況の直観的な分析と判断は正確で信頼できる)、5)叡智(仕事場を含む幅広い人生経験に基づく深く広い知識と理解に支えられた知性)[p.35-39

・実践知獲得のための学習:1)観察学習、2)他者との相互作用(対話、情報のやりとり)、3)経験の反復、4)経験からの機能と類推、5)メディアによる学習(書物、研修など)[p.41-45

・経験から実践知をどれだけ多く獲得できるか:経験から学習する態度(挑戦性、柔軟性、状況への注意とフィードバック、類推)、省察(過去の体験に意義や意味を解釈して深い洞察を得る、実践の可能性について考えを深める)、批判的思考(基準に基づく合理的(理性的・論理的)で偏りのない思考)による。[p.45-51

・実践知獲得を促進する組織特性や職場環境:異動、責任、負担、障害、コミュニティ、批判的思考ができるクリティカルコミュニティ[p.51-53

第3章、実践知の組織的継承とリーダーシップ(金井壽宏・谷口智彦):

・リーダーを育て、育成の仕組みをつくるのはリーダーの役割のひとつ、薫陶を受けながら学ぶ、リーダーシップの持論を言語化し、それと言行一致した行動をとるときに最も促進される、研修以上に経験と薫陶が大事。[p.61-62

・「持論の特徴は、暗黙知であること、経験と経験の物語に根づいていることであり、加えて、それ自体が暗黙知で物語に支えられているなら、持論そのものが言語化されることが不可欠となる[p.68]」

・リーダーシップエンジン、リーダーシップパイプライン:リーダーが次世代リーダーを生み出すリーダーシップ育成の連鎖の仕組み[p.97

II部、エキスパートの仕事場から(第4~6章)

II部に述べられた事例から特徴的と感じたものを抜き出しておきます。

第4章、組織の中で働くエキスパート:営業職(松尾睦)、管理職(元山年弘、金井壽宏、谷口智彦)、IT技術者(平田謙次)

・目標達成志向の信念(自身の売上目標を達成することを重視)は、目の前の販売業績を高める力がある。顧客志向の信念(顧客を満足させ、顧客から信頼されることを重視)は、現在の販売業績を高める力はないものの、経験から学習する能力を高め、将来の販売業績を高める力をもつ[p.117-118

・管理職が持つ実践知:1)タスク管理、2)他者管理、3)自己管理[p.125,28

・参照実践知:体系化された実践知(知識、基本スキル)[p.150

・遂行実践知:タスクプライオリティ知(実践の仕事場でタスクを選択したりタスクの優先順位をつけたりする)、資源配分知(適切な認知資源を投入する)、状況知(参照実践知を状況において実働可能にする)[p.153

第5章、人を相手とする専門職:教師(坂本篤史、秋田喜代美)、看護師(勝原裕美子)

・「教師の仕事は、時々刻々と進まざるをえないために、複雑な状況を無視したルーティン化の危険性がある。とくに、個人で省察を行っていると、個人的な信念を強固にしていく可能性がある。したがって、他者に開かれた省察を行う必要がある。→教師のコミュニティの中での学習[p.184

・看護師においては、各レベルにおいて到達すべき目標が具体的に決められ(クリニカルラダー)、自分のレベル確認、次レベルへの目標につなげられる[p.215]。また、新人をチーム全体で育てる仕組みがある[p.211]。

第6章、アートに関わるエキスパート:デザイナー(松本雄一)、芸舞妓(西尾久美子)、芸術家(横地早和子、岡田猛)

・正統的周辺参加:「学習者は熟達者の所属する実践共同体に所属し、最初は共同体の周辺から、その中で熟達に応じた役割を果たしながら、共同体への参加を深めていく」[p.236]。新人が雑用を引き受けることにはそうした意義もある。

・芸舞妓の世界では、教育システム、メンターシステム、顧客を含む実践コミュニティが形成され、実践知がひきつがれている。

・「芸術家が熟達するためには、作品を発表する場、適切な評価を受けられる場、鑑賞者からのフィードバックを得られる場などが必要」[p.291

終章、熟達化領域の実践知を見つけ活かすために(金井壽宏)

・主体性(agency)と共同性(communion):「どんなに卓越した熟達者(エキスパート)であっても、『おれが、おれが』で通している人は、その意味で発達不全であり、その領域で人を育てる意志と、その領域で切磋琢磨する人々をうまく導くリーダーシップが、望まれるようになる」[p.298

・熟達化への動機づけ要因(モティベータ):有能感(その領域で有能で、効果的に環境に働きかけることができ、その領域をうまくマスターしているという実感[p.304])、用具性(熟達することがポジティブな諸結果(広義の報酬)をもたらす主観的確率)、自己決定と自己イメージ(自分で決めること、才能や有能さの自己イメージ)が重要。

・熟達化へのモティベーションの自己調整:熟達に必要な長期間、熟達へのモティベーションを維持する必要がある。その自己調整のための方法として、1)緊張系(未達成だと気づくと人は動く、欠乏動機、ハングリー精神、危機意識)、2)希望系(希望、達成感、達成に対する承認や賞賛、報酬への期待、成長感、楽しみや熱中)、3)持論(自分自身を自分で動機づけるためのモティベーションの持論)、4)関係系(他者との関係性の中で人は動機づけられる、親和動機、親密動機)[p.311-317

・「孤高にエージェンティックに自分を研ぎ澄まそうとするだけでなく、師匠、仲間との切磋琢磨と相互刺激の源泉となるコミューナルな関係性の中で、熟達のレベルを挙げ、十分に腕を挙げて、究極には、外的技術からうまい!といわれるレベルを越えた、自分のスタイルに達する。そういう創造的熟達者(エキスパート)への道を、仕事の世界でも歩みたいものである。」[p.340

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研究者にとっての熟達のひとつの形は自分の専門分野で高い能力を発揮することです。そのためには、まず高いスキルを持つ必要があります。科学技術分野では、そうしたスキルは学校知の範囲に入ることも多いため、育成や継承を考える際に実践知が軽視されてしまうことがありますが、暗黙知を始め経験に基づく実践知は、特に未知の領域、不確実な領域、人間がかかわる領域では無視できるものではないはずです。さらに、研究者は競争的環境に置かれることも多く、孤高になりがちだとすれば、「共同性」や組織としての育成ということにもう少し目を向けるべきでしょう。研究組織、研究のエキスパートが保有する実践知について、どういう点に注意してその熟達と継承を行わなければならないのか、本書は多くの示唆を含んでいるように思われます。

さらに、研究者としての熟達と研究マネジャーとしての熟達の違いについても注意が必要だと思います。多くの研究マネジャーは研究者としてキャリアを始め、研究者としてのスキルを磨くことになりますが、やがて、他者との協働プロジェクトに参加したり、後輩を指導したりし、やがては管理職という業務につく場合もあるでしょう。その時、今まで積み上げてきた研究者としての専門的スキルの熟達の成果が通用しない場合もあることは自覚しておく必要があるはずです。本書の第II部では、ひとつの分野での熟達の事例が多くとりあげられていますが、専門分野のスキルの熟達から管理職としての熟達化を目指す方向に志向を切り替える方法についても考えておく必要があると思いました。おそらくは、「共同性」を重視した熟達のプロセス、組織的なサポートをうまく利用する必要があるのではないかと思いますがいかがでしょうか。組織としても個人としても求められる熟達レベルが高まっている現在、研究者として、研究マネジャーとしての熟達のあり方、進め方についてしっかり考えておく必要があると思います。



文献1:金井壽宏、楠見孝編、「実践知 エキスパートの知性」、有斐閣、2012.


参考リンク<2013.8.18追加>

 


 

ノート5:研究部門に求められるテーマ

ノート4につづき、企業活動の役に立つテーマ設定の第2のタイプ、企業が研究部門に求めているテーマについて考えてみます。

 

②企業が研究部門に求めているテーマ

企業が研究部門に求める最も重要な課題は、企業活動に貢献するイノベーションを行なうこと、とりわけイノベーションにおける技術的要素を追究することでしょう。しかし実際には、イノベーションには直接結びつかない様々な仕事も同時に行うことが求められます。特に、ある程度の専門性を必要とし、生産現場の業務とは異質な仕事が研究部門に与えられる場合があり、こうした活動は研究者のマンパワーの中で無視できない比率を占めることがあります。研究活動への資源配分を考える上でも、このような活動を含めて実際に企業が研究部隊に求めている業務を整理しておきたいと思います。

 

研究部門に求められていることは業種や分野によって当然異なると思われますが、大きく分けると、頭を使うことと体を使うことに分けられるのではないでしょうか。また、取り組む課題としては、未知のこと(新規なこと、創造)と、既知のこと(応用など)とに分けられると思います。この視点に立って、業務を分類してみたものを下図に示します。
研究分類scan500
(2010.4/23画像をきれいなものに差し替えました)

研究開発とは言えないような内容も含まれおり、企業によっては別の部署が担当する業務も含まれているとは思いますが、こうしたことが研究部隊に求められる場合もあるはずです。こうした業務が必要なこととして求められている以上、これらを実行することは企業のためになっていることになり、実務的には無視できない課題となります。

 

もちろん、研究の役割としては図の右側、新規なことへの挑戦が着目される機会が大きいわけですが、左側も無視できません。既存のことを知っておくことは、新たな創造のための基盤となるとともに、既存の事業を有する企業にとってはその技術的基盤を確保する意味でも重要と考えられます。Anthonyらは「安定した中核事業の存在がイノベーションの前提条件」と述べています[文献1p.29]。彼らは主に収益面での中核事業の安定の重要性を強調していますが、中核事業を支える技術の面でも安定が損なわれてしまってはイノベーションの成功はおぼつかないのではないでしょうか。例えば、新技術の開発ばかりに目が向けられる結果として既存技術の伝承がないがしろにされる場合、技術者の過度な少数精鋭化(人員削減)や年齢構成の歪みによる育成指導不足や業界および社会動向監視の不足、自動化の推進や設備の高度化による製造技術のブラックボックス化、トラブル(非定常)経験の不足など、既存事業の技術基盤が弱体化する可能性は常に存在するでしょう。こうした場合に実務部隊の能力不足を補い、技術的基盤を確保することも研究開発部隊に求められる重要な業務と言えるでしょう。

 

なお、これら研究所に求められる様々な業務の一部を外部との連携で処理しようとする考え方もあります。外部の知識の有効活用を狙ったオープンイノベーション[文献2]、他社に対する優位性を生み出さない業務のアウトソーシングにより優位性を生む分野に社内資源を再配分すべきとする考え方[文献3]もこうした考え方に含まれると思われます。しかし、図の左側の業務であっても研究者、技術者を育成するという側面があるため、その部分まで外部との連携やアウトソーシングに頼ってよいかどうかには議論の余地があるでしょう。Leonardは専門知識獲得の「10年ルール」として、エキスパートになるためには最低でも10年程度の集中した研究と練習が必要、と述べています[文献4p.71]。一般の企業では、10年間、教育のためだけに時間を費やすことは不可能でしょうから、既知のことに関わる業務を行ないながら経験を積むことは有効な育成の方法と言えるのではないでしょうか。また、左側あるいは下側の業務には新たなアイデアを生み、その可能性を正しく評価するための基盤としての重要性もあると思われます。ノート2で少し触れた「セレンディピティー」についてRobertsはパスツールの言葉を引用し、「観察の場では、幸運は待ち受ける心構え次第である」と言っていますが[文献5p.viii]、「観察の場」は上述の図の下の部分に、「心構え」は既存知識の充実という意味で図の左側の部分に相当すると考えられます。このような既存知識を含む社内の技術力の充実の必要性は、丹羽によるChesbroughのオープンイノベーションの批判においても述べられていて、「結局のところ、強い知識と技術やマネジメント力も兼ね備わった企業が、外部の知識や技術を効果的に活用することができる」[文献6p.79]とされています。Mooreの主張するアウトソーシングによる資源の創出[文献3]は、経験を積んだ人材を競争力の発揮に活用する、という意味ならば有益と思われますが、技術力の蓄積を損なうようなアウトソーシングでは意味がないように思われます。

 

また、図の左側の業務は、一般にその業務の必要性がわかりやすい(例えば、どこかからの問い合わせに対応するとか、顧客からのクレームに対応するとか)ことに加えて、計画しやすく成果が目に見える形で出やすいため(つまり不確実性が低い)、ともするとそうした業務を優先してしまいがちになる場合があることにも注意が必要と思われます。新規なことへの挑戦を重視するならば、図の右側の業務を行なうことへの動機づけ、評価とのバランスも重視しておくべきでしょう。

 

要するに、重要な点は研究活動における資源配分のバランスをとる、ということに帰着してしまうように思いますが、現実的には、その企業の置かれた状況に応じて臨機応変に、しかし片寄り過ぎないように資源配分を調整していくべきである、ということになるのでしょう。

 

もうひとつ、表に示した分類とは異なる研究の役割として「宣伝」が挙げられます。ノーベル賞を受賞した田中耕一氏が、彼の所属する島津製作所の企業イメージアップに大きく貢献したことは比較的記憶に新しいところですが、そこまでの業績ではなくとも研究成果の社会へのアピールがうまくできれば宣伝効果は十分に期待できるのではないでしょうか。Tiddらはアライアンスのマネジメントにおいて、「ある技術、もしくはその技術のソースが企業に与える信用度は、企業の技術取得方法に影響を与える重要な要素」と述べていますが[文献7p.272]、「宣伝」という側面での研究活動の企業への寄与はもう少し認識されてもよいのではないかと思われます。

 

以上、企業が研究部門に求めている課題として、イノベーションへの直接の寄与だけではなく、それ以外の役割も必要とされていることを述べました。こうした業務の位置づけや進むべき方向性を明確にし、必要な業務全体を考慮したテーマ設定を行なうことはトップマネジメントの課題でもあるのでしょうが、研究マネージャーにとっては与えられた資源の配分を適正にマネジメントし、有意義な成果が効率的に得られ続けるようにしていくことが重要と思われます。

 

 

文献1Anthony, S.D., Johnson, M.W., Sinfield, J.V., Altman, E.J., 2008、栗原潔訳、「イノベーションへの解実践編」、翔泳社、2008.

文献2Chesbrough, H., 2003、大前恵一朗訳、「Open Innovation」、産業能率大学出版部、2004.

文献3Moore, G.A., 2005、栗原潔訳、「ライフサイクルイノベーション」、翔泳社、2006.

文献4Leonard, D., Swap, W., 2005、池村千秋訳、「『経験知』を伝える技術」、ランダムハウス講談社、2005.

文献5Roberts R.M., 1989、安藤喬志訳、「セレンディピティー」、化学同人、1993.

文献6:丹羽清、「イノベーション実践論」、東京大学出版会、2010.

文献7Tidd, J., Bessant, J., Pavitt, K., 2001、後藤晃、鈴木潤監訳、「イノベーションの経営学」、NTT出版、2004.


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