イノベーションにはどのような創造性が求められるのでしょうか。創造性を引き出すにはどうすればよいのでしょうか。創造性の発揮の問題や「デザイン思考」について、近年注目を集めることが多い会社にIDEOがあります。今回は、そのIDEOを創設し率いてきたトム・ケリー、デイヴィッド・ケリー著、「クリエイティブマインドセット 創造力・好奇心・勇気が目覚める驚異の思考法」[文献1]に述べられている、創造性についての考え方をまとめてみたいと思います。ちなみに、原著の表題は、「Creative Confidence: Unleashing The Creative Potential Within Us All」(「直訳すると『創造力に対する自信:誰もが内に秘める潜在的な創造力を解き放つ』」[p.357、訳者あとがき]です。本書では、創造力を高め発揮するためのスキルも紹介されていますが、主題は、Creative Confidenceすなわち「創造力に対する自信」といえるでしょう。以下、本書の構成に沿って、興味深く感じた点をご紹介します。
序章、人間はみんなクリエイティブだ!
・「『クリエイティブである』というのは・・・一生変わらない性質だと思っているかもしれない。クリエイティブな遺伝子を持って生まれたか、そうでないかのどちらかなのだ、と。私たち兄弟は、・・・このような誤解を『創造性のウソ』と考えるようになった。このウソを信じている人は、あまりにも多い。だがそれは大きな間違いだ。[p.16]」
・「基本的に、創造力に対する自信とは、『自分には周囲の世界を変える力がある』という信念を指している。・・・自分の創造力を信じることこそ、イノベーションの『核心』をなすものなのだ。[p.17-18]」
・「私たちは、ちょっとした練習や励ましだけで、人々の創造力、好奇心、勇気がいとも簡単に目覚めることに驚いた。・・・私たちの経験からいえば、誰もがクリエイティブ系だ。一定期間、私たちの方法論に従ってもらえれば、誰でも最終的には驚くような成果を挙げられる。画期的なアイデアや提案を思いついたり、仲間とクリエイティブに協力し、本当に画期的なモノを生み出したりできるのだ。そして、自分自身、思っていたよりもずっとクリエイティブだったことに気づき、びっくりする。この最初の成功によって、自己イメージが変わり、もっと何かをやってみたくなるのだ。私たちが気づいたのは、創造性を一から生み出す必要はない、という点だ。人々がすでに持っているもの――世界にふたつとないアイデアを創造したり発展させたりする能力――を再発見する手助けをするだけでいいのだ。しかし、アイデアを実行に移す勇気を奮い起さないかぎり、創造性の真の価値は発揮されない。つまり、新しいアイデアを思いつく能力と、アイデアを実行に移す勇気――このふたつの組み合わせこそが、創造力に対する自信の特徴と言えるのだ。[p.21-22]」
・「デザイン思考とは、イノベーションを日常的に行なうための方法論のひとつだ。[p.20]」
第1章、デザイン思考で生まれ変わる
・イノベーションの3つの要因:1、技術的要因(技術的な実現性、「画期的な技術だけでは十分とはいえない」。2、経済的実現性(ビジネス要因、「技術は機能するだけでなく、経済的に実現可能な方法で生産・販売できなければならない」。3、人的要因(人間のニーズを深く理解すること)。「技術、ビジネス、人間という3つの要因の交わる点を見つけることが重要」[p.37-39]
・「人的要因は必ずしも残りのふたつより重要というわけではない。しかし、技術的要因は世界じゅうの科学や工学のカリキュラムで詳しく教えられているし、ビジネス的要因は世界じゅうの企業が全力を注いでいる。とすれば、人的要因にこそ、イノベーションの最大のチャンスが潜んでいるかもしれない。だからこそ、私たちは常に人的要因を出発点にするのだ。・・・人間中心の考え方は、イノベーション・プロセスの基本だ。人々に深く共感することで、観察を強力なインスピレーション源にすることができる。[p.39]」
・「私たちが思うに、成功するイノベーションは、技術的要因とビジネス的要因のバランスを取るとともに、人間中心のデザインによる調査の要素を何かしら取り入れている。顧客の真のニーズや欲求を考慮しながら、技術的実現性、経済的実現性、人間にとっての有用性の交わる点を模索することこそ、IDEOやdスクールで『デザイン思考』と呼ばれている方法論の一部であり、創造性やイノベーションを生み出す私たちのプロセスなのだ。[p.40]」
・デザイン主導のイノベーションアプローチの概要:1、着想(inspiration、人間中心のイノベーションを促すうえで、何よりも頼りになるのは共感だ。生身の人間のニーズ、欲求、動機を理解すれば、斬新なアイデアを思いつくきっかけになる)。2、統合(synthesis、統合の段階では、スイート・スポットを探る。調査で明らかになった内容を、実行可能なフレームワークや原則へと変換する。問題の枠組みをとらえ直し(リフレーミング)、どこに力を注ぐかを決めるのだ)。3、アイデア創造と実験(ideation, experimentation、無数のアイデアを出し、多岐にわたる選択肢を次々と検討していく。中でも特に有望なアイデアは、迅速な試作(ラピッド・プロトタイピング)を繰り返し行なう段階へと進める。この段階では、アイデアをすばやくラフな形で表現する。この経験による学習のループは、既存のコンセプトを発展させ、新しいコンセプトを生み出すのに役立つ。エンド・ユーザーなどのフィードバックに基づき、適応、改良、方向転換を繰り返しながら、人間を第一に考える魅力的で有効な解決策を練り上げていく)。4、実現(implementation、デザインに磨きをかけ、市場に出るまでのロード・マップを準備する。どの業界でも学習してフィードバックを得るために新しい製品、サービス、事業をリリースする企業がますます増えつつある。市場の中でしばやく改良を繰り返し、商品やサービスに一層磨きをかけていく)。[p.41-45]
・「デザイン思考では、直観的に物事をとらえ、パターンを認識し、機能的なだけでなく感情的にも意義のあるアイデアを組み立てる、人間の天性の能力をもちいる。・・・もちろん、感覚、直感、インスピレーションだけに基づいて、キャリアを築いたり組織を運営したりしなさいと言うつもりはない。ただ、論理や分析に頼り過ぎるのは、同じくらい危険なこともある。容易には分析できない問題や、確かな基準やデータが十分にない問題を抱えている場合、デザイン思考の共感やプロトタイピングを使うことで、前に進む足がかりになるかもしれない。画期的なイノベーションや創造の飛躍が必要な場合は、問題を深く掘り下げ、新しい洞察をみつけるのにデザイン思考の方法論が役立つだろう。[p.46]」
・「しなやかマインドセットの持ち主は、人間の真の潜在能力は未知(しかも不可知)であり、何年も努力、苦労、練習を積めば、予測も付かないようなことを成し遂げられると信じているという。・・・こちこちマインドセットの持ち主は、意識的または無意識のうちに、人間の生まれ持つ知能と才能の量は決まっていると心から信じている。創造力に対する自信を獲得するための旅に招待されると、こちこちマインドセットの持ち主は、自分の能力の限界がほかの人にバレるのを恐れて、安全な場所にとどまろうとするのだ。[p.53-54]」「まずはしなやかマインドセットを身に付けよう。自分には未知の潜在能力がある、今まで達成できなかったこともきっと達成できると、心から信じるのだ。[p.58]」
第2章、恐怖を克服する
・「失敗に対する恐怖は、あらゆるスキルを学んだり、リスクを冒したり、新しい課題に挑戦したりする妨げになる。創造力に対する自信を手に入れるには、失敗に対する恐怖を克服する必要がある。[p.73]」
・「失敗に対する最初の恐怖を克服し、創造力に対する自信を手に入れたとしても、引き続き自己の向上に励むことは必要だ。筋肉と同じで、創造力は鍛えれば鍛えるほど成長し、強くなっていく。そして、創造力を使いつづけることで、好調な状態をキープできるのだ。・・・ここで重要になってくるのが、経験と直感だ。[p.78-79]」
・「自分や周囲の人々にときどき間違いを犯す余裕を与えれば、もっといいアイデアをもっと早く思いつけるようになる。[p.80]」
・「失敗から教訓を学ぶには、失敗に責任を持つ必要がある。何がまずかったのか、次はどこをもっとうまくやるべきなのかを突き止めなければならない。・・・間違いを認めることは、前に進むためにも大事だ。そうすることで初めて、隠蔽、正当化、罪悪感という心の落とし穴を避けられる。[p.82]」
・「創造性を手に入れるには、人と比べるのをやめるのがひとつの方法」、「私たちは、・・・人は不安を抱えているとベストの力を発揮できないことに気づいた。同僚や上司に尊敬されていないと感じると、自己アピールで自分を良く見せようとするのだ。仕事に集中して自分の作るモノに満足する代わりに、他人にどう思われているかばかり気にするようになる。[p.91]」、「自分をさらけ出す能力、周囲の人々を信頼する能力こそ、創造的思考や建設的な行動を妨げている数々のハードルを乗り越えるきっかけになる[p.92]」。
・「創造性を発揮するのに、何千人にひとりの才能や技術など必要ない。大事なのは、自分が持っている才能と技術で何かができると信じることだ。[p.100]」
第3章、創造性の火花を散らせ!
・「クリエイティブな力は、繰り返し育てていかなければならないものだ。[p.111]」
・クリエイティブな力を伸ばすために日頃から心がけたい方法:1、クリエイティブになると決意する。2、旅行者のように考える(新しい視点で見てみる)。3、リラックスした注意を払う(ひらめきは、精神がリラックスしているときに訪れやすい)。4、エンド・ユーザーに共感する。5、現場に行って観察する(「共感とは、自分の先入観を疑い、自分が正しいと思うことをいったん脇にのけ、本当に正しいことを学ぶこと」)。6、「なぜ」で始まる質問をする。7、問題の枠組みをとらえ直す(例えば、明白な解決策から離れる、焦点や視点を変える、真の問題を突き止める、抵抗や心理的な否定を避ける方法を探す、逆を考える)。8、心を許せる仲間のネットワークを築く(他者のアイデアを土台にするには謙虚さが必要)。[p.111-153]
第4章、計画するより行動しよう
・「多くの場合、クリエイティブになるための第一歩とは、傍観者でいるのをやめて、アイデアを行動に移すことなのだ。ほんの少しの創造力に対する自信があれば、世界じゅうで前向きな行動を起こせる。[p.169]」
・「すぐに“最高”の成果を出すのは難しい。だからこそ、すばやく改良を続けていくべきなのだ。・・・すばらしいものを作りたければ、まず作りはじめなければならない。創造プロセスの初期の段階では、完璧主義が邪魔になることもある。[p.176]」
・「プロジェクトで目標に向かって前進するベストの方法は・・・私たちの経験からいえば、プロトタイプ、つまり早い段階で実際に動くモデルを作ることだ。・・・プロトタイプを作る理由は、ずばり実験できることにある。[p.185]」
第5章、義務なんか忘れてしまえ
・「人生を単なる義務から真の情熱へと変えたいなら、まずは現状が唯一の選択肢ではないと認めることだ。生き方や働き方は変えられる。[p.236-237]」
第6章、みんなでクリエイティブになる
・「私たちひとりひとりが持つ潜在的な創造力を解き放てば、世界に良い影響を与えられるのは確かだが、テーマによっては、集団の力が必要なこともある。・・・チームで日常的にイノベーションを起こしたいなら、クリエイティブな文化を根付かせなければならない。[p.242]」
・企業が創造力に対する自信を獲得していく5段階:第1段階「純粋な否定」(「経営幹部や従業員が『われわれはクリエイティブではない』と口を揃える」)、第2段階「内心の拒絶」(「経営幹部のひとりが新しいイノベーションの方法論を熱心に勧め、応援する。ほかのマネジャーたちは口々に賛成するが、本気では実践しようとはしない。・・・『内心の拒絶』の段階を乗りこえるには、現場の従業員が創造力に対する自信の原則を自ら体験しなければならない。」)、第3段階「信頼」(「権力や影響力を持つ立場の人物が消費者を第一に考えるデザイン思考の価値を認め、プロジェクトを実現するための資源やサポートを与える」)、第4段階「自信の探究」(「組織が本格的にイノベーションに取り組み、企業目標を実現するためにクリエイティブな資源を活かす最善の方法を模索する」)、第5段階「総合的な認識と統合」(「チームは目の前の課題にクリエイティブなツールを日常的に活かすようになる。一言でいえば、組織レベルの創造力に対する自信だ」)。[p.248-251]
・「多様な考えの持ち主を集めるという方法は、複雑で多次元的な課題に直面しているときに特に役立つ。[p.259]」、「どんな組織でも、分野の枠を超えたグループを築くことで、企業構造や企業階層の壁を乗り越え、新しいアイデアの画期的な融合を生み出すことができる。[p.261]」
・イノベーション・チームを育てる原則:1、お互いの強みを知る。2、多様性を活かす(異なる見方同士に生まれる緊張関係こそ、多様なチームを創造性の宝庫にする)。3、プライベートをさらけ出す(私生活を仕事と切り離すと、創造的思考に支障が出る)。4、「仕事上の関係」の「関係」の部分を重視する。5、チームの体験を構築する(どのように助け合うか、どのような原則に従うか、何を達成したいか)。6、楽しむ!(一緒に時間を過ごし、お互いをよく知ることを優先する)。[p.262-264]
・「賢くクリエイティブなチームを築き、非凡な成果を成し遂げてもらいたいなら、平凡で冴えないスペースで働かせてはいけない。[p.269]」
・「考え方や行動を変えるには、まず言葉遣いを変えるのが有効[p.173]」。
・「消耗型リーダーとは、厳しい管理体制を敷き、チームの創造力を十分に活かしきれないリーダー。一方、増幅型リーダーとは、やりがいのある目標を定め、従業員に自分もできると思っていなかったような劇的な成果を生み出させるリーダー[p.277]」。増幅型リーダーになるコツ:有能な人材を引き寄せる“磁石”になる。やりがいのある挑戦や課題を見つけ、人々の思考を精一杯に働かせる。さまざまな意見を表明し、検討できるような活発な討論を奨励する。成果に対する当事者意識をチーム・メンバーに持たせ、彼らの成功に投資する。[p.278-279]
・「創造力を秘めた人材であふれるこの世界では、名案を導き出すのはトップの人々だけだと決めつけるのは危険だ。・・・21世紀のもっとも革新的な企業は、従来の指揮統制型の組織から、コラボレーションやチームワークを重視する参加型のアプローチへと、変わってきた。こういう会社は、社内の全頭脳を結集させ、どこからでも最良のアイデアや洞察を集める。第一線で業務を行なう人々の声に積極的に耳を傾ける。アイデアが組織の上へと浸透していくよう、チーム・メンバー全員に対してイノベーション精神を植えつけるのだ。[p.287]」
・「組織の創造力に対する自信を育むには、まずイノベーション文化を築くことだ。分野の枠を超えたチームの力を活かし、他者のアイデアを土台にするようみんなに促し、組織全員の能力を増幅させるリーダーになろう。[p.288]」
第7章、チャレンジ
・「内に秘めた創造力を解き放つのは、ほかの色々な物事と何ら変わらない。そう、練習すればするほど上達していくのだ。[p.290]」
・練習に役立つツール:意識的に思考の幅を広げ、クリエイティブに考える(マインドマップ)、創造力のアウトプットを増やす(名案がひらめいたらその場で記録する)、アイデア創造セッションをジャンプ・スタート、人間の行動を観察して学ぶ(共感マップ)、建設的なフィードバックを促し、受け入れる、グループの雰囲気を盛り上げる、上下関係をなくして、アイデアの流れを活発化する、顧客、従業員、エンド・ユーザーに共感する(カスタマー・ジャーニー・マップ)、取り組む問題を定義する(夢と不満セッション)、グループにイノベーション思考を理解してもらう、ためのツールを紹介。[p.292-332]
第8章、その先へ
・「自分自身の創造力に対する自信を手に入れるには、いちどに一歩ずつ、行動するのがいちばんだ。つまり小さな成功を積み重ねていくことが大切なのだ。[p.335]」
・「いったん創造力に対する自信を受け入れれば、努力、練習、継続的な学習を通じて、あなたも人生やキャリアを作り直すことができるのだ。[p.349]」
―――
本書のポイントは、デザイン思考の考え方の紹介と、すべての人が持つという創造力を開花させ、「創造力に対する自信(クリエイティブ・コンフィデンス)」を身に付け、活用しようと述べている点でしょう。デザイン思考、特に人間中心のアプローチは、純粋に技術的な開発課題にはあまり向いていない手法かもしれませんが、どんな課題に取り組むにせよ、第1章で述べられている、技術、ビジネス、人間の要素の交わる点を探す、という考え方は重要だと思いますし、その中の人間の要素を検討する際にデザイン思考は特に有効であることは認識しておくべきだと思います。
もう一点の、創造力に対する自信を身に付け、活用する、という点については、研究マネジメントの観点からも重要だと思います。多様性を活かし、試行から学び、協働する、という近年のイノベーションの進め方においては、多くの人々の創造力を活かすことは従来にも増して重要になってくると思われます。本書のアプローチは、研究組織運営のあり方を考える上でも非常に参考になると感じました。
文献1:Tom Kelley, David Kelley, 2013、トム・ケリー、デイヴィッド・ケリー著、千葉敏生訳、「クリエイティブマインドセット 創造力・好奇心・勇気が目覚める驚異の思考法」、日経BP社、2014.
原著表題:Creative Confidence: Unleashing The Creative Potential Within Us All
参考リンク
IDEO
新しいものを「創造」することは、研究開発の大きな役割のひとつです。従って、「創造性」をどう考え、どう扱うかは、研究開発マネジメントを考える上での重要な課題のひとつと言えるでしょう。今回は、DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー2014年11月号の特集「創造性vs.生産性」[文献1]の中の2編の論文に基づいて、「創造性」について考えてみたいと思います。
1編目は、琴坂将広著「企業は創造性と生産性を両立できるか」、2編目は、トム・ケリー、デイビッド・ケリー著「IDEO流創造性を取り戻す4つの方法」です。一口に「創造性」と言っても、その意味には幅がありますが、琴坂氏の論文では、企業の立場から、組織として新たなものを生みだす能力としての創造性が議論され、ケリー氏の論文では、個人が創造性を発揮するための条件が議論されているところが大きな違いでしょう。以下、それぞれの論文から興味深く感じた点をまとめたいと思います。
琴坂将広著「企業は創造性と生産性を両立できるか 組織の意味を再定義する時」
・「企業はいま、創造性と生産性を求められている。新しい技術やアイデアを基に市場を創造し、競争優位を築くために、創造性は不可欠である。一方、既存の事業やサービスの生産性をいっそう高めることは、永遠の課題でもある」。しかし、「創造性を高めることにより提供価値を高めながらも、生産性を高めることにより生産費用を低減させるという困難に、企業は直面している」。「新たな型を創り出すことと、見つけた型を磨き込むことは、技術的に見て相容れない努力を企業に求めるのである。」
・創造性と生産性を両立させ続けるための代表的な議論
1)独立した小さな組織群に創造性を発揮させる:バウワーとクリステンセンが提案。「より抽象化すれば、創造性を発揮する組織(独立した小さな組織群)を、生産性を追求する組織(成熟した既存の組織)から隔離するという打ち手」。「既存の資源を活用できないことにもつながりうる・・・、創造性を追求させるがあまり、逆に実用性に乏しい、利益を生まないアイデアが無作為に量産される危険を常にはらんでいる。したがって隔離するという打ち手は、広く用いられる一方で、万能の策ではない」。
2)製品やサービス自体を創造性と生産性が共存できるよう設計する:ギャルドとクマラスワミーがサン・マイクロシステムズの事例で論じた。「同社は、製品にモジュラー構造を用いることによって、同社が確立した技術的なプラットフォームに対する知見と、それを開発する能力を自社内に囲い込んだ。それとともに、多様な企業が製品革新に参加でき、特定の構成要素を常に新しい部品で置き換え、新たな商品群を投入していける柔軟性を担保した」。「しかし、この可能性が情報技術産業以外の他の産業や業務で、どの程度適用可能かは議論がある。そしていったん確立させた創造性と生産性を共存させる設計も、いわゆる『破壊的』な設計思想や商品コンセプトの登場により瓦解する可能性が常にある」。
3)創造性ある技術と人材は外部から購入する:「シスコシステムズ・・・は比較的小規模な企業を継続的に買収し続けている。これは単に技術や製品を手に入れるためだけではなく、新たな発想や創造性を持つ人材とそのチームを、社内に取り入れ続けるためでもある」。「しかしその獲得した人材が継続的に創造性を発揮する能力を失わないように、一定以上の自治を保証するという絶妙なバランスを取る必要がある。・・・こうした外部資源へのアクセスが限られる産業や業務分野では、継続的に創造性を外部から購入し続けるのは敷居が高い打ち手ともいえる」。
4)適切な評価指標と報酬制度を運用する:「ダブラらが述べるように、生産性を向上させていくような漸進的イノベーションと、創造性がカギとなるような破壊的イノベーションでは、その目標設定の特性や適切な報酬システムの傾向が異なるのは想像にかたくない」。「もし、異なる目的に対応した適切な評価指標と報酬制度を両立させることができるのであれば、創造性と生産性を両立させるインセンティブ設計が可能であろう」。「しかし、両者を共存させる目標の設定も、成果の計測も、報酬の算定も、こうすればよいという明確な手法は確立されておらず、いまだ試行錯誤の段階を突破できていない」。
5)組織的なシステムやプロセスを整備する:「クリステンセンは、意図的戦略策定プロセスと創発的戦略策定プロセスの2種類を効果的に使い分けることが戦略策定の成否を分けると言う」。「しかし彼も認めるように、この根本的に異なる両者を使い分けるのは難しい。なぜなら、そこには創造性と生産性の対立があり、一方に最適なプロセスが、他方には最適となりえないからである」。
・「現代では、これら5つの代表的な打ち手以外にも、無数の打ち手の可能性が主張され、検証されている。しかしこの課題が根源的であるがゆえに、我々はいま現在もこの問いに対する確たる答えを探し求めている。」
・著者は、この課題に対し、「自社の関わる価値連鎖全体に視野を広げるという考え方と、企業境界を複層的にとらえるという考え方」を仮説として提示しています。価値連鎖の戦略を磨き込むとは、「付加価値創造の連鎖構造全体を『企業体』として認識し、それ全体での創造性と生産性の共存を図る」ということであり、企業の境界を複層的にとらえるとは、「企業が所有権を保持する範囲である所有の境界、統治権を及ぼせる範囲である統治の境界、そして目的を共有し協業する範囲である協業の境界の3つの複層的な境界をとらえる」こととされています。
・著者は上記の仮説に基づいて、「自社と他社、社内と社外という二元論を捨て、複層的な組織の境界を明確に意識し、それを自社のビジョンや戦略に最適な形にデザインし直すことが、創造性と生産性を共存させるための近道なのではないだろうか」、と述べています。
トム・ケリー、デイビッド・ケリー著「IDEO流創造性を取り戻す4つの方法 恐れを克服し、自由な発想を生みだす」
・「創造性は天賦の才能だけではなく、修練するものである」。「創造性への自信を『再発見』するための支援が求められている。新しいアイデアを生み出す生得の能力と、それを試す勇気を引き出すのだ。そのために、ほとんどの人を尻込みさせる、やっかいな未知なるものへの恐れ、評価されることへの恐れ、第一歩を踏み出すことへの恐れ、制御できなくなることへの恐れという4つの恐れを克服する戦略を授けている。」
・やっかいな未知なるものへの恐れの克服:「ビジネスにおける創造的思考は、顧客(社内外を問わない)への共感とともに始まる。机に座っていては得ることはできない。たしかに、オフィスのなかは快適である。すべて安心感のある慣れ親しんだものばかりだ。ありきたりの情報源から情報を集め、矛盾するデータは排除され無視される。外の世界はもっと混沌としている。・・・そのような場所でこそ、インサイトや創造的なブレークスルーが見つかる。何かを学ぼうと思い切って足を踏み出せば、仮説を立てなくても、新たな情報に目を向けられるようになり、曖昧だったニーズを発見する助けを得られる。そうでなければ、既存のアイデアを追認するか、顧客や上司、あるいはライバルからすべきことを教えられるのを、ただ待つことになりかねない。」
・評価させることへの恐れの克服:「上司や同僚に失敗する姿を見られまいと、自分を曲げて、創造性を秘めたアイデアを押し殺す。『安全な』解決法や提案にしがみつくのである。そして後ろに下がって、他の人々がリスクを取るのを眺めている。しかし、常に自分を検閲しているようでは、創造的になれるはずがない。」、「頭に浮かんだ考えが消えていくままにせず、メモ帳に書き留めるなどして体系的にキャッチする。・・・評価は後回しにすれば、・・・自分がどれだけ多くのアイデアを持っているか、どれだけ気に入るアイデアがあるかに驚くことだろう。またフィードバックする場合も、月並みな言葉は使わないようにし、協働者にも同じことを勧めるとよい。・・・否定的評価をただ伝えるようなことはしない。・・・最初は肯定的なフィードバックで始め、次に一人称を使い、・・・聞き手がアイデアをより受け入れやすい形で提案するのである。」
・第一歩を踏み出すことへの恐れの克服:「これもまた、新たな道を示すことや、予想可能な作業の流れから抜け出すことへの恐れといえる。この惰性を克服するには、よいアイデアがあるだけでは十分ではない。計画を立てるのはやめて、ただちに始める必要がある。最善の方法は、大きな課題全体に照準を合わせるのではなく、すぐに取り組める小さな断片を見つけることだ。」、「ビジネスの文脈では、次のような問いかけで最初の一歩を踏み出せばよい。低コストの実験はどんなものか。より大きな目標に近づく最短かつ最も安価な方法はどれだろうか。」、「我々の合言葉は『準備などはやめで、始めよう!』だ。ごく小さな一歩にして、ただちに始めるようみずからに強いる。そうすれば、最初の一歩ははるかに恐ろしいものではなくなる。」
・制御できなくなることへの恐れの克服:「自信とは、単純に自分のアイデアがよいものだと信じることではない。うまくいかないアイデアは捨て去り、他者のよいアイデアを受け入れる謙虚さを持つということだ。現状維持を捨て去り、協力して取り組めば、自分の製品やチーム、事業のコントロールを断念することになる。しかし、それによって創造的な面で得るものは大きい。・・・主導権を譲って異なる視点を活用するチャンスを探すのである。」
―――
企業にとって、既存事業の効率を高めコストダウンを図ることと、新たな製品やサービスを創造して付加価値を高めることの両方が必要であることは、(特に先進国の企業にあっては)改めて言うまでもないでしょう。しかし、それを「創造性」と「生産性」の二者択一の問題であると捉えることが適当かどうかについては議論の余地があると思います。生産性の向上を、同じ作業の繰り返しによる習熟とスキルアップ、単なる努力や無駄の排除で達成するものととらえるならば、確かに生産性と創造性とは異なる要素が多いかもしれません。しかし実際には、方法やプロセスの改善によって生産性を向上させる場合には、創造的な解決策が求められることが多いものです。そう考えると、企業活動における創造性と生産性の問題とは、創造性をどの分野に活用するか、新規分野の創造に活用するのか、あるいは既存分野の改善に活用するのかという違い、とも考えられるのではないでしょうか。だとすれば、創造性を高めるにせよ、生産性を高めるにせよ、ケリー氏が示唆するような個人の創造性を高めることはどちらにも有効に作用するのではないかと思われます。
ただし、企業活動においては、資源配分の問題があります。資金をはじめとする経営資源を、既存事業の生産性向上に振り向けるのか、新規事業の創造に振り向けるのか。加えて、人的資源のうちの「創造的能力」をどちらに振り向けるのかによって、その企業の方針が決まるでしょう。さらに、振り向けた資源から、いかに効率良く創造的成果を得るか、という問題もあります。琴坂氏が指摘する創造性と生産性を共存させる環境づくりの難しさは、この資源配分の方法と、その資源を効率的に創造的成果に結び付ける方法(つまり、創造的成果の「生産性」を上げる方法)が未確立である、ということと考えます。
もちろん、この課題は容易に解決できるものではないと思いますが、ケリー氏の論文がヒントになるかもしれません。ケリー氏の指摘は、個人は、新しいことの実行に対する恐れがあると、「自分の時間」という資源を創造的な活動に振り向けにくくなることを示唆しているとも考えられるでしょう。そうした恐れを取り除くことで、個人が創造的活動に時間を使いやすくなるとすれば、企業レベルにおいても、同じような「恐れ」を取り除くことで、効果的な資源配分が可能になるかもしれません。加えて、個人のレベルで、自分の時間を創造的活動により多く注ぎ込めるとすれば、創造的成果の生産性が上がることへの寄与も期待できるでしょう。
つまり、創造的活動に注力する、ということは、企業における場合でも個人の活動を想定した場合でも、創造的活動に振り向ける資源を増やすことと、その資源から成果を得る効率を上げるということに帰着すると思います。琴坂氏の分析や提案をはじめとする様々な事例を参考に、ケリー氏が指摘する創造的活動への恐れを緩和するシステムを考え出すことができれば、創造性の高い組織の構築に近づけるのではないか、と思いますがいかがでしょうか。
文献1:特集「創造性vs.生産性」Diamond Harvard Business Review November 2014, p.27-82.
琴坂将広著、「企業は創造性と生産性を両立できるか 組織の意味を再定義する時」、Diamond Harvard Business Review November 2014, p.38-51.
Tom Kelley, David Kelley、トム・ケリー、デイビッド・ケリー著、飯野由美子訳、「IDEO流創造性を取り戻す4つの方法 恐れを克服し、自由な発想を生みだす」、Diamond Harvard Business Review November 2014, p.62-71.(原著:”Reclaim Your Creative Confidence”, Harvard Business Review December 2012.)
参考リンク<2015.3.8追加>
イノベーティブな人材を育てる場として設立された「東大i.school」で、どんな活動が行なわれているかが書かれた本「東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた」[文献1]について考えてみたいと思います。先日の記事(イノベーションに必要な人材)で紹介したIDEOが指導している、ということで興味を持ちました。
まず、簡単に背景をご紹介します。東大i.schoolとは、東大の全学組織である「知の構造化センター」が実施する教育プログラムで[文献1、p.143]、校舎があるわけでも学部や大学院があるわけでもなく、年に数回開かれる、数十時間の「ワークショップ」と「シンポジウム」だけがすべて[文献1、p.8]とのことです。この本では、その初年度(2009年度)に行なわれたワークショップの内容が紹介されています。
i.schoolのエグゼクティブ・ディレクターである堀井秀之教授によれば、知の構造化センターは、膨大な知識に対して知の構造化技術(情報や知識の間の関係性を抽出し、可視化する技術)を適用することにより、知的発見やイノベーション、問題解決、意思決定、人材育成に役立てるための方法論を構築することを目的として2007年から活動を行なっているそうです。i.schoolでは、そこで開発されたツールをワークショップで利用することにより、イノベーションを生み出す力をより強力なものにすることを目指し、将来的には、i.schoolの活動自体を研究対象として、認知科学、知能工学、脳科学、組織学習論など、様々な視点からの研究材料を提供し、イノベーション・サイエンスと呼べるような研究領域を生み出すことも期待する、とされています[文献1、p.142-146]ので、単なる教育目的だけのためのプログラムではない、ということになります。
i.schoolの具体的な目標は、「言われてみて初めて『確かにそれこそ解決するべき課題だ』と気付くような『目的』と、『こんな上手い方法があったのか』と人々をうならせるような『手段』を見つけ出す力を養うこと」[文献1、p.132]、とのことです。つまり、i.schoolでは、新しいイノベーションの「目的」と、その目的を達成するための新しい「手段」を見つけるためにはどうしたらよいか、という方法の試行を行ないつつ、学生には新しいアイデアを生む達成感と成功体験を提供して、社会に出てからイノベーティブな成果を上げてほしい、ということ目指していることになるのでしょう。ただし、ここで目指しているものは「人間中心のイノベーション」が前提とのことですので、イノベーションのうち、「物」をどう扱うかや、自然科学における「発見」を目指すようなことは直接の検討対象とはしていないようです。つまり、「シーズ志向」よりは「ニーズ志向」の立場にたったアプローチが追究される場だと理解できます。
以上の立場に立って行なわれる「ワークショップ」では、イノベーションをつくるために具体的にどのようなことが取り上げられるのでしょうか。i.schoolのコアにある「イノベーションを導く道筋」は「あつめる」「ひきだす」「つくってみる」とされていますので、それぞれの段階でどのような手法が用いられているかを見ることにしたいと思います。
あつめる[文献1、p.19-63]
イノベーションの最初のステップを「あつめる」という言葉でまとめています。次の6つの方法が提示されていますが、「ふつうでない情報を得るために、ふつうではない収集の仕方をしよう」というのが共通のスタンスとされています。
・観察する:IDEOの考え方では「人類学者」の仕事に相当します。なるべく極端な対象を選び、解釈は入れないようにすべき、とのことです。
・インタビューする:簡単な質問から始めて掘り下げていく、やってみせて、描いてみせてもらう、「もし~なら」という仮定の質問に答えてもらう、などがコツ。
・ケーススタディのための資料あつめ:書籍や雑誌、ウェブサイトなどからの情報を集める。できるだけ一次情報にあたり、出典を記録すべき。
・未来を洞察する材料を準備する:現在の情報から演繹的に未来像を描く(「未来イシュー」と呼ぶ)。
・未来の「兆し」をあつめる:みんなが納得できるような未来予測ではなく、未来に影響を与えそうな小さな事件や出来事を集める。これを「スキャニング・マテリアル」と呼ぶ。そしてその兆しを分類して帰納的に「社会変化仮説」をつくる。
・思いつくものを持ち寄る:「観察する」代わりに、各人の「視点」「印象」「イメージ」を持ち寄る。それを上位概念化して評価軸をつくる。
ひきだす[文献1、p.64-98]
このステップでは、得られた情報を吟味し、思考を深め、アイデアを「つくってみる」ステップに引き渡すことを行ないます。「インテグレーティブ・シンキング」と呼ばれる考え方すなわち、(1)要素を抽出する、(2)要素どうしの関係性を分析する、(3)検討する、(4)決定する、の4ステップからなる考え方が基本です。具体的な方法としては以下の6点が述べられています。
・ダウンロード(経験共有)する:情報をチーム内で共有する。情報、経験を共有し、関連するものをまとめて上位概念化する。
・コレスポンデンス分析:統計学(多変量解析)の技法を用いて、ある現象なり概念なりを評価点に基づき2次元に整理し、グルーピングする。
・ブレインストーミング:ダウンロードにつづくプロセス。IDEOはダウンロードとブレインストーミングをつなぐプロセスとしてHMW(How Might We?-「どうすれば私たちは…することができるだろうか」)を重視している。チーム内で共有された情報、特に上位概念に対して、別の場面への適用を想定した疑問文をつくり、それに答えていくことで新たなアイデアを着想する。
・シンセシス(統合):ダウンロードによる問題群とブレインストーミングによるアイデア群を結びつけイノベーション創造の機会を可視化する。
・インパクト・ダイナミクス(強制発想):「あつめる」段階で得られた「未来イシュー」と「社会変化仮説」を強制的に組み合わせ、どのような事態が起こるかを想像する。
・ケーススタディ(事例研究):事例を分析して、類似した要素をまとめることにより、世の中にどういう手段が存在しているかを頭の中に入れ、目的に対してどのような手段が有効なのか予測する素地をつくる。
つくってみる[文献1、p.99-114]
IDEOの考え方では、つくってみることによってアイデアのどこがまずいのか、どこがうまくいかないのかを早期に看破することができるといいます。つくったものにより、概念の共有がしやすくなることに加えて、「考えてはつくり、つくっては考える」というサイクルがもたらす効果も重要と考えられます。具体的につくってみるものは次のようなものです。
・絵にする:アイデアを図式化するためではなく、アイデアを「表現」するために絵にする。
・身近な材料でつくる:模型をつくる。
・ステークホルダーの関係性を図示する:デザインするものがサービスの場合に重要。
・シナリオをつくる:明確なユーザー像を設定し、自分たちのプロダクトやサービスがどのように利用されるかを検証する。
・寸劇(スキット)を演じる:実際にどう使われるか試してみる。
・事業計画書を書く:技術的実現性、経済的実現性を検討する。
そしてこのような活動を行なうにあたり、i.schoolでは作業に適した物理的空間の確保、アイスブレイク、多様なチームメンバーが重要とされ、環境づくりにも配慮がなされます[文献1、p.115-129]。
以上、本書の内容になるべく沿って、私なりに理解したポイントをまとめてみました。なお、手法の詳細については本書ではさらに詳しく説明されています(本書に関するブログ記事[文献2,3]も参考になると思います)。イノベーションを生み出すための方法として興味深いものもあれば、効果が疑問に思われるものもあるように思いますが、全体の方向性としては間違っていないのではないでしょうか。本書では新しいアイデアを生み出す思考法としてアブダクション(結果から原因を推定する、データから法則や理論を導くような推論)が重要視されていますが、本書で紹介された手法はいずれもアブダクションにある程度は有効な方法と言えるように思います。ただし、i.schoolはこうしたツールの有効性を判断し、改善していくことも目的のひとつとしていますので、細かな手法の評価は現段階ではあまり意味のあることではないでしょう。実際、2010年度のワークショップでは、ややアプローチが変わっているようで[文献4]、3つのステップが<Understanding><Creating><Realizing>と表現され、<Understanding>では、エスノグラフィー、フォーサイト、<Creating>ではシナリオ・ライティング、プロトタイピング、チーム・ビルディング、<Realizing>ではストラテジック・プランニング、エグゼキューション(製造・事業運営)、コミュニケーションという手法(活動)が使われる(実施される)ようです。
以上の状況を考えると、この本をイノベーションのハウツー本として読むことは適当でないのだろうと思います(もちろん、ハウツーとして役立つ点もありますので、有効だと思えれば使ってみればよいのですが)。ただ、手法の細かい評価はさておくとしても物足りない点もありました。特に、この本で述べられた手法は、何を開発しようとするのか、世の中のどんな問題点を革新しようとするのかを見つけ出す方法としてはあまり有効なアプローチでよいとは思えません(ある「目的」を達成するための「手段」についてのアイデアを得るためには有効な方法が多く示されていると思うのですが)。未来予測の手法に基づいて、これからの時代に必要となるイノベーションを考えよう、というこの本の意気込みは買いますし、それでうまくいく場合もあるかもしれませんが、イノベーションにはこの本でとりあげた以外のアプローチ、例えばシーズ志向、予測不可能な新市場創造型の破壊的イノベーション(ノート4、他)、真のセレンディピティー(ノート6)に基づくイノベーション、人間中心でないイノベーションなどもあるはずです。もちろん、ある種類のイノベーションにだけでも適用できる手法があれば有益には違いありませんが、未来予測までを狙うのは現実的でないように思われますので、今後の発展を待ちたいと思います。
i.school全体の活動について最も画期的だと思われる点は、このような教育プログラムを実施していることではないでしょうか。特に企業の立場から見ると、学生にこのような体験をさせることは非常に有意義だと思います。この本で述べられた手法はイノベーションのアイデア段階に着目していると考えられますが、アイデア段階の検討というのは、イノベーション実現のプロセスのなかでは「最も面白い」部分ということができると思います。これに対して、イノベーションを現実に適用するためには、泥臭い地道な仕事もこなす必要があります(というより、泥臭い仕事の方が分量は多いでしょう)。おそらく、学生さんが就職して組織の一員としてイノベーションに関わる際には泥臭い仕事を担当させられる可能性が高いでしょう。そうすると、そういう仕事をやっている間はなかなかイノベーションの面白さに触れる機会は少ないと思います。その結果、自らの創造的な能力を認識しないまま日々の仕事に流されてしまうこともあるように思います。ですから、アイデアを出して追求することの楽しさ、そういうことができる自分やチームの能力を認識する機会を就職する前に持つことは重要だと思うのです。「できる」ことがわかっており、「やり方」も知っていれば「やってみよう」という気にもなるのではないでしょうか。そういう機会を提供しているi.schoolのコンセプトは非常に得難いもので、そういう経験を持っていれば泥臭い仕事に対しても自由な発想でアイデアを出していくことが可能になるように思われます。また、大学に入るまでは「習う」ことが主体だった学問や技術との関わり方を、「創造する」という方向に転換するきっかけにもなるのではないかと思います。
もう一点興味深いのが、この試みが経営学やMOTの立場から行なわれているのではない点です。イノベーションに役立つ人材を育てるMOT教育という観点からみると、i.schoolのプログラムは欠陥だらけ、ということになるかもしれませんが、個別の専門を持った人材にMOTの考え方に触れる機会を提供する、という意味での意義は大きいと思います。イノベーションに役立つ人材とはどのような経験をし教育を受けた人材なのか、社会はどのような人材を求めているのか、という点についての検討も含め、「知の構造化」だけにとらわれないi.schoolの今後の発展を期待したいと思います。以上、私にとってこの本は個別の手法の解説よりも、イノベーション科学や新たな人材育成の可能性が感じられた点が印象的でした。
文献1:東京大学i.school編、「東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた」、早川書房、2010.
東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた
文献2:舘野泰一さんのブログ記事、「[書評]イノベーションの技法がちりばめられた教育プログラム!-東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた」
http://www.tate-lab.net/mt/2010/06/todai-shiki.html
文献3:竹内慎也さんのブログ記事、「東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた」
http://ameblo.jp/1-class/entry-10552862934.html
文献4:東大i.schoolウェブサイトより「i.schoolの3つのステップ」
http://ischool.t.u-tokyo.ac.jp/programs/outline
(参考)
・東京大学知の構造化センター
http://www.cks.u-tokyo.ac.jp/index.html
参考リンク<2011.8.14追加>
ノート8で研究者の適性と配置について書いたときにKellyの考え方について少しだけ触れましたが、そこで引用したKellyの著書[文献1]にはかなり興味深いことが述べられていますので、その内容をレビューし、感想をまとめておきたいと思います。
とりあげる著書は、トム・ケリー、ジョナサン・リットマン著、鈴木主税訳、「イノベーションの達人! 発想する会社をつくる10の人材」です。原著の表題は「The Ten Faces of Innovation」、副題は「IDEO’s strategies for beating the devil’s advocate & driving creativity throughout your organization」、訳せば、天邪鬼を打ち負かし、組織の創造性を高めるためのIDEOの戦略、というところでしょうか。仕事を進める上での天邪鬼というとイメージがはっきりしないかもしれませんが、アイデアに対して建設的でない批判をする人、すなわち、自分の本当の意見があっての批判ではなく、アイデアをけなすのが好きなだけのような人のことを想定しているようです。著者は、こうした批判が出ると他の人もそのアイデアに対し悲観的な見方をするようになり、多くの有望なアイデアが芽のうちに潰されてしまうことになると述べています[文献1、p.8-14]。
本書では、そうした天邪鬼に対抗し組織の創造性を高めるための10種類の人材について述べられています。ただしそこで挙げられている人材の特徴は、個人の性格や特性といったものではなく、「人が演じられる役柄、引き受けられる役目、採用できるキャラクター」「人を中心とした10個のツール」「イノベーションを進める才能」とされています。この考え方により、先端的なデザイン会社IDEOでは「チームがさまざまな視点を表現でき、従来よりも幅広い革新的なソリューションを生み出せることを発見してきた」といい、技術者やマーケティング担当者といった伝統的なカテゴリーではなく、「これらの新しい役柄が新世代のイノベーターに力を与える。これらの役柄を演じることで、各個人が社会環境とチームの業績に独自の貢献を果たせるようになる」と言っています[文献1、p.13-14]。
すなわち、ここでの10の人材の概念は単なる業務分担ではなく、ある仕事に適した個性や性格でもなく、役割とでも言えるようなものだと思います。そして、こうした役割は誰でも引き受けられ、演じ分けることもできる、としています[文献1、p.19]。こうした人材に対する考え方は従来のマネジメントにおける人の扱い方とは少し異なるものだと思うのですが、どうでしょうか。原著ではpersonaという言葉が用いられていて、手元の辞書によると「人、(劇、小説などの)登場人物、(ユング心理学で)ペルソナ、仮面」(大修館、Genius)となっているので、私は「登場人物」という概念が近いのではないかと思います。
その10の役割について以下で見ていきたいと思いますが、それぞれの意味するところには多様な受け取り方がありそうです。実際、この本を取り上げたブログなどをいくつか見てみた範囲でも、その筆者によってまとめ方は同じではありません(例えば[文献2(本書の中の要約に近いと思います)][文献3])。この本の中では10の役割についてそれぞれ1章を割いて詳細に書かれているので、全体を読むとなんとなくその役割がわかった気になるのですが、その概念を一言で説明しようとすると難しくなるのだと思います。また、10の役割自体もはっきりと区分けができるものなのかどうかが曖昧なようにも感じられるので、うまく要約すること自体困難なのかもしれませんが、この本に関するホームページ[文献4]では、その役割が本書より少し詳しくまとめられているようですので、ここではホームページに記載の内容の翻訳を試みてみます。なお、下記の情報収集の役割、土台をつくる役割、実現する役割の説明は本とホームページで大きな差はないようなので、本から引用しました[文献1、p.14-18]。
情報収集する役割(The learning personas)
3つの情報収集者の役割は、チームの目が内側に向きすぎないようにすることであり、自分の「知識」にうぬぼれすぎていないかどうかを組織に思い出させることである。
1、人類学者(Anthropologist)
人類学者はじっとしてはおらず、イノベーションを生み出すために、どうやって人々が製品やサービスや経験と関わりあうかを実地に観察する。問題を新たな視点から捉えなおすこと、科学的な方法を日々の人間活動に適用することが得意。心を開いて観察する知恵、共感、洞察力(直観)、気付かなかった点を明確にする能力、革新的なアイデアと解決すべき問題を進めること、変わった環境で発想を求めるやり方などの特徴を共有する。
2、実験者(Experimenter)
可能性のあるシナリオのテストを繰り返し、アイデアを現実のものとする。効率的な解決を行なうために製品からサービスに至るすべての分野で案を作り、計算されたリスクをとる。時間とお金を節約しながら、発見の喜びを共有するために協力者を呼び込む。
3、花粉の運び手(Cross-Pollinator)-<cross-pollinate=他家受粉>
一見関連のないアイデアやコンセプトを結びつけて新たな分野を開拓する。広い分野に興味を持ち、好奇心旺盛で、教え、学ぶことが得意で、外の世界から大きなアイデアを持ち込んで組織を活気づける。偏見がないこと、メモ魔、比喩を多用すること、制約からインスピレーションを得る能力などが特徴。
土台を作る役割(The organizing personas)
次の3つの役割は土台(組織)を作る役割で、組織がアイデアを進める事情に精通した人々によって演じられ、組織内での資源配分を有利に導くために努力する。
4、ハードル選手(Hurdler)
ハードル選手は、今までになされていないことに挑戦することに喜びを感じる問題解決者。困難に遭遇しても動ぜず、難なく障害をかわしてしまう。この楽天主義と忍耐強さは、近視眼的な専門家が失敗を予想したアイデアであってもその現状を打破し、つまずきを組織の成功に変えてしまう。
5、コラボレーター(Collaborator)
個人よりもチームのことを優先して考える得難い役割。人々を組織して多機能的なチームを作る。その過程で組織の壁を壊し、メンバーに機会と新たな役割を与える。上司というよりコーチであって、信頼と協働により成果を挙げるのに必要なスキルをチームに浸透させる。
6、監督(Director)
組織の意向を把握して、大きな夢をするどく判断する。舞台をセットし、目標となる機会を定め、メンバーのベストをひきだして目的を達する。エンパワーメントと鼓舞により周囲の意欲を高めメンバーに主役を担わせ、予期せぬことを受け止める。
実現する役割(The building personas)
残りの4つの役割は実現する役割を担う。情報収集する役割から得られた知見を適用し、土台をつくる役割から委託された権限を利用して、イノベーションを実現させる。
7、経験デザイナー(Experience Architect)
すばらしい個人的体験をつくるために絶え間なく努力する。製品、サービス、デジタル接続、場所、イベントなどを通じてその組織との出会いを活発化する。出会うすべての普通のものを-楽しいものであっても-独特のものに変化させるように計画する。
8、舞台装置家(Set Designer)
日常の職場環境を活性化する。人を讃え、創造性を刺激するような職場環境を作り、活発で刺激的な文化を活性化する。変化するニーズについていき、イノベーションを育むため、個人と、協働のための職場の物理的なバランスの調整を行なう。そして空間を組織の最も用途の広いパワフルなツールにする。
9、語り部(Storyteller)
人をひきつける独創性、努力、イノベーションの物語によって創造性を刺激する。伝統的な語りだけでなく、ビデオや物語、アニメーション、マンガなど、スキルとメッセージに最もよくあった方法を用いる。その物語が本物であると根付かせることによって、感情と行動にひらめきを与え、価値と目標を伝え、協力関係を育み、英雄を創造し、人々と組織を未来へ向かわせる。
10、介護人(Caregiver)
人の力によるイノベーションの基礎となる。共感を通じて、それぞれの顧客を理解するために働き、関係を作る。病院の看護師、小売店の店員、国際金融機関の窓口係であれ、顧客に快適で人間中心の経験を与える。
なお、著書では、9番目が介護人、10番目が語り部となっていますが、ホームページでこの順番が逆転しています(理由はさだかではありません)。
概ねイノベーションの開始から製品やサービスの適用という流れに沿って、情報収集(イノベーションを生む)→土台をつくる(イノベーションを育てる)→実現する(イノベーションを適用する)、という役割が述べられていると考えることができるでしょう。アイデアを生む役割が1と3、それを育てる役割が2と4、組織としてさらに大規模に進めるために5と6が加わり、適用するのが7と10(介護人)、フィードバックするのが9(語り部)、全体に関係するのが8、ということになるのだと思います。IDEOはデザインの会社なので、分野の異なるイノベーションにこうした役割が適用できるのか、については疑問を持たれる方もあるとは思いますが、それぞれの役割の重要性は分野や組織の文化などによって変わってくるとしても、原則的にはこうした役割を担う人々はどんなイノベーションでも必要なのではないでしょうか。
実際には、このような役割を担う人々はどのプロジェクトでも存在するのだと思います。しかし、どうしても自分の周囲ばかりに目が向き、全体を把握することは容易なことではないでしょう。例えば研究者という立場だと、どうしても1~4、7あたりに注意がいくでしょうし、マネジメントの立場からは5,6,8あたりが気になるところでしょう。しかし、それ以外の役割も忘れてはいけないということを気付かせてくれる点で重要な示唆を含んでいると思います。自分自身の体験に照らしても、非常に納得しやすい指摘が多い気がしました。なお、Kelly氏が2010年に来日された時の公演では、1,2、3の重要性を強調されていたそうです[文献5]。
また、よく読むとはっとさせられる記述も多かったと思います。この要約だけでは本の中の様々な指摘や事例について触れることはできませんが、ここに示しただけでも、例えば「語り部」の重要さ、とか、人類学者がアイデアを得る目的や方法など、示唆に富むと思います。イノベーションのハウツー本としてではなく、刺激やヒントをもらう源として有意義な本だと感じました。こんなことを頭の片隅にいつも置いて、あるいは時々振り返りながら仕事を進めるのが理想的なのかもしれません。
文献1:Tom Kelly, Jonathan Littman、2005、トム・ケリー、ジョナサン・リットマン著、鈴木主税訳、「イノベーションの達人! 発想する会社をつくる10の人材」、早川書房、2006.
イノベーションの達人!―発想する会社をつくる10の人材
文献2:棚橋弘季さんのブログ記事「イノベーションの達人-発想する会社をつくる10の人材」
http://gitanez.seesaa.net/article/38271433.html
文献3:kurakakeyaさんのブログ記事「書評:イノベーションの達人!」
http://kurakakeya.livedoor.biz/archives/50925706.html
文献4:http://www.tenfacesofinnovation.com/tenfaces/index.htm
文献5:平林潤さんのブログ記事「トム・ケリーの講演を聴いてきた「第2回イノベーション・フォーラム【講演編】」」<2011.12.4現在このリンクは切れています>
http://ai247.jp/blog/archives/579
参考リンク<2011.8.14追加>
原著HP、IDEO社へのリンクなど。
元研究者
年齢は60代なかば。メーカーで研究グループのリーダーをしていましたが、その後研究の第一線を離れました。このブログを始めた理由は、2010.3.21の記事「はじめまして」をご覧ください。メール:randdmanage(a)gmail.com
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