「幸福優位(happiness advantage)」という概念があるそうです[文献1]。これは、「ポジティブ思考を養ってきた人は、困難に直面した時こそ、通常以上の結果を出す」のであって、「成功すると幸福になれる」ということではない、ということを意味し、その結果、「幸福感が高まると成功確率が高まる」のだといいます。そうだとすると、研究の成功確率を上げるためには幸福感を高めることが有効かもしれません。そこで、今回は幸福感の役割について考えてみたいと思います。

一般にポジティブな感情がよい結果を生むことは、ポジティブ心理学でも指摘されています(拙稿「ポジティブ心理学の可能性」)。さらに、幸福感と成果に正の相関があるとするデータも多いようで、幸福感が高いと欠勤や離職率が低くなることも認められているようです[文献1、2]。そうであれば、幸福感はマネジメントのツールとして使えるはず、と期待したいところですが、一方では、成功のためには精神的負荷やハングリー精神が重要だという考え方もあり、幸福感と成果の間に因果関係があるのか、本当に幸福感がよい成果を生む原因になっているのかについては多少慎重に考えるべきだと思われます。加えて、実際にこのアイデアを使ってみようとしても、「幸福感」という言葉だけでは曖昧すぎてどうやって効果を引き出したらよいのかも明らかではありません。つまり、現状では、幸福感はその効果への期待とは裏腹に、効果が確立された実用的概念とは言いにくく、使うためには工夫が必要と言わざるを得ないと思います。以下、私見も含めた内容になってしまいますが、幸福感を利用しようとする際の気になる点についてまとめてみたいと思います。

成果をもたらす幸福感

具体的にどのような幸福感が成果をもたらすのでしょうか。まずは、ポジティブ思考[文献1]が挙げられるでしょう。加えて、ソーシャル・サポート(身近な人間関係における相互支援)、特に、サポートを提供することが重要といいます[文献1]。また、生き生きとして熱意をみなぎらせ(活力)、知識や技能の習得を進めている(学習)ことが成功を支えている、という指摘もあります[文献2]。一方、「人間の心は一日のほぼ半分はさまよっており、これが気分を落ち込ませる要因になっている」「心が定まらない時には、集中している時よりも、はるかに幸福度は低くなる」「業務中に心がさまよえば、幸福度が低くなるだけでなく、生産性も低下する」という研究結果も発表されています[文献3]。もちろん上記の例だけで幸福感を十分に表わせるとは言えませんが、成果に寄与する幸福感の一面をとらえているとは言えると思います。

仕事への熱意を引き出す環境

スプレイツァーらは、上記の「活力」と「学習」のポイントに関連して、仕事への熱意を引き出す環境づくりの方法として、以下の4つが有効であると述べています。[文献2]

1、判断の裁量を与える:これにより「『仕事を任されている』と感じ、業務のやり方について積極的に発言するようになり、学習の機会も増える。」

2、情報を共有する:「情報を広く共有する仕組みの下では信頼感が醸成され、社員たちは優れた判断を下したり、自信を持って主体性を発揮したりするための必須知識を手にできる。」

3、ぞんざいな扱いを極力なくす:「職場でぞんざいな扱いを受けた人の半数は仕事に傾ける努力を意識的にセープしたとの研究結果がある。」「働き手をぞんざいに扱うと、順調な仕事ぶりを妨げることになる。そのような扱いを受けた人は、往々にして自分が受けたのと同じような仕打ちを他人にするようになる。同僚の足を引っ張るのだ。」

4、成果についてフィードバックを行う:「フィードバックは学習の機会をもたらし、働き手の熱意を引き出す。」「フィードバックを受けるとモヤモヤが消えるため、社員たちは自分と組織の目標に向けて脇目も振らず邁進する。」

なお、これらは「4つすべてがそろってこそ、全体として相乗効果を発揮する。」とのことです。

上記の4つの要因は、特に目新しいものではなく当たり前のことのように思えます。それぞれ、その要因が満たされていない場合にどうなるかを考えてみれば、その有効性は納得できるでしょう。重要なことは、それぞれが有効に作用する理由を幸福感という概念で統一的に理解できるかもしれない、さらに上記の方法が心のさまよいを減らし、幸福感を醸成しているとして理解できるかもしれない、ということのように思います。ソーシャル・サポートを与えることも、自分が他者のためになっていると自覚することで、自分の行為や考え方に対する迷いを断ち切る効果があるでしょう。また、「適度に挑戦しがいがある時、すなわち困難ではあるが、手が届かなくもない目標を達成しようとしている時に、人は最も幸福であることかわかっている」[文献3]ということも、挑戦に意義(挑戦しがい)を見出し、挑戦する手段の見通し(手が届かなくもない)が得られていることが迷いを低減しているとも考えられます。さらに、ストレスには成長を後押しするというプラスの面もあるという指摘[文献1]も、ストレスに立ち向かわなければならないと覚悟することで迷いを断ち切る効果があるのかもしれません。また、幸福感を得るトレーニングや、ストレスを減らす方法として、具体的な状況を書き出すことが勧められるのも同じ効果に基づくものかもしれません。つまり、成果達成に役立つ幸福感というのは、「迷いのない心の状態」なのではないか、とも思えます。

研究開発と幸福感

研究開発は不確実性が大きいため、本来的に成果達成への不安が大きいものです。従って、その不安に輪をかけて幸福感を損なうようなことは、業務への集中を妨げ、アウトプットの質や量、スピードの低下につながると考えられます。上記の4つの方法はそのような幸福感が損なわれる状況を防ぐ意味で研究開発の場面でも重要と言ってよいでしょうが、このようなポイントは、自律性、冗長性、情報共有、コミュニケーション重視など、従来から言われている考え方と大きな違いはないと思われます。一方、ソーシャル・サポートを与えることによる幸福感の獲得という観点は、従来あまり強調されていないのではないでしょうか。研究開発課題自体の社内的、社会的意義を認識し、他者や社会に貢献しているという自覚を持つことや、自らが保有する能力を用いて、他部署の業務に貢献することが幸福感をもたらし、それが成果につながるなら、他者との協働をもっと積極的に促すべきなのかもしれません。加えて、研究活動には、本来的に未知への挑戦、自らの好奇心を満たす、という本来的に「楽しい」側面があります。幸福感を損なうようなことをしないだけでなく、そうした楽しさを強調すること、困難な課題の中にもそうした楽しみを見出すように心掛けること(不確実性を楽しめる人材を育成、活用することも含めて)も重要だと思います。なお、「ポジティブな経験の頻度は、ポジティブな経験の強さよりも、幸福度の予測材料としてはるかに優れている」そうです[文献3]。つまり少数の大成功よりも、数多くの(小さな)成功の方が重要なのかもしれません。研究開発は課題によっては、一発の大きな成果を狙うものもあるでしょうが、そういう場合でも、そうした成果への期待だけで幸福感を維持しようとするのではなく、その過程で多くの小さな幸福感を得られるようにすることが重要なのではないでしょうか。研究は、それが成功して幸福が得られる場合ばかりではありませんので、研究活動の過程から得られる幸福感をもっと重視しなければならない、ということだと思います。仕事に幸福感を与えるというと、ともすると甘やかしていると思われがちですが、マネジメントさえうまく行なえば、結局はそれが研究成果につながることになるのかもしれません。


幸福感が成果に与える影響については、まだ研究途上でしょう。今回も最近のDiamond Harvard Business Reviewにたまたま掲載された3編の論文を題材にしたものにすぎませんので、考察の偏りや不足の点はあると思います。本稿では、幸福感が成果にプラスの作用を及ぼすという考え方が正しいという前提で、その応用を中心に考えてみましたが、幸福感の作用とそのマネジメントについては今後も注目していく価値がありそうです。


文献1:Shawn Achor、ショーン・エイカー著、二ノ方俊治訳、「PQ ポジティブ思考の知能指数 幸せな気持ちになると、何事もうまくいく」、Diamond Harvard Business Review, 2012, 5月号、p.58.

原題”Positive Intelligence”, Harvard Business Review, Jan.-Feb., 2012.

文献2:Gretchen Spreitzer, Christine Porath、グレッチェン・スプレイツァー、クリティーン・ポラス著、有賀裕子訳、「社員のパフォーマンスを高める 幸福のマネジメント」、Diamond Harvard Business Review, 2012, 5月号、p.46.

原題”Creating Sustainable Performance”, Harvard Business Review, Jan.-Feb., 2012.

文献3:Daniel Gilbert、ダニエル・ギルバード、聞き手:ガーディナー・モース、スコフィールド素子訳、「些細な出来事の積み重ねが幸福感を左右する 幸福の心理学」、Diamond Harvard Business Review, 2012, 5月号、p.34.

原題”The science behind the smile”, Harvard Business Review, Jan.-Feb., 2012.

参考リンク