2009年03月17日

お知らせです

長らくお世話になったライブドア・ブログ・MUの人生相談を引越しすることになりました。

新しいURLはこちらです。

これからもラパロごとご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。MU









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2009年03月12日

長者丸通り

船光稲荷神社ラパロの青山店は地下鉄・外苑前と表参道の丁度中間点、国道246沿いにあるエイベックス・ビルとコンビニ・ポプラの間の細い道を入って150メートルほど歩いた右手にある。道の名を長者丸通りという。そのまま50メートルほど行くと左手に小さな神社がある。船光稲荷神社という場違いな名前が付いている。小さいが精妙な霊気が漂い、いいが満ちているのを感じる場所だ。

実は、小学校に入学する前からMUはこの近くに住んでいた。神社が坂上にあるとしたら、MUの実家は坂下にあった。神社の前に駄菓子やのとっぷやがあって、小銭をもらって風船や飴を買いに来たことを覚えている。駄菓子屋の横に豆腐やがあったから、もしかすると、とっぷやはMUの聞き間違いで豆腐屋のことだったのかもしれない。

インターネットで船光稲荷を引いてみて驚いた。1300年程前にはこのあたりは海だったようである。港区だからあり得る話だろう。坂下のMUの家は海の中だったかもしれない。

長者丸通りの名前の由来を、いつでも不思議に思っていたが、だれぞ長者が住んでいたわけではなく、長者丸という船の話だったことがわかった。リンクを開いてご参照いただきたい。

MUは毎朝、駐車場から店までの通りすがりに、このお稲荷さんに一日の安全と商売繁盛を願って頭を下げて来る。幼女のころから確かにここにあった。明日はどこかで油揚げを買ってこようと本気で考えている。

そして誠実に祈れば、ラパロ青山店の繁栄は間違いないような気がして、心がほどけて、大きく開く感じがする。

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2009年03月05日

ラパロとアンナと予感

いつの頃から花粉症を患うようになったのだろう。快晴のけふは目覚めた瞬間からくさめ連発。鼻むずがゆく、流水しきり。神経は鼻周りから目周りに集中して、熟考も瞑想もあったものではない。生命の生理作用にのみ心が向かっているのは野生の動物たちとかわるところなし。こうして花咲き乱れる季節がのっそりとやって来るのだ。

さて、ラパロはと言えば、すでに爛漫の春である。アンナ・カザール作のカラフル・キャンバス地バッグが、それぞれの店の棚を飾っている。カーキとピンクと青と紫とグリーンの地に花やストライプを乗せ、絶妙な色彩バランスのパッチワーク風カジュアルバッグだ。

アンナはMUが愛してやまないフランス人デザイナーである。フランス人には珍しく、もの静かで誠実なレデイだ。昨年夏、ご家族で来日した折に、亡き母が好きだった青山の大江戸うな丼をご馳走した。高校生と大学生のお嬢さんたちは、かつての日本の良家の子女のように大人の前でほとんど口をきかず、何か答えるときには、ほんのりほほを染めた。この様子にMUはしきりに驚いた。もう何年もこういうほほにお目にかかったことがなかった気がしたのだ。

何はともあれ、もともとは婦人服デザイナーであるアンナとラパロは、いずれ深く関わっていく予感がする。

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2009年02月27日

苦節19年のありがとう

MUと同世代のスタッフの一人が今日でラパロを退職した。いい時代も苦しい時代も縁の下の力持ち的スタンスでラパロを支えてくれた人である。勤め始めたころは「夕暮れになると寂しくなって、家に帰りたくて・・」と訴えていた乙女のようだった主婦が、ラパロになくてはならないたくましい働き人になった。

ラパロ・コンテッサを開けた昨年5月、開店にかかわる雑事のすべてを黙々とこなしてくれていたのもその人だった。MUはそのことをよく知らなかった。商品のネームタグが取れそうになっているのを見つけたMUが裁縫箱を開いた時に初めて、彼女の細心な仕事振りを知ったのである。

ありがとう、YMさん!19年はあっという間だったね。これからは互いの健康を気遣い合い、時にはいい時間を共有するようなになりたい。



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2009年02月20日

時差ぼけその後

15日の教会は休んだ。翌16日月曜日はふらふらしながら定時に事務所に出て、パリから別便で送った荷物の仕分けおよび各店への分配業務をする。17日からは青山店に出勤。生活のパターンは通常に戻っているが、戻らないのが体内時計

今回は、夜8時ごろが大変に眠い状態が続いていた。8時というと店からの帰り道、第三京浜を走っている時間である。運転中の睡魔はまさに地獄である。1〜2秒意識が途切れることがあり、瞬間、心臓が止まるほど恐怖する。睡魔を一時的に払拭するために誰でもするのが、窓を開けて冷たい風を入れる、である。真冬はそれもも長くは無理だ。窓を閉めるとまた睡魔。

ハンドバッグに入れてあるはずのチュウインガムを取り出そうと左手でごそごそバッグを探り、やっと見つけて箱から一個取り出し、片手で銀紙を剥こうと必死になっている間、睡魔が姿を消していることを発見した。つまり、手先を使う動作が睡魔を追い払うのに、役に立つようである。今日までに5日間、チュウインガム2箱を消費した。

どうにか帰宅しても、居間の中央にしつらえられているコタツの誘惑に負けて、もぐりこんでしまう。当然、眠ってしまう。目覚めは11時半。コタツを無視して、体を動かしながら11時半までがんばってベッドに入る、という理性的行動がとれない自分が情けない。

今は20日の22時10分。今日は昼寝も、夕寝もしていないゾ。

いいかもしれない



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2009年02月16日

成田着 24度C 

フランス語のテープが流れるだけのタクシー予約が、いったい成立したのかしないのか、不安を抱きながら、タクシーが来るのを待っていた。おおむね来るのだが、過去に2度ほど来ないことがあったから、毎回不安になる。夕方6時半発成田行きに充分時間をとって3時半の予約にしてある。五分前にアパートの前に立つと、冷たい雨がMUに降りかかった。3時半丁度、黒塗りのシトロエン・タクシーが目の前に停まった。ホットする。とりあえず、帰れる

シャルルドゴール空港までの道のとり方は運転手によって実にさまざまである。今回はアレキサンダー3世橋を渡って行くコースだった。セーヌ川が雨に霞んで水はコケ色である。友人の発病のニュースに思いを暗くしながら、あと何度自分はこの街を訪れるのだろうか、の思いに囚われていた。

e−チケットで事前に予約してある席は、往きと同じ45H。セカンドブロックの最後列の通路側。なるべく人に迷惑をかけずに立ったり、座ったり、リクラインしたりできる席を選んだ。

隣にはモロッコを旅してきた女の子、その横はスペインに行ってきた、女の子と同世代の男の子。(会話の内容から判明)偶然隣り合わせたふたりが、座るなりベチャベチャしゃべり始め、携帯の写真なども見せ合うのである。MUはしたたかに驚き、あるいは自分の方が社会性を欠いている欠陥品なのだろうかと考えてしまった。しかし、このおしゃべりが成田まで続くのだろうか!!これは暴力である、と強く恐怖す。

と、唐突に、機内サービスの最初の飲み物が配られる前に、女の子はいびき音を高らかに一発打ち上げて、深い眠りに落ちてしまった。彼女は機内食も取らず、およそ10時間、寝続けた。よほどモロッコに疲れたとみえる。しかし、この若さゆえの爆睡はうらやましいの一語に尽きる。およそ11時間、隣の二人からは何の物音も動きもなかった。動きまくったのはMUだった。

機内は震え上がるほど寒かった。着いた成田は24度C。この単純な温度差で今日のMUはコンタック鼻水止めと相成る。3錠飲んで、一日うつらうつら。さて、本番の夜、時差ぼけがどうなるかが決まる今夜、何時間続けて眠れるだろうか?今現在、MUの目は朝日のようにらんらんとしている

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2009年02月13日

パリ 再びのさよなら

ザニ1月09昨日12日(木)はパリ仕入れの最後の日であり、MUは再びタンプル通りに居た。今仕入れるのは航空便を使うほどではない小物たちである。ザニボニとは4時にシャトレーにあるカフェ・サラ・ベルナールで待ち合わせていた。ザニボニは夜を希望したが、夜はサン・ミッシェルのいつもの教会でミローのベートーベン&ショッパン・コンサートがある。MUとしてはどうしても譲れないイベントだった。コンサートに誘うと、クラシックは聴かない、と、にべもない。クランもカフェに誘っていいかと訊ねると、返事をしない。どうも、ドムの誕生会の折、MUが帰った後、なにやら問題が起きたようである。前夜クランに声を掛けた行きがかり上、夜のコンサートの方にクランを誘うことにした。
小物の仕入れと言っても、3〜4キロの包みをぶら下げて歩くのは結構大変である。コンサートが終わるまではとても持ちこたえられないと踏んで、4時までにあと30分という時間にアパートに戻り、とんぼ返りしてくることにする。写真は15分遅れてカフェに着いたMUを迎えたザニボニのかわいい顔である(写真に撮るとどうしてこんなにきれいなのだろう?)。
ザニボニの話題は多く政治的なものである。サルコジをおっちょこちょいの専制君主だと言って手厳しく批判している。サルコジがオバマに会いに行くといったらまだ早いと断られた、というオフレコ(?)の話を小気味いいと言って笑った。
フナックにCDを探しに行くことにしシャトレーからレアールまでブラブラ歩く。レアールの群衆の中にまぎれて見失いそうになるほどザニボニの日常の姿は庶民的である。

一方、教会を背景に夕闇の中をこちらに向かって歩いてくるクランの姿は19世紀のハンサムな紳士のような孤高の雰囲気である。ミローの完璧なショパンに頭をやられた後、外に出ると『今日は朝からコーヒー以外口にしていないからお腹が空いた』と、この孤高の紳士はつぶやくのであった。既に夜中の11時である。MUはクランの首根っこをつかむように近所のベトナム料理屋に連れ込んだ。『ずっと書き物に没頭していて食べる事を忘れていた』と言うのである。
別の席に居た若者グループからMUたちのテーブルにワインが一本届けられた。小説家としてのクランの顔が既に知れ渡っているのだろうか?

すっかり酔いの回ったクランがボソボソと語った『クランの創作のあり方』は実に興味深かった。今日のブログにはこのことを書きたかったのだが、もうパッキングをしないと飛行機に乗り遅れる時間になってしまった。残念だ。


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2009年02月11日

パリ 変幻の街編

タンプルからオテルドビルしかし、よく天気が変わる。
アシルバに会った雪の日の翌日は、ウォーキングに繰り出さずにはいられなかった大快晴。その日の夕暮れから降り始めた冷たい雨は、朝まで休みなく続く鞭打ち荊のような風の悲鳴に叩かれて、ものすごいテンペストとなった。
翌日も終日の氷雨。写真は今日水曜日、午後3時45分、タンプル通りからパリ市庁舎前の広場を望む光溢れる情景である。昨日までの雨がうそのようだ。

MUはクラッチ・バッグを仕入れた後、ジャネー・クランと待ち合わせのカフェ・マルガリータへの道を急いでいた。携帯の写真機を空に向かってかざすと、画面には何も反映していないように見えたが、結果、美しい映像が残っていた。晴れたパリのこの時間の透明感が好きだ。

カフェ・マルガリータ市庁舎前広場の角にあるカフェ・マルガリータはクランとMUの待ち合わせ場所である。彼女とはここで会う。ここで会うときが一番しっくり来るのは、店の古さと、ちょっと乱雑な感じに、二人の様子がピッタリはまると感じるからなのだろう。
バゲットのハムサンドを二人で分けて、遅いランチとし、パリの光を浴びながら、少し歩きたいと思ったが、仕入れた物の重さが躊躇させた。近頃とみに重い荷物を持って歩くのが嫌いになっている。
今日は心が少し寂しくて、クランとだらだらおしゃべりをして居たかったのだが、次の約束があってそうもしていられなかった。その約束と言うのがいまクランと仲たがいしているアシルバとの約束である。アシルバは高級カフェ・ZIMMERを常に指定する人である。ランチと言っても、ひらめのムニエルである。クランにアシルバのことは言えない。なにやら疲れる日だが、明後日にはもう帰国するのだから少々のばたばたは仕方あるまい。

クラン09年1月実を言うと、クランとMUも久しく仲たがいしていた。クランの成功(2冊の小説の出版と好評)がクランに屈託をなくさせ、時間が、事細かなことをMUに忘却させたせいで、いつの間にか仲直りが成立していた。いつ仲直りしたのかも定かでないが、クランは早速日本に来る夢を語り始めている。
『明日ザニボニとお茶をしようと思うが一緒に来ないか』と誘うと、『自分はいいがザニボニが嫌がるだろう』と、ここもまたなにやらもめ始めている様子。変幻するパリの天気のように、常ならぬパリの人間関係ではある。次に来るときには喧嘩しているはずの関係が温かなものになっていて、別の関係にほころびが出来ているに決まっている。

天候も人間関係も変幻するが、けろりとまたもとの鞘に納まって、ヴィヴィッドな街を背景に、魅力的なアーティストたちがうごめくのがパリだ。MUはその様子を覗き見しているウォッチャーだ。


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2009年02月09日

パリ 日曜編

シテの空昨日の雪模様とは打って変わって、8日日曜日のパリは心地いい晴れ曜日となった。パリに着いて2度目の日曜日であり、残すはあと4日のみである。万歩計も日本に忘れて来ており、今回は歩くことに情熱を燃やしていないことは明らかである。しかし、ひんやり冷たい風と空の深さを感じると久しぶりに脚がむずむずして来た。今日歩かないと後悔することになりそうだ。とりあえず、どこかの教会でミサに参加しようと決めた。メトロの階段を下りながら行き先を考える。
『そうだ、今回はまだサンジェルマンに行っていない』ことを思い出し、サンジェルマン・デ・プレ教会に行くことにする。暗い教会の奥からこだまするような司祭の言葉が聞こえ、続いて会衆が『平和の挨拶』を交わし始めた。MUもいきなり二人の婦人から握手を求められる。小声で『主の平和』と日本流につぶやいて、かれらの手を握り返した。日本の教会ではあまり目にしない小さい子どもたちがたくさんいるのに驚いた。もちろん、家族連れである。
『この世に生れて間もない頃から、死んだ後に行く世界での平和と幸福を願って、こうして子どもたちが連れてこられているのだ。これが宗教であり、アレはたぶん、本当のことだろう』と、直感というか、ひらめきと言うか、そんなものがMUの脳天を突いて降りてきた。

『人生を死で終わるものだと、つまらない事に思い煩わされないで、この世に生きている間に出来る努力と燃焼を、し続けることこそが人の務め』・・と、昨日会った画家アシルバの姿勢から教わったばかりの気がしていた。今のアシルバが教会に通う時間を惜しむだろう事は自明な気がするが、宗教が潜在意識の中に強く根付いているのは確かだと思う。母親に手を引かれてキリスト像に手を合わせるあどけない少女の姿が目に浮かぶようだ。

教会を出て、サンジェルマン界隈のブテイックを下りたシャッター越しに覗き込む。MUが探していたブーツを見つけ、明日買いに来ようと決める。

サン・シュプリス教会、ノートルダム教会と教会のはしごをして、再びサンジェルマンデプレに戻る。カフェ・ドゥ・マーゴでクロワッサンを食するためであったが、満員で入れず、裏のカフェ・フルールに無理くり席を取る。クロワッサンはおしまいだそうで、バゲットのハムサンドとテ・シトロンを頼む。バゲットの塩加減に感激す。

かくして、目したとおりのウォーキングになったかどうかは定かではないのだが、シテ島の上に広がる青空に向かって言う言葉があるとすれば、それは、メルシ、マ・ヴィ、だろうと思った。

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2009年02月07日

パリ 雪が降る編

アシルバ横顔1年ぶりに画家のアシルバに会った。最近はパリ滞在の日数が少なくなったので毎回会うというわけにはいかないが、次は必ずという前回の約束を、今日果たした。パリの友人の中でMUより年長で一番精力的に活動しているアシルバをMUは尊敬している。詩人のジャネー・クランの友人として紹介されて8年になるが、自分の作品の売り込みに全精力を注いでいるのは今も変わらない。よって、さまざまな国に飛ぶわけで、そのたびにMUにも必ず絵葉書を送ってくれる。文面は一言『私はここに来ています』だけだから、かなり大勢の人たちに送っていると思われる。そして、絵葉書を受け取るたびにアシルバの存在を思い出し、返事を書かない代わりに、何かの時には力にならねば、と思うのだ。人付き合いの下手なMUには学ぶところが多い。シャトレー広場の角にあるZIMMERという名のクラッシックなレストランでランチの約束をした。アパートを出るときにみぞれが降り出して『あらあら』と思っていたら、シャトレーに着くころにはみぞれ変じて本降りの雪になっていた。本降りの雪のパリはMUにとって初めての経験である。一昨日母上を亡くしたわが親友にこのシャトレーの雪を見せて上げたいと切に思った。美しいものを愛するわが友に。

アシルバは日本に再び行きたいと繰り返し言った。MUは門外漢だから深く突っ込めないが『あなたの絵のテーマは今も宇宙の黄金分割なのか?』と問う。『今は人間の横顔をテーマに描いている』と言った。別れ間際にアシルバの横顔をMUの携帯の中に収める。フェルメールがこんな横顔を描いていた気がする。いや、フェルメールに限らず、多くのヨーロッパの画家たちが・・・多分、横顔に表れる黄金分割かなにかがアシルバの現在のテーマだと思う。宇宙の美の成り立ちを人間の横顔にもあてはめると言うことなのではないか?

アパートの窓から冬18時アシルバとは昼食後に再会を約束して別れた。短いが上質な時間だったと感じる。ドムやザニボニやクランとの間の遠慮のなさとはちがう正座の雰囲気のために、長居はチト無理なのだが、人生に襟を正す意味で一年に一度は会いたい人である。
帰りにレアールのフォーラムに立ち寄る。ニューヨークの下町かと錯覚を起こしそう場所である。人種の坩堝であり、混沌が大きな顔をして居座っていた。ここもまたMUには長居が無理な場所である。
アパートに戻って窓を開けると夕刻のパリの冬空がいつものようにクールにそこにあった。MUのパリの空だ。息のつけるMUの居場所のひとつだ。

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2009年02月04日

パリ 多忙 

581月31日、ドムを含めて9人のフランス人と日本人のMUが一人、バスチーユに近いレストランに集合。こういう集まりが楽しいのは初めの数十分だけである。異邦人のMUに気を遣って片言の英語で意思疎通をしてくれようとするが、ワインが進むにつれ、会話は当然フランス語。『いい加減にフランス語をしゃべれるようになりなさい』と叱られる始末である。当然といえば当然の話だ。語学が出来ないと話の内容も大変浅薄なもので終わる。つまり、MUと会話しても面白くないということである。

夜の8時半に集合の連絡が来て、遅れそうなMUは珍しくタクシーを拾った。遅れそうだからというより、寒くてウロウロ出来ないと感じたから、と言ったほうが正直だろう。今冬のパリは実に寒いのだ。

8時半に到着すると、来ていたのは二人だけ。主役のドムは9時に、ザニボニとマネジャーは9時半到着。食事のオーダーはなんと10時になってからであった。MU以外は全員喫煙者なのでかわるがわるに表に出てタバコを吸うので、全てに埒が明かない。

MUは明日の展示会を発注の本番日と考えているので早く帰りたい。MUの退屈あくび病が始まった。やっとたどり着いたデザートの菓子に58歳のろうそくを立ててもらってハッピーバースデー・ドムを高らかに歌う。これをしおにMUは立ち上がった。フランス人とは時間の感覚が”どうも”なのである。

こういうことの意義がもひとつわからなくなりかけているが、主役のドムが大変に幸せそうだったことで、それでいいのだ、と考えることにする。意義ばかりを突き詰めて無駄を省いてばかりいても、人は孤独になる。孤独を回避するために退屈を我慢する意義について考える。

疲れすぎMUの今夜は意地悪な上に、孤独だ。

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2009年02月03日

パリ 多忙 

マネキン1月30日(金)おおよそ正午、成田を発った。Ipodに飽きたMUは機内で3本の映画を鑑賞。デカプリオの『ワールド・オブ・ライズ』、ジェーン・フォンダの『ジュリア』、メリル・ストリープの『プラダを着た悪魔』。はじめて観るのはデカプリオの映画だけだったが、それぞれに面白かった。3本立て映画も初めてなら、機内で一睡もしなかったのも初めてである。夜に約束をしているジャネー・クランの出版記念会への出席が心配になる。日本とフランスの時差は8時間だから、パリ到着の午後4時半は日本時間では夜中の12時半。会が始まる7時とは、午前3時の意。3時まで眠れないことはなくもないがそこから始まるパーティは、いかにも難しい。そして翌日は午前8時半から水道工事の約束があり、10時からはプレタ・ポルテの展示会に行かなければならない。『不可能』の3文字がMUの頭をしきりによぎっている。しかし、律儀なMUとしては約束を違えたくない。タガエタクナイ・・と念仏のように唱えていたが・・ベッドの隅に腰掛けた・・つもりが・・目が覚めるとパリ時間午前1時だった!MUの体と心は律儀より健康を選んだようである。クランとドムとザニボニに小声で侘びの留守電を入れておく。ドムの誕生会まであると聞いていたからである。

酔っ払いさて、寒い寒いパリの朝、MUは顔を紫色に変色させて展示会場に向かった。カラフルな衣装を纏ったマネキンのお出迎え。世界的不景気のあおりか、心なしか会場が寂しい。前回とは全くちがうメーカーを探す約束をわれらがスタッフと交わしてきたので、美人を鑑賞しながらブラブラ遊んでいるというわけにはいかない。
しかしである、何よりの驚きは98%の女性がロング・ブーツを着用していたことだった!世界同時ファッション。この画一性への驚き。MUの目は人々の顔に行かず足元に行く。今夜は100万足のブーツの夢を見そうだ。
そこに携帯電話の着信音。ドムからだった。誕生会は今夜だと。58歳になるからと、うれしそうな声だ。(続く)

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2009年01月29日

明朝 パリへ

2009年秋冬物コレクションがパリで開かれる。1月30日から4〜5日間、世界中からデザイナーやメーカーが集まり、そこにバイヤーが集まる。
MUも日本から駆けつける老獪なバイヤーのひとりなわけである。

出発が30日なので、どの会場の初日には間に合わないのだが。
コレクションの後はファッション街も見て回るし、音楽会にもできるだけ参加,鑑賞したい、と思っている。
MUにとってのパリ行きは半年分の文化吸収の時間なのだ。数百年前に都市計画をしっかりと構築し,実行したパリの為政者の慧眼に脱帽する。遠い未来を見据えた数百年前の政治家のまなざしに。

ほとんどの人が貧しい街パリで、文化だけが躍動し続けているのは、このパリという舞台装置のせいだと思うからである。

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2009年01月22日

言葉の力

昨夜1月20日の深夜、日本時間では21日の午前2時ごろ、アメリカ合衆国の第44代大統領バラク・オバマの大統領就任演説があった。MUはうたた寝をしながら4時間近く待った。厳冬の中、この瞬間に参加するために、200万人ものアメリカ人がモールに集う図は想像することが難しかったが、コタツに入ってぬくぬくしながら待つMUのような異国の人間も数に入れると、世界中でいったい何億の人間が期待に胸膨らませていたか、想像するのも難しい。

皆何を待っていたのか?

心の琴線に触れる言葉をである。ギスギスした世情の中、人類は久しく耳にすることのなかった胸にしみる言葉を期待して待っていたのだと思う。その言葉でわれを忘れるほど熱狂したかったのである。

20分を超える明快なスピーチの中でそれに近いものがあったとしたら、大変に陳腐な次の個所ではなかったかと思う。

「我々が成功するかどうかは労働と誠実さフェアプレー、忍耐、好奇心、忠誠心や愛国心にかかっている。古くから言われていることだ。だが真実だ。それが歴史を進歩させた静かな力だった。今求められているのはこうした真理への回帰だ・・希望と美徳をもってこの氷のように冷たい流れに勇敢に立ち向かおう」

オバマが言いたかったのはこれだし、まっとうなリーダーが語るべき言葉は煎じ詰めればこれしかない。しかし、人々の心は期待したほどには飛翔はしなかった。言葉が言葉の限界を超えて空高く舞い上がるほどのエネルギーをオバマの言葉は内包していなかった。

これからの彼が、彼の言葉が、ひとびとの心を充分に飛翔させてくれるようになるまで、我々がオバマにエネルギーを送り続けねばならない。つまり、ともに歩むことを心に決めるしかないのだ。半世紀も生きていない彼にはまだまだ助けが要ることを鑑み、思い切って愛してみるしかない気がする。そんな肯定的な感情を抱かせる新大統領であることは確かである。

滋養になるのは食べ物だけではない。体を温めてくれるのも、もしかすると言葉の方が上かもしれない。

昨日全世界が期待して待っていたのは翼を持った言葉だったのでは・・




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2009年01月20日

予感

MUが経営するラパロ有限会社は1979年生まれだから誕生日が来ると31歳になる。この間、さまざまな業種と店舗を展開し、数を減らしながら現在に至っている。MUに経営の才能がないことは最初の10年でよく分かった。すべてが趣味から始まり、儲けることより楽しいかどうかが価値基準だったのだから。

経営理念のいい加減な経営者にあきれつつも、黙々と付いて来てくれた従業員さまに感じる感情はただ感謝である。時々の事情で、ラパロを去ったスタッフの皆にも深い感謝を抱き続けている。彼らすべての努力なくしては30年と言う年月の継続は無理だったことは明白だからである。

ラパロに係って良かったと言って貰える様に、高い賃金が払えないなら、篤い愛情で彼らの努力に応えなければばちが当たる、と、店をサボって、とあるDVDを観ながら、MUの胸から突然熱い涙があふれ出しそうになった。

オーナーの気まぐれなセンチメントとばかりは言えない、電撃ような感謝の感覚だった。明日からMUは心優しい経営者に生まれ変わりそうな予感が・・・ついでにブショウッタレも直ってしまえばいいのだが・・

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2009年01月13日

楽しみの予感

幸運なことに、MUはパリに気心の知れた友達を持っている。付き合いの始まりは1997年からだから、11〜12年の付き合いで、大昔からの友人とは言えないが、それでもそこそこに旧友の感はある。その数は5〜6人だが、そのうちの3人とは順番に喧嘩しては、またよく仲直りする。今この瞬間は喧嘩をしている相手が誰もいないのだが、これは極めて珍しい状況なのだ。

日ごろからMUが喧嘩っ早いかと言うと、そんなことはない。喧嘩と仲直りを繰り返す友だちなんか、日本にはいない。もう少しノーブルな付き合いを目指しているからだ。実際、MUの日本の友人たちは心遣いがノーブルである。
しかし、以下3人のフランス人とはノーブルな付き合いなんか無理だ。

沸騰したやかんをひっくり返したようになるザニボニとの喧嘩。空のビール缶を投げ合うザニボニの元マネジャー・ドムとの喧嘩。カフェに居合わせても無視しあうジャネー・クランとの陰湿な喧嘩。

一番最近の喧嘩は詩人のジャネー・クランとのそれである。旅先のモロッコでのことだった。パリの空港に帰り着いて、口もきかずに別れて、一年半。

数日前に件のクランからメールが入った。1月末にパリに来ないか?というものである。自分の2冊目の小説の出版記念会とその後のドムの誕生会への誘いである。なんとも楽しそうではないか!

メールからはけろっとした感じが伝わってくる。MUも何を怒っていたのか思い出せなくなっているのだから、いい兆候かも。

今は「行きたい」の感が極めて強い。秋冬物の展示会シーズンでもあるし。問題は新店舗ラパロ・コンテッサの店番のことだけなのだが。

サテト・・

派手に喧嘩するエネルギーがまだ残っているかしらん・・



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2009年01月08日

男の歳

昨日はMUの夫君の誕生日だった。AKOから「お父様の誕生会をやりましょう。ハンバーグを作りますから」と、TELが入った。

朝、「今日から○○歳になったのよね?」とMUが声をかけると、
「違うよ、○△歳だよ」と、夫君は自分の歳を一歳多く言った。

しばらくして二階から降りて来て言うには
「なんだ、オレ、歳を間違えてたよ。この一年、年齢を書く必要がある場合はいつも○○歳と書いていた。損してたなぁ」

と、別に損した風もない顔で言った。MUは年齢に恬淡としている男の心理をうらやましいと思った。



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2009年01月03日

あけましておめでとうございます

2009年元旦の富士明るい和やかな2009年のお正月を迎えている。これがこの一年を象徴する穏やかさであって欲しい。山中湖湖畔の富士は三が日とも息を呑むほど美しかった。

久しぶりにテレビの前で過ごした正月である。とりわけ2日と3日の大学駅伝は日本人の国民的行事になった感あり。メールを交わす友人達の全てが「駅伝を観ている」と言っていた。テレビに映る選手達の他に、どの大学でも、どれほど多くの若人達が心身を鍛えこの日に備えていたことだろう。テレビに映らぬ陰で、悲喜こもごもの物語がいかばかり展開されていたことだろうと思う。

たとえ負けてもテレビに映った選手達は幸せ者である。まして、優勝、準優勝を競った選手達などは一生分の幸福の分け前を全部使ってしまったかもしれない。法外な喜びというものだろう。

一人の選手が「自分の中の全てを出し切りたい」と言っていた。
人間の根本的願望かもしれない。スポーツやアートや学問や仕事でそう願える世界に生きているわれわれは幸せ者だ。
生きることだけでも大変な世界に生きている者達は自分たちに不幸をもたらすと考えられる他者に向かって戦争を挑む。戦場で「自分の全てを捧げる」独善的幸福感のために。
人間は闘争を本能とする動物なのではなく、限界までエネルギーを溜め込み、外に向かって爆発燃焼させることを快とする生き物なのかもしれない。

人間のこの本能を利用して他者が他者に戦争をさせ、利益を得ようという極悪が暴露されることを望む2009年の初春である。

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2008年12月31日

戦い済んで日が暮れて

アメリカでサブプライムローンが破綻して、どういう経緯か、原油が高騰し、ガソリンがむちゃくちゃに高くなった。横浜の保土ヶ谷区から横浜新道を抜けて第三京浜で世田谷まで行き、そこから青山までとなると、ガソリンも使うし、高速道路代も馬鹿にならない。行くと言うことは帰るということである。MUが乗っていた車はキャデラックではないがドイツの重たい中古車で、リッター6キロぐらいしか走らなかった。しかもハイオクである。軌道に乗らない店の往復にそんなに交通経費を使ってもいいものだろうか?実家の駐車場を使っていたが、それもゆくゆくは使えなくなると言うではないか。

ある日思い立って、電車を使ってみることにした。国鉄東戸塚まで徒歩20分、湘南新宿ラインで渋谷まで行き、歩きに歩いて東京メトロの銀座線を探し当て、表参道まで行くのである。駅から店まで徒歩20分。車だと1時間10分ぐらいだが、電車では1時間40分以上かかった。

その日は夕方5時にお客様の予約があった。6時を過ぎるかもしれない、とその方から電話が入ったときに、ふといやな予感がした。案の定、閉店時間の7時になってもおいでにならない。MUは電話を掛けてみる。

「パーティーが今終わったの、これからでいいかしら?今、新橋」と、おっしゃる。

来店されたのは8時半だった。4〜5点の服をお気に召される。お支払いの段になって、「今日はお金もカードも持ってきていないのよ」「

「はい、承知しました、それでは次のときにお願いしますね」とMU苦渋の返事。

時間を見るとまもなく10時である。そうだ、今日は電車だったんだわ!渋谷駅に着き、湘南新宿線方面に向かって歩いているとMUを追い越して何人もの男女が走っていく。もしかして、と、このときもいやな予感がしたが、走ってみるには疲れすぎている。ホームに下りる階段を降りきったとき、電車が走り去った。まさか、と思いながら時刻表を見ると、それが東戸塚で停まる湘南新宿線の終電車であることが分かった。

それからどんな風に帰ったのか覚えていないが、家に着いたのは11時半を過ぎていた。おなかには昼以来何も入っていない。レトルトのカレーでもと、思っても、改築中の家には台所もレンジも無かった。MUの不機嫌は最高潮になる。

それでも夜が明けて、明るい朝が来た。友人からのオハヨーメールも届く。「今日こそいい日になりますように」と祈りながら洗面をしていると携帯の電話が鳴った。昨夜のお客様である。またしても、いやな予感がする。

「最後に決めたコートとワンピース、家に帰ったら似ているのがあったのよ。時間が無いからお店まで行けないの。お送りしていいかしら?」

と言うことは、昨日のお買い上げはセールになったパンツとブラウスとソックスだけと言うことか
ま、こんなこともあるだろう。しかし、もう電車で行く気力が失せてしまっていた。

MUは第一線で労働するには微妙な年齢であることは確かだ。必要なときにも走れないのだから。こうして、戦いが済んだのか、始まったのか、分からない年末を迎えているのである。



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2008年12月30日

戦い済んで日が暮れて 2008年編

昨日29日、我が家の改築がほぼ終わる。夕方から今年仲良くしていただいた友人たちと忘年会を赤坂のさるシャンソニエで。

思えば忙しい一年であった。

1月、パリの展示会に磯子店の店長リり子と出かけた。ザニボニと会い、3月の末に銀座で開かれることになっていた写真家F氏の写真展「ザニボニ〜魂の伝道師」にMUがザニボニを招待したい旨を伝える。ザニボニはF氏の写真展を大いに喜ぶ。が、日本に行くのなら当然歌も歌いたいと強く要望した。

パリから帰国後、夫君とニュージーランド旅行の予定があった。それまでの1週間でザニボニ・ライブないしはコンサートの予定を立てなければならなかった。ライブハウスの予定は2ヶ月前に組み込まれるのが通例だからである。つまり4月のライブは2月に決まるのである。

横浜神奈川区にあるカナックホールでのコンサート一回、千葉県のどこかでホールコンサート一回、大倉山ヒルタウン文化ホールで一回、その他5〜6回のシャンソニエライブを超特急で決める。後は野となれ山となれ。ザニボニの歌唱力に頼るのみである。

MUの甥ヤッチャンが11年間奮闘経営していたカフェ・レストランを契約更新月3月でやめルことになり、その後をMUが引き受けることになる。4月の半ばまでザニボニが滞在していたので新店の改装の開始は4月後半に持ち越された。突貫工事で仕上げた店は5月2日に新ブテイック・ラパロ・コンテッサとしてオープンすることになった。工事費が高いと思いつつ、相見積もりを取っている暇もなかった。

先日12月に入って友人のアーテイストから「今度のお店、あまりお金をかけなかったのね」と言われ、内装を吟味する時間が少なかったことをいささか悔いることになった。

新しい店を出すと通常は, 店長を決め、アルバイトを決めて営業がスタートする。MUの仕事は、店を出すまでと、その後の援護射撃である。ところが今回は婦人服とはまるで縁のない人生を送って来たヤッチャンを仲間に入れなければならないので、MUが店長役に回らざるを得なかった。MUの住まいは横浜にあり、店は南青山である。
毎日の通勤は車か電車か?関内のオフィスでのんびり仕事をしていたそれまでのMUには考えられないハード日々が始まることになったのである。



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