2009年08月

2009年08月19日

三人組10

「あるノートの一枚(古い日付そして子供の字)」

人が死後の世界を信じたのは何故でしょう。

未来永劫、生きることにどれほどの楽しみがあるのかな。自己の魂を真に深く愛する者などいないと思う。誰しもが不満を抱き、誰しもが終わりを願う。生きるということは終わりがあるということだ。

人生を謳歌する人でさえ、その楽しみがいつか終わることを潜在的に知っている。では死後の世界でも、安息は永遠には続かず、何らかの終焉であり何らかの区切りが続いていくだろう。それはクリスチャンが思う審判の日かもしれず、仏教徒の考える輪廻かもしれない。いずれにしろ、生きていることにはピリオドがある。

しかし死後の世界は何故願われるのかな。
自分の命が長らえるのを求めるのは分かるけれど、漫画に出てくる敵役が不死の命を願うのが分からなかった。死後の世界なんて、死を恐れ生を知らない子供の幻想としか思えなかった。

私は命を、生きるための道具としか思ってなかった。

私はとてもとても、自分勝手だった。
自分勝手な理屈を、普遍の概念だと思い込んでいた。そうじゃないモノの気持ちを踏みにじりながら。


rar_dc2006 at 21:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記(ぼくの日常)