だれかの作品

2010年12月26日

音読二号


わたしは「音読」というフリーペーパーをつくっている。
郁ちゃんというひととふたりで。
郁ちゃんはデザインをやっていて、
わたしは文章を書いている。

京都の音楽にまつわるフリーペーパーだ。
三ヶ月に一回出すつもりで九月に創刊した。「おとよみ」と読む。
このあいだ、その二号を出した。


特集は「WE LOVE 拾得」というもので、
日本でいちばん古いライブハウスといわれている
京都の丸太町近くにある拾得を取材した。

初めてわたしが拾得に行ったのは確か大学一年のときで、
酒蔵を改造したというその建物のかっこよさに感動した。
そのとき食べたカレーがすさまじくおいしかったのも鮮明に覚えている。
酒樽に座って、ジントニック飲んで、音楽聴いてた。


いつか、拾得の成り立ちを知りたいとおもっていた。
店長のテリーさんにもお話を伺いたいと。
なぜここをつくったのか。
当時なかったものをなぜつくれたのか。
なぜ拾得はライブハウスでなくてcoffee houseと名乗っているのか。
なぜ37年も続けてこれたのか。



いま、
音楽業界は厳しい。

要因のひとつ(というか大部分)がネットだといわれている、
CD買わなくてもダウンロードできる、
ライブ行かなくても動画で見られる。

でも、ネット上では味わえない空気が必ずここにはある。




京都を中心に配布しています。

設置場所はこちら。

http://www.otoyomi.com/




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2008年02月06日

ずっとひなぎくが萎れないのです


ひなぎく


ゆうべ「ひなぎく」を観て、
けさ、めざましテレビのあとにもう一度観た。

この女の子たちはことごとく破壊する。
ケーキやケモノのまるやきをハイヒールで踏みにじり、
ワイングラスや酒瓶や化粧水の小瓶をなぎ倒し、
シーツをひきちぎり下着を切り裂く。

それで笑う。
とばない鳥みたいな声で、
さも愉快そうに笑う。



彼女たちには住民票がない。

嘘ばっかりつく。

本当の名前もよくわからない。

電話がかかってきても
「こちら療養所 死ね 死ね 死ね」
と言って切ってしまうし。

働いていないし。

男をだましたり、
盗み食いをしたりして、生活している。

非社会的なのだ、徹底的に。




それでも彼女たちは生きているのだという。

「わたしたち、生きてるのよ」
「生きてる!生きてる!」






彼女たちを見ていると、
自分がふわっと浮かんでしまいそうな感覚になる。
ぷつん、と糸が切れて、飛んでいってしまいそうな感覚になる。

それで二回観てしまった。
その感覚がおもしろくて。

道徳とも
社会とも隔離された

純粋な個としてのわたし。

ありえない、とされたものが、
「ひなぎく」にみえる気がして。




いつかえらそな針がやってきて、
風船の彼女たちを容赦なく突き刺すだろう。

そしたら彼女たちは

ぱちん!

と小粋な音を立てて、
一瞬のうちに消えてしまうのだろう。
きらきらとした燐粉を残すかもしれない。
さとう菓子みたいな匂いを残すかもしれない。



ぎりぎり。
彼女たちはぎりぎりで切羽詰ったまま浮遊している、
だからこんなに魅力的なのだとおもう。




「もっと易しい生き方を考えなくちゃ」

いい子ぶるのがおそらく最も易しい。

彼女らはそれをさいごまで選ばない。

クール。







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2007年10月18日

めがね

めがね



ともだちから借りためがねをかけると、
夜空で光っている星が増えた。
光も、鮮やかになった。

「星が増えたよ」
「きれいにみえる」
と言うと、
めがねの持ち主に
「よかったね」
と言われた。

ほんとうにいいことだ。


だいぶ視力が落ちて、
映画館の字幕も危ういくらいだ。

見えないものがきっとたくさんある。
それを見てみたいとおもう。

それなのでめがねをかけようとおもう。
近いうちに買いにいこうとおもう。



きょう、
ともだちと映画「めがね」を観た。

ぱんぱんに張っていたきもちに、
ぷつんと穴をあけてもらった気になった。




はるのうみひねもすのたりのたりかな



うとうとしてたら叱られて、
それがとっても嫌で、こわかったので、
それからというもの
叱る人がいなくってもうとうとしなくなった。
てきぱきしなきゃ。
ぱっぱとしなきゃ。

でもほんとうは
うとうとと
のらくらと
したいのだった、ずっとそうおもっていたのだった。




たえこさんは何の先生だったのかとか、
さくらさんは何者なのかとか、
ゆーじさんは誰を待っていたのかとか、
よもぎくんの暗唱していた詩みたいなのは何だったのかとか、

わからないままだ、
でもそれでいい。

っぱなし、でいい。
手放し、でいい。
委ねてて、いい。




映画館の楽しみのひとつは予告。
きょうも、
胸をつかまれるであろう予感があり、
おもわず隣にいるともだちの袖をつかみそうになった。

嬉しさが湧いた。
愛すべき予定ができた。




「映画は、いいね」
「映画はいい、ということを忘れていたね」

と、
ともだちと話した。
淀川長治の遺言を、そのこにおしえてもらった。
それでふたり、
四条通で感嘆した。

「また観にいこう、映画」



その喜ばしい予感に満ちた映画を、
今度はめがねをかけて観てみたい。

聴きなれない単語で紡がれる愛のことばを、
眼の前にひろがるめくるめく空間を、
しゃっきりとクリアなまなこでのみくだしてみたい。




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2007年06月28日

「顔」

9ef2a577.jpg
すきな映画がひとつ増えた。


それは
5年ほど前から
つまり地元にいるときから
ずっと気になっていた映画である。
ジャケットが気になっていた。
でもそれと同時にそのジャケットが怖くて、
どうしても借りることができなかった。
ホラーだとおもっていたのだ。


それをようやっとこのあいだ観た。
裏を見てホラーじゃないとわかったためだ。

眼が悪くなったのでテレビに顔を近づけさせて観た。

観終わったあと、
「いいな」
とおもった。実際口に出して言った。





主人公は妹を殺してしまった日から逃げ始める。
南へ南へ
下っていく。

それまで主人公は
自分の部屋に閉じこもってばかりいた。
仕事もそこでしていて、
ほかには
テレビのCMソングに合わせて歌ったり、
少女マンガを読んだり。

そんな彼女が、外に出て、歩く。走る。移動する。
南へ南へ
下っていく。

そして

いろいろなところで寝る。
いろいろな仕事をする。
いろいろな人に出会う。

いろいろな話をする。時には叫び声もあげる。
いろいろな格好をして、
いろいろな顔をする。





ずっとひとり閉じこもり、
外気に触れなかった彼女が、

どんどん外に出ていくことで変化していく。
そしてまた、世界にも変化を起こしていく。

それはちっぽけかもしれないけれど、
彼女と世界の化学反応。







主人公の正子は言う。

「生まれ変わることは怖いやろ?」

だけど


「自転車乗りたい。
 自転車乗れるようになりたいねん」

と言って、
ふらつきながらもペダルをこぐのだ。




律子さんの言葉に
こんなかんじのものがあった。


「お腹が空いたらごはんを食べて、
 またお腹が空いたらまたごはんを食べて、
 それを繰り返すの。
 目の前にあることを片付けていくの。
 先を見てしまったら
 あたしだってとっくに死んでる」


これは
自転車といっしょ。
泳ぐのといっしょ。

今やることをやめてしまったら、
たちまちこけてしまう。沈んでしまう。


正子は
何度もこけた。
しまいにゃ顔に大怪我をした。

やっぱり変わることは怖い。


だけど、
自転車乗れるようになった。





正子は今までより遠いとこに行けるようになった。








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2007年06月21日

「道」

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映画をビデオで一作観た。




それはフェデリコ・フェリーニの「道」で、
わたしはそれをはじめて観たのだけど、
いちばん心に残ったのは
「一箇所にいるとそこから離れられなくなるでしょ」
に続く、修道女のせりふ。

「わたしの本来の目的は、神様の傍に生きることだけだから」

つまり彼女は、
神様によって必要とされている人物。


ヒロインのジェルソミーナは
「私が好き?」
と何度も問う。
ふたりのどこがどう違うのかって、
それはもう、
「私の存在意義はこう」
と断言できるかできないかだとおもう。


修道女に
「神様はいないかもしれないじゃないか。
 だから、あなたを必要としている人は存在しないかもしれない」
と言ったって、おそらく無駄だ。
彼女は信じきっているのだから。

でもわたしは無宗教で、
信じることが可能なのは、
自分か、あとは特定の他人。
それは何とも不安定で不確か。

だから
何度だってジェルソミーナになりきってしまい、
心臓をえぐられるおもいをする。


綱渡りの青年は
「この世にあるものは、みんなこの世の役に立っているんだ」
って言っていた。
それは本当にそうかもしれないけれど。
でも、
必要とされてるって実感できなきゃ、
必要とされていないことと同じでないか。

それでも人は生きていけるもんなんだろうか。



修道女は自分は必要とされていると実感している。
修道院の中の教えがあるから。
キリスト教という信仰があるから。

でも、ジェルソミーナは、
どこでそれを感じることができただろうか。





わたしはずっと
ザンパノにジェルソミーナを抱きしめてほしかった。
早く抱きしめてやってくれって
ずっと考えてた。

「かわいそうな人ね」
と、
ザンパノのことをジェルソミーナは言った。
ジェルソミーナは少なくとも、
ザンパノを抱きしめる用意ができていた。

だけどザンパノは抱きしめることができない。



わたしはジェルソミーナであると同時に、
ザンパノであるとそのときおもった。



なんでタイトルが「道」なのか、
わかった気がした。








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2006年05月12日

「いつか読書する日」

「いつか読書する日」という
映画を観ました。
すさまじい映画でした。

わたしは
ワインレッドの椅子に座って
頬杖をつきながら
だらだらだらだら
泣いていました。
ハンカチを忘れたので
ふきとることもできず
だらだら泣くしか
ないのでした。

なにが悲しいとか
誰がかわいそうとか

理由はよくわからないのです。

ただただ
牛乳を配達する彼女を見ながら
妻の手を握る彼を見ながら
頭を下げる彼女を見ながら
徘徊する彼を見ながら
ビールを飲む彼女を見ながら

泣けてしかたないのでした。





「彼女を好きだとか、そんなんではないよ」

「でも、こだわってるのよ」


だとか

「あなたは自分の気持ちを殺してきたの。
 でもね、自分の気持ちを殺すってことは
 まわりの気持ちを殺すってことでもあるのよ」

だとか

「これからどうするの」

「本でも読むわ」

だとか


ああもう
思い出すだけで
涙が出るような

ああもう
すさまじい映画だったのです。









なんてこった。




「男と女の関係がすべてなのか」

「そうよ」





この映画からは
男と女の
発酵した感情が
においたってきます。

すっぱいような
あまいような
くさりかけのような
におい。





「ずっと思ってきたこと、したい」

「全部して」





ああもう
なんて
やらしい
なんて
せつない
なんて
かなしい



すさまじいシーン。







お願いだから
あたしより先に死なないでよ。

お願いだから
あたし以外に看取られないでよ。

わがままでごめん。
つまり
同時に死ねたらうれしいのじゃが。





そのあと
あたしは酔っ払った頭で

女を思いました。
男を思いました。








そしたらまた涙が出てきたので
困りました。












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2006年04月30日

一人用螺旋階段

6586b2b8.jpg螺旋階段をみるのてすきだ。

建物とか
お寺とか
家とか

なんだそういう
建築系か

そういうのにあんまし興味はないのだけど

螺旋階段をみるのはすきだ。

しなやかに曲線を描く檻のようで
なにやらエロチックだなあ
とおもう。



そしてつい先の陽気のよい日、
てろてろ歩いていたら
こんな螺旋階段をみつけて

同行者と
「細!」
「細長!」
「こりゃすげえ!」
「住人すげえ!」
ともりあがった。






一人用の螺旋階段。

どっかちがう世界にいきそうであるね。








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2006年04月11日

地雷を踏んだらサヨウナラ

053bf20c.jpg映画
「地雷を踏んだらサヨウナラ」
を観た。
さっき。

友達がビデオをくれたのだ。
「浅野忠信すきやろ」
と言って。




イチノセタイゾウ
というのが
主人公の名前で

彼は
戦場カメラマンである。





浅野忠信はいい体してるなあ

ほれぼれしながら観ていたのだが


しばらくすると
違和感がわいてきた。






イチノセタイゾウが
ほとんど
笑顔なのだ。



戦場で
笑顔。




受付で。
自分の写真を10ドルでしか買ってくれない男に言う。
「Thank you.」
笑顔で。

草原で。
自分を偵察している男に言う。
「飯くってけよ」
笑顔で。

森の中で。
自分に銃をかまえた男に言う。
「ひさしぶり」
笑顔で。






なんだってこの人は
こんなにも笑顔なんだろう。
ふつうはもっとしかめ面してるもんなんじゃないか。

こわいじゃないか。
自分がいつ死ぬかわかんないし
大事な人だっていつ死ぬかわかんないし
どんどんまわりの人が死んでくし。




こんなにも
死にかこまれながら
なぜに終始笑顔なのだ。
タイゾウくんは。

ふしぎにおもいながら
観ていた。








「明日死ぬとしたら、今日何したい?」

自分を偵察していた軍人ふたりに
「残すんじゃねえぞ」と
おにぎりをにぎってやりながら
タイゾウは言う。


「妻と娘を殺した奴に復讐をしたい」
年配の男はそう答え

「彼女に会いたい」
若い男はそう答えた。



タイゾウは例のごとく笑顔でそれを聞いて

「俺はアンコールワットを撮りたい」

と言った。






そしてその言葉のとおり
彼はアンコールワットを求め続けた。


誰の止める手も
笑顔ですりぬけ

誰のはばむ手も
そのときばかりは歯をくいしばって突き破り


結果


タイゾウは
やっとたどりついたアンコールワットの前で

「カメラ」

つぶやく。

笑顔で。





理由がわかった気がした。





「なんのために生きているの?」

という問いは

「明日死ぬとしたら、今日何したい?」

という問いと


同じ答えなのではないか。





死ぬ前の24時間。


イチノセタイゾウは
そのためだけに生きた。




死ぬ前の24時間。


イチノセタイゾウは
そのためだけに生きたから


ずっと笑顔だったんだろう。



他の軍人たちは険しい顔をしていた。
あたりまえだ。
死ぬ前の一瞬まで
したくもないことを
させられているのだから。





まわりの人々は
タイゾウの姿を
「自由」
と表した。

だとしたら
自由は
ひどく刹那的なんだな。





「明日死ぬとしたら、今日何したい?」

あたしのうちに
すぐに浮かんだ答えは
自分でもびっくりするほど

身近で
簡単で
平凡だった。


そんな

身近で
簡単で
平凡なことが

でも今できていない。



戦場でもないこの日常で、
できていないのだ。
某アイドルが
「ぎりぎりでいつも生きていたいから」
と歌っていたが
その言葉は
カラオケで歌われるには
もったいない。





「地雷を踏んだらサヨウナラだ」

タイゾウ君は
笑顔で
そう言った。









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2006年01月18日

おんなごろしあぶらのじごく

きょうは
「女殺油地獄」の映画を観たのだった。
これは
おんなごろしあぶらのじごく
と読む。



油屋の奥さん
お吉さんには眉毛がなくて、歯が黒い。
既婚者だからである。
細いあごと
すっきりとした目、
やわらかな芯のある京都弁を
涼しげな声で話す。


とにかく
美しい人。


お吉さんは殺される。
与兵衛という若者に小刀で刺される。

お吉さんは逃げ回る。
油屋の中で逃げ回る。

樽にぶつかって油が広がる。
それに足をとられ
ふたりはすべってもつれる。

すべりながらもつれながら
ひとりは刺され
ひとりは刺す。




きちんとしていたお吉さんが
油にまみれて
とろとろになる。
髪の毛が頬にぺたりとひっつく。

衣服のはりついた
とろとろのお吉さんの体に
血が広がる。

何度も刺されて
放心したお吉さん
うすく開いた唇から
かすれた声が
とぎれとぎれに

「助けて
 与兵衛さん
 助けて

 わては
 わてはまだ子」


そこでぷつりとシーンが終わる。





鳥肌がずっと立っていた。

殺しのシーンを
きれいだとおもったのは
おそらく初めてだ。




どんどん血が流れて
油とまじり合って


もうほんまにきれいで
官能的で
もうほんま
感動しました。



ふとおもったのですが
美しいとおもうと
みんなはどういうふうに体が反応するのかな。

あたしは鳥肌が立ったり
胸がぎゅうっとなったりします。



(この作品は何回も映画化されてるらしいので
 中にははずれもあるそうです
 これは大当たりでしたが出ている人の名前がわからん
 あ、でも松田優作は出てるやつじゃありません)






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2005年12月28日

プリキュア

88a1829c.jpgこたつんなかで
「ふたりはプリキュア」を観た。

きちんと観るのは初めて。


ひかりという子がいた。
で、きょうはひかりに友達ができる話だった。

ぼんやりと観ていたはずが
気づいたら夢中になって、「ひかりちゃんよかったなあ」と感動していた。



ひかりの台詞で、こんなんがあった。

「彼女たちは無力ではありません!」

ひかりが、敵からクラスメイトふたりを守るシーンである。
敵はこう言ったのだ。
「なぜそのような無力な者を守ろうとするのだ」

ひかりのクラスメイトの
カガヤマさんとタバタさんは
常にきゃっきゃきゃっきゃ言ってる娘である。
ヤン様やらビラッド・ブッドにきゃーきゃー言ったり
フリマでファッションショーをしてきゃーきゃー言ったり
「背水の陣」を「背水のびん」と言ってきゃーきゃー言ったり

そら敵も「無力」と思うだろう。



「彼女たちは私を初めて誘ってくれました。
 彼女たちは私を楽しませようとしてくれました。
 彼女たちは私を幸せな気持ちにさせてくれました!
 だから彼女たちは無力なんかではありません!」


ひかりはそう言った。


あたしはそんときぐっときた。

ひかりさん
それはほんとに
そうですね。









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