2005年03月21日

ネコ科の好きな日本画家

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四宮義俊展が盛況のうちに終わった。
芸大の修士を終了し、さらに博士課程に進学するので、ますます磨きがかかり、これからもいい作品を描いてくれると思う。
さて、古典主義の、しかもリリシズムの残っている小林古径の絵に大地がない絵がある。あるとすると、その大地は傾いている。
四宮の絵に、クロヒョウが傾いた大地を歩いている絵がある。
なぜ、彼は背景をアンバランスに切り取ってしまったのか。
私たちの時代は、人権尊重、個性の時代などというが、顔には表情すらなくなってしまった。動物と同じかもしれない。
彼はいう。小学校のころに、日本は海外に誇るべき豊かな国であると教科書で習ったと。しかし、1980年生まれの彼は、バブルがはじけて、そうではない現実をみてきたはずだ。四宮の描くヒョウは、どこのジャングルにいるのか?どこにわれわれは向かおうとしているのか?われわれの落ち着く場所がなくなって、人間も動物も、どっしりと大地にいる感じがしない。
本当に愛する人は、ヒョウになってしまった。
中島敦の小説ではないが、春の日差しを浴びて、今まさに豹変しかかっているかのような、熊の作品。
草むらの中から、のっそりとこちらに向かってくる大きな虎。
孔子は、言葉にできないもの、それは、天、性、死、鬼だという。
この作家は、何を描きたかったのか?己の中にいる鬼ではなかったか。鬼は祖先の霊のことでもあり、彼の描く動物に、私はある種の霊性をみた。
人間というのは、基本的に構造として、超越に向かうというけれども、彼の絵にはそうした
鬼を飼いならし、超越にむかう霊性がいるのだと感じる。そこに彼の技量を卓越する才能をみいだしたのは、私だけではないだろう。


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2005年03月14日

皆様、ありがとうございました。

待ちに待っていた門倉直子展も終わりました。
皆様のおかげをもちまして、とても充実した一週間でした。
初日には、朝日新聞社発行のアエラに、門倉直子の作品と記事が出ているので、直ちゃんと私はわくわく、どきどきしながら、お客様を待っていましたが、初日11時開店からどっとおしよせたファンの方々、夕方からは、コレクターさんや直ちゃんの友人ら、羅針盤の作家さん方とオープニングで和気あいあいと楽しく過ごせました。
「アートソムリエ」を自称する山本さんのコレクションが、ギャラリーフォレストのミニで開かれていて、そこに直ちゃんの作品も飾られていました。ギャラリーフォレストの森さんというオーナーもたいへんユニークな方です。奥野ビルの5階で、あの階段が大変辛いにもかかわらず、森さんにもちょいとお目にかかりたくて、せっせとのぼって行くんですよね。
いつも、おもしろかったという展覧会が多いです。さすが、森さん。
さて、山本さんのコレクションを見たあと、羅針盤の門倉直子展まで、足を運んでくださったコレクターさんがいまして、その方がまた素晴らしい方でした。心の底から美術への愛情を感じました。そして、その方の半生がすぐれた作品とのかけがえのない出会い、さらに作家さんへの深い愛情に支えられているなあと思わずにいられないようなお話でした。
来年の直ちゃんは、精神的にも、もっと成長して、よい作品を生み出して、私たちを楽しませてくれると思います。応援してくださって、差し入れまでもって来てくださったお客様、ありがとうございました。奥ゆかしい女性を見る事は、もはやこれまで、というような日本で、いつも羅針盤の柱に隠れていた直子さんでした。これからも、みなさんで、応援してあげてください。




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2005年03月12日

NAOはニューライブ派 

『サバのかゆみ菌。なんじゃそれは!』(直ちゃんのことばです)
門倉直子作品の中に『サバをたべた女』というのがある。サバは、フランス語では元気?とか、云う意味もあり、フランスでは、サバ、サバ、みんなが声かけ合っている。サバ、サバしたいい女という意味なのかなと深読みするまでもなく、ただ、鯖のかゆみ菌にやられているだけなのだ。あじとさばを間違えて、一切れ食べた鯖にあたったので、むかついてはいるが、いかんともしがたい、むずがゆさ。その何気ないが、笑いをこらえた一瞬を見逃さなかった作家の少々意地悪な感じが、笑いをそそるらしい。
この作品のモデルは、何を隠そう、私であって、この絵を見た AERA のカメラマンが、売れ残ったら、購入したいというので、売れ残ってるのは、絵ばかりではありません という冗談は、通じなかった。ともかく、この絵は羅針盤のおなじみさんのお客さまのコレクションに加えられた。
小部屋には、実は『身体を眺める女』というヌードもあり、どうみても、これも私ジャンって思ったね。見てないのによくわかるねえ。
ハッピーな作品が多い中で、恐ろしいねえという絵もあります。お風呂のタイルにぶどうとメロンが描かれているだけなのですが、タイルの奥にうっすらと角刈りのおじさんがいる。
やくざ風です。サラコレがいいました。「かゆみ菌を消そうとして消しきれなかったというのは、やはりどこかこの人とつながっていたいという気持ちがあるんじゃないかなあ」と。
びくつく直ちゃん。
「日常を淡々と描きながら、ビビットな感性がいいね、ニューライブ派とでもいったらいいのかな」
羅針盤は、お客さんいわく、三点セットで楽しめるお得なギャラリーだそうです。三点セットとは、作家、ギャラリーの雰囲気、オーナーさんということだそうです。その方は、アエラを読んで、俺の事だと思ったらしく、○貧サラコレですから、といいながら、この絵、買いますとのこと。直ちゃんいわく、「コレクターとは、まさに奥深い新種のアーティストではないでしょうか?大真面目でこんなアホな絵を見てくださって、本当に恐れ入ります」と、恐縮していました。同感ですな。

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2005年03月09日

東京で会いましょう

40126620.jpg今、羅針盤の人気作家、27歳の門倉直子新作展を開催中です。
3/7〜3/12まで、開催しています。3/7にアエラに新作と記事が掲載されました。
55ページの小遣いで楽しむコレクションというタイトルで、サラリーマンコレクターの山本さんが羅針盤を紹介してくれました。
初日はおもしろかったですよ。開店同時に見知ったサラコレ(サラリーマンコレクター)が真剣に見てます。
振り返りざま、「買うよ、これ」、そのあと、先にきたコレクターが一周してから、「あれ」という表情、それから、また、「あれもいいね」といいつつ、商談が成立しそうな矢先、「1人、一点」と牽制されたサラコレは「はい、どうぞ」と気弱な返事でした。
なかなかのハッピーな気分にさせてくれるという門倉直子作品ですが、作家さんは、あるファンにいわせると、「絶滅した遺伝子」らしく、その謙虚な姿は、ふてぶてしくなってきた昨今の若い女性とは雲泥の差。
このういういしさ、少女のような中にも色気のある女性像は彼女、そのものでもあり、書き残しや消去したあとを残しながら、透明感を感じさせる画面からは、なかなか独特な魅力がありながら、感性の揺らめきやナイーブだけど、秘めた毒っけなど、重さもあり、なかなか
いい感じで仕上がってます。
ぜひ、見に来てください。今では、絶滅しそうな謙虚なしとやかな直ちゃんが会場にいつもいます。トルコのアップルティー入れてくれます。


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2004年07月23日

現象学的タイトルの背景にあるもの

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「まいど」
おしり(作品のこと)が、お買い上げです。
やったあ、と手を大きくあげて無邪気に喜んでる作家の姿は、少女のようである。本当にかわいい。

「まいどでは、ない、初めてですから」と購入希望のサラリーマンコレクターは、私の方を振り返った。
「まいど」と今度は私が深々と頭を下げた。

人間は、もともと海からでてきて、進化したもの。生物が地球に現れた頃の原始生物には男女の区別はなかった。

宮本千瑞の描く作品のおもしろさというものは、この生命の起源に潜む謎でしょう。

一昨年前の作品は、頭部に巨大なDNAをもつ両性的な生きものを描いていて、内部には血液や血肉化されつつあるものが、まだ渾然一体となっていて、どろどろしていた。


 芸術の原質であり、又素材であるものは、本来、不気味で不健全なものである。文化現象の裏側に張り付いているものを削ぎ落とし、血みどろで母胎の生命や生殖行為を切り離そうという試みは、たいへん危険なことだと思う。

 彼女の試みは、女性としての内奥にふれる経験を通した、イメージとフォルムのメタモルフォーゼにあるのではないか。一種のもののけ感覚を感じるのは私だけだろうか?




rashinban at 12:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)