代表の相原です。

裸心プロジェクトは、2005年4月から活動をしていますが、「そもそも何のために活動しているのか。」

その思いを、長文になりますが、会を立ち上げた僕からお伝えしたいと思います。


 何のために裸心プロジェクトをやっているの? 

これは常に口にしていることですが、裸心プロジェクトは「活き活きするキッカケづくり」のために活動をしています。


 活き活きするキッカケってなに? 

そもそも「活き活き」って何か?

それは、人それぞれによって違うと思います。
 
例えば・・・
 
・転勤族にとっては、一緒に休日を楽しめる仲間ができるだけで活き活きします。
・学生にとっては、素敵な社会人と出会い、刺激を受けることで活き活きします。
・ビジネスマンにとっては、仕事以外の活動の場、出会いの場、交流の場があるだけで活き活きするかもしれません。

裸心プロジェクトでは、「やりたいことをやる」を最大の活き活きと定義付けています。
人はやりたいことをやっているときが一番活き活きと目が輝いています。やりたいことをやるときは普段にはないエネルギーが湧いてきます。

しかしながら、一口に「やりたいことをやる」と言っても、それ以前に“やりたいことがあるけど、一歩が踏み出せずにできないでいる人”や“やりたいことが分からない人”などいくつか段階があると思いますが、いずれにしても“やりたいこと”は一人で考えていても何も生まれませんし、それを実現することも難しいです。

そこで、裸心プロジェクトでは、普段単に仕事をしているだけでは得られない交流、つまり「異世代交流」「異業種交流」「地域交流」の3つをテーマにした人と人との交流の中で、活き活きするキッカケを提供しようと交流会を継続的に開催しているのです。

一般的に「異業種交流会」というと、異業種との交流から新たなビジネスの可能性を見出そうというビジネス目的の会がほとんどですが、裸心プロジェクトはそれとは全く別物です。
しかし、裸心プロジェクトが目指している交流会は、言葉として一般化されていなくて伝わりにくいので、ブログ等ではすでに一般化されている「異世代・異業種交流会」と謳っています。


 どうして「活き活きするキッカケの場」として、交流会を開催するのか? 

その答えは、裸心プロジェクトをやり始めた僕個人の経験に基づいています。僕自身、これまでの人生で2回、活き活きするキッカケがありました。

1回目は、大学生の時です。
実は大学時代、退学しようと考えるぐらい大学に通う意義を見失い、悶々とした日々を過ごしていました。
そんな時、とある社会人との出会い、社会人の交流会へ参加したことにより、つまらなかった日々が刺激的な毎日へと変わり、活き活きとした大学生活を送ることができました。

閉鎖的な大学に通っていて僕にとっては、社会人との接点、また他大学との交流がとても新鮮で、そこから同じ志しの仲間ができ、まさに活き活きするキッカケになりました。
そして、その当時その仲間と「自分たちはたまたまキッカケがあったから、こうして活き活きしているけど、自分の周りの大学生は、依然としてまだつまらない日々を送っている。
キッカケ一つで変われるんだったら、今度は俺たちがみんなに同じようなキッカケを作ろう!」と語り合い、それからは学生向けのイベントを企画していました。

2回目は、就職して釧路に配属になってから。
関東で生まれ育った僕は、最初の就職先で、いきなり誰も知り合いのいない釧路に来ることになりました。
当初は、仕事のはけ口もないし、休日になっても遊ぶ仲間もいなし、やることもない・・・
ただ寂しい日々が続きました。
そんなある日、僕の場合は、同じマンションに気の合う友人が出来たことで、その生活は一変しました。仕事が終わったら、夕食を共にしながら仕事の苦労を分かち合い、週末になれば飲みに行き、休日は早起きして遠出して遊ぶ。
寂しい生活が、キッカケ一つで楽しい釧路ライフになりました。

そして、交友関係が広がり、同じ転勤族の方々と知り合っていく中で、寂しい思いをしていたのは、自分だけではなかったことに気が付きます。
それならば、そういった人同士が集まって交流できる場を作ればいいじゃん!ということで立ち上がったのが、裸心プロジェクトです。(※正確には、これだけの理由ではありませんが・・・)

なので、僕自身が「人はキッカケ一つで変われる。」と体感し、そのキッカケが人との出会いや交流の場だったことから、今度は自分がそんなキッカケの場を作りたい!という思いで活動を始めました。


僕のこんな思いに共感していただけたら幸いです。
以上、よろしくお願い致します。


代表 相原真樹