パプアニューギニア(PNG)ニュース by 南太平洋島嶼研究会

<$パプアニューギニア(PNG)ニュース by 南太平洋島嶼研究会(丸谷元人)近い将来「日本の生命線(含むシーレーン)」となる南太平洋、特にパプアニューギニア(PNG:Papua New Guinea)周辺の情報を先取りして分析し公開しています。$>

ブログ最終回。御世話になりました。

前回更新以来、毎日せわしなく過ごしておりました。いつもお読みいただいている皆様には、ご迷惑をおかけしております。


この度、livedoorサービスの機能縮小等に伴い、これまでの「南太平洋島嶼研究会」を発展的に解消し、新たに「日本シーレーン問題研究会(英文名:Research Association of Sea Lines of Communication or RASLOC))を開設する事を決定し、同時にブログを以下に移設することに致しましたのでここにお知らせ致します。


↓新しいブログはこちら!


これまでお読みいただき、また、たくさんのコメントをいただいことは記事を書き続ける上で、大変励みとなりました。
 

この場をお借りして御礼申し上げます。
 
今後は、南太平洋で進行中の出来事のみならず、日本のシーレーン全般に関する情報を幅広く、そし深く掘り下げる事で、日本の生命線に関する情報をを可能な限り詳しく皆様にお伝えして参る所存です。

また、今後は、さらに突っ込んだ情報を有料コンテンツとして提供させていただくことも考えておりますので、日本のシーレーンの実情について強い関心をお持ちの方は、是非そちらも御活用いただければ幸甚に存じます。


2012年1月より開始しました本ブログを通じて、いろいろな方とのご縁が広がり、貴重な情報もたくさんいただきました。

こうした情報ネットワークを活かし、今後も、我が国の安全保障強化の一翼を少しでも担えるよう精進して参りますので、引き続き宜しく御願い申し上げます。
 

     2013年9月吉日
     南太平洋島嶼研究会

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『日本の南洋戦略』が、Amazonの「国際政治情勢」部門で第20位になりました!

お陰さまで、8月7日午前1時55分現在、拙著『日本の南洋戦略』が、Amazonの「国際政治情勢」部門で第20位になりました。

お買い上げくださった読者の皆様には、心より感謝申し上げます。


今後とも、何卒宜しくお願いいたします。

南太平洋島嶼研究会
丸谷 元人 拝 

国際政治情勢部門20位
国際政治情勢部門第20位(2) 












 




































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『日本の南洋戦略』の動画(3−5)が完成しました。

『日本の南洋戦略』の「まえがき」の抜粋部分動画の残り3本が完成いたしましたので、アップいたします。どうぞ、宜しくお願い申し上げます!


日本の南洋戦略』(3)
疑義を呈することが許されない「日本=悪」という歴史観


『日本の南洋戦略』(4)
心優しき現地人は傷ついた日本兵を助けたせいで連合軍に処刑された


『日本の南洋戦略』(5)
中国の進出で日本の安全が南太平洋から静かに、しかし大きく損なわれつつある


 



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『日本の南洋戦略』の動画 1、2

この度、拙著『日本の南洋戦略』を世に出して下さったハート出版さんが、同書の「まえがき」部分を抜粋して動画を製作して下さいました。

全編5部あるとの事ですが、現在、1部並びに2部完成しております。すでにYouTubeやニコニコ動画に出ておりますので、そちらをご覧頂けましたら幸いです。

また3部以降がリリースされましたらお知らせいたします。

どうぞ、宜しくお願い申し上げます!

南太平洋島嶼研究会
丸谷 元人 拝


『日本の南洋戦略』動画 第1部


『日本の南洋戦略』動画 第2部
 



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ラッドに始まり、ラッドに終わった「ボート難民優遇政策」

オーストラリアは移民国家である。そのため、小学生の頃から外国語を学ぶケースが多い。シドニーの町を歩けば、今や「ここは香港か?」と思わせるくらいにアジア人の姿が多いし、韓国人やベトナム人、レバノン人などもコミュニティーを形成している。メルボルンの場合は、歴史的にもイタリア系やギリシャ系が多いらしいが、農場の方にはドイツ系の姿も見受けられる。そのため、大学においても外国語教育にはかなり力を入れているが、中でも群を抜いているのがオーストラリア国立大学の語学教育である。

首都キャンベラにあるので、社会科学などのリサーチが非常に強いのが特徴で、タイム誌の「大学ランキング2007」では、世界で総合16位、社会科学部門では6位であり、イギリスの大学評価機関「クアクアレリ・シモンズ社」が毎年9月に公表している世界の大学のランキング「QSランキング」では、社会学は世界13位、人文科学12位、政治・国際関係学10位となっている(2011年)。過去に6人のノーベル賞受賞者を排出し、オーストラリアの首相を含む多くの政治家や裁判所長官などもこの大学を出ているが、ここの語学教育と言ったら、そのレベルの高さでは世界でも屈指のレベルであると思う。

ANU





オーストラリア国立大学(キャンベラ)は、リサーチと語学教育が強い


学士過程で外国語を一つ選択すると、週に10時間もクラスがあり、最初からネイティブの講師が徹底的に鍛えてくれる。毎週テストがあって、少しでもサボるとどんどんと置いて行かれてしまう。一劣等生に過ぎなかった私はそこで中国語を選択したが、怠け者であったとはいえ、英語を勉強したときでさえ面倒でやらなかった「カセットテープ」によるリスニングの勉強を毎日続け、必死になってついて行こうとした記憶がある。その結果、三ヶ月後に中国大陸を一人で旅した時には、日本人だとバレる事はほとんどないくらいにまで上達していた。

私の中国語の先生は、Dr. Svetlana Rimsky-Korsakoff Dyerという白系ロシア人の女性教授であり、最後の「Dyer」という字を中国語にする形で、私たち学生は「載(ダイ)老師」と呼んでいた。初めてお目にかかった時は、すでに御年65歳ほどであったが、大変に厳しい先生であった。学期の最初の方の授業では、世界的にも有名なここのアジア言語教育を目指したオーストラリア人学生が何十名も集まり、大変な賑わいであったが、その中の学生が一人、「形容詞ってなんでしたっけ?」と真顔で言ったのに対し、「そんなものが判らないでこの大学に来たのですか?まったく、信じられないことだ!」とおっしゃったのを覚えている。

ダイ老師の授業はあまりに厳しかったので、学生数はわずか数週間で三分の一ほどに減り、最後にはとうとう7、8人になってしまった。その中で私は何とか食らいついて行き、ダイ老師も「マルタニ・シュエション(丸谷学生)」と呼んで、大変に可愛がって下さった。(我的日本人の「是」の発音がヘタクソだ!としてよく怒られもしたが・・・)

ダイ老師は、帝政ロシア軍の高級将校の娘として中国(おそらくハルピンであったか)で生まれた。確か1931年生まれであったかと記憶している。北京に移り住んだ後、日中戦争が勃発したので、家族で雲南省に逃げていたという。第二次大戦が終わると、北京に戻られ、そこで大学に入るのであるが、そこで珍しい白人女学生として中国人学生らと勉学を共にされた。

Mao_and_Chiang1945








1945年の「重慶交渉」以降、国共内戦が本格化


しかし、同時期に国民党と共産党軍による過酷な「国共内戦」を目の当たりにし、共産党が優勢になるに連れて、大学構内で「外国分子追放運動」などに参加させられた。1950年代、ダイ老師の一家はついにキリスト教宣教師らが脱出した最後の船で中国大陸を離れ、経済的にも塗炭の苦しみを味わいながら逃避行を続け、何年かかけてようやくオーストラリアに辿り着く。今で言うボート難民のようなものかも知れない。

ダイ老師はその後、アメリカのジョージタウン大学に留学し、そこで「東干(ダンガン)語」に初めて出会う。「東干(ダンガン)語」とは、「主に中央アジアのカザフスタン、キルギス領内のフェルガナ盆地に居住する中国系ムスリム(イスラム教徒)の東干(ダンガン)族」が使用する言語で、「アラビア語やペルシア語、ロシア語の語彙を多く含み、声調記号のないキリル文字で表記する特異な中国語の一方言」というものであり、当時は、故・橋本萬太郎先生(東京外大元教授)が日本語で書いた資料以外はほとんど世界でも研究されていなかったものらしい。

Dungan-Girls
















東干族の女性たち

その後、ダイ老師はオーストラリア国立大学の博士課程で学び、「東干(ダンガン)語」の世界的権威となる一方、中国語を学生たちに教えるようになる。そんな学生たちの一人が、6月に二度目の首相の座に返り咲いたケビン・ラッド首相だ。つまり、ラッド首相は私の「先輩」に当たる。

このケビン・ラッド首相という人は、何度かこれまで書いて来た通り、かなりの「中国通」である。高度な中国語の読み書きが出来るのも、あの学部で教育を受けたからだと思えば納得が行く(一方の私は、中国語をほとんど忘れてしまうほどの劣等生であるが・・・)。そのラッド首相は有名な「中国シンパ」であり、ギラード前首相の前に第一次ラッド政権では、かなりの親中的政策をとり、その返す刀で「反日的」とでもいうべき政策を取った。しかし一方で、首相の座についてしばらくしてからは、安全保障上の問題や資源問題、貿易問題では中国に対して徐々に警戒心を見せるようになった。首相になったからこそ見えるようになった中国の深い意図を肌で感じた事もあるだろう。

もう一つ、彼が変化したのが、移民受け入れ問題である。これは、昨年にこのブログでも取り上げたが(「マヌス島は戦略的要衝(2):難民収容所を『再開』したオーストラリア」http://blog.livedoor.jp/raspi2012/archives/18738917.html)、ラッド首相はかつて、海外からのボート難民に対して寛大過ぎるような政策を取った。かつて、オーストラリアにやって来たボート難民は、すべてナウル共和国やマヌス島における難民収容施設に入れられ、難民認定審査を受けていたが、ラッド氏はそれらをすべて「閉鎖」し、代わりに難民らをオーストラリア本土に一旦上陸させ、そこで難民認定審査を行う事にしたのである。その結果、世界中の難民希望者らはこのオーストラリア政府の「寛容な」政策変更に「歓喜」し、その後、オーストラリアを目指す難民の数が一気に増加、「招かれざる客人」が毎年ゴマンとやってくるようになったのだ。今では、毎週のように難民船がオーストラリア沖に現れるくらいの頻度になっている。

これでオーストラリア国内には、大きな反撥が起きるようになった。スキルもなく、言葉も話せず、資産も何もない難民、しかもその多くが戦争難民でさえなく、イランなどからの経済難民である現状を見たオーストラリア人らは、文化的な違いにも戸惑いと反感を持つようになり、社会問題へと発展して行った。仕事も何もない連中が勝手にオーストラリアにやって来て、違う価値観で固まって生活し、しかも税金で優遇されている、真面目に働いて生活している国民からすれば大変に迷惑だ、というものである。また、その多くがイスラム系難民であるため、宗教的な不快感を持つ人も急増した。「イスラム野郎ども、オーストラリアから出て行け!」という声も大きくなるという副作用まで出たのだ。レイシズムが宗教的非寛容さによって悪い意味で刺激された結果だ。


PM Rudd













「リベラル派」のケビン・ラッド首相は、
オーストラリア国立大出身の「中国語専門家」
中国名を「陸克文」という。 

これに対し、ラッド氏との権力闘争に勝利して政権を取ったギラード前首相は「政策の大転換」を発表し、年間の難民受入数を1万3000名から2万人に増やしはするものの、結局ラッド首相が2007年に閉鎖したナウル共和国やマヌス島の難民収容施設を「再開」して、そこで難民希望者らを一時的に収容するという決断を下したのである。かつてのハワード政権時代のように、数年かけて「じっくり」と審査するという「隔離方式」に戻したのである。

そして今年6月、再びの熾烈な権力闘争を経て、ラッド首相が再び返り咲いた。そこで、その難民政策に再び注目が集まったが、そこでラッド氏は、また懲りずに難民優遇政策を打ち出すかと思ったら、何と「まったく正反対の政策」を打ち出すと言う発表をした。先日、ブリスベンにパプアニューギニアのオニール首相を招待して挑んだ記者会見では、ラッド首相はかつてのリベラルさとはかけ離れた調子で、

「今この時点から、オーストラリアにボートで到着した亡命希望者には、難民としてオーストラリアに定住する機会はない」

「難民はすべてパプアニューギニアのマヌス島にある収容所か、または第三国へ送られる」

と発言したのである。

ここに、リベラル派の寛容政策は終焉を迎えたと言ってもよい。つまり、難民寛容政策は、ラッド首相に始まり、ラッド首相に終わったのである。この「変化」は、「中国シンパ」から少しずつ「中国警戒論者」に変化したかつてのラッド氏の姿に似ている。間違いがあれば正すのは当然の事だが、どうもリベラル派の政治家は、どこの国でもそうだが(日本でも)、野党の頃は好き勝手言っているが、実際に政権を取ってそんな理想主義を実行しようとしても、すぐに破綻してしまい、結局は軌道修正を余儀なくされる。しかも、その種の軌道修正は往々にして、かなり極端かつ強硬なものになるのだ。

今回もその通りで、つまり「ボートで到着した以上は、それが政治難民、戦争難民、経済難民を問わず、全部ダメ!!」というものである。そこで生じるのは、国内政治の混乱と、予算・時間の浪費だけだ。そして、難民からすれば、「ない夢を与えられ、奪われた」という事になる。なぜなら、ラッド氏が「おいでおいで」というから、金を一生懸命に作ってボートに乗り込み、あの広大で危険なインド洋を越えてやって来たのに、今になって「てめーら、来るな。さもなければ、パプア送りだ!」と言われるようなものだからだ。いずれにとっても、不幸な結果しか待っていない。

我が恩師のダイ老師は、かつて共産中国から逃れて来た「政治亡命者」であった。今年で御年82歳になるダイ老師は、かつての優秀極まりない理想主義者の教え子が、二度目の政権で見せたこの豹変について一体何を思うのか。もしまだキャンベラにご健在であれば、是非、かつての一劣等学徒としてそのご意見を伺ってみたいものである。

(了)




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