ニューギニア戦を語る上で、台湾の高砂族を外して語ることは非常に難しい。
このブログの読者の皆さんであれば、高砂族のことについてはよくご存知の方も多いと思うが、彼らは台湾の山岳地域に住んでいる「原住民」であり、中国大陸からやって来た人々とは習俗も言葉も違う。本当はいろいろな部族があって、名前も何も違うのであるが、戦前の日本では台湾の原住民すべてをまとめて「高砂族」と呼んでいた。この「高砂」という呼称は決して差別語でも何でもなく、オーストラリア人がニュージーランド人を「キーウィー」と呼ぶような感覚だろう。
長い間、多くが台湾東部の険しい山岳地域に住んでいたため、 身体は極めて頑強であり、原始的な生活を続けていたせいで、夜目が効き、耳も鼻もよいために敵の動きを遠方から察知し、密林における隠密行動も極めて得意であり、どんな場所でも必ず食糧を見つけ出してくるといった性質があったため、多くの若者が日本陸軍に採用され、過酷なニューギニアのジャングルで戦い、米豪軍を大いに苦しめたのであった。そんな「原始的」であった彼らは、一方で日本統治時代の教育をどんどんと吸収し、自らを「日本人」として認識するようになり、その結果、日本に対する忠誠心は日本兵以上のものがあった、とさえいえる。
今回、拙著『ココダ遥かなる戦いの道』を世に出してくれたハート出版が、本の中の逸話をいくつか拾い上げ、台湾高砂族についての動画を作成したので、以下に転載する。4分ほどだが、なかなかに面白いので是非ご覧頂きたい。
尚、映像内で使用されている「カラーの戦闘シーン」は、私がかつて製作し、本の元にもなったドキュメンタリー映画『ビヨンドココダ』のシーンから取っている。
このブログの読者の皆さんであれば、高砂族のことについてはよくご存知の方も多いと思うが、彼らは台湾の山岳地域に住んでいる「原住民」であり、中国大陸からやって来た人々とは習俗も言葉も違う。本当はいろいろな部族があって、名前も何も違うのであるが、戦前の日本では台湾の原住民すべてをまとめて「高砂族」と呼んでいた。この「高砂」という呼称は決して差別語でも何でもなく、オーストラリア人がニュージーランド人を「キーウィー」と呼ぶような感覚だろう。
長い間、多くが台湾東部の険しい山岳地域に住んでいたため、 身体は極めて頑強であり、原始的な生活を続けていたせいで、夜目が効き、耳も鼻もよいために敵の動きを遠方から察知し、密林における隠密行動も極めて得意であり、どんな場所でも必ず食糧を見つけ出してくるといった性質があったため、多くの若者が日本陸軍に採用され、過酷なニューギニアのジャングルで戦い、米豪軍を大いに苦しめたのであった。そんな「原始的」であった彼らは、一方で日本統治時代の教育をどんどんと吸収し、自らを「日本人」として認識するようになり、その結果、日本に対する忠誠心は日本兵以上のものがあった、とさえいえる。
今回、拙著『ココダ遥かなる戦いの道』を世に出してくれたハート出版が、本の中の逸話をいくつか拾い上げ、台湾高砂族についての動画を作成したので、以下に転載する。4分ほどだが、なかなかに面白いので是非ご覧頂きたい。
尚、映像内で使用されている「カラーの戦闘シーン」は、私がかつて製作し、本の元にもなったドキュメンタリー映画『ビヨンドココダ』のシーンから取っている。