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引用元: https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1737528884/
2: 名無しさん@おーぷん 25/01/22(水) 15:55:02 ID:ha2B
ほんま
3: 名無しさん@おーぷん 25/01/22(水) 15:55:32 ID:6eQE
写真取られてる定期
8: 名無しさん@おーぷん 25/01/22(水) 15:56:16 ID:MeQN
服も可愛い 顔はあれだけど
9: 名無しさん@おーぷん 25/01/22(水) 15:56:18 ID:vTBf
そらこんな女の子にならワイだって人命救助されたいわ
11: 名無しさん@おーぷん 25/01/22(水) 15:56:29 ID:Y8BX
ようやっとる
12: 名無しさん@おーぷん 25/01/22(水) 15:56:31 ID:ha2B
あぁ
13: 名無しさん@おーぷん 25/01/22(水) 15:57:04 ID:7mS9
これ写真撮ってるやつが異常
14: 名無しさん@おーぷん 25/01/22(水) 15:57:20 ID:MBGL
盗撮野郎は謎やが
写真がなかったら嘘松と言われるというジレンマ
19: 名無しさん@おーぷん 25/01/22(水) 15:58:46 ID:7mS9
>>14
写真撮ってるやつと同様に嘘松認定するやつも異常なだけ
救命措置した人と病人だけが健常
25: 名無しさん@おーぷん 25/01/22(水) 15:59:32 ID:MBGL
>>19
だからネットはその異常な陰キャ達だらけで攻撃されるからな
15: 名無しさん@おーぷん 25/01/22(水) 15:57:59 ID:7KE6
まーた弱男負けたのか
16: 名無しさん@おーぷん 25/01/22(水) 15:58:01 ID:6eQE
美人なギャルが漢助けても晒されて顔面侮辱されるの考えたらワイらみたいな気持ち悪い雄はとんでもないかことなるやろな
18: 名無しさん@おーぷん 25/01/22(水) 15:58:19 ID:e2VG
有能すぎ
24: 名無しさん@おーぷん 25/01/22(水) 15:59:31 ID:ep7h
チンコAED盗撮ばら撒き理論を「そんなことする奴おらんやろ」と思ってたけどこりゃ分かんねえな
23: 名無しさん@おーぷん 25/01/22(水) 15:59:24 ID:MNvT
専門職の人が近くにいて良かったで済む話やのにな
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コメント一覧

悪意あるタイミングの写真だけ拡散したら簡単に人を殺せるのは本当にえげつない凶器だわ
「下心の一切ない日本人男性」が助けようとして、「AED救助を利用してセクハラした!」と逆に訴えようとする日本人女とは天と地の差だわ。
待ってるで
でも結局盗撮されてんだから、女の主張も分かるだろ
助ける側が晒されるってなんやねん
な、それで顔が微妙とかそういうこと言われるのクソ過ぎる
スレ米でも顔ガーと言ってる奴おるし
盗撮魔絶滅しろ
今やだから何?としか思わない煽りになっちまった
頑張って女は女を助けろよ
近い将来に教科書にのりそうw
殺人者と同じだと思う
最低な人間
言いたいことは分かるけど幻影と戦ってないか
老人が減らなかっただけだからな
余計なことしやがって
ほんとそう
むしろ高齢化への嫌がらせ
写真は誰が撮ったんだ?同行者?野次馬?
撮影の方に規制かけるようにしないと日本人動けないぞ
ニューハーフどもの罪は重い
その場でなにが起きたか記録を取ってくれる人がいるのは後で問題が起きた時に重要になってくるよ。
それな
>「服も可愛い 顔はあれだけど」
こういう気持ち悪い感想を平気で書けちゃうんだから、女がネットの気色悪い男に憤る気持ちが分かるわ
ほんまこれな
しかもこれ晒した奴男やぞ
妄想ばっかしてんなよクソチー牛
ここでも助けた女の顔がどうこう書いてる奴おるやんけ
お前みたいな弱男が周り回って弱男の首締めてんねん
写真撮って倒れた人を晒すのは晒す奴が悪いだけなのに
お前の認知の問題を転嫁かぁ
テーマと関係ない自分の性欲ベースの話になんでも繋げて他責か
要はバカの振る舞いがバカの反応を誘発して、健常者が被害被るって状況だから、バカを規制するのが早いな
一番最初にAEDのツイートデマ流したの男さんなんだけどね。後からすべて誇張した作り話と謝罪してるけど、後の祭り。
男を見るとどうしても痴漢に見えてしょうがないわ。痴漢どもの罪は重いなぁ?!
っぱ心マ、AEDは女がするべきなんだよ
動いている心臓を一度止めるんだよね
これマメな
散々フェミ豚丼が男叩いている現状見てたらそら無理よ
草津の件とかでアレらが真摯に謝罪とかするならともかく、アレだもの
昭和の井戸端会議で自分の旦那を自虐的にネタにするノリで、そこらの一般人男性叩くんだから
チー牛や弱男だって自虐的にネタとして使われてたのがフェミ豚丼本気の蔑称として使ってるしなぁ
タイ人とかが『安い!安うい!』って日本に来てるんだよな
東南アジア人に女が買われる時代よ
政治屋や官僚は興味ないんだろうけど
2025年1月28日
音楽隊・中部ファーストスターズは堂々の銀賞
今大会では、「The Diamond~原石からの軌跡~」をテーマに演技した。ダイヤモンドが、地球の奥深くで、超高熱・高圧の過酷な環境によって生成され、原石同士で磨き合うことで美しい輝きを放つまでの軌跡を表現。人も同じように、誰もが無限の可能性を秘めており、逆境や試練に立ち向かうことで自身を光り輝かせていけるとの思いを込めた。
海外の大学への進学を目指して勉強に力を入れる女子高等部員や、保育士として多忙な毎日を送る池田華陽会の友など、隊員は学業や仕事、学会活動と両立しながら懸命に練習に励んだ。そうした鍛えの日々の中で心と技を磨き、日本一の栄冠を手にした。
https://www.seikyoonline.com/article/4CC8BEAAE77FB7D7A60935E6E6EF1BF6
2025年1月28日
【グアム】谷川SGI(創価学会インタナショナル)理事長ら訪問団は27日、ハガニア市にあるグアム準州知事公邸を表敬訪問し、ローデス・A・レオン・ゲレロ知事と会見した。
ゲレロ知事は、グアムで発足以降、世界平和へ一貫して行動し続けるSGIの50年の歩みを称賛。平和を求める民衆の団結は、どんな力をも超えると訴え、環境や文化を守り、人間の尊厳を高めていくため、これからもSGIと行動を共にしたいと述べた。
谷川SGI理事長は、世界で分断と対立が深まる中だからこそ、池田先生が示した人間主義の哲学が希求されていると強調。戦禍に苦しんだグアムが“世界一の幸福島”となるよう、手を携えながら平和の道を歩みたいと語った。
https://www.seikyoonline.com/article/9525F10DFF622208C1E718E1EC0195A3
2025年1月28日
欧州SGI各国の新年勤行会が1日を中心に、勢いよく開催された。生命尊厳の時代を目指し、勇気と真心の対話に先駆する友。“飛翔の年”を新たな決意で船出した、スイス、ノルウェー、アイスランド、スウェーデン、フィンランド、デンマークの集いを紹介する。
https://www.seikyoonline.com/article/EC5BD49251E6F4E33E939642156AFC7A
2025年1月28日
学会は“雰囲気”を大切に―戸田先生。
仲良き団結が勝利の要。
先輩が牽引
◇
父親の産後うつは母親と同水準。
時代状況は一変。
育児家庭へ濃やかに配慮
◇
「おいしい食べきり」期間31日まで。
食品ロスは世界的課題。
削減へ行動を
広布旅
師弟不二なり
三世まで
秋草(あきくさ)の大地が続き、ところどころに茂(しげ)る、色づき始めた木々が、風に揺れていた。
一九七七年(昭和五十二年)九月三十日正午過(しょうごす)ぎ、山本伸一(やまもとしんいち)と妻(つま)の峯子(みねこ)は、札幌市豊平区(さっぽろしとよひらく)の札幌創価幼稚園を車で発ち、恩師・戸田城聖(とだじょうせい)の故郷(こきょう)である厚田村(あつたむら)(現在の石狩市(いしかりし)厚田区)をめざしていた。厚田に、師の名を冠(かん)した戸田記念墓地公園(きねんぼちこうえん)が完成(かんせい)し、その式典(しきてん)に出席するためであった。
車に同乗していた、副会長で北海道総合長の田原薫(たはらかおる)が伸一に言った。田原は、学生部長、青年部長等を歴任してきた人物である。
「先生。この辺(あた)りは既(すで)に厚田村(あつたむら)で、近くに望来(もうらい)川があることから、ここは『望来』といいます。流れの遅い、静かな川を意味するアイヌ語の『モライ』が語源(ごげん)で、字(じ)は、希望(きぼう)の『望』に、来(く)るの『来(らい)』と書きます。墓地公園(ぼちこうえん)も、住所は、この望来になります」
「〝希望が来る地〟か。いい地名だね。
仏法(ぶっぽう)というのは、一言(いちごん)すれば、希望の哲学だ。万人(ばんにん)が己心(こしん)に仏(ほとけ)の生命(せいめい)を具(そな)えていると説(と)く仏法には、どんな逆境(ぎゃっきょう)にあろうが、絶望(ぜつぼう)はない。わが〝宿命〟は、この世の〝使命〟であると、確信していくことができる。その確信から、努力が生まれ、人生の勝利への、さまざまな創意工夫(そういくふう)が生まれていく。
私たちの手で、厚田の地を、希望が来る『望来』にしていこうよ。それが、戸田先生を本当の意味で顕彰(けんしょう)していくことになるし、弟子としてのご恩返しにもなる」
田原は、厚田に希望の春を呼ぼうとする伸一の、強い気迫(きはく)を感じた。
(一生成仏抄、384㌻)
〈通解〉 浄土(仏の住む清浄な国土)といい、穢土(けがれた国土)といっても、土に二つの隔てがあるわけではない。ただ、われらの心の善悪によると説かれているのである。
~同志への指針~
自分が変われば環境も変わる。一人の人間革命によって、わが地域、わが社会を浄土に変えていく実践こそ、広宣流布という大民衆運動なのである。
1994.8.30 スピーチより
「勝利を確信せよ、それはもうすぐまぢかに迫っているのだ」
「私は人類が幸福になることを欲した。未来をじっと正視してごらんなさい。それは燦然と光を放っています」
「私は若くして、非常に若くして死んでゆきます。だが、私のうちには永久に死なぬものがあります。それは私の思想です」
″永久に死なぬもの″が胸中にある──私どもにとって、それは仏法であり、信心である。(拍手)
「時計の針はグングン進み、死刑までわずかにあと三時間です」
「私が勇敢に死に突き進みうるのは、私は死ぬのではなく永久に生きるのだということを知っているからです。
私の名前は葬式の鐘の音ではなく、希望の鐘の音としてひびきわたるでしょう」
1994.8.30 スピーチより
「勝利を確信せよ、それはもうすぐまぢかに迫っているのだ」
「私は人類が幸福になることを欲した。未来をじっと正視してごらんなさい。それは燦然と光を放っています」
「私は若くして、非常に若くして死んでゆきます。だが、私のうちには永久に死なぬものがあります。それは私の思想です」
″永久に死なぬもの″が胸中にある──私どもにとって、それは仏法であり、信心である。(拍手)
「時計の針はグングン進み、死刑までわずかにあと三時間です」
「私が勇敢に死に突き進みうるのは、私は死ぬのではなく永久に生きるのだということを知っているからです。
私の名前は葬式の鐘の音ではなく、希望の鐘の音としてひびきわたるでしょう」
死の三時間前に、この確信。このプライド。これくらいの矜持で生きねばならない。青年ならば──。仏法では「方便現涅槃(方便として涅槃<死>を現ず)」と説く。
死して、死せず。生命は永遠である。「永遠の法」に殉じた人生は、「永遠の希望の鐘」となって響き渡る。
「勇気と希望、これこそわれわれのスローガンでした。そしてこれがあなた方のスローガンともなるように」
若き日から、いつも私は言ってきた。「大切なのは、勇気と希望だよ」と。「皆に、勇気と希望を与えるんだ」と。
「もう一度生きても同じ殉難の道を」
「私はもう一度自分自身をかえりみてみた。私の良心は平静である。私がもう一度人生をやりなおすとしても、やはり同じ途をあゆんだであろうということをみんなに伝えてほしい」
もう一度、生きても、再び「死刑への道」を行く、と。何の後悔もない。最高の誉れの人生だ、と。何という立派な信念であろう。皆さまも生きていただきたい。「もう一度、生きるならば、また同じ道を行くだろう」と誇れる人生を。(拍手)
自分は肥やしになる。犠牲になる。青年たちよ、だから自分の分まで、立派に伸びておくれ、立派に戦っておくれ。彼らは、こういう信念に殉じて、誇り高く一生を終わった。嘆きに沈むどころか、大きな「感謝」をもって──。
「おかげで私の生涯が、むだな生涯でなく終われるのだ」
「私は理想もなく死んでゆくもの、またわれわれが持っているような理想にたいするゆるぎない確信をももたずに死んでゆく者を、ただ気の毒に思うだけだ」
短くとも不朽の人生がある。長くとも空しい、″生きながら朽ちていく″人生もある。
法のため、人のために尽くしきった五十年と、人を批判するだけで自分は何もしなかった五十年と。天地雲泥であろう。
我が人生を、「何のため」に生きるか。自分で求め、自分で発見し、自分で決めなければならない。自分で「誇り」をもてるよう生きねばならない。
2025年1月29日
新しい人材が台頭するところ、新しい
時代は開かれる。若きリーダーを立派に
育ててこそ、未来の勝利は決定される。
※2008年5月1日付聖教新聞「随筆 人間世紀の光」を基にしています。
2025年1月29日
アジア各国でSGI(創価学会インタナショナル)発足50周年の本年の飛翔を誓う出発の集いが開かれた。ここでは、シンガポール、タイ、インドネシアの会合を紹介する。
https://www.seikyoonline.com/article/10542781C9DF574F77EE8DEE1248E946
2025年1月29日
「これほどの威容の存在を全く知らずにいた。
東シナ海を望む恩納村の高台に六角形の白いくぼみが八つ並ぶ。
(中略)そばに立つと巨大さに身がすくんだ。
米軍の核巡航ミサイル『メースB』の元発射基地である」
1月3日付の中国新聞に「身近に核の脅威 想像を」との囲み記事が掲載された。
記者は、ミサイルの発射基地から“平和発信の基地”に生まれ変わった沖縄研修道場を訪問。
「今も残る核の痕跡」を目の当たりにし、今こそ「核の傘の下に暮らす全ての人が広島、長崎、そして沖縄の歴史を学び直す時かもしれない」と訴える
だが、池田先生が「永遠に残そう」と提案した。
「『戦争を二度と起こさない』との誓いをこめて」と
沖縄の識者が言っていた。
ベルリンの街を歩いていると、突然、真っ黒な歴史的建造物が現れた。
戦争の愚かさを伝えるシンボルだった。
“日本は、そういうものはきれいに片づけてしまう。
それが不満だった”
目から消えるものは心からも消えやすい。
「沖縄には確かに核兵器があった。
それを自分の目や体で実感できる唯一の施設」とされる沖縄研修道場。
広島、長崎の被爆から80年。
平和の文化を足元から広げたい。(川)
https://www.sokagakkai.jp/.assets/ogp_training-center_okinawa.jpg
2025年1月29日
勇敢な大善人が一人いれば大事を成就―牧口先生
青年よ広布の勇将と先駆
◇
「各もおずることなかれ」御書。
難は正義の証し。
地涌の大道を堂々前進!
(新1939・全1455)
◇
人に会う時、どう相手に奉仕できるかを考えよ―トルストイ。
常に励ましの心で
山本伸一(やまもとしんいち)を乗せた車は、墓地公園内(ぼちこうえんない)にある戸田講堂(とだこうどう)の玄関前に止まった。墓園を運営する職員の代表ら数人が、笑顔で迎えてくれた。
車を降りると伸一は言った。
「厚田(あつた)に、創価の師弟(してい)の故郷(こきょう)ができたね。これから、一緒に新しい歴史を創っていこうよ。君たちこそが、そのパイオニアだ。戦うということは、道を開くことだよ」
伸一の呼びかけに応えるように、メガネをかけた温厚そうな壮年が、微笑を浮かべて語った。
「ご来園、誠(まこと)にありがとうございます!」
墓地公園の所長である伊藤順次(いとうじゅんじ)である。
伸一は、出迎えてくれたメンバーに、じっと視線を注いだ。皆、明るい表情をしていたが、目の下に、うっすらと隈ができていたり、目が充血したりしていた。
睡眠時間を削(けず)りながら、開園の準備に精を出してくれたのであろう。
学会初の墓園である。完成に至るまでのすべての仕事が、試行錯誤(しこうさくご)の連続であったにちがいない。
そう思うと伸一は、皆を、力の限り讃えずにはいられなかった。
最高に荘厳(そうごん)で、最高に優雅(ゆうが)です。これ以上のものは、ほかにありません。創価学会の誇りとなるでしょう。
この墓地公園は、皆さんの汗の結晶です。ありがとう!」
こう言って、深く頭を下げた。
墓地公園の建設に携(たずさ)わった職員たちは、伸一の言葉に、“先生は、自分たちの苦労を、わかってくださっている!”と思った。それだけで、すべての努力が報われた気がして、目頭(めがしら)が熱くなった。
リーダーにとって不可欠(ふかけつ)な要件(ようけん)は、陰(かげ)の労苦を、敏感(びんかん)に感じ取り、時を逃(のが)さず、それを讃えることができるかどうかである。人の苦労がわからぬリーダーは、結果的に、人びとのやる気を削(そ)いでしまうことになる。
山本伸一(やまもとしんいち)は、戸田記念墓地公園の職員の代表に、重ねて言った。
「新しい事業が開始されるということは、そこで働く君たちの一念(いちねん)が、奮闘(ふんとう)が、仕事ぶりが、未来の規範(きはん)となり、伝統(でんとう)となっていく。今のみんなの苦労、努力こそ一切の根本であり、基盤となります。頼むよ」
――「本(もと)を固(かた)くすべし。然(しか)らば事業は己(おの)ずから発展(はってん)すべし」(注)とは、北海道で青春を送った、思想家・内村鑑三(うちむらかんぞう)の言である。
https://www.sokagakkai.jp/memorial-park-01/img/facility/pk01_restroom07.jpg
法華経は初(はじめ)は信ずる様(よう)なれども後(のち)遂(とぐ)る事かたし、譬(たと)へば水の風にうごき花の色の露に移るが如し、何として今までは持(たも)たせ給うぞ是(これ)・偏(ひと)へに前生(ぜんしょう)の功力(くりき)の上(うえ)・釈迦仏の護り給うか、たのもしし・たのもしし
(松野殿女房御返事、1395㌻)
〈通解〉 法華経は初めは信じるようであっても、最後まで貫き通すことは難しい。例えば、水が風によって動き、花の色が露によって変わるようなものです。すべてが移ろいやすいのに、あなたはどうして今まで持(たも)ち続けておられるのでしょうか。これは、ひとえに前生(ぜんしょう)において積まれた功徳の上に、釈迦物が護られているからでしょうか。まことにたのもしいことです。
広布に尽くし抜いてこられた功労者の皆様方の大功徳は、絶対であり、無量である。三世十方の仏菩薩の守護と賞賛は厳然である。
1994.8.30 スピーチより
彼らは、自分たちを敵に売った裏切り者の名前を書き残した。遺された同志は、この裏切り者を、草の根を分けて捜し抜き、捜し出した。つかまえた。
絶対に許さなかった。容赦しなかった。罪科を数え上げ、満天下に公表した。断罪し、たたきのめすまで戦った。
その決心があったからこそ、あそこまで戦えたのである。ナチスを倒せたのである。「最後の勝利」をつかんだのである。なまやさしい気持ちで、極悪の権力に勝てるはずがない。
日興上人も、峻厳であられた。「弟子分帳(弟子分本尊目録)」に、師匠を裏切った人間を、実名を挙げて「背き了ぬ」「背き了ぬ」と、厳然と記し、後世に残されている。
(「但し今は背き了ぬ」「但し聖人(=大聖人)御滅後に背き了ぬ」等と、一人一人、書き連ねておられる)
学会本部に壮年・婦人・青年の代表が厳粛に集い、その時の会長を中心に、宗門の悪侶、学会の反逆者を書き連ね、その罪科を、血涙をもって後世に残したい。永久追放の証としたい。
このことを私は、きょう宣言しておく。(拍手)
レジスタンスの英雄は、みずからの死をもって、全民衆を蘇生させた。
その精神の崇高な炎は、今なお多くの人々の胸に燃えている。
いわんや、妙法の広宣流布は、その何億倍もの人類解放の大事業である。これ以上の人生はない。青春はない。中途半端に生きて、悔いを残しては絶対にならない。こう私は叫んでおきたい。(拍手)
2025年1月30日
勇気がある者には信念がある。
信念がある者は信頼される。
信頼される者には大勢の友がついてくる。
※2008年2月6日のスピーチを基にしています。
2025年1月30日
https://www.seikyoonline.com/article/3D91B0D74B233795FA11688BB619FB48
創価大学(東京・八王子市)で学んだ交換留学生、別科特別履修生等の修了式が29日、創大中央教育棟・ディスカバリーホールで開催され、28カ国・地域105人の俊英が同大学の課程を修了した。
異なる文化や習慣の中で、忍耐強く学び抜いた留学生たち。その一人一人の顔には、次なる使命の舞台への決意がにじむ。
ウクライナ出身のコバレンコ・ダリナさんは、先輩の紹介で創大へ。母国で長期化する戦闘に不安が募り勉強に集中できなかった時も、教授や友人の支えで前に進めた。「創大で学んだ“他者に尽くす心”を抱き、母国の復興のために生きていきます」と力を込めた。
かつて創立者・池田大作先生は留学生の奮闘をたたえ、励ましを送った。“人類の宝である皆さんは、使命が大きいゆえの労苦を誉れとしながら学び抜き、「平和の世紀」「生命尊厳の世紀」を開いていっていただきたい”
2025年1月30日
東京創価小の6年生が参加した「オンライン留学」。楽しく英語を学んだ
語学の翼を広げ、世界へ!――東京創価小学校(小平市、国分寺市)の語学研修が29日、同校で実施され、小学校6年生の児童が「オンライン留学」を体験した。これは教育事業を手がける運営会社が提供するプログラムで、フィリピン在住の講師とオンラインで英会話に挑戦するもの。今回はフィリピンを訪問した様子を疑似体験。入国審査やショッピング等のやりとりを英語で行った。事前に準備した日本の文化を紹介するプレゼンテーションにも挑戦した。
児童からは「海外の人と英語で話せる機会は貴重でした」「日本とフィリピンの文化の違いが学べました」等の感想が寄せられた。
https://www.seikyoonline.com/article/491A90898F25566CCE87EC1C3EE15C87
2025年1月30日
「決意即行動」で新たな歴史を開く、欧州各国とアメリカの新年勤行会が1日を中心に朗らかに行われた。広布の誓いも固く、和楽のスクラムを広げゆく。
●イギリス
●オーストリア
●イタリア
●ポルトガル
●アメリカ
●ギリシャ
https://www.seikyoonline.com/article/EDF080305C2325B031811B20D0CC0E75
2025年1月30日
NHKの連続テレビ小説「おむすび」は、阪神・淡路大震災で被災した人々が立ち上がる姿を描く。
おむすびは震災当時、ボランティアから被災者に数多く届けられたものだった
おむすび”と聞いて、思い浮かべることは人それぞれだろう。
ある人は遠足。
ある人は親の愛情を想起するかもしれない
米粒がどろどろに溶けた「おかゆ」と違い、一つ一つが自立し、周囲と結び付いて全体としても形を保っている。
組織においても、そんな主体性と協調性を並立させられる人が大切だと(『50歳からの勉強法』サンマーク出版)
仏法では「異体同心」の団結を教えるが、主体性は「異体」、協調性は「同心」ともいえよう
この異体同心について、池田先生はつづった。
「外側からの強制によるものではなく、個人の内発的な意志による団結です。だから強い」と。
自分が広布のロマンに燃えて戦い、周囲を励ます。
そこから団結は生まれる。
一人一人が率先の心で立ち上がり、友と心を“むすぶ”対話に打って出よう。(踊)
2025年1月30日
学び、行動し続ける人は永遠に若い―池田先生。
青年の心で挑戦また挑戦
◇
御書「衆罪かえりて功徳となる」。
題目で栄光輝く人生を!
変毒為薬の仏法
(新1745・全1316)
労苦を知らぬ精神は根無し草で実体がない―ドイツ文豪
広布の活動は全て福徳と
◇
思いを聴かれる子ども程生活の質が高い―研究。
同じ目線の励ましは力に
◇
「加湿器肺炎」に注意を。
雑菌の繁殖が因。
小まめに清掃や水の入れ替えを
戸田旅館を後にした伸一たちは、厚田の海岸に向かった。
暗い海に、沖を行く船の明かりが見えた。辺(あた)りには、波の音だけが響いていた。
伸一は、峯子(みねこ)、正弘(まさひろ)と浜辺を歩いた。
「ここだ! ここだよ!」
彼は、こう言って立ち止まった。
「ここで戸田(とだ)先生は、私に、『君は、世界の広宣流布(こうせんるふ)の道を開(ひら)くんだ。構想(こうそう)だけは、ぼくが、つくっておこう。君が、それをすべて実現(じつげん)していくんだよ』と語られたんだ。
私は、その言葉通(どお)りに、世界広布(こうふ)の道を開いた。戦い抜(ぬ)いてきた。そして、SGI(創価学会インタナショナル)も誕生(たんじょう)した。
いよいよ、これからが、本格的(ほんかくてき)な建設(けんせつ)に入る。予想(よそう)もしなかったような、障魔(しょうま)の嵐(あらし)も吹(ふ)き荒(あ)れるだろう。でも、それを乗り越えてこそ、世界広布の本当の朝が来る。
広宣流布を進めるということは、難(なん)を呼(よ)び起こしていくということなんだから。
天も私を捨(す)てるがよい。いかなる難にも遭(あ)おう。身命(しんみょう)をなげうつ覚悟(かくご)である――というのが、大聖人(だいしょうにん)の御覚悟であった。それは、会長就任以来(しゅうにんいらい)の、私の誓(ちか)いでもある」
明(あきら)かなる事・日月(にちがつ)にすぎんや浄(きよ)き事・蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名(なづ)く、日蓮又日月と蓮華との如くなり
(四条金吾女房御書、1109㌻)
〈通解〉 明るいことでは、日月(太陽と月)に過ぎるものがあろうか。浄らかなことでは、蓮華に勝るものがあろうか。法華経は、日月と蓮華のようである。ゆえに、妙法蓮華経と名づけるのである。日蓮もまた、日月と蓮華のようなものである。
「華陽」とは、「日月」(陽)と「蓮華」(華)の両方を包んだ甚深(じんじん)の名前である。どんな逆境をもはね返す妙法の力が備わっている。
女子部の皆さんは一人ももれなく自らの華陽の生命を輝かせて、幸福の勝利者になっていただきたい。
1994.8.30 スピーチより
ともどもに「世界の果てまで大白法を」
昭和二十六年(一九五一年)七月十一日、男子青年部の結成式。激しい雨の日であった。西神田の旧学会本部に約百八十人の青年が集った。
この時、戸田先生は、すでにこう言われていた。
「きょう、ここに集まられた諸君のなかから、必ずや次の創価学会会長が現れるであろう。
必ず、このなかにおられることを、私は信ずるのです。そのかたに、心からお祝いを申しあげておきたいのであります」
十九歳で戸田先生とお会いした時から、私の人生は決まっていた。先生も分かっておられた。
私も分かっていた。これが仏法の不可思議である。
戸田先生は続けられた。
「広宣流布は、私の絶対にやりとげねばならぬ使命であります。
青年部の諸君も、各自がその尊い地位にあることを、よくよく自覚してもらいたいのです。
つねに青年が時代を動かし、新しい時代を創っているのです。
どうか、諸君の手で、この尊い大使命を必ず達成していただきたいのが、私の唯一の念願であります。
われわれの目的は、日本一国を目標とするような小さなものではなく、日蓮大聖人は、朝鮮、中国、遠くインドにとどまることなく、全世界の果てまで、この大白法を伝えよ、との御命令であります」
この言葉の通りに、私は走った。世界に妙法を弘めた。日蓮大聖人が、また戸田先生が、おっしゃった通りに行動している。
これが学会精神の真髄である。他のどこにもない、日蓮大聖人直結の大精神である。(拍手)
「なぜかならば、大聖人様の五字七字は、じつに宇宙に遍満し、宇宙をも動かす大生命哲学であるからであります。
きょうは、この席から、次の会長たるべきかたにご挨拶申しあげ、男子部隊の結成を心からお祝い申しあげる」
戸田先生は、こう語られて深々と頭を下げられた。
上とか下とかではない、師弟の「不二」の姿を示してくださったのである。
戸田先生は、その翌年、「第一回男女合同青年部研究発表会」(昭和二十七年二月十七日)の折にも、「地球民族主義」の理念を発表された後、こう言われた。
「三代会長は、青年部に渡す。牧口門下には渡しません。何故かといえば、老人だからです。
譲る会長は一人でありますが、そのときに分裂があってはなりませんぞ。今の牧口門下が私を支えるように、三代会長を戸田門下が支えていきなさい」(『戸田城聖全集』第三巻)
戸田先生の遺言である。
「私は戸田先生の弟子である」と言いながら、この厳然たる遺言に背いた人間もいる。彼らは、真っ向から、師を裏切ったのである。
「私は広宣流布のために、身を捨てます。
その屍が、品川の沖に、またどこにさらされようとも、三代会長を支えていくならば、絶対に広宣流布はできます」(同前)
その通りだったことは世界が知っている。(拍手)
私は、これからも今までの何倍も行動する決心である。(拍手)
2025年1月31日
人生の正念場に際して、「思い切る」
勇気が勝利を開く。「師匠と共に!」との
共戦の中に、無窮の力がみなぎるのです。
※『わが「共戦の友」 各部の皆さんに贈る』を基にしています。
2025年1月31日
学会のYouTube公式チャンネルに、創価学会とSGI(創価学会インタナショナル)による平和活動をまとめた動画「Action for Peace 平和への行動 2024」が追加された。
若者・市民団体と共にSGIユースも参画した「未来アクションフェス」をはじめ、被爆体験の継承運動、環境展示「希望と行動の種子」など、2024年の主な取り組みを紹介している。
動画はこちらから
https://youtu.be/sFInOPZpQ1A
2025年1月31日
学会ほど真剣に平和へ努力する団体はない―アメリカ識者
共生の連帯広げる使命大
◇
「色心の二法を妙法と開悟するを、『歓喜踊躍』」。
題目は希望と勝利の源泉
(新1006・全722)
信心とは不屈の負けじ魂
◇
地域への貢献活動は幸福度を向上させる―研究。
郷土に尽くす地域部は鑑
◇
苦しむ現役世代を最も支えてきたのは公明―教授
生活者の声に断固応えよ
■ 三車火宅の譬え
遠藤: 譬喩品は、舎利弗の深い歓喜の言葉から始まります。方便品の開三顕一の説法を聞いて領解した歓喜です。
舎利苑は、その喜びを全身で表現しています。
「爾の時に舎利苑、踊躍歓喜して、即ち起ちて合掌し」(法華経p193)と。舎利弗は躍りあがって喜び、起って合掌したのです。大聖人は「色心の二法を妙法と開悟するを歓喜踊躍と説くなり」(御書p722)と仰せになっています。「歓喜踊躍」とは、我が「色法」も、我が「心法」も、ともに「妙法」と一体であると悟った喜びなのです。
斉藤: しかし、他の弟子たちは、まだわかっていません。そこで舎利弗は、他の弟子たちのために、「未だかつて聞いたことのない法」のいわれを説いてくださいと釈尊にお願いします。それに応えて説かれたのが「三車火宅の譬え」です。
名誉会長: 譬喩品のみならず、法華経全体からいっても、譬喩は重要な意味をもっている。
方便品に「諸法寂滅の相は 言を以って宣ぶべからず」(法華経p188)とあるように、仏の悟った甚深の法は、もとより言葉によっては表現しがたいものです。かといって、仏の悟りの法が仏の胸中にのみとどまっていれば、衆生の成仏の道を閉ざすことになってしまう。
仏が譬喩を駆使して語るのは、まさに衆生の心に仏道を開示せんがためです。
須田: それでは、三車火宅の譬喩を、あらまし紹介したいと思います。
—- ある町に年を取った一人の大長者がいました。長者の家は大邸宅でしたが、古くて、建物は傾き、ボロボロの状態でした。
その古い大きな家に突然、火事が起こり、たちまち家屋敷全体が火に包まれてしまう。
家の中には、長者のたくさんの子どもたちがいました。
しかし、遊びに夢中になっている子どもたちは、そのことに誰も気づかないし、気づこうともしない。
「三界は安きことなし猶火宅の如し」(法華経p233)とあるように、焼けている家(火宅)は、煩悩の炎に包まれた現実の世界(三界)を譬えています。その描写がすごい。
遠藤: 毒虫、蛇、鼠、狐狼、夜叉、悪鬼、魑魅魍魎(ちみもうりょう)、そして突然、あがる火の手。まるで現代のホラー映画を見ているように、これでもかこれでもかと、おどろおどろしい光景の連続です。そして、場面は一転して、無邪気に遊ぶ子どもたちの姿が現れる。
名誉会長: 優れた映画の見事なカメラワークを見ているようだね。
「人生は火宅の如し」。一日一日を、何も考えず享楽的に生きる人生の危険を、強烈なイメージで焼き付けることに成功している。
法華経は、人生の苦しみを非常にリアルにとらえている経典です。そこに法華経が文学的にも高く評価されてきた一つの理由があると思う。魯迅も火宅の炎を素材に「死火」という文章を書いている。
名誉会長: それもあるだろう。しかし、その心は「慈悲」です。衆生を何とか救おうという「救済の心」であり、衆生の苦悩に対する「同苦の心」です。
遠藤: 三車火宅の譬えの後半は、その救済の物語です。
長者は火宅に飛び込み、子どもたちに早く家から出るように告げます。しかし、遊びに夢中になっている子どもたちは、火事だということがわからない、焼け死ぬということがどういうことなのかもわからず、ただ家の中を走り回っています。
そこで長者は、一計を案じて、子どもたちに「お前たちが欲しがっていた羊の車、鹿の車、牛の車が門の外にあるよ。早く家から出なさい。好きな車をあげるから」と呼びかけます。すると子どもたちは、喜び勇んで争うようにして燃えさかる家から走り出る。こうして子どもたちは救われました。
遠藤: 言うまでもなく、「長者」は仏、「子どもたち」は一切衆生です。
子どもたちが火宅で遊んでいるのは、衆生が苦悩の世界にいながら、そのことに気づかず、やがて苦しみの炎に焼かれてしまうことを表しています。
羊車、鹿車、牛車で、子どもたちの気を引きつけたのは、仏が衆生を救うために、衆生機根に合わせて、三乗(声間・縁覚・菩薩のための教え)を説くことです。
大百牛車を与えたのは、仏の真意は三乗ではなく一仏乗(仏になるための唯一の教え)であると明かすこと、すなわち「開三顕一」です。
山本伸一(やまもとしんいち)は、凛(りん)とした声で話を続けた。
「本日は、『破信堕悪御書(はしんだあくごしょ)』の一節(いっせつ)を拝(はい)したいと思います。
『釈迦仏(しゃかぶつ)は三十二相(そう)そな(具)わって身(み)は金色(こんじき)・面(おもて)は満月(まんげつ)のごとし、しかれども或(あるい)は悪人(あくにん)はすみ(炭)とみ(見)る・或は悪人ははい(灰)とみる・或は悪人はかたき(敵)とみる』(御書一三○三㌻)
この釈迦仏とは、三十二相といわれる仏(ほとけ)としての優(すぐ)れた身体的特質(しんたいてきとくしつ)を備(そな)えた、インド応誕(おうたん)の釈尊(しゃくそん)であります。釈尊は、仏として人びとから最高(さいこう)の尊敬(そんけい)を受けておりました。それでも、心の曲がった悪人は、金色(こんじき)に輝(かがや)く仏を、炭(すみ)と見たり、灰(はい)と見たり、敵(かたき)と見てしまうとの意味であります。
その釈尊に対して、御本仏(ごほんぶつ)・日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、凡夫(ぼんぷ)の姿(すがた)で、悪世末法(あくせまっぽう)に出現(しゅつげん)された。したがって、大聖人(だいしょうにん)が数々の大難(だいなん)に遭(あ)われたのは、当然(とうぜん)と言えましょう。
ゆえに、牧口(まきぐち)先生、戸田(とだ)先生は投獄(とうごく)され、牧口先生は命(いのち)をも奪(うば)われました。私の人生も相次(あいつ)ぐ迫害(はくがい)の連続(れんぞく)でした。御書(ごしょ)に照(て)らして、当然、これからも、わが学会には、激(はげ)しい北風の突風(とっぷう)が吹くでありましょう。
しかし、絶対(ぜったい)に負けてはならない。絶対に屈(くっ)してはならない。北海道(ほっかいどう)の同志(どうし)の皆(みな)さんは、『覚悟(かくご)』を定(さだ)め、この学会の新しき原点の地から、凛々(りり)しく出発し、北海道広布(こうふ)のため、自身の一生成仏(いっしょうじょうぶつ)のために戦い抜いてください。そして、また、ここに帰り、三世永遠(さんぜえいえん)に、勇猛果敢(ゆうもうかかん)なる広布旅を続けようではありませんか!」
「覚悟」とは、本来(ほんらい)、迷(まよ)いを去り、道理(どうり)を悟(さと)ることだ。正法正義(しょうほうしょうぎ)の大道(だいどう)に大難あり――その道理を悟ることが、覚悟の信仰(しんこう)なのだ。
日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか、娑婆世界の中には日本国・日本国の中には相模の国・相模の国の中には片瀬・片瀬の中には竜口(たつのくち)に日蓮が命を・とどめをく事は法華経の御故(おんゆえ)なれば寂光土ともいうべきか
(四条金吾殿御消息、1113㌻)
〈通解〉 日蓮が難にあう所ごとに仏土となるであろう。娑婆世界の中では日本国、日本国の中では相模の国(神奈川県)、相模の国の中では片瀬、片瀬の中では竜の口に、日蓮の命をとどめおくことは、法華経の故であるから、その地は寂光土ともいうべきであろう。
日蓮大聖人の仰せのまま、最も尊き仏法のため、労苦を惜しまず、我らは戦う! わが使命の地域も必ず寂光土になる。勝利の旗を打ち立てるのだ!
2025年2月1日
「伝統の二月」から、創価の春へ!
一日一日を勝ち進もう! 友情を結ぼう!
勇気凜々、師弟桜の道を開きゆくのだ!
※2016年2月4日付聖教新聞「随筆 永遠なれ創価の大城」を基にしています。
2025年2月1日
https://www.seikyoonline.com/article/69D5C2C8FE39280E525F8AE0A2C5E125
キューバ共和国の英雄ホセ・マルティの思想の現代的意義を論じ合う第6回「世界の均衡のための国際会議」が、1月28日から31日まで(現地時間)、首都ハバナのコンベンションパレス(国際会議場)で開催された(詳報は後日掲載)。
これには、同国のミゲル・ディアス・カネル大統領をはじめ、中南米を中心とした各国・各界の識者や研究者らとともに、創価学会の代表が出席。29日午後には、学会本部国際渉外局の長岡局長が同会議場内でディアス・カネル大統領と会見した。
そして、今回の会議への参加に対する感謝を述べ、開会式で長岡局長から紹介された、キューバへの真心あふれる池田先生の言葉は、学会と同国の“信条の共鳴”を示していると語った。
長岡局長は、大統領の理解に心からの謝意を表すとともに池田先生の40回にわたる平和提言などを紹介しつつ、本年1月に発表されたSGIの声明「世界平和の創出へ核使用の防止を」を手渡した。
2025年2月1日
創価学会の新しいテレビCMが完成し、今月から放送が始まる。
「海の豊かさを守ろう」篇で、SDGs(持続可能な開発目標)推進の一環でプラスチックの再利用を促すため、インド創価学会のプラスチック回収運動を紹介。テレビ東京とBSテレビ東京の「全力イノベーターズ」のほか各地で順次放送される。
学会のYouTube公式チャンネルからも視聴可能。
https://youtu.be/06IDeNaRc_w
2025年2月1日
フィリピンSGIの青年部の集いが1月12日、マニラ国際平和会館、セブ会館をはじめ5会場でにぎやかに開催された。
研修会で日本を訪れていたフィグラシオン青年部長がビデオメッセージで、2030年までに1万世帯の弘教を達成するため、池田門下の誇りを胸に対話拡大に挑もうと訴えた。
https://www.seikyoonline.com/article/6A84038C3504CEBC2651A12002D9CA1B
2025年2月1日
冬は星空の観察に適した季節である。
大気中の水蒸気量が少ないので透明度が高く、日没も早いからだ。
地域差や個人差はあるが、15分ほど空を見上げると目が暗さに慣れ、星がよく見えるという
私たちの目に映る無数の星々。
その光は同じ時に地上に届いているが、地球までの距離はそれぞれ違うゆえ、いつの光かは異なる。
例えば、冬の大三角を形づくるシリウスは約8年半前、プロキオンは11年前、ベテルギウスは500年前に、それぞれが放った光を今、私たちは見ている
「尊き同志の一人ひとりの人間革命の実証もまた、勝利の星となって、末法万年尽未来際の彼方まで、希望と勇気の大光を届けゆくに違いない」と
1カ月間で支部201世帯という拡大の金字塔を打ち立てた「二月闘争」。
当時、先生は弘教に奔走する合間に、同志と夜空を見上げて、妙法流布のロマンを語り合った。
若き先生の大いなる境涯に触れ、友の心も喜びに躍った
さあ、伝統の2月の開幕だ。
我らも星空を仰ぎながら、広々とした心で広布拡大に進もう。
私たちの情熱と行動が、人々を照らす希望の光と輝くことを確信して。(聖)
2025年2月1日
戸田先生「指導とは激励なり」。
幹部は友の健闘称え心を軽くする指揮を
◇
核禁条約の会議へ政府の参加求める署名広がる。
核廃絶の声を今こそ結集
一人立つ広宣流布(こうせんるふ)の勇者(ゆうしゃ)がいれば、魂(たましい)の炎(ほのお)は、一人、また一人と燃(も)え広がり、赤々(あかあか)と暗夜(あんや)を照らし出す。一人立て! すべては一人から、自分自身から始まるのだ。
「自身の周囲(しゅうい)を照らし燃やすためには、まず自身が燃えなければならない」とは、ロシアの文豪(ぶんごう)トルストイの叫(さけ)びである。
伊藤順次(いとうじゅんじ)、地元(じもと)の山内悦郎(やまうちえつろう)らの奮闘(ふんとう)で、厚田広布(あつたこうふ)は、目覚(めざ)ましい伸展(しんてん)を遂(と)げていった。
一九五八年(昭和三十三年)三月、小樽支部(おたるしぶ)の支部長になっていた伊藤は、創価学会が建立寄進(こんりゅうきしん)を推進(すいしん)した総本山大石寺(そうほんざんたいせきじ)の大講堂落慶記念(だいこうどうらっけいきねん)の総登山(そうとざん)に参加した。彼は、その折、理境坊(りきょうぼう)にいる戸田城聖(とだじょうせい)を訪(たず)ねた。
既(すで)に戸田の体は著(いちじる)しく衰弱(すいじゃく)し、布団(ふとん)に身を横たえることが多くなっていた。それでも、戸田は、伊藤を部屋(へや)に上げ、小樽の近況(きんきょう)に耳を傾(かたむ)け、声を振(ふ)り絞(しぼ)るようにして語った。
それから、伊藤(いとう)の顔を、じっと見つめた。
「伊藤君。人生には、いろいろなことがある。また、創価学会のなかでも、さまざまなことがあるだろう。いやなこと、辛(つら)いこと、悲しいこともあるにちがいない。むしろ、人生は、その連続だろう。考えもしなかった大難(だいなん)だって起こるよ。仏道修行(ぶつどうしゅぎょう)というのは、瞬間(しゅんかん)、瞬間、魔(ま)との戦いなんだよ。
でも、何があっても紛動(ふんどう)されることなく、信心(しんじん)から、学会から、絶対(ぜったい)に離(はな)れてはいけないよ。学会から離れていけば、待っているのは、後悔(こうかい)だ。後(あと)になって、幾(いく)ら悔(く)やんでも、悔やみ切れるものではない。仏法(ぶっぽう)の世界は、厳(きび)しいものだ。だが、信心を全(まっと)うし抜(ぬ)いていけば、最後(さいご)は必(かなら)ず勝つ。いろいろなことがあっても、幸福と言い切れる境涯(きょうがい)になるよ。
組織(そしき)の中心幹部(かんぶ)が強い求道(きゅうどう)の心をもち、成長(せいちょう)し続けてこそ、後輩も成長していくし、組織も発展していくことができる。ゆえに、幹部自身が信心(しんじん)の啓発(けいはつ)を受けていくための、依処(えしょ)となる〝人〟の存在(そんざい)が大切になる。その依処の根本(こんぽん)となるのが〝師(し)〟である。
戸田城聖(とだじょうせい)は、伊藤順次(いとうじゅんじ)に語った。
「君は、山本伸一(やまもとしんいち)に、しっかり、ついていきなさい。絶対(ぜったい)に離れないことだ。そうすれば、最高の一生を送れるよ。私の心を本当に知っているのは伸一だ」
伊藤は、戸田が、なぜ、〝自分についてこい〟ではなく、〝伸一についていけ〟と言うのか、わからなかった。
しかし彼は、すぐに、未来のことを熟慮(じゅくりょ)したうえでの、発言であることに気づいた。戸田の伸一に対する全幅(ぜんぷく)の信頼を感じた。二人の、強い師弟(してい)の絆(きずな)を見た思いがした。
一度(ひとたび)妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔・法王・日月(にちがつ)・衆星(しゅせい)・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一声に喚(よ)び顕し奉る功徳・無量無辺なり
(法華初心成仏抄、557㌻)
〈通解〉 ひとたび妙法蓮華経と唱えれば、あらゆる仏、あらゆる法、あらゆる菩薩、あらゆる声聞、あらゆる梵天・帝釈天・閻魔法王・日天・月天・星々・天神・地神、さらに地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天界の、あらゆる衆生の心中の仏性を、ただ一声に呼びあらわすのであって、その功徳は無量無辺である。
題目を唱え抜きながら前進だ!
我らの広宣流布の戦いは、ありとあらゆる衆生の仏性を呼び覚ましゆく善の大闘争である。
────────────────────────────────────────
譬喩品から
「我は為(こ)れ衆生の父なり。応に其の苦難を抜き、無量無辺の仏智慧の楽を与え、其れをして遊戯せしむべし」(法華経p216)
私は衆生の父である。彼等の苦難を抜き、無量無辺の仏の智慧の楽しみを与えて、人生を自在に遊戯できる境涯にしてあげよう。
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名誉会長: 一仏乗を表す「大白牛車」も、実に壮麗に描かれているね。これ自体、何とかして仏の境涯を伝えようとする譬喩となっている。
斉藤: はい。経文には「七宝の大車」(法華経p213)とあります。長者は、蔵にたくさんの宝をもっていて、そこから取り出した金・銀・瑠璃・瑪瑙などの七宝で作られた車が「大白牛車」です。その車に取り付けられた欄干の四方には、鈴が金の縄でくくりつなぎあわせられています。さらにそのうえには真珠の網が張りめぐらされています。
須田: 車を曳く白牛も見事です。清らかな皮膚をして、歩く時には、平らにまっすぐ歩き、走る時は疾風のように走ります。この宝の車に乗って、子どもたちは自由自在に楽しんだと説かれています。
名誉会長: まさに仏の境涯です。三車を与えるという方便で火宅から救ったのは“抜苦”です。大白牛車を与えたのは“与楽”です。仏の智慧という最高の安楽の境涯を与えたのです。(本文p13、とp15 の譬喩品の文を参照)。
「大白牛車」とは、いかなる険難の峰も自在に走り回り、遮るものはないという仏の大境涯を譬えられている。大聖人も、「法性の空に自在にとびゆく車をこそ・大白牛車とは申すなれ」(大百牛車御消息p1584)と明快に仰せになっている。
この御書の中で大聖人は、鳩摩羅什の漢訳では大白牛車の様子が略されているとしたうえで、ご自身がご覧になった梵語の法華経を参照し、壮大な大白牛車を描かれている。
譬喩品から
今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり 而も今此の処は 諸の患難(げんなん)多し 唯我れ一人のみ 能く救護を為す (法華経p233)
今、この三界はすべて私の所有するところである。その中にいる衆生は、ことごとく私の子である。しかも今、この三界には諸々の苦悩が多く、私一人のみが、彼等を救い護ることができる。
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遠藤: はい。縦・横・高さがそれぞれ五百由句という壮大さで描かれています。これは、見宝塔品で説かれる宝塔よりも大きいわけです。高さは同じですが、縦・横は宝塔の二倍ありますから。
須田: 大聖人が基にされた梵語の法華経は、今日に伝わる梵文とは違うようですが、御書によりますと、銀をもって磨きあげられた階段が三十七段もあり、八万四千の宝の鈴が車の四面にかけられ、四万二千の欄干には四天王が番人を務め、車の中には六万九千三百八十余体の仏・菩薩が蓮華座に座っているとあります。
斉藤: 「六万九千三百八十余」とあるのは、法華経の文字数と同じです。
開目抄には「此の経一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四字・一一に皆妙の一字を備えて三十二相・八十種好の仏陀なり」(御書p209)と仰せです。法華経の文字は、一文字一文字が仏であり、これだけの数の仏が、車の中に厳然といらっしゃるということになります。
名誉会長: 大白牛車とは法華経そのものです。その実体は、仏の妙なる生命です。南無妙法蓮華経の大生命そのものです。
ゆえに大聖人は「抑(そもそも)法華経の大白牛車と申すは我も人も法華経の行者の乗るべき車にて候なり」(大白牛車御消息p1584)と断言しておられる。
名誉会長: その通りです。愚痴と無明に覆われた衆生は、自らの住む家が火宅となって燃え盛っていることに気づかないばかりか、自身の命に仏の生命が具わることにも、まったく気づいていない。その内なる「燦爛(さんらん)と輝く生命」を譬えによって教えているのです。
2025年2月2日
人生は決めた通りに自在に変えていける。
「どうせ」という言葉を捨てよう。
「無理だ」という言葉も捨てよう。
※『希望の世紀へ 教育の光』を基にしています。
2025年2月2日
https://www.seikyoonline.com/article/A888124C828B4631739D5CC18A9615AA
ロシア・モスクワ大学の創立270周年記念式典が1月25日、モスクワ中心部のクレムリン宮殿で行われ、創価大学から玉井副学長(同大学ロシアセンター長)ら代表が出席した。モスクワ大学のヴィクトル・サドーヴニチィ総長から招請を受けたもの。
45カ国からの来賓が参加した式典では、同大学の歴史が紹介され、記念演奏などが行われた。
式典終了後の懇談でサドーヴニチィ総長は「1992年に総長に就任して以来、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長と幾度もお会いし、対談集を発刊できたことが私の誇りです」「創価大学との交流を大切に思っています」と述べた。
ホフロフ教授は「池田会長が1974年にモスクワを初訪問した際に出迎えたのが、当時、モスクワ大学総長だった私の父でした。私も池田会長に何度もお会いしました。両大学の交流が50年以上続いていることを本当にうれしく思います」と語った。
2025年2月2日
第35回「創価芸術展――創価一貫教育の光彩」が、今月8日に東京・新宿区の創価文化センターで開幕する(同24日まで)。
創芸展は、幼稚園から大学まで、創価教育に学ぶ子どもたちや学生の作品を展示する。1990年に創立者・池田先生の提案でスタートし、これまで全国各地を巡回。海外でも開催されてきた。
35回目となる今回の創芸展は、昨年10月に創価大学で始まり、香川、滋賀を巡った。国内外の創価の学びやから寄せられた書や絵画、写真などの力作を紹介している。
オンライン展は28日まで開催中
また、第35回「創価芸術展」のオンライン展が開催されている(今月28日まで)。
オンライン展はこちら
https://sites.google.com/coresept.co.jp/sogeiten2024/
2025年2月2日 動画あり
https://www.seikyoonline.com/article/871258DE9DBE9E70793CA672B419D814
SGI発足50周年の佳節を祝う行事が、源流の地・アメリカのグアムで1月25日(ラッテ平和祭)、26日(記念の集い)と盛大に行われ、谷川SGI理事長ら訪問団とアメリカSGIの代表が参加した。ここでは50周年記念の大会の模様を紹介する。
次の50年へと出発したこの日の太陽は、さらなる“演出”で「1・26」を寿いだ。
同7時頃、グアムの海上に、鮮やかな虹がきれいな弧を描いた。
50年前の早朝、池田先生は同じ海を見つめつつ、胸中の恩師・戸田先生に語りかけた。
「広宣流布は、先生の世界平和の叫びは、全世界に広がりました」「いよいよ世界に飛翔します」と。
グアムに到着した翌日も、分刻みの間隙を縫って同志を激励する池田先生(1975年1月25日)。1月6日の米ロサンゼルスから始まった平和旅は、超過密スケジュールに長距離の移動、寒暖差の中で展開された
50年前、SGIが発足した第1回「世界平和会議」の席上、池田先生は語った。
「私は、ある時は同志の諸君の先頭にも立ち、ある時は側面から、ある時は陰で見守りながら、全精魂を込めて応援していくでありましょう」
人類の宿命転換を果たすため、勇気の行進を続ける創価の友の胸中には、「永遠のSGI会長」である池田先生が生き続けている。
2025年2月2日
ある女性部員には宝物がある。
手のひらサイズの題目帳だ。
開くと、日付と唱題の数がびっしり。
小学3年の時から付け始めた
約50年間で多くの項目を祈ったが、結果がすぐに出なかったものもある。
それでも友への弘教や経済苦の克服などを実現する中、「かなう、かなわない以上に大切なこと」に気付いたという。
それは「あきらめない自分になれたこと」。
祈り続ける日々の中に彼女の勝利があった
「核兵器の廃絶に向けた署名運動にどんな意義がありますか?」。
講師は答えた。
「署名の内容が実現する、しない以上に大切な意義があります。
それは声を上げ続けること。
実現するまで行動し抜くことです」
かつて池田先生はつづった。
「平和の建設は、『あきらめ』と『希望』の競争である。『無力感』と『執念』の競争である。あきらめの無力感が蔓延すれば、それに比例して“力に頼る風潮”は増大してしまう。それこそが問題なのだ」
今、世界の情勢は混沌とし、核兵器使用の危険性は、冷戦後で最も高まっているといわれる。
その中で求められているのは“それでも廃絶をあきらめない”という強い意志と執念の行動である。(誌)
2025年2月2日
一番苦労している最前線の友を励ませ―戸田先生
希望と確信を送る名将に
◇
「強敵を伏して始めて力士をしる」御聖訓。
青年は鍛えの道を朗らかに前進
(新1285・全957)
今日を勝つ!
強き祈りで出発
◇
運転中のスマホ使用で事故リスクは3・8倍増―警察庁。
気の緩み排して
◇
サイバー防御月間。
暗号使い回さず、偽メール等に注意を。
一人で悩まず
戸田(とだ)は、念(ねん)を押(お)すように重ねて言った。
「いろいろな幹部(かんぶ)がいて、いろいろなことを言うかもしれないが、ついていくのは伸一だ。伸一がわかっていればいいとの思いで、進んでいきなさい」
伊藤(いとう)は、戸田の言葉を遺言(ゆいごん)の思いで聴(き)き、目を潤(うる)ませながら元気な声で応えた。
「はい。わかりました! 山本室長(しつちょう)に、生涯(しょうがい)、つき切ってまいります!」
戸田の顔がほころんだ。
「これで小樽(おたる)も、厚田(あつた)も大丈夫だな……」
その二年後の一九六〇年(昭和三十五年)五月三日、伸一は第三代会長に就任する。
その時、伊藤は思った。
〝戸田先生は、既(すで)にあの時、こうなることを確信(かくしん)され、私に指導(しどう)してくださったんだ〟
戸田の言葉を深く胸に刻み、伊藤は、伸一と共に立った。そして、七〇年(同四十五年)十月には、北海道長(ほっかいどうちょう)となった。北の大地の隅々(すみずみ)にまで、創価の師弟の精神を脈打(みゃくう)たせようと、全力で奮闘(ふんとう)した。
東京で入院(にゅういん)した伊藤順次(いとうじゅんじ)は、医師から「胃潰瘍(いかいよう)と十二指腸(じゅうにしちょう)潰瘍を併発(へいはつ)しています」と告(つ)げられた。彼は、病室(びょうしつ)で、〝一生懸命(いっしょうけんめい)に信心(しんじん)に励(はげ)んできた自分が、なんでこんなことになるのだ!〟と思った。
そこに、副会長の森川一正(もりかわかずまさ)が、山本伸一(やまもとしんいち)からの見舞(みま)いの花を持って病室を訪れた。
「伊藤さん。先生は、『長年の疲れがたまっているのだから、ゆっくり静養(せいよう)し、元気になってください』と言われていました。
また、仏法(ぶっぽう)では、病(やまい)の起こる六つの原因(げんいん)を明かしていますが、『伊藤さんの場合、北海道長(ほっかいどうちょう)として懸命に戦い、北海道の広宣流布(こうせんるふ)を大きく前進させてきたから、魔(ま)が競(きそ)い起こったのだ。魔の所為(しょい)です』とおっしゃっていました。
〝最愛(さいあい)の同志(どうし)を、魔の餌食(えじき)になどするものか! 絶対に死なせるものか!〟という、気迫(きはく)にあふれた、懸命(けんめい)な題目です」
それを聞くと、伊藤(いとう)は、伸一へのありがたさ、申し訳なさと、自(みずか)らのふがいなさで、涙が止まらなかった。
数日後、手術が行われた。しかし、術後(じゅつご)の経過(けいか)は、決して好(この)ましくなかった。
病室(びょうしつ)には、何度(なんど)となく学会の最高幹部(さいこうかんぶ)が、伸一から伝言(でんごん)を預かって訪ねて来た。
ある時の伝言には、こうあった。
「早く元気になって、北海道の同志を、共に激励(げきれい)して歩こうよ。みんなが、あなたを待っているよ」
伊藤は、目が覚めた思いがした。
その瞬間(しゅんかん)、全身(ぜんしん)に力がみなぎるのを覚えた。広宣流布の使命に生き抜(ぬ)こうとする一念(いちねん)に、地涌(じゆ)の菩薩(ぼさつ)の、仏(ほとけ)の、大生命(だいせいめい)が脈打(みゃくう)つのだ。
伊藤順次(いとうじゅんじ)は、日を追って、健康を回復(かいふく)していった。二カ月後、彼は病院を出た。
退院(たいいん)に際(さい)して山本伸一(やまもとしんいち)は、「おめでとう! 本当に嬉しい。鉄のような頑健(がんけん)な体になってください」との伝言とともに、鉄製(てっせい)の花瓶(かびん)を贈った。伊藤は、伸一の真心(まごころ)に泣いた。
その後、彼は北海道(ほっかいどう)の指導長(しどうちょう)となった。未来のために、若い人材(じんざい)を登用(とうよう)することが、この人事(じんじ)の目的であったが、同時に、伊藤にあまり負担をかけないようにしたいという伸一の配慮(はいりょ)もあった。
やがて伊藤は、完全に健康を取り戻した。
一方(いっぽう)、伸一は、その構想(こうそう)が具体化(ぐたいか)した段階(だんかい)から、伊藤こそが墓地公園の責任者にふさわしいと考え、彼を所長に推薦(すいせん)したのである。
伸一の期待に応えようと、伊藤は、懸命(けんめい)に準備にあたり、開園を迎えたのである。
山本伸一は、祝賀(しゅくが)の集(つど)いで、伊藤と握手を交わしながら語った。
「あなたは、学会最初の墓地公園の、初代の所長です。頑張ったこと、苦労したことが、すべて歴史になります。それが開拓者(かいたくしゃ)の戦いなんです。よろしくお願いします」
「はい!」
伸一の手を握る伊藤の手に力がこもった。
つるぎなんども・すすまざる人のためには用(もちい)る事なし、法華経の剣(つるぎ)は信心のけなげなる人こそ用る事なれ 鬼に・かなぼう(鉄棒)たるべし
(経王殿御返事、1124㌻)
〈通解〉 剣なども、進まない人のためには何の役にも立たない。法華経という剣は、信心の強い、勇気ある人が用いてこそ役に立つのであり、これこそ「鬼に金棒」なのである。
~同志への指針~
勇気ある信心にこそ、無敵の妙法の力が現れる。強盛なる祈りと、不撓不屈の「負けじ魂」で、断じて勝利を開きゆけ!
斉藤: この三車火宅の譬えをはじめとする七譬のほかにも、法華経には、実に多くの譬喩があります。
ざっと挙げてみるだけでも、授記品(第六章)の大王膳の譬え、化城喩品(第七章)の三千塵点劫の譬え、法師品(第十章)の高原で水を掘り出す譬え、寿量品(第十六章)の五百塵点劫の譬え、薬王品(第二十三章)の十喩、妙荘厳王品(第二十七草)の一眼の亀の譬え等々、枚挙に暇がありません。
法華経がなぜ、これほど譬喩に富んでいるのか。それは、インド人の思惟方法にも関係がありそうですが、それ以上に、法華経が「民衆に呼びかける経典」であるからだと思います。
須田: 事実、こうした法華経の卓越した譬喩は、時代や国を超え、多くの人々を魅了してきました。
中国の民衆の問でも、法華経信仰が広がるなかで、法華経を礼讃した感応伝や法華経信奉者の伝を集めた民衆文学(弘賛法華伝や法華伝記)、法華経に基づく説話文学などが発達しました。この背景に、法華経の譬喩のもつわかりやすさや啓発力があったことは容易に想像できます。
中村元博士は、そうしたことを断定はできないが、「西洋における愛の宗教が東洋の慈悲の理想の影響を受けて成立したということは、可能である」(「インドとギリシアとの思想の交流」)と述べています。
斉藤: 日本においても、多くの仏典の中で、法華経ほど文学の題材として取り上げられたものはありません。日本に仏教が渡来して、しばらくして、奈良時代になると、知識階級を中心に仏教を取り上げた歌が詠まれるようになりましたが、法華経はあまり題材として取り上げられていないようです。
しかし、その一方では、民衆の間で法華経を取り上げた文学作品が生まれています。善悪さまざまな報いを受けた人々の体験を集めた『日本霊異記』という仏教説話集には、他の経典よりも法華経から圧倒的に多くの話題がとられています。
須田: 平安時代に入り、伝教大師が法華経を根本とした日本天台宗を創設したころから、法華経は、中央の知識階級も含め、文学世界でも経典の王座を占めるようになりました。貴族社会でも、法華経の講会が盛んに行われ、法華経は一般教養として欠かせないものとなりました。
名誉会長: 清少納言の『枕草子』では、法華経の説法を中座しようとした清少納言に藤原義懐が「やあ『退くもまたよし』」(お帰りですか。それもよろしい)と皮肉ったのに対して、清少納言が「あなた様も、五千人の中にお入りにならないこともないでしょう」と言い返したことが描かれている。
これは、法華経方便品(第二章)で、五千の上慢が法華経の説法の場から退場したのを、釈尊が「このような増上慢の人は、退くのもよいだろう」と言ったことに基づいた話です。法華経がかなり浸透していたことがうかがえます。
斉藤: 有名な“雨夜の品定”の構成が、法華経の「三周の説法」の形式をふまえたものとする学者もいるようですね。
遠藤: 平安時代中期以後には、天皇をはじめ多くの貴族等が法華経各品に題材をとった和歌を残しています。こうした一品経詩といわれる形式は、中国でも盛んであったことから影響を受けたともいわれています。
例えば、「ゑひのうちにかけし衣のたまたまも昔のともにあひてこそしれ」(選子内親王『発心和歌集』)は、衣裏珠の譬えを素材としています。〈酔っているうちに衣の内側に繋けた珠も、たまたま昔の友に会ってはじめて知った、の意。「ゑひのうち」と「(衣)のうちに繋ける」、「衣の珠」と「たまたま」をかけている)
また、「世の中にうしの車のなかりせばおもひの家をいかでいでまし」(よみ人しらず『拾遺和歌集』)は三車火宅の譬えです。〈世の中はもの憂い。救い出してくれる牛の車がなければ、思いの火に焼かれる家をどうして出ることができようか、の意。「牛」と「憂し」、「思ひの家」と「火の家」をかけている〉
名誉会長: 掛け言葉として自在に使えるほど、法華経の譬喩が人々の間に浸透していたといえるかもしれないね。
2025年2月3日
同志は互いに生き生きと交流し、何でも
言い合い、「新しい息吹」「新しい智慧」
「新しい友情」を広げていくことである。
※『池田大作全集』第93巻を基にしています。
2025年2月3日
https://www.seikyoonline.com/article/B083D3D5CD1016C843A78CCC7F358FB7
“21世紀はアフリカの世紀”との気概で進むコートジボワール創価学会の大会が1月18、19の両日(現地時間)、1・26「SGI(創価学会インタナショナル)の日」を前に、同国の最大都市アビジャンで盛大に開催された。
コートジボワールの友は今、皆で小説『人間革命』『新・人間革命』を学び抜き、池田大作先生の心を“わが心”として力強く前進する。
翌19日に行われた活動者の集いでは、ヴェ理事長が「生死一大事血脈抄」などを拝読。
どんな困難が立ちはだかろうとも、妙法流布の使命を自覚し、永遠の師匠・池田先生が開いた大道を進み続けることこそ師弟の道であると強調。誓願の題目と異体同心の団結で、幸福の連帯を大きく広げようと呼びかけた。
2025年2月3日
「あなたのことを、祈っていたのよ」――体調不良だった女性部の友は年頭に、広布の先輩から、そんな激励をもらったという。
友は語っていた。
「学会の同志は、いつも励ましてくれる。本当に温かな組織ですね」
その話を聞き、ケアを専門とする大阪大学大学院の村上靖彦教授が本紙で語った言葉が浮かんだ。
「つながろうとする互いの努力そのもの」がケアとなる。
相手の願いを感じ取り、それに応えようと動く人間関係こそ、これからの社会に不可欠であると(昨年8月17日付)
それぞれの地域で声なき声に耳を傾け、その痛みや苦しみを分かち合おうとする学会員の奮闘は、ケアの視点とも響き合うものだろう
法華経には、「其の耳は聡利なるが故に 悉く能く分別して知らん」(534ページ)と。
「耳根清浄」の功徳の一つで、法華経を行ずる者は、地獄の衆生のうめき声から仏が衆生を救う声まで、世界のあらゆる生命の境涯の声を聞き分けられるようになると教える
地域の安穏を祈り、縁する一人一人の幸福のために汗を流す。
その私たちの地道な積み重ねは自らの人生を豊かにするのみならず、そうした心を広げ、より温かな社会を築いていく。(献)
2025年2月3日
きょう立春。
厳冬を突き抜け飛翔の春へ。
目標を定めて祈り勇敢に行動!
◇
未来は「どうなるか」ではなく「どうするか」―池田先生。
希望創る主役は私
◇
寒暖差による血圧変動に要警戒。
浴室やトイレなど対策確認を。
油断大敵
それから伸一は、役員として参加していた、青年部の代表に声をかけた。
「どうもご苦労様! この墓地公園を見た感想はどうかね」
青年たちの元気な声が、はね返ってきた。
「雄大(ゆうだい)な大自然(だいしぜん)にいだかれ、気宇壮大(きうそうだい)になります。これまでの日本の墓地のイメージを一新(いっしん)した、画期的(かっきてき)な墓園だと思います」
「墓地特有(とくゆう)の暗さがなく、明るく、希望(きぼう)を感じさせます。日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の死生観(しせいかん)が、そのまま表現(ひょうげん)されています」
「歴代(れきだい)会長のお墓(はか)もあり、永遠(えいえん)に師(し)と共(とも)に広宣流布(こうせんるふ)の道を歩(あゆ)んでいくのだという実感が湧(わ)きました!」
青年たちの墓地公園(ぼちこうえん)の感想を聞いた山本伸一(やまもとしんいち)は、力を込めて語った。
「この墓地公園も、みんな青年部の諸君(しょくん)が受け継(つ)いでいくんだよ。
学会も安定期に入(はい)った。すると、これから、学会の本来の使命、目的である広宣流布を忘れて、学会のなかで、上手(じょうず)に生きていくことばかりを考える人間も、出てくるだろう。
そうなれば、組織(そしき)も守りに入り、たちまち保守化(ほしゅか)し、官僚化(かんりょうか)してしまう。そうさせないためには、〝世界の広宣流布のため、人類(じんるい)の幸福と平和のために、戦い続けよう!〟とする、私と同じ志(こころざし)をもった青年たちに、すべてを託(たく)す以外にないんだよ」
過去の宿縁追い来(きた)って今度(こんど)日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候(そうろう)らめ、「在在諸仏土常与師倶生(ざいざいしょぶつどじょうよしぐしょう)」よも虚事(そらごと)候(そうら)はじ
(生死一大事血脈抄、1338㌻)
〈通解〉 あなたは、過去の宿縁によって、今度、日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦・多宝の二仏こそ御存知であろう。「在在(いたるところ)の諸仏の土(ど)に 常に師と倶(とも)に生ず」(化城喩品)の経文は、決して嘘とは思われない。
仏法の師弟の絆は、三世永遠である。この絆は誰人(たれびと)も壊すことはできない。
常に、師と共に使命の天地に生まれ、元初の請願を果たしていくのだ。苦悩渦巻く娑婆世界を、常楽我浄の仏国土へと忍耐強く変革していくのだ。
いつも、心は一緒である。広宣流布のため、共に戦い、断固として勝つのだ。
須田: それにしても、これほど人の心を引きつける法華経の譬喩の力は、いったいどこから来るのでしょうか。特に、「すべての衆生を仏に」と主張する開三顕一については、二十八品のうち八品も費やして展開されています。その中に、法華経の七大譬喩のうちの五つがある。少し、くどい(笑い)と思う人がいるほどの粘り強さで説かれています。そこに、釈尊の並々ならぬ思いの探さを感じるのですが。
名誉会長: そこなのです、法華経の「譬喩の豊かさ」の根源は。譬喩とは何か。天台はこう解釈している。
「仏の大悲はやむことなく、巧みなる智慧は無辺に働く。ゆえに仏は譬喩を説き、樹木を動かして風を教え、扇をかかげて月をわからせる。このようにして、真理を悟らせるのである」(法華文句、大意)と。
大聖人は、この釈を引かれ、「大悲とは母の子を思う慈悲の如し」(御書p721)と仰せです。巧みなる譬喩を生む源泉は慈悲」なのです。
しかも続いて、「彼の為に悪を除く」のが「彼の親」であるとの言葉を挙げられている。たとえ、子に憎まれようとも、子の心に巣くう悪を取り除こうと戦う「厳愛」であると。
「是の諸の衆生は皆是れ我が子なり。等しく大乗を与うべし」(法華経p220)「今此の三界は皆是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり」(法華経p233)等々。
須田: この「今此三界」の文は、仏と衆生の関係を明かした重要な経文ですね。
名誉会長: 七大譬喩はすべて、衆生に対する仏の慈悲を明かしているのです。中でも代表的な三車火宅、長者窮子、良医病子の三つの譬えでは、仏は“子を救う父”として描かれています。また、種々の草木を平等にうるおす慈雨や大雲として三草二木の譬え)、旅人を導くリーダーとして(化城宝処の譬え)、友人を守る保護者として(衣裏珠の譬え)、臣下をたたえる王として(髻中明珠の譬え)も描かれている。
法華経の譬喩は、衆生の機根に応じて説かれた随他意の言葉ではない。「仏の心」を明かし、人々を「仏の心」へと引き入れる「随自意の譬喩」なのです。
大聖人は「法華経は随自意なり一切衆生を仏の心に随へたり」(新池殿御書p1437)と仰せです。衆生の心が「仏の心」と一体になるために説かれたのが、法華経の譬喩です。
名誉会長: そうです。さきほど、譬喩には“能動的に考えさせるカ”があると言いましたが、牧口先生も同じ発想の教育方法を考案されていた。
郷土科とか実物教育といわれるものです。身近な郷土に実際にあるものを体験させ、その体験と比較しながら、直接には体験できない知識をも得させていく。いわば実際の体験を譬喩として、生徒自身が考えを広げていくのです。だから、生徒の「自由行動」が大切だと言われている。
わかりやすい譬喩を使って教えるということは、自分で考えさせることに通じる。だからこそ、教えられた人の側に変革が起こる。
それに関連することですが、法華経の七譬を「生命の病を治す薬」ととらえた人もいます。四、五世紀ごろにインドで活躍した天親(世親)です。
例えば、第一の「三車火宅の譬え」は「顛倒して諸の功徳を求める増上慢心」という病を治す薬です。顛倒とは、三界の火宅の中で幸せを求めようとすることです。
また第四の「化城宝処の譬え」が治すのは「実は無いものを有ると思いこむ増上慢心」の病です。二乗の小さな悟りが“有る”と思っている声聞に、それは化城(幻の城)に過ぎない、つまり“無い”と教えているからです。五番日の「衣裏珠の譬え」の薬は「実は有るのに無いと思いこむ増上慢心」を治そうとする。衆生が無いと思い込んでいた宝石(仏性)が衣の裏(生命の中)に有ると教えているからです。
とすると釈尊は、衆生の生命を癒し、蘇生させる「名医」と言えます。「名医」そして「厳父」。そこに一貫して輝いているのは、衆生を幸福にせずにおくものかという、燃えるが如き「慈悲」です。
斉藤: 仏が衆生に対して「名医」と「厳父」の両方の役割をもっていることを示しているのが、七譬の第七、寿量品の良医病子の譬喩ですね。
名誉会長: 寿量品の仏は、過去遠遠劫より未来永劫にわたって衆生救済の活動を続ける仏です。永遠の寿命を持ちながら、“衆生の救済のために出現し、救済のために入滅していく”仏です。出現も入滅も衆生救済のためです。つまり、“慈悲の生命”そのものを表している仏なのです。
遠藤: 七譬の最初の三車火宅の譬えでは、仏は「父」として示されました。「今此三界」の文には、父である仏が、子である衆生をどこまでも救う慈悲が示されています。
この「父である仏」が、寿景品では、永遠の慈悲の活動である久遠の仏として示されたわけですね。
名誉会長: そう。百六箇抄には、「今此三界」の文について、「密表寿量品(=密かに寿量品を表す)」(御書p856)と言われています。
2025年2月4日
題目根本に課題に挑む時、人生が開ける。
広布の前進を守る諸天善神は、我らの
決定した一念で呼び起こしていくものだ。
※『随筆 輝く民衆の大城』を基にしています。
2025年2月4日
https://www.seikyoonline.com/article/2F93673D43B42AAD65122D73F4B837DA
10カ国の友が希望の船出
SGI(創価学会インタナショナル)発足50周年を記念した西アフリカ総会が1月25日(現地時間)、ガーナの首都アクラの国際会議センターで晴れやかに開催された。
バスを乗り継ぎ、ガーナ全土から集った同志と共に、コートジボワール、トーゴ、ベナンなど近隣9カ国の代表が出席。隣国の青年部は陸路で国境を越えて参加した。
歓喜に満ちあふれた西アフリカ総会(首都アクラで)
総会では、ガーナ、コートジボワール、トーゴのメンバーが歌やダンスを披露。会場は歓喜の大拍手に包まれた。
また来賓としてガーナ独立の父・エンクルマ初代大統領の息女であるサミア・エンクルマ氏が出席。イタリアの地で友人から創価の哲学を聞いて感銘を受けたことに触れつつ、「池田SGI会長が初代大統領の多くの言葉を青年に伝えてくださったことに、感謝の念が尽きません」とあいさつした。
2025年2月4日
北海道・札幌創価幼稚園の節分行事が3日、同園でにぎやかに開催された。
園児らは自作の“鬼のお面”をつけ、“赤鬼さん”と“緑鬼さん”を“歓迎”。皆で楽しいひとときを過ごした。
玉入れゲームなど元気いっぱいに体を動かした園児たち
https://www.seikyoonline.com/article/1346284302B93F3E1FE4CBD38E5F2450
2025年2月4日
金沢城は「石垣の博物館」と呼ばれる。
場所や年代によって石積み様式が異なり、多種多様な石垣が見られるからだ。
地震で崩落するたび修築を重ねてきた石垣は、名もなき石工たちの汗と技の結晶である
昨年の能登半島地震では、この石垣の28カ所で崩落などの被害が出た。
その大半は明治以降に積み上げたものだった。
加賀藩の高い技術が廃藩置県で途絶えたことが一因という。
いかなる事業も次世代への継承が欠かせないことを物語っていよう
だが担当者らは電話や手紙、オンラインなどを通して、部員の心に寄り添い続けてきた
ある本部では昨年、未来部員会を1回だけ開催。
“飛翔の年”に向かって“ささやかでも心温まる集いにしよう”と、皆で紙飛行機を作って飛ばした。
過日、2人が関西創価学園と創価大学に合格。
地域に喜びが広がっている
きょうで能登半島地震から400日。
災害に遭っても「心を壊ること能わず(=心は壊せない)」(新423・全65)と確信し、地域の未来を開くために真心を“積み重ねる”同志がいる。
その献身の汗によって、創価の心は受け継がれ、万代に崩れぬ人材の城が築かれていく。(子)
2025年2月4日
強盛な信心にかなうものはない―戸田先生。
故に何があろうと唱題第一で
◇
公明は現実の政策を対話の力で前進させた―教授
合意形成担う日本の柱と
山本伸一(やまもとしんいち)は、祝賀(しゅくが)の集(つど)いに続いて県長会に出席したあと、厚田村(あつたむら)の望来(もうらい)でブロック長、ブロック担当員(たんとういん)として活躍する、元藤徹(もとふじとおる)・トミ夫妻が営(いとな)む食料(しょくりょう)・雑貨店(ざっかてん)に向かった。
彼は、一九六〇年(昭和三十五年)に厚田村を訪問した折(おり)、当時、鮮魚店(せんぎょてん)をしていた元藤夫妻に、「いつか、お宅に伺います」と約束していたのである。
伸一は、元藤夫妻について、「厚田村で商店を経営しながら、地域(ちいき)に学会理解の輪を広げようと、懸命(けんめい)に頑張(がんば)り続けています」との話を聞いていた。それだけに、なんとしても、激励(げきれい)せずには、いられなかったのである。
墓地公園(ぼちこうえん)から車で十分ほど行った集落の一角に、元藤夫妻が営む元藤商店があった。
車を降りた伸一は、店の戸を開けながら、「こんばんは!」と声をかけた。
ふくよかな顔に、優しい笑みを浮かべ、婦人が店に出て来た。元藤トミであった。
彼女は、一瞬(いっしゅん)、〝山本先生に、あまりにもよく似ている。もしや、先生ではないか〟と思った。しかし、〝まさか、先生がうちになど来られるはずがない〟と思い直した。
伸一は、微笑(ほほえ)みながら言った。
「今日は、十七年前の約束を果たしに来ましたよ。このお店の物を、全部(ぜんぶ)、買おうと思って、お小遣(こづか)いを貯(た)めてきたんです」
徹は、「十七年前の約束ですか?」と言って、キョトンとした顔で伸一を見た。
「そうです。昭和三十五年に、厚田村に会長就任のごあいさつに来た折に、お宅に伺う約束をしたではありませんか!」
徹は、思い出したのか、「あっ!」と声をあげた。トミも驚(おどろ)いた表情で伸一を見た。
約束は、信頼(しんらい)の柱(はしら)である。人の信頼を勝ち取るための最大の要件(ようけん)は、約束を忘れず、必ず果たしていくことだ。たとえ、相手が忘れていたとしても、それを守っていくことによって、自分の生き方(かた)、信念(しんねん)、人格(じんかく)が確立(かくりつ)されていくのである。
山本伸一(やまもとしんいち)は、元藤商店(もとふじしょうてん)の数坪(すうつぼ)ほどの店内に並べられた商品を、次々(つぎつぎ)と購入(こうにゅう)していった。
「このネギも、キャベツも、それから、あのブドウもいただきます」
さらに彼は、酢(す)、ソース、殺虫剤(さっちゅうざい)、菓子、パンなども買った。
「これは、あまり売れていないようですね。これも全部ください」
「埃だらけですみません。それにしても、本当に買われるんですか?」
元藤徹(とおる)が言うと、伸一は屈託(くったく)のない笑みを浮かべた。
「あなたのお店の物(もの)なら、なんでも買わせていただきます。この秤(はかり)も買いましょう」
「これは、商売道具ですから……。それに、あまり買っていただくと、明日から売る物がなくなってしまいます」
店内に、笑いが広がった。
元藤の妻・トミは、伸一が購入(こうにゅう)した品々(しなじな)を、せっせと段ボールに入れていた。
笑っていた元藤徹の顔が、次第に感無量(かんむりょう)の面持(おもも)ちになっていった。彼は思った。
〝十七年前におっしゃった一言(ひとこと)を忘れず、お忙(いそが)しいなか、わざわざ私の店を訪ねてくださった。そして、私を励(はげ)まそうと、買い物までしてくださる。こんな方が、この世界のどこにいるだろうか……〟
「小さな商店(しょうてん)は、大きなスーパーなどと比べれば、生み出す利益(りえき)は少ないかも知れません。しかし、地域の人びとの生活を支える、大事な生命線(せいめいせん)の役割を担(にな)っています。
どうか、地域に根を張り、信頼(しんらい)の大樹(たいじゅ)となってください。お店が繁盛(はんじょう)し、ご夫妻が幸せになることが、信心(しんじん)の勝利(しょうり)です。
また、おじゃまします。お元気で!」
元藤徹は、伸一の言葉に、ハッとした。
〝家族の生活を守るためだけの店じゃないんだ。地域の人びとの生活を支えるための店なんだ〟――そう思うと深い使命を感じた。
法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を
(妙一尼御前御消息、1253㌻)
〈通解〉 法華経を信じる人は冬のようである。冬は必ず春となる。昔より今まで、聞いたことも見たこともない。冬が秋に戻るということを。また、今まで聞いたこともない。法華経を信じる人が仏になれず凡夫のままでいることを。
~同志への指針~
どんなに厳しい風雪の冬であっても、必ず春は到来する。法華経を信ずる人は、一人ももれなく仏となる。もっとも苦しんだ人が、幸福を勝ちとるための仏法である。
そして、民衆がいかなる苦難をも乗り越え、希望と勝利の人生の春を開くために、我らは行動するのである。
名誉会長: 生活の上に現れる信心の実証は、妙法の功カを説明する「譬喩」です。現実生活の実証は、妙法の真理を雄弁に物語っているのです。
四条金吾、池上兄弟など、大聖人の門下が苦難を乗り越えた実証の姿は、同じ問題に直面した私たちにとって大きな激励となっています。
大聖人は、心をあわせて迫害と戦った池上兄弟に対して「未来までの・物語りなに事か・これにすぎ候べき」(兄弟抄p1086)と称賛されている。そのお言葉通り、今、兄弟の物語は世界で語りつがれている。
この原理は、私たちにとっても同じです。私たち一人一人の勝利の体験が、多くの人に勇気と希望を与える。すなわち、その体験は、妙法の力を表す譬喩となっているのです。人々が、その「一人の勝利のドラマ」を、さらに多くの人に語っていくこともできます。
個別の体験は普遍の妙法の「譬喩」です。体験中心の座談会は現代の「譬喩品」であり、現代の「七譬」であり、「無量の譬喩」です。
慈悲と智慧の結晶である「譬喩」法華経と同じ心に立って、創価学会は“布教革命”を巻き起こしたのです。
法華経の譬喩の心は、創価学会の六十五年の歴史の中に生きています。私たちは、末法万年にわたって語りつがれるであろう「法華経の広宣流布」の物語を日々、馥郁(ふくいく)と綴っているのです。
■ 信解 —- 「信仰」と「智慧」のダイナミックな関係
斉藤: この座談会のサブテーマは「二十一世紀の宗教を語る」ですが、これに関連して、忘れられない池田先生の語らいがあります。それは二年前(1993年)の三月、ハーバード大学のサリバン博士と会談された時のことです。
須田: 私もよく覚えています。聖教新聞に大きく「二十一世紀の『人間と宗教』を語る」と掲げられていました。
遠藤: サリバン博士は、ハーバード大学の「世界宗教研究センター」の所長でしたね。
名誉会長: そう。その時、語り合ったことが、この「法華経の智慧」の一つの底流にもなっている。
宗教と宗教は「民衆に応える」という点で「自由競争」をすべきだと、先生は強調されました。そして、その平和的論争の基準ヒして、仏法は三証(文証・理証・現証)を説くこと、宗教にも寿命があり、死せる宗教に固執すべきではないこと、などを論じられています。先生の結論は意外でした。
「ともあれ何が真理かを決める主体は『民衆』です」と。
いえ、意外どころか、実はそこに感動したのです。“そうだったのか。仏法者の民衆観、宗教観とは、こういうものなのか”と。
遠藤: もし私なら、「日蓮大聖人の仏法しかありませんよ」と言いっ放しで終わったかもしれません(笑い)。
私が感動したのは、二十一世紀の宗教はどうあるべきかを決めるのは「民衆自身」であるということです。これは同時に、民衆が考え、民衆か賢くなり、民衆自身が選んだのでなければ、真の民衆宗教とは言えないということでもあります。
須田: 確かにそうですね。もし仮に、ある優秀な為政者がいて、「正しい宗教はこれだ」と考えたとします。それを国民のために国教にし、「正しいのだから、皆、これを信仰しなさい」と命じたとします。極端な例えかもしれませんが、これでは、宗教は民衆に根づかないでしょう。
正しいからといって、何かの力によって一方的に与えられたり、保護されたりしたのでは、「宗教の死」です。民衆の「精神の自由の死」につながってしまう。
名誉会長: そう。仏教にはもともと、権力を使って信仰を押し付けようという発想はない。アソカ大王も自身は熱心な仏教徒であったが、全宗教への寛容に徹しています。
日蓮大聖人は、佐渡流罪から戻られた時、寺を寄進しょうという幕府の申し出を断ったと伝えられている。幕府に保護してもらおうなどという発想は、微塵ももっておられなかったのでしょう。
斉藤: その理想に照らして見ると、今の日本は、どうでしょうか。
国民は、賢明になろうとしているでしょうか。自分で考えようとしているでしょうか。宗教に無知な状態のまま停滞し、その無知につけこまれて不安感を煽られ、そのあげくに権力者による宗教の管理・統制の動きにも盲目的になっている。
「法律をもっと厳しくして、悪い宗教を取り締まってください」と言わんばかりの声さえあることは、権力悪への警戒心の薄さと民主主義の未成熱を感じます。
須田: あるジャーナリスト(K・V・ウォルフレン氏)は、日本の権力構造の本音は「民は愚かに保て」ということだと告発しました。国民が理性的にならなければ、民衆を愚かなまま支配したい権力者の“思うツボ”ではないでしょうか。
民衆が本来持っている強さ、賢さ、明るさ、温かさ。そうした可能性を引き出す原動力になるのが信仰なのです。
愚かになるために信仰するのではない。賢明になるためにこそ信仰はある。賢さとは、人を不幸にするような知識ではなく、自他ともに向上するための智慧です。
今の社会の狂いは、全人格的な「智慧」と「知識」とを混同し、全人格的な「信仰」と「盲信」との見わけがつかないところから起こっていると言える。
「妙と申す事は開と云う事なり」(法華経題目抄p943)と大聖人は仰せです。どこまでも可能性を開き、向上しょうとする特性が、生命にはある。その特性を、最大に発揮させていくのが妙法であり、真の宗教です。そして生命を開き、智慧を開くカギが「信」の一字にある。大聖人は「開とは信心の異名なり」(御書p716)と仰せです。
限りなき生命の「向上」 —- その心を、鳩摩羅什は「信解」と訳しました。法華経の第四章「信解品」のタイトルです。
「信解」とは、やさしく言えば「心から納得する」ということです。だれもが納得できることが大切です。法華経はそういう信仰を説いている。断じて盲信ではないのです。
この信解品を通して、「信仰とは何か」「信ずるとはどういうことか」を語り合いたいと思う。
2025年2月5日
生涯、学び続けることだ。
成長し続けることだ。その人が、
人生の勝利者と光っていくことができる。
※2006年8月24日のスピーチを基にしています。
2025年2月5日
https://www.seikyoonline.com/article/F95D3B27623F3A91EB14DAB1189C2145
池田先生の功績を識者が称賛 学会代表が分科会で発表
キューバ共和国の英雄ホセ・マルティの思想の現代的意義を論じ合う第6回「世界の均衡のための国際会議」が、1月28日から31日まで(現地時間)、首都ハバナのコンベンションパレス(国際会議場)で開かれた。これには、同国のミゲル・ディアス・カネル大統領、エステバン・ラソ人民権力全国会議議長、マルティ・プログラム研究所のエドゥアルド・トーレス・クエバス所長をはじめ、98カ国の識者や研究者らと共に創価学会の代表が出席した。また分科会では、アベル・プリエート元文化大臣らが、あらゆる差異を超え、対話で世界を結び続けた池田大作先生の功績に賛辞を述べた。
翌29日の分科会では、長岡局長が「AI時代における人間のエンパワーメント」とのテーマで発表。池田先生の1・26「SGI(創価学会インタナショナル)の日」記念提言や、1996年のハバナ大学での講演について触れ、分断から調和の時代へ善意の民衆の連帯を強めていきたいと訴えた。
元大臣は99年に東京でマルティ思想を巡って、先生と意見を交わしている。
2025年2月5日
アメリカ創価大学(SUA)の学生が1月22日から24日まで(現地時間)、米マサチューセッツ州ケンブリッジ市の池田国際対話センターで研修会を行った。これは、SUAの短期集中型プログラム「ラーニング・クラスター」の一環。同大学のテツシ・オガタ客員講師の授業を受ける学生が参加した。
22日には、「平和と宗教」と題して、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教を信仰する識者ら5人が、それぞれの宗教的観点から平和構築・社会変革の方途を語るディスカッションを実施。紛争解決における宗教の役割などについて議論が交わされた。
このうち、「平和と対話のための聖エジディオ財団」のアンドレア・バルトリ会長が、池田先生の人生は対話の実践を貫くものであったと述べ、平和構築のために他者と心を結ぶ対話の重要性を強調した。
https://www.seikyoonline.com/article/91AA68D3B85B70CC14BBCACEEB424E18
2025年2月5日
月刊誌「第三文明」の3月号が好評発売中である。
特集は「民主主義の未来を考える」。特別企画では「健康生活の秘訣」を掲載する。作家・佐藤優氏の連載「希望の源泉 池田思想を読み解く」の第104回のテーマは「普賢菩薩に学ぶ『励ましの力』の偉大さ」。
https://www.seikyoonline.com/article/4A86D1A4B2AAE12D4A806715060004E1
2025年2月5日
2・4「東洋哲学研究所(東哲)の日」を記念する集いが4日、東京・八王子市の創価大学で開催された。
小関博文常務理事の後、出版事業部の川﨑建三担当部長、岩木勇作研究員が、東哲創立者・池田先生の構想の実現に向けて奮闘する決意を述べた。田中亮平所長は、「思想戦の王者たれ」との師の指針を根本に、団結固く生命尊厳の思想を広げようと語った。
来賓の谷川SGI理事長は、創価の哲学に世界が共感を寄せる今こそ、東哲がさらなる研究活動に励み、平和貢献の道を開こうと訴えた。
2025年2月5日
https://www.seikyoonline.com/article/BC2516B2175548CAA55F15C8E0D4F71C
ドイツのフランクフルト池田平和文化会館(メルフェルデン・ヴァルドルフ市)で行われた「欧州広布会議」(1月17日~19日)。テーマ「One Step for Peace(平和への一歩)」が発表され、さらなる飛翔を誓い合った。ここでは、同会議での活動報告の要旨を紹介する。
◆スペイン フェルナンデス女子部長
スペイン創価学会では、9月を青年部主導の平和活動を展開する月としています。これは1957年9月8日、第2代会長・戸田城聖先生が5万人の青年を前に、核兵器廃絶を叫ばれた「原水爆禁止宣言」を原点とするものです。
「核軍縮のための同盟」の設立1周年を記念する集いが昨年9月28日、リーバス・バシアマドリード市にあるスペイン創価学会のスペイン文化会館と、隣接する平和庭園で開催されました。当日は、学会のメンバーに加え、友人など約300人が参加しました。
草の根の対話で核なき世界へ
集いの席上、スペイン創価学会のカプート理事長は当会の働きかけによって、9・26「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」に、同市議会がICANの推進する「シティーズアピール」(自治体が自国の政府に核兵器禁止条約へ参加するよう呼びかける活動)に参加することを決議したとの報告をしました。これは、私たちの願っていたことであり、核兵器廃絶への大きな一歩であると確信します。
同日午後、スペイン創価学会として初となる「全国学生部研修会」がスペイン文化会館で開かれ、国内24都市から多くの学生部員や友人が参加。メンバーの体験発表や、教学などに関するディスカッションが活発に行われました。
友人はこの研修会で、同志の温かい人柄と創価の哲学に感動。後に6人の学生が入会しました。研修会を通して、学生たちは自らの使命を自覚し、新しい友情を育みました。
私は今回の集いを経て、胸中の池田先生に誓いを立てました。それは、2050年までに必ず核兵器を根絶する、という誓いです。
この誓いを成し遂げるため、師匠の平和思想をさらに学び深めながら、創価三代会長の精神を根本に「平和への一歩」を踏み出し、前進していきます。
一昨年の池田先生のご逝去の報を受け、私たちは師匠の指導を実践し、広布伸展の結果で恩に報いていこうと改めて決意しました。
「新しき時代とは『弟子が立つ時』であり、弟子が勝利の実証を示す時代」との先生の言葉を胸に、異体同心の団結で戦いを進める中、青年部や学生部を中心とした若い世代が拡大の先頭に。壮年・婦人部の先輩たちの励ましを受けながら、目覚ましい発展を遂げました。
昨年は、イタリア国内で池田先生の功績をたたえる行事が相次ぎました。1月には、フィレンツェ市のヴェッキオ宮殿で池田先生の追悼式が執り行われ、多くの識者が、先生の行動によって仏法の人間主義の精神が普及したことを知る機会となりました。
2025年2月5日
誰一人として使命のない人はいない―池田先生。
励ましの陽光を幾重にも
◇
「人を憑(たの)んであやぶむことなかれ」御書。
勇気ある師子が新時代の扉を開く
(新2085・全1451)
感謝の人は向上と成長の人生
◇
睡眠は心身の健康維持する鍵。
賢く休息。
満々たる生命力で生き生きと前へ
師(し)とは師匠授(さず)くる所の妙法 子(し)とは弟子受くる所の妙法・吼(く)とは師弟共に唱うる所の音声(おんじょう)なり
(御義口伝、748㌻)
〈通解〉 (法華経の勧持品(かんじほん)に説かれる「師子吼」の)「師」とは師匠が授ける妙法、「子」とは弟子が受ける妙法であり、「吼」とは師弟ともに唱える音声をいう。
~同志への指針~
師匠の心を心として、不二なる正義の音声を轟かせゆくのだ。
妙法の師弟の師子吼こそ、あらゆる逆境をはね返し、濁世(じょくせ)を変えゆく無敵の力である。
■ 四大声聞が目覚めを語る「長者窮子の譬え」
斉藤: 信解品は、二乗作仏が説かれた歓喜から開幕します。
前に学んだ譬喩品(第三章)で、釈尊は、舎利弗が将来、「大宝厳」という時代に「離垢」という世界で「華光如来」という仏になるだろうと保証を与えました。
これまで諸大乗経では、成仏できないと厳しく糾弾されていた二乗が、将来、必ず成仏できると初めて説かれたのです。
────────────────────────────────────────
信解品から
我等今日 仏の音教を聞いて 歓喜踊躍して 未曾有なることを得たり 仏 声聞 当に作仏することを得べしと説きたもう 無上の宝聚 求めざるに 自(おのづか)ら得たり (法華経p263)
我らは今日、仏の教えを聞いて、踊らんばかりに歓喜し、かつてない境地を得た。仏は、声聞が未来に成仏できるであろうと説かれた。我らは、無上の宝の集まりを求めずして、自ずから得ることができたのである。
────────────────────────────────────────
「解空第一」と言われた須菩提、「論議第一」の迦旃延、「頭陀(貪欲を払いのける修行)第一の迦葉、「神通第一」の目(ケン)連は、「世尊が舎利弗に対して、将来、阿耨多羅三藐三菩提(=仏の無上の悟り)を得るだろうと記別(=成仏の保証)を授けられたことを聞いて、味わったことのないような感動を発し、心も歓喜し、身も踊躍した」(法華経 p250 趣意)と。
この「未曾有のことに出会えた喜び」を語ったのが、信解品です。
須田: 彼らは、「僧の首」即ち釈尊の教団のリーダー、最高幹部でした。
しかし「年並びに朽邁せり」、もはや年老いて枯れてしまった、と。また「自ら己に涅槃を得て、堪任する所無しと謂いて」、もはや自分たちは悟りを得ていて、もはや頑張ることはないと思っていた。そして「阿耨多羅三藐三菩提を進求せず」、仏の得た無上の悟りを求めていなかった。
名誉会長: 立場がある。年功がある。経験がある。四大声聞は、そこに安住してしまっていた。
もう自分は長い間、修行をして、年老いた。それなりに悟りを得た。もうこれで十分だ・師匠の釈尊の悟りは確かに素晴らしい。けれども、自分たちには到底およびもつかない。だから、このままでいいんだと。
このような、大幹部の無気力を打ち破ったのが、舎利弗への授記だったのです。
一生涯、熱い求道心を燃やし続ける。それが、法華経の示す人生です。
2025年2月6日
仏法の真髄は「人の振る舞い」である。人格
の輝きである。ゆえに自分から関わり元気
に清々しく挨拶し、声をかけるのだ。
新1597・全1174
※2011年2月19日付「随筆 我らの勝利の大道」を基にしています。
2025年2月6日
SGI発足50周年から“次の50年”へ
今年の1月26日でSGI(創価学会インタナショナル)が発足50周年を迎えた。地涌のスクラムは192カ国・地域に広がり、友の幸福と不戦を祈る題目の音声が世界各地で絶え間なく響く。
1・26「SGIの日」から“次の50年”へ、新たな誓願を胸に出発する集いが、各国で盛大に開かれた。
https://www.seikyoonline.com/article/D1D58447BD0020C809D70FDE78D6BDE7
南米パラグアイ創価学会の総会は1月26日、各地で晴れやかに行われた。
このうち首都アスンシオンのパラグアイ文化会館では、クリタ名誉理事長があいさつ。青年部の代表がSGIの歴史を紹介した。
ヤマモト副理事長は、池田大作先生が示した「全世界に妙法という平和の種を」との言葉を通し、我らの対話でパラグアイ全土に“幸福の種”を蒔き続けようと訴えた。
●ドイツ
●オランダ
●フィリピン
2025年2月6日
創価学園の愛唱歌「幸福の乙女」の発表19周年を記念して、東京と関西の各校で創立の精神を学ぶ集いが開かれた。
〽深き使命は 果てしなく
知性の翼で 飛びゆけや
この愛唱歌は2006年2月、創立者・池田先生が「後世に残るものを! 歌いやすいメロディーで」との思いを込めて作詞。女子生徒をはじめ、全ての学園生への慈愛と期待が脈打っている。
東京・小平市の創価高校、創価中学校の集いは5日、それぞれ開催され、皆で「幸福の乙女」を元気に歌った。
https://www.seikyoonline.com/article/792C5F5232C1978732DCFA17FAF34BF1
大阪・交野市の関西創価高校の集い(1月25日)では、卒業生の四ツ永裕子さんの講演を通し、創立者との誓いを貫き、栄光の人生を勝ち開く創価の精神を学んだ。
参加した生徒は「創立者・池田先生の心を体現できる人へと成長したい」と瞳を輝かせた。
2025年2月6日
月刊誌「潮」3月号が完成した。
評伝「民衆こそ王者――池田大作とその時代」は、池田先生との絆を結んだ、瀬戸内海の島々の友の奮闘を紹介する。
1978年10月、先生の提案で開催された離島本部の総会には、120もの島々から参加者が集った。
一度は学会活動から遠ざかるも、師との思いがけない出会いを通して、信心の炎を再び燃え上がらせた直島の壮年。娘の病や長男を事故で失うなど、度重なる苦難にも、信仰の旗を掲げ続けた小豆島の婦人。自らの宿命を乗り越え、島の繁栄を願い、一人立った弟子たちへの池田先生の励ましのドラマが描かれる。
https://www.seikyoonline.com/article/5A07EABB07CC6EA08FE0DD0FD50A7C8F
2025年2月6日
https://www.seikyoonline.com/article/1F284C84DA60F9915C310384E877B784
中国の新聞「団結報」(昨年12月26日付)に、厦門大学の黄順力教授の寄稿「池田大作氏の平和的歴史観の今日的価値」が掲載された。同紙は、中国国民党革命委員会の機関紙である。
黄教授は池田先生と周恩来総理の会見(1974年12月5日)50周年を記念して、先生の平和的歴史観について四つの特徴を紹介した。第一に「仏教思想に根差した生命に対する普遍的な尊重」があり、第二に「戦争で愛する人を失った深い悲しみ」があるとし、この二つが池田先生の平和思想と行動の土台にあると指摘。68年9月8日の「日中国交正常化提言」にも反映されていると述べた。
戦争の悲劇を繰り返さないために正しい歴史理解の重要性を訴える池田先生の平和的歴史観は、中日友好を促進する上で大きなインスピレーションを与えてくれると強調。その歴史観は、国際的な広い視野に立ち、アジアの繁栄や世界平和に貢献し、現在の中国の平和的発展に対する正しい理解に通じていくと語った。
最後に、「『平和』は池田氏の歴史観の魂」であり、先生の思想と行動は「中日友好と世界平和を維持する上で永遠の価値を持つ」と述べている。
2025年2月6日
秋田・にかほ市立仁賀保中学校で3日、創価学会から優良図書が贈呈された。昨年に発生した大雨の被災地支援の一環。今後5年間、毎年追加で図書が贈られる。
阿部徳之校長が「じっくり本に親しんでほしい」とあいさつ。布施総秋田長が「読書を通して成長し、世界へ飛翔してください」と述べ、生徒の代表に目録を手渡した。
https://www.seikyoonline.com/article/B8733C99C25124D3F1E2369A75312D1C
2025年2月6日
●アルゼンチン
アルゼンチンSGIの友からフォトメールが届いた。
首都ブエノスアイレス近郊のアルゼンチン池田青年文化センターで、幹部研修会が開かれた(昨年12月15日)。教学研さんや小グループでの懇談等が行われ、各地で広布の陣列を拡大しゆくことを誓い合った。
また、青年部が中心となって進める社会貢献運動「創価連帯アクション」の模様を収めた写真も送られてきた(同月24日)。今回は、貧困家庭の子どもたちのためにおもちゃなどを募り、各地の施設に衣料品や食料品などの物資とともに届けた。
https://www.seikyoonline.com/article/538C645EEE210B702F882C620B7E0CB0
ベネズエラからは、決意あふれる会合の写真が届いた。
首都カラカスのベネズエラ文化会館で開催された幹部会には、首都圏のリーダーが参加(昨年11月24日)。2025年の目標や活動大綱などが発表され、青年の育成に力を入れていくことを確認した。サラス理事長が、師弟不二の前進を貫こうと強調。オンラインで参加した中南米指導会議のコウサカ議長は、信行学の基本を大切に、2030年を目指して平和の大道を開こうと励ました。
2025年2月6日
全国中学生人権作文コンテストに応募した男子中等部員(2年)の作品が、東京都国立市の代表に選ばれた。
タイトルは「僕の祖父母」。
長年、鍼灸師として地域の信頼が厚い、全盲の祖父母の姿を通し、人権の大切さを訴える“次世代からのメッセージ”だ
毎日、祖父母の元へ通う彼のまなざしは鋭い。
作文では、生活を支えてくれる訪問介護員は対等で「ただ障害でできないことを自然と補ってくれている感じ」。
彼の母の対応も「全く障害者として見てないように感じる」
「『障害者』というフィルターを通して人を見るのではなく」「特別視する」のでもなく、「その人個人を見ることがもっと大事」。
そのためには障がい者と時間を共有する機会を増やすことではないか、と
中学校の特別支援学級で担任を務め、障がいのある子どもたちと腰を据えて関わる教員が言っていた。
「私は今、障がいは『個性』と実感しています」
「自分に実感がなければ、人の心はつかめない。
自分の魂からほとばしり出て、力強く切々と語るのでなければ、聴く者すべての心は動かせない」(木原武一訳)とは、ドイツの文豪ゲーテの言葉。
心に響く声を真摯に受け止め、できることから実践したい。(側)
2025年2月6日
妙法流布は「大地を的とするなるべし」。
大確信の祈りで地涌の陣列を拡大
(新1791・全1360)
◇
「先手、先手と攻めることだ」戸田先生。
未来の勝利は“今”に。
強気で前へ
人材の流れ更に
◇
「学問は光、無学は闇」ロシア文豪。
求道心は成長の鍵。
常に若々しい気概で挑戦
◇
雪下ろしの事故に注意。
命綱使い複数人で。
周囲を確認し絶対に無理せず
此(こ)の御本尊全く余所(よそ)に求(もとむ)る事なかれ・只(ただ)我れ等(ら)衆生の法華経を持(たも)ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり
(日女御前御返事、1244㌻)
〈通解〉 このご本尊を決して、よそに求めてはならない。ただ、我ら衆生が法華経を持(たも)って、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団にいらっしゃるのである。
~同志への指針~
ご本尊は、わが胸中に厳然とある。尊極なる仏の生命は、広宣流布に生きゆく、わが心にこそ輝くのである。
ゆえに、何があっても、強き信心があれば大丈夫だ。何も心配はない。大切なのは仏法を持(たも)ち、行じゆく人間である。
斉藤: 小説『新・人間革命』でも紹介されていましたが、舎利弗は釈尊より年長という説があります。法華経が説かれたとされる釈尊入滅直前には、八十歳ほどの老齢だったといいます。
また、梵本(サンスクリットの写本をみると、四大声聞も「世尊のそばに永く座っていたので、体中が痛み、関節がうずきます」「年老いて耄碌(もうろく)していた」と訴えています。
須田: 師である釈尊は、そのような人々に対しても「まだまだこれからだ、頑張れ!」(笑い)と激励しているのです。すごいことです。
名誉会長: 「永遠向上」の心を教えているのです。「不退」の決意を促しているのです。
「進まざる」は「退転」です。仏法は、つねに向上です。前へ、前へと進むのです。「永遠成長」です。それでこそ「永遠青春」です。生命は三世永遠なのです。
名誉会長: 二乗は、いわば“心が死んでいた”のです。自らが仏になろうと欲しない。
また、仏になろうと目指して努力している人に対しても、お高く止まって冷淡である。人ごとのように見、バカにしている。だから、諸大乗経典では「焼種」、仏となる種子を焼いてしまった者だと言われていたのです。
しかし、仏はその二乗を根底では見捨てていなかった。“このままでは駄目だ。お前たちは、本当はそんなものではないぞ。もっと素晴らしい境涯を手に入れられるのだぞ”と厳しく叱って、励ましたのです。
斉藤: また、梵本にはこのような記述もあります。
“二乗たちは、自分は仏の無上の悟りを求めていないにもかかわらず、他の菩薩たちに対して『仏の無上の悟りを完成させるように励め』と教え誠めていた”と。
何より、自分自身が成長しない。生命の停滞、生命の病気です。
法華経に至って、二乗たちは釈尊の叱咤・激励を全身全霊で受け止めた。そこで初めて、人々に正法の声を聞かせる「真の声聞」として蘇生したのです。若返ったのです。みずみずしい向上の人生を再び歩み始めたのです。
自分たちも仏になれるのだ!感極まった言葉が「無上宝聚 不求自得」 —- 無上の宝聚求めざるに自ら得たり —- (法華経p264)です。
無上の宝聚(宝の集まり)とは、法華経の教えとも言えるし、仏界とも言える。また、仏界を具えた自分自身の生命とも言えるでしょう。だれもが、この「生命」という無上の宝を平等にもっている。一番大切なものを「求めずして、おのずから得て」いるのです。それを自覚できるか、否か。それをもっとも深く自覚させるのが法華経なのです。
“無上の宝”は、決して物質的な“蔵の財”ではない。
阪神大震災で被災したある人が、「一番大切なのは、全部、お金では買えないことがわかった。それは命と空気と人間の思いやりだ」と言っていましたが、味わうべき言葉だと思う。
ここであらすじを追ってみたいと思います。 —- まだ幼いころ、父を捨てて出て行った人がいた。その人は二十年、三十年、五十年と長きにわたって、他国を放浪して、すでに年を取り、困窮していた —- 。
斉藤: 「長者窮子の譬え」では、父(長者)は釈尊を譬えたものです。息子(窮子)は、二乗の弟子たちのことです。
古来、この譬え自体が、釈尊の一代の教化をまとめて語ったものとして、とらえられてきました。
—- 父親は、子どもが出て行った後、子どもを探し回ったが、ついに見つけることができなかった。
父は、やがて、ある都市に住み着き、非常に裕福になっていた。財宝が蔵にあふれ、使用人は、無数であり、家畜も数えきれない。
しかし、父は.悩んでいた。「私はもはや年老いた。まもなく死ぬだろう。しかし、私にはこれほどの財産があるのに、譲るべき子どもが見つからない。我が子を見つけて譲りたい」と。
斉藤: これは、釈尊が悟りを得て、その悟った法のすべてを譲る人を探していたということです。
“ここはすごい人のうちだ。こんなところにいると、つかまってしまう。早く逃げなければ”と思って、逃げ出した。
その時、我が子の姿が、父の目に入った。五十年も離れ離れでいたが、父にはかわいい我が子だとわかった。喜んで家来に命じて迎えにいかせたが、息子は「捕らえに来た」と肝を消し、ついにつかまって、意識を失ってしまった。
父は、我が子の心根が低くなっているので、親子の名乗りをしても無理だとわかった。そこで、やむなく一旦「解放した —- 。
遠藤: その後、父は思索をめぐらした。まず、貧相な身なりの二人の使いをやり、「給料も二倍だよ」と誘って、我が子を雇い、便所掃除の仕事をさせた。子どもは一生懸命に働いた。次に、父自身が貧相な身なりをして、子どもに近づいて、話しかけた。そして、親しくなった。そこで父は我が子に言った。
「お前は真面目だから、何でも言ってごらん。私のことを父と思っていいんだよ。私はお前を“息子”と呼ぶから」と言った。
やがて父子の心は互いに理解し信頼し合って、息子は自由に父の屋敷に出入りするようになったが、相変わらず屋敷の外の小屋で生活していた —- 。
名誉会長: ここで注目すべきなのは、長者が息子に「本当の親子と思っていいんだよ」と言っていることです。
譬喩品でも、仏と衆生が父子の関係で語られていた。仏は衆生がどのような境涯であっても、つねに我が子として救おうとしているのです。この深い絆が仏法の眼目です。
「親の心子知らず」というが、子どもがどのように反発しようとも、我が子はかわいい。
子どもの幸せを祈らない親はない。
仏は一切衆生の幸せを祈る。一切衆生の幸福を開くために闘う。一切衆生の親なのです。その仏の心を「信じれば」、自分自身の「智慧」が開けてくるのです。それが法華経における「信解」です。
声聞たちは、仏という“父”が、自分たち“放浪の子”を救うために、長年の問、粒々辛苦してくれた大慈悲を知った。感激して、仏の心を信じ、領解した。その感動が「信解」の二字に込められている。
「私には多くの財宝があり、蔵に満ちている。その量と、人々にどれだけ与えるべきかを、お前はすべてわかっている。お前は、私の意を体してこの財産を管理していきなさい。なぜなら、私とお前は全く違いがないのだから。心して財産を失わないように」と。“息子”は財産の管理をすべて任されるようになった。
そして、その財産を大切に管理した。しかも、その財産の一分も自分のものとすることはなかった —- 。
斉藤: 「命じて家業を知らしめる」という段です。「知らしめる」とは、管理させるということです。
しかし、どんなに自由に管理しても、「自分のもの」ではありません。まだ仏の智慧という財産は、自分のものにはなっていません。
遠藤: しばらくして、父は“息子”の心根がようやく立派になり、かつての卑屈な心根を恥じ、大きな志に立ったことを見てとった。
そこで、父は臨終に際して、親族や国王・大臣らを集めて、告げた。
「諸君、この人物は実は我が子なのである。私の実の息子である。家出をして五十年間、放浪していたのだ。本当の名はこれこれだ。私の名はこうだ。一生懸命に探していたが、ここでたまたま出会うことができた。今、私は、自分のすべての財産をこの子に譲る」と。息子はこの真実を知って、この上ない歓喜に包まれた。
「この素晴らしい財産を、求めずして、おのずから手に入れることができた」と。
斉藤: ついに息子の志が高く大きくなったからこそ、そこで名乗りがなされ、全財産が譲られた。
衆生の機根が高まったからこそ、真実の教えである法華経が説かれた。そして、成仏という無上の宝緊が与えられたのです。
2025年2月7日
たくましき楽観主義の人生に敗北はない。
必ず最後の勝利をつかむことができる。
信心はその最高無上の原動力なのである。
※2009年1月8日のスピーチを基にしています。
2025年2月7日
https://www.seikyoonline.com/article/BF77E3E3892D9AA4276C345FCD88C824
文化の力で民衆を結ぶ
2月9日は「民音(民主音楽協会)の日」。1961年のこの日、創立者の池田大作先生が民音の設立構想を示したことが淵源である。今年は、民音と中国との交流開始から50年の節目でもある。ここでは民音の歩みを紹介する。
「真実の世界平和の基盤となるのは、民族や国家、イデオロギーを超えた、人間と人間の交流による相互理解です。そのために必要なのは、芸術、文化の交流ではないだろうか」――池田先生は64年前の1961年2月、初のアジア歴訪でビルマ(現ミャンマー)を訪れた後、同行の幹部に語った。
以来、民音では「ミラノ・スカラ座」「シルクロード音楽の旅」「民音タンゴ・シリーズ」など、世界各地の音楽文化を紹介する公演を主催。交流の輪は、今や112カ国・地域に及ぶ。
その中でも、半世紀にわたる中国との友誼の歴史は、とりわけ重みを増す。
日中国交正常化から3年後の75年9月、民音は「中国北京芸術団」を日本に招き、全国公演を実現。大成功を収めた。今年で50周年となる。
これまで民音は中国国家京劇院、東方歌舞団、中国雑技団など中国を代表する40以上の文化団体・音楽家を招へい。公演回数はのべ2100回を超える。
さらに民音では、学校コンサートや国内外の音楽家の海外派遣、指揮者コンクールなど、多彩な公益事業を展開する。
世界で分断と対立が深まる今こそ、芸術・文化の力で民衆の心を結ぶ民音の使命は、いやまして大きい。
2025年2月7日
https://www.seikyoonline.com/article/DCFAC9472B3C574EC95FEECA4BEEEFA7
中国人民対外友好協会を代表し、民主音楽協会の50年にわたる中日文化交流への絶え間ない努力に対して、心からの感謝の意を表したいと思います。
1975年以来、民主音楽協会は創立者・池田先生の“音楽で人々の心を結ぶ”との理念を掲げ、一貫して中日の文化交流を実施されてきました。
中国の古い言葉に「国の交わりは民の相親しむにあり、民の相親しむは心の相通ずるにある」とあります。新たな歴史的出発点から、手を携えて中日友好の伝統を守り、引き続き文化交流を深めながら、文明の相互理解を積極的に促していきたい。
そして、両国の人々が魅力的な音楽や舞台芸術で心を通わせながら、文化で友情を結び、中日友好の新たな時代の一ページを共に築いていきましょう。
2025年2月7日
国の重要文化財に指定される本館の保存修理工事を終え、昨年7月に5年半ぶりに全館で営業を再開した愛媛の「道後温泉」。
連日、にぎわいを見せている
日本最古の温泉といわれ、夏目漱石や小林一茶、正岡子規らに愛された。
そうした文人たちに思いをはせ、訪れる客も多いようだ
「たとえ短い記事でも、行間からにじみ出る心を読者が察知してくれることがある。
それを大事にしたい」と、何度も取材現場に足を運ぶ人だった。
半世紀以上にわたる通信員生活の最後の取材を終えた時、「読者の心に響くといいな」と笑顔で語る姿に胸が熱くなった
今は「郷土アイ」「ホッとアルバム」などの企画、支社・支局の公式X(旧ツイッター)での発信と、通信員が力を発揮する場が広がった。
地域の魅力や友の活躍を伝える内容に、感動の声が寄せられている
かつて、ある新聞人は、読者が聖教新聞を身近に感じる理由として「通信員が現場で得た情報を紙面に反映している」という点を挙げていた。
一本の記事、一枚の写真が心を動かし、人生を変えることがある。
通信員と力を合わせ、全国津々浦々の読者の心をホットにする紙面作りに努めたい。(久)
2025年2月7日
青年は正しい哲学を人生の土台に―ブラジル総裁。
広布の大道歩む青春を勇敢に!
◇
肯定的な言葉が子どもの人間力を伸ばす―専門家
長所探し温かく声かけを
早めの対策を。
外出時はマスクも有効と
◇
コメ不足解消に備蓄米の放出も―農水省。
公明が提案。
生活者目線第一で
◇
「近き現証を引いて遠き信を取るべし」。
体験は万言に勝る。
堂々語ろう
(新1418・全1045)
山本伸一(やまもとしんいち)は、未来に思いを馳(は)せながら、北海道(ほっかいどう)の友に呼びかけた。
「戸田(とだ)先生を顕彰(けんしょう)するこの墓地公園(ぼちこうえん)には、国内にとどまらず、将来(しょうらい)は、世界各地から、多くの人びとが来られるでありましょう。
どうか、その意味からも、この厚田(あつた)に、世界の模範(もはん)となる、麗(うるわ)しい理想的な人間共和(きょうわ)の社会を築いていただきたい。そのためにも、地域(ちいき)を大切にし、学会員であるなしにかかわらず、厚田の人びとを守り、友情(ゆうじょう)と信頼(しんらい)の強い生命(せいめい)の絆(きずな)を結(むす)んでいってください」
ホール・ケインは『永遠(えいえん)の都(みやこ)』のなかで、次のように綴(つづ)っている。
「もし“人間共和”がいつ実(み)を結ぶのかと聞かれたら、われわれはこう答えればよいのです、たとえば、まずあそこにひとつ、ここにひとつ、あるいはあそこの国、ここの国といったように、世界が“人間共和”をつくりあげるような下地(したじ)が出てくれば、従来(じゅうらい)の世界を支配してきた権力(けんりょく)は、こんどは“人間共和”によって支配されるようになるだろう、と」
「人を作れよ、然(しか)り、人物を作れよ」とは、思想家・内村鑑三(うちむらかんぞう)の叫(さけ)びである。
十月二日の午後、山本伸一(やまもとしんいち)は、戸田講堂(とだこうどう)の食堂(しょくどう)で行われた、「北海道(ほっかいどう)未来会」第四期の結成式(けっせいしき)に出席した。中等部(ちゅうとうぶ)、高等部(こうとうぶ)の代表二十六人からなる人材育成(じんざいいくせい)グループである。
伸一が姿を現(あらわ)すと、皆の笑顔が弾(はじ)けた。
伸一も、微笑(びしょう)を浮かべた。しかし、話を始めた彼の顔からは、笑(え)みは消えていた。
〝この一人ひとりが、広宣流布(こうせんるふ)の大事(だいじ)な大事な後継者(こうけいしゃ)である。だからこそ、将来(しょうらい)のために、厳(きび)しい話もしておかなければならない〟と思ったのである。
「今日(きょう)は、君たちの人生において、極(きわ)めて大切なことを、簡潔(かんけつ)に語っておきます」
力(ちから)のこもった語調であった。
皆、居住(いず)まいを正(ただ)した。
ある意味で、人生は、絶望(ぜつぼう)との戦いであるといえるかもしれません。
テストの結果もよくない。家庭環境(かんきょう)も大変である。経済的(けいざいてき)にも厳(きび)しい。理想と自分の現実との間に、大きな隔(へだ)たりがある――など、悩みの連続が人生であり、特に青春時代です。
そして、ともすれば、〝自分はダメな人間なんだ〟〝なんの力もないんだ〟と考え、卑屈(ひくつ)になり、絶望的な思いをいだいてしまう。
しかし、そうではありません。〝みんなが、尊(とうと)い使命をもって生まれてきている。必(かなら)ず自分らしく輝(かがや)くことができる〟と教えているのが仏法(ぶっぽう)なんです。
では、どうすれば、自分を輝かせていくことができるのか――それは〝粘り〟です。
思うような結果がでない。失敗する。挫折(ざせつ)する。時には、生きる気力(きりょく)さえなくなってしまうかもしれない。それでもまた、立ち上がり、自分の目標(もくひょう)に向かって進んでいく。その粘り強(づよ)さこそが大事なんです。
山本伸一(やまもとしんいち)は、未来会のメンバー一人ひとりに、じっと視線を注ぎながら言葉をついだ。
「順風満帆(じゅんぷうまんぱん)に生きて、苦労(くろう)もせずに、成功を収(おさ)めた人などいません。失敗も、挫折(ざせつ)もなく、人生の勝利者(しょうりしゃ)になった人もいません。泣く思いで苦労に耐え、何度も絶望(ぜつぼう)の淵(ふち)に立ちながら、粘(ねば)り強(づよ)く、前へ、前へと進んでいった人が、人生の勝利者になっているんです。
たとえ、失敗や敗北(はいぼく)はあっても、絶対に腐(くさ)ってはならない。いじけて、自(みずか)らを卑(いや)しめることこそが敗北なんです。忍耐強(にんたいづよ)い人が、最後に勝つ人なんです。その粘り強さを身につけていくための唱題(しょうだい)であり、仏道修行(ぶつどうしゅぎょう)であることを忘れないでください。
人生の勝利の栄冠(えいかん)は、信心(しんじん)を根本(こんぽん)に、執念(しゅうねん)に執念を尽(つ)くし、粘って粘って粘り抜き、自分の決めた道を歩んでいった人の頭上(ずじょう)に輝(かがや)くことを宣言(せんげん)しておきます」
「七度倒(たお)れて八度起き上がるという、勇気(ゆうき)ある人は即(すなわ)ち将来(しょうらい)ある人である」
これは、創価の父・牧口常三郎(まきぐちつねさぶろう)と親交(しんこう)の深かった、北海道(ほっかいどう)ゆかりの教育者である新渡戸稲造(にとべいなぞう)の箴言(しんげん)である。
自身の仏乗を悟って自身の宮殿に入るなり所謂南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり
(御義口伝、787㌻)
〈通解〉 自身の内なる妙法を悟って、自身の宮殿に入るのである。南無妙法蓮華経と唱えていくことは、自身の宮殿に入っていくのである。
~同志への指針~
妙法を唱えゆく生命それ自体が仏である。心には大宮殿が広がっている。この宮殿は誰人にも壊せない。何ものにも侵されない。
わが心を光らせ、愛する地域に、幸福と安穏の都を建設していく。これが立正安国の不屈の魂である。
幸福 一人ももれなく凱歌の人生を
【御文】
◇自身の仏乗を悟って自身の宮殿に入るなり所謂南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり〈御義口伝 787p 6~7行目〉
【現代語訳】
◇自身の内なる妙法を悟って、自身の宮殿に入るのである。南無妙法蓮華経と唱えるということが、自身の宮殿に入っていくことなのである。
◇我が生命に金剛不壊の宮殿
今回学ぶ『御義口伝』の一節は、牧口先生が大切に拝されていた御文です。
自分自身の生命に仏性が厳然と具(そな)わり、妙法を唱えるならば、即、仏界を現して最高の幸福境涯を開いていけることを教えられています。
ここで示される『自身の宮殿』とは、一人一人の生命にまぎれもなく具わっている仏性のことです。
この宮殿は、富や名声や権力などで外面を飾った作り物の宮殿ではありません。全宇宙の財宝を集めてもなお及ばない、最高に尊貴で、絶対に崩れることのない金剛不壊の幸福の大宮殿です。それも、一切の差別なく、全衆生の生命に具わっています。ここに仏法が説く生命尊厳の基盤があるのです。
私たちが目指すべき幸福は、何ものにも壊されない『絶対的幸福』です。それは『自身の宮殿に入る』ことであり、自身の仏界を開いていくことです。
では、自身の宮殿の扉を開く鍵は何か。それは、『自身の仏乗を悟る』ことであると仰せです。つまり、自分自身が妙法の当体であると確信することです。
戸田先生はよく、『自分自身が南無妙法蓮華経だと決めることだ!』と叫ばれました。
『自分なんか幸せになれない』と卑下すれば、それは妙法への不信であり、成仏への鍵を自分から捨ててしまうようなものです。自分で自分を貶めてしまうなど、そんなことは、断じてあってはなりません。
大聖人は『無一不成仏と申して南無妙法蓮華経を只一度申せる人・一人として仏にならざるはなしと・とかせ給いて候』〈1573p〉と仰せです。
ゆえに、妙法をひとたび受持した人は、いかなる苦難も勝ち越えられないわけがないのです。そして、自らが断じて幸福になり、皆を断じて幸福にする使命があるのです。
須田: この「長者窮子の譬え」が、釈尊の五十年間の教説の次第を示していると見たのが、天台大師です。天台大師は、牛乳を精製して醍醐を作る過程に譬えて、「五味」という教判を示しています。
これは「五時」の教判として有名です。一覧にしてみますと、次の通りです。
長者窮子の譬え 意味 教説 五味
子を見つけて追わせる 擬宜 華厳 乳味
屋敷で働くよう誘う 誘引 阿含 酪味
父子の信頼が強まる 弾呵 方等 生蘇味
家業を管理させる 淘汰 般若 熟蘇味
家業を正式に相続 開会 法華 醍醐味
釈尊がはじめ自らの悟りの世界を、あらあら示しました(華厳)。しかし、二乗には全くわからなかった。そこで、釈尊は、人々の低い志に合わせて、低い目標を設定した小乗の教えである阿含経を説いた。
次に、志が高い人々のために、大乗の諸経典を説いた。けれども二乗たちは、小乗の教えに執着して、大乗の教えを見向きもしなかった。
斉藤: 二乗たちは、そのことを回想して、“一日の給料をもらえただけで、いっぱいもらえたと満足していて、さらにもらおうとは思わなかったようなものである”と言っています。
名誉会長: 少欲知足は大切だが(笑い)、正法に対しては貪欲であらねばならない。欲を消し去るのではない。何を欲するかが大事なのです。「煩悩即菩提」です。無上の悟り、菩提を求める欲は、即ち菩提となる。
“自分は、この程度でいいのだ”というのは、謙虚に似て、実は、生命の可能性を低く見る大慢なのです。
2025年2月8日
最も苦労した人こそ、最も幸せになる
権利がある。過酷な宿命を背負った人
こそ、最高の使命を担い、果たしゆける。
※『調和と希望の仏法――「人間の宗教」の時代へ』を基にしています。
2025年2月8日
予測不能な世界における平和構築をテーマに
2月11日は戸田記念国際平和研究所(東京・新宿区)の創立記念日。池田大作先生は戸田城聖先生の平和思想を宣揚すべく、恩師の生誕96周年となる1996年2月11日に同研究所を創立した。人類の課題解決を目指し、研究者のネットワークを構築し、探究と発信を続けている。
創立記念日に先立つ7日、同研究所主催の公開セミナーが都内で開催され、インターネットでもライブ配信された。
テーマは「予測不能な世界における平和構築――トランプ2・0のグローバルな影響」。気候変動や紛争、経済格差の拡大など、多数の危機が存在し、先行きが見通せない現代にあって、平和な世界を実現する方途を探った。
https://www.seikyoonline.com/article/34B2F771620A33CF8D92D07488079084
2025年2月8日
特別展示「池田大作先生 生涯と事績――不撓不屈の95年」が、きょう8日から神戸市の関西国際文化センターで始まる。
同展は、昨年1月に東京都内で行われた池田先生の「お別れの会」で展示されたもの。
前半では、師匠と出会い、広宣流布に生き抜いた先生の生涯を紹介しつつ、小説『人間革命』『新・人間革命』の執筆、創価大学や民主音楽協会の創立などの事績に光を当てる。
後半では、平和・文化・教育の道を開いた世界広布の旅路を追う。青年との真心あふれる交流の様子も展示。また、先生が各地で撮影した写真を指針と共に多数展示している。
https://www.seikyoonline.com/article/24746F433DBA0A253E0322DFCBF55540
2025年2月8日
ウズベキスタン共和国のムクシンクジャ・アブドゥラフモノフ駐日大使一行が7日、東京・八王子市の創価大学を訪問。同国が誇る大詩人アリシェール・ナワイーの立像に献花した。
この像は2004年3月、友好の象徴として同国政府から創大に寄贈されたもの。
ナワイーの生誕日(2月9日)を記念して開かれた献花式では、大使と創大の鈴木学長が大詩人の功績をしのびつつ、さらなる友好交流を願い、花を手向けた。大使は、創価大学に学ぶ留学生に「ナワイーと創大創立者である池田氏の精神を学び、両国の友好の架け橋になってほしい」と期待を寄せた。
献花式の終了後、大使と鈴木学長は、今後の教育・学術交流について意見を交わした
https://www.seikyoonline.com/article/1080D64555FBFC7A7D79D894D9EE596C
2025年2月8日
1・26「SGI(創価学会インタナショナル)の日」を記念する集いが、各国で意気軒高に行われた。
イタリア
ベルギー
グアテマラ
https://www.seikyoonline.com/article/8E229C5301C19269E108E36889AA46EF
2025年2月8日
町でばったり会った友人と言葉を交わした。
「もう飛んでる?」「飛んでる!」。
会話に主語は不要だった。
この時季は春の到来が待ち遠しい一方、飛散する花粉に憂鬱な方もおられよう
鼻水、目のかゆみといった症状に加え、「集中力の低下」にも悩まされる花粉症。
特に入試に挑む受験生にとって、集中できないのはつらいことだ
一般には「体」「脳」「心」を健やかに保つこと、といわれる。
体と脳の健康にはバランスの良い食事、十分な睡眠など、規則正しい生活が大切だろう。
では、心の健康はどうつくるのか。
集中力といっても、人は取り組むことにやりがいや興味などを感じない時、持続はなかなか難しい。
つまり課題を“前向き”に捉えられるかが鍵となる
ある米国の宗教社会学者は、学会の信仰は“人生に意義を与えて前向きにする”と論じた。
仏教では、この世をあらゆる苦悩を耐え忍ばねばならない「堪忍世界」(新1073・全771)と説く。
だが、その苦難をかえって自らの成長の糧にしていけると教えるのだ
いかなる障害も乗り越えていける信心だ。
私たちは学会活動の中で磨いた集中力と粘り強さで、人生の春を勝ち開いていこう。(代)
2025年2月8日
強盛の菩提心をおこして―御書。
御本仏の師子吼を胸に。
広布開拓の劇を
(新70・全200)
菩提心(ぼだいしん)
仏の最高の覚りを得ようと求め、仏道修行を貫くことを誓う心。
青年よ誓願の道を正直に誠実に
◇
最強寒波が続く。
大雪に厳重警戒を。
不要不急の外出避けて。
無事故第一
わざわひも転じて幸(さいわい)となるべし、あひかまへて御信心を出(いだ)し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき
(経王殿御返事、1124㌻)
〈通解〉 災いも転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こし、このご本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか。
~同志への指針~
変毒為薬、宿命転換の仏法である。断じて乗り越えられぬ苦難などない。打ち破れぬ闇などない。今こそ無量広大な仏力・法力を現す時である。
大変であればあるほど、まず、強盛なる祈りから一歩を踏み出すことだ。勇気ある信心こそ日蓮仏法の真髄だ。
遠藤: 二乗たちは、小乗の小法に執着して大乗に向かいませんでした。そこで、釈尊は、二乗を厳しく弾呵したのです。
信解品で、四大声聞は「昔、釈尊は、菩薩の前で、声聞で小法に執着して求める者を非難されたことがあった。それは、実には、大乗をもって教えようとされたのでした」と振り返っています。「大乗」とは、唯一の真の大乗である法華経のことです。これが仏の真の「財産」です。
■ 「信解」の意義
須田: さて、このように信解品は、声聞たちが「仏の教えを信じ、領解して(納得して)、心から喜んだ」姿を描いています。
ゆえに「信解品」というわけですが、この「信解」は、梵語では「アディムクティ」です。この言葉は本来、「傾倒」とか「意向」を意味します。「~に対して心が向いていること」です。心が指し示すことですから、「こころざし」と言ってよいと思われます。
また「ムクティ」は、「解脱」を意味する「モークシヤ」と語源的に関連するといわれています。
その意味で、「正法華経」(竺法護訳)で「信楽品」と訳された同品が、「妙法蓮華経」(羅什訳)では「信解品」と訳されたことは、原義をより深く解釈したものだと思います。
重要なことは、この「信解」という二文字の中に「信心と智慧」「信仰と解脱(悟り)」という仏法上の根本問題が凝縮されていることです。
ひいては「信仰と理性」「信じることと知ること」という哲学と文明の根源的な課題にも連なってくる。
きわめてデリケートな問題であるし、認知科学、心理学など諸分野の学問とも関連してくる。また仏教でも古来、精緻(せいち)な考察が重ねられています。
一回の語らいで論じつくせるものでないことは当然ですが、避けて通れないテーマであることも確かです。
パスカルが、信仰なき人々に対して「宗教が理性に反するものではないことを示さなければならない」(「パンセ」『世界の名著24』所収 前田陽一・由木康訳)と言った言葉は今も生きている。
確かに、そういう狂信的宗教が存在することも事実ですが、だからといって、検証もせず「すべての宗教が同じだ」というのは飛躍であり、それこそ理性に反する。根拠無き盲信の類と断じてよいでしょう。
高等宗教は本来、理性をないがしろにしていない。人間の理性を抑圧しながら、人類の普遍的な信頼を勝ち取ることは不可能です。
なかんずく「智慧の宗教」といわれる仏教は、きわめて理性的な宗教です。人間を超越した人格神などを信じないゆえに、西洋的な宗教観からは「仏教は宗教と言えるのか」と疑問を呈する人さえいるほどです。
須田: 特に原始仏教では、その傾向が強い気がします。大乗仏教になると「信」が強調されるわけですが —- 。
斉藤: 確かに、宗教だけでなく、どんな修行でも、はじめから師匠を疑っていたのでは、修行になりません。
牧口先生は、こう言われています。「生活は、すべて最初は模倣である。他人が行っていることを見よう見まねで、信じて生活をするのである。同様にお華でも、踊りでも、剣道でも、柔道でも、師匠のいうとおり信じて模倣するのであり、その上に立って模倣から創造に進むのである。それが生活法である」と。
社会自体が、互いの信頼なくしては成り立ちません。
名誉会長: そう。こういう生活上の「信」は、宗教的な「信」そのものではありませんが、両者は決して断絶しているのではない。連続しています。
2025年2月9日
共に祈る。共に学ぶ。共に語る。
共に歩く。「共に」という心と行動の
なかに、日蓮仏法の真髄の精神がある。
※2010年3月5日付聖教新聞「随筆 我らの勝利の大道」を基にしています。
2025年2月9日
首都圏の女子学生部大会が8日、東京・新宿区の金舞会館(創価文化センター内)で開催された。
清水女子学生部長は、挑戦の一歩を踏み出し、縁した全ての友に信心の歓喜を伝えようと述べた。
大川遥夏さんが、勇気の対話に挑み、最高の友情を築いた模様を報告。丹羽舞香さんは、ダンスを通して仏縁を結ぶことができた喜びを発表した。
那須女性部長は、友人の幸福を祈り抜き、大誠実の語らいで、心に“希望の光”を送りゆこうと呼びかけた。
https://www.seikyoonline.com/article/80E4E8EF903C018E879D34300030FB5C
2025年2月9日
https://www.seikyoonline.com/article/617269FCC04BD70EBB4BEB42EABE3173
新たな決意とさらなる勢いで前進!――SGI(創価学会インタナショナル)発足50周年を祝賀するアフリカ各国の集いが、1月26日を中心に行われた。1975年のこの日、SGIが発足したグアムでの会議に、アフリカから出席したのは、わずか3カ国。半世紀を経た今、アフリカ大陸の40カ国に、池田門下の陣列が広がった。妙法という「平和の種」は大きく芽吹き、人間主義の仏法哲学が「21世紀の希望の大陸」を照らし始めている。
◆ウガンダ
◆カメルーン
◆ザンビア
◆シエラレオネ
◆タンザニア
◆マダガスカル
◆モーリシャス
◆ルワンダ
◆南アフリカ
2025年2月9日
第16回「おおさか子どもEKIDEN大会」が8日、大阪市のヤンマースタジアム長居・周回道路(8区間=13・7キロ)で行われ、関西創価小学校が昨年に続いて優勝し、連覇を果たした。3区・與那嶺愛華さん(6年)、4区・有村渓さん(5年)、6区・市橋斗一さん(6年)が区間賞に輝いた。
また、チャレンジラン(持久走)の男子では、齋藤友陽さん(6年)が第3位、大西朔さん(同)が第4位に入賞。女子では、林美香さん(同)が第1位、小林智子さん(同)と吉田七海さん(同)が第3位の快走を見せた。
https://www.seikyoonline.com/article/1AE0DD10EC175665214EC56A45D48C28
2025年2月9日
「子どもの質問に、ドキッとしました」。
昨年末から小学2年生の息子と毎日、勤行をするようになった友が語っていた
初めは経本を読むのに必死だった息子は、あっという間に勤行を覚えた。
すると「日蓮大聖人ってどんな人?」「南無するの意味は?」と、勤行が終わるたびに疑問に思ったことを尋ねるように。
友の「質問されることで、改めて信心を学び直す機会ができました。
息子に感謝です」との言葉に触れ、子どもの問いに丁寧に答える姿が目に浮かんだ
自分より後から生まれてくる若い人たちは、どれほど偉大になるか、計り知れないのだから最高に尊敬すべきであるという意味だ
戸田先生は、よくこの言葉を引いて語った。
「『先生』というのは、先に生まれたから、そういうのだ」「君たちは『後生』だから、先生より偉くなれ」と
池田先生も次代を担う友に、常に限りない期待を寄せた。
「愛する『後生』の君よ、あなたよ! 偉くなれ! 大人材と育て! と私は祈り、見つめています」。
池田門下の私たちは、全員が“後生の君”だ。
自らを磨き鍛え、地域の後継の友を励まし、共々に成長しよう。
きょうは「未来部の日」。(誼)
2025年2月9日
悩み苦しみながら、皆を励ますから仏になれる―戸田先生。
確信の題目で
◇
民音の日。
文化の交流で世界に平和の架け橋を。
民衆の友情結ぶ挑戦更に
広布の労苦は我が心飾る
◇
刑法犯3年連続増加と。
特殊詐欺被害は過去最悪の721億円。
人ごとに非ず
◇
公明党が核禁会議へ議員派遣へ。
第1回から継続。
“核なき世界”へ歩み貫け
飯野富雄(いいのとみお)と妻のチヨは、厚田川(あつたがわ)の近くで喫茶店(きっさてん)を営(いとな)んでいた。それを聞いた山本伸一(やまもとしんいち)は、すぐに飯野の店を訪問することにした。
店の名は「厚田川」で、自宅の一角を改装(かいそう)し、店舗(てんぽ)にしていた。
伸一と峯子(みねこ)は、店のカウンター席に腰を下ろし、コーヒーを注文した。妻のチヨが、コーヒーを入れてくれた。
飯野夫妻は共に厚田村の生まれであった。入会前から、二人には、村に住む学会員の友人が多く、よく仏法(ぶっぽう)の話を聞かされた。夫妻には、信心(しんじん)への偏見(へんけん)はなかった。また、“学会は、決して悪い団体ではない”とも思っていた。しかし、だからといって、入会に踏み切る気にはなれなかった。
彼らは、友人の学会員に勧(すす)められて、「聖教新聞(せいきょうしんぶん)」を購読(こうどく)し、『聖教グラフ』もよく見せてもらっていた。
グラフを見た二人は、語り合った。
「学会の青年は、世間の若者とは、どこか違うな。さわやかさと、挑戦(ちょうせん)の息吹(いぶき)のようなものが、心からにじみ出ているように思う」
「本当にそうね。みんな普通の身なりで、特別に着飾(きかざ)っているわけではないのにね。内面(ないめん)の輝きのようなものを感じるわ」
「近所の学会員も、みんな人柄(ひとがら)がいいし、学会では、心の磨(みが)き方のようなものを、教えているんだろうか」
写真は、真実(しんじつ)を雄弁(ゆうべん)に物語(ものがた)る。
夫妻が、こんな感想をもち始めたころ、学会員の友人の一人が、真剣に入会を勧めてくれた。二人は、自分の心を輝かせたいとの思いで、信心を始めた。一九六二年(昭和三十七年)十一月のことである。
入会した飯野夫妻は、喜々(きき)として学会活動に励んだ。
飯野富雄(いいのとみお)と妻(つま)のチヨは、ある時、厚田地区(あつたちく)の初代(しょだい)地区部長であった山内悦郎(やまうちえつろう)から、厚田村の使命について聞かされた。
「厚田村はね、第二代会長・戸田城聖(とだじょうせい)先生の故郷(ふるさと)なんですよ。山本(やまもと)先生も、青年時代に戸田先生と一緒に厚田村に来られ、世界の広宣流布(こうせんるふ)を決意されているんです。ここは、学会本部からは遠いかもしれない。でも、これほど師匠(ししょう)と絆(きずな)が強い村はありません。
厚田村で活動に励(はげ)む私たちには、世界のどこよりも早く、広宣流布の模範(もはん)の地域(ちいき)を築いていく使命があるんです。その厚田村に暮らして、学会活動ができるなんて、すごいことじゃないですか!」
意義(いぎ)を見いだし、意義を自覚(じかく)することから、価値(かち)の創造(そうぞう)は始まる。また、そこから、心の強さ、心の豊(ゆた)かさが生まれるのだ。
このころ、厚田村(あつたむら)には、「聖教新聞(せいきょうしんぶん)」は小樽(おたる)から郵送(ゆうそう)されていた。そのため、村の学会員が新聞を目にできるのは、発行日から三、四日遅(おく)れてであった。夫妻は思った。
〝どうにかして、「聖教新聞」を、もっと早く読むことができないものか。同志(どうし)は皆、それを切望(せつぼう)している……〟
飯野夫妻は、『聖教グラフ』を目にしたことが入会の契機(けいき)になっただけに、機関紙誌(きかんしし)のもつ重(おも)みや、その波及性(はきゅうせい)を、身に染(し)みて感じていたのである。二人は、「聖教新聞」を自分たちが取りに行き、配達員(はいたついん)に渡す中継役(ちゅうけいやく)を買って出た。一九六六年(昭和四十一年)のことである。
飯野は、電化製品(でんかせいひん)の販売店を営(いとな)んでおり、業務(ぎょうむ)で使うために車を持っていた。
飯野富雄(いいのとみお)とチヨは、やがて厚田総(あつたそう)ブロックの総ブロック長、総ブロック委員(いいん)の任命(にんめい)を受けた。厚田総ブロックには、厚田村だけでなく、隣接(りんせつ)する浜益村(はまますむら)も含まれていた。
そのころ、厚田村までの「聖教新聞(せいきょうしんぶん)」の輸送体制(ゆそうたいせい)は整(ととの)ったが、浜益村は、依然(いぜん)として郵送(ゆうそう)であった。夫妻は、〝自分たちがなんとかしよう〟と思った。そして、厚田村に届いた新聞を、自分たちが浜益村に運ぶことにしたのである。
厚田村から浜益村の間には、急なカーブが続く細い山道がある。急カーブの先が崖(がけ)になっているところもある。曲がり切れず、崖から落下(らっか)する車もある難所(なんしょ)であった。
雨や雪などで、見通(みとお)しが悪い日に、ここを越えるのは、至難(しなん)の業(わざ)といってよかった。
道は、山の中の砂利道(じゃりみち)で、雪が積もり、路面(ろめん)は凍(こお)っていた。崖(がけ)の上の急カーブに差しかかった。右にハンドルを切った。曲がり切れそうになかった。急いでブレーキを踏(ふ)んだ。車は止まらず、路面を滑(すべ)っていった。
「危(あぶ)ない!」
妻のチヨが叫んだ。崖の向こうにある山が、飯野富雄の眼(まなこ)に迫(せま)った。
〝もう、駄目だ!〟
その刹那(せつな)、車は止まった。車体の先端(せんたん)は、崖から突き出していた。まさに、間一髪(かんいっぱつ)であった。
〝助かった! 御本尊様(ごほんぞんさま)に守られた!〟
そう思ったが、全身から力が抜けていくような気がした。
以来(いらい)、ここを走ることが怖くなった。カーブに差しかかると、ハンドルを持つ手が、緊張(きんちょう)で震(ふる)えるのだ。それでも、「聖教新聞」を載せて、この険(けわ)しい道を慎重(しんちょう)に走り続けた。
〝誰かが、これをしなければ、広宣流布(こうせんるふ)は進まない。自分がやるしかない!〟
その責任感が勇気となって、心の不安を乗り越えていった。人は使命を自覚した時、自分の壁を突き破ることができる。
村の同志にとって、それが、どれほど、大きな励みとなり、勇気となっていったか、計り知れないものがある。
学会活動のなかには、人の目にはつきにくい、光の当たらない地味(じみ)な活動もある。皆がなるべく避(さ)けたいと思う労作業(ろうさぎょう)もある。
しかし、皆が嫌(いや)がり、なかなかやろうとしないことも、〝広宣流布(こうせんるふ)のためには、なんでもやらせていただこう〟と、勇(いさ)んで引き受けてくれる人こそ、創価の真(しん)の英雄(えいゆう)といえる。
山本伸一(やまもとしんいち)は、各地を巡(めぐ)りながら、〝誰(だれ)が陰(かげ)で最(もっとも)も苦労(くろう)し、この組織(そしき)を支えてくださっているのか〟を、じっと洞察(どうさつ)し、見極(みきわ)めてきた。
幹部(かんぶ)は、〝誰(だれ)が陰(かげ)の力(ちから)として学会を守り、支えてくれているのか〟を見極(みきわ)め、深く感謝(かんしゃ)し、最大(さいだい)に賞讃(しょうさん)していかなければならない。そこに、創価学会の永遠(えいえん)の繁栄(はんえい)もあるのだ。
山本伸一は、飯野夫妻が営む喫茶店「厚田川(あつたがわ)」で、飯野チヨが入れたコーヒーを飲みながら語った。
「広宣流布(こうせんるふ)のために、苦労したことは、すべて自分の福運(ふくうん)になります。そして、必(かなら)ずいつか、それが実感できるものなんです。だから、勇(いさ)んで仏法(ぶっぽう)のため、友のために、苦労していくことが大事(だいじ)なんです。
そして、用意していた色紙(しきし)に句(く)を認(したた)めて、夫妻に贈(おく)った。
「厚田川 香りも高き 師の都」
妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり
(法華経題目抄、947㌻)
〈通解〉 妙とは蘇生の意味である。蘇生とは蘇るということである。
~同志への指針~
信心を根本に生きる人は、どんな状況、どんな場所にあっても、「ここ」から「新たな出発」を切っていける。「今」から無限の「希望の未来」を開いていける。
わが心、わが地域を蘇生させ、必ず自他ともに幸福の人生を飾っていくことができる。そのための仏法である。
名誉会長:オルテガ(スペインの哲学者)は「人は観念を持つ。だが信念の中で生きる」(「観念と信念」『オルテガ著作集 第八巻』所収 桑名一博訳)と言った。人が何かの「観念を持つ」すなわち「考える」場合にも、その考えている人が立っているのは、何らかの「信念」という大地の上なのであり、信念は「生の容器」である。
「われわれがなにかについて考えはじめたときには、信念はすでにわれわれの深部で働いているのである」(同)
「信念はわれわれの生の基盤を、つまり、その上で人間の生が展開される大地を作りあげている(中略)われわれの行為は知的な行為を含めて、すべてわれわれの真正なる信念の体系がいかなるものであるかにかかっている。われわれはそのような信念のうちに『生き、行動し、存在している。』その結果、われわれは、そのような信念について明白な意識を持たず、信念のことを考えないのが普通である。ところがそのような信念は、われわれが明晰な意識を持って行なったり考えたりするあらゆる行為のうちに含まれていて、潜在的に作用している」(同)
こういう議論からも、現代の通念となっている「信じることと知ることの対立」は決して自明のことではないと言えるでしょう。
「信」は人間の生の基本的条件であり、人間は「信ずるか」「信じないか」を選択することはできない。選択できるのは「何を信ずるか」ということだけなのです。
そして、この「何を信じ、何を信ずべきでないか」を体系化したのが宗教であり、その
意味で宗教は万人の人生・日常と不可欠に関わっているのです。
須田: ただ多くの人は、自分がよって立つ大地である「信念」について、余り自覚していないということですね。
その意味で、「信じる」ことから自分は縁遠いと思っている人ほど —- そう信じきっている人ほど —- 自分自身の生の基盤について非理性的であると言うことも、できるのではないでしょうか。
名誉会長: 大地という譬喩で言えば、ふだんは意識していない大地の存在を強く意識するのは地震の時です。それと同じように、自分を支えている信念は、それが崩れた時ほど、強く自覚される。
個人で言えば、人生の深刻な壁にぶつかって、それまでの生さ方を見つめ直す時です。
釈尊のもとに来た多くの人々も、そういう苦悩が、新たな「信」の世界を求めさせたと言えるでしょう。
文明で言えば、すべてに行き詰まった結果、文明の根底にあった基本的価値観が問い直される時がある。現代がそういう時代であることは間違いないでしょう。特に「信と解」に即して言えば、近代思想の特徴であった「信と知の分離・対立」という前提自体が問い直されている。
そして新たな「信と知の統合・止揚」が求められているのではないだろうか。
厚田村(あつたむら)は、晴天続(せいてんつづ)きであった。
十月三日も、さわやかな青空であった。この日は、戸田講堂(とだこうどう)で、北海道(ほっかいどう)の広布功労者(こうふこうろうしゃ)に対する追善法要(ついぜんほうよう)が営(いとな)まれた。物故者(ぶっこしゃ)に名を連(つら)ねる百五十二人は、皆(みな)、山本伸一(やまもとしんいち)にとって、忘(わす)れ得(え)ぬ共戦(きょうせん)の同志(どうし)たちであった。
勤行(ごんぎょう)の導師(どうし)を務(つと)めた伸一は、故人(こじん)の冥福(めいふく)と遺族(いぞく)の繁栄(はんえい)を、懇(ねんご)ろに祈念(きねん)した。
法要の席上、故人への名誉称号(めいよしょうごう)の授与(じゅよ)も行われた。そのなかに、「札幌(さっぽろ)・夏の陣(じん)」と呼(よ)ばれる、一九五五年(昭和三十年)八月の、札幌での夏季地方指導(かきちほうしどう)が契機(けいき)となって入会した、石崎好治(いしざきよしはる)の名もあった。
彼女は、“この地方指導(ちほうしどう)で、札幌(さっぽろ)に弘教(ぐきょう)の大きな波を起こそう”と決意した。そして、夫(おっと)の好治(よしはる)に、「わが家(や)で、学会の座談会(ざだんかい)を開(ひら)くんですから、あなたのお友だちにも、参加するように声をかけてください」と頼(たの)んだ。
好治は、小学校の教員であった。妻からは、「『創価学会』は、かつては『創価教育学会』と言い、北海道(ほっかいどう)の師範(しはん)学校で学ばれた、教育者の牧口常三郎(まきぐちつねさぶろう)先生が、初代(しょだい)会長ですよ」と聞かされた。彼は、〝それなら、同僚(どうりょう)たちを誘(さそ)ってみよう〟と思い、声をかけた。そして、教員六人が座談会に参加したのである。
座談会の担当幹部(たんとうかんぶ)は、東京の地区部長と、男子部の幹部であった。
「宗教に基(もと)づいていないすべての教育は、実(みの)りのないものである」とは、ドイツの教育家フレーベルの警句(けいく)である。
先入観(せんにゅうかん)は、真実(しんじつ)を見る目をふさいでしまう。
質疑応答(しつぎおうとう)に入(はい)ると、教員たちは、「信心(しんじん)で幸せになれるというなら、学会員に失業者(しつぎょうしゃ)や、病気で苦しんでいる人がいるのは、おかしいではないか」などと反論(はんろん)し始めた。
彼らは、何を言っても、真面目(まじめ)に話を聞こうという態度(たいど)ではなかった。学会への偏見(へんけん)があり、ともかく言い負かしてやろうという感情が先に立っていたのであろう。
地区部長は、彼らの勢(いきお)いに押されてか、口ごもり、立ち往生(おうじょう)してしまった。額(ひたい)に汗が滲(にじ)んでいた。
一緒(いっしょ)にいた男子部の幹部(かんぶ)は、席を外(はず)し、外(そと)に出て行った。
青年が出て行くと、教員の一人が言った。
「若いのは、逃げ出してしまったじゃないか。わしらに負けるのが怖いんだろう」
ほどなくして、青年は、別(べつ)の座談会(ざだんかい)に出席していた山本伸一(やまもとしんいち)を連れて帰って来た。
それから、彼は、丁重(ていちょう)にあいさつした。
「私は、創価学会の山本伸一と申します。このたび、東京の本部から派遣(はけん)され、札幌(さっぽろ)に来ております。よろしくお願いいたします。
お名前は、なんとおっしゃいますか」
教員たちは、伸一から漂(ただよ)う気迫(きはく)に気圧(けお)されたのか、か細(ぼそ)い声で名前を言った。
なかには、名乗ろうとしない人もいた。すると、伸一は、再度、「私は、山本でございます」と言い、相手の顔に視線を注いだ。
すると、しぶしぶ名を告げた。
山本伸一(やまもとしんいち)は、静(しず)かだが、力のこもった口調(くちょう)で語り始めた。
「もし、皆さんが、仏法(ぶっぽう)について、本当にお聞きになりたいのなら、お話しさせていただきます。まず、私の話を最後(さいご)までお聞きください。仏法の概要(がいよう)について述べたあと、質問(しつもん)もお受けし、懇談(こんだん)いたしたいと思いますが、いかがでしょうか。よろしいですね」
皆、呆気(あっけ)に取られたような顔で頷(うなず)いた。
伸一は、自分の入会の動機(どうき)から話を起こして、人間は、信じる対象(たいしょう)によって、大きな影響(えいきょう)を受けていることを語った。そして、宗教(しゅうきょう)とは根本(こんぽん)となる教えであり、宗教のいかんが人間の生き方(かた)、考え方を決定づけるだけでなく、文化、社会の根底(こんてい)をなすことを訴(うった)えていった。さらに「日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の仏法とは何か」に言及(げきゅう)した時、教員の一人が口を挟(はさ)んだ。
別の教員が、勢(いきお)いづいて叫(さけ)んだ。
「日蓮は、排他的(はいたてき)なんだよ。宗教間(しゅうきょうかん)の争(あらそ)いを生む、危険(きけん)思想じゃないか!」
伸一は、それを手で制(せい)しながら言った。
「私の話を、最後まで聞いてくださると約束されたではないですか! これでは、まともな語らいはできません。今日(きょう)は、これで終了とします。解散(かいさん)しましょう。
しかし、本当に話をお聞きになりたいのでしたら、また、いらしてください」
教員たちは、中傷的(ちゅうしょうてき)な言辞(げんじ)を吐(は)きながら、席(せき)を蹴(け)るようにして帰っていった。また、石崎聖子(いしざきせいこ)が連れてきた、三、四人の婦人たちも、あいさつも早々(そうそう)に出て行った。
「山本室長、こんな座談会(ざだんかい)になってしまって、本当に申し訳ありません!」
伸一は、さわやかな笑みを浮かべた。
「広宣流布(こうせんるふ)の戦いには、いろいろなことがあるものです。たくさんの経験(けいけん)、歴史(れきし)を積(つ)んでいくことが大事(だいじ)なんです。今日は、忘(わす)れ得(え)ぬ座談会の思い出ができたではないですか」
山本伸一(やまもとしんいち)には、石崎聖子(いしざきせいこ)の胸の内がよくわかった。彼は、笑顔で包み込むように語った。
「この座談会(ざだんかい)は、大成功(だいせいこう)でしたよ。何も悲観(ひかん)する必要はありません。あの教員の方々(かたがた)の心には、しっかりと、仏法(ぶっぽう)のこと、学会のことが打ち込まれていますよ。
それに、私は早く終わって、ご主人とお話しができればいいなと思っていたんです」
夫の石崎好治(よしはる)も、自分が、あの教員たちを呼んだだけに、申し訳なく思っていた。伸一は、好治に声をかけた。
奥さん、ご主人は、必ず信心されますよ」
こう言うと、彼は好治の肩(かた)を、ポンと叩いた。そして、好治に語った。
「ご主人も教員をされているそうですが、大事(だいじ)なことは、いかなる教育理念(りねん)をもつかです。教育者であった初代(しょだい)会長の牧口常三郎(まきぐちつねさぶろう)先生は、教育の目的(もくてき)は、どこまでも、子どもの幸福にあると明言(めいげん)されています。
子どもの幸福を実現(じつげん)するには、人間とは何か、生命(せいめい)とは何かを、明確(めいかく)に示(しめ)した生命の哲理(てつり)が必要不可欠(ひつようふかけつ)です。それを説き明かしているのが仏法(ぶっぽう)なんですよ。
石崎さんは、どうか、教え子たちの幸福を実現できる教育者になってください」
石崎好治は、伸一の話に胸を打たれた。いや、何よりも、確信(かくしん)と慈愛(じあい)にあふれた伸一の人柄(ひとがら)に共感(きょうかん)したのだ。
三日後、彼は入会した。
夏季地方指導(かきちほうしどう)で多くの弘教(ぐきょう)が実(みの)った札幌(さっぽろ)では、組織(そしき)の拡充(かくじゅう)が図(はか)られた。石崎は、学会のことも、信心(しんじん)のことも、わからないことだらけであったが、入会一週間後、最前線(さいぜんせん)組織のリーダーである組長(くみちょう)の任命(にんめい)を受けた。
〝私は、自(みずか)ら学会についていこうと決めて信心を始めた。一度心を定(さだ)めたからには、なんでも引き受け、挑戦(ちょうせん)していこう〟
彼は、そう心に誓(ちか)っていたのだ。
石崎好治(いしざきよしはる)は、草創(そうそう)の地区部長(ちくぶちょう)、支部長(しぶちょう)などを歴任(れきにん)する一方(いっぽう)、北海道(ほっかいどう)教育部長も務(つと)め、一九七五年(昭和五十年)に他界(たかい)するまで、人間教育の開拓(かいたく)のクワを振(ふ)るい続けてきたのである。
天晴れぬれば地明(あきら)かなり法華を識(し)る者は世法を得(う)可(べ)きか
(観心本尊抄、254㌻)
〈通解〉 天が晴れるならば、地はおのずから明らかとなる。同様に、法華経を知る者は世間の法をも、おのずから得るであろう。
~同志への指針~
妙法は太陽である。社会の大地を明るく照らす、本源の智慧の光である。我らは生命尊厳の正しき法理の上から、世間の事象の本質を鋭く見極め、自在にリードしていくのだ。
現実の荒波の中で奮闘する友よ、断じて負けるな! 題目に勝る力はない。勇気凛々(りんりん)と断じて社会で勝ち光れ!
遠藤: かつて池田先生が、この点について創価大学で「スコラ哲学と現代文明」と題して講演されたのを思い出します(1973年7月)。中世の“暗黒時代”の“御用哲学”のように見られてきたスコラ哲学に、まったく新しい光を当て、ポスト近代の課題である「信と知の統合」「全人格的な知」への大きな糧となり得ることを示唆されたので、目がさめる思いがしました。
須田: 確かに、理性が他の何物にも依存せず自立的であるという見解は、過去のものになっているようです。例えば科学史の分野でも「パラダイムの転換」などということが言われています。今までは、科学上の知識はどのような時代でも変わることのない普遍的・客観的な知識であるととらえられてきましたが、実はそれも科学者自身がもっている「その時代に支配的な物の見方(パラダイム)」と不可分であるということが言われるようになってきました。
斉藤: この点については、現代の哲学者もさまざまな角度から述べています。例えば、現代哲学に大きな影響を与えたオーストリア生まれの哲学者ヴィトゲンシユタインは、人間が知ることの根底には、その人が信じている何らかの「世界像」がある、と主張しています。
つまり、人間の根底には証明不可能の「信」があり、一切の「知」の働きも信から離れて存在するものではないということだと思います。例えば、一切のものを疑ってなにものも信じないという「懐疑主義」を標榜している人がいたとしても、その人は「疑う」こと自体を信じていることになります。
須田: ガーダマーというドイツの哲学者も、人間がどこまでも歴史に制約された存在であるということを強調しています。人間は自分が生まれ、成長した社会から離れて自分を作ることはできない。その社会が前提にしているものを信じて受け入れるところから人間は出発するといえます。
法華経で説かれる信が、解と一体になった信、すなわち「信解」であるということは、その信が単なる主観にとどまっていないことを意味しているといえるでしょう。
もちろん、仏の悟った根源の法は「言語道断・心行所滅」で、言葉や理性の働きで把握し尽くせるものではありません。しかし、言葉や理性が及ぶ範囲では、その働きを最大に尊重していくのが仏法の立場です。仏の悟りは理性が及ぶところではないとしても、少なくともその悟りは理性に敵対し、理性的批判を拒絶するものではないのです。
信解の「解」とは、「智慧」のことです。理性そのものではないが、理性と合致し、理性がその一部であるような「智慧」です。極限まで理性的でありながら、同時に全人格的である「智慧」 —- それを「信」によって得るのが「信解」です。
2025年2月11日
わが胸中の師に向かって、「青春の誓いを、
我は果たせり」と言い切れる人生ほど、
この世で崇高な生命の劇はない。
※『池田大作全集』第131巻を基にしています。
2025年2月11日
https://www.seikyoonline.com/article/16280269B2C2F554E94FC2B6D0F5E92A
きょう2月11日で第2代会長・戸田城聖先生の生誕125周年となる。その生涯は、先師・牧口常三郎先生の遺志を継ぎ、民衆の幸福に尽くし抜いた尊き一生であった。青年への遺訓の第一として「原水爆禁止宣言」を発表し、「75万世帯」の願業を成就。「この世から悲惨の二字をなくしたい」との恩師の熱願は、不二の弟子・池田大作先生に受け継がれ、創価三代の師弟に連なる同志のスクラムは今、地球を包む。このほど、戸田先生の生誕日を前にメキシコに新たな宝城「バヒオ会館」が誕生。アルフォンソ・ガルシア・ロブレス外交協会からSGI(創価学会インタナショナル)に「平和と核廃絶功労メダル」が授与された。
戸田先生は最晩年、池田先生にメキシコに行った夢を見たことを語りながら、万感の思いを託した。
「世界が相手だ。君の本当の舞台は世界だよ」
恩師の熱願を命に刻み、池田先生は不二の闘争で世界広布の道を切り開いた。
創価の師弟に貫かれた平和の誓いは、メキシコの同志が受け継ぐ誓いでもある。
1962年のキューバ危機を契機に、中南米では非核化の構想が進展した。近年では、メキシコは人道の視点から核兵器の問題点を訴え、使用禁止に向けた国際社会の流れをつくってきた国の一つである。
同国にあって、メキシコ創価学会は各地の大学で「核兵器なき世界への連帯――勇気と希望の選択」展を行うなど、市民社会に平和の潮流を広げる役割を果たし、地域に友情の輪を築いてきた。
さらに、世界最初の非核地帯条約「トラテロルコ条約」の締結に貢献し、82年のノーベル平和賞を受賞した同国の元外務大臣の名を冠するアルフォンソ・ガルシア・ロブレス外交協会から、SGIに「平和と核廃絶功労メダル」が贈られた。
これは、SGIの平和・文化・教育への多大な功績をたたえたもの。授与式は1月24日(現地時間)にバヒオ会館で行われ、OPANAL(ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約機構)のフラビオ・ロベルト・ボンサニニ事務局長、アルフォンソ・ガルシア・ロブレス外交協会のラファエル・メディナ・マルティネス会長らが出席した。
メディナ会長は、池田先生の平和思想をメキシコの人々に広げてほしいと述べた。
2025年2月11日
創価学会公式サイトの「SOKA PICKS」に、平和の大切さを学ぶ紙芝居の動画が追加された。タイトルは「『黒こげの少年』 聴け! 声なき平和の叫びを」。紙芝居の制作者であり、自らも長崎で被爆した三田村静子さん(県被爆者手帳友の会副会長)が、長崎での「ピースフォーラム」(昨年7月)で読み聞かせを行った模様を収録。原爆の悲惨さや平和の尊さを伝える。
動画はこちら
https://youtu.be/Lz04iSnKno8
2025年2月11日
https://www.seikyoonline.com/article/567B3C099C2D3667710B69A92BCECB95
生命尊厳の哲学を未来へ
反戦・平和と生命尊厳の哲学を発信する拠点として、1979年にオープンした「戸田平和記念館」。「原水爆禁止宣言」を発表した戸田先生の精神を広く伝えてきた
世界中の船が行き交う海の玄関口・横浜港。港に面した山下公園沿いを歩けば、異国情緒漂う赤レンガの建物が目を引く。「戸田平和記念館」である。
豊富な写真やイラストで、戦争や紛争の脅威、核兵器の非人道性などを訴える(戸田平和記念館で)
新しい常設展「『核兵器のない世界』を目指して~今、わたしにできること~」は、全3章で構成。未来を担う若者世代を中心に、核兵器の実態や平和について学べる内容となっている。
来場者からは「明るい雰囲気で、大人も子どもも興味がもてる分かりやすい展示です」など、好評の声が寄せられている。
戸田平和記念館は、これからも戸田先生、池田先生が示した生命尊厳の哲学を、社会へ未来へと伝えゆく“平和の宝城”として輝きを放ち続ける。
2025年2月11日
人類最後の日を午前0時と想定して、それまでの残り時間を象徴的に示す“終末時計”。
1947年に「7分前」から始まり、先日の発表で過去最短の「残り89秒」となった。
要因には、核兵器使用のリスクや気候変動問題の深刻化などがある
では、時計の針を戻すにはどうすればいいのか
――先月、リニューアルオープンした横浜の戸田平和記念館の常設展は、その問いから始まり、一人一人ができることを紹介する。
展示を見た「神奈川県原爆被災者の会」の東勝廣事務局長は語っていた。
核兵器廃絶への活動を通して痛感するのは“人々の無関心の壁”であると
その平和運動の原点となったのが、核廃絶を青年に託した戸田先生の「原水爆禁止宣言」である
かつて池田先生は「“黙ってはいられない”との、やむにやまれぬ大感情」こそ無関心に覆われた社会に必要だとし、その思いは恩師の宣言に脈打っているとつづった
この精神を受け継ぐのが、我らの言論戦だ。
きょう11日で戸田先生の生誕125周年。
決意新たに平和への叫びを強めたい。(鯛)
2025年2月11日
戸田先生の生誕125周年。
広宣流布の礎・地涌75万の恩師。
連なる誇り胸に
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法華経は「讃むる言こそ多く候え」。
友の奮闘称え希望送る「励まし週間」を
(新1713・全1242)
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長時間の座り仕事は血流に悪影響―医師。
30分に1度は立つ等、賢く工夫
此(この)法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然(しかれ)どもいまだこりず候
(曾谷殿御返事、1056㌻)
〈通解〉 この法門を日蓮が説くので、「忠言は耳に逆らう」というのが道理であるから、流罪にされ、命の危険にも及んだのである。しかしながら、いまだ懲りてはいない。
~同志への指針~
正しいからこそ、魔は競い起こる。
日蓮大聖人は、命に及ぶ迫害の中で一切を耐え忍び、全民衆の幸福と平和のために「立正安国」の大闘争を貫き通してくださった。
「いまだこりず候」──これこそ学会精神の真髄である。我らは何ものにも屈しない。魔の方が音を上げるほどの「負けじ魂」で、戦って戦って戦い抜くのだ。
遠藤: 日蓮大聖人も、極限まで理性的であろうとする仏教の王道を行かれています。
例えば、あえて「疑い」を提起することによって、御自身の立場を確認されていったと思われることが多くあります。
例として、立宗宣言をされる前、大聖人は各地の寺院などを回られました。その際、「而るに十宗七宗まで各各・諍論して随はず国に七人・十人の大王ありて万民をだやかならじいかんがせんと疑うところに一の願を立つ我れ八宗十宗に随はじ」(報恩抄p294)と、宗派にわかれて争っている当時の仏教界に対して疑いを持たれたと述べられています。当時の権威に盲従することなく、経典を基準に自ら思索を深められ、御自身の信念を裏付ける確証を追究されたのです。
斉藤: 佐渡流罪の際もそうです。法華経の行者である日蓮大聖人がなぜ難に遭うのかという内外の疑難に対し、開目抄で「此の疑は此の書の肝心・一期(いちご)の大事なれば処処にこれをかく上疑を強くして答をかまうべし」(御書p203)と仰せのように、その疑問を正面から受け止められ、疑問の検討を通して、御自身が末法の御本仏であられるという結論を示されています。
ここでも疑問を拒否せず、それを通してより高いレベルの答えを出されている。大聖人が示された信は、知的な批判を恐れるようなものではなかったことがわかります。
また諸法実相抄に「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず」(御書p1361)と、行と並んで学の努力を強調されている。
知の探求・検証がなければ仏法は無いとまで断じられている。このように理性の働きを最大に尊重していくのが大聖人の仏法なのです。
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