とある秘書のリアルRPG

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ここ4~5年続けている、ある趣味がある。

それ以前、合計すると10年くらいは続いている。

同じ分野の趣味でも、関心や興味の対象が異なっている。

最初はひたすら調べて、集めて、買って、それを試してみて。
自分なりの面白いやり方を見つけてみたり、コミュニティを作ってみたり。

地元に帰ってからは、自分のコミュニティとは疎遠になった。
そしたら創ることへの時間が増えた。

人と関わる機会が減ったから、創作という内側への旅に出た。

創作は、きっと自分が表現したもので、人に認めてもらいたかったんだと思う。
下賤な言い方をすれば、モテたかったにすぎない。

でもそんな創作にも、周囲の反応が薄いと意欲を失ってしまう。
こんなものなのかな、と。

いや、本当にクリエイティブな人は、周囲の反応はどうあれ、自分の納得のいくものを追求していくに違いない。

でも自分はそこまでの覚悟はなかったんだろう。

今までもたくさん色んなことで挫折した。

仕事でも、ナンパでも、マンガでも、人間関係でも、どれも中途半端で投げ出して、逃げ出してきた。

でも、それでも仕方なかったのかもしれない。

あの時はそれなりに頑張って耐えてきたと思うし、何よりも最初は楽しかったことが段々と苦痛になってきていた。
そこに創意工夫がなくて、なんとなく惰性とマンネリの慣性で動いていた。

今の創作に関しても、なんとなく行き詰っている。
もちろん無理して続けることもできるだろう。
あともうちょっと続けてみようとも思う。
けれど、その比重を減らして、新しい何かを始めた方が良いんだとも思っている。

自分は器用ではないから、あれもこれもとたくさん同時に進めることが苦手だ。

色んな本やテレビで著名な人を見て、何かひとつを極められる人ってとても尊敬するし、自分もそんな人になりたいって思う。

でも、飽きることってそんなに悪いことではないのかもしれない。

その人が興味や関心を持っていることに対しては、スポンジのように吸収できるかもしれないけれど、興味がなければ何を言われても入ってこないんだと思う。

いままで好きだったのに、興味がなくなってくると、途端に情報を入れなくなるし、見向きもなくなる。

多分、その人にとって今必要なのは、それではなく、別の何かなのかもしれない。

それがはっきりわかっている状態は理想的だ。

分からない時は悩むし、辛い。
今までやってきたことを投げ出すなんて中途半端だと自分を責めてしまうから。

でも惰性で続けるよりも、それを一旦辞めて、新しい何かを探すことも勇気のある行動ではないだろうか?

若い人とゲームを一緒にやる機会があった。

目の前でアナログなゲームをやりながら、スマホでもゲームをやる。

まぁこれはゲームに限らずだけど、誰かと一緒にいる時にスマホに画面を向かれると一緒に居てつまんないだとか、なんだか相手に対して失礼なんじゃないかなって思ってしまう。

そういう人を何人か見ていて思ったのは、もう相手に対して失礼と感じるとか、そういう感覚はないんだろうなって。

そういう風に批判的なことをちょっと切り離してみると、別の関心が生まれた。

ゲームをやりながら他のゲームをやれるって結構すごいことじゃないか?
ということだ。

私は複数のことを同時にやるのがあまり得意ではない。
だから料理も同時並行はあまりできないし、多くてせいぜい2品程度しか作れない。

何よりもゲームは手を動かしたり思考することで進めるものではあるが、ゲームの種類によっては退屈を埋めたりフロー体験をさせるような一種の陶酔的な部分もある。
それは考えるというより、自分の感覚を少し麻痺させることにも似ているんじゃないかと思う。

1日でゲームをたくさんやることはあっても、それは直線的で、マルチタスクに平行にやるという発想はなかった。
プロの棋士が複数のプレイヤーと同時にプレイするというのもあるから、それにも似たようなものなのかな。

なんだか別のスキルが養われそうな気もするけど、何かをひとつやる時には、多少退屈な時間があってもボーっとする時間というのも大切なんじゃないかなと思った。
まぁあとは、やっぱり人といる時は相手と向かいあってプレイすることが礼儀なんじゃないかな、と。

って思ってしまう時点で自分はもう年寄りの考え方であり価値観なんだろうなって瞬間でもあった。

ひさびさのブログ更新。

コロナで思うように身動きできなくなってから、1年半以上が経った。

どこかに出かけたいという欲求が積りつつも、これが日常なのかと受け入れる姿勢が半ばできつつある。

思えば趣味は、旅行以外は室内で完結するものばかりだったっけ。

移動できないということを受け入れるようになると、その範囲内での楽しみを見出すことになる。

そういった意味では、割と近場のものをたくさん経験するようになった。

身近なモノに目がいくようになると、いつもは気付かなかったことに目がいくようになる。

こんな所にお店があったんだ。とか、ちょっと道を変えるだけで全然違う風景と出会ったり。

毎日行くお店だって、客は毎日違う。

毎日行くスーパーだって、旬な食べ物は違ってディスプレイは変化するし、お買い得なモノももちろん様変わりする。

身近なモノに楽しみを見出すっていうことは、日常の細かなモノに気づくということ。
それは自分の見ているものの解像度を上げるということだ。

解像度を高めれば、これからの旅はきっと、モノの見方にも別の視点やさらに新しい発見があるのだと思う。

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