2004年08月04日

BIG INTERVIEW

2001/5/28 ORIGINAL CONFIDENCE


エイベックス(株)専務取締役 松浦真在人氏
Masato "max" Matsuura
1964年10月1日、神奈川県生まれ。1985年、大学在学中(3年)に貸レコード店でアルバイトを始める。
86年、横浜市上大岡駅前にフランチャイズの貸レコード店を開業。87年、日本大学経済学部卒業。
88年4月、エイベックス・ディー・ディー(株)(現エイベックス(株))を設立。CDの輸入卸業を始める。
89年、ユーロビートのコンピレーションアルバム「スーパーユーロビートVol.1」を発売。90年9月、
レコードレーベル「avex trax」を設立。91年3月、エイベックス・ディー・ディー(株)専務取締役就任。
92年、ジュリアナTOKYOシリーズCDを発売、94年までに同シリーズ10作を発売し、計200万枚を
売り上げる。同年9月、TMNの作品をディスコスタイルにリミックスした作品集をリリース。93年、
小室哲哉氏の「かつてないダンスヴォーカルユニット」というアイデアを実現し、TRFをデビュー
させる。95年〜01年、ユーロビートをカバーした安室奈美恵の楽曲をはじめ、Every Little Thing、
浜崎あゆみ、Do As Infinity、dreamなど次々と話題のアーティストをプロデュースする。

欲しいものはすべて手に入れた。
こんないい加減な人間に決定権を与えてくれた
依田会長に感謝するばかりです

36歳という若さで「欲しいものはすべて手に入れた」などと面と向かって言われ、腹が立たないのが不思議だった。業界の非常識を武器に、音楽で一発当てたというのは簡単だが、貸レ業時代からエイベックスを業界トップに成長させる今日まで”音楽を売る”ためのマーケットを見る確かな目とプロデュース能力、時に奇抜とさえ映るスピーディーな行動力は、やはり”天性”という言葉を当てはめるしかないのだろう。

丸々2時間、とぎれることのないインタビューのその内容は実に単純で分かりやすく、説得力があった。「子供がご褒美をもらって喜ぶように」仕事が出来たら、何かそれはとても素晴らしいことのように思えてきた。



リミックスを作るのは、中高生に海外の優れた音楽を理解して欲しいから

−松浦さんは基本的にインタビュー取材は受けないと聞いていたのですが。

松浦−メディアの取材に関して、ビジネス的な硬い内容に関しては(依田)会長が、逆に柔かい
例えば「ASAYAN」などの番組であれば僕が出るという、単に分担してやってきただけのことです。
オリコン(オリジナルコンフィデンス)となれば、音楽ビジネスの堅い最たる雑誌ですから、取材を
受けるのに相当の覚悟がいるだろうし、中途半端な話はすべきじゃないと思ってました。最近
「噂の真相」やら芸能マスコミで勝手なこと書かれたり、会社が上場するといろいろ批判、中傷を
受ける事が多くなってきて、あることないこと何好きなこと言ってんだと言い返したい気持ちが強く
なってきたというのもあります。テレビでは3時間話しても流れるのは30秒位だったりするので、
インタビューを受けるのであれば、徹底的に話すことのできる形を取りたかった。

−日本の音楽業界を俯瞰して、何が一番問題だと思いますか。

松浦−海外との比較でいうと、国民性やカルチャーの違いでどうにもならないことが日本の市場
にはあって、その中でもがき苦しみながら音楽を作り、売っていかなければレコード会社自体が
成り立たない。作品として発表するというのならともかく、音楽を商品として成り立たせるため
には、日本の音楽環境や諸条件の中でビジネスとしてやっていかなければならないわけで、音楽
好きであればあるほどそのはざまで葛藤は増すばかりです。一番の問題はおそらく永遠の課題で
解決はできない事ですが、ビジネスとして売りやすい音楽を作り、それを売っていく中でさらに
そこからステップアップしていったとき、ユーザーがついてこないことなんです。作り手である
自分たちがやりたいと思う事と、ユーザーが求める事が一致すればそれが一番良いとは小室(哲哉)
さんも言ってたけれども、大抵そういうわけにはいかない。僕は、ユーザーが求めている事を
十分に飲み込みながらも、実は自分のやりたいことをリミックスという形で作品を作ってきていて、
ニューヨークのハードハウスがすごく気に入ったときは、浜崎のリミックスでハードハウスを
やったし、トランスが良ければトランスをやったりと、それで自分の制作面でのうっぷんを
晴らしています。常識的にシングルはオリジナルヴァージョンを1曲目に入れるものですが、
「Boys&Girls」は1曲目にリミックスを入れている。リミックスというものはオリジナルとかけ
離れたものにするのが一般的だけど、極力ポップスに近いリミックスを作ればはじめは聴き慣れ
なくてもそのうち馴染むだろうと思った。僕らが高校生の頃はリミックス自体知らなかったけど、
今の中高生は知っていて当たり前。1枚1200円のCDに十何ヴァージョンも収録して、もちろんその
すべてを聴いてくれるとは思ってないし、所詮1曲目しか聴かないだろうと思っているけど、それを
承知の上で何百万も掛けて海外でリミックスを制作するのは、中高生にリミックスというものに
慣れて欲しいから。彼らの音楽的感覚を変える事で、いずれ海外の優れた音楽が日本でも理解され
るんじゃないかと思うからなんです。1曲700円で出せばいいとか、リミックスなんてつまらないと
言われたりするんですが、僕はそれが面白いかどうかではなく、日本の音楽ファンを洗脳しようと
思ってやっている。僕らが高校生の頃は貸レコードがすごく流行っていて1枚300円でアルバムを
聞くことが出来た。今、洋楽のレンタルは禁止されていますが、洋楽のレンタルは絶対認めるべき
だと思いますね。今もっとも洋楽を聴く世代が邦楽に偏っているのは、洋楽のレンタルを禁止した
からだと思うし、実際、禁止された時期と洋楽の売り上げが下がり始めた時期が同じだと聞きます。
洋楽から音楽を聴き始めた僕としては、洋楽のどんなところが素晴らしいかということをなるべく
分かりやすく今の音楽ファンに伝えたかった。

−若い世代が洋楽に接する機会を増やすために、洋楽のレンタルが認められないものかという
声があります。

松浦−文化の違いから貸レコードなど海外では考えられないことでしょう。同じレコードを
何枚も買うような、レコードが消耗品のように買われていますからね。日本は物価が高いのか、
レコード会社の設定する価格が高いのか、スタジオの制作費が高いのか、宣伝費が高いのか、
ドラマのタイアップだなんだと目に見えるような見えないような部分でお金が掛かりすぎるのか、
それともレコード会社の規模が大き過ぎるのか分かりませんが、日本では、貸レコード業が起こる
べくして起こったのだろうし、欧米では日本より著作権の考え方がはるかに進んでいたことから、
貸レコード(貸与権)に関しては先手を打って防御した。日本では間隙をつくように貸レコード店が
どんどん出てきて、裁判だなんだと言っている頃には5千軒6千軒と増え、産業として認めざるを
得なくなってしまった。両方を経験している僕としては、貸レコード業にも思い入れがあるし、
もちろんセルのレコード店は一番大切だし、その間で悩みます。ただ、いろいろ理屈を並べて
貸レコードの存在意義を主張しても、やはりレコードが売れなければレコード産業自体が成り立た
ない。僕は、貸レコード店をやっているときはレコード店さんの前をまともに歩けませんでした。
レコード店でレコードを見ていても、「あいつ貸レコード屋だ。あれを買って貸すつもりなのかな」
って思われているような気がして。何枚も同じタイトルを買う時は、実際貸してるんですけどね(笑)。
まさか貸レコード屋の自分がレコード会社をやるなんて夢にも思わなかったけど、冗談でレコード
会社やれたらいいねなんて言ってたのがエイベックスの始まりですから。今でこそ貸レコード業は
きちんとした産業として認められていますが、当時はいつ消えても不思議じゃなかった。貸レコード
店を始めたのは大学4年のときで、こんな明日をも知れぬ業界に自分の将来を預けていいのかずいぶん
悩みましたよ。(セルの)レコード店の勉強模した方がいいとWAVEを運営する西武百貨店の文化事業部
をはじめいろいろ就職試験を受けたりもしましたが、見事全部落ちて。あのとき西武に受かっていたら
エイベックスはないということです(笑)。

−松浦さんにとって、そういった経験がいくつかあったと思うのですが。

松浦−とてもたくさんあって、選んだ道が結果的にすべて成功したって感じなんですね。クイズ
番組の「クイズ$ミリオネア」じゃないけど、「さあ、正解はどれ?」と言われて全部当てて1千万円
獲得! というような(笑)。さっきも言ったように、WAVEに就職するか貸レコード店を続けるかが人生
最大の分かれ目だったと思いますが、振り返ると実にいろいろあった。
ミニマックスという貸レコード店の会社をやっていた80年代半ばは、当時郊外にも大型の貸レコード
店がどんどん出来始めていた頃で、空き地が出来るたびそこに建つ新しいビルに大型の貸レコード店
が入りはしないかといつもビクビクしてましたね。僕の店は、狭いながらも駅前の立地に恵まれていた
こともあって、レンタルだけで1日30万は売り上げていたんだけれども、そのうち個人客だけじゃなくて
他のレコード店にレコードを売ってみたらどうかと考えた。当時、代行店と呼ばれる卸しが扱わない
ような輸入盤やインディーズ盤を、お店にとっては貸しやすく、お客さんにとっては借りやすい状態に
して売ったんです。どういうことをしたかというと、名刺大のカードにプロデューサーが誰で、どんな
曲が入っていて、こんな曲が好きな人には絶対にお勧めとか、新宿で流行っているとか可能な限りの
情報を記入する。1枚1200円で仕入れたレコードにその解説がいっぱい書き込まれたカードを付けて
1700円で売るんです。日本中の貸レコード店にメールを送って集めたのが50店舗程度。それでも1店舗
あたり月10万くらい儲かったので全部で500万。これはおいしい。この仕事をずっと続けていけばいい
と思いましたね。そんなところに突然エイベックスの元社長の鈴木壱成氏がやってきて、何かと思えば
「君がやっている事は絶対に商売になるから日本のすべての貸レコード店に向けてやろう」と言うわけ
です。それはもう毎日やってきてはしつこく誘う。僕は自分の会社があるし、自分で始めたことだから
一緒にやらなくてもいいって言っているのに、ある日強引に連れて行かれたのが町田のマンションの
一室。ここにレコードがあるから全部解説を書いてと言うわけです。勝手に事務所借りて、机やワープロ
揃えて、レコードまで買ってあるんだから驚きました。あっけにとられてつい「分かりました。手伝い
ますよ」って言っちゃったんだけど、とりあえず自分のレンタル店の経営と、どうなるか分からない
輸入盤の解説を書く仕事と両方やってみようと。その後、貸レコード店のある地域が駅前再開発計画に
入り、新しいビルの高いテナント料が払えず立ち退かざるを得なくなるんですが、その時期とエイベッ
クスが貸レコード店にレコードを卸す流通量が爆発的に増えた時期が重なったこともあって、ミニマッ
クスはほとんど人に任せ、僕はエイベックスを選びました。

−「クイズ$ミリオネア」で一千万円を獲得するまでの道のりを聞かせて下さい。

松浦−エイベックス設立当時、輸入盤をいつまでもCISCOから買っていたのでは仕入れコストを下げ
られないと思い、海外の問屋から直接仕入れようとしました。で、CISCOやWAVEの仕入先を探ろうと
ごみ箱を捜すと、なんてことはないCISCOの親会社だったのでさっそくそこから仕入れることにした。
海外から直接仕入れればもっと安いだろうと今度は通関から配送まで全部やった。海外で発売されたら
1日でも早く1時間でも10分でも早く店頭に並べようとありとあらゆる手を尽くしましたね。やり方を
マスターしたら、今までCISCOやWAVEでさんざん買ってきたのだから、今度は売ってやろうと当時から
すれば非常識な卸価格で、しかも海外で月曜日に発売になったものを木曜には納品するという荒業です。
輸入業者は通常在庫を持ちませんが、エイベックスが7千万円の在庫を持ったという決断も転機といえば
転機ですね。在庫を持てば、オーダーされて即商品が出せるし、お店の反応はすごく良かったですね。
海外では、当時のエイベックスのようなディストリビューターが自らインディペンデント・レーベルを
持つケースも多くて、エイベックスはレコード会社だと思われていたようです。ならばやってみようと
思いついたのが、ユーロビートのコンピレーションを作ること。ユーロビートの良い作品はほとんど
イタリアもので、しかも作ってるのはごく一部の人間だったから全部抱え込んでイタリアでプレス、
それを輸入盤として仕入れエイベックスの独占販売にしました。日本語の帯を付ければ見かけは日本盤
です。ハードの業界では「ノックダウン」というようですが、選曲も新しいし売れるとは思ったけど、
レンタル店にしか流さなかったのに当時で2万枚売れたのはちょっと驚きましたね。500円で作ったものが
2300円で売れるんだから儲かる。そのうち自分たちでも曲を作り始めて、イタリア制作の曲と曲の間に
自分たちで作った曲をあたかも洋楽のようにして混ぜた。はれるどころか、ディスコで大流行ですからね。
アルファレコードから出ていた「ザッツ・ユーロビート」はブランド力で売れたと思うけど、「スーパー
ユーロビート」は輸入盤だった「1」から「8」は選曲の良さで評判を呼んだようだけど、結果的には
完全に自社レーベルの「9」が一番売れた。もちろん、売るための努力もしました。貸レコード店の店頭
で4〜5年、お客さんがレコードを手に取ったり、何が借りる決め手になるのか、つぶさに観察してきた
経験がここにきて生きました。コメントカードに、作品それぞれに本当に自分がいい作品だと思ったら
良い、良くなかったら良くないと書き、こういうのが好きな人にこの作品はお勧めと書いた。チャートも
重要なので、ダンスやソウルなどジャンル別にレンタル回数のランキングも作った。お客さんは僕が
書いた作品紹介の内容をじっくり読んで納得した上で借りていく。1枚300円で貸すだけでもこれだけ
苦労するのだから、買ってもらうのはもっと大変だと思って最初のコンピレーションには1曲ずつすべて
解説を書いた。読んでちょっとでも引っ掛かる点があれば買うきっかけになる、そう思ったからです。
マイケル・ジャクソンやマドンナを売るんじゃない。ダンスのコンピレーションを売るために”ディスコ
大特集!”なんて書いて売れるわけがない。お客さんに少しでも情報を伝えたいがために自分なりに
工夫してきたつもりですが、最近はそういうことが忘れられているような気がします。よく、説明型の
商品は売れないと言われるけど、説明しなければ売れない商品をエイベックスは売ってきたわけで、
最近の「スーパーユーロビート」の帯に解説が書いてないのは悲しいですね。

−それがレコードビジネスの原点ではないかと。

特に洋楽に関しては重要だと思います。封入された解説書を楽しみにしている人もいるわけで、
買う前に情報が欲しい人はもっと大勢いるわけですよ。ホイットニー・ヒューストンが好きな人が、
アニタ・ベイカーのアルバムを見て「ホイットニー・ヒューストンが好きな人にはお勧め」と書いて
あれば買う可能性が高い。僕は、洋楽を売るためにはそういうことが重要だと思ってずっと売って
きました。

何かが大きく売れているうちに、次のものを準備するのは当然のこと

−その後、邦楽を手掛けていくわけですね。

松浦−「マハラジャナイト」という企画モノをつくったら、宣伝もしないのにやたら売れたんです。
ご存知のようにジュリアナ東京というディスコが出来ていろいろと仕掛けたわけですが、ジョンと
いうDJがテクノ好きだというのもあって、町田のスタジオで日本人向けのテクノを作ってはアナログ
をプレスして出した。どこにも日本盤とは書いてないからみんな海外ものだと勘違いしてたんだろう
けど、その曲に合わせて踊る姿を見たら愉快で仕方なかった。町田のスタジオで作っているのに、
あたかも海外の曲だと思って「デジタルボルケーノってかっこいいよね」って言ってる。デジタル
ボルケーノってうちの星野じゃないか?(爆笑)。「セカンドファンクションってかっこいいよね」
って、それ、うちの冬野じゃないの?って(大爆笑)。ディスコで踊ってる連中が喜ぶようなことは
手に取るように分かったけど、調子に乗って東京ドームでイベントやったり、その頃は完全に遊んで
ましたね。ただ、はじめは輸入盤の薄利多売で得たせっかくの利益をレコード制作にまわすなんて
やめた方がいいといろんな人に言われて。輸入チームは自分たちが稼いでいる、売れもしないレコード
を作るなって感じで僕らは肩身が狭かった。ところが、当たっちゃったもんだからだんだん立場が
逆転していくわけです。
もう少し当時の状況を話すと、10万枚売れるレコードを年間で3タイトル作らなければ会社がやばい
と言われて、まず一つジュリアナ東京がうまくいった。次はカバーをやろうと決めて、TMネットワーク
をユーロビートにするのが一番エイベックスらしいし、売れるんじゃないかと、それではじめて小室
(哲哉)さんのところへ行くわけです。アクシヴの千葉(社長)が、飲み屋で偶然小室さんと隣り合わせた
のがきっかけで友達になったっていうからTMNのカバーをやれるよう小室さんに頼むように言ったら、
小室さんもちょうどその頃独立しようとした時期だったんですね。「TMNのカバーがやりたいんです」
って言ったら「いいけど、エイベックスってジュリアナ東京とかやってカッコいいじゃん。TMNのカバー
出したらカッコ悪くなるんじゃないの」って言うから「そうじゃなくてカッコよくするんですよ」。
「僕のCDなら15万人が買うんだよね。消しゴム作っても15万個売れるんだ」。よし、15万は売れると
思って、とにかく小室さんがいいって言ってるんだから大丈夫だと思ったんだけど、やはりソニーと
しては、TMNの商標の問題や、TMNにダンスミュージックは合わないという理由でOKしない。「TMNを
カバーするんじゃなくて、TMNソングをディスコにするのならいい」と言われた瞬間「それ、いただき!」
って感じで、結局「TMNソング・ミーツ・ディスコ・スタイル」として出した。オリコンで最高9位を
取らせていただいた。一番驚いたのは小室さんだったみたいで「エイベックスさん、なかなかやる
じゃん。今度なんかいっしょにやろうよ」って。こっちは常識ないから、今度は小室さんと勝手に
プロデュース契約して、TRFをプロデュース by TETSUYA KOMURO で作ってしまうわけです。そんなの
ソニーとして絶対認められるはずない、あり得ないって言われたけど、小室さんが良いって言ってるん
だから良いという一点張り。TRFはデビュー前からレイヴと称した小室さんも出演するコンサートを
横浜のベイサイドクラブで何度もやったんです。その集客は、まず小室さんのファン15万人に向けて
音楽誌には「小室哲哉がレイヴを開催」と場所は書かずに広告を載せる。一方で一般誌には「レイヴが
横浜のベイサイドクラブで開催される」と載せる。その広告のイメージは全く同じにして音楽誌と一般誌
で一部内容を変えておくわけです。そんな具合でイベントを盛り上げつつ、テレビCMも派手なのを
バンバン流したら、発売の翌日からバカ売れです。「なんだ簡単じゃない、CM打てば売れるんじゃない
か!」ってどんどんCMを打ちましたよ。あの頃、アーティストはTRFしかいなかったから宣伝費は全部
TRFに注いだ。今はCM打っても昔のように簡単には売れなくなってきたけど、それで宣伝費の底上げを
してしまったのはエイベックスの罪ですね(笑)。

−自ら”MAX MATUURA”とプロデューサーとして名乗りをあげたのはどういうねらいだったのですか。

松浦−小室さんの夢を叶えることが僕の夢だった。小室さんがあれをやりたいこれをやりたいといえば、
そのたびに僕は徹底的に動いた。何でもした。マネージャーみたいなもので、とにかく小室さんの夢を
叶えることが自分の夢だとそう決めてやってきたんです。ところが、小室さんもビジネスマンなら僕も
商売人で、会社が大きくなっていくと、小室さんの夢を叶えると同時に社員の夢も会社の夢も叶える
必要が出てくる。エイベックスは、ジュリアナがなくなれば終わると言われ、小室さんが離れれば終わる
と言われた。その度にどうしたらいいか考えて、今度は織田(哲郎)さんのところへ行ったんです。
知り合いを通じて酒飲んで騒ぐと、また遊ぼうなんて話になった。たいていその手で近づくんだけど(笑)、
すると織田さんは相川(七瀬)を連れてきた。そのことを小室さんに話すと「織田さんは日本の作曲家と
して3本の指に入る人だから是非頑張ってやってよ」なんて言いながら、自分は(ファクトリー)オルモック
の準備をしっかり進めてるんですからね。僕が相川を宣伝すればするほど、小室さんと僕の仲が悪く
なったと言われるわけです。しかし、実際は何か大きく売れているうちに次のものを準備するのは当然
のことで、だからジュリアナで売れているときにTRFを準備し、小室さんのプロデュースでいろいろ
やってるときにELTの五十嵐(充)を育てた。五十嵐は僕がやってた貸レコード店の店長だったんだけど、
バンドをやりたいからとやめたんです。その後1年半くらいしたらテープを持ってきて、それが3曲とも
まだまだなんだけど、1曲だけBメロの終わりくらいに少しだけ”キュン”とくるフレーズがあった。
よく夜中にキーボードでいっしょに曲を作りましたよ。それこそカメリア・ダイヤモンドのタイアップ
曲を全部マスターすることから始めた。作曲にしろ作詞にしろ、僕はまず真似をしろと言う。そこから
必ず自分の個性が出てくるからと、それが僕の教え方なんです。スタートはそんな感じだったけど、
五十嵐はすごい才能の持ち主です。いずれにしろ、ELTからは自分がプロデューサーとしてやることに
決めた。ただ、作詞や作曲はすごく時間がかかるでしょう。僕はあまり時間がないし、夜はスタジオに
入るより飲んでた方がいいから、それなら飲むよりスタジオで作曲している方が好きな人間にやらせた
ほうがいい。だから、小さなスタジオを社内にたくさん作って、テープを聴いてこいつはいけると
思ったらどんどん曲を作らせて作曲家を育てた。ELTとMOON CHILDで2週連続シングル1位を取ったときは、
小室さんがいなくてもやるとはさすがだねって言わせましたよ。

−松浦さん流のやり方で結局は成功した。

松浦−とにかく、うるさいこと言わずに売るのが仕事、売らなきゃ始まらない。売るためには何でも
する。曲を作った人間の苦労も知っていれば、歌った人間の苦労も知っている。作った以上はそれを売る
のがプロデューサーの仕事ですよ。ELTは五十嵐の名前を売りたかったから前面に出した。浜崎の時
だって、売れるわけないって言われて、それこそ絶対売ってやると思った。どうするかというと、売れ
なかったら仕事を辞めると宣言するんです。これだけやる気なんだとアピールするために”MAX MATUURA”
というプロデューサー名を出した。めったにしないようにしているんだけど、テレビ局も全部回ったから
ゴールデンにも最初から出られた。僕は、3作目くらいから売れ始めるのがパターンとして好きで、基本
的に1作目からドカンといくのは好きじゃない。実際、1作目から売れるアーティストはエイベックスには
いないんだけれども、あえてそうならないように意識してやってるんです。イニシャルを積むのも好き
じゃない。消化率でどぎまぎするよりバックオーダーが来る方がうれしいから。それでも浜崎は1作目が
タイアップなしで20位。これには驚いたけど、以前ドラマに出ていた頃のファンがいたんでしょうね。
その後3枚目の「Trust」でポカンと売れたけど、次の「For My Dear…」で落ちて、「Depend on you」
が(初登場)6位だった。シングルが10万しか売れないのにアルバムは大丈夫かなと思っていたらあっと
いう間にミリオン。その後はご存知のようにズドン! ズドドドドドーン! です。ただ、浜崎のような
成功例は別にしても、アーティストが2〜3年という短いサイクルで消費されていくのを見るのは、本人
たちが納得してやってる場合もあるからそれはそれでいいのかもしれないけど、僕としてはやはりつらい。
実はhitomiのように、何気にずっと売れているアーティストが一番うれしくて、そういうアーティストを
育てる意味でDo As Infinityをやっているというのもあるんです。以前は、300万から400万売れる作品を
3つ4つ出せたんですが、さすがに最近は減ってきた。30万から100万までのアーティストが中心になると
アーティストもリリースも数がすごく増えてしまって、今はそれが悩みですね。小室さんは今の日本の
マーケットが分からないって言うけど、仕方ないですよ、日本にいないんだから。僕は日本のマーケット
は少しも変わってなくて、小室さん自身が変わったんじゃないかと思ってる。小室さんは音楽家だから
より一層良い音を求めるけれど、それがマーケットと合うかどうかは別の問題。今度のglobeの新曲は
最高だと思うし、僕もやりたいけど、結局は売れ線に走ってしまう。作家としてよりレベルの高い曲を
作りたいという願望と、上場会社の役員としてビジネスに取り組まなければならないという狭間で悩みも
葛藤もありますよ。眠れなくてつらいから睡眠薬を飲めば自殺だなんだと騒がれるんだから、たまらない
ですね。睡眠薬は継続して飲むとだんだん効かなくなるから、つい多めになってしまうんだけど、最近は
あまり増やすと身体に良くないと思ってやめてたんですが、すると全然眠れないんですね。眠れなくて
一日中だるい状態でいるよりは、睡眠薬を飲んでぐっすり眠って元気な方が本当は身体にいいのかと
思って、休みの日だったんですが、昼間に睡眠薬飲んで寝ていたら、たまたま訪ねてきたうちの人間が
何を勘違いしたのか、大量に飲んで自殺でもしたんじゃないかとひと騒動です。僕がそれを冗談で自殺
未遂のネタにしてたらいつのまにか記事になっていたっていう(笑)。それにしても「噂の真相」の記事で
気に入らないのは、「夜の銀座・六本木の豪遊は業界でも知れ渡るところで、浮き名を流していた
女性も1人や2人じゃない」というところ。これ、100人や200人て書いて欲しかったな。そこのところを
名誉毀損で訴えようかと(笑)。もうちょっと信じてたんだけどね、あの雑誌。笑っちゃって話になり
ません。僕のことに関しては95%がウソですね。

−売れなければ辞めると断言してプロデュースした浜崎さんは、いまやトップに上り詰めて、すると
次は”今以上”を求められることになるわけで、それはまた大きな悩みじゃないかと。

松浦−ものすごく悩みます。これは自分の努力だけじゃどうしようもないことで、やはりアーティスト
の才能が最低限必要だし、やはり見込みのありそうな素材の本質を見抜かなければならなくて、それは
オーディションをやったくらいで分かるわけないんです。

−次に何を考えますか。

松浦−小室さんは良い作品を作ったら、次はもっとよい作品をという姿勢がとても強く感じられます
よね。安室は「TRY ME」を足がかりにその後小室さんが手掛けてブームを起こすほど大ブレイクするわけ
ですが、僕は僕で安室を超えるものを作りたいと気張ったものの、いかんせんなかなか素材がいない。
結果「MAX」をやるわけですが、ナベプロのミキさん(渡辺ミキ氏・ワタナベエンタテインメント代表
取締役社長)にMAXを売ったのはすごいと言われて、僕にとってそれはすごくうれしい賞賛の言葉でしたね。
スーパーモンキーズから安室が一人飛び出して大ヒットしたわけですから、普通なら他のメンバーは
あきらめムードになりかねない。それをブレイクさせたのだから偉いと。
自ら素材を選ぶ存在になって、(ELTの)持田とは違った才能を求めて出会ったのが浜崎。持田は五十嵐と
いう別の才能との組み合わせの中で五十嵐の楽曲で勝負したけれども、浜崎は詩だった。最初、浜崎は
華原(朋美)と比較され、そのうち比べられる相手が鈴木あみに移っていく。いずれの戦いにも勝っていく
わけですが、その間に僕が考えていた以上の才能が浜崎にあることに気づいた。つんくも驚いていたけど、
彼女はセルフ・プロデュースできる才能を持っていて、傍目にそう見えないだけなんです。その才能を
見てしまうと、次にどうするのか考えてもなかなか思うようにいかない。ただ、振り返れば安室のときも、
もう安室ほどのアーティストは出ないと思ったし、それで浜崎のような才能が出てくるんだから、プロと
していい素材を発掘し、その才能を100%以上引き出してやっていくしかないですね。
確かに、今一番の悩みは次の素材を探すことです。エイベックスドリームで決勝まで進んだ半数はすでに
デビューまたはデビューの予定がありますが、みな平均点以上という感じで爆発的な才能はまだいない。
dreamの松室が詩を書けることは後から分かったことだし、歌手にしたいと思っても本人がやりたくない
というケースもあるし、オーディションは難しいですね。ありきたりなことかもしれませんが、やはり、
どこかに才能のある子はいないかと常にアンテナを張り巡らせるしかないですね。うちの社員には1人で
3人可愛い子を連れて来いって言うんです。そうすれば1500人の可愛い子が集まるって。でも、ルックス
も良くて歌もうまいという子はなかなかいないんですよ。

−やはり、ルックスは重要ですか。

松浦−重視します。可愛くないより、可愛い方が絶対にいい。浜崎の場合はルックスが良すぎたので、
アイドルに見えすぎないためにはじめは露出を控えめにしましたけどね。

−ビジネスとして、次のアーティストを育てブレイクさせていくのが基本でしょうが、そういった中で
松浦さん自身の興味の向かうところはどんなものなんでしょうか。

松浦−僕自身、音楽が好きで好きで仕方がないというわけではないんですね。大学3、4年頃に聴いた
レコードの数は誰にも負けない自信はあるし、ディスコに言って知らない曲はないくらい音楽が好き
だった時期もあった。その当時の知識でその後10年仕事が出来たことも確かですが、音楽を売っていく
際に付帯するいろいろなものの方に実はとても興味があって、例えばクラブシーンであるとかサブカル
的なもの、ファッションであるとかメイクであるとか、要するに僕は人気アーティストやヒット曲を
生み出すことはもちろんだけど、それ以上にブームを作ることが好きなんですね。ジュリアナ、レイヴ、
パラパラ…、こうしたブームは後に残らないとか、あの曲は将来は歌われないとか言われるけど、そんな
ことは今の人間が決めることじゃなくて10年先の人間が決めることじゃないですか。ジュリアナ・ブーム
は僕らの中には鮮明に残っているんです。

−次はどんなブームを作ろうと思っているのか、何かイメージはありますか。

松浦−音楽の歴史も常に繰り返しているんですよ。ただ、いろいろな要素が動いている中でそれらが
時代時代に合わせて変化しているだけなんです。ユーロビートはもう3、4回目だし、今度はアジアで
流行ってたりするけど、じゃあ次は何かと言ったらテクノにトランスと流れが決まっている。実際、
海外ではそういう流れになっていて、僕は常にヨーロッパやアメリカの音楽を見ているから浜崎の
リミックスでハードハウスも取り入れた。ニューヨークから出てくるハウスというのは、景気が悪い
時期はR&Bで、クラブもすべて黒人が主体なんですが、好景気になったとたんに白人がクラブに流れ
出して、R&Bやヒップホップのは貧乏くさいとハウスに移っていく。ヒップホップのクラブは今ハード
ハウス一色ですからね。それまでのニューヨークのR&Bやヒップホップはそのまま日本に持ってきても
使えるものじゃないと思っていたんですが、ハードハウスは使える。それからやはりトランスは来ると
思いますね。もちろん、海外で流行っているものそのままではなくて、トランスと意識せずにトランス
を聴いているように持っていくやり方ですね。

−音楽業界全体としては、今ひとつ業績が振るわず厳しい状況にあるわけですが、ヒットが出来にくい
要因はどういうところにあると思いますか。

松浦−それは簡単なことですよ。何かをやろうと決断する人の年齢が高すぎる。僕ぐらいの音楽的知識
を持っている人、僕より音楽に詳しい人、才能のある人、デザイン感覚の優れた人は音楽業界にいくら
でもいます。ただ、その人たちが気の毒なのは決定権がない。エイベックスは僕がやるといえばやる。
だからといって今のメジャーの会社ではいきなり若手を専務になどできないでしょうし、そこが最も
大きな違いで他がかなわないところです。どちらかといえばインディーズでやっている連中の方が恐い。
でも、エイベックスはプラス豊富な資金というパワーがあるから強いに決まってるんです。例えば大物
アーティストの移籍にしても、基本的にうちはしませんが、僕なら「はい、3億円」と言って決めて
しまう。まず、ほかにそんなことを出来るところはないですね。マーケットも冷めた目で見ているし、
どんなものが売れるのか分かっているわけだから売れるに決まってるんです。エイベックスは、(依田)
会長と僕が経営と制作で完全に分業しているけど、僕は、貸レコード時代に商売を学び、会長にビジネス
を教わったと思っています。会長と僕の仲が悪いと、これもよく言われるけど実は親子みたいにとても
仲がいいし、社員は他のレコード会社を辞めた使えない連中の集まりだとか書かれるけど、それは人の
使い方を知らないだけでとんでもない中傷ですよ。

−今後やってみたいことは?

松浦−そうですね。まず、僕が関わらなくてもアーティストが売れるように僕のクローンを作ろうかな
と思う。m-floが売れたのは僕が関知してなかっただけにすごくうれしかった。楽曲の良し悪しやどんな
アレンジにしたら売れるのかということを見極められる人間が出てきて、今比較的楽になってきたので、
これからはミリオンセラーばかりねらうのではなく、自分の本当に好きな音楽をやりたいですね。たぶん
売れないとは思うけど、僕の場合、結局はそれをどうにかこうにか何かのブームに引っ掛けて売るんじゃ
ないですか(笑)。基本はダンスミュージックなので、ダンスに戻りたいですね。

−エイベックス設立から14年目を迎えて、これまですべてが成功してきたということですが、その過程
での松浦さん自身の精神的な部分であるとか、実は本質的な面でこういうところがあるということなど
聞かせていただければ。

松浦−僕の場合、ちょっと頑張れば手に入れられるものや、出来ることが常にたくさんあって、その
階段を上っていくことはそれほど大変なことじゃなかった。気が付いたらこんな高いところまで上り詰め
てたというのが正直なところです。決して苦しくて苦しくて仕方ないということは一度もなかった。
失敗らしい失敗も一度もなくて、その代わり小さい失敗や回り道は死ぬほどしましたけどね。20代は
人の5倍も10倍も働いた。働くことは苦じゃなかったし、あの頃は彼女とデートする方が面倒で、そんな
時間があったら仕事がしたいというほど仕事好きでしたね。エイベックス創業時は、会社は町田だった
から夜になっても隣のラーメン屋でラーメン食べたらまた戻って仕事をしてた。毎日、会社の鍵を開ける
のも、閉めて帰るのも自分だった。遅刻なんか絶対にしなかったし、でなければ社員を怒れませんからね。
今はラーメン食べてから銀座のクラブに行っちゃうけど(笑)。僕は、例えばベンツが欲しいと思うから
頑張って仕事をする。すると今度はフェラーリが欲しくなる。次のアルバムが100万枚売れたら買って
くれと会長に言うわけです。そういう子供がご褒美をもらえるようなことがうれしくて仕方ないんです。
ヘリコプターあったら便利だとかヨットや別荘があれば楽しそうだとか、ものすごくうまいワインが
飲みたいとか、そんなことのために一生懸命仕事をしています。犬といっしょで、目の前のおやつ欲しさ
にお手をしている。そのおやつが見えなくなってしまった時期もあったけど、とにかく何かをしたい、
手に入れたいがために頑張って働くというすごく単純な人間なんです。

−30代にして欲しいものはすべて手に入れてしまったんじゃないですか。

松浦−ええ、手に入れました。だから、今死んでも大往生です(笑)。こんなにツイてる人間はいないと
思う。特に才能があるわけでもなんでもないのに、こんないい加減な人間に決定権を与えてくれた依田
会長に感謝するばかりです。 戻る

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1. 今度は退任に出世?@エイベックス  [ EPICトランスBlog〜大学4年生の恍惚ism ]   2004年08月04日 20:32
依田会長が名誉会長へ退き、 新社長に現執行役員の小林氏、 新執行役員に、当時専務の松浦勝人氏、 千葉氏は参加の芸能プロダクション「アクシヴ」に復帰し再び社長に就任。 これ、とらえ方に寄っては、社長を退かせて自分が出世するための策とも思えるんですが(
2. 依田会長は辞任だとさ  [ 和ゆ日記 ]   2004年08月04日 23:05
1人の小娘の活躍によりavex分裂と、たぶんSEB終了の危機は回避されたようで、それはそれで「よかった、よかった」なんですが、 特製マイクロエンブレム って何?? エンブレムってーと、SEBロゴを冠したような奴か? っつーか、散々CD買わせてそんなワケワカラン物が
BIG INTERVIEW(A Day in Our Life)←YAMUTECH LUNCH 9/28の臨時株主総会にてエイベックスの次期社長となることが見込まれる松浦氏の 2001/5/28のオリコン誌でのインタビューが取り上げられています。 今までは依田氏が経営を一手に引き受けていたからこそ製作的立場でモノ
4. エイベックスはCISCOでレコードを買って大きくなった  [ 国内盤社長レビュー ]   2004年08月21日 10:36
A Day in Our Life:BIG INTERVIEW リンク先エイベックス松浦氏2001年5月のインタビュー。オリコン誌の無断転載。 松浦−ルックス も良くて歌もうまいという子はなかなかいないんですよ。 −やはり、ルックスは重要ですか。 松浦−重視します。可愛くな...

この記事へのコメント

1. Posted by んー   2004年08月04日 20:16
非常に長い文ではありますが、骨のある文章を読ませて頂きました。
一つ気になったのですが、松浦氏って早稲田中退(卒業?)ではなかったでしたっけ?
私が大学入学する前後に見た早稲田の学校案内で、早稲田に行った(&辞めた)著名人一覧が載っていてそこに松浦氏の名前があったと記憶しています。

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