こんにちは。
V系深読みライターの神谷敦彦(@atsuhiko_kamiya)です。

「令和時代のヴィジュアル系の特徴」なんてものが
何年後かに出ますよね、きっと。
ということで、曲の最大の中身である歌詞の変化の観点から
流れに乗っかってみたいと思います。

冒頭、結論から申し上げますと
「愛されたい」から「愛したい」への変化
これまでのヴィジュアル系の歌詞と
令和以降のヴィジュアル系の歌詞の違いになるのではと思っています。

やはり歌詞が好き。

(1)「V系で歌詞気にしすぎると辛くないですか?」

昨日、V系好きの方と話していて、歌詞の話になったんですよね。
その方は「歌詞は耳に入ってこない」ということを仰っていました。
便宜的にAさんとします。

反対に私は「歌詞に引っかかりがないと、
気がつけば聞かなくなっている」という話をしました。
するとAさんは「それって辛くないですか?」、
「よくそこまで歌詞を重視できますね」とのこと。

Aさんは自分で音楽活動をしたりしている方でもあるので、
決して歌詞を軽視されているわけではないです。
それでも「歌詞は聞こえてこない」とのことなんです。

それが羨ましくもありました。
やはり音楽は音楽として受け止めるべきで、
曲の好き嫌いを判断する時に
歌詞の比重を上げすぎるのは
どうなんだろうという悩み
はずっとつきまとっています。

歌詞は通常の言葉とは違いますが
それでも「言葉で伝えられないこと以上のものがあるから」音楽にしているのであって、
過剰に言葉を意識されるのは、作者の意図とはずれてしまうような気がするのです。

音楽ではなく哲学や思想を読み取っていることに
近くなってしまうのではないかという悩みはずっと抱えています。

(2)ヴィジュアル系の歌詞が聴けなくなってくる理由

さらに、話していくことに気づいたのは
確かにV系の歌詞からは遠ざかっている自分がいることです。

その理由はいたってシンプルです。
「愛されたい」と嘆く歌詞を聴いて、歌詞カードを読んでも
「これは自分の中で優先順位の高いテーマではない」と感じるからです。

ヴィジュアル系に距離を感じるときが来るとは
想像したことがありませんでした。辛い。

では、なぜ「なんでこんなに周りと打ち解けられないんだろう」、
「話しても誤解が生まれるんだろう」という時代を支えてくれた
ヴィジュアル系の歌詞に のめり込めなくなってきたのかを考えてみました。

おそらくヴィジュアル系の歌詞は
「いかに人を愛し抜くか」、「この人の悩みを自分事として捉えるか」が
優先順位の高いテーマになっていない
からです。

言ってしまえば「どうすれば愛されるのか」を歌っているのが
ヴィジュアル系の歌詞の特徴です。
それは今は求めていないから、距離を感じているのだと思います。

V系の歌詞にあるように、誰もが愛を求めて手を伸ばして、
光のある方に向かっていると思うのですが、
現実世界は意外と伸ばした手を取ってくれないし、
光に近づいてもまた新しい暗がりが待っていたりします。

その理由もシンプルで、誰もが「手を取ってほしい」と願って、
誰もが「光を求めている」からです。
誰も「いかに手を取るか」、「いかに照らすか」を
最大の関心事にしていないからでしょう。

ヴィジュアル系は「若いときだけの音楽」なんて言われることがあります。
全力で否定どころかむしろ年齢を重ねた方が分かる歌詞が多いように思います。
「あー昔めっちゃ聴いてた!」と言われると、
ちょっとさみしかったんですよね。
「むしろ今こそ聴こうよ」と思っています。

でも、「ヴィジュアル系は若いときだけの音楽」に
一旦同意してみるならその理由はヴィジュアル系の歌詞の特徴にある
「愛されたい」という受け身にあると言えるかもしれません。

例えば人が人に出会って、生活を共にしようとし始めたら、
分かりやすく結婚して同居するという形を取ったならば
「愛されたい」以上に「愛したい」が問題になります。
そこでは愛は感情ではなく技術や能力も問題にすらなります。
感情で愛し、愛されをしていたら、短期的な関係になるでしょう。

まして子どもができたら愛はもう「愛されたい」という形を失います。
愛する存在としての自分でいる時間が圧倒的に増えます。
子どもは一人では生きていくことはできず、
彼・彼女らが生きられる理由は愛する誰かがいるからです。

ヴィジュアル系の歌詞は、誰かを「愛したい」よりも
誰かに「愛されたい」と願った時に
その心に寄り添ってくれるものなんじゃないかと思います。

(3)「愛されたい」歌詞は幼稚で、無価値なのか

でも、「愛されたい」を歌うヴィジュアル系の歌詞を
批判する意図は特にありません。
むしろ今こそ「愛されたい」を解放すべきとも思います。

確かに「愛されたい」という欲求そのものは
「幼稚な愛」と見ることもできます。
エーリッヒ・フロムの「愛するということ」では
そういった記述も実際にあります。

■エーリッヒ・フロム「愛するということ」からの引用
幼稚な愛は「愛されているから愛する」という原則にしたがう。
成熟した愛は「愛するから愛される」という原則にしたがう。
未成熟の愛は「あなたが必要だから、あなたを愛する」と言い、
成熟した愛は「あなたを愛しているから、あなたが必要だ」と言う。

こうなる理由を本書に求めると
下記の記述を思い出すことができます。

■エーリッヒ・フロム「愛するということ」からの引用
たいていの人は愛の問題を、愛するという問題、
愛する能力の問題としてではなく、
愛されるという問題として捉えている。
つまり、人びとにとって重要なのは、どうすれば愛されるか、
どうすれば愛される人間になれるか、ということなのだ。

それでも、「愛されたい」を叫ぶV系の歌詞は
価値を持ち続けると思うんです。

仮にヴィジュアル系の歌詞が歌っていることが
愛にはぐれ、愛を求めて、愛にさまよって
「愛されたい」と願っているものだとしても。

それはエーリッヒ・フロムの言う「幼稚な愛」、「未成熟な愛」だとしても
ヴィジュアル系の歌詞には価値はあるはずです。 

なぜなら「愛されたい」は人間の根源的な欲求であるし、
それにも関わらず到るところで抑圧されている
からです。

「愛されたい」という欲求が満たされるはずの家庭でも、
人間関係を育む学校でも会社でも
「愛されたい」を満たす言動で動いてはいないことは
その場にいたことがある方は誰でも感じるはずです。

学校であれば数字や成績、偏差値が幅を利かせ、
会社であっても業績、生産性の名のもとに
人の「愛されたい」は優先順位を下げられていきます。

「愛されたい」が抑圧された人間が家庭に帰ってきたら
「愛されたい」を爆発させますので、
誰も「愛したい」を形にすることはなくなります。

こういった「愛されたい」が抑圧される環境がうごめき続ける中では
ヴィジュアル系の歌詞が解放する「愛されたい」は
価値を持ち続けていくでしょう。

どこかで解放しないと、歪んだ形で暴走します。

(4)「愛されたい」理由は「愛したい」から

長々と考えてまいりました・・・

結論、ヴィジュアル系の歌詞が令和に入って変わっていくとしたら
「どうすれば愛されるか」、「なぜ愛されないのか」という嘆きから
「どうすれば愛を形にできるのか」、「いかに愛するのか」という技術や意志
です。

愛に対する姿勢が受け身から自発的なものへの変化です。

「愛されたい」という人間の根源的な欲求を歌ってきたのがヴィジュアル系であり、
今も歌い続けているのはヴィジュアル系の歌詞だと思うのです。

ひとりのヴィジュアル系ファンの戯言ですが
誰よりも愛を求めて、表現使用しているのがヴィジュアル系だと思うのです。
これほどまでに愛されたいと嘆いているシーンも珍しいと思うんです。

ということは、愛とは何かを考え続けているシーンとも言えるはずです。
考えて考えて考え抜いて、「愛されることはないんだ」という
結論に達したヴィジュアル系の歌詞から
「愛するにはどうすれば良いのか」という転換を迎えるでしょう。

ヴィジュアル系の「右向け左」の精神からすれば
「これだけ求めても愛されない」ことに問題意識を感じて
「あぁ、誰もが愛されたいと願っているからか。じゃー愛する側に回ろう」と
次の流れを作る思想を打ち出す方が出てくるんじゃないでしょうか。

むしろ、もう既にどころかずっとヴィジュアル系の歌詞は
「愛されたい」よりも「愛したい」歌詞だったかもしれません。
ここまで「愛とは何か」を形にしようとしている、
愛に関する興味が続いているということは
もうそれは受け身ではないとも言えそうですし。

『令和時代のヴィジュアル系の歌詞は
「愛されたい」から「愛したい」へ移行する』


でまとめたかったんですけどね(笑)

(5)編集後記

それにしても、V系は動きが早いですよね。
流れに乗っかったり、流れを作ったりする俊敏性が
ヴィジュアル系のあちこちで見られました。

すでにゴールデンボンバーが「令和」をリリースしたり、
令和初日に「カカトオトシ。」というバンドが始動したり、
グラビティが「深夜のキックベース大会!!」を開催したり。

時代が変わればバンドマンの方が見るものも変わります。
見るものが変われば当然ヴィジュアルや曲も変わってくるはずです。
その中でも最大の中身である歌詞も、大きな影響を受けるでしょう。

ヴィジュアル系の歌詞がどこよりも「愛されたい」を歌うシーンから
「愛されたい」を歌うシーンになったら、
日本も平和になったと思えるのでは、ないでしょうか(笑)

平成最後ということで、
「ヴィジュアル系の歌詞」という大きな主語で書いてみました。
ヴィジュアル系の好きな歌詞があれば、ぜひ教えてください。

◆本日の音声動画はこちら


◆その他のV系曲の感想と解釈記事

(1)【トラウマがある、自分嫌いの人の肯定の仕方】DIR EN GREY「Followers」、the GazettE「DISTRESS AND COMA」、ゴールデンボンバー「101回目の呪い」の共通点:1641話目
(2)【キズの「ステロイド」の感想と解釈】副作用が起きる愛と起きない愛:1620話目
(3)【ザアザアの「キオク」の感想と解釈】忘れられるより忘れる痛みを歌ったミディアムバラード:1613話目
(4)【己龍の「野箆坊」の感想と解釈】「のっぺらぼうの自分」の息の根を止めてくれる曲:1670話目
(5)【己龍の「黒闇ニ惑ウ絵空事」の感想と解釈】生きたくなる遺書?九条武政さんの死生観?:1671話目
(6)【DADAROMAの「トゥルリラ」の感想と解釈】つぶやけば自由になるおまじない:1672話目
(7)【ザアザアの「どこかのあなたへ」の感想と解釈】おそらく、今は亡き親への子供からの手紙:1697話目
(8)【ザアザアの「キオク」の感想と解釈】忘れられるより忘れる痛みを歌ったミディアムバラード:1613話目
(9)【DEZERTの「蝶々」の感想と解釈】「ありのままに生きる」ための蛾の生き方:1595話目
(10)【DEZERTの「浴室と矛盾とハンマー」の感想と解釈】千秋さんが歌うこれまでとこれからのDEZERT?:1594話目

◆連絡先・質問先

V系深読みライター神谷敦彦のプロフィール、執筆記事一覧、募集企画は      
こちらのページをご覧ください。   

youtubeで音声動画を配信しています。
自己紹介動画はこちらになります。
 

お問い合わせ・ご依頼・記事テーマのリクエスト先
・メール:record8memoryXgmail.com  
※Xを@に変換してお送りください。    
・twitter:@atsuhiko_kamiya 
・LINE@:神谷敦彦【日刊ヴィジュアル系の深読み話】  
・匿名の質問先:マシュマロ
・匿名の質問先:質問箱
==========