2010年07月17日
精霊使い
序章【異形のモノ達】
火 水 風 雷 土
五つの元素の力。
あるところでは火を、あるところでは水を。
この五つの元素には神と近い力が宿っている、精霊様のお力と人は崇めてきた。
そしていつしか、その元素の力を【精霊力】と呼ぶようになった。
精霊力は身の回りに溢れている、そうした力を人々は道具や知恵を使い大事に使ってきた。
この力は生物が生活足りうるだけのものを享受してくれる、それだけで十分だった。
十分だったはずなのに、それは発現した。
人は、精霊力を自由に扱う力を持ってしまった。
火を祀る場所では火を、水を祀る場所では水を、そして風、雷、土、と。
各々が祀る元素の力を、自らのモノとして扱う者が。
しかしそれは一人ではなかった。
複数にて現れたのだ。
人ではない異形のモノ。
それまで己より高次の存在の力であったものを、事も無げに扱える力。
人が精霊力を扱えるはずがない、人ではない、己と違う存在なのだ、と。
各地で現れた異形のモノが迫害を受けるのは必至のことであった。
最初はその精霊力を使って反抗する者もいた。
しかし、彼らは加減が出来なかった。
使い方を知らなければ、諸刃の剣。
一気に解き放つ精霊力は他を滅ぼすか、己を滅ぼすのみだった。
そして力を使うことを躊躇うようになってしまった。
力を使わなければ、元はただの人間。
異形のモノはなすすべもないまま、人に消されていった。
最後に残った選択肢は、ただ逃げること。
同じ力を持つ者同士、人から逃げる。
だがある時、『精霊様の力を持つ者も崇めるべきだ』と主張する者が現れた。
『我々が崇め奉る精霊様の力を持つ者を虐げることは、その力自体を、精霊様を否定することになる』と。
もちろん、そう簡単に人々は受け入れられるはずがなかった。
認めてしまえば、絶対であった信仰を否定することになる。
しかしながら、どこかでその主張が正しいとも思っていた。
人々が崇めているのは実際のところ、精霊様が持つと信じられている元素そのものによるところが大きい。
元素の力を操れるのは精霊様だけであり、人が操るなどあってはならない。
だが逆に考えると、その力を操れる者は精霊様ということにもなる。
人々は次第に悩み始めた。
そして彼ら異形のモノ達を知ろうとし始めた。
最初はお互い一線を置いての歩み寄りだったが、人は異形のモノも元は同じ人間であることを思い出した。
そして異形のモノたちは、己が持つ精霊力を操る力を制御出来ないかと考え始めた。
力の扱いを訓練し、以前のように他も己も滅ぼすようなことはないようにと。
徐々に洗練されていった異形のモノ達の力は、"人"のために使われるようになっていった。
元素の力を人に享受するその姿はまるで、これまで偶像でしかなかった精霊様が姿を現し人にその力を施すかのようだった。
だがその力はほんの一部で、精霊様のようと形容するには些か大袈裟だった。
そこで人々は、精霊様に選ばれた者と考えるようになっていった。
精霊様の使いであると。
そして元素の力を操る者を【精霊使い】と人は呼ぶようになった。
五つの元素の力。
あるところでは火を、あるところでは水を。
この五つの元素には神と近い力が宿っている、精霊様のお力と人は崇めてきた。
そしていつしか、その元素の力を【精霊力】と呼ぶようになった。
精霊力は身の回りに溢れている、そうした力を人々は道具や知恵を使い大事に使ってきた。
この力は生物が生活足りうるだけのものを享受してくれる、それだけで十分だった。
十分だったはずなのに、それは発現した。
人は、精霊力を自由に扱う力を持ってしまった。
火を祀る場所では火を、水を祀る場所では水を、そして風、雷、土、と。
各々が祀る元素の力を、自らのモノとして扱う者が。
しかしそれは一人ではなかった。
複数にて現れたのだ。
人ではない異形のモノ。
それまで己より高次の存在の力であったものを、事も無げに扱える力。
人が精霊力を扱えるはずがない、人ではない、己と違う存在なのだ、と。
各地で現れた異形のモノが迫害を受けるのは必至のことであった。
最初はその精霊力を使って反抗する者もいた。
しかし、彼らは加減が出来なかった。
使い方を知らなければ、諸刃の剣。
一気に解き放つ精霊力は他を滅ぼすか、己を滅ぼすのみだった。
そして力を使うことを躊躇うようになってしまった。
力を使わなければ、元はただの人間。
異形のモノはなすすべもないまま、人に消されていった。
最後に残った選択肢は、ただ逃げること。
同じ力を持つ者同士、人から逃げる。
だがある時、『精霊様の力を持つ者も崇めるべきだ』と主張する者が現れた。
『我々が崇め奉る精霊様の力を持つ者を虐げることは、その力自体を、精霊様を否定することになる』と。
もちろん、そう簡単に人々は受け入れられるはずがなかった。
認めてしまえば、絶対であった信仰を否定することになる。
しかしながら、どこかでその主張が正しいとも思っていた。
人々が崇めているのは実際のところ、精霊様が持つと信じられている元素そのものによるところが大きい。
元素の力を操れるのは精霊様だけであり、人が操るなどあってはならない。
だが逆に考えると、その力を操れる者は精霊様ということにもなる。
人々は次第に悩み始めた。
そして彼ら異形のモノ達を知ろうとし始めた。
最初はお互い一線を置いての歩み寄りだったが、人は異形のモノも元は同じ人間であることを思い出した。
そして異形のモノたちは、己が持つ精霊力を操る力を制御出来ないかと考え始めた。
力の扱いを訓練し、以前のように他も己も滅ぼすようなことはないようにと。
徐々に洗練されていった異形のモノ達の力は、"人"のために使われるようになっていった。
元素の力を人に享受するその姿はまるで、これまで偶像でしかなかった精霊様が姿を現し人にその力を施すかのようだった。
だがその力はほんの一部で、精霊様のようと形容するには些か大袈裟だった。
そこで人々は、精霊様に選ばれた者と考えるようになっていった。
精霊様の使いであると。
そして元素の力を操る者を【精霊使い】と人は呼ぶようになった。