最初に
自分が匿名のままで相手の本名を名指しするのもフェアーじゃない気がしますので前もって本名を公表しておきます。
管理人 赤ちゅん
本名:*****(*******)
生年月日:***************
住所など:***************
[2005/12/29 某イベント参加につき、関係者各位への影響を考え一時的に個人情報公開を一部自粛します]
[2008/03/20追記] 当ブログがミクシイおよびニコニコ動画で引用されていることを受けまして、個人情報開示のリスクが高まったと判断し公開を取りやめました。ご了承願います。
守大助がやってないのなら
�,覆室�白したのか
自白は刑事に強要された「ウソの自白」です。
取調室に入るなり「A子ちゃんの血液から筋弛緩剤が出た。入れたのはお前しかいない、お前がやったんだろう!」というように犯人扱いされ朝食昼食抜きで問い詰められたからです。
やってない、知らないと言っても全く信じてもらえず、ウソ発見器にまでかけて「やっぱりやってるな。反応してるぞ」などと言われて混乱してしまったのです。
守大助はもともと気が弱いところがあり、人と意見がぶつかったりすると自分が引いてしまうタイプでした。
(それは2000年12月4日に半田康延教授に辞職を勧奨され、その場で辞職を承諾してしまうことからもわかります)
また父親が現職の警察官で、父親を尊敬していて警察が嘘をつくなどということは夢にも思っていなかったでしょう。
A子ちゃんの点滴に筋弛緩剤が入っていたとするなら、犯人はその時点滴を調合した自分か、恋人のユキさん(仮名)しかいません。
「僕はみんなを守って助けるんだ」と自分の名前に誇りを持っていた守大助です。
自分がやってないと言い張ることで恋人が苦しむのならいっそ、という気持ちが働いた可能性は十分にあります。
(この日朝ユキさんと二人で警察に呼び出され別々の取調室に入れられました)
それに、これは何かの間違いだ。と思いつつも、自分は本当はやっていないのだからあとできっと分かってもらえる。という警察に対する過信もあったでしょう。
本人の日記を読むと、自白して数日間はまだ半田教授のことを信じていて、「早く教授助けに来てくれないかな」と思っていた、とあります。
後にどうなるかは想像できずに、今直面している辛い状況から逃れたかったと考えられます。
あるいはもっと混乱状態で、そんなに俺を犯人だというなら俺でいいよ、というようなやけっぱちの気持ちもあったかもしれません。
とにかくその場を切り抜けたいという思いから、「マスキュラックスを入れた」と言ってしまったのだと思います。
そして一度「やった」と言ってしまった以上、それを否定することができず、かといって「何人やったのか」「誰をいつやったのか」「どうやってやったのか」など具体的なことは言えるはずもなく、刑事に怒鳴られ続けました。
自白をしてしまった日の様子などは守大助の著書「
僕はやってない」に細かく書いてあります。
守大助本人が書いた日記です。彼がやってないのならこの日記に書かれていることは彼の記憶違いを除きすべて事実と考えて問題ないでしょう。
やってないとしたら、日記が事実だとしたら、「ウソの自白」にそれほど不自然なところは見当たりません。
守大助がやってないのなら
��誰が真犯人なのか
「真犯人」の定義を
「患者を殺害する目的で筋弛緩剤を点滴に混入した者」
だとするなら、そんな人物は存在しません。
そんな馬鹿なとお思いの人もいるでしょう。
警察が「患者の血液などから筋弛緩剤が検出された」と言ってるじゃないか、と。
そもそもその警察の発表が事実に即したものではなかったと考えられます。
なぜなら1月6日に守大助を自白させて逮捕してから4ヶ月以上もの間、検出された証拠が開示されなかったから。
また、ようやく開示した証拠は、内容の怪しい鑑定書のみ。肝心の血液や点滴液などは全て消費したとして提出されませんでした。
(鑑定書が開示されたのは2001年5月21日です)
鑑定書にはそれが本人の血液かどうかを示すDNA判定はおろか血液型の記載すらないそうです。
阿部弁護士が言うには「これではヒトの血液なのかヤギの血液かもわからない、血液かどうかすらわかない」
鑑定の内容についても血中濃度が試料の採取時期から考えるとあり得ないくらいに大きすぎたり小さすぎたりしてますし、質量分析をしたときのイオン質量電荷比も本来の数値と合っていません。
もし警察がいうように1月6日の時点で筋弛緩剤を検出できていたのなら、その証拠を直ぐにでも開示するでしょう。
そしてDNA鑑定も再鑑定もできるように当然、試料は大切に保管しているはずです。
仮に守大助が否認しようとも、それが動かぬ証拠になるのですから。
「モノがあるんだから」と口では言いながらそれを開示しなかったのは、それが事実ではなかったからです。
鑑定試料を全量使い切ってしまったのは、鑑定に自信がない証拠です。
「あらゆる毒物を検査したから」
「もし半分しか使わなかったら筋弛緩剤を検出できなかったかもしれないから」
などというような証言を、大阪府警科捜研の鑑定人はしていますが、鑑定試料の中には1mlの血液から50mlの点滴液まで量にばらつきがありこれを一様に使い切るなどということは考えられません。
再鑑定できないように意図的に消費したとみて間違いありません。
つまり、もともと筋弛緩剤で患者を殺害しようとした人間はいなかった。
鑑定書は、あとづけで作成されたものであり事件そのものが「作られたもの」であることを証明するものです。
ただし鑑定がまったくでたらめなのかというと、それは分かりません。
鑑定試料の中に本当に筋弛緩剤が混入されていた可能性は十分にあります。
しかしそれは「患者を殺害する目的」ではなく「守大助を犯人に仕立て上げる目的」です。
そんなことをした人は誰でしょうか。
半田郁子副院長
半田康延教授
土橋均(大阪府科学捜査研究所)
土橋均の鑑定を補佐した宮城県警科学捜査研究所の職員
東北大学医学部(2000年2月2日に急変(のちに快復)したM子ちゃん(1歳)の血液1mlを家族に無断で1年近く保管していた)
この人たちの中に、鑑定試料にマスキュラックスを混入した人物がいます。
そうでなければ裁判で提出されている土橋均の鑑定書は全く架空のものだと言えます。
守大助がやってないのなら、患者の点滴に筋弛緩剤を入れた者がいないのなら
��なぜ多くの患者が急変したのか
北陵クリニックでの患者の急変は、点滴への毒物混入ではなく、医療過誤によるものまたは病院ではある程度発生する不可避のものだったと考えられます。
経営悪化によりFES患者だけでなく通常の患者も広く受け入れるようになり、1999年ころからは特別養護老人ホームと提携して高齢の患者を多く入院させていました。
急変した多くは年齢が70歳以上の高齢患者でした。(半田郁子が2000年12月2日に県警に提出した
急変患者リスト参照)
また2000年4月にT医師が退職し、以後北陵クリニックには気道確保などの救急措置のできる常勤医師がいなくなっていました。
さかのぼって1997年8月に薬剤師がリストラされていて、以後北陵クリニックは薬剤師不在のままでした。
経営難を脱するためにささいな症状でもすぐに入院を勧め点滴を打つ。診察には時間をかけずに薬をどんどん投与する。
そのような北陵クリニックの医療機関としての質の悪さが、急変患者の数に表れていました。
北陵クリニックでおきた急変は、守大助も筋弛緩剤も全く関係なく、単に経営難でスキル不足で無茶な経営を続ける悪質な医療施設だったからに過ぎません。
例えば2000年9月18日にY君(5歳)が点滴後急変して死亡してしまいましたが、これはこの時半田郁子医師の処方で点滴投与されたパンスポリンのショック症状によるものだと考えられます。
パンスポリンはアレルギー症、過敏症が発生しやすく、使用には急変時の救急措置などができる十分な準備が必要でした。
Y君はパンスポリンのショックによる血圧低下で意識を失う直前に「歯がかゆい」と言って自分の頬に右手をもっていく動作をしており、筋弛緩剤による症状とは矛盾します。
守大助はY君死亡のこの事例について起訴されていません。このケースは北陵クリニックの明白な医療過誤です。
事件性のあると考えられる急変もあります。
2000年12月3日に5歳の男児が急変し、後で調べたら血中から利尿剤(ラシックス)が検出されたという事例があります。
これは半田郁子が急変患者リストを持って警察に行き、守大助の「筋弛緩剤点滴混入事件」を告発した翌日のことです。
僕は、これは半田郁子が北陵クリニックで点滴後の急変患者が頻発していることを警察にアピールするために、そしてそれを守大助の仕業にみせかけようとして起こした幼稚で浅はかな事件だと思っています。
県警はこの事件を守大助の第6起訴事件にしようとしていたようですが、結局立件しませんでした。
被害にあった男児は軽症ですみましたが、利尿剤が入れられたとすれば明らかに「事件」または「医療過誤」です。
なぜ警察はこの事例や、Y君の事例を無視するのでしょうか。それは守大助の犯行と結びつかないからです。
ところで「守大助が担当してるときに急変が多い」という話が、守大助逮捕直後によく言われていました。
しかしこれは病院側が言っているだけで、どの程度多かったのか具体的な根拠が見えません。
独身男性で仕事熱心で夜勤も多くしていたので急変の場に居合わせることが多かったというのは彼が犯人じゃないとしてもいえることです。
同僚の准看護師もいましたが、2000年5月に退職しているのでなおさら守大助の夜勤は多くなっていたと思います。
担当してるときに急変が多いのではなくて、急変の多い北陵クリニックで他のスタッフより多く勤務していただけではないでしょうか。
2000年11月13日第5起訴事例のK君(4歳男)の時には、守大助は、自宅にいたところを呼び出されて病室に駆けつけており、急変時に現場にいたわけではありません。
2000年11月24日第4起訴事例のOさん(45歳男)の時も、守大助は病棟担当だったので外来のOさんの点滴には全く関与していません。
(
起訴された5件の事例参照)
守大助がいようといまいと急変はおきてました。そして急変が起きると守大助は誰よりもよく動きました。
「なんで守くんが辞めなきゃ行けないの?患者さん助かってるの守くんいたからでしょう」
「守さんがいなければ、みんな死んでるでしょ?」
「あんたがいてくれてこっちは助かったのに」
「あんたがいてよかった」
北陵クリニックの看護婦、医師たちが守大助が辞めるときや辞めたあとに彼にかけてくれた言葉です。
当時北陵に勤務していた看護スタッフのなかで、非常時にいち早く対応できるのは彼をおいて他にいなかったのでしょう。
守大助がいなかったらみんな死んでる、などと言うのはいささか不謹慎な誇張表現かと思いますが、実際2000年2月2日第3起訴のM子ちゃん(1歳)の急変のときなどは守大助の人工呼吸が患者の命を救った可能性が高いです。
守大助はスタッフ全員から信頼されていたと思います。
半田郁子も12月4日に守大助に次のような言葉をかけてます。
「ここでは物足りなかったでしょう。何にもしてあげられなくてごめんなさいね。守くんならどこに行っても活躍するから。」
「急変の守」という言葉が当時の院内で本当に使われていたのかどうかは知りませんが、もし使われていたのだとしたら、
それは「急変の時に最も頼りになる守」という意味で使われていたはずです。
彼に対するスタッフの信頼度から考えると、決して守大助を中傷するようなふざけた意味では使われていなかったと思います。
守大助がやってないのなら、患者の点滴に筋弛緩剤を入れた者がいないのなら
�い覆嫉氾喇毀世龍效亟忘泙�あったのか
2000年11月30日から12月1日にかけて、半田郁子副院長が院内の薬の在庫を調べたら筋弛緩剤「マスキュラックス」が注文数に比べて相当数(20数本?)不足していることに気がつきました。
と本人は言っていますが、それは嘘です。
だれも不正にマスキュラックスを使ったりしていないのだから、そんなに足りないはずはありません。
半田郁子が調べたときにはそれは存在していたはずです。
しかし、2000年12月4日に守大助が退職する日、薬品置き場を確認すると筋弛緩剤「サクシン」と筋弛緩剤「マスキュラックス」が箱ごとごっそりなくなっていることに気がつきます。
守大助が嘘をつく理由はありません。不審に思った守大助は婦長に筋弛緩剤がなくなっていることを告げ、どこにあるか知らないか聞いています。
婦長は「知らないわ」とだけ言ったそうです。
守大助は後でX看護主任にも、筋弛緩剤がなくなっているので、出てこなければ注文しておくように伝えています。
11月30日に半田郁子が調べるまではなくなっていないはずの筋弛緩剤が12月4日に守大助が見たときにはなくなっていた。
筋弛緩剤を使途不明にしたのは半田郁子本人しか考えられません。
つまり、11月30日に仙台市立病院で小児科医師からA子ちゃんの急変の件で筋弛緩剤マスキュラックスの話が出たあとで、北陵クリニックに戻り、12月1日までに半田郁子が自らマスキュラックスおよびサクシンをどこかにケースごと隠したと考えられます。
何のために?
A子ちゃん他、医療過誤による急変を守大助のせいにするためです。
医療過誤を隠すためです。
「使途不明の筋弛緩剤」という状況証拠を作った半田郁子は翌12月2日に県警に急変患者リストを持っていき守大助が怪しいと事実上の告発をしています。
この間、守大助本人には何も言わず、二階堂昇院長にも言わず、単独で行動しています。
(裏で半田教授の根回しがあったのは確実ですが)
そして12月3日に看護婦長、看護主任らと共謀し利尿剤による「急変騒ぎ」を演出し、
更に12月4日には守大助を半田教授が呼び出してその日のうちに辞めさせています。(この時も警察に相談したこと、筋弛緩剤のことなどは伝えていません)
12月4日夜に私服捜査員(安田警部補ら2名)が、通用門から私物と医療廃棄物用の赤い針箱を持って出てきた守大助を捕まえて厳しく質問をしました。
もし、このとき守大助が持っていた赤い針箱の中に使途不明となったマスキュラックスの空きアンプルが入っていたなら、僕の今までの推理は間違いです。
しかし捜査員はこの時、あろうことかその赤い針箱の中身について確認せず、押収もしませんでした。
それどころか、疑っているはずの守大助をそのまま帰宅させ、半田教授と捜査員だけでその後会話がなされました。
赤い針箱からマスキュラックスの空きアンプル19本が出てきたのは翌12月5日に現場検証したときです。
使途不明のマスキュラックスは、最初からその箱の中にあったわけではないはずです。
12月4日の当日、筋弛緩剤がなくなっていることを不審に思った守大助は、婦長や主任に、それを伝えているのです。
そんな彼がマスキュラックスの空きアンプルを赤い針箱に入れたとはとうてい考えられません。
それでは誰がいつ空きアンプルをその箱の中に入れたのでしょうか。
12月4日夜から12月5日にかけて半田郁子が入れた可能性が高いです。
半田郁子が隠し持っていた筋弛緩剤を中身を捨てて空きアンプルにして現場検証の前に赤い針箱の中に入れたのです。
あるいは半田教授。もしくは現場検証で県警の人が自分達で入れたと考えられます。
理由は、「守大助を犯人に仕立てあげるため」です。
これは僕の推理です。
県警や半田夫妻を、誹謗中傷しているつもりはありません。
事実に最も近いであろうことを想像を交えて述べているだけです。
もしこの推理が違うというのなら「ごめんなさい」します。
しかし、それならどうして県警は12月4日に赤い針箱の中身を確認、押収しなかったのですか。
そして何故この赤い針箱を裁判で証拠提出しないのでしょうか。
警察・検察の主張では、
『守大助が12月4日に持ち出そうとした赤い箱の中にマスキュラックスの空きアンプル19本が入っていた。
これは証拠隠滅工作である。』
として有力な状況証拠だと言っています。本当にそうなら、証拠として提出すべきです。
ロット番号も指紋も分からない、12月5日に撮ったという写真などではなく赤い針箱と空きアンプルそのものズバリを裁判で提出するべきです。
それをしない(できない)のはどうしてでしょうか。
自分の推理が的を得ている自信があります。
警察・検察がこの赤い針箱を法廷で開示しようとしないのは、12月4日時点でそこに空きアンプルが存在しなかったからです。
そのアンプルについた指紋が、守大助のものではないからです。
アンプルのロット番号から割り出される製造年月日が新しすぎて、急変時に使用したものではないことが判明してしまうからです。
参考URL
福太郎(司法試験受験生)の考察
宮城県警、仙台地検および高検の人たちへ
貴方たちがこの事件の捜査、裁判にでやっていることは、国民の信頼を根底から覆すような裏切り行為です。
正義を愛し悪を憎む「人間の心」をどうか取り戻して下さい。
というか、税金で給料もらってるんだからちゃんと職務をまっとうして下さい。
・・・と言っても、仙台高裁田中亮一裁判長の公訴指揮により控訴審の審理は終わってしまっているので検察に何か言っても無駄かも知れませんが。
傍観しているマスコミ関係者へ
この事件の裁判がここまでひどい経過をたどっている責任の一端は、当初警察の発表を鵜呑みにして事件を報道した貴方たちにあります。
いまやこの事件は、警察、検察の捜査だけでなく高等裁判所までが明らかに不公正な裁判をしている異常事態です。
日本の刑事司法のこのような腐敗をどうして看過しておくのですか。
権力が正しく国民のために機能するように注視し、警告を発していくのはジャーナリズムの責務ではないですか。
裁判所まで腐っているのです。放っておいたら無実の被告に対し、また誤った判決が下ってしまいます。
僕なんかがここで守大助の無実を訴えたところでたかがしれています。
北陵クリニック事件の裁判を厳しい目で報じるようなマスコミが登場してくれることを強く要望します。
また、過去に冤罪疑惑を報じたテレビ朝日や週刊ポストが、いま知らんぷりをしているのは無責任だと思います。
仙台筋弛緩剤事件は冤罪らしい。冤罪は、もう、お腹一杯。もっと「まともな捜査」と「まともな裁判」を御願いしたい。筋弛緩剤事件、控訴審も被告に無期懲役の判決
仙台の北陵クリダfaula