食から滅びる日本人

「食」から現代を考える

 長年続いた

 「鶴橋卸売市場の移転問題」

の裁判もやっと結審し、どうやら双方折り
合いがついたようだ。


 内容はともかく当店にとって

「鶴橋卸売市場との人々の繋がり」

は何より大切である。

 昭和20年代に闇市の時代から祖父が仕入れ
に行き始まったお付き合い。ビジネス的な繋が
りを超えて日々毎日顔を合わせる間柄である。

 双方良い年になりお互いの生存確認と言って
も状態だ。(笑)

 仕入れる業者さんの顔ぶれも殆ど変わり、
コミュニケーションも少ない。

 仕入れを終えて少し時間をつぶす喫茶店も無く
なり、昭和の時代の業者間で良い魚を取り合った
頃が懐かしい。

 昭和から平成・令和の時代、約60年に渡り
人々の生活様式や何より繋がり方も変わって来た
のを肌で感じる。

 日本は人口減少もすでに始まり国自体が斜陽産業
かと思うようなネガティブな情報で溢れ返っている
が、国の行き先は



 国民一人一人の意識



に掛かっていることは事実であると思う。 

 そんな事を解体が始まっている卸売市場の店舗
もろもろを横目に見ながら考えた。

 意外と知られていない歴史ある街
大阪市生野区。戦国時代大阪冬の陣で
徳川秀忠が陣を張り勝ち名乗りを上
げた所以から名の付けられた「御勝
山古墳」。
 さらに歴史を遡れば聖徳太子が口
の利けない生野長者の子供を治した
云われから建立された「舎利寺尊勝
寺」など日本の古代史に深く関わり
のある街・生野。
 そんな歴史のある街に昭和28年
に魚屋としてスタートした鮨処「富
士好」をご紹介します。
 今現在も初代店主で大正生まれ9
3歳の奥様は現役でお店で働いてお
らます。
 その奥様から聞いた話では昭和3
0年に明治生まれの職人さんの技術
指導のもと現在の寿司屋へと移り変
ったと聞きます。
 当時の職人さんの技術は凄まじく
生の米粒をさわるだけで品質はもと
より産地まで言い当てたと言います。
 食糧難の当時は、寿司屋に来るお
客さんご自身が生米を持参し職人さ
んが寿司を提供していたという嘘の
ような本当の話があったそうです。
しかし人々は「貧しくとも助け合い
の精神」があり、心は豊かであった
と言います。
 「飽食の現在」はどうでしょうか?
食べ物は豊富にあるのですが、どこ
か「心根が貧しい現代人」という気
がしてなりません。
 鮨処「富士好」は昭和28年創業
の、古き良き時代の精神を持ち、少
しでも日々時間に追われる現代人に
癒しのある「美味しい食材・空間」
をご提供してくれるお店です。
 魚の新鮮な事は勿論のこと創業当
時から変わらぬ寿司飯(シャリ)の
味わい。毎朝鶴橋卸売市場から仕入
れられる天然物の魚介類を一手間加
えた江戸前握り。
 また関西古く伝わる押し寿司やチ
ラシ寿司、甘辛く炊いたお稲荷さん
等いわゆる大阪寿司も隙なく楽しめ
る。
 伊勢志摩産の天然物「あわび」や
北海度から取寄せた「きんき」を
使った煮付け料理も絶品である。
 京都祇園で修行した三代目店主に
よる季節料理の数々も、味付けを大
阪風に塩梅よろしく提供している。
 忘れてはならない「お酒」も豊富
に楽しめる。生魚には最高のお供!
日本酒のぬるかん。すこし辛口の味
わいがお刺身の臭みを消してくれる。
焼酎も麦・芋とあり、有名ではない
が本当においしいお手頃な価格の焼
酎を味わう事ができる。流行のハイ
ボールも気軽に注文できる。
 今現在の店主で三代目となります
が、鮨処「富士好」は戦後復興期に
花咲いた町工場の職人さん達が羽を
休めた処としての所以は変わらず、
入りやすい「家族的」なお店です。
 私の経験上この「家族的」には独
自の雰囲気と気配りが感じられます。
 それは決してチェーン店系居酒屋
やファーストフード店などの「テナ
ント店」には無いものである。客と
店側との親密な処(場)を共有する
ことによって生まれてくる「店の空
気」であり「親密圏」である。家族
店に行く事は単に美味しい料理・お
酒を楽しむだけでなく、すなわちそ
の家族の「親密圏」に入っていく事
であると思う。
 鮨処「富士好」はそんな親密圏を
感じさせてくれるお店であります。
 少し背中を丸め暖簾をくぐる。
椅子に座り熱々の御絞りて手を湿ら
せカウンターの陳列に所狭しと並べ
られた新鮮な食材を眺める。お酒で
乾いた喉をうるおし、店主お勧めの
握り寿司を一つまみ。もうあなたは
鮨処「富士好」の親密圏に入ってい
ます。

 アメリカ大統領の選挙結果は

 新聞テレビなどの「マス・メディアの力」が
「インターネットの力」に屈した結果だと私は
思っている。

 庶民の声による本来の呻きがトランプ大統領を
誕生させたのだ。

 グローバル政策によってアメリカ中間層の富が
海外へと流れ出、極端な資本の偏りが貧富の差を
大きくした。

 この当然の事実をレガシーメディアは隠しながら
大衆の不満を他所を向けるべく利用されてきた。

 インターネットで情報を集めていると新聞テレビ
の情報が「胡散臭く」感じてしまうのである。

 事実フェイクニュースも多いのだろう。

 日本のテレビ番組も得体の知れない評論家が多く、
発言も軽く自身がテレビで発言することの影響力の
大きさを解っているのか疑問に思う。

 胡散臭いのである。


飛行機と女性

 最近海外にインターン研修する若者達の話を良く聞く
ようになった。

 私が学生時代を送った90年代では考えられない話だ。

 未来に明るい展望が望めないという世相を反映しての
ことか、将来設計も地に足がついた考え方を持っている
若者も多い。

 20歳代の間に世界共通語の英語を身に着け自分に
付加価値を付けたいそうだ。

 少子高齢化と言われて久しい日本だが、経済発展の
原動力にもなった団塊の世代の人々も定年を迎え、労働者
不足の状態である日本。

 しかし移民政策には反対の声も多く、即効性のある政策
が無いこの問題、日本もヨーロッパ諸国のように衰退する
道しか残されていないのが現実である。

 若い世代は当然肌で敏感に「国の衰退」を感じ取っている
のだ。

朝日新聞社旗

 朝日新聞による従軍慰安婦問題・原発事故の吉田発言問題
更に任天堂の社長発言の捏造などは、責任ある情報発信源と
しての新聞社とは到底考えられない人為的な事件である。

 国益という面から考えても朝日新聞社の責任は大きい。

 従軍慰安婦問題は10年ほど前から、捏造・誤報という
書籍が多く出版され、朝日によるミスリードと言う事は
周知の事実であった。

 なぜ、この新聞社はこのような誤報を連発するのか?

 それも大きく国益を損なう形で・・・

 人為的なミスなのか?

 それとも作為的な情報操作か?

 毎日新聞も従軍慰安婦問題を大きく取り上げ、その責任は
大きいが、所詮はローカル新聞でその内インターネットニュース
サイトに駆逐される運命である。ここの新聞社は規模的に
どうでもよい。

 朝日は左翼系の旗振り役であり、終戦後は戦前の軍部的右翼
勢力に対向する形で発行部数を伸ばしてきた。

 主に団塊の世代に対する影響力も強く、学生運動の若者にも
支持されてきた。

 しかし、時代は流れ団塊の世代を中心とした左翼思考は
「戦前世代の親に対する、子供の反抗期」ぐらいの値打ち
しかなく、世界情勢を見れば共産主義は「絵に描いた餅」である
という結果に終わった。

 (太平洋戦争は日本だけの責任ではない!)

 朝日新聞の上層部は作為的に慰安婦問題の誤報を世界に発信し、
韓国に利用され日本人の心のプライドまで傷を付けた。

 S(スポーツ)
 S(セックス)
 S(スクリーン)
という終戦後アメリカ政府によって行われた日本国民愚民化政策
によって多くのB層が誕生した。

 マスコミ発信の知識を鵜呑みにし、先人の知恵を忘れ、後世に
伝える事を怠る。

 この戦後世代の責任は大きい。

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 昨日、安部総理が大阪にやって来た。

 近鉄あべのハルカスを視察し、そのまま天王寺
新世界の串カツ屋で食を堪能したという。

 最近の政治家はマスコミを利用し「庶民度」
アピールも必要のようだが、政治活動としては
余計な仕事もしなければならない総理を気の毒
に思う。

 B層対策なのだろうが、、、

 人工的に65歳以上の高齢者比率が日本の
場合は25%を超えているようで、どうしても
テレビを情報源にする世代で、意見も一方向に
流れやすい世代ではある。

 B層の割合も多いのではないか。

 今でこそ「大阪の食」といえば串かつ・お好み・
たこ焼きなど、庶民的な物に注目されているが、
元々ここ大阪本来の「食い倒れ」といえば、てっちり
や日本料理などの谷町の旦那さん方が利用する
料亭的な物が代表格であった。

 東京・京都と並ぶ「城下町の美味いもの」が
たくさんある文化的「上方」であった筈だ。

 大阪の凋落が著しい証拠であり、上方大阪の食は
B級グルメだけではない!

 Youtubeなどで検索すれば戦前戦後の大阪の街
の様子・活気が満ち溢れた動画を多く見ることが
できるが、何れも言えることは情報発信地として
の街の有り様である。

 橋本市政で言われる様に大阪の衰退は、経済の
根本的な行き詰まりからなる庶民活動の低下、先行き
の見えない非希望的なロードマップ工程表の現実。

 それ故にデフレ社会から来るB級グルメである。

 大阪はそんな街ではない。

 首都東京に対向する気概が大阪の街文化にはあり、
東京の「官僚社会」に対する大阪の「町人文化」が
ここにはある。

 いつぞやから目先の銭勘定に溺れ、御堂筋建設当時
の様に先見性のある政治が行われない街になったのか。

 庶民にB層が多いという事が結論なのか?

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 猛暑と呼ぶに相応しい暑い日が連日続いて
いるが、この中選挙活動に走り回っている
政治家候補の皆さんには脱帽する。

 「人間本当に人様の為にここまで頑張れるのか?」

と勘ぐりたくなるヘソマガリの自分がいる。

 もちろん本物の政治家さんもいるだろうが、
大多数は

「先生!先生!」

と呼ばれることへの優越感・名誉欲の為に自分の
為に頑張っているのだろう。

 そんなもの大人の常識です。

 民主党が大勝した馬鹿な「マスコミの人工的な風」
が吹かないだけでも少しはマシな国民の審判が
下されるだろうが、未だに新聞・テレビを主な判断
材料にしている人も存在する。

 B層・・・なんて国民を馬鹿にした造語が存在する
が、あながち言わんとする事は当たっている。

 B層。自分で物事を考えず他言を鵜呑みにする人物
を指す蔑称であるらしいが、初めて普通選挙が始まった
時には正しくB層選挙であったようで、知名度がある
人物から先に当選し、地道に政治活動を続けていた
人物のほうが落選しやすくなったという歴史的事実。

 出来上がったのが戦前版二大政党。

 今と大して変わらないか・・・

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 今回の参議院選挙からインターネットによる
選挙活動が解禁された。

 フェースブック・ツイッター等が主な主戦場
になっている様だが、安倍首相の自民党が試合
巧者のようだ。

 実際、今回は自民党圧勝が予想されるが民主
党はインターネット解禁が逆作用のようで、批判
的な書き込みが見受けられる。

 国民を馬鹿にしていると個人的に感じてしまう
タレント候補の乱立は、今回は少ないようであるが
参議院なんて戦前の貴族院よろしく名誉議席でしか
ない。

 畑違いのスポーツ選手・タレントが国政を担う
責任に立てるはずもなく、金の次に名誉といった
所だろう。

 優秀な人ではあるだろうが。

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 デフレ不況と呼ばれて20年あまり「安ければ
すべて良し」という消費者心理もすっかり根付いた。
 
 もちろん悪い意味で。

 「民衆は大多数が正しい判断は出来ない」と言
う事は歴史が証明している。

 戦前の高橋是清の言葉・・・・

 「我が国の文明は、ことごとく輸入されたもので
ある。儒教でも、仏教でも、皆そうであるが、しかし、
ひとたび日本に輸入されて来ると、日本特有の儒教に
なり、仏教となって調和が保たれているのである。
というのは、昔の人は、外国の文明を消化し、同化する
力があったからである。
 ところが、この頃の、外国文化を輸入する人達には、
それを消化する力も、同化する力もない。外国のもの
とさえ見れば、何でもかんでも、無闇に取り込むという
具合で、すこしも、わが国の特色というものを顧みよう
としない。従って、そこに矛盾が起って、調和していく
ことが出来なくなり、折角発達して来たわが国特有の
徳風の上に、かの恐るべき個人主義までも移し植える
ような結果になるのである。」

 高橋是清は戦前デフレ状態にあった日本経済を様々
な政策を施し経済回復させた人物としても有名である。

 さて今日が選挙公示日であるが、先人の知恵経験を
踏まえれば誰がどの党が正常な政策を訴えているか
一目瞭然の選挙である。

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 師走の気忙しい時に衆議院選挙が行われる。

 今や選挙も地元の代表でなく、縁もゆかりもない
人物が落下傘的に出馬する。言うまでもなく今回の
選挙では民主党が壊滅的に無くなり、昔の社会党
よろしく小党になるだろう。

 しかし民主党を与党に祭り上げたのは国民で
あって、歪んだ情報を垂れ流すマスコミを鵜呑み
にした我々個人に責任がある。

 今や4年前とは違い新聞テレビの情報も民意に
よって「精査」され、間違いがあればバッシング
される。

 視聴率の低下とともにスポンサーも減少し、ネット
広告の方資金が流れている。

 私は今まで自民党が大きなチカラを持っている時は
民主党に投票し、4年前はテレビが年金問題などを
利用し自民党批判した時は自民党に投票した。

 云わば民意の流れという胡散臭い空気とは逆の側に
投票してきた。

 もちろんタレント議員などは論外である。差別でも
なんでも無い。

 選挙は集団ヒステリーの現象ではなく、深く考える
事が出来る国民によっての投票行動である。

 小泉政権での郵政民営化選挙・4年前の民主党大勝利の
選挙もマスコミによって作られた流れを真に受けた
我々国民の負の選択であった。

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 師走に入り忘年会シーズンが始まった。

 例年の傾向は会社関係の忘年会よりも
気の合う仲間内の忘年会が多い。
 これは特に若い世代に顕著に現れる傾向
で、年齢の壁を超えた付き合いという意味
での「忘年会」本来の意味合いでは無く
なって来ている。

 年寄りの嘆き説教は確かに耳に痛い話で
あるが、ある意味身のある話が多いのも
事実である。

 そうやって若い世代に教えを伝える良い
機会でもある。

 逆に会社を定年し地元の町会の忘年会に
初参加という男性も居られる。

 これから老後を快適に過ごすために街に
溶け込むという。

 人は一人では生きて行く事が出来ない。

 若い世代はある意味社会の消費システムの
上で無縁の生活している。

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 日本の食の世界は無法地帯である。

 実際100円ユッケ事件でも現れたように、
法のグレーな部分をついた商売は儲かる。

 生の食材を扱う仕事は本来シビアな仕事
であり、一歩間違えば大きな食中毒事故に
なってしまうリスキーな業界でもある。

 今や庶民の食に関する感覚は大きく代わり、
冷蔵技術の普及・防腐剤の発達など「食材が
腐る」という感覚すら薄れてきている。

 防腐剤・添加物など体に大きく負担の掛かる
薬品ともいうべき物も野放し状態である。

 ほとんど腐らない大手菓子パンを見れば
一目瞭然である。

 また、小売から個人に販売する時の食品偽装
も罪にはならない。

 これらの事例を上手く利用すれば食品業界
は儲かるものかも知れないが、そこには人として
の倫理観が大きく関わってくる。

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 いよいよ衆議院選挙が行われるが今回
の選挙本質は「情報戦」である。

 今までは新聞テレビが一手に情報を操作
し大きな力を持っていたが、今やその力も
大きく衰え支持を失っている。

 「信用」されていない情報源となっている。

 意図して誤報を流しているテレビ番組は
瞬時にインターネット等で内容が精査され
信用を失う。

 選挙民の判断材料からも除外される。

 もはや国民の大きな弊害は大手マスメディア
である。

 アメリカがそうであるように、これからの
選挙はソーシャルメディアを如何に上手に
利用し国民の信を得るかに掛かってくる。

 前回の選挙は民主党の大勝利に表れたように
国民の多くは期待したが、逆に言えば自民党
に対する反対票ともいえる。

 無党派層が国民の対多数を占めるということは
それだけ流れやすい層が多いという事。

 この層を如何に煽り支持を得るかが政治家の
戦略となり、そこには国民と政治家の信頼関係
は存在しない。

 今回は「新聞テレビ不在の選挙」である。

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 韓国料理に「サムゲタン」というものが
ある。

 今月ある日突然にタレント・芸人を主に
したブログで一斉に「サムゲタン」と食べた
という投稿が相次いだ。
 以前から自然と好んでいて家庭料理的に
紹介している記事もある。

 それも皆アメブロというのも興味深い。

 このサムゲタンは鶏肉を丸々使ったスープ
料理で圧力鍋を使っても非常に時間がかかり
結構時間を要する。

 これはもちろん故意的な宣伝行為でネットでも
悪名高い「ステルス・マーケティング」という
もので我々に情報を刷り込んでくる。

 批判的な意味合いでも話題にはなるが、逆に
踊らされているようで悪いイメージが付くのも
確かである。

 

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 解散選挙風が吹き出した国会。

 大臣の役職も名誉職に過ぎず、官僚機構を
コントロール出来る了見の政治家も殆ど居な
い様に思える。

 マスコミに潰される政治家も多いが、その
情報源は官僚なのか反対勢力の政治家なのか。

 しかし、理由はどうであれマスコミを信じきる
庶民の責任も大きく、総理大臣を軽く扱う傾向に
ある庶民感覚も良い傾向ではない。

 先のアメリカ大統領選のテレビで流れた互いの
誹謗中傷の中身の根拠が80%真実ではないと、
選挙を管理する同国シンクタンクが発表していた。

 驚きである。

 人の噂程度では段々信頼性は薄らいで、信用という
マスメディア根本の存在意識が希薄になってしまう。

 別段無かっても良いモノに新聞・テレビが上がって
いるという事実。

 テレビ視聴率も大きく下がり、新聞の発行部数も
これから大きく下がって来るのが予想される。

 大きな収入源の広告資本はインターネットに移り
変わって来ている。

 結局テレビなどの従来型のメディアに求められて
いるのは「信用」であると思う。
 しかし今や報道のアナウンサーまでもがタレント
化し、バラエティー番組に当然のように出演しお笑い
芸人よろしくハシャいでいる。

 東日本大震災の時でも被害詳細を報道番組で
女子アナが原稿を読んでいて違和感を覚えた。

 発音の良いタレントが原稿を読んでいるに過ぎず、
人命が多く失われた悲劇を伝える責任は到底背負う
器がない。

 今の日本の国自体礼節が失われ、明治以降の伝統
が失われつつある。

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 今20代の若者はお酒も飲まず自動車も
購入する意欲もないという話を聞く機会が
多々ある。

 自動車しかり若い世代に人気のスポーツ
的な車種は殆ど無く、ミニバンと呼ばれる
移動の為の車が一番人気である。

 「若者の〇〇離れ」というワンフレーズを
見かけるが、別に若い世代が悪い訳でも無く
経済状況など時代背景が違うだけである。

 人の考え意識もその時の時代背景が大きく
影響を与えると思う。

 終戦後、無いものから起ち上げた人々
それを成長させた人々、維持していく人々
様々に苦労が存在する。

 政治家は民衆の民度以上の政治家は誕生
しないというが、政治家の質だけは年々低下
してはいるが。。。

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 おせち料理の重箱を探しに大阪難波
「道具街」に行ってきた。

 幼少時から親に連れられ出入りしていた
「道具街」も平成の今はすっかりと様変わり
した。

 私の幼少期が昭和50年代後半なので
もちろん経済の勢いも違い、何故か真ん中
にあった映画館も業務用スーパーになって
いたり、個人商店の数件がチェーン店の
格安飲食店になっていたりと時代の違いを
感じることが出来る。

 そのまま心斎橋まで歩いてみたが、どの
店舗も大型資本のチェーン店ばかりで、街が
画一化している。

 街に面白みがない「無色の町並み」といった
感じがする。

 よく昭和世代の人達が「今の若い世代は
かわいそうだ」という言葉を言っているのを
耳にするが、物質的には豊かになってはいる
が、人として生きて行く上で大資本システム
に踊らされ、その街の「人情」というものを
感じる機会が少なく心が潤和される事も無い。

 その隙間をソーシャルメディアなどの媒体
を使い擬似的に満たしているだけかもしれない。

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 開かれた?アメリカ大統領選挙と打って
変わって、超閉鎖的な中国共産党の党大会
が8日から開かれている。

 あれだけ多くの人民を抱えているのにも
関わらず、国の実質の権力者は10人未満
という歪な形態がゆえに水面下で更なる
権力闘争が繰り広げられている事だろう。

 共産党独裁政権の元で発表される経済指標
を信じているのは日本のマスコミぐらいで、
何れ限界が訪れるだろうが、情報を一手に
発信しているのが共産党政権なので、その
情報を鵜呑みにする人民の数も中国という
だけで膨大な人数になる。

 人間の歴史はこの鵜呑みにする層による
暴発であり、民主主義の暴発でも多くの
戦争が行われてきた。

 決して独裁者のすべての責任で歴史の悲劇
が起こった訳ではなく、そこには必ずヒステ
リックなまでの民意の暴走が存在する。

 日本でも民意の暴走は「風」「ブーム」
など言葉の種類は有れど、選挙前にメディア
によって人工的に作られる。

 これを鵜呑みにしてきた暴走事例が郵政
改革・公共工事削減・民主党の政権誕生など
国を潰しかねない改悪を起こしてきた。

 全ては国民の責任で、すべての負の作用
も国民一人一人に帰ってくる。

 決して国民は被害者ではなく加害者側で
あるということ。

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 世界中が注目するアメリカ大統領選挙が
現職オバマ大統領が再戦となった。

 二大政党制のアメリカ選挙、二択の判断が
正しいかそうでないか、一神教のキリスト教
が根本にある価値判断といえよう。

 なんでもアメリカに習えの戦後日本人は
八百万の神々の自国の国体も忘れ、選挙まで
二大政党制を持ち込もうとしている。

 多様性のない社会には人間性も極端になる。

 今回の大統領選の各陣営の選挙費用は
約5000億円ともいわれ、そのほとんどが
メディアを使った広告費という。

 記憶に新しい小泉郵政民営化は自分の頭で
モノを考えずマスコミなどの意見をそのまま
鵜呑みにする人々を「B層」という造語を
作り、新聞の間に挟んである広告などに
テレビタレント使ったカラー広告を使い世論
を操作したという事実がある。

 明らかに今のメディア選挙はこの鵜呑み層
が大きな影響を持っている。

 しかし新聞・テレビを使った世論操作は
フェイスブック・ツイッターなどソーシャル
メディアが普及した今、大きな力を失って
来ている。

machi

 「酒の席での話・約束」は守らなくても
酒の席で<曖昧なもの>としてあまり責任
を問い詰める事は無いのはアジア的か。

 でも「テレビの上での話」もそんな真意
を問われるべきでは無いのかもしれない。

 <曖昧なも>のとして受け止めるべきで
あるのが、いつの頃からか真実として
世間を独歩きしだし鵜呑みのする人が増えた
ように思う。

 それがあたかも世論であるようにマスコミは
再び庶民を扇動する。

 ここ20年の日本の混乱は「情報の歪み」
がらくる人災であると考えている。

 それは原発事故を見ても明らかで、真実を
伝えれば更に混乱するのか、東電から受ける
誤報を流し続けた。

 テレビの評論家しかり風見鶏のように時代の
雰囲気で意見を変え責任は知ったことではない。

 昭和の時代は街で人を育む人情があり、そこ
には「世の中」という教育があった。

 戦後日本人はテレビを通して「世間を知った」
つもりになり多くの日本の伝統を失ってしまった。

 それは食の世界にも顕著で、テレビの受け売り
よろしくプロの世界に持ち込もうとしている。

 デフレで安ければ良いという風潮が蔓延し
消費者の立場が強く、安いものを追い求め驕り
とも云うべき悪態が目立つ。

 教育の現場でもテレビが教師の僅かな失敗を
取り上げ、徹底的に糾弾する風潮が続いた。
 その結果、上から目線の親達が教育現場に
詰めかけ行き過ぎた権利(顧客意識)を持込み
学校を歪な形に崩してしまった。

 少し前の日本人は「皆お互い様」という文化
を持っており貧しくとも美しく人生を生きていた。

 それは私の祖母92歳を見れば良く分かる。

 日本人が失ってしまったもの・・・それはとても
「大切なもの」だったのかも。

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