2010年03月30日

はてダへの移転告知

そんなわけで。

以前からはてなダイアリーの方へ本格的に移転するための作業を進めていた。それが今日終了したので、告知しておく。

これからは以下のブログで更新を続ける。

詩になるもの

このブログからインポートしたエントリは、カテゴリ[lbインポート]から読むことができる。詳しくは次のエントリを参照。

旧ブログからのログインポートについて - 詩になるもの


このブログのエントリは消去してもいいんだけど、一応はてブされてるものは需要があると判断して残しておく。あとは全部下書き状態にしよう。



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2008年04月07日

多読についてのあれこれ

 本は10冊同時に読む!大いに同意 - The Home Run Show

 上記の記事をふまえて。 

 ハウツーのくだりは結局受け手の気持ち次第だと思いますね。ハウツーを読んで「これだけやれば安心だ」と思うか、「これから応用して想定外の場面にも対処できるようにしよう」と思うかは各人各様です。
 僕は後者の方が向上心があって良い姿勢だし、そういう心持ちで読書したいと考えます。そうすればただのハウツーですら自分にとっての良書となり得るような気がします。

 とはいえ、読み手の気持ちに関わらず、最初から作り手の方が「これだけやれば安心」を売りにした本を出してしまうこともあるんでしょう。その方が読み手も気持ちが楽ですし、売れやすいでしょうから。
 しかし、やっぱり本の作りとしては、「これだけ」のハウツーではなく「これから」をコンセプトにしたものこそが良書ではないかと思います。そんな良書が増えてくれればいいですね。


 抽象化と具体化の話をもう少し深めてみましょう。これも結局その人の能力次第だと思います。読書して1から10を学べる力と、学んだことを具体的場面に活かせる力があれば、人生楽しいでしょうね。

 hayato2438さんがレビューされてる本は読んでないので推測ですが、著者が多読をすすめる理由は、おそらく学ぶ教養の母数を単純に増やしておいた方が、具体的場面で活かせる可能性があがるからでしょう。

 そういう意味では、より良く生きるために読書は必要な努力だと考えられますし、読書という努力をしようとしない者を悪く言うことにも頷けます。

 もちろん、より良く生きるためには、努力の他にも運や巡り合わせの要素が強いです。教養をつけることを目的とした読書だって、今日明日には役立ちません。人生の中では学んだのに活かせないことなんていくらでもあります。

 しかし、昔読んで自分には関係ないと思っていた本が、ある日の自分の問題を解決する助けになることって実際あると思います。

 そこで初めて、「あの本の言葉はこういう意味だったのか」と体感し、無関係と思っていたもの同士のつながりを確認することは素敵なことです。単純に気持ちいいんですよね、何かがつながったと認識した時って。人間の脳は、そういう関係性の発見に喜びを見いだす傾向がある気がします。

 多読についてのあれこれ、数多の本から得た教養が支える「これから」が、詩になるもの。



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2008年03月30日

「4月から大学1年生になる前に〜」の個人的補足

4月から大学1年生になる前にとりあえず読んどけ!! - 粋blog

 そんなわけで。

 4月から大学生になる方、入学おめでとーございます。

 上記エントリは、 何もわからない新一回生向けに書かれたものにしては、内容が簡略化されすぎている気がします。二回生以降、大学生活を「わかってる」人なら頷くところもあるんですけど、わからない人が読むと誤解が生まれそうな部分もあるので、補足しておこうかな、と。

 あと、以下のfrom_kyushuさんのエントリも参考になるので併読すると良いです。

4月から大学1年生になる前に読まなくても良いかもしれない - Post-itみたいな

これぐらいは知っておいた方がいいことの補足

・一人暮らしで出来れば学校の近く

: これは確かに大事です。飲み会でも、自宅生だと終電の時間とか気にして楽しめないといったことがよくありますからね。溜まり場にならないように注意するのはfrom_kyushuさんが言われている通りです。

・携帯はウィルコムを持っていた方がいいかも!

: 恋人同士でウィルコムを買うと通話料が無料なので便利という話は聞いたことがあります。ただし、通話料が無料と言うことが逆に枷となり、電話を切るタイミングや、「何で電話してくれないの」と言われたときの言い訳に電話代の話が使えなくなります。気をつけましょう。

・服装は初日からある程度、一般的な服で行った方がいいかも!

: そうですね。服について全然わからない人は「脱オタクファッションガイド」でも買いましょう。大切なのは自分に合った服を買うことと、個性は模倣からしか生まれないと知ることです。

・mixiは入っておこう!あと、モバゲーもできればやっておこう!

: mixiはアカウント作るくらいはしておいたほうがいいかも。しかし、未成年にも関わらず飲み会で飲酒したことやその他犯罪行為を日記に書くと、周囲の人や所属大学に迷惑をかけることになるので、そこは自重してください。

・飲みコールぐらい出来る方がいいかも!

: 確かにコールも大事です。しかし飲み会で最も大切なことは、自分が絡んで笑いを取るタイプか、絡まれて笑いを取るタイプか把握することです。理想は、その時のメンバーによって攻守の立場をいろいろと切り替えて振る舞えるようになることかな。

まずは、所属する団体を決めよう!!の補足


: 体育会と体育会といった無茶なかけもちをしなければ、複数団体に所属してもいいですね。ただし、部費や会費はその分かさみます。どんな形であれ、人間関係を維持しようとすれば、それなりの出費を覚悟しなければいけません。

 所属した団体で恋人、ひいては結婚相手を探し出す人も多いです。個人的に思うのは、大学というのは打算を含まない人間関係が営める最後の場所ではないかということです。

 僕はまだ社会に出ていないのであくまで勝手なイメージで話しますが、社会人の人間関係って、例えそれが友人だろうと恋人だろうと、どこか打算が入ってしまうように見えるんですよね。打算というのはもちろん金銭的な話で、金の切れ目が縁の切れ目という言葉そのままの意味です。

 そんな社会人の人間関係を嫌う者を子どもと呼ぶなら、大学は子どもでいられる最後の場所であるとも言えます。まあ大学までくると、ちらほらと打算的な人間も現れて来ます、実際。それを汚れた大人とさげすむか、功利的な立ち振る舞いに敬服するかは各自の自由です。

早めから考えておいた方がいいことの補足


: 結論からいうと、日記を付けましょう。思考の過程を記録することで、「自分」を積み重ねることができます。回生が上がり就職を控え、自分がわからなくなり不安になっても、自分探し(笑)などを行う必要はありません。日記にある過去の自分を見れば、自分がどういう人間で何をしてきたのか、何に悩んでどう解決してきたのかわかります。就職を考えて大学生活を送るというのは、正直しんどいでしょう。だから普通に過ごした日々を日記にして、それが就職に役立ったという形の方がいいと思うんですよね。

色んな事に関して代表をやっておくとイイかも!の補足


: 代表をやると何故いいのか、考えてみましょう。僕は、代表を通して様々な人と出会う機会が増えるからだと思います。大学生活では、立場や世代の違う人と対話する機会を大切にしましょう。代表同士の会合、物事の折衝などを通して対話を重ねることで、社会人が求められるコミュニケーション力(笑)が身につきます。

補足の補足、コミュニケーション力について


: コミュニケーション力に(笑)を付けたのは、企業が言葉の中身を示さないまま馬鹿の一つ覚えみたいにこの語を繰り返す現状を揶揄したかったからです。

 とりあえず言えることは、コミュニケーション力はお友達を作る能力ではない、ということ。大学入り立ての頃って、なんとなくみんな、「入学式で初対面の子に声をかけて友達を作る」ような人がコミュニケーション力のある人だって思ってるんじゃないかな。

 しかし僕に言わせるとそうではないです。コミュニケーション力って、どちらかというと、友達になった子と「友達であり続ける能力」を指すと思うんですよ。人間関係って作るより維持する方が難しくはないでしょうか。関係維持となると、必要になってくる能力は多岐にわたります。

 時が過ぎてなーなーになっても、きちんと連絡を取り続ける能力。待ち合わせの時に、誤解なく時間や場所を伝えられる能力。お互いが楽しいと思えることを考える能力。そして最も大切なことはその子の話を聞く能力。

 上記の説明でよく分からない人は、これをされると友達やめたくなる、という行為を考えてみましょう。連絡が無いとか遅刻するとか自分勝手とか話を聞かないとかね。その逆の行為ができる人がコミュニケーション力のある人と言えませんか。そんなの人として当たり前じゃん、と思った人は、コミュニケーション力が十分にあると言えます。企業に就職することは普通にできると思いますから、心配しなくても大丈夫です。

 以上で個人的な補足を終わります。大学生活は自分次第で限りなく楽しくなります。エンジョーイ!

 4月から大学1年生になる前に、補足しながら振り返った自分の大学生活が、詩になるもの。



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2008年03月04日

「秒速5センチメートル」感想、詩と時間と人生について

 ひとしきりあって。

 この記事では「秒速5センチメートル」を観て連想したこと、感想を中心に書いていきます。
作品の内容自体については、項を改めて書きたいと思います。


 僕がTSUTAYAでレンタルしたこの作品を観たのは、ほんの数日前、2月末の深夜でした。その時の僕は、就職活動に疲れ、乱れた生活の中で、何もかも投げ出したい気持ちでした。何気なく借りたこの作品を、履歴書を書きながら観ていました。

 「秒速5センチメートル」については、「鬱になる」「『耳をすませば』を観たときとと同じように心が痛む」といった評判は聞いていたものの、詳しいことは何も知りませんでした。

 実際に観始めて、第一話や第二話で既に涙腺が弱くなっていたのですが、第三話で「One more time, Onemore chance」が流れ、日常の風景が描かれる場面では涙が止まりませんでした。そして、ふと書いている途中だった履歴書に視線を落とすと、不思議な感動が 生まれてきたのです。


 履歴書の学歴欄に書かれた、大学入学と大学卒業見込という二行。この二つの行は紙の上で5センチどころか5ミリも離れていないけれど、その間には4年と いう長い時間が込められている。そうして二つの行に挟まれた膨大な時間と、その間に起こった様々な出来事に思いを馳せた時、生きてきて良かったな、と思い ました。


 以前、同じようなことをゆずの北川悠仁さんが雑誌のインタビューで言っていました。

 ゆずの「リボン」というアルバムに、「チェリートレイン」「ダスティン・ホフマン」という二つの曲が並んでいます。同じ女性との恋愛について書かれた曲ですが、前者は交際中の曲、後者は別れの曲なんですね。

 その二つの曲の間には、数年間という時間があるわけです。けれども、CDで続けて聴く時には、その曲間はたったの二秒なんです。その曲間二秒の中 に、数年間という時間を感じる時、北川さんは音楽をやっていて良かったと思ったそうです。圧縮された時間に詩的なものを感じるんですね。

 前述の僕が涙した場面というのは、主人公達の日常生活や日常風景を描いただけのものです。けれども、その過去の人生を振り返る視点によって、それがどれ だけ美しく想起されるか、ということが分かった気がします。詩的なもの、人生、時間、をキーワードに詳しく述べていきましょう。

 僕はこのブログを通して、詩的なものを一つずつ確かめる作業をしています。詩的というのは、簡単に言えば自分にとって何かしら特別な意味を持つ、ということです。

 しかし、今詩的だと思っているものも、この先同じように思っていられるかは分かりません。今日は全く自分にとって意味を為さないものも、明日には僕の心を救う美しい奇跡になっているかもしれない。

 そう考えると、意味のある生、人生って結局何なんだろうと思います。その時最善最高だと思うように生きてきても、その積み重ねが幸せだとは必ずしも言え ないんですね。僕は常々、詩的に生きていこう、自分にとって意味のあることだけをして生きていこう、なんて思いながら、そうできないことに苛立っていまし た。

 何が自分にとって詩的なのか、意味のあることなのか、それが分からなかったからです。迷いなく生きることに憧れつつ、迷いながらしか生きられない自分に失望していました。

 けれども、「秒速5センチメートル」を観てからは、こう思うようなりました。

 どのように生きていっても、振り返る視点一つ変えれば、過去の時間は全て詩になりうる。意味のある生は、今の自分が過去を肯定し、意味を与えるこ とで作られる。だから、現在を生きる上では、意味なんて考えなくてもいい。迷いながらで構わないから、目の前のことに一生懸命になって、体でぶつかってい く、一日一日を大切にするような、そんな生き方が大切なんだ、と。

 できることをやっていく、ということを第一の目標に、就職活動もがんばって続けて行こうと、強く決意しました。

 「秒速5センチメートル」と出会えたことを、この冷たい季節の、一番の幸福だと感じています。新海監督には上記のような感想とお礼のメールを送らせてい ただきましたが、ここでももう一度お礼を言っておきたいです。作品を通して僕をこんな新しい気持ちにしてくれて、ありがとうございます。

 「秒速5センチメートル」、大切に生きた時間全てが、詩になるもの。

 貴樹と明里が再会した日 京都にて

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2008年01月06日

ディエンビエンフーの缶バッジ

 そんなわけで。

 IKKIで連載中の漫画「ディエンビエンフー」のコミックスが8月に発売されました。1・2巻同時発売であり、両方買って応募すると全員サービスで缶バッジがもらえる企画がありました。先日、まさに忘れた頃にそれが届けられたので、写真付きで紹介しましょう。

 まず封筒です。ディエンビエンフーの印が押されていました。芸が細かいなー。ちゃんと封筒の中に緩衝材が入っていました。

ディエンビエンフー封筒

 手紙も同封されていました。ディエンビエンフーの作者西島大介さんもアンケートのコメントを見て喜んでおられるようです。これからも頑張って連載を続けてほしいですね。

ディエンビエンフー手紙

 缶バッジも良い出来で、無料でもらえるものとしては非常に満足です。お姫さまのバッジと、フン(犬)のバッジが一つずつ入っていました。そして、おまけとしてシールも同梱されていました。

ディエンビエンフー缶バッジ

ディエンビエンフーシール

 最近はあまりIKKIを読むことがないんですけど、ディエンビエンフーはこれからも読み続けたいです。春に発売されるコミックス3巻も楽しみにしています。

 ディエンビエンフーの缶バッジ、センスのいい贈り物が、詩になるもの。

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2007年12月29日

体育会系の理不尽さ

 ひとしきりあって。

 体育会系ってそういう事だろ?博士の憂鬱 - シートン俗物記

 体育会系ってそういうことだろ? その2 博士の帰還 - シートン俗物記


 僕もここで挙げられている"体育会系"というものが好きではない。この機会に体育会系の理不尽さについて、考えていることを書いていきたいと思います。


 まず、理不尽、理屈じゃないということは、それが言語化できないということです。一言で言ってしまえば、体育会系のコミュニケーションというのは、非言語化されたコミュニケーションなのです。 

 「〜しなければならない理由を教えてください」「〜してはいけないのは何故ですか」といった質問に対して、明確な理由が答えられない。「しきたりだから」「そういうもんなんだよ」と言ってあしらうしかない。言葉で説明できないところによってたつものなんですね、体育会系というものは。


 ここで注意しておきたいのは、Dr-Setonさんも言っているように、ここでいう"体育会系"と"アスリート"とは別の概念であることです。アスリートのコミュニケーションや指導においては、それが言語化されたものはもちろん、非言語化されたものにおいても、本当の理がある。それは、言葉では説明できないけれど、確かに正しい理です。


 アスリートとしての個人的な経験から言いましょう。剣道の稽古では、指導を受けている者にとっては理不尽としかいいようがないことがままあります。先生があと100回やれといったら100回素振りしなくちゃならない。なんで100回なんですか、なんて尋ねても、先生が説明してくれるわけじゃない。自分でも、そのへんは無理に言葉にして説明する方がかえって齟齬を生むことになるから、よした方が良いと思っています。

 けれども、剣道の稽古が理不尽ということと、体育会系が行う理不尽とでは全く違うんですよ。非言語なコミュニケーションというところは共通していても、剣道の稽古にはやはり正しい理がある。自分たちが理解できていないだけで、指導者はそれをちゃーんと分かってやっている。体育会系の理不尽さには、正しさがない。

 その正しさとは何かということを突き詰めればね、それは下の者が成長していけるか、ということです。


 普通に考えてですよ、人類が進歩しようと思ったら、次の世代は前の世代より優れていないといけないわけです。このことは以前のエントリ「偉大な発見」で触れました。

 もっと言えばね、次の世代は前の世代を超えられるように努力しなければいけないし、前の世代は次の世代を自分たち以上の世代にするために、注力しなければならないんです。

 それは学問もアスリートも同じことです。科学だって剣道だって、後進の育成をするために、彼らが間違った方法で進んでいかないために、指導者がいるんですから。


 体育会系を振り返ってどうでしょう。その人間関係において、上の者は下の者の成長を助けることがあるでしょうか。ありえないんですね。なぜなら、上の者にとっては、下の者は自分たちの立場を安定させるための土台でしかないからです。

 体育会系の上下関係というのはつまり、年齢が上のものが年功(という名の無条件)をもってして優れている、ということなんだから、下の者は必ず上の者に劣るという体裁なわけです。実際に劣っているか否かに関わらずね。そして上の者から常に従順でいることが求められる。


 そんな上下関係を別の言葉で表せば、"劣化コピーの再生産"であると言えます。そこでは下の者は上の者に一生かかっても追い越せない「年齢」で判断され、年少だから年功がないため劣っているとみなされます。それでいて、下の者は上の者に従順で反対意見を述べないことを求めるから、下の者の考えは上の者のコピーになります。

 何より愚かしいことは、自分より優れた年少者や組織の価値観に反する者を自分の上に押し上げれば、自分の立場が危うくなる、と体育会系が考ることです。

 この仕組みの中で誰かが「上の者」になろう、「上の者」のままでいようと思ったら、どうするでしょうか。自分の下に、自分より劣っていて、自分と同じ意見、価値観、ルール、枠組みで活動する者を生み出すしかないわけですね。体育会系はつまり、劣化コピーを生み出し続けるシステムといっていい。

 そこには、下の者を育てることで見える、組織の発展や進歩といったものは全くありません。


 さて、ここまで他の分野の理不尽さと体育会系の理不尽さの違いを論じてきました。その理不尽さを通して、自分の立場を守りたいがために下の者をないがしろにする、体育会系の姿が浮かび上がってきました。

 今回の体育会系の話題については、もともと明治大学の応援団の痛ましい事件から発展したものです。"体育会"は大変けっこうですけど、"体育会系"にはならないように、気をつけたいものですね。上下関係、年功序列についてはもう少し語りたいことがあるので、また別の記事で書くことにしましょう。


 体育会系の理不尽さ、その緩慢な退廃が、詩になるもの。


 参考文献:加藤秀俊『人間開発 -労働力から人材へ-』中公新書、1969年



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2007年12月23日

偉大な発見

 はい、そんなわけで。

・人生面白くないよ

・404 Blog Not Found:人生面白すぎてちょっと困ってるかも

 元増田(はてな匿名ダイアリーのこと)が言っているのは、自分が発見したことが既に体系化されていると知ったときの空しさでしょう。これについては1937年に発行された吉野源三郎さんの「君たちはどう生きるか」に詳しく書かれているので、引用してみましょう。

 こういうと、君は、さぞがっかりすることだろうね。折角の発見が、とっくに人に知られていたというんでは、つまんないなあと思うかも知れないね。 
 人間は、どんな人だって、一人の人間として経験することに限りがある。しかし、人間は言葉というものをもっている。だから、自分の経験を人に伝えることも出来るし、人の経験を聞いて知ることも出来る。その上に、文字というものを発明したから、書物を通じて、お互いの経験を伝えあうことも出来る。そこで、いろいろな人の、いろいろな場合の経験をくらべあわすようになり、それを各方面からまとめあげてゆくようになった。こうして、出来るだけ広い経験を、それぞれの方面から、矛盾のないようにまとめあげていったものが、学問というものなんだ。だから、いろいろな学問は、人類の今までの経験を一まとめにしたものといっていい。

 印刷技術が技術、文化の発展に役立ったということは周知の事実ですね。そこから、異なる経験をまとめる動きが出てきたのがポイントということでしょう。

 そして、そういう経験を前の時代から受けついで、その上で、また新しい経験を積んで来たから、人類は、野獣同様の状態から今日の状態まで、進歩して来ることが出来たのだ。一人一人の人間が、みんな一々、猿同然のところから出直したんでは、人類はいつまでたっても猿同然で、決して今日の文明には達しなかったろう。
 だから僕たちは、出来るだけ学問を修めて、今までの人類の経験から教わらなければならないんだ。そうでないと、どんなに骨を折っても、そのかいがないことになる。骨を折る以上は、人類が今日まで進歩して来て、まだ解くことが出来ないでいる問題のために、骨を折らなくてはうそだ。その上で何か発見してこそ、その発見は、人類の発見という意味をもつことが出来る。また、そういう発見だけが、偉大な発見といわれることも出来るんだ。

 これはその通りですね。どうせ発見するなら、人類が未だに解決していない問題を解決するような発見をした方が良い。車輪の再発明に特許が認められないことを考えれば容易に理解できます。

 しかし、偉大な発見をするためには今までの学問が何をどこまで解決したのか学ぶことが必要不可欠です。

 これだけいえば、もう君には、勉強の必要は、お説教しないでもわかってもらえると思う。偉大な発見がしたかったら、いまの君は、何よりもまず、もりもり勉強して、今日の学問の頂上にのぼり切ってしまう必要がある。そして、その頂上で仕事をするんだ。
 しかし、そののぼり切ったところで仕事をするためには、いや、そこまでのぼり切るためにだって、──コペル君、よく覚えておきたまえ、──君が夜中に眼をさまし、自分の疑問をどこまでも追っていった、あの精神を失ってしまってはいけないのだよ。

 うーん、その頂上の高さも歴史とともにどんどん上がっていくわけで、後に生まれる世代ほどのぼるのがしんどくなっていくんじゃないかなーと思ってしまいます。このへんはどうすればいいんでしょうね。エスカレーターでも作ればいいんでしょうか。

 小飼さんは、のぼる山が多いから楽しいよ、と言っているように思えます。一つの山をひたすらのぼり詰めるのも良し、複数の山にのぼってロープウェイで行き来するも良し。各人各様ののぼり方があるっていうことですね。

 元増田が言うように、山の周りをぐるぐる回ってルーチンしているように思えることもあるかもしれません。でも案外それって"円"ではなく"螺旋"であって、だんだん上の方にのぼって行ってるもんじゃないかなって思います。

 偉大な発見、心に生まれた問題意識をごまかさない精神が、詩になるもの。



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