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連載:2016年のPerfumeとこれからのPerfumeを巡る五百蔵容さんとの往復書簡 ⑤(最終回)目標と夢

司会者「年明け早々から続いてきたこちらの企画、今回で最終回です」

 

2016年のPerfumeとこれからのPerfumeを巡る五百蔵容さんとの往復書簡

 

レジー「第5回目にして最終回ということで。前回はPerfumeとテクノロジーの関わり方を振り返りながら遠い未来への妄想を展開したのですが、ここでは近い未来への展望について話し合っています。後半の五百蔵さんパートは特にボリューミーなんですが、「TOKYO GIRL」を巡る掘り下げは今までにないものになっている気がするのでお楽しみに。これまでの連載も含めて良かったら読んでみてください。それではどうぞ」

<過去の連載>
①総論と問題提起
②課題
③収穫 
④虚実皮膜 



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⑤レジー→五百蔵
 

 

さて、前回は思わぬ大きな話まで発展してしまいましたが、今回は最終回ということで「近未来に向けたPerfumeの展望」についてお話しさせていただいて締めたいと思っています。

 

本来この連載は「TOKYO GIRL」リリース前までには終わらせたかったのですが、いろいろありまして結局ここまでずれこんでしまいました。すでに3月に突入し、「2016年」という冠のついた記事が続いているのも不自然な感じになってしまいました・・・ただ、けがの功名と言いますか、それによって「TOKYO GIRL」リリースタイミングでのインタビュー記事の中身を反映させることができるようになりました。超結果論ではありますが、このことについては本当に良かったと思っています。

 

今回の連載は、初回で五百蔵さんが投げかけてくださったとおり「Perfumeがマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)でライブを行うのにふさわしいグループに今後なり得るのか?」という問題意識をベースに進んできました。そして、その背景には「チームPerfumeがその目標を「現実的に成し遂げるべきもの」として設定している」という認識がありました。

 

直近のananや音楽と人、ナタリーあたりのインタビューを読む限り、その根幹が軌道修正されているように感じます。「目標」ではなくて「夢」。以前からあ~ちゃんも「夢」という言葉を使ってはいましたが、そのトーンは「成し遂げるべき夢」から「いつか叶えられたらいい夢」くらいに変わっているように思いました。

 

これまでもチームPerfumeは「大きなビジョン」と「そのフィジビリティを精査して現実に落とし込む高度なオペレーション」の両輪によって回ってきたと理解しています。どちらも重要な側面ですが、やはり「ビジョン」なしには進むことができない。そんな構造で考えると、2014年のアメリカツアー以降目指していたものに対して(ほんの少しかもしれませんが)メンバーの心が折れてしまったというのは、チーム全体の推進力にとって重大なネガティブ要因となってしまうかもしれません。

 

現状とり得るアプローチとしては、2つあると思います。「MSGでのライブとは異なる現実的な目標を掲げる」、もしくは「そもそも目標を掲げない」。

 

「夢を掴みとる」というのはPerfumeの成功譚の肝となる部分であり、3人の頑張りのエンジンとなっている部分だとも思います。ただ・・・オリコン1位にもなった、紅白にも出た、東京ドーム公演もやった、海外ツアーもやった。そこまで何もかも実現したうえで、自分たちだけでなく周囲の人たちの想いも背負って飛び出した「目標」が「アメリカの大会場でのライブ」だったわけで、じゃあそれがすぐには難しそうだとなった時に適当なサイズ(現実的に可能ではありそうだけどすぐには到達できないという塩梅)の目標がポンポン出てくるようには到底思えません。

 

僕が期待したいのは、後者のアプローチ、「そもそも目標を掲げない」というものです。何かに追い立てられるように活動するのではなく、より自然体に自分たちの表現を行っていく。今回の挫折(とあえて言いますが)を、Perfumeがそういったことをできるグループとして脱皮していくチャンスと捉えなおすことができないかなと僕自身は思っています。

 

最初にこのことを思ったのは、2013年に東阪のドームライブを行った後のことでした(以前ブログにも書いたので、そちらも合わせてご覧いただければと思います)。

 

Perfumeが人気を獲得していったゼロ年代後半から10年代にかけて、時代は「パッケージの時代」から「ライブの時代」に移り変わっていきました。また、「パッケージの時代」の最後のあだ花として登場したCDを複数枚売るという手法を起点に「アイドルの時代」も到来しました。そんな中で、いろいろなアイドルが掲げる「大きな会場でライブをやる」というゴール設定は、ファンと一緒に共有できるストーリーとして非常に重宝されるようになりました。AKB48が当初から「東京ドーム公演」を夢としていたのが象徴的ですが、「武道館でやりたい」「ドームでやりたい」というグループとしての目標に向かって少しずつライブ会場の規模を拡大させていき、その経過をファンと一緒に共有する。そんな展開がお決まりのものになりました。

 

一方で、この話には「その目標が達成し終わったらどうなる?」という視点が欠けていたように思います。AKB48がここ数年どうにも盛り上がりに欠ける理由として「規模拡大競争の次のストーリー」を長年提示できていないという部分は大きいでしょうし、「武道館を目標!」と言っていたアイドルが武道館公演後に存在として思いっきり萎んでしまっているケースも多数見受けられます。

 

Perfumeというグループの物語も、基本的には「目標を達成する」ということを次々に成し遂げることで紡がれてきています。国内における規模競争を進めていく(名古屋の集客が・・・という話もあったようですが、一応16年で4つのドームを制覇したことになりました)のと並行して、世界に出ていくというタスクも無事に完遂しました。ただ、少し見方を変えると、ここにはドラゴンボール的敵キャラのインフレと言いますか、「もっと強い敵を倒したい」「もっと強い敵を倒さなくては話が先に進まない」というような無理も孕んでいるような気もしていました。そういった中で掲げられていた「MSG公演」という「最強の敵としての目標」。もちろん、それを達成してほしい!Perfumeならできるはず!と思って追いかけていましたが、映画「WE ARE Perfume」におけるラストのくだりを見たときに「あ、またこういう目標設定型のアプローチをとるのか」という感想がほんの少しだけ頭によぎったのもまた事実です(また、「それを達成したらいよいよ解散か・・・」とも思いました)。

 

今回の方針転換、「MSGを現実的な目標として目指す」ことからの撤退は、ある意味では残念なことかもしれません。でも、「Perfumeというグループが今後も続いていってほしい」「彼女たちのライフステージの変化によって状況は多少変われど、長く我々を楽しませてほしい」という側面から考えると、「目標設定→達成というゲームから一度降りること」は良いことなのではないか、とも思います。

 

新曲「TOKYO GIRL」は3人の女性としての成長ともマッチする言葉であったり「STAR TRAIN」から続くそれぞれのリアルな声が感じられるサウンドプロダクションだったりと、今後の新たなトライの片鱗が垣間見えるものになっていました。また、チーム全体で取り組んでいるライブでの表現についても、前回の連載で意見交換させていただいたように、まだまだ深化の余地があるように思います。これらの取り組みを「MSGでのライブを行うために=大きな目標のために」行うのではなくて、「ただただPerfumeとしてのクリエティブのあり方を極めるため」に進めていく、そう置き換えることで、グループやチームへの不自然な負荷がかからなくなるのではないか。そしてその状況が、Perfumeが「より自然体な存在」として継続していくことを後押しするのではないか。そんなことを考えております。

 

というわけで、五百蔵さん的には今回の方針転換=「MSGは目標ではない、叶ったらいいなという夢」ということについてどのようにお考えか、それを踏まえて今後Perfumeにどんな道のりを歩んでほしいと考えているか、お話しいただけますと幸いです。最終回となりますがよろしくお願いいたします。 


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⑤五百蔵→レジー



【はじめに】


議論が良い具合に肉付けされて、核心に戻ってきましたね。

最終回、よろしくお願いいたします


<目標=MSG>からの方向転換……。

そうですね。ぼくも最近のいくつかのインタビューを読んで、同じように感じていました。

そしてやはり同じく、「ちょっと<折れちゃった>のかな」とも。


もちろん、チームPerfumeの中でどんな決断がなされたのか実際のところはわかりません。でも、この人たちは自分たちの意思決定に反するような適当なアウトプットはしないすごくまっとうな作り手なので、直近の作品とプロジェクトの表現内容やその方向性を探ることで多少なりとうかがい知れることがあるかと思います。


というわけで、ちょっと遠回りになりますが、まずは最新シングル「TOKYO GIRL」を起点に考えを巡らせてみよう。そう思う次第です。


【「TOKYO GIRL」は新たな「ワンルーム・ディスコ」か?】


「School of Rocks」でこの曲が最初にオンエアされたとき、レジーさんと「これは、待望されていた「ワンルーム・ディスコ」後継曲ですね」と言い合っていましたが、CDリリース後、繰り返し聴くにつけそれ以上の意味を持つ作品なのではと思うようになりました。

 


この曲は、まずもって「厳しい現状認識のもとで生きる都市生活者の女性たちに向けられた、静かなエールの歌」と言うことができると思います。サウンドメイクはすごくユニークですが、主題的にも、詞的にもわかりやすい。中田ヤスタカらしい、ひとつ捻ったところから普遍性の獲得を狙った楽曲だと。


と同時に、現在のPerfumeの立ち姿を真正面から描き出している曲でもあるんじゃないか、とも感じます。キャリアの要所要所でその時のPerfume自身に宛てたかのような楽曲を中田ヤスタカは送り出してきていますが、「TOKYO GIRL」もそんな風に聞こえるんです。


そして、この曲が宛てられているPerfumeとは……タイアップ先の「東京タラレバ娘」の主人公達と同様、厳しい現状認識のもとにある……ハイパフォーマンスが維持しうる20代のうちにMSGに到達するという目標設定からの方向転換を余儀なくされたPerfumeなんじゃないかと感じています。

タイアップが決まり、もともとそういう主題の原作に合わせ楽曲が制作されたのは、ずっと以前かもしれません。ただ、もしそうだったとしても、この楽曲と主題と今のPerfumeを取り巻く状況には符合する部分がたくさんあります。そして、この曲をめぐるインタビューやアーティストイメージの打ち出しを通してそんな符号を肯定的に扱おうという意図が見られるように思います。


そんな前提を置いたうえで、ではその「厳しい現状認識」の中でPerfumeはどういう未来を描こうとしているのか……。


核心へ踏み込む前に、「TOKYO GIRL」のプロダクトとしてのこういった性格を踏まえつつ、上記ご返信で再掲してくださった2013年のドームツアーをめぐるレジーさんの考察に立ち戻ってみます。そこからMSGの問題を再度考えて、もう一度「TOKYO GIRL」に帰って来れればと考えています。


【<レジー・テーゼ2013>をめぐって】


2013年のドームツアー後にレジーさんがブログに書かれていた内容には、当時から共感していました。


「アイドルたちが陥っている規模拡大競争をもたらす「成長物語」のゲームから抜けだし、音楽やパフォーマンスの質的向上を活動の動機とする、アーティストとしての常道にシフトするべきでは?」

「Perfumeはアルバム「LEVEL3」とそのツアーで、またもや先駆者として、その最初の一歩を踏み出したのではないか?」

「その道を切り開くことが、アイドルが生きうる新しい方向性をうみだすことになるのでは?」


ぼくなりにまとめさせていただきましたが、これらの問題提起は今なお鮮度が高いと思います。便宜上、これを<レジー・テーゼ2013>とさせてください。


アイドルの成長物語を感情移入コンテンツとして消費するという、Perfumeが先鞭をつけたエンターティンメント史上の現象とその盛衰を、この<レジー・テーゼ2013>は正確に反映しています。Perfumeを追ってきたファンの少なからぬ層が、彼女たちの音楽や表現とともに、もしくはそれ以上にその「成長物語」を愛してきたのでは?というのも事実といっていいでしょう。


その一方でぼく自身は、Perfumeにおけるその「物語」にさほど大きな関心を払ってきませんでした。


ぼくが彼女たちを最初に捉えたのは秋葉原時代です。ぼくにとって彼女たちはまずもって「ものすごく質が高くてユニークなプロダクトとパフォーマンスをやる、<SPEEDを観て育った世代>を代表する抜群のグループ」でした。そのグループがこれからいったいどんな素晴らしいパフォーマンスを、作品を残していくのか、それが主要な関心事だったのです。


そういった視線から眺めたPerfumeの道のりは、こういったものです。


広汎なリスナーの前に登場した時から疑いようのないユニークさを備えていた存在が、その地点にとどまることなく新たな作品を発表するたび、新たなステージに立つたびに驚くべき質的向上を遂げてきた。


そういう特別な表現者の、特別な歴史だった。そう言えます。


やや過剰な見方かもしれませんが、これはぼく個人の思い込みではないと考えています。

誰が言い出したのか、ファンの間で長年ささやかれ続けている「最新のPerfumeが最高のPerfume」という言葉を尊重する限り、「アイドルの劇的成長物語」と同時にそういった表現者としての歴史がこのグループのキャリア上には走っており、そのプロセスは今なお進行中であるということは共通認識と言えるでしょうから。


<レジー・テーゼ2013>における問題提起は、Perfumeのキャリアが描いてきたこの二つの面を踏まえているがゆえに、今なおリアリティを持っているのだと考えています。表面的(最初に目につく)な「成長物語」を取っ払っても、Perfumeはその下にもうひとつの歴史=物語を抱えている、ゆえに、第一の「物語」を捨て去っても第二の物語は駆動しうるのであり、表現者としてはむしろその物語の方が実体的で重要なのだから、第一の「物語」による動機づけの補助を受けずとも、ただ道に沿って進んでいけば良い。そのように生きて欲しい。それは、彼女たちの道のりと未来を正面から、しかも論理的一貫性をもって肯定できる見方であるように思います。


こういった腑分けの上で、改めて問うてみます。

PerfumeにとってMSGとは何だったのか?武道館や、東京ドームや、ワールドツアーのように、「ゲーム的な成長物語」「そのために要求される高い目標」の延長線上で設定された場だったのか?


そういう面もあるけれども、そうではない側面の方が強いのではないか?とぼくは考えています。


【特別な表現者のための、特別な場所としてのMSG】


ぼくはそれなりに古いリスナーなので、国際市場、とりわけ北米市場に打って出るミュージシャンにとってのMSGという場が持つ意味を、かなり重い方に取っています。


改めて書くまでもないことかも知れませんが、そこは単なるセールス上の存在感だけでブッキングされる場所ではありません。セールスと共に音楽的なユニークさを評価される、創造性に関して多大なリスペクトを受ける、愛される。商業的な成功と芸術的な成功を両立させた、数少ないアーティストだけが立つことのできる場。それがMSGというステージです。
2015年、シーンにおける存在感とクリエイティビィティの双方で輝かしいキャリアを誇るあのBlurが初めてこのステージに立った時、フロントマンのデーモン・アルバーンは「ここまで来るのに25年かかったよ!」と語りました。

MSGのステータスは今も変わっていない。そういうことだと思います。


ひるがえって、映画「WEeARE Perfume」で初めて公に宣言された、「2年以内にMSGの2days」という目標。レジーさん同様、「いいのか、それで?」という若干鼻白むような不安をどこか感じる一方で、「遂にこの時が来たのか」という思いもぼくは抱いていました。


というのもぼく自身、2008年の武道館を(チケット取れなかったので映像で、ですが)観た時点で「留保なしの正当なブッキングでMSGに立ちうるアーティストが日本から現れるとすれば、それはこの子たちかもしれない」と思っていたんです。


キャリアの最初のピークと言えるあのステージで彼女たちがやっていたパフォーマンスは、当時の世界市場を見渡しても比較対象がないユニークなものでした(今なお、そうです)。エレクトロのガールズポップというのは現時点でもなおニッチではありますが、当時の彼女たちは少なくとも国内の市場においてはそのネガティブな壁を打ち破っていました。それだけの説得力がある音楽をやり、商業的な成功に結びつけていたのです。YouTubeのコメント欄が外国のリスナーたちによって埋められるという状況は当時すでに始まっており、Perfumeのアーティスティックな説得性は国境を越えうるという実感もありました。


ぼくがその可能性の主体として見ていたのは、「アイドル成長物語」の担い手としてのPerfumeではなく、

「セールス上の成功と共に、非常に優れた楽曲と演者としての質をそなえたパフォーマー」としてのPerfumeでした。そして、前者の延長線上ではなく後者の延長線上でなければ立つことができないステージ。上述の通り、それがMSGです。


つまり、MSGというのはそもそも「アイドル成長物語」のルート上で志向しうる「大箱」ではない。

そこはレジー・テーゼの延長線上にある、アーティストとして正道と言える質の追求によってこそ

到達できる場所に他なりません。


ラジオシティー・ホールでもなくメドーランズ・スタジアムでもなく、MSGをPerfumeがターゲットしたのは、

そういう認識ゆえなのではないか。だとしたら、その認識自体は正しいとぼくは思います。Perfumeは、自らの資質と方向性を正しく定義し、その道の先にあるはずの場所を正しくターゲットしたと。


ただ……。


MSGに立つまでに、前述のBlurでも25年。Oasisですらも『(What's the Story) Morning Glory?』から10年後(!)の2005年にようやく。同ジャンルに近いPassion Pitは1stアルバムから3年で到達していますが、彼らはそもそも米国内のアーティストなうえに、ビルボード席巻の瞬間風速がありました。

由緒あるライヴハウスとはいえ、最大収容人数3500人にすぎないハマースタインボールルームをたった1日ソールドアウトさせただけ、北米でのチャート実績はほとんどないPerfumeが、「2年以内」に「MSGで2days」……それがいかに甘く、現実離れした目標設定か。


各種インタビューでかなり明瞭に吐露されているように、2016年のNY2daysで彼女たちはその「厳しい現状」に直面し、率直に「認識」せざるをえなくなったのでしょう。


ここで再び、「TOKYO GIRL」に戻ってみたいと思います。


【「Dream Figter」への返歌としての「TOKYO GIRL」?】


ラジオ音源での初聴時、こう感じました。


「バックトラックの響きがすごくユニークで、美しい曲だ。CDで聴いたらさぞかし深い響きが聴けるだろう」


実際にCD音源を聴いてみて、その予測は裏切られました。

この曲に与えられている美しい響きは、その美しさをじゅうぶんに発揮できるような深いエコーを与えられておらず、どこかで止まってしまう。閉鎖空間中の響きのように作られている。ダニエル・ラノワなんかの音作りに似ていますが、ラノワよりしっかり解像されている。なのに、どこかくぐもっているように聞こえる。


このサウンドメイクの理由は、すぐに合点がいきました。「TOKYO GIRL」たるこの女性は、眺めるだけなら、透き通った壁を通してどこまでも自在に眺めることができる。けれど、自分が放つどんな美しい響きも、その壁にぶつかり、世界に響き渡ること無く断ち切られてしまう。そんな、「平凡をゆるしてくれない水槽」の中にいる。そういう、無いように見えた限界がすぐそこに確実に存在するという「厳しい現状認識」を持ちながら「情報をかき分ける熱帯魚」のように泳ぐ女性の心情を、歌詞やメロディだけでなくサウンドメイクでも描いているのが、「TOKYO GIRL」です。


それに気づいたとき、これは、本当にただの「ワンルーム・ディスコ」の後継曲なのか?と感じました。モチーフ面ではそうかもしれません。でも、「限界はある。なのに平凡であることは許されないという他縛感、自縛感もある」という内容は、むしろ「限界も普通もない、最高を求めてどこまでも行ける」と歌った「Dream Fighter」のアンサーソングとでもいうべきものなのでは?と。

 


そしてもっと重要だと感じ、心動かされたのは、「だから諦めるがいい」ということを歌ってはいない、という点です。歌詞の展開もそうですが、最後のサビ前におよそ30秒にわたって続くミニマルなブリッジパート。低温で、しかしふつふつと血をたぎらせているような音が少しだけ曲全体に性急さを上乗せし、少しだけ音圧が強まり、少しだけ力強く歌われる最後のコーラスを導きます。「Dream Fighter」のようなヒロイズムはありませんが、厳しい現状認識の前でうなだれることなく、けれども静かに、緊張感に満ちた平穏とでもいうべきたたずまいで「踊れ」「奏でるわ」と歌うPerfume。世界中でライヴを行うようになって以降、あ〜ちゃん、かしゆか、のっちそれぞれが三者三様に口にしてきた、「<世界>に行くんじゃない。Perfumeのライヴを観たいという、そこにいるあなた(観客)に会いに行くんだ」という思いの意を汲んだかのように最後に置かれる言葉、「ここにいるあなたへ」。


厳しい現実に直面して、その現状認識に応じ方針を変更しはした。レジーさんのいうように「ゲーム」からは降りたし不自然な負荷がかからない道に踏み出したのも確かだろうと思います。けれどもPerfumeは、折れてはいない。折れちゃった?とか思ってごめんなさい。絶対的な質的向上の象徴(たぶんMSG)をこれまでよりずっと遠くに置き、自分たちの奏でる響きが届く保証の無いその彼方を背筋を伸ばして臨みながら、ただ表現を磨き続けようと、今を生きようとしているだけな気がします。「TOKYO GIRL」は、そう感じさせるだけの力のこもったシングルのように思います。もしかしたら、本人たちはこれを機会に小休止したかったのかもしれない。「Dream Fighter」の時のように、ベストなタイミングで楽曲を通じて中田ヤスタカに背中を押されているだけなのかもしれません。だとしても、MIKIKO先生のベストワークのひとつともいえるこの曲のコレオグラフィー、それをこれまで以上に技巧を凝らし気高く美しく踊る3人を観ると、この曲のメッセージを体現しようとしているんじゃないかと思えてならないです。何を諦めようと、そういうPerfumeを、ぼくは肯定せずにはいられません。


【おわりに】


今回は、ぼくの方の事情で原稿のお渡しがかなり遅れてしまいまして申し訳ありませんでした。けれども更なる怪我の功名といいますか、ひっぱってるうちに3人主演のドラマ「パンセ」も発表されました。意外なプロジェクトですが、「野ブタをプロデュース。」など、ハードな現状認識をベースに相反するような面白みのある方法で乗り越えを計る劇を得意とする木皿泉の手によるものと考えると、「TOKYO GIRL」との整合性はあるように思えます。年齢を重ねるごとに訪れる壁と率直に対峙し向上していこうという、現在のPerfumeが目指している仕事の内容、焦点がますます明確になってきたのではないかとも感じます。


もしかしたら数年後、30代となった彼女たちは、東京五輪の大仕事から解放されたMIKIKO先生とテクニカルチーム、その他歴戦の仲間たちにバックアップされ、想像もつかない進化を遂げているかもしれません。そして無理をせず、身の丈に応じた時間をかけて「現実味のない距離」を越え、今より遥かに洗練され成熟した表現者となってMSGに立っているかもしれません。


根拠のない妄想ですが、レジーさんとのこの往復書簡で扱ったわずか一年の活動からすら、これほどまでに多岐にわたる分厚い論点、視点を導き出せるPerfumeです。今後も一年毎に何を試み、何を成し遂げるかまだまだわかりません。レジーさんもぼくも、過大な期待を控える見守りモードでいこうという点で一致しているとは思いますが、どうなっても前向きな想像はさせてくれるグループなんだなという実感を新たにさせていただいた、楽しい連載でした。今回はどうもありがとうございました!


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司会者「連載は以上になります」

レジー「やっぱりPerfume面白いな、好きだなと改めて感じながらやってましたが、何かしら新しい発券とかがあったら嬉しいですね。とりあえずはドラマ楽しみにしてます。五百蔵さん改めてありがとうございました」

司会者「次回は」

レジー「うっすらネタがあるんですがちょっと未定で。少し空いちゃうかもですが空かないように頑張ります」

司会者「できるだけ早めの更新を期待しています」

 


 

連載:2016年のPerfumeとこれからのPerfumeを巡る五百蔵容さんとの往復書簡 ④虚実皮膜

司会者「インタビューが2つ挟まったので少し間が空いてしまいましたが、こちらの企画をお送りします」

 

2016年のPerfumeとこれからのPerfumeを巡る五百蔵容さんとの往復書簡

 

レジー「第4回目となる今回は、過去3回と違って五百蔵さんの先攻でお届けします。前回のラストで前ふりのあった「虚実皮膜」という概念をキーに、Perfumeのこれまでとこれまでについて語っています。それではどうぞ。前回未読の方はそちらも合わせて読んでいただきたいのですが、今回だけでも面白く読める内容になってると思います」

<過去の連載>

①総論と問題提起
②課題
③収穫





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④五百蔵→レジー

 

こんにちは。この往復書簡も大詰めにいよいよさしかかっていますが、前回終わりに記しましたように、今回はぼくの方から話題を振ってみたいと思います。

 

ちょっと遠回りな感じの話になってしまうんですが、とくにステージパフォーマンスにおけるPerfumeの「これまで」を考え、「これから」を想像するために良い物差しになるようなものになるのではと思いますので、少々お付き合い下さい。

 

 

■「虚実皮膜」とは?

 

「虚実皮膜」とは、「事実と虚構との微妙な境界に芸術の真実があるとする論」のことを指します(新明解四字熟語辞典より)。

 

江戸時代にポピュラーなステージパフォーマンスであった人形浄瑠璃の作家、近松門左衛門が唱えたとされる芸術論です。最近の研究ではこの言葉自体は本人の作かどうか怪しいらしいんですが、虚構の作り手の端くれとして、創作・表現者が芸事や表現の本質を極めようとするときに道しるべとなるような世界観だと、ぼく自身は思っています。

 

舞台芸術にしろ、小説にしろ映画にしろ音楽にしろ、「現実そのもの」を描くことは原理的にできないわけです。どんな表現にしろ、なんらかの虚構(ウソ)を通じ、組み合わせてそれを描くしかない。けれども、想像力や技巧を凝らしてウソを描ききることで、そこに、現実を写し取っただけ以上の何かが産まれる。むしろそれは人間にとって、「ただの現実」以上に本当のこと、価値のあるものになる。コップをそこに置くだけのことであっても、それをどんな「ウソ」を組み合わせて描くか、そこに巧緻を凝らすことによって「コップがそこにある」以上のものが描けるわけです。

 

世阿弥の「幽玄」や「物真似」、映像構成論の基礎のひとつであるエイゼンシュテインのモンタージュ論なども同じような見方に基づいていると言えます。

 
 

Perfumeと「虚実皮膜」、ステージにおけるMIKIKO先生とのコラボレーション

 

Perfumeファンの中には、3人のパフォーマンスやキャラクターのみならず、MIKIKO先生が産み出すコレオグラフィー(振り付け)、独創的なステージ演出に魅了されている人も多いんじゃないかと思います。

 

ぼくが、コレオグラファーとしてだけではない、舞台演出家としてのMIKIKO先生にも注目し始めたのは、Perfumeがホール以上の広さの会場に進出し、その空間を3人だけで支配するという課題に挑戦し始めて以降でした。つまり武道館以降、ということですが。

 

その頃からMIKIKO先生は、彼女の好きな(とぼくが勝手に思っている)「見間違い」や「観客の視線を意図的に振る」「錯視」「だまし絵」「見立て」といった演劇的な舞台演出・視覚演出の方法を、積極的にPerfumeのライヴ演出に投入してきたと思います。

 

例えば2008年武道館のオープニング、マネキンで観客の見間違いを引き起こしたうえで「本物」に視線を誘導するという演出(のちのMIKIKO演出の基盤をなす構想がすでに詰め込まれていると言っていいでしょう)。同様の「視線誘導、錯視的な演出→「本物」の不意の登場」という展開は、2009年の直角二等辺三角形ツアーでも見られました。これらはいずれも極めて演劇的な方法であって、舞台演劇という「虚構」を本当のことのように感じさせるための古典的な技巧です。

 

この段階ではこれらの演出には単純な「虚構→本物」の意味構造しかありませんでしたし、おそらくは「演者が3人しかいない」ことの不利を埋め合わせるために動員された方法という意味合いが強かったのではと思います。ですが、Perfumeの人気とステータスが増大し、より高い技術水準の機構・インスタレーションのテクニックなどを投入することができるようになる中で、Perfumeのステージにおける表現はどんどんリッチに、そして多重的な意味を持つ洗練されたものへと進化していきました。その進化の過程において「Perfumeというユニットの本来的な性質」「中田ヤスタカのミニマルな音楽性」「MIKIKO先生のコレオグラフィーのオリジナリティ」が奇跡的に合致したことにより、単に「虚構を本物らしく見せる」だけではない、「虚構と現実の間に新しい世界が現出する=虚実皮膜」というコンセプトを獲得するに至ったのではないか?そうぼくは考えています。

 

この流れのはじまりは、直角二等辺三角形ツアーの「edge -mix」でのパフォーマンスでした。

 

■テクノロジーの支援を得て「虚」と「実」の境界線を発見するPerfume

 

直角二等辺三角形の「edge -mix」は、いまやPerfumeのライヴにおける代名詞ともなったインスタレーション演出の嚆矢となったパフォーマンスでした。

 

 

その要諦は「虚」のPerfumeと「実」のPerfumeの連動、コラボレーション・パフォーマンス。

いわゆるedgeBOXモニター内のPerfumeがフレームアウトするタイミングに合わせてedgeBOXからPerfumeが現れる、映し出されるPerfume(モニター解像度は低かったですが)の動きを現実のPerfumeが引き取ってダンスにつなげる、などといった形で「虚」と「実」がシームレスに(そう見えるように)交差します。このパフォーマンスは、元となる楽曲がまさに「edge」=縁、外部との境界を表現し尽くすかのような尖ったものだったことも手伝い、「虚」と「実」の間にある縁・境界としての接触面である連動そのものを強く感じさせるものでした。

 

「虚」そのもの、「実」そのものが重要なのではなく、その間にあると感じられる動き --- それこそ、Perfumeのダンスによって疑いなく表現されるものです --- が本質である、ということ。「虚構を現実に見せる」ではなく、「虚構と現実の間にある何かを表現する」ステップへの進化。このパフォーマンスを目撃したライゾマティクスの真鍋大度が、Perfumeのテクニカル・チームに参加するためのプレゼンテーションを活発かつ熱心に始めたのも(彼が元からグループの大ファンであったことを差し引いても)むべなるかな、という画期的なパフォーマンスでした。

 

そして、デジタル・インスタレーションの技術支援において当代有数の集団であるライゾマティクスのバックアップを得て、PerfumeMIKIKO先生の表現はより選択肢を増し、「虚実皮膜」のコンセプトの具現化が加速度的に進んでいくことになります。

 

この進化の一つの完成形が2013年のドームツアーである、というのはこの意見交換の第一回で触れさせていただいた通りです。まさしくこのツアーにおいて、「虚実皮膜」のコンセプトが、芸術面での意思表明のようなものを越えて「Perfumeでしかなしえないポジティブで普遍的なメッセージを含んだエモーショナルな表現」に昇華されていました。

 

ライヴ全体がそのような構造体として形作られていましたが、「Sleeping Beauty」~「Party Maker」~「Spending All My Time」の3曲で構成される一連のパフォーマンスが、とりわけ総括的で、核心的でした。その内容を振り返ってみます。

 

・「Sleeping Beauty」:

ライヴ当日事前に3Dスキャンしたファン(観客)の3DモデルとPerfumeが共演します。「虚」と「実」の連動、横断の中に、「Perfumeはファンのあなたたちでできている」というのちに「We Are Perfume」として表されるメッセージが内包されています。

 

・「Party Maker」:

edge」「Perfumeの掟2010」などの発展版で、虚構(映像)のPerfumeと現実のPerfumeが巨大機構(リアルな舞台装置)を介して共演。「Sleeping Beauty」で展開したモデリングのモチーフとも連動していて、フロアを盛り上げつつ続く「Spending All My Time」につなげる役割を果たしています。

 

・「Spending All My Time」:

カンヌとWT2で行った人体プロジェクション&トラッキングマッピングの完成形。リアルなPerfumeが暗転とプロジェクションによって「データ化」される(ように見える、「見立て」)。この「データ化」には「Sleeping Beauty」で展開されていた「Perfume=ファンの想いの集積」というモチーフも組み込まれています。そのような「ファンの想いが集積された“データとしてのPerfume”」と「リアルのPerfume」が暗転+プロジェクションとライトアップを繰り返しながら入れ替わり立ち替わり現れることで観客の認識を直接的に揺らします(そこにいるのは「虚」のPerfumeなのか?「実」のPerfumeなのか?)

 

「観客というデータによって構成されているPerfume」と「目の前で踊るリアルなPerfume」、その2つの感覚がここでは分かちがたく融合している。「どちらか」ではなく、その「融合自体」がPerfumeと観客にとっての「本物」である。一連のパフォーマンスには、そんな主題が表現されていたように思います。これを虚実皮膜という考え方に落とし込むと・・・「虚と実の境目に真理がある」という虚実皮膜の真髄が「PerfumePerfumeを愛する者たちは、がっちりつながっている(一心同体である=WE ARE Perfume)」というポジティブなメッセージとして具現化されている、と言えます。しかも、楽曲は「私の時をすべて(この愛に)捧げる」と連呼し続ける「Spending All My Time」。エンターティンメントとしても極めて上質で、かつ感動的なパフォーマンスであるという以外に言葉が見つかりません。

 

私見では、PerfumeMIKIKO先生が追求してきた「虚実皮膜」コンセプトが現在のところ最も鮮やかに表現されたのがこの一連の流れだと思います。

 

 
 

■「Spending All My Time」以後、そして……

 

2013年以降、Perfumeの表現は試行錯誤の時期に入っているというのがぼくの認識です。けれども、時に踊り場感が生じても、『LEVEL3』のドームツアーにおけるパフォーマンスで明確な焦点を結んだ「虚実皮膜」の追求という部分に関しての揺らぎは全くありません。2015年のドキュメンタリー映画において「We Are Perfume」と改めて言語化されるようになる本質、もっと具体的に言うと「虚(テクノロジーを駆使した演出によって視覚的に映し出されるPerfumeの映像)」と「実(リアルな3人の存在)」の間に現れる、「ファンと一体化した存在としてのPerfumeというグループのあり方」を、より効果的に、より普遍的に、そしてより具体的に表現するにはどうすればよいか。チームPerfumeはその一点に向かってますます邁進しているように思えます。

 

例えば、3569。アウトプットとしてはアナログな方法ですが、観客との感情面での一体化をよりダイレクトな形で狙える試みです。

例えば、セントラルステージの試み。観客との距離感を可能な限り狭めるだけでなく、以前レジーさんのブログで言及させていただいたように、Perfumeと観客を一体化させる視覚的な工夫が盛り込みやすい形式でもあります。

 

2016年のMステと紅白で導入されたDynamic Virtual Display(ダイナミックVR)は、それらの試みにおける現時点での最新のものです。この技術は、昨今ホットなテーマである「裸眼立体視」に関連するものと思われます。「裸眼立体視」とは、特別なバイザーなどをつけない状態(=裸眼)で現実空間(「実」)にバーチャルな立体空間(「虚」)が重ね合わさっているのを視認できるというものです。ここまでの仮説を踏まえると、この技術が内包する方向性自体がPerfumeの実現してきた「虚実皮膜」のコンセプトとダイレクトに合致しているということがわかると思います。

 

2016年に使われたDynamic Virtual Display技術が今後のライブでそのまま用いられることはおそらくないはず(より精度の高い新たな技術を採用していくはず)ですが、確実に言えるのは「様々なチャレンジによって表現されてきたPerfumeの「虚実皮膜」というコンセプトはこの先ますますダイレクトに、すべてがワンセットで表現されるような形で追求されていくのではないか」ということです。

 

それはつまり、

We Are Perfume」というメッセージがさらに直感的、実感を伴う形で表現されていくということ。

まどろっこしい(とあえて書きますが)「見立て」などを介さなくても、Perfume3人が表現する愛や幸福感を共有する視野を誰しもが獲得できるようになるということです。

 

それは、人間がテクノロジーを通じて表現しうるヴィジョンとして最大限にポジティブなものと言えるはずですし、「テクノロジーがディストピアを生むのではなく、人間の愛を増幅するための大事な装置になる」という本来目指すべき世界のあり方を考えるための素材としてPerfumeほど相応しい存在はないのではないかと思えます。

 

ブレイク時から、Perfumeは「真のアイドル」「アイドルの意味を更新する存在」といったワーディングで語られてきました。もし、ここに記した方向性が突き詰められるのであれば、彼女たちはそれらの言葉に託されていた夢を誰も想像しなかったようなレベルで具現化することになるでしょう。

 

未だ実現性のあやふやなマディソン・スクエア・ガーデンが、その歴史的な現場となるのでしょうか?



--- 
 

 

④レジー→五百蔵

 

五百蔵さん、面白い投げかけありがとうございました。なるほど、虚実皮膜・・・

この言葉、とてもいいですね。Perfumeのここ最近の活動、もしくはこのグループおよびチームが本質的な部分で成し遂げようとしていることが凝縮された言葉のように思います。

 

この往復書簡の最初でも触れましたが、Perfumeの活動、特にライブについて「最先端の演出が惜しげもなく投入される」という側面を強調する言説が最近とみに増えているように思います。そういった観点からPerfumeに興味を持ってくれる人がいるのは良いことだと思う反面、「それだけではないのでは?」ともやっとすることもあります。

 

単にテクノロジー的に新しいことをやりたい、というような動機がPerfumeのステージングを駆動しているわけではないというのは『美術手帖』に掲載されていたMIKIKO先生のコメントからもよくわかります。



---MIKIKO
さんは今後もライゾマティクスと組んで作品をつくり続けるのだろうと思いますが、その共同作業によってMIKIKOさんが表現したいことは?

 

「見てくれた人に「テクノロジーも人が動かしているんだ」ということを感じ取って帰ってもらいたいです。Perfumeもイレブンプレイも、ライゾマティクスのテクノロジーと表に立っているキャストがぴったりと噛み合った瞬間に、テクノロジーを動かしている人たちの人間味を強烈に感じられることがあるんです。プログラムを組んだ人も、照明をつくった人も、ドローンを開発した人も全部人間なんだよ、っていう圧倒的な凄みを感じてもらえるような演出をしたいなと思っています」

 

「テクノロジー」に宿る「人間味」。

MIKIKO先生の演出スタイルが「人間中心」というのはリオ五輪のショーでも良く表現されていたと思います。人間の素晴らしさ、生命の美しさをテクノロジーによって増幅させていく。そこに、まだ誰も体験したことのない世界がある。こんなテーゼを体現しようとしているのが演出家・MIKIKOであり、Perfumeのステージにもそういった考え方は色濃く流れているように感じます(「3569」なんかはまさにそんな思想が体現されたもののように思います)。

 

MIKIKO先生がライゾマティクスと組むようになったきっかけについても、この考え方と合致しています。同じく『美術手帖』のインタビューから引用します。

 

「ライゾマティクスと初めて組んだのは、Perfume2010年に初めて東京ドームで公演したときなのですが、それまでは私自身メディア・アートを深く理解できていなくて、中田ヤスタカさんの音楽に彼女たちの人形っぽいダンス、さらに上乗せするようにテクノロジーを使うと、ベタ過ぎる表現になってしまうのではないか?と遠ざけていたところもあったんです。でもライゾマティクスは、人間とテクノロジーのインタラクションに重点を置く作風なので、彼らが提案するような使い方だったらPerfumeにも合うなと思いました」

 

「人間とテクノロジーのインタラクション」というのはまさしく今のPerfumeをバシッと言い表した表現のように思います。そして、この考え方に対してPerfume3人も置いてきぼりになっているわけではありません。2013年にNHKで放送された「MJ Presents Perfume×Technology」(これ、今のタイミングでもう一回この切り口でやってほしいですね。かしゆかがいつも以上に積極的に発言していたのが印象的でした)では、のっちのこんなコメントがありました。

 

「私たち、何かに「はめていく」作業がすごく好きで燃えるんですよ。3人だけで「このバランス、かっこいい!」とかも好きなんですけど、自分の感覚じゃなくて、もうちょっと左に寄せた方がテクノロジー的なものに沿えるんであれば・・・みたいな。テクノロジーに寄っていく、はめていくのがすごく楽しいです」

 

MIKIKO先生、ライゾマティクスの面々、そしてPerfume3人がビジョンを共有し、Perfumeの身体性とライゾマティクスのテクノロジーがそのビジョン、つまり「テクノロジーと人間味の先にある新しい世界」を具現化する。こんな壮大な取り組みが行われているのがPerfumeのライブ、ということですよね。

 

一点思ったのは、この方向性はチームPerfumeにライゾマティクスが加わる前からグループのコンセプトとして存在していたのではないかということです。メジャーデビュー3部作に「未来都市」的なモチーフが使われ、「コンピューターシティ」では「ロボットが感情を持ってしまう」というようなメタファーが用いられていました。この曲がリリースされた時点でPerfumeに「虚実皮膜」を感じさせるライブ演出は施されていませんでしたが、中田ヤスタカが表現する世界にはすでに「テクノロジーと人間味」というテーマが描かれていた、とも言えるのではないでしょうか。大人の酔狂から始まった「アイドルにテクノを歌わせる」というコンセプトに、中田ヤスタカは「テクノロジーと人間味の間に生まれる新しい何か」を忍ばせた。その楽曲こそ、Perfume3人に「自分たちはこの路線でいくんだ」という覚悟を決めさせた楽曲であり、さらには武道館公演の冒頭でMIKIKOワールド全開の演出を呼び込む楽曲にもなったと。こう考えると、Perfumeというプロジェクトのすべての基点はやはり中田ヤスタカの楽曲である、というのが改めて浮き彫りになるような気がします。前回の連載での五百蔵さんから「ツアーではこの曲のアウトロで観客にシンガロングを求めるのが定番になっていますが、「最後はトラックを落として観客とPerfumeの歌だけが響く」というふうにまとめれば演出としてはより効果的なはずなのに、それをしませんね。これって、「中田ヤスタカの音もWe are Perfumeなんだ、だからそこだけ落としたりはしない」という意思なんでしょうか。」という質問について、実はこれまであまり考えたことがなかったのですが、「Perfumeのコンセプトのコアになっている中田ヤスタカの音をカットしてしまったらそれはPerfumeではない」という思いは確かにあるのかもしれないなと思いました(このあたりは、同じく『美術手帖』で真鍋さんがコメントしていた「Perfumeのプロジェクトは必ず音楽が一番最初にくる」というような話ともつながってくるのかもしれません)。

 

 

さて、個人的に興味があるのはこの「虚実皮膜」の行き着く先です。もちろん視覚的な側面に対する「虚と実の先にある価値の提示」については、ご指摘いただいたダイナミックVRの次世代、次々世代の技術によってさらに実現されていくのではないかと思います。ただ、僕が妄想してしまうのは、より概念としての「虚と実」の壁を超えていく、というような話です。

 

COSMIC EXPLORER LIVE REPORT』における真鍋さんのコメントに、気になる表現がありました。

 

「いつでも同じ角度で、同じ位置で踊れるのも、彼女たちならではの高度なスキル。それがあるから、映像との面白いコラボも出来るわけです。未来永劫変わらないデジタル・データとPerfumeは、実に相性が良い。対照的に、トークが毎回違うのも、僕の密かな楽しみです」

 

「トークが楽しみ」というのはチームメンバーでありながらPerfumeファンでもある真鍋さんらしい発言ですし、「いつでも同じ角度で、同じ位置で踊れる」というのも凄まじい話だなと思いますが、それ以上にはっとしたのは「未来永劫変わらないデジタル・データとPerfumeは、実に相性が良い」という部分です。

 

五百蔵さんからもあったように、彼女たちを説明する際の表現として「アイドルの意味を更新する存在」というワードがありますよね。ここに引きつけて考えると、「デジタル・データ」という媒介を通じて「Perfume(=アイドルグループのひとつ)」と「未来永劫」という言葉が並んでいること自体に「新しいアイドルのあり方」が表れているような気がします。よく「アイドルとは終わりを楽しむ芸能だ」なんて言われ方もしますが、「アイドル」と「ずっと変わらない」というような言葉は本来ならば収まりの悪い食い合わせのはず。それなのに、妙にしっくりきてしまう。

 

地方アイドル的な出自を持ちながら活動の幅をどんどん広げ、「アイドル」の括りには収まりきれない新たな存在(これも「アイドル/アーティスト」論にあてはめると「虚実皮膜」の現出の一つと言えるでしょうか)としての立ち位置を築きつつあるPerfume。この先、それこそ30代になっても40代になっても活動し続けることで、「アイドルの意味を更新」していってくれる可能性はあると思います。ただ、それでも人間である以上いつかは命が尽きるわけで、そのときには間違いなくグループの存続は不可能になります。ここから話が飛躍しますが、僕が彼女たちにぜひ実現してほしいのは、この「不可能」すら超えていってしまう、ということです。

 

モーションキャプチャーを駆使した彼女たちの動きのデータ化であったり、それをリアルに出力する映像システムであったり、シンギュラリティによって生まれるであろう「新しい生命」としてのAIであったり・・・こんなものが合わさった時に、Perfumeというグループは「ひととしての命が途絶えても、未来永劫続いていくグループ」になれるのではないか。人間は必ず死ぬのであれば、今生きている世界自体が「虚」であり、誰にでも必ず訪れる死というものこそが「実」と言えるのかもしれません。その「虚」と「実」の間にある、もしくはその2つを止揚する新しい概念を生み出すグループとして、Perfumeは適任であるように思います。荒唐無稽な話ではありますが、ライゾマティクスはシンギュラリティ時代の音楽のあり方を考える2045」というプロジェクトを始動しています。ぜひともそのあたりの知見も活かしながら、「永遠に続くアイドル」としてのPerfumeを作り出すための準備を始めてほしいところです。

 

 

というわけでだいぶ話が大きなところまで来てしまいましたが、ぼちぼちこの連載のまとめに入っていきたいと思います。次回が最終回ということで、この先のPerfumeの展望(2045年とかそういう話ではなくて、近い将来について)について意見交換させていただいて本連載の締めとさせていただければ。 


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司会者「4回目は以上になります。だいぶ壮大な話になりましたね」

レジー「夢物語的な話ではありますが、こういうスケールのグループだということが伝わればいいなと。次回は最終回です。で、これからどうするよPerfume?という話でまとめられればと思います。しばしお待ちください」

司会者「できるだけ早めの更新を期待しています」 

Awesome City Club インタビュー オーサム流人間賛歌『Awesome City Tracks 4』について語る

司会者「というわけで前回に引き続きインタビュー企画ということで」

レジー「はい。今回はアルバム『Awesome City Tracks 4』をリリースしたばかりのAwesome City ClubのatagiさんとPORINさんのインタビューをお届けします」

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司会者「4作続いた『Awesome City Tracks』シリーズも今回が最後ということで、バンドにとっても節目になる作品です」

レジー「このアルバムすごいいいですね。インタビューでは作品全体のテーマや変わりつつあるメンバー間の関係性、あとは面白いチャレンジだった「今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる」のことなどについて聞いています。それではどうぞ」


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新境地「今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる」の裏話

 

---今日最初にお聞きしたかったのは、『Awesome City Tracks 4』のリリース前に発表された「今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる」についてです。なかなかインパクトの強い曲だったと思うので・・・

 

 

2人「(笑)」

 

---まずそこからお聞きしたいんですけど。あの曲はどういういきさつで生まれたんですか?

 

atagi「以前から「せっかく男女2人のボーカルがいるバンドだし、デュエットを作った方がいいんじゃない?」ってよく言われてたんですよね。で、今回のアルバムを見据えて曲を作りましょうってなった時に、いよいよやってみようかという話になりました。ただ、男性と女性の歌うキーってだいぶ離れているからその辺の調整をどうするかとか、ややこしい問題もいろいろあるんですよね。だから、せっかくそういう大変なトライをしてデュエット曲を作るなら、「デュエット」って言葉から想像するような昭和歌謡っぽい雰囲気を持ちつつも今の音楽に落とし込んだオーサムにしかできないものを作りたいなと・・・そんな話をしたんだよね」

 

PORIN「うん」

 

atagi「で、そのためにはサウンド面でもすごく精度の高いものが必要になるし、歌詞もものすごく大事だし・・・という中でじゃあプロデューサーを立ててやってみよう、やるなら誰にする?みたいな感じで制作がスタートしました」

 

---「デュエット」って言われたときにPORINさんはどう感じましたか。

 

PORIN「私はめちゃめちゃ前向きでした、すごく面白そうだなと。いろんな可能性を秘めているジャンルだなと思いました」

 

---この曲は「洗練」と「下世話」のバランスがとてもいいなと思っているんですが、「下世話」みたいなモードは今までのオーサムではあまり出してこなかったところのような印象があります。「今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる」は、オーサムにとっては新境地なのか、それとも今までの楽曲の延長線上にあるものか、どちらの感じが近いですか。

 

atagi「僕は新境地だと思っています。僕ら、制作の中でどうしても「かっこよくありたい」って気持ちが最終的には勝っちゃうですよね、いつも()。だからそこから逸脱できるアイデアをすごく求めていたんですけど、そこに対してちゃんとトライできたかなと思っていますし、それがある程度反響になって返ってきているのはすごく嬉しいです」

 

PORIN「曲中のセリフはまさにオーサムの新境地だし、最強の武器になったなと思っています」

 

---セリフは新しいですよね。レコーディングの際には何回もテイクを重ねたんですか?

 

PORIN「やりました!ほんとに嫌になるくらい・・・()

 

atagi「実はあの曲の仮歌を録るときにPORINが体調を崩しちゃってて、僕が女声で歌うのも変だなと思ったのでPORINのパートをユキエちゃんに歌ってもらったんですよ。そしたら、そのときのユキエちゃんの<嘘つき>がすっごい良くて()。どっかの女優さんか?ってくらいの」

 

PORIN「私もそれを参考にしました」

 

---そうなんですか。ユキエさんバージョンも別途リリースが望まれますね()

 

atagi「ハードディスクにはまだ残ってます()

 

---セリフも含めて、歌詞は全体的に「架空の街の・・・」みたいな話からはだいぶ遠いところに来ましたね。

 

atagi「そうですね」

 

PORIN「男の人と女の人がカラオケで歌って仲良くなるために必要な曲を作りたい、ってテーマの中でこういう歌詞になりました」

 

atagi「自慢じゃないんですが、<今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる>ってフレーズは僕から出てきたんですけど・・・」

 

---おお。それは自慢していいところじゃないですか。

 

PORIN「<嘘つき>もそうだよ」

 

atagi「そうだっけ?」

 

---キラーフレーズを。

 

atagi「・・・そのときはすごく調子が良かった」

 

PORIN「おい!()

 

---()

 

PORIN「キープしてくれよ!(笑)」

 

atagi()。全体の整合性みたいなところは淳治さん(注:プロデューサーのいしわたり淳治)がうまくプロデュースしてくれて、僕らは等身大の気持ちから出てくる言葉を素直に書けたと思っています」

 

---最初にあの曲を初めて聴かせていただいたライブ後にもお話させていただきましたが、サザンの曲みたいな開けた感じがあるのがすごくいいなあと思いました。

 

atagi「そうでしたよね。あれ、めちゃめちゃ嬉しかったです。「勝手にシンドバッド」みたいな曲をやりたいって制作当初から話してたんですけど、そこについてコメントがあったのはレジーさんだけだったんですよね。だからすごい着眼点だなって」

 

---ありがとうございます()

 

PORIN「どの辺でそう感じたんですか?」

 

---さっき話した「洗練」と「下世話」のバランスもそうですし、そういう楽曲のサビのボーカルが男女のオクターブで重なるところに桑田さんと原さんっぽい絡みを感じたり・・・

 

atagi「あー、そっか」

 

PORIN「なるほど」

 

---あとは一番最初の<ラララ>とか。

 

PORIN「<ラララ>を入れるかどうかは最後の最後まで決まっていなかったんです」

 

---そうなんですか。なかったらだいぶ印象が変わりますよね。

 

atagi「制作で疲れ果てていた深夜に、「・・・<ラララ>、どうする?」って()。それで改めて聴き直したら、<ラララ>があった方が圧倒的に良くて」

 

PORIN「ライブの光景が見えました」

 

---確かに、あのフレーズが始まるとライブの空気もガラッと変わりますよね。あとはビデオのダンスも良かったです。

 

atagi「「恋」ダンスがなければもうちょっと流行ったはずなのに・・・()

 

---()

 

atagi「それは冗談ですけど()、どこか腰砕けな感じだけどクセになるってものになっているかなと」

 

PORIN「メンバーのダンスはちょっと下手なくらいな方が愛嬌があっていいんじゃないかってこともあって、あのダンスは当日その場で初めてやりました。日常っぽい映像じゃなくて、コンセプトをかっちり固めたビデオを作れるのもオーサムならではだなと思ってます」

 

atagi「監督の東市さんは、曲の持ってる昭和っぽさとかギターフレーズのちょっと中華な感じとか、そういうものを全部ごった煮にしたMVにしたいって話を当初からされていました。最初はピンとくるようなこないような・・・って感じだったんですけど、作品を見てみると確かにそうなっていると思いました。同じ事務所の先輩でもあるウルフルズさんの「ガッツだぜ!!」のMVが持っている「時代がよくわからないけどすごくセンスが良い」という感じを狙った、という裏テーマもあったみたいです」

 

 

 

Awesome City Tracks 4』と「人間賛歌」「宇多田ヒカル」「リオ五輪」

 

---Awesome City Tracks 4』なんですが、個人的には今までの4枚で一番好きです。

 

PORIN「えー、すごい嬉しいです!」

 

atagi「・・・ちょっとそれ、詳しく聞かせてください(笑)」
 

---(笑)。すごく単純に、全曲好きっていうのがあって。だからアルバムとして聴いていてテンションの下がるところがなかったです。特に真ん中の「Cold & Dry」「Movin' on」「青春の胸騒ぎ」の流れがいいなと思いました。

 

atagi「いや、嬉しいっすね」

 

---「青春の胸騒ぎ」がボーカルから始まった後にイントロに入るところ、何度聴いても泣きそうになるんですよ。

 

PORIN「狙い通りですね(笑)」

 

---今回のアルバムを聴いて、すごく良かったというのとあわせて、今までの作品で一番「自分たちはこういう音楽が好きです」っていうのをストレートに出しているのかなと思ったんですよね。「Jポップとして成立するべき」とか「ブラックミュージックっぽいものに」とかそういうことではない、ほんとに素直に作りたいものを作っているように感じたんですがそのあたりはいかかでしょう。

 

atagi「どうだろうな・・・借りてきたアイデアではないものを生み出したい、っていう気持ちは今回強くあったと思います。あとは折衷案に落ち着けるんじゃなくて、強いもの、振り切れているものになっているか、というのはみんなで模索していた気がする」

 

---「振り切れているもの」というのはすごくわかります。

 

PORIN「「Cold & Dry」なんかまさにそうですよね」

 

---確かに「Cold & Dry」は以前だとああいうアレンジにはならなかったような気がするんですけど、「ここまでやっちゃうと・・・」みたいな遠慮をしなくなってきている部分はあるんでしょうか。

 

atagi「そうですね・・・アルバム制作のテーマとは少し違う話かもしれないんですが、宇多田さんの新譜(『Fantôme』)に衝撃を受けて引っ張られた部分はあったのかもなと思います。ああいういびつだけどしっかり届く音楽を聴いて、すごく励まされたというか。あ、これでいいんだ、みたいな」

 

---なるほど。

 

PORIN「私も宇多田さんのアルバムには救われたなって思ってます。特に2曲目の「俺の彼女」がすごい好きでしょっちゅう聴いていたんですけど、「Girls Don’t Cry」の歌詞は結構その影響を受けている部分も今考えるとあるなあって」

 

---Fantôme』、良かったですよね。そこに絡めて言うと、あの作品にも参加されている小袋成彬さんが「Cold & Dry」ではプロデューサーとしてクレジットされています。

 

atagi「以前から「小袋君いいね」っていう話はあったんですが、今回のタイミングでお願いさせてもらいました。自画自賛になっちゃうんですけど、曲ごとにいろいろな方にプロデュースしていただいたんですが、どれもはまりまくっているなと思っていて。サウンド面での整理をサポートしていただく中で、いつも難航する歌詞の方にもしっかり集中できたなと。今回は制作にあたって、「人間賛歌」というテーマを事前に決めたんです。自分たちが生活している中で、もちろんしんどいこともあるけどちょっとした希望を感じることもあって、そういうものをちゃんと作品にできれば世の中をもっと素晴らしいものにしていけるんじゃないか、と」

 

---「人間賛歌」ですか。このテーマはどういうところから出てきたんでしょうか。

 

PORIN「メンバー5人で話している中でいろいろ意見は出たんですけど、前向きなことを言葉にしたいっていうのはみんな共通していたんですよね」

 

atagi以前のインタビューでもお話しさせていただいたと思うんですけど、Awesome City Tracks 3』を作っていた時にバンドの内の雰囲気がめちゃくちゃ悪い時期があって・・・ああいう過程で、ものの見方ひとつで楽しい・楽しくないが決まるっていうのをすごく感じたっていうのはありますね。だったら自分から楽しくなれるようなメッセージを発信したいというか。あとはちょうど制作のタイミングがリオ五輪の時期と重なっていて、閉会式を見てわくわくした気持ちも影響していると思います。あれを見たときの感情みたいなものを自分たちなりに提案できないかなという話はしていました」

 

PORIN「リオの閉会式は大きかったですね。立場の違う人を分け隔てなく感動させられるものってやっぱりいいなって」

 

 

---なるほど。実は最近インタビューした別のアーティストの方も「嫌なことも含めて肯定するような作品にしたい」というようなことをおっしゃっていたんですよね。世の中的にはしんどい現実があって、そこに寄り添いながら「それでも人間は素晴らしいよね」っていうような方向に向かっている音楽家の方が多いのかなと思いながら今のお話を聞いていました。

 

atagi「示し合わせたようにそういうテーマになっているのがなぜかは僕もわからないんですけど、生活に根付いた表現に対する共感みたいなものは作り手・聴き手それぞれにあるのかなとは思いますね。ミュージシャンとして今の時代に音楽をやるのって大変だなと感じることもあるし、子どもたちだってミュージシャンのことを一昔前に言われていた「夢のある仕事」みたいに思っていないのかもしれないけど、そういう中でこそポジティブなメッセージを伝えることに意味を感じているのかもしれないです」

 

 

「カリスマ不在」のバンドは2年間でどう変わったか

 

---先ほど「中盤の流れが好き」というお話をさせていただきましたが、アルバム全体の組み立てみたいなところはどのような考えに基づいているんでしょうか。

 

atagi「曲の並びは時系列のイメージですかね。「今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる」はまだ人との交流がある時間で、そこから曲を追うごとに夜が深くなっていく感じです。夜の深い時間にひとりで自分の内面に入っていくのが中盤の楽曲で、そういう中で昔のことを何となく思い出しているのが「青春の胸騒ぎ」。で、最後には未来につながる「Action!」で終わる、っていうことになっています」

 

---「青春の胸騒ぎ」はすごくポップなんだけど、「ポップなものにしよう」みたいな力が入っているわけではなくて、とてもリラックスして作られた曲のように思いました。

 

atagi「僕もそう思います。歌詞はPORINなんですけど、突飛な言葉を使わずにちゃんと普通の人の言葉で歌っている歌詞を書けたのがすごく良かったなって。インパクト重視の歌詞だったらもっと生臭い曲になっちゃったんじゃないかな。ああいう歌詞をPORINが書くっていうのは想像もできなかった」

 

PORIN「すごく素直に、等身大の東京に生きる自分が日々感じていることを書けたと思います」

 

---PORINさんの歌詞で言うと、「Girls Don’t Cry」の歌詞も良かったです。「4月のマーチ」の登場人物が大人になって帰ってきたような・・・

 

PORIN「そうですね」

 

---わりと奔放にやっていた人が、周りを引っ張るような人になって帰ってきたというか。何となくこの変遷に、バンドにおける「PORIN像」みたいなものの進化を感じたんですけど、最初のアルバムの時と今とで「Awesome City ClubにおけるPORIN」という存在のあり方はどんどん変わっていっているように思います。そのあたり、ご自身ではいかがでしょうか。

 

PORIN「めちゃめちゃ変わってますね。どんどん素の自分に近づいてきてるのかな。前はすごく若かったなって思います。いちいちかっこつけてたし、「人は信じられません」みたいなことを言ってみたりとか・・・ほんとはその真逆で、人のことを超信頼したいし、人のことは大好きなんだけど、それと向き合うことができてなかったです。あと、その当時はマッツン(マツザカタクミ、Awesome City Club主宰)が持つPORIN像が自分の意思よりも強かったから」

 

atagi「それもすごい話だよね(笑)」

 

PORIN「今考えると変な話なんだけど、自分もその当時はそれがいいと思ってやってたからね」

 

---バンドにおけるPORINさんの立ち位置やイメージが変わっていっているように、5人の関係性というのもずいぶん変わってきているのかなとも思います。今作だとユキエさんが単独で歌詞を書いていたり、クレジットからもそういう変化が垣間見えるのですが。

 

atagi「どうやったって変わっちゃうんですよね、良くも悪くも。僕らは自分たちで「カリスマ不在のバンド」って言ってきたんですけど、誰かが曲も歌詞も書いて歌って、残りのメンバーはやめるか続けるかだけ、みたいなバンドではないので、パワーバランスは常に変動しているんです。そういう意味では面倒事の多いバンドだと思うし、これからもそうだと思うんですけど・・・ただ、今回のアルバムで、5人全員がほんとに同じ方向を向けたっていうのはあるかなと感じています。このアルバムはこういう作品にしたい、だからこういう曲を作る、こういう歌詞を書く、っていうのをみんなで共有できたというか」

 

PORIN「お互いのことを肯定し合えるようになったなと思いますね。意見しづらいとか否定されるのが怖いとか、そういう感情は5人ともどんどんなくなっているんじゃないかなと」

 

---この先もバンドのあり方は変わっていくんですね、きっと。

 

atagi「そうでしょうね。もしかしたらどこかで誰かの嫌気がさすかもしれないですけど(笑)、長く第一線でやれるバンドになりたいというのはみんな思っているので。そのためにも世の中に対してどう問いかけていくかというのを常に考えていかないね、と最近よくみんなで話します」

 

---なるほど。オーサムって、そもそもは「メッセージがある音楽って重たくない?」みたいなところから始まったバンドだというお話を1枚目のアルバムリリース時のインタビューでされていたと思うのですが、そこから考えると「世の中に対して問いかけていく」というような姿勢が皆さんの中に生まれてきていることに少し驚きました。

 

atagi「うーん、ちょっと見方を変えると、ある意味ではファーストの時こそ一番明確なメッセージがあったとも言えるじゃないですか。「はっきりしたこと言うのはださくない?」っていう」

 

---ああ、確かに。

 

atagi「そういうテーマ性やメッセージ性みたいなものを、ファーストの時以来久々にアルバムとして持てたのが今回の作品なのかなと思っています」

 

 

「一つの文化として認められたい」

 

---今回のアルバムで『Awesome City Tracks』シリーズは終わりというアナウンスがされていますが、そのあたりの背景などについてもう少し聞かせてください。

 

atagi3枚目を作っているときにも終わりにするかという話はあったものの結局そうしなかったんですが、今回のアルバムを作るときには「これで最後にしよう」という意識がみんなにありました。「架空の街のサウンドトラック」とか「17曲入りのアルバム」とか、そういう縛りを外した時にどういう提案ができるかって考えたときに、「他にもたくさん選択肢がある」と言える立場まで来れたかなと思っているんです。自分たちはもっと違うトライができる、『Awesome City Tracks』ではない部分を見せていきたい、という気持ちが今は強いですね」

 

PORIN「きっかけとして「今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる」の存在は大きいですね。あの曲で、もう自分たちは架空の街では収まりきれないという思いが強くなりました」

 

---なるほど。この先も活動は続いていくわけですが、ここでまずは一区切りというような感じもあると思います。3枚目を作るときに「結局Awesome City Clubって何なんだ?」みたいなことをメンバー内で話し合ったとのことでしたが、『Awesome City Tracks』シリーズが終わるにあたって、改めて「Awesome City Clubって何?」という部分で見えてきたものはありますか?

 

atagi「いい質問ですね(笑)。PORINはどう?」

 

PORIN「そうだな・・・おしゃれな気分にさせるのは当たり前、とか」

 

atagi「今現状の僕の意見としては、何かを提案したい人たちの集まりなんだろうなって思っています。僕らはこのバンドを始める前にもいろいろやっていたことがあって、これまでのキャリアを捨ててここに集まっているわけで、そういう意味では若くして普通に売れたバンドマンよりもずっとドロドロしたものが心の中にあると思うんですよ(笑)。だからこそ、世の中に対して一発投げかけたいとかって気持ちが強くなっているのかなと。そんな人たちが「洗練されているものが好き」「BGMとしても聴ける音楽を」とか言っているのはとてもいびつなんですけど、いびつだからこそ面白いと今は思います」

 

---わかりました。ここからますます自由なバンドになっていくんだと思いますが、もしこの先の展望、楽曲面でもクラウドファンディングを使ったときのような活動面でも、何か見えていることがあれば教えてください。

 

atagi「まだしっかり考えがまとまっているわけじゃないんですけど・・・僕らの目標として、2020年に幕張で企画をやる、自分たちの好きなアーティストや表現者を呼んでみんなに見てもらう、そしてそれを一つの文化の形として認めてもらう、というのがあります。なので、そこに向かっていけるようなことをやりたいとは思っていますね」

 

PORIN2020年に幕張で企画っていうのは大きな目標だと思うので、そこから逆算していろいろなことをやっていきたいです。あと個人的には、今回のアルバムを作ってすごく素直になれたと思っているから、この状態をキープしたいですね。そのうえで、フロントマンとして、あとは歌詞を書く身として、魅力的であるためにはもっと面白い人間じゃないといけないと思うので、今はそれに日々向き合っている感じですね」

 

---ありがとうございました。最後に、今作についての意気込み、こういうふうに聴いてもらいたいというようなことをお聞かせいただいて終わりたいと思います。

 

PORIN「アルバムとして聴いてもらいたい作品が作れたと思っているので、ぜひ通して聴いていただきたいです。『Awesome City Tracks』シリーズはこれで終わりなので、ここからオーサムがどうなるか想像しながら聴いてもらえたら楽しいんじゃないかと思います」

 

atagi「アルバム1枚を通して聴いていただいたら、もう一度「今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる」から聴きなおしていただけたら嬉しいです。絶対違う聴こえ方になっていると思うので。あとはシリーズ最後の一コマとして作った作品なので、良かったら1枚目から4枚まで通しても聴いてみてもらえたらなと思います」



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司会者「インタビューは以上になります」

レジー「インタビュー中でも触れたけど、いろんなアーティストが「しんどい中でもいろいろなことを肯定する」というモードに進んでいる感じがあるのは面白いなあと思います。一回今の世の中を受け入れて、じゃあ自分たちには何ができる?というようなことを考える人たちが増えてきているのだとしたら、とってもいい流れだなあと」

司会者「そのあたりは前回のスカイハイのインタビューも読んでいただきたいところです」

レジー「あとは宇多田ヒカルが若いミュージシャンに与えた影響っていうのもでかいんだなあと。ほんとに帰ってきてくれてよかったと思った。オーサムは次の作品から「架空の街のサウンドトラック」という枠組みが外れることで、どんなものが出てくるのか楽しみですね。上辺だけの「シティポップ」ムーブメントみたいなのは収束しつつある感じだし、そういうバブリーな追い風がなくなったときにこそバンドの底力が出るんだと思います。この先も応援してます。改めましてありがとうございました。いいアルバムなので未聴の方はぜひ。今回はこんな感じで」

司会者「次回は」

レジー「たぶんPerfume連載の続きにいきます」

司会者「できるだけ早めの更新を期待しています」



 

 

SKY-HI ロングインタビュー:新作『OLIVE』について、そして表現者としての覚悟について語る

司会者「予告通りインタビュー企画ということで」

レジー「はい。今回はアルバム『OLIVE』をリリースしたばかりのSKY-HIへのロングインタビューをお届けします」


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司会者「『OLIVE』、評判ですね」

レジー「今回はその『OLIVE』について、あとはそこから派生して制作や表現についての考え方などについてもいろいろ伺ってきました。やはり信念を持っている人の言葉は強いし引き込まれるなあ、と感じっぱなしのインタビューとなりました。まずは読んでみてください。それではどうぞ」


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2016
年、ロックインジャパンでの「リベンジ」

 

---僕が初めてSKY-HIのライブを見させていただいたのが2013年、ロックインジャパンのDJ BOOTHだったんですけど。

 

「あのときですか!あの少ない数の中にいらっしゃったわけですね(笑)」

 

---ちょうどあの頃にSKY-HIという存在、「AAAの人がこんなことやってるんだ」というのを知って見に行きました。で、日高さんのブログとかを見させていただくと、あの時のステージがご自身にとってかなりトラウマというか、わりと苦戦したという印象を持たれているようなんですが・・・

 

「あの・・・記念すべき一日でした(笑)」

 

---(笑)。あのライブがしんどかった記憶は全くないんですが、日高さんご自身はどう感じたんですか?

 

「ライブそのものに関して、純粋に見ていただいた方に「よくなかった」と言われるようなパフォーマンスでは全然なかったと思います。「MCで舞い上がってしまった」みたいなこともなかったし。ただ、ライブが始まる前に待っていてくれた人が極端に少なかったのは・・・悔しかったというよりは、現実を知ったというか」

 

---なるほど。

 

「あの頃はトーフビーツとの作品があったり(注:トーフビーツの2013年のアルバム『lost decade』に収録の「Fresh Salad feat.SKY-HI」)、イトーヨーカドーのCMに出たり(注:2012年のCM「イトーヨーカドー ネットでチェック」。古坂大魔王、dream5の重本ことりと共演)とトピックがあったので、そういうところから興味を持って見に来てくれた人たちをどうやってロックするかっていうゲームプランを考えていました。ただ、あのフェスのお客さんにはそういう人がほとんどいなかったようで、そのプラン通りにはやれなかった。当時は自分に対するムーブメントみたいなものも感じてはいたんですが、それも今思えばヒップホップ畑が9割で、ああいう場所まで届いていなかったいうか・・・これってたぶんSNSをやっているアーティストが陥りがちな話で、「俺はそうじゃない、そいつらとは違う」と思っていたけど実は自分もそこに陥っていたのかもしれない。「自分はまだまだだ」と思っていたところに、「具体的にどのくらいまだまだか」を見せつけられてしまったという感じでした」

 

---そこから3年経った2016年のロックインジャパンで、そのときのリベンジを果たしたと。

 

「そうですね、とりあえずその時の借りは返したかなと・・・(笑)」

 

---パフォーマンス中から手応えはあったんですか?

 

「そのときは感じられました。向こう側から走ってきてくれる人もいたし、ステージを見づらいところにも人がたくさん入ってくれていたし。それでも入場規制がかかったわけじゃないから、まだまだ頑張らないといけないんだけど・・・ジャパン的には「抜擢」という形での出演だったと思うので、その結果ガラガラの惨敗みたいなことになったら自分以外の人の顔にも泥を塗ってしまうという怖さもあったんですが、実はあの日は正直それどころではなくて(笑)。4月にのどの手術をして、その直後に仕事で海外に行ったんですけど、そこが乾燥している地域だったり飛行機での長距離移動があったりして「こういうことをしてこの後歌えるのかな」って精神的に不安になっちゃったんですよね。そこからジストニアみたいになってしまい、話しているときは普通なんだけどいざ歌おうとすると声が裏返ってしまうというような状況が夏まで続いていたんですよ。ジャパンの前日もまだそういう感じだったので、「やばい、これはもう無理かもしれない」と。「3年かけてやっとリベンジの機会をもらったのに、これで明日ダメダメだったらどうする?」って話をスタッフにもしたんですが、そうしたらそれに対して「もしそうなったらまた3年かけてやり直すしかないね」と言われたんですよね。それを聞いて、「あ、そうか。じゃあそれでいいや」って」

 

---ふとしたことで開き直れたと。

 

「はい。そういう気持ちになれたからか、マイクチェックのときから「あれ、わりかし声が出るぞ」となって、本番でも問題なくやれたんですよね。だからあの日は「ジャパンのステージにもう一回立てた」「そこでたくさんのお客さんに見てもらえた」ということ以上に、「声が出た!まともにやれた!」っていう喜びがすごくあって。それに加えて、声が裏返りまくるライブをやっていたのも知っているダンサーたちが同じように一緒にいて戦ってくれている、そういうシチュエーションにも幸せを感じていたり」

 

---なるほど、ご自身の複数の文脈がきれいにリンクしたのがあの日のステージだったんですね。

 

「でした。だから、自分の歴史、「俺史」の中では・・・(笑)」

 

---(笑)。

 

「俺史では結構大切な場面だったと思います」

 

 

SKY-HIのステージのバックボーン

 

---昨年末のライブを2度ほど見させていただいたときに思ったのですが(注:クリープハイプとの対バン@豊洲PITCOUNTDOWN JAPAN)、今のSKY-HIのライブは歌があって、踊りがあって、バンドとダンサーもいて、さらに自分で楽器も弾いて、もちろんラップもあって、とかなりたくさんの要素が盛り込まれていますよね。ああいうスタイルはどうやって生まれたんでしょうか。

 

「大前提として、自分のライブは「至高のエンターテイメント」であり「究極のコミュニケーション」でありたいと思っています。「来てくれたお客さんにそういうものを提示するために」、つまりは「お客さんを満足させるために」って考えていく中でライブのやり方は常に変わっていっているんですけど・・・新しいことを取り入れていくというよりは、自分のDNAとして存在しているものを出していくって感じですかね。逆に言うと、自分のDNAにないものはやらない」

 

---DNAですか。

 

「そう。自分が中学生の時にドラムを始めてバンドやるようになったこととか、ヒップホップ好きになってそこからジャズもソウルもファンクも好きになったこととか、そういうのが結果的に自分にとっての武器になって、それをライブで出していっているって言えばいいのかな。俺、AAAの最初の5年とかって、もらったお金を全部CDやアナログにつぎ込んじゃってたからほんとに貧乏だったんですよね(笑)。でもそのときそうやって聴いてたものが今の自分を作っている部分はあると思います」

 

---なるほど。たとえば海外のアクトとかから刺激を受けたりとか、そういうのはあるんでしょうか。

 

「うーん、(ジャスティン・)ティンバーレイクとかディアンジェロとかにはかなりやられましたけどね。ただそれは単に楽しかったってだけじゃなくて、彼らの音楽的バックボーンと自分のDNAがシンクロしたからこそ魅力的に感じたって部分も大きいのかな。あと自分にとっては、音楽を好きになるのって人との出会いとセットだったりするんですよね。俺の音楽の師匠みたいな人って2人いるんですけど、1人が中学生の時最初にドラムを教わった人で。いきなり俺の前でドラムの教則本を破り捨てたんですよ(笑)。「こんなもんやっててもうまくならない」って言って、ポリスのドラム譜をくれて。そこからストーンズやって、ドゥービーブラザーズやって・・・そういう中で音楽をすごく好きになって、近所のTSUTAYAの「名盤」ってコーナーにあるCDを片っ端から借りてきて、ライナーノーツまでがっつり読み込んだりしてました。もう1人が189歳のころに知り合ったFM YOKOHAMAのディレクターの方なんですけど、この人もまたちょっとネジの外れた人で(笑)、会うたびにCD200枚くらいくれるんですよ」

 

---すごいですね(笑)。

 

「トライブ(ア・トライブ・コールド・クエスト)が好きって言ったら、周辺のネイティブタン関連の音源をくれて、そこまでは俺もわかるんですけど、さらにそのネタもの、同時期にやってた人っていう感じで・・・「僕の持ってる財産をあげるよ!」とかって言って。もちろん他にもいろんなところから影響を受けてるんだけど、直接的な意味での恩師はこの2人ですね。今は全然会ってないんですけど」

 

---ご自身の中で血肉されているものでライブが構成されていると。

 

「うん。だからいろいろやっているけど器用貧乏みたいな感じにならないんだと思いますよ。・・・そもそもあんま器用じゃない、ってことかもしれないけど(笑)」

 

 

OLIVE』で自分と向き合い、嫌いな自分を肯定する

 

---日高さんの音楽的なバックグラウンドとして様々なジャンルの音楽があることは、『OLIVE』を聴かせていただいてもよくわかります。アグレッシブな曲からメロウな曲、R&Bからロックチューンまでかなりバラエティに富んだ楽曲が収録されていますが、アルバム作りに関しては先ほどまでお話しいただいたようなご自身のルーツを自由に発露させた結果として作品ができていくのでしょうか?それとも事前に設計図みたいなものがあるんですか?

 

「あ、そこに関しては完全に設計図です。アルバムを出した後のシングルから次のアルバムの設計図を作り始めるんですけど・・・今回で言うと、「クロノグラフ」を出す段階では今度のアルバムは大きな意味での「別れ」みたいなものを内包する作品にしたいなと思っていました。「クロノグラフ」のことは「別れを愛する曲」と自分では位置づけていて、この考え方は『OLIVE』が持っている「I LOVE」の精神につながっていったと言えるんですけど、決定的に『OLIVE』の方向性が固まったのは次のシングルの「ナナイロホリデー」ですね。あの曲を作っていく過程で、のどの手術なんかもあって「人生半端じゃねーくらい大変だ・・・まじ面倒くせえ・・・」みたいなことを感じつつも(笑)、バンドのみんなやダンサーのみんなと音楽を共有してそれをたくさんの人に手渡すことのできている今は夢の中よりも喜びに溢れているじゃないかって思ったんですよね。その感覚が自分の中に結構しっくりきたので、次のアルバムは「ナナイロホリデー」で終わる、「現実は夢の中なんかより喜びに溢れている」というメッセージで終わるってことが確定しました。で、じゃあそこに到達するまでの「人生めんどくせえ・・・」をどうやってアルバムの中で展開させていこうかな、というところから映画の脚本を書く感じで必要な楽曲を作っていきました。基本的にはアルバムはいつもこういうプロセスを踏んで制作しています。だから俺のアルバムの作り方は「こういう曲を録ろう」っていうよりは「アルバムの6曲目、こういうシーンに該当する曲を録ろう」「その6曲目に続く7曲目を録ろう」みたいな形で進みます」

 

---なるほど。はっきりした青写真が最初にあって、それに基づいてアルバムを組み立てていくと。

 

「はい。ただ、今回は作っている途中で「『タイタニック』で言うところの2人が船上で手を取り合うシーンがないな」と気づいて。つまりリードトラックがないな、ということになって、それで「アドベンチャー」を追加しました。で、それに合わせて「BIGPARADE」の聴こえ方を少し調整したかな。そのくらいですね、最初のイメージから変わったのは」

 

 

---「曲の寄せ集め」ではなくて、明確なコンセプトアルバムになっていることをとても大事にされているわけですね。

 

「今の時代のアルバムってそうじゃないといけない、とは思ってますね。ダウンロード販売にせよストリーミングにせよ「アルバムの単曲のみ」で聴くことがどんどん簡単になっているわけで、「アルバム」というパッケージを聴かせる以上は小説とか映画とかと同じレベルのものを作る責任があるのかなと。映画なら特定のチャプターだけ売るなんてことはないだろうし、小説だって一部の段落だけ売るとかありえないですよね。アルバムも本来はそういうものだと思うから。たまに中学生や高校生のファンの子に「こんなにちゃんと流れのあるアルバムを初めて聴きました!」みたいに言われることがあって、それはすごく嬉しいんだけど、俺にとってはそれが当たり前のことというか。シングルを集めただけ、というようなアルバムには価値を感じないですね」

 

---「流れ」という話だと、個人的には冒頭の3曲の流れがスカッとするなあと思いました。<君が泣いた世界を壊しに来た>という力強いメッセージとは裏腹にメロウで切ない「リインカーネーション」、<全隊進め!>というような進軍ラッパ的な「BIGPARADE」と来て、世の中に対して一発かましてやるという感じの「Double Down」につながると。2016年の活動について日高さんは「今まで自分を無視し続けてきた音楽シーンが少し手のひらを返した1年」なんておっしゃってましたが・・・

 

「(笑)。はい」

 

---そうやって「何かを戦って勝ち取った」みたいなご自身の気持ちがこの冒頭の流れにこめられていたりするんでしょうか。

 

「えーと、「Double Down」単体ではまさにそういう話とリンクしているんですけど、『OLIVE』の中の位置づけで言うと、その3曲は俺とリスナー、あとはリスナーとリスナー自身、俺と俺自身の出会いの導入って感じですかね。映画とかの山場が終盤に来るのと同じで、『OLIVE』のクライマックスはやっぱり「創始創愛」「Over the Moon」から「クロノグラフ」「ナナイロホリデー」って続くラストの流れだと思っていて。で、「創始創愛」では<僕が愛した君が愛した僕を愛してみるよ>とかって言っているんですけど、本当の意味で自分を愛することって決して簡単なことではないと思うんですよ。そこに到達するには、まずちゃんと自分に向き合わないといけない。そのために必要だったのがアルバムの最初の方の楽曲ですね。だから<君に会いに来た>(「リインカーネーション」)とか<さぁ始めようか>(「Double Down」)とかって言葉は、もちろん俺がリスナーに対して語りかけている言葉ではあるんですけど、一方では「自分の中の自分に会いに来た」みたいな意味だったり自分自身を鼓舞するような意味合いも大きかったりします」

 

 

---なるほど。それで言うと、冒頭3曲に続く「Stray Cat」の<孤独もちゃんと向き合えばいつの間にか相棒になった>もまさに「自分と向き合う」という話とつながってきますね。この<孤独>という言葉とも関連するんですが、僕が今回気になったのが<パレード>というワードです。「BIGPARADE」も含めていくつかの曲で使われる<パレード>ですが、パレードって一人でするものではないですよね。孤独と向き合う、自分と向き合うみたいな話がある一方で、必ず誰かが横にいるであろうパレードという行為がフォーカスされていることに何か意味はあるんでしょうか。

 

「あ、それはね、2つあります。1つ目はもちろん俺自身がみんなを先導して、「不良でも優等生でも、殺人犯でも牧師さんでも、俺のリスナーであることには変わりないから、俺に割いてくれた時間に対して責任を持つよ」というような話。そういう俺の器のデカさを示しつつ・・・(笑)」

 

---(笑)。それは想像できました。

 

「で、もう1つは、「いろんな自分を全部連れていこう」って話ですね。たとえば親としての自分がいれば社会人としての自分がいたり、マイナス思考の自分がいれば意外とあっけらかんとしている自分がいたり、いろんな自分がいるじゃないですか。で、やっぱりあんまり好きじゃない、出したくない自分ってのもありますよね。でも・・・その特定の自分だけ認められない、どこかに置いていきたいとかって、その自分がかわいそうじゃないですか」

 

---ああ、なるほど。そういう人格も含めて自分なんだ、と。

 

「そうです。だから<パレード>にはそういう自分も連れていくよ、って意味も含まれています。結局「自分と向き合う」というのと同じ意味合いになりますね。嫌いな自分も含めて救ってあげるのは大変だけど、それをちゃんとやりたかった」

 

 

宗教、覚悟、反骨精神

 

---「現実は夢の中より素晴らしい」とか「嫌いな自分も含めて救ってあげる」とか、ちょっと宗教に通ずるような強さを感じますね。

 

「最近それ、よく言っていただくんですよね・・・(笑)。いや、全然嬉しいんですけど」

 

---という話とも関係するんですけど、MUSICAで日高さんが2016年のベストアルバムを挙げられていたじゃないですか(※下記参照)。ここで挙がっている海外の作品の多くが、ゴスペル的な世界観を持っていますよね。

 

MUSICA 20171月号より

1 『カタルシス』/SKY-HI

2 Malibu/Anderson .Paak

3 The Life Of Pablo/Kanye West

4 Coloring Book/Chance The Rapper

5 In My Mind/BJ the Cicago Kid

同率5 24K Magic/Bruno Mars

 

「あ、そうですね。確かに」

 

---ゴスペルって、虐げられている人たちが声を上げて、歌っている間は自身の生を肯定するというような機能がかつてはあったと思うんですけど、この辺の作品を踏まえたうえで改めて『OLIVE』について考えると、ここに名前が挙がっているような作品の精神性、モードみたいなものともすごくリンクしているのかなという感じがしました。

 

「そうだと思います。ソウルやゴスペルの精神みたいなのに寄った感覚は少なからずありました。ただ、そうなったのは単にUSの音楽のモードがそうだから、そしてその手の音楽が好きだからっていうだけではなくて、そういう考え方が今現在最も必要なものに感じられたからですね。『カタルシス』を出した時には<愛の無い時代>って直接言えていたんですけど、もはや今はそんなことすら言っている場合ではなくなってきてるというか・・・(笑)。自分を肯定する、そして他者も肯定するっていうのはとても大変で、だけどますます大事なことになっていると思う。そういう時代のあり方と向き合えば、勝手にゴスペル然とした作品が結果として生まれてくるんじゃないかな。それは俺が選んだ作品もそうだし、『OLIVE』もそう。そういう意味では、『カタルシス』を<“愛の無い時代” いや目に見えないからこそ探して生きるのさ>で終えられたのは自分にとってはとても大きかったですね。あそこから『OLIVE』までがつながってる」

 

---なるほど。自分自身を肯定し、そして他者をも肯定する、というのは前作『カタルシス』以前の一つの転機にもなった「カミツレベルベット」の<Everything’s gonnabe alright>というフレーズから今に至るまで日高さんにとっての大きなテーマになっていますよね。今作でも「BIGPARADE」において、<そう悪いことばっかじゃないさ>という前向きなメッセージが出てきます。現実はシリアスになっている、<愛が無い時代>とか言っている場合ですらない、そういう状況でも「肯定」にこだわるのは、「こんな時代だから肯定しなきゃならない」なのか、「肯定したい」なのか・・・

 

「それは両方ですかね。「カミツレベルベット」によって自分は救われたんですけど、あの曲によって救われた人が自分以外にもいる、ということを思い上がりではなくちゃんと実感できたんですよね。その過程で、「救う人」としての責任と覚悟が生まれたというか・・・「愛」「平和」を正面切って言うための責任、覚悟、あとは自信。そういうものを「カミツレベルベット」がくれたんです。だから、「BIGPARADE」でもああいうフレーズがさらっと出てくる俺になれたのかな」

 

 

---そういうポジティビティって、気をつけないと非常に無責任なものになっちゃいますよね。

 

「はい。だからこそ昔はそういうことを書けなかったし、「カミツレベルベット」でもそういう意味のことは歌えたけど、それが日本語じゃなくて英語だったというのはまだまだ完全に突き抜けられてはいなかった、責任と覚悟が足りていなかったってことだと思います。今はその責任も覚悟もちゃんとある」

 

---タイトルの『OLIVE』も、花言葉はずばり「平和」ですしね。まさに責任、覚悟、自信がないと掲げられないものだと思います。『カタルシス』で「死」と向き合ったからこそ、いわば対極にあるようなこういうテーマが出てきたという部分はあるんでしょうか。

 

「それはすごくありますね。死生観みたいなものを考え抜いたからこそ、今生きていることの意味を強く感じられるようになったし、いろんなことを愛せるようになったのは間違いないです。『カタルシス』を作る中で死と向き合って逃げずに戦った結果として、愛とか平和とかってちゃんと言えるようになった」

 

---「愛」「平和」という前向きな、すべての人と連帯するようなメッセージが強く出ている今作ですが、日高さんの活動には「色眼鏡で見ていた奴らをぶっ潰してやる」みたいな動機もやっぱりあるのかなとは思います。きっとぶん殴ってやりたい人たちだっていまだにいっぱい・・・

 

「(笑)。ね、まあそれは」

 

---そういうところに対しての「今に見てろよ!」という感情はこれまでのモチベーションとして大きかったと思うんです。ご自身のそういう「負のパワー」みたいなものとはどうやって折り合いをつけていったのでしょうか。

 

「まず・・・「なにくそ、このやろう」みたいな怒れる気持ちはありますよ、ずっと(笑)」

 

---そうですよね。

 

「それはもちろん今もある、いろんなところに対して。ずっとあるんだけど・・・きっと、そういうマイナスの視線を向けられてそれに対して俺がむかついた、そういうことがあったからこそ今の自分があるんだと思ったら、それすらもありがたいって思えるようになったんですよね。この先もむかつくことは間違いなくあると思うけどそれはもうしょうがないし、それでも生きていれば普通に明日が来るから。そういう流れの中で、自分を愛して、周りにも愛を持って接する、それさえできていればいいんじゃないかな」

 

---そうすると、今の日高さんの活動のモチベーションとしては、「自分を認めさせる」というような話よりも「自分を中心にポジティブな世界を作っていく」ということの方が大きい。

 

「『カタルシス』リリース前に比べれば確実にそうなっていると思います。けど・・・今の話に対して即答で「はい!」と言えるかは正直わからないですね。反骨精神みたいなものはもうないです、って言ったら嘘になってしまう。でも、今はそういうレベルのことよりも、スタッフだったりファンだったり、いろいろな形で俺と過ごしている人たちに「SKY-HIと一緒にいて、好きでいて良かった」と思わせたい。そういう気持ちの方がはるかに強いです」

 

 

「一対一で」「誠実に」リスナーと向き合いたい

 

---日高さんはご自身の活動の中で、様々なタイプのクラスターに対してパフォーマンスをしますよね。ロックファンだったり、ヒップホップファンだったり、Jポップやアイドルが好きな人だったり。オーディエンスの質に応じて、ご自身の意識やライブのやり方で変わってくる部分はありますか?

 

「セットリストとかはもちろん細かく違いますけど、それは「同い年の人と喋るときはタメ語」「先輩と喋るときは敬語」くらいの差だから大した話ではないですね。そういうシチュエーションがどう、みたいな話よりは「人と向き合う」という意識をいつでも強く持つようにしています。何年何月何日のこのライブに来ているこんな人、たとえば彼女と付き合って2年目でうまくいっててデートにお金がかかる、でもそこから何とかチケット代を捻出してSKY-HIのライブに来た、テンションが上がって思わずTシャツを買ってしまった・・・自分を見に来てくれている人みんなにこういうストーリーが何かしらありますよね。だから、その場にいる○○ファンとしてのひとかたまりではなくて、いろんなストーリーを持った一人一人が集まっているということを意識したうえで、その一人ずつに届くようなライブをやろうとは心がけています」

 

---なるほど。「CDの売上の数字は「1」の積み重ねだから価値がある」という趣旨のお話を以前からされていると思うのですが、そこともつながる考え方ですね。「まとまり」ではなくて「個」で捉える。

 

「そうですね。それはすごく強いし、そうじゃないとコミュニケーションの本質からずれるんじゃないかな。・・・今話していて思ったんですけど、俺自身いろいろな形で一緒くたに括られて見られることが多くて、それがすごく嫌だったからそういうことを大切にするようになったのかもしれないですね。「アイドルの子が何かやってるらしいね」みたいな見方を俺に対してする人は、俺の裏側のことを何も見ようとしていないわけじゃないですか」

 

---はい。

 

「それと同じで、ファンの人たちをひとまとまりで捉えることって、ひとりひとりのドラマを無視することになっちゃうと思うんですよね。そうじゃなくて、個とちゃんと向き合う。それで、その人にとってのナンバーワンになる。それを続けていくと、世界的に見てもナンバーワンになれる。そんなふうに思っています」

 

---「ナンバーワン」であったり「国民的な存在」であったり、SKY-HIとしての活動において目指しているものはとても壮大ですよね。グループとしてはそういうポジションを獲得できている部分もあると思うんですけど、個人でも「売れたい!」という気持ちを前面に出している。「Jポップの人が、アンダーグラウンドで好きなことを実はやっています。かっこいいでしょ?」という形の方が気楽にやれるんじゃないかな、みたいなことも思ったんですが・・・

 

「今おっしゃっていただいたような「趣味でやってます」みたいな見られ方を絶対にしたくないからこそ、過剰なくらい「ナンバーワンを目指す」と言っている部分はとても大きいですね。AAAの人だからどうこう、という逃げ道を自分で絶っていきたいというか。・・・あの、41日に告白して、ふられたら「いや、エイプリルフールだよ!何本気にしてんの?」みたいなことをやりたくないんですよ(笑)」

 

---なるほど(笑)。

 

「たとえふられる可能性があったとしても、きれいな夜景の見えるところで真剣に交際を申し込まないと、真摯に向き合っているとは言えないと思うんです。だから仮に「ナンバーワンになる、って全然なれてねーじゃん」って言われるリスクを背負うことになったとしても、そういう覚悟を持ってやることが大事だと思っています」

 

---「覚悟を持ってリスクを背負う」ことは「音楽が好き」というような話とダイレクトに結びついてくることでもないと思いますし、たとえば何となく飄々とやってます~みたいなスタイルの方が滑ったときの傷は小さかったりするじゃないですか。

 

「小さいですよね。わかります」

 

---それでも日高さんがあえてそういう道に進んでいくことには何か理由があるんでしょうか。

 

「何なんですかね、両親の育て方が良かったのかな(笑)。大きいこと言いますけど、どうせならすべての人が幸せに死んでほしいじゃないですか。で、俺は不特定多数の人の人生に触れる可能性を持たせてもらっているから、俺に触れた人みんなが触れる前より幸せになってもらいたいと本気で思っているんですよね。そうしないと、ステージに立つ人間として不誠実というか。その境地に辿り着くためにも自分はナンバーワンにならないといけないし、世界に出しても恥ずかしくないナンバーワンのエンターテイメントを提供し続ける必要がある。ぬるいことをやっているって思われないためにも、自分に発破をかける意味でも、こういうことはこの先も言い続けます」

 

 

「キャッチーはエッジー」

 

---今後のSKY-HIの活動において、「ナンバーワン」「国民的な存在」を目指していくためにもっとやっていきたいこと、変えていきたいことがあれば教えてください。

 

「いっぱいあるんですけど・・・まず、このタイミングでヒットソングが欲しいんですよね。シングル、単曲でちゃんとヒットさせたいというのが大きい。あと、ポップスとしてのマナーに則ったものを作るのと同じくらい、とんでもなくエッジーなものを産み落とすことにも貪欲でいたいです。俺、「エッジー」は「キャッチー」だと思ってるんですよ。「すげー!真似できねー!」みたいなことって、誰かをエンターテインするためには必要な要素のはずだし」

 

---なるほど。「エッジーであることがキャッチーにつながる」って話は、SKY-HIとしてのライブの印象にもつながりますね。

 

「ほんとですか?嬉しいです」

 

---突き詰めまくっていびつになった結果として超ポップになっているというか。

 

「そうすね。前から言ってるんだけど、「ポップ」とか「キャッチー」とかって、階段を下りていくことによって作られるものじゃないと思うんですよ。パイの大きそうなところに適応していてもポップなものなんて作れないし、階段を登りきったところにしか「ポップ」も「キャッチー」も存在しないと思う。「KING OF POP」があれだけ尖ってるわけだし」

 

---マイケル・ジャクソンなんてまさにそうですが、誰もやっていないことやるのが一番ポップなんですよね。「目につく」ためには「適応する」よりも「突き抜ける」方が有効というか。

 

「ほんとそう思います。『カタルシス』と『OLIVE』、ハードで切迫した空気と愛や喜びに溢れた世界をそれぞれ作れたわけで、「これをやっていけば唯一無二でいられる」っていうのは見えてきたんで。両方の方向を突き詰めていって、他の誰にもできないエンターテイメントを作りたい。エッジーでありつつ、ちゃんと王道感を保っているもの。で、それをできればヒットソングっていう形で帰結させたい、という最初の話につながります」

 

---わかりました。いろいろお話しいただきありがとうございました。

 

「いっぱい喋っちゃいました(笑)」

 

---OLIVE』リリース後にツアーが始まり、ファイナルには日本武道館でのライブが控えています。

 

「今度の武道館で、「向こう10年はこいつだ」っていうのを証明しないといけないと思ってます。たぶんですけど、エッジーでしかも長く残っていくメッセージを生み出せる存在っていうのを神様がこうやって・・・(ふるいにかける仕草)」

 

---選り分けられている最中だと。

 

「音楽家に限らずものを作っている人たちがみんなそういう形でふるいにかけられていて、今のところはそこに残してもらえていると思うんで。そこに残してもらえている存在としてナンバーワンになる、そして関わっている人を全員幸せにする。それを目指してこの先もやっていければと思います」

 

 

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司会者「インタビューは以上になります」

レジー「今の時代に音楽をやることの意味、CDを売ることの意味みたいなことに対してものすごく自覚的な方なので、お話を聞いていてすごく面白かったというのがまず最初の感想ですね。あと自信がものすごくあるけど謙虚さや感謝みたいなものもちゃんとあって、そのバランスも興味深いものがありました。アンチに対しても感謝する、なんて考え方に辿り着いているのはほんとすごい」

司会者「見習った方がいいですな」

レジー「ほんとに。たぶん2017年って男性のポップアクトの動向が結構注目される気がしていて、SKY-HIはまさにその急先鋒って感じだと思います。今後も注目ですな。武道館も楽しみです。改めましてありがとうございました。今回はそういったところで。次回ももう一発インタビューの予定です。しばしお待ちください」

司会者「できるだけ早めの更新を期待しています」 

 

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