レジー「UNCHAINのカバーアルバムを聴きました」



司会者「以前に配信してたものをまとめて、それに新録を加えてアルバムにしたと

レジー「UNCHAINも一時結構好きだったんだけどすっかり聴かなくなったな」

司会者「聴いてたのわりと初期のころでしたよね」

レジー「うん。最初の方のミニアルバムから1stあたりまで。日本語の曲とかやり始めてから聴かなくなった。フェスでは何回か見たけど。まあでもスキルのあるバンドですよね。音楽的な幅もあるし」

司会者「このカバーアルバムもJ-POPからソウルミュージックまでレンジが広いですね」

レジー「あたま2曲が『丸の内サディスティック』『SWALLOWTAIL BUTTERFLY ~あいのうた~』なんですよ。なんなんだろうこの自分と同世代な感じ」

司会者「メンバーは皆82年と83年の生まれです」

レジー「僕81年生まれだからものすごい共感できるんだよねこの並び。カバー自体も原曲の良さとバンドの個性がいい具合で溶け合ってて好感を持ちました」

司会者「一方では企画そのものに対して否定的な意見もあるようですが」

レジー「まあ「節操ない」みたいな声が出てくるのは仕方ないよね。最近カバーアルバムってほんと多いし、クオリティ以前に「またカバーかよ」みたいなことも言われるだろうし。というわけで、今回はカバー曲絡みの話をだらだらとやろうかなと」

司会者「わかりました。カバー曲と言ってもまあいろいろですよね。なるほどかっこいい!ってやつから噴飯もののやつまで」

レジー「そうね。「とりあえず有名なのやらせとけば広くアプローチできるだろ」みたいな動機のやつは結構事故るよね。ここ1年くらいで一番すごいのはこれでしょう」



司会者「絶句ですよねこれ」

レジー「久々に聴いたけどほんとすごいなこれ。何がしたかったんだろう」

司会者「これで口直ししてください」



レジー「しっくりくるね」

司会者「なんでああいうボーカルグループスタイルでカバーしようと思ったんですかね」

レジー「なんかインタビューでもいろいろ言ってるけど、少なくとも1stシングルの表題曲がこれってありえんでしょ」

司会者「こういう「必然性のないカバー」で関係者誰も得しない、みたいなケースは散見されますよね」

レジー「うん。やっぱ有名な曲って何かしらの文脈をはらんでるから、それと全く関係のないところからカバーしますってなるとちんぷんかんぷんな感じになるよね。カバーしてる側のファンは別になんでもいいのかもしれないけど、カバーされてる曲をリアルタイムで知ってたりすると「なぜ今この曲?」ってもやもやするのは仕方ないわな。それの最たるものがオザケンだと僕は思うんですが」

司会者「直近でも加藤ミリヤ『今夜はブギー・バック』に倖田來未『ラブリー』と話題性のあるカバーが続きました」

レジー「それぞれに違った辛さがありますけど、加藤ミリヤファンも倖田來未ファンも「小沢健二というアーティストがどんな存在で」とか関係なさそうだもんね。オザケンってリアルタイムで動いていない人だから、こういうギャップが起こりやすいんじゃなかろうか」

司会者「オザケンのありがたみを感じない層がターゲットなら、わざわざ地雷を踏みに来なくてもいいのでは」

レジー「そうなんだよね。そこがよくわからんのだよ。別にもう有名じゃん加藤ミリヤも倖田來未も。炎上させて知名度上げるとか必要ないはずなのに。小沢健二の曲だからと言ってセールスが伸びるわけでもないだろうし。本来自分の歌が届かなくてもいいところに届いてしまって、いわれのない侮辱を受けるわけでしょ。なんでわざわざそんなことするのか疑問。まあなんか「程よいおしゃれ感/センス良い感じ」を出すのにちょうどいいんだろうね。いろんな人がカバーしててやりやすいってのもあるんだろうし」

司会者「オザケンの曲はほんと多くのミュージシャンがカバーしているわけですが、自分の曲がカバーされることについて彼は「矢」という文章を書いています

レジー「これは名文なので読んだことない人は全員読んでみてください。どこか引用しようと思ったんだけど、こりゃ全部読まないとダメだな」

司会者「フジファブリックが『モテキ』の企画で『ぼくらが旅に出る理由』をカバーする際に書かれた文章です」

レジー「ちょっと志村のことにも触れてて、ほんとにグッとくる文章です。で、あの曲は歌詞を字面通り読むと離れた恋人への歌だけど、「生と死」みたいなテーマでも捉えられるんだろうね。フジファブしかり、安藤裕子しかり。てか安藤裕子のカバーはほんと素晴らしいよね」



司会者「安藤裕子バージョンをめぐるエピソードについても名文があります

レジー「これは引用しましょう」

全13曲の「chronicle.」の12曲目で、小沢健二の94年のアルバム「LIFE」に収録されていた「ぼくらが旅に出る理由」がカバーされているのだが、そこに東京スカパラダイスオーケストラの茂木欣一が参加している。しかも本来のパートのドラムだけでなく、デュエットのシンガーとして。

安藤裕子の「そして君は摩天楼で 僕にあてハガキを書いた こんなに遠く離れていると 愛はまた深まってくの」というパートに続き、茂木はこう歌う。

 「それで僕は腕をふるって 君にあて返事を書いた
  とても素敵な長い手紙さ 何を書いたかはナイショなのさ」

94年のオザケン版オリジナルでドラムを叩いていたのは、スカパラの“初代”ドラマーだった青木達之。
だった、というのは、青木は99年5月、不慮の死を遂げたからだ。そして、茂木がもともと参加していたフィッシュマンズのボーカル佐藤伸治も、そのわずか2ヶ月前に急死している。

そんな2つの死という経緯があって、2001年11月、茂木はスカパラに正式加入。“2代目”としてドラマーの座を継いだ。

つまり、冒頭で紹介した「ウィークエンドシャッフル」内の言葉をそのまま借りれば、「ぼくらが旅に出る理由」のカバーは、

 「これは茂木さんから青木氏へ送る鎮魂歌、
  『長い手紙』(歌詞参照)でもあったのです。」

司会者「涙なしでは・・・って話ですよね」

レジー「やっぱカバーってこういうことだと思うのよ。ストーリーが紡がれていく感じね。それがなけりゃただのカラオケなんだから」

司会者「確かに。小沢健二の曲、特に『今夜はブギー・バック』『ぼくらが旅に出る理由』は頻繁にカバーされますが、その他に最近よくカバーされてる曲としてキリンジの『エイリアンズ』が目立ってますね」



レジー「ね。空前の『エイリアンズ』ブームですよ」

司会者「UNCHAINのアルバムにも入ってます」



レジー「秦基博が最初なのかな。この弾き語りはほんと素敵」



司会者「昨年末には「クリスマスの約束」でも演奏されてました」

レジー「いやーあれほんとびっくりしたよ。あの番組で見て「え、この曲こんなポジションに来てるの?」ってすごく驚いたんですけど。確かにすごくいい歌だけど、ここまでの存在になるとは」

司会者「あの曲を選んだ理由として小田和正はこんなことを言っていました。こちらのブログから引用させていただいております」

それではこの曲はキリンジのエイリアンズ、これがねえ、はまりましてねえ、私。初めて聴いたときに、あのお、中に出てくる景色が、これなんか俺がよく通る埼玉の景色に似てるなあ、みたいな。そいであとでスタッフが調べたら、なんと埼玉の坂戸市出身のキリンジ。私は思わずほくそえんでしまいましたけれども。なんか自分の知ってる景色が歌になってたりすると、なんかちょっと嬉しかったり。

レジー「この発言はすごくクリティカルだなと。10年以上前にリリースされたこの曲が今の時代にこぞってカバーされる理由が述べられると思うんです。一言で言うと「郊外の景色にどんな意味を読み込んでいくか」みたいな話だと思うんですけど」

司会者「もうちょっと具体的にお願いします」

レジー「この『エイリアンズ』という曲について、キリンジの堀込泰行が語っている内容を2つほど拾ってみました。あと合わせて歌詞も一部載せておきます」

作詞作曲した堀込泰行は、この曲の着想を「日本の大部分を占める『ノンカルチャー』な場所に合うようなものを作りたかった」と述べている。(2008年NHK-FMミュージックスクエアより

僕たちが育った東京近郊、西武線沿線の、どこにでもあるような区画整理された街って地方都市の象徴的な風景だと思うんです。
切り取り方やフォーカスの当て方を変える事で、つまらない街の風景もロマンチックなものに出来るんじゃないか、そうした試みに意味があるんじゃないかと信じてこの曲を書きました。(NHK 佐野元春のザ・ソングライターズ

まるで僕らはエイリアンズ 禁断の実 ほうばっては
月の裏を夢みて キミが好きだよ エイリアン
この星のこの僻地で
魔法をかけてみせるさ いいかい

司会者「個性のない街をロマンチックなものにする、と」

レジー「これを見て僕が思い出しのは、宇野常寛さんの震災後の著書『リトル・ピープルの時代』で出てくる「拡張現実の世界」という考え方です」



司会者「「ここではない、どこか」ではなく「いま、ここ」に潜っていくことで現実を書き換えていくという想像力のあり方ですね」

私たちは今、(古い意味での)「歴史的」には何物でもない路地裏や駅前の商店街を「聖地」と見做して「巡礼」し、放課後には郊外の川べりにたむろしては虫取りをするようにネットワーク上のモンスターたちを狩る。複雑化する社会生活において、私たちは日常的にそのからだとは半歩ずれたそれぞれのコミュニティごとのキャラクターとして否応なく振る舞ってしまう。ひとたび携帯電話を手にし、パソコンを前にすればその乖離の構造は簡単に可視化できる。私たちは、いつの間にか現実を実に多重なものとして把握している。情報技術の発達は、そんな私たちの変化をより明白にしてくれる。そしてこの変化は、言い換えれば私たちが求める<反現実>が<ここではない、どこか>への逃避=仮想現実ではなく<いま、ここ>の拡張=拡張現実として現れていることを示している。

レジー「こういう概念をずっと前から先取りしてたのがこの『エイリアンズ』っていう曲で、だからこそ最近になっていろんな人が注目し始めたんじゃないかなと。単純にいい歌です、という話だけではなくて、「この星の僻地に魔法をかける」っていう世界観が今の時代にすごくマッチしてるからこそ、いろんなミュージシャンを刺激してるんだと思いました」

司会者「なるほど。「いい歌」として発見されるにはそれなりに理由があるのではないかと」

レジー「そう思います。で、このまままとめに入っていきたいんですけど。最初の方で「必然性のないカバー」って話をしましたが、結局「いいカバーか否か」ってのはこの「必然性」の部分に尽きると思うんですよ。もちろん「素朴にいい歌」とか「原曲に自分たちの個性を注ぐ」とかそういうのは前提条件ですよ。この「必然性」ってのにも2種類あって、「この人がこの曲をカバーする必然性」って話と「この時代にこの曲をカバーする必然性」って話。どちらかにあてはまらないときつい」

司会者「今回の話で言うと、フジファブや安藤裕子が前者、『エイリアンズ』が後者ですね」

レジー「うん。前者の方では「自分のルーツにアプローチする」みたいな話もありますよね。パスピエの直近のシングルに入ってる80sカバーとか。一方で後者の方は結構難しくて、マーケティング的な匂いがしちゃうと途端に嘘くさくなる。たとえばBank Bandって、最初の2枚のアルバムはわりと「自分のルーツ」ってところからの選曲だったのが3枚目で急に「邦ロック」的世界観に振ってて、個人的にはかなり??ってなったんだけど」

司会者「突如としてラッドとかシロップとかやり始めましたよね」

レジー「これなんか文脈あったのかな?櫻井さんも小林武史もそっちの流れとリンクしている感じがまったくしないんだけど。それに加えて、志村が亡くなってほとぼりさめる前に『若者のすべて』でしょ。あーやっちゃったな感がすごかった」

司会者「彼ら的には「この時代にこの曲をカバーする必然性」を表現したつもりだったんでしょうか」

レジー「まあそうなんだろうけど、ちょっとコンテキストの作り方が人工的すぎたよね。そういうこと無理にやるなら、自分がほんとに影響受けた歌を粛々とやる方がよっぽど好感持てるわ。そんなことを意識しつつ、この先出るカバーアルバムについて2つほど触れて終わりたいんですけど。1つ目が5月に出る堂本剛のカバーアルバム。これものすごく清々しいよね。この人いろいろ理屈こねてるけど結局はこういう真っ当な歌が好きなんだなあ、っていうほのぼのした気持ちになる」

司会者「尾崎、マッキー、ドリカム、チャゲアスと、「センス良く見せよう」みたいな雰囲気が全く感じられないですね」

レジー「突如としてオザケンとかhideとかやったりしないところが良い。これは「この人がこの曲をカバーする必然性」って方に振り切ってるやつですね。で、もう1つがハナレグミ

司会者「今回取り上げた『ラブリー』も『エイリアンズ』もやるみたいです」

レジー「この人は以前からカバーはやってたわけで、ついにこのタイミングで出すかって感じだよね」

司会者「真打登場感がありますね」

レジー「そうそう。そういう意味で、「カバーアルバムが氾濫する時代にカバーアルバムを出す必然性」ってのがすごくあるアーティストの一人だと思います。カラオケカバーとはレベルの違うものが出てくるのを期待してますわ」

司会者「5月リリースなのでちょっと時間が空きますが、楽しみに待ちましょう。では今回はこのあたりで。次回はどうしますか」

レジー「うーん、今回も予定は未定で。2日にパスピエの企画行くつもりだからそこでなんかあればそれについて書くかも」

司会者「できるだけ早めの更新を期待しています」


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