1998年の宇多田ヒカル』、1998年のレジー

 

レジー「宇野維正さんの初の著書、『1998年の宇多田ヒカル』を読みました」

 

 

司会者「売れているようですね。各所で話題になっていますがいかがでしたか」

 

レジー「まず端的に、すごく面白かった。宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみと1998年にデビューした人たちについて書かれていて、実際にこの人らがシーンやチャートでぶいぶい言わせ始めたのは99年以降ではあるけど、やっぱり1998年って特別な年じゃないですか」

 

司会者「この本でも触れられていますが、「CDが最も売れた年」ですよね」

 

レジー「そういうある種歴史的に意味のある年がタイトルになっているのが良いなあと思いました。あとこの本を書いたところでのスタンス、アーティストが喋ったことだけが正しいわけではない、そこに現れなかったことも含めて読み取っていくことに意義があるんだ、っていう姿勢にはすごく共感します」

 

でも、「ミュージシャンの肉声」が唯一絶対の聖典のようなものになった時、音楽ジャーナリズムの役割はそこで終わります。音楽ジャーナリズムの役割の一つは、音楽家自身も気がつかなかったことに言葉を与えて、音楽家自身が見落としていた文脈や繋がりを発見することです。

 

司会者「アーティストの発言をある種「聖典」的に扱う受け手側の姿勢はSNSの登場で強まっているような印象はありますね。何か解釈をすると「それ本人が言ったの?」的な反応があったり」

 

レジー「そうね。あとは個人的な話で、1998年って自分は高校2年生でいろいろ情報摂取して自分の価値観とか軸とかが形成されていくタイミングだったんだよね。そういう意味では「直視できない時代」のことがガッツリ書いてあるから読んでて胸が熱くなる箇所はたくさんあった。それこそその前後のBUZZ、鹿野・兵庫・宇野体制のものは間違いなく自分にとって一番影響の大きい音楽雑誌だったりするから。あの雑誌もインタビューだけじゃなくて書き物の原稿が結構あったんだよね」

 

司会者「宇野さんは1998年当時自分のことを「フレッシュな業界人」と規定していましたが、高校2年生として過ごした1998年はどんな年でしたか」

 

レジー「とりあえず楽しく生きてたよ。軽音楽部でバンドやって、文化祭実行委員で同級生と青春っぽいことをして、あとは高校生クイズで東京の決勝まで行ったり。男子校ど真ん中で残念ながら女の子系のいい話はなかったけど、かなりリア充っぽい生活を送っていた。当時リア充なんて言葉なかったけどね」

 

司会者「音楽周りだとどうですか」

 

レジー「この本にも「ドラゴンアッシュ、トライセラトップス、グレイプバイン、中村一義、スーパーカー、くるり、ナンバーガール」とあの時代にメジャーデビューしたバンドが羅列されてたけど、まさにこのあたり大好きだった。98年当時でどっぷりだったのはトライセラですね。あとくるりもこの年に「東京」出て最高!って思ってたな。ナンバガは実はあまり通ってなくて、中村一義は2000年の『ERA』で初めて自分ごと化した感じ。スーパーカーは全シングル持ってる友人から借りてMDに録音してすごく聴いたけどあれ99年になってからだな。ドラゴンアッシュも本格的に好きになったのは「Let yourself go, Let myself go」からだからやっぱり99年。バインは存在は知ってたけどやっぱりガツンと来たのは99年だった。「スロウ」が991月だから。あとはこの年に豊洲でやってたフジロックに行ってミッシェルを見た。これは何度もブログで書いてる話ですね」

 

司会者「途中で中断したやつね」

 

レジー「またフル動画YouTubeからなくなっちゃったなあ。それでこの年の11月に『ギヤ・ブルーズ』が出ると。やっぱすごい年だったね。海外ものだとこれもたびたび言ってるけどこの2枚」
 

 


司会者「イハは去年やっと見れましたね」

 

レジー「「Be Strong Now」は感動したわー。この2枚はもちろん音楽的に大好きだったけど、「こういうの聴いている自分」っていう感じも間違いなくあって、その延長上でよくわからないアナログレコードをジャケットだけで買ったりしてたよ。あのころはカジヒデキモデルのポータブルレコードプレーヤーで聴いてた。コロンビアのやつね。書いてるだけでスノッブ感が立ち込めてくる感じがして恥ずかしい」

 

 


「ハブ」としての椎名林檎、2015年紅白の意味

 

司会者「この本の主題でもある4人の女性アーティストとはどういう距離感だったのでしょうか」

 

レジー「宇多田ヒカルについては「Automatic」をJ-WAVEで聴いてすげー!!と思ったけど、最初のインパクトでいうとその年の最初とかそれくらいに聴いたMISIAの「つつみこむように・・・」のが衝撃的だったかも。本格的に好きになったのは翌年の「Addicted To You」からかなあ。大ファンというわけではないけど、好きなミュージシャンの一人であることは間違いない。浜崎あゆみは全然だったなあ。男子校だったことと関係あるかもだけど、周りにも好きって人ひとりもいなかった。大学入る前後くらいで女の子との接点増えて、みんな浜崎あゆみ好きでカラオケで歌っててびっくりした記憶が。aikoに関してはとにかく「花火」ですね」

 

司会者「出たとき聴きまくってましたね」

 

レジー「人生で一番聴いた曲の一つ。でもその後はアルバム聴いたり聴かなかったりだったな。以前kenzeeさんがブログでやってたaikoマラソンに触発されて後追いで全部聴いたよ。そういう意味でいうと、この中で98年に一番ドカンと来たのは椎名林檎ですね。フジテレビの深夜番組で「歌舞伎町の女王」を歌ってるの見たんですよ。今考えると「どぅんつくぱ」みたいなテイストの番組だった気が。ああいう「シュール」はフジの伝統芸能なんだね」

 

司会者「そもそも「ウゴウゴ・ルーガ」もあるし」

 

レジー「今はああいうの虫唾が走るけど当時は普通に面白いと思ってたわ。話を戻すと、「歌舞伎町の女王」見て「なんかこれはすごい・・・」って思った。その前に出てた「幸福論」聴いてみたらやっぱりすごい良かったし。そんな状況で翌年の「ここでキスして。」と『無罪モラトリアム』で超好きになりました。そういえばリキッドかクアトロだかのライブのチケット、ミュートマの電話先行みたいなのでとれたのに当時お金なくて友達に譲ったんだよな」

 

司会者「『1998年の宇多田ヒカル』はタイトルこそヒッキーメインですが、椎名林檎の存在が話を進めるうえで特に重要な役割を果たしていますね。宇多田ヒカルともaikoともつながっていて、そこに「同世代のミュージシャンを愛する・意識する」という彼女のスタンスが過去の共演歴とともに重ねられていきます」

 

レジー「aikoと仲良しみたいな話はMステでもしてたよね。こういうつながりを軸にすることで、単に「売れた人」もしくは「音楽的に優れている人」をあげただけではない深みが出てくるなあと思いました。やっぱり「同期」って特別なんだよね。この前の「アメトーーク!」でやってたオリラジ同期芸人を見たときにも思った。あと林檎さん絡みでいうと、2020年の東京オリンピックに関する記述ね。ナタリーでのインタビューが引用されてたりします。本だと(中略)になってたところも含めて引っ張るとこんなやり取り

 

うーん、受け手というか、シーンが心配という感じかな。今は特にね。あと、2020年の東京オリンピックが決まったとき、浮かれ気分もありながら、皆さん「だいじょぶなのか東京」と、不安を覚えたでしょう? 開会式の演出の内容がおっかなくて仕方ないでしょう?

 

──そこは東京事変に出てほしいですよ。

 

いやいやいや(笑)、そんな自らスベりにいかなくてもいいんですけど。だけど、こんなふうになったら困るなという、私たち国民全員共通のイメージってあるでしょ? 「あちゃー」ってなったらヤだなって。

 

──それはすごくありますね。

 

せっかく他国から多くの人が日本に来てくださるわけですから。だって、昔から脈々と続く素晴らしいスポーツの祭典が東京で開催されるんですよ。もし自分の近いところに関係者がいるのであれば、言いたいことはありますよ。子供を持つ親として、私なんかにも動けることがあればしたいと思ってます。J-POPと呼ばれるものを作っていい立場にあるその視点から、絶対に回避せねばならない方向性はどういうものか、毎日考えてます。

 

司会者「そこを受ける形での宇野さんの文章がこちら」

 

椎名林檎は、日本が貧しい文化や音楽に覆われてしまうことを心から憂いている。2020年東京オリンピックの開会式の催しが、日本の音楽業界/芸能界で幅をきかせているアイドル・グループやダンス・グループに占拠されることなく、世界に誇れるようなものになるならば、彼女は自分がその場にいないことなどまったく意に介さないだろう。

 

レジー「名指しはしていないけどまあどういう人のことをイメージしているかはわかっちゃうよね。で、ここまでの話読んでて思いだしたのが年末の紅白なんですけど。あそこで椎名林檎がやったパフォーマンスって、こういう文脈にすごくのっとってるんだよね。まずあの和服、花火っていう「和」にこだわった演出。オリンピックの開会式でも「和」をモチーフにしたパートは必ずあるはずで、そこへのデモンストレーションともとれる。で、バンドフォーマットでの演奏をしつつも本人は踊ってたよね」

 

司会者「あんなに踊れるのかとびっくりしました」

 

レジー「あれもここまでの流れで想定されているような人が踊るんじゃなくて、「日本」を表現するならこういうダンスなんじゃねーの?っていう挑戦状というか。ちょうど副音声で、仮想的に類するところにいるであろう乃木坂46のメンバーがいたのも期せずして対立構造になっていたわけで」

 

司会者「メンバーたちは無邪気に盛り上がってましたけどね」

 

レジー「さらに冒頭で向井秀徳が出てきたのは、まさに「同世代の仲間」ですよね」

 

司会者「ともに98年メジャーデビューの同期。あそこで向井秀徳が歌った「神様、仏様」は「長く短い祭」のカップリング曲ですが、絶対にやらないといけないというものでもなかったわけで、ある意味向井秀徳を出すためにあの構成にしたとも言えるかもしれないですよね」

 

レジー「同期、あと福岡というところでは同郷でもあるし、以前田渕ひさ子と一緒にやってたこととかも思うといろいろ重層的な流れになってる。あの日の椎名林檎は紅白全体で見ても12を争うステージだったという印象だけど、そこに「東京オリンピック」「同期」みたいな軸を入れるとまた違う楽しみ方ができると」

 

司会者「椎名林檎に関しては、テレビ番組ごとに編成を入れ替えるというスタイルが2015年は特に強調されてた印象がありますね。9月のMステウルトラフェスではOKAMOTO’Sのメンバーを後ろに引き連れてたりもしました」

 

レジー「あの日の「丸の内サディスティック」は素晴らしかった。で、この「テレビ番組ごとにちゃんとしたバンドを編成して、アレンジも変えてパフォーマンスする」っていう話で小沢健二の名前を出したいんですけど」

 

司会者「この本の中でも椎名林檎と交流のあるミュージシャンとして名前が出てきます」

 

レジー「あの当時の小沢健二がやってたこと、つまりいろんな歌番組でアレンジを変えたりしながら演奏していたことって、90年代半ばの音楽シーンが「芸能」の世界と結びつきながらもその中でクオリティの高いものをやる、そしてそれが広くいろいろな人に見られている、っていう贅沢な状況だったことを示す重要なエピソードだと個人的には思ってるんですよ。で、椎名林檎はそれを2015年に踏襲していたとも言えるわけで、あれも彼女なりの「音楽の地位を取り戻す」的なトライだったのかなと。この本でも指摘されている「逆襲」の一環なのかもしれないです。とりあえず「ぼくらが旅に出る理由」のMステでのアレンジ違い貼っておきます」

 


 


渋谷系過大評価問題について

 

司会者「小沢健二の話が出ましたが、この本には「今の時代に渋谷系というものが評価されすぎなのでは?」という問題提起がありますね」

 

レジー「うん。ざっくりまとめると「セールス面でも、その後の音楽的な影響面でも、渋谷系というムーブメントはそこまでのものを残していないのでは」「渋谷系が過大評価されているのは、かつてそういうものを好きだった層が発信する側に行っているから」という話ですかね。これは概ね同意です。僕自身が「渋谷系」という概念を知ったときにはフリッパーズは解散してて、オリジナルラブが「接吻」とか出した頃だから、まあこのタイミングですでに終わりかけていたという言い方もできるのかもだけど。まあでもこの手の歴史書き換え問題ってたぶんどんなジャンルでもあるんだよね。僕がよく思うのは、いわゆる現代思想的な話で「90年代はエヴァ一色だった、当時碇シンジと同世代はみんな夢中になった」みたいなことがさらっと言われるときがあるけど、絶対そんなことないから。あれもかつてそういうの好きだった人が発信側に行ってることによる歪みだと思う」

 

司会者「「渋谷系っぽいアイドルソング」みたいなものは一定数ありますし、いわゆる楽曲派的な人にはそういうのが刺さりやすいですよね」

 

レジー「昔その手の音楽を好きだった30代以上の人や、「渋谷系過大評価の波」をもろに受けてる若年層が楽曲派に多いんだよねきっと。そして発信量も多い。アイドル曲でいうと、むしろ渋谷系よりビーイングの方が影響でかい気がするよ。音楽のプライオリティ低いアイドルの人たちの歌に入るのっぺりしたギターソロってすごいビーイングっぽい気が。あとリンドバーグとかね。「唇にBe My Baby」なんて完璧にリンドバーグだ、とこの前飛行機の機内プログラムでリンドバーグ聴いて思った。往年のビーイングにせよリンドバーグにせよ、そのくらいの「古さ」があった方が聴いてて安心する層はそれなりの数いるんだと思う。リンドバーグは当時は結構好きだったけど。シングルよく買ってた」

 

司会者「この本の中では渋谷系と関連する概念として「「現在の音楽」と「過去の音楽」が等価になった時代」というものが出てきますね。レコードからCDへの再発や大型CDショップの登場がこの流れを作っていて、9798年のロックバンドの隆盛もこの状況と関係があるという分析がなされています」

 

レジー「あと当時輸入盤すごい安くなっていってたんだよね。僕も当時洋楽聴いてたのは1,600円くらいで輸入盤が買えるからというのも結構効いてました。で、この状況、今はもっと加速しているわけじゃないですか」

 

司会者「インターネットのおかげで」

 

レジー「だからこの理屈でいうと、98年前後以上に次から次にとんでもない才能が出てきてもおかしくないとも言えるんだよね。でも実態がそうなっているだろうかっていう話で。もちろん「才能」なんて曖昧なものの取り扱いは難しいですが、「現在と過去の音楽がフラットになる」という観点の話でいうと、起こっているのは二極化ですよね。ちょっと単純化しすぎかもですが」

 

司会者「いわゆる「シティ・ポップ」と呼ばれるシーンの人たちが「膨大なアーカイブ」を駆使して多様な作品を生み出している一方で、そういうものとは無縁の場所でフェスにアジャストすることを重視するロックバンドも相変わらずたくさん出てきています」

 

レジー「この辺の話は、やっぱりフェスというものは音楽を「探索する」という楽しみを奪っている側面もあるのかもしれないと改めて思いましたよ。最初に出てきた「渋谷系好きだった人が発信側に行く理論」でいうと、あと20年くらい経ったら特定層では「2010年代は「シティ・ポップ」がこの世を支配していた」みたいな言説が信じられてて、「四つ打ちロック」なんてものが存在していない歴史が編纂されてるかもしれないなあ」

 

 

 

90年代の「アイドル」を巡る問い

 

司会者「基本この本は面白い、共感する的なスタンスできましたが、何か気になる点などもあれば」

 

レジー「倉木麻衣と矢井田瞳が出てこないのが気になった」

 

司会者「そこですか」

 

レジー「それは冗談で、個人的に気になったのは宇多田ヒカル、椎名林檎、aikoの位置づけに関して「アイドル」「アーティスト」論を援用していくところなんですけど。趣旨としてはわかるんですよ。2年くらい前かな、ヒッキーの最初のゼップでのライブ映像をすごく久しぶりに見たときに「この人はR&Bアイドルだったんだな」っていう感想を持ったし、98年当時でも椎名林檎を性的な意味で好きな友人もいたし。最近変な風に話題になっちゃった川本真琴もライブ行ったら男ばっかりだったし、この時代の若い女性ミュージシャンが「アイドル」的な側面を持っていたのは間違いない。ただ、ちょっと引っかかっちゃったのはこのあたりで」

 

女性が同性のアイドル・グループを支持するという行動様式が市民権を得たこと(その先駆的存在となったのが90年代末に少女たちの憧れの的となったSPEEDだ)

 

司会者「SPEEDを「アイドル」の例、「先駆的存在」としてあげています」

 

レジー「もちろんSPEEDを今のアイドルグループと完全直列で語る意図はないとは思いますが、たぶんなんだけど当時SPEEDのことを好きだった女の子には「アイドルを応援している」って感覚はなかったんじゃないかなあ。ギリギリ、今のE-girlsくらいの感じだろうか」

 

司会者「今で言う「グループアイドル」みたいな概念はほぼ存在してなかったですよね」

 

レジー「うん。僕81年生まれで98年は高校2年生だったと最初に書きましたけど、僕の世代って「なんでもかんでもアーティストの時代」を生きていて、言い換えると「音楽の分野でのアイドルというものが存在しない時代」を生きていたという実感があります」

 

司会者「そのあたりはこの本の中でも触れつつ、CMに出るような若い女優が「アイドル」的な位置づけだったという指摘が出てきますね」

 

レジー「その筆頭である広末涼子も、歌を歌うときはちょっと言葉きついけど「アーティスト気取り」だったんだよね。以前ブログで書いた気もしますが、ライブ映像とか結構強烈ですよ。今でも僕にとって広末さんは女神だし当時の映像は超かわいいけど、歌い方とかが「私アーティストです」って感じで今見るとなかなか気持ち悪い。あと先ほどの記述でSPEEDが人気あった時代として90年代末ってあったじゃないですか」

 

司会者「SPEEDCDデビューは968月、一旦20003月で解散します」

 

レジー「なので活動期間はもちろん90年代末も含まれるけど、体感としてほんとに勢いがあったのは984月に出た2枚目のアルバム『RISE』までだと思うんだよね。その年代の「末」をどこまで含むか、という話ではありますが、なんとなく90年代のおしりの方まで支持を集めまくってた印象はあんまりないんだよなあ。で、この年にモーニング娘。がメジャーデビューしています」

 

司会者「テレビ番組の「ASAYAN」の企画から生まれたグループで、CDの手売りを経てメジャーデビューを勝ち取っています」

 

レジー「手売りでCDを売るとか、完全な素人がオーディションのプロセスを開示しつつもデビューに至るとか、今のAKBに連なる流れがここに出てきてるんだよね。モー娘。が「LOVEマシーン」で本格的に爆発するのが999月、SPEEDが解散を発表するのが9910月。このタイミングにある種政権交代が起きている。絵理子さんのアクションを見るとSPEEDに「政権交代」なんて言いづらい感じになっちゃったけど」

 

司会者「さらに言えばモー娘。は今に至るグループアイドルの源流的な存在でありつつも、もともとは「女性ロックボーカリスト」のオーディションの落選組ですよね」

 

レジー「あの時代にそういうオーディションを受けている時点で「アーティスト」志向が強かったはずだし、そういう人たちが「ザ・アイドル」として音楽シーンの流れを変えていくと。90年代のアーティスト-アイドル話はあくまでも本論のイントロとして使われるパートだからさらっと触れられてるだけだけど、ここはほんとに掘りがいのある話なんじゃないかなと思っています。今年はこのあたり何かしら継続的に検証したいな」

 

司会者「SPEEDの存在はPerfumeにもつながってきますしね」

 

レジー「そうそう。PerfumeにはSPEED的な文脈とモー娘。的な文脈それぞれが流れ込んでという言い方もできるような気もするし。そのあたりは追ってまた。かなり長くなってしまいましたが、『1998年の宇多田ヒカル』、とにかくいろいろ思考が刺激される面白い本でした。スタンスとメッセージがはっきりしている本はいいよね。おすすめです。今回はこんな感じで」

 

司会者「わかりました。次回はどうしますか」

 

レジー「ちょっとまた考えます。さっき書いたような話もそのうちどこかで触れたいな」

 

司会者「できるだけ早めの更新を期待しております」