司会者「インタビューが2つ挟まったので少し間が空いてしまいましたが、こちらの企画をお送りします」

 

2016年のPerfumeとこれからのPerfumeを巡る五百蔵容さんとの往復書簡

 

レジー「第4回目となる今回は、過去3回と違って五百蔵さんの先攻でお届けします。前回のラストで前ふりのあった「虚実皮膜」という概念をキーに、Perfumeのこれまでとこれまでについて語っています。それではどうぞ。前回未読の方はそちらも合わせて読んでいただきたいのですが、今回だけでも面白く読める内容になってると思います」

<過去の連載>

①総論と問題提起
②課題
③収穫





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④五百蔵→レジー

 

こんにちは。この往復書簡も大詰めにいよいよさしかかっていますが、前回終わりに記しましたように、今回はぼくの方から話題を振ってみたいと思います。

 

ちょっと遠回りな感じの話になってしまうんですが、とくにステージパフォーマンスにおけるPerfumeの「これまで」を考え、「これから」を想像するために良い物差しになるようなものになるのではと思いますので、少々お付き合い下さい。

 

 

■「虚実皮膜」とは?

 

「虚実皮膜」とは、「事実と虚構との微妙な境界に芸術の真実があるとする論」のことを指します(新明解四字熟語辞典より)。

 

江戸時代にポピュラーなステージパフォーマンスであった人形浄瑠璃の作家、近松門左衛門が唱えたとされる芸術論です。最近の研究ではこの言葉自体は本人の作かどうか怪しいらしいんですが、虚構の作り手の端くれとして、創作・表現者が芸事や表現の本質を極めようとするときに道しるべとなるような世界観だと、ぼく自身は思っています。

 

舞台芸術にしろ、小説にしろ映画にしろ音楽にしろ、「現実そのもの」を描くことは原理的にできないわけです。どんな表現にしろ、なんらかの虚構(ウソ)を通じ、組み合わせてそれを描くしかない。けれども、想像力や技巧を凝らしてウソを描ききることで、そこに、現実を写し取っただけ以上の何かが産まれる。むしろそれは人間にとって、「ただの現実」以上に本当のこと、価値のあるものになる。コップをそこに置くだけのことであっても、それをどんな「ウソ」を組み合わせて描くか、そこに巧緻を凝らすことによって「コップがそこにある」以上のものが描けるわけです。

 

世阿弥の「幽玄」や「物真似」、映像構成論の基礎のひとつであるエイゼンシュテインのモンタージュ論なども同じような見方に基づいていると言えます。

 
 

Perfumeと「虚実皮膜」、ステージにおけるMIKIKO先生とのコラボレーション

 

Perfumeファンの中には、3人のパフォーマンスやキャラクターのみならず、MIKIKO先生が産み出すコレオグラフィー(振り付け)、独創的なステージ演出に魅了されている人も多いんじゃないかと思います。

 

ぼくが、コレオグラファーとしてだけではない、舞台演出家としてのMIKIKO先生にも注目し始めたのは、Perfumeがホール以上の広さの会場に進出し、その空間を3人だけで支配するという課題に挑戦し始めて以降でした。つまり武道館以降、ということですが。

 

その頃からMIKIKO先生は、彼女の好きな(とぼくが勝手に思っている)「見間違い」や「観客の視線を意図的に振る」「錯視」「だまし絵」「見立て」といった演劇的な舞台演出・視覚演出の方法を、積極的にPerfumeのライヴ演出に投入してきたと思います。

 

例えば2008年武道館のオープニング、マネキンで観客の見間違いを引き起こしたうえで「本物」に視線を誘導するという演出(のちのMIKIKO演出の基盤をなす構想がすでに詰め込まれていると言っていいでしょう)。同様の「視線誘導、錯視的な演出→「本物」の不意の登場」という展開は、2009年の直角二等辺三角形ツアーでも見られました。これらはいずれも極めて演劇的な方法であって、舞台演劇という「虚構」を本当のことのように感じさせるための古典的な技巧です。

 

この段階ではこれらの演出には単純な「虚構→本物」の意味構造しかありませんでしたし、おそらくは「演者が3人しかいない」ことの不利を埋め合わせるために動員された方法という意味合いが強かったのではと思います。ですが、Perfumeの人気とステータスが増大し、より高い技術水準の機構・インスタレーションのテクニックなどを投入することができるようになる中で、Perfumeのステージにおける表現はどんどんリッチに、そして多重的な意味を持つ洗練されたものへと進化していきました。その進化の過程において「Perfumeというユニットの本来的な性質」「中田ヤスタカのミニマルな音楽性」「MIKIKO先生のコレオグラフィーのオリジナリティ」が奇跡的に合致したことにより、単に「虚構を本物らしく見せる」だけではない、「虚構と現実の間に新しい世界が現出する=虚実皮膜」というコンセプトを獲得するに至ったのではないか?そうぼくは考えています。

 

この流れのはじまりは、直角二等辺三角形ツアーの「edge -mix」でのパフォーマンスでした。

 

■テクノロジーの支援を得て「虚」と「実」の境界線を発見するPerfume

 

直角二等辺三角形の「edge -mix」は、いまやPerfumeのライヴにおける代名詞ともなったインスタレーション演出の嚆矢となったパフォーマンスでした。

 

 

その要諦は「虚」のPerfumeと「実」のPerfumeの連動、コラボレーション・パフォーマンス。

いわゆるedgeBOXモニター内のPerfumeがフレームアウトするタイミングに合わせてedgeBOXからPerfumeが現れる、映し出されるPerfume(モニター解像度は低かったですが)の動きを現実のPerfumeが引き取ってダンスにつなげる、などといった形で「虚」と「実」がシームレスに(そう見えるように)交差します。このパフォーマンスは、元となる楽曲がまさに「edge」=縁、外部との境界を表現し尽くすかのような尖ったものだったことも手伝い、「虚」と「実」の間にある縁・境界としての接触面である連動そのものを強く感じさせるものでした。

 

「虚」そのもの、「実」そのものが重要なのではなく、その間にあると感じられる動き --- それこそ、Perfumeのダンスによって疑いなく表現されるものです --- が本質である、ということ。「虚構を現実に見せる」ではなく、「虚構と現実の間にある何かを表現する」ステップへの進化。このパフォーマンスを目撃したライゾマティクスの真鍋大度が、Perfumeのテクニカル・チームに参加するためのプレゼンテーションを活発かつ熱心に始めたのも(彼が元からグループの大ファンであったことを差し引いても)むべなるかな、という画期的なパフォーマンスでした。

 

そして、デジタル・インスタレーションの技術支援において当代有数の集団であるライゾマティクスのバックアップを得て、PerfumeMIKIKO先生の表現はより選択肢を増し、「虚実皮膜」のコンセプトの具現化が加速度的に進んでいくことになります。

 

この進化の一つの完成形が2013年のドームツアーである、というのはこの意見交換の第一回で触れさせていただいた通りです。まさしくこのツアーにおいて、「虚実皮膜」のコンセプトが、芸術面での意思表明のようなものを越えて「Perfumeでしかなしえないポジティブで普遍的なメッセージを含んだエモーショナルな表現」に昇華されていました。

 

ライヴ全体がそのような構造体として形作られていましたが、「Sleeping Beauty」~「Party Maker」~「Spending All My Time」の3曲で構成される一連のパフォーマンスが、とりわけ総括的で、核心的でした。その内容を振り返ってみます。

 

・「Sleeping Beauty」:

ライヴ当日事前に3Dスキャンしたファン(観客)の3DモデルとPerfumeが共演します。「虚」と「実」の連動、横断の中に、「Perfumeはファンのあなたたちでできている」というのちに「We Are Perfume」として表されるメッセージが内包されています。

 

・「Party Maker」:

edge」「Perfumeの掟2010」などの発展版で、虚構(映像)のPerfumeと現実のPerfumeが巨大機構(リアルな舞台装置)を介して共演。「Sleeping Beauty」で展開したモデリングのモチーフとも連動していて、フロアを盛り上げつつ続く「Spending All My Time」につなげる役割を果たしています。

 

・「Spending All My Time」:

カンヌとWT2で行った人体プロジェクション&トラッキングマッピングの完成形。リアルなPerfumeが暗転とプロジェクションによって「データ化」される(ように見える、「見立て」)。この「データ化」には「Sleeping Beauty」で展開されていた「Perfume=ファンの想いの集積」というモチーフも組み込まれています。そのような「ファンの想いが集積された“データとしてのPerfume”」と「リアルのPerfume」が暗転+プロジェクションとライトアップを繰り返しながら入れ替わり立ち替わり現れることで観客の認識を直接的に揺らします(そこにいるのは「虚」のPerfumeなのか?「実」のPerfumeなのか?)

 

「観客というデータによって構成されているPerfume」と「目の前で踊るリアルなPerfume」、その2つの感覚がここでは分かちがたく融合している。「どちらか」ではなく、その「融合自体」がPerfumeと観客にとっての「本物」である。一連のパフォーマンスには、そんな主題が表現されていたように思います。これを虚実皮膜という考え方に落とし込むと・・・「虚と実の境目に真理がある」という虚実皮膜の真髄が「PerfumePerfumeを愛する者たちは、がっちりつながっている(一心同体である=WE ARE Perfume)」というポジティブなメッセージとして具現化されている、と言えます。しかも、楽曲は「私の時をすべて(この愛に)捧げる」と連呼し続ける「Spending All My Time」。エンターティンメントとしても極めて上質で、かつ感動的なパフォーマンスであるという以外に言葉が見つかりません。

 

私見では、PerfumeMIKIKO先生が追求してきた「虚実皮膜」コンセプトが現在のところ最も鮮やかに表現されたのがこの一連の流れだと思います。

 

 
 

■「Spending All My Time」以後、そして……

 

2013年以降、Perfumeの表現は試行錯誤の時期に入っているというのがぼくの認識です。けれども、時に踊り場感が生じても、『LEVEL3』のドームツアーにおけるパフォーマンスで明確な焦点を結んだ「虚実皮膜」の追求という部分に関しての揺らぎは全くありません。2015年のドキュメンタリー映画において「We Are Perfume」と改めて言語化されるようになる本質、もっと具体的に言うと「虚(テクノロジーを駆使した演出によって視覚的に映し出されるPerfumeの映像)」と「実(リアルな3人の存在)」の間に現れる、「ファンと一体化した存在としてのPerfumeというグループのあり方」を、より効果的に、より普遍的に、そしてより具体的に表現するにはどうすればよいか。チームPerfumeはその一点に向かってますます邁進しているように思えます。

 

例えば、3569。アウトプットとしてはアナログな方法ですが、観客との感情面での一体化をよりダイレクトな形で狙える試みです。

例えば、セントラルステージの試み。観客との距離感を可能な限り狭めるだけでなく、以前レジーさんのブログで言及させていただいたように、Perfumeと観客を一体化させる視覚的な工夫が盛り込みやすい形式でもあります。

 

2016年のMステと紅白で導入されたDynamic Virtual Display(ダイナミックVR)は、それらの試みにおける現時点での最新のものです。この技術は、昨今ホットなテーマである「裸眼立体視」に関連するものと思われます。「裸眼立体視」とは、特別なバイザーなどをつけない状態(=裸眼)で現実空間(「実」)にバーチャルな立体空間(「虚」)が重ね合わさっているのを視認できるというものです。ここまでの仮説を踏まえると、この技術が内包する方向性自体がPerfumeの実現してきた「虚実皮膜」のコンセプトとダイレクトに合致しているということがわかると思います。

 

2016年に使われたDynamic Virtual Display技術が今後のライブでそのまま用いられることはおそらくないはず(より精度の高い新たな技術を採用していくはず)ですが、確実に言えるのは「様々なチャレンジによって表現されてきたPerfumeの「虚実皮膜」というコンセプトはこの先ますますダイレクトに、すべてがワンセットで表現されるような形で追求されていくのではないか」ということです。

 

それはつまり、

We Are Perfume」というメッセージがさらに直感的、実感を伴う形で表現されていくということ。

まどろっこしい(とあえて書きますが)「見立て」などを介さなくても、Perfume3人が表現する愛や幸福感を共有する視野を誰しもが獲得できるようになるということです。

 

それは、人間がテクノロジーを通じて表現しうるヴィジョンとして最大限にポジティブなものと言えるはずですし、「テクノロジーがディストピアを生むのではなく、人間の愛を増幅するための大事な装置になる」という本来目指すべき世界のあり方を考えるための素材としてPerfumeほど相応しい存在はないのではないかと思えます。

 

ブレイク時から、Perfumeは「真のアイドル」「アイドルの意味を更新する存在」といったワーディングで語られてきました。もし、ここに記した方向性が突き詰められるのであれば、彼女たちはそれらの言葉に託されていた夢を誰も想像しなかったようなレベルで具現化することになるでしょう。

 

未だ実現性のあやふやなマディソン・スクエア・ガーデンが、その歴史的な現場となるのでしょうか?



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④レジー→五百蔵

 

五百蔵さん、面白い投げかけありがとうございました。なるほど、虚実皮膜・・・

この言葉、とてもいいですね。Perfumeのここ最近の活動、もしくはこのグループおよびチームが本質的な部分で成し遂げようとしていることが凝縮された言葉のように思います。

 

この往復書簡の最初でも触れましたが、Perfumeの活動、特にライブについて「最先端の演出が惜しげもなく投入される」という側面を強調する言説が最近とみに増えているように思います。そういった観点からPerfumeに興味を持ってくれる人がいるのは良いことだと思う反面、「それだけではないのでは?」ともやっとすることもあります。

 

単にテクノロジー的に新しいことをやりたい、というような動機がPerfumeのステージングを駆動しているわけではないというのは『美術手帖』に掲載されていたMIKIKO先生のコメントからもよくわかります。



---MIKIKO
さんは今後もライゾマティクスと組んで作品をつくり続けるのだろうと思いますが、その共同作業によってMIKIKOさんが表現したいことは?

 

「見てくれた人に「テクノロジーも人が動かしているんだ」ということを感じ取って帰ってもらいたいです。Perfumeもイレブンプレイも、ライゾマティクスのテクノロジーと表に立っているキャストがぴったりと噛み合った瞬間に、テクノロジーを動かしている人たちの人間味を強烈に感じられることがあるんです。プログラムを組んだ人も、照明をつくった人も、ドローンを開発した人も全部人間なんだよ、っていう圧倒的な凄みを感じてもらえるような演出をしたいなと思っています」

 

「テクノロジー」に宿る「人間味」。

MIKIKO先生の演出スタイルが「人間中心」というのはリオ五輪のショーでも良く表現されていたと思います。人間の素晴らしさ、生命の美しさをテクノロジーによって増幅させていく。そこに、まだ誰も体験したことのない世界がある。こんなテーゼを体現しようとしているのが演出家・MIKIKOであり、Perfumeのステージにもそういった考え方は色濃く流れているように感じます(「3569」なんかはまさにそんな思想が体現されたもののように思います)。

 

MIKIKO先生がライゾマティクスと組むようになったきっかけについても、この考え方と合致しています。同じく『美術手帖』のインタビューから引用します。

 

「ライゾマティクスと初めて組んだのは、Perfume2010年に初めて東京ドームで公演したときなのですが、それまでは私自身メディア・アートを深く理解できていなくて、中田ヤスタカさんの音楽に彼女たちの人形っぽいダンス、さらに上乗せするようにテクノロジーを使うと、ベタ過ぎる表現になってしまうのではないか?と遠ざけていたところもあったんです。でもライゾマティクスは、人間とテクノロジーのインタラクションに重点を置く作風なので、彼らが提案するような使い方だったらPerfumeにも合うなと思いました」

 

「人間とテクノロジーのインタラクション」というのはまさしく今のPerfumeをバシッと言い表した表現のように思います。そして、この考え方に対してPerfume3人も置いてきぼりになっているわけではありません。2013年にNHKで放送された「MJ Presents Perfume×Technology」(これ、今のタイミングでもう一回この切り口でやってほしいですね。かしゆかがいつも以上に積極的に発言していたのが印象的でした)では、のっちのこんなコメントがありました。

 

「私たち、何かに「はめていく」作業がすごく好きで燃えるんですよ。3人だけで「このバランス、かっこいい!」とかも好きなんですけど、自分の感覚じゃなくて、もうちょっと左に寄せた方がテクノロジー的なものに沿えるんであれば・・・みたいな。テクノロジーに寄っていく、はめていくのがすごく楽しいです」

 

MIKIKO先生、ライゾマティクスの面々、そしてPerfume3人がビジョンを共有し、Perfumeの身体性とライゾマティクスのテクノロジーがそのビジョン、つまり「テクノロジーと人間味の先にある新しい世界」を具現化する。こんな壮大な取り組みが行われているのがPerfumeのライブ、ということですよね。

 

一点思ったのは、この方向性はチームPerfumeにライゾマティクスが加わる前からグループのコンセプトとして存在していたのではないかということです。メジャーデビュー3部作に「未来都市」的なモチーフが使われ、「コンピューターシティ」では「ロボットが感情を持ってしまう」というようなメタファーが用いられていました。この曲がリリースされた時点でPerfumeに「虚実皮膜」を感じさせるライブ演出は施されていませんでしたが、中田ヤスタカが表現する世界にはすでに「テクノロジーと人間味」というテーマが描かれていた、とも言えるのではないでしょうか。大人の酔狂から始まった「アイドルにテクノを歌わせる」というコンセプトに、中田ヤスタカは「テクノロジーと人間味の間に生まれる新しい何か」を忍ばせた。その楽曲こそ、Perfume3人に「自分たちはこの路線でいくんだ」という覚悟を決めさせた楽曲であり、さらには武道館公演の冒頭でMIKIKOワールド全開の演出を呼び込む楽曲にもなったと。こう考えると、Perfumeというプロジェクトのすべての基点はやはり中田ヤスタカの楽曲である、というのが改めて浮き彫りになるような気がします。前回の連載での五百蔵さんから「ツアーではこの曲のアウトロで観客にシンガロングを求めるのが定番になっていますが、「最後はトラックを落として観客とPerfumeの歌だけが響く」というふうにまとめれば演出としてはより効果的なはずなのに、それをしませんね。これって、「中田ヤスタカの音もWe are Perfumeなんだ、だからそこだけ落としたりはしない」という意思なんでしょうか。」という質問について、実はこれまであまり考えたことがなかったのですが、「Perfumeのコンセプトのコアになっている中田ヤスタカの音をカットしてしまったらそれはPerfumeではない」という思いは確かにあるのかもしれないなと思いました(このあたりは、同じく『美術手帖』で真鍋さんがコメントしていた「Perfumeのプロジェクトは必ず音楽が一番最初にくる」というような話ともつながってくるのかもしれません)。

 

 

さて、個人的に興味があるのはこの「虚実皮膜」の行き着く先です。もちろん視覚的な側面に対する「虚と実の先にある価値の提示」については、ご指摘いただいたダイナミックVRの次世代、次々世代の技術によってさらに実現されていくのではないかと思います。ただ、僕が妄想してしまうのは、より概念としての「虚と実」の壁を超えていく、というような話です。

 

COSMIC EXPLORER LIVE REPORT』における真鍋さんのコメントに、気になる表現がありました。

 

「いつでも同じ角度で、同じ位置で踊れるのも、彼女たちならではの高度なスキル。それがあるから、映像との面白いコラボも出来るわけです。未来永劫変わらないデジタル・データとPerfumeは、実に相性が良い。対照的に、トークが毎回違うのも、僕の密かな楽しみです」

 

「トークが楽しみ」というのはチームメンバーでありながらPerfumeファンでもある真鍋さんらしい発言ですし、「いつでも同じ角度で、同じ位置で踊れる」というのも凄まじい話だなと思いますが、それ以上にはっとしたのは「未来永劫変わらないデジタル・データとPerfumeは、実に相性が良い」という部分です。

 

五百蔵さんからもあったように、彼女たちを説明する際の表現として「アイドルの意味を更新する存在」というワードがありますよね。ここに引きつけて考えると、「デジタル・データ」という媒介を通じて「Perfume(=アイドルグループのひとつ)」と「未来永劫」という言葉が並んでいること自体に「新しいアイドルのあり方」が表れているような気がします。よく「アイドルとは終わりを楽しむ芸能だ」なんて言われ方もしますが、「アイドル」と「ずっと変わらない」というような言葉は本来ならば収まりの悪い食い合わせのはず。それなのに、妙にしっくりきてしまう。

 

地方アイドル的な出自を持ちながら活動の幅をどんどん広げ、「アイドル」の括りには収まりきれない新たな存在(これも「アイドル/アーティスト」論にあてはめると「虚実皮膜」の現出の一つと言えるでしょうか)としての立ち位置を築きつつあるPerfume。この先、それこそ30代になっても40代になっても活動し続けることで、「アイドルの意味を更新」していってくれる可能性はあると思います。ただ、それでも人間である以上いつかは命が尽きるわけで、そのときには間違いなくグループの存続は不可能になります。ここから話が飛躍しますが、僕が彼女たちにぜひ実現してほしいのは、この「不可能」すら超えていってしまう、ということです。

 

モーションキャプチャーを駆使した彼女たちの動きのデータ化であったり、それをリアルに出力する映像システムであったり、シンギュラリティによって生まれるであろう「新しい生命」としてのAIであったり・・・こんなものが合わさった時に、Perfumeというグループは「ひととしての命が途絶えても、未来永劫続いていくグループ」になれるのではないか。人間は必ず死ぬのであれば、今生きている世界自体が「虚」であり、誰にでも必ず訪れる死というものこそが「実」と言えるのかもしれません。その「虚」と「実」の間にある、もしくはその2つを止揚する新しい概念を生み出すグループとして、Perfumeは適任であるように思います。荒唐無稽な話ではありますが、ライゾマティクスはシンギュラリティ時代の音楽のあり方を考える2045」というプロジェクトを始動しています。ぜひともそのあたりの知見も活かしながら、「永遠に続くアイドル」としてのPerfumeを作り出すための準備を始めてほしいところです。

 

 

というわけでだいぶ話が大きなところまで来てしまいましたが、ぼちぼちこの連載のまとめに入っていきたいと思います。次回が最終回ということで、この先のPerfumeの展望(2045年とかそういう話ではなくて、近い将来について)について意見交換させていただいて本連載の締めとさせていただければ。 


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司会者「4回目は以上になります。だいぶ壮大な話になりましたね」

レジー「夢物語的な話ではありますが、こういうスケールのグループだということが伝わればいいなと。次回は最終回です。で、これからどうするよPerfume?という話でまとめられればと思います。しばしお待ちください」

司会者「できるだけ早めの更新を期待しています」