レジーのブログ LDB

「歌は世につれ、世は歌につれ」でもなくなってきた時代に。  ※15/4/23 世の中の状況を鑑みてfc2からこちらに移しました

ご連絡はレジーのポータルの「contact」よりどうぞ。(ブログ外の活動もまとめてあります)

2013年04月

tofubeatsと街と女の子の絶妙な関係

レジー「話題のtofubeats『lost decade』を聴きました」



司会者「初めてのフルアルバムということで」

レジー「これまでちゃんと追ってたわけじゃないんだけどね」

司会者「『水星』聴いたのずいぶん遅かったですしね」



レジー「うん。個人的にはtengal6の『プチャヘンザ!』のイメージが強い」



司会者「今ではlyrical schoolに名前が変わってますが、新曲の『PARADE』もtofubeats作ですね」



レジー「これもいい曲だわ。ほんといい仕事してるよねこの人。あとdancinthruthenightsで出してる『ダンシンスルーザナイト』は今年の1Qで一番聴いた曲の一つです」



司会者「クオリティ高い曲を量産してるわけですが、アルバムはどうでしたか」

レジー「いやーすごい良かったよ。かなりフィットしました」

司会者「発売前には全曲試聴という取り組みをしていましたね。今でも公式サイトで全て聴けます

レジー「すごく今時っぽい取り組みですよね。隠すのではなく公開してバズを作ると。いろんな媒体で増殖していく感じがなんかかっこいいです」

司会者「「フリー音源を使ってマネタイズにつなげる」って話の一つの成功ケースとなりそうですね」

レジー「うん。で、肝心の音の方ですが、一言で言うと「タイムレス」だなあと思いました。直近のクイックジャパンで磯部涼さんが書いていることがまさにその通りだなあと」



TSUTAYAやBOOKOFFに並ぶJ-POPと、チル・ウェイブやトラップといったネットのモードを掛け合わせたような『lost decade』は、二〇一三年のリアリティを表現したポップ・ミュージックだ。

司会者「なるほど」

レジー「この前たにみやんさんも書いてたけど、2曲目の『SO WHAT!? feat. 仮谷せいら』とかドリカム?って感じだもんね。一番気に入ってるのは11曲目の『No.1 feat. G.RINA』です。これはやばい」



司会者「素敵」

レジー「この手のやつ弱いんだよね。僕Steady&Co.の『Only Holy Story』が大好きなんですが、それに近いムードを感じました」



司会者「この『No.1』は元々はご本人が歌ってたのを女性ボーカルで録りなおしたもののようですね」

レジー「最初のも良かったけど僕は今回のバージョンの方が断然好きですね。他の曲も含めてほんとお勧めのアルバムなので、まだの人はぜひ聴いてみてください」

司会者「わかりました。『lost decade』最高!ということで今回はもう終わってしまっていいですか」

レジー「まあまあ、ちょっと待ってくださいよ。もちろんこのアルバム素晴らしいですよ、ってのが今回の趣旨ではあるんですけど、関連して2つほどお話しさせていただきたいなと。「街」に関する話と「女の子」に関する話です」

司会者「はい」

レジー「まず「街」についてなんですけど。tofubeatsを語るにあたって外せないものとして、『水星』リリース時に磯部涼さんがエレキングに書いたレビューがあります」

司会者「シティポップ全般の歴史を総括したうえで、『水星』を「2012年を代表するシティ・ポップ・ソング」として位置づけています」

レジー「このレビューちょっと長いけどめちゃくちゃ面白いので、未読の方はぜひ読んでみてください。で、その中でこんなことが書かれています」

言わば、シティ・ポップとは、現実の都市に居ながら、架空の都市を夢見る音楽である。
(中略)
そして、公園通りが生まれて40年が経った。道沿いの〈PARCO PART2〉は、もう随分と長い間、廃墟のまま放置されている。いまの都市が夢の残骸なのだとしたら、そこに、プロジェクションマッピングさながら、架空の都市を投射する音楽。そんな、2012年を代表するシティ・ポップ・ソング――新しい"DOWN TOWN"が、"水星"だ。


司会者「なるほど。一方で、磯部さんのレビューでも触れられていますが、tofubeats自身は「都市」よりも「郊外」の文化の中で育ってますよね。いろいろな情報が雑然とあるがゆえに刺激的、という文脈ではなく、ある種漂白されたエリアが出自です」

レジー「僕これ読んで思ったんですけど、の子もこういうニュータウンの出身ですよね」

司会者「あー」

レジー「で、2人とも同じような形で音楽の洗礼を受けています。こちらは磯部さんのクイックジャパンの記事からの引用です」

そんな無機質な閉じた世界の中で、唯一の外に開かれたドアが、他でもない、TSUTAYAだった。
(中略)
“駅前TSUTAYAさんで、”神聖かまってちゃんがビートルズとセックス・ピストルズに出会ったように、tofubeatsはクラブミュージックと出会ったのだ。


司会者「「ファスト風土化」の象徴的な悪例として取り上げられがちな郊外の大型レンタルショップが、後にシーンに衝撃を与える才能が覚醒するきっかけを作ったと」

レジー「ここについては先日スタジオボイスにアップされていたレビューにもそんなことが書かれていました」

彼が学生時代に影響を受けた音楽がHIPHOPであったことも影響したのだろう、郊外のTSUTAYAやBOOKOFFを文化民度の貧しさの象徴としてではなく、手軽で巨大なアーカイヴとして機能させているように思う。

司会者「ちなみにこの記事を書いた本橋優輝さんは弊ブログ読んでくださってるとのこと」

レジー「ありがとうございます。引用させていただきました」

司会者「「文化民度の貧しさの象徴としてではなく、手軽で巨大なアーカイヴとして」って面白いですね」

レジー「うん。よくブックオフに対して「本当に価値のある本もクソみたいな本も全部100円売ってる。バカなんじゃないのかあいつら」みたいな批判ってあると思うんですけど、そういう状況を逆手にとってフラットな視点でいろいろな情報を摂取している人たちがすでにシーンの最前線に登場しているっていう事実は直視するべきだと思います」

司会者「そう考えると、ブックオフとかツタヤの店頭ってある意味では昨今のネット空間を先取りしてたのかもしれないですね」

レジー「確かに。で、このあたりの「目の前にある景色の読み替え」という話を踏まえて冒頭で紹介した磯部さんのシティポップに関する定義、「現実の都市に居ながら、架空の都市を夢見る/架空の都市を照射する」っていう話を結び付けたいんですけど」

司会者「これって、先日『エイリアンズ』についての記事で書いた「拡張現実」の話とぴったり重なりますね」

レジー「そうなんですよ。この切り口で見ると、『水星』が2012年を象徴する曲になったことにも納得がいきます。「ここではない、どこか」ではなく「いま、ここ」を書き換える想像力。このリリックが象徴的です」

i-pod i-phoneから流れ出た 
データの束いつもかかえてれば
ほんの少しは最先端 
街のざわめきさえもとりこんだ


司会者「膨大なアーカイブに接続する端末があって、それが現実=街のざわめきと重なり合ったときに「ほんの少しは最先端」になると。現実から完全に切り離されるわけではないんですよね」

レジー「そうですね。このあたりの感覚がすごく今の時代のムードにマッチしているよなあというのが1つ目の「街」に関する話です」

司会者「わかりました。では2つ目の「女の子」に関する話をどうぞ」

レジー「はい。今回のアルバム全体的にすごく良かったんだけど、個人的には女性ボーカル曲の方が良いなと思ったんですよね。最初にあげた2曲、あと実質的なラスト曲の南波志帆さんの曲。てか仮谷せいらさんの声って自分の中で結構理想的ですね女性ボーカルとして。あれくらいの力の入り具合の歌が好きです」

司会者「『水星』も仮谷せいらさんバージョンがあります」



レジー「実はこっちの方が好きなんだよね。サビの高音でちょっと苦しげになる感じがまた良いんだな」

司会者「記事の最初でtengal6/lyrical schoolについて触れましたが、女性アイドルへの曲提供も積極的ですね」

レジー「そうですね。最近だと9nine『CUE』に収録されてる『CANDY』という曲がtofubeats作詞作曲なんですが、最近僕これ聴きまくってます」





司会者「サビのフレーズが印象的ですね」

ca-ca-candy なめたら 気になる男子とdancin’ dancin’
lo-lo-love you 止めれない感情は 君にあげる あげる


レジー「ここもそうなんですけど、女の子を絶妙に美化する視点があるよね。歌詞の全体から通底する、「恥ずかしがり屋なんだけど積極的」みたいな感じね。なんとなく派手な顔じゃないんだけど実は結構可愛くて、真面目なグループの中で相対的に見るとちょっと派手、くらいのバランスがイメージじゃなかろうか」

司会者「それは単に自分の好みでは」

レジー「こんな女の子いるのかなあ。非モテ男子の願望の表出ですな」

司会者「なんて失礼な」

レジー「いや、これ僕超共感するんですよ。tofubeats自身がザ・インタビューズで「なんでアイドル好きなの?」って質問に答えてて、これ超名文だと思うんですけど、その中にこんなことが書かれております。ちょっと長いですが引用します」

先ほども言ったが僕は中高6年間男子校に通っていた。だからまさにアイドルと呼ばれているような年の女の子が何を考えて、どこで大人になっていくのかが全然わからない。今でも。もしかしたら世の中に僕らの思っている純粋な女の子は存在しないのかもしれない。今こうして原稿を書いているマクドナルドで僕のまわりにいるのはガラの悪い、けどまさにアイドルと同い年くらいの高校生の集団で、携帯のスピーカーでAKB48のヘビーローテーションを流してぎゃーぎゃー騒ぎながら誰とセックスしただのいう話をしている。椅子あるのに地べたに座ってる。こんなんでええんかこいつらは。しかもこんな高校生ってそこらへんによくおるし、僕にとって少女から女性への転換期はブラックボックスで、大学に入学したらそこに少女は居なかった。大学で聞く話も"あの女は云々"みたいな話ばっかりになってしまったと思う。正直言って僕もいつか変わってしまうのかは知らないがこういう状況をあまり楽しめる方ではない。

 あの日女の子とうまくしゃべれなかったから、何も女の子のことを知らなかったからぼくはアイドルのことを信じたい。そういう立場で居たい。少し大げさな言い方になってしまうがいつまでたってもアイドルは希望だ。僕らとは違って素敵な女の子にはちゃんと素敵に育って欲しい。少なくとも僕はそう思う。


司会者「少女から女性への転換期はブラックボックス、ですか」

レジー「わかるわーこれ」

司会者「中高6年間男子校ですからね」

レジー「うん。僕は妹いたのでまだマシなのかもしれないけど、やっぱりどうしても知らないがゆえに美化する視点は入ってきちゃうよね。何だかんだで当時は女の子と接すること自体がイベントになってたから。よその女子校の子とカラオケ行ってマック行ってプリクラ撮るだけで大騒ぎですよ」

司会者「そういう環境の中で「初めてPerfumeと握手して人生が変わった」って話もこの中に出てきますよね」

レジー「なんか男子校でかつ派手に遊んでない界隈にいると、とりあえず会った女の子を好きにならなきゃいかんみたいな錯覚に陥ることがあったんだよね。自分も友人もふられたとかどうしたとかやってた気がするんだが、今考えてみると別に好きでもなかったようなケースもあるんだよな」

司会者「はあ」

レジー「そんな状況で握手会なんて行ったら完全に人生ひっくり返るだろうなあという想像はつきます。で、女の子に対してそういう距離感を持っている人だからこそ、tofubeatsの女性ボーカル曲は絶妙にロマンチックだし切ないんじゃないかなあと思いました。というのが2つ目の話でした」

司会者「わかりました。ではぼちぼちまとめに入りたいんですが、『lost decade』を起点に「街」「女の子」という切り口でtofubeatsの話をしてきました」

レジー「はい。街の景色を読み替える話とか、女の子をちょっとだけ美化して描く感じとか、tofubeatsの作る音楽は「リアル」と「ファンタジー」の狭間にある絶妙ないいところにぴったりはまるなあと思ってます。すごく地に足が着いてるんだけど、決して退屈なわけではない」

司会者「地元の神戸を拠点にして活動してるのにもその辺のスタンスが表れてますよね」

レジー「うん。今年聴くことにすごく意味があるタイプのアルバムだと思うので、まだ聴いてない方はぜひ聴いてみてください。あと気になったのは「ブックオフやツタヤを膨大なアーカイブとして捉え直す」って話なんですけど。ジャンク棚の中に面白いものがあるよなあってのはたまにブックオフ行くときに思ったりすることで。ちょっとこの前ツイッターでそれに類するような会話をしたので、次回できるかわからないけどそういう観点からJ-POPを振り返るみたいな企画をやってみたいと思ってます」

司会者「わかりました。できるだけ早めの更新を期待しています」

カバー駄話 感想戦 -- 「ストーリー」「必然性」「文脈」は必要?不要?

司会者「3つ前のエントリーになりますが、先月末にアップした「カバー駄話 -- 小沢健二と「生と死」、『エイリアンズ』と「拡張現実」」についていろいろと反響があったようです」

レジー「結構拡散されたみたいだよね。比較的さくっと書いた記事だったので予想外でした」

司会者「念のため、記事の結論部分を再掲しておきましょう」

結局「いいカバーか否か」ってのはこの「必然性」の部分に尽きると思うんですよ。もちろん「素朴にいい歌」とか「原曲に自分たちの個性を注ぐ」とかそういうのは前提条件ですよ。この「必然性」ってのにも2種類あって、「この人がこの曲をカバーする必然性」って話と「この時代にこの曲をカバーする必然性」って話。

レジー「で、今回はこの記事の反響についてやりたいんですけど。トラックバックを1ついただいたので最初にそれを紹介したいなと」

司会者「「After~小田和正さん・鈴木康博さんのライブレポを中心に~」にて、『エイリアンズ』を小田和正さん・鈴木康博さんのお2人、つまりオフコースのメンバーがそれぞれカバーしてる旨について書かれています」



レジー「こっちのバージョンも渋くていいね。で、次にこれは直接ブログと関係する話ではないんですが、『エイリアンズ』のこんなカバーがいいタイミングでTL上に回ってきたのでご紹介。所沢の女子高生だそうです」



司会者「これすごくないですか」

レジー「感激しました。他の音源もあるんだけど素晴らしいよ。大人っぽいと思いきや少女っぽくなったり、ギター一本と歌で全く飽きない。表現力がすごい。弾き語りしてる選曲を見てる限りでは『エイリアンズ』も「自分が好きで歌いたい曲の1つ」ってことなんだと思うけど、ちょうどああいうエントリーを書いたばっかりだったのでいろいろ深読みしてしまいました」

司会者「所沢ってのも曲の世界観にあってますね。続いて、ブログの趣旨に関する反響を2つ紹介したいと思います。1つ目が「pitti blog」の「ロックフェスのストーリー性について」という記事です。「TOKYO ROCKSのチケットを買わなかった理由」というエントリーで展開される「それぞれのロックフェスに通底するストーリー」という話に違和感を表明したうえで、こんなことが書かれています」

先日のレジーさんの「カバー駄話」を読んだ時もそう思ったのですが、音楽にストーリー性を求める時代はいいかげん終わりを迎えつつある気がします。もちろんRSRにPerfumeが出た事が事件になったのは、今までRSRに確固たる物語があったからですが、大した事件にもならずスガシカオやBEGIN、山下達郎、ONE OK ROCK、Superflyが出演するなんて、いい時代だと思いますよ。僕が高校生の頃のRSRは当時知らないバンドばかりだったし。

というわけで、JA岩見沢ことJOIN ALIVEにでんぱ組.incが決定した事も、「普通だなあ」と思いました。


レジー「山下達郎のライジング出演は大事件になってたと思うけどとりあえずそこは置いておきますか」

司会者「はい。で、2つ目が「いちにちいちにちざっかん」の「カバーと歌い手」という記事で、ニコニコ界隈の歌い手文化について話を展開しています」

レジー「この前の記事を書いたときに「歌い手」については頭の片隅にもなかったので、こういう形で補強いただけるのはありがたいです。この記事では、「アクセス至上主義」でとりあえず有名Pの曲を歌う人たちへの違和感を、先ほど再掲した「その人の必然性」「時代の必然性」という考え方を援用して説明しています」

「人気取れそうだから速攻で歌う」というすげー短絡的な理由で歌ってみた(≒カバー)をしてるんで、どっちにも当てはまらない。
 しいて言うならば曲に愛がない。行動にも愛がない。モテたいからバンドを組みたいレベルの発想。だからイマイチ今の歌い手文化が好きになれないのかなと思ってしまった。あまりにも原曲への愛が見えなさすぎて。


司会者「ふむ」

レジー「これについてはすごく共感するのですが、気になったのはこの記事についてたコメントです」

でもボカロっていくら調教良くてもやっぱり人間の声とは決定的に違って聴こえるから、「人間の声で聴きたい」というニーズは根強くあるんじゃないでしょうか。
つまり「人間が歌う」というだけでもう「必然性」は満たされていて、あとは歌が上手ければ誰でもいいのかも。
実際のリスナーの価値観は、引用されているブログの主張とは全く相容れないんでしょうね。


司会者「「実際のリスナー」がどういう人を指してるのかはわかりませんが、この前の記事で書いた内容とは真っ向から対立しますね。楽曲や演奏者を取り巻く必然性というものは別に関係ないんじゃないの?という主張です」

レジー「こんなふうに、もはや「必然性」とか「ストーリー」とかいらないんじゃね?って話が出てきているわけですね」

司会者「そういう感じが支配的になってるんですかね」

レジー「まあ実際そういう部分はあるんだろうね。で、「ロックフェスのストーリー性について」「カバーと歌い手」それぞれの反応に関する話をしていきたいんですけど」

司会者「はい」

レジー「まずは「ロックフェスのストーリー性について」の方から。この記事ではPerfumeやでんぱ組、つまりアイドルに関する話が出てきています。こういう「旧来の価値観ではロックフェスのストーリーにそぐわない人たち」が普通にフェスに出てることから「フェスのストーリーとかそういうのではなくて、もっとフラットに楽しもう」みたいなメッセージが根底にあるのかと思ったんですけど」

司会者「直近のももクロがオズフェストに出るって話もここに包含できるかもしれないですね」

レジー「うん。で、ここで僕が指摘したいのは、このあたりの出来事って「アイドルのストーリーがフェスのストーリーを凌駕してる」って話であって、「「ストーリー」「文脈」が不要になってきてる」ってことじゃないのでは?いうことです」

司会者「なくなるのではなく主体が移ってきてると」

レジー「結局昨今のアイドルブーム自体が「ストーリーをめぐる争い」になってると思うんですよね。どうも僕自身ももクロにもでんぱ組にも乗れないんだけど、その理由ってたぶん「ストーリーをめぐる争いにおける戦い方があざとすぎる」からなんですよ。ももクロがやってることって、オズフェストの件に限らず一言で言うと炎上マーケティングでしょ。僕的にはAKBよりはるかに戦略的で計算されてるように思える。でんぱ組も『W.W.D』で一気に火がついた感じだけど、あれって要はJAPANの20000字インタビューとやってること同じじゃないですか。自意識語りをうまいことツールとして使ってて、そういうのを「ロック!」と思う人たちが反応してるようにしか見えないんですよね。どっちも遠巻きに見てるだけだから印象論でしかないんだけど」



司会者「あーなるほど。一方で、この手のストーリーが提示できないアイドルは苦しくなってると。女子流とかトマパイみたいに」

レジー「そう思います。ちょっと話それましたけど、今アイドルは「ストーリー合戦」になってて、逆にロックフェスはコモディティ化してストーリーの発信なんてできなくなっちゃったから、強いストーリーを持ってるアイドルと共同戦線を張ってるってのが実態かなと。こういう観点で見ると、「音楽にストーリー性を求める時代」ってのは全然終わってない。むしろもっと刺激の強いストーリーが求められる時代になってて、だからこそアイドルが強くて、「自分たちが好きなことを淡々とやればいい」みたいな風潮の強いロックシーンは世の中的に見えてこない、って構造になってるんじゃないのかな、というのが1つ目の話」

司会者「一個気になるのは、そういう「ストーリー」ありきの楽しみ方をしてるのが世代が上めの人なんじゃないかってことですよね。この手の話をしてくと「おっさんの戯言でしょ」になるリスクがあります」

レジー「そうね。そこはもっと言うと、「アイドル戦国時代とか言うけど、積極的に受容してるのっておっさんだけじゃないの?」みたいな話につながってくるわな」

司会者「確かに」

レジー「ここはそのうち改めて考えたいと思ってます。で、次にもう一つの記事、「カバーと歌い手」についてなんですけど」

司会者「「今時のリスナー」は「ストーリー」とか「文脈」とかもはや関係ない、って話はいろんなところで出てきますよね」

レジー「そうね。以前書いた洋楽離れの記事で教養主義の崩壊って話をしましたけど、要は「これ聴いてるならこれも聴くべき」みたいな話が鬱陶しいってことでしょ。俺/私が好きなの聴いてるのに何がいけないの?と」

司会者「その考え方そのものは全く間違ってないですしね」

レジー「うん。で、たぶんこの感じは音楽だけの話ではなくて。何日か前に「オタクにとっての「教養」は崩壊した。次は「常識」がなくなるだろう。」って文章が話題になっててあーどのジャンルでもそうなんだろうなーと思いました。課金しないと途中までしか読めないんですけど、印象的な部分はこの辺」

昨日のラジオでも少し話したんですが、オタクにとっての「常識」というものが急速に崩壊しつつあるようです。「あの作品を読んでいないのはオタクとしてダメだよねー」みたいなオタク教養主義はとっくに崩壊したけれど、教養なんてものじゃない「これはさすがに読んでいるだろう」みたいな作品でも、「存在すら知りません」ということがありえるようになった。

 ぼくはそれを非難するつもりはないけれど、やっぱりね、もったいないとは思う。


司会者「この手の話は結構盛り上がってるみたいですね。「オタク 教養」でググるといろんな話が出てきます」

レジー「世の中全体の流れなんだなあと。で、最近友人から勧められてチャールズ・テイラーの『<ほんもの>という倫理 近代とその不安』という本を読んだんですけど」



司会者「1991年の本で、翻訳出版されたのが2004年。少し前の本ですね」

レジー「「自分探し」問題の結構本質的な話が書かれているように思えたのでちゃんと再読したいんですけど、冒頭で定義されている「三つの不安」ってのがすごく印象に残ってまして」

さて以上が、わたしが本書でとりくもうとする三つの不安です。まず第一に、いわゆる意味喪失についての危惧が、いいかえれば、道徳の地平が消失することについての危惧があります。第二の危惧は、わがもの顔の道具的理性を前にして、目的が侵食されてゆくことへの危惧です。そして第三には、自由の喪失をめぐる危惧があります。

司会者「個人のナルシシズムが横行すること、ありとあらゆるものが効率や合理性に回収されること、その2つの帰結として実は個人の自由が失われてしまうこと、というのが含意ですね」

レジー「この辺の話って、今回書いたこととか最近の日本の音楽を取り巻く状況をうまく言い表してる気がして。「(文脈とかどうでもいいから)自分が好きなものを聴きたい」って話と「盛り上がれればOK!(そういう機能的な音楽を聴きたい)」な空気、「アクセス重視!」の歌い手の人たち、なんかそういうものがごった煮になった結果、「ネット上に無限の音楽空間が広がってる、自由に音楽が聴ける!」とか言いつつ実際にはものすごーく狭い範囲で音楽を聴いている、でもそれを「自由」だと思っているみたいな」

司会者「あー」

レジー「そりゃストーリーとか言われてもピンとこないわな。むしろ「自分の選択の自由を阻害するもの」みたいに思われるんじゃないかな。何かこの「自分で決めることへの絶対的な信仰、強迫観念」みたいなのって普段生活してても感じることあるよね。『ブラック企業』の著者である今野晴貴さんが以前こんなことツイートしてたんですけど」






司会者「「自分らしさ」は全ての概念に勝つと」

レジー「それがほんとにいい世の中とはあんまり思わないけど、そういう風潮がエンターテイメントと接する際の姿勢にも反映されてるんだろうなあとか思いました」

司会者「なるほど。ぼちぼちまとめに入りたいと思いますが、先日の記事への反響から、

・なんだかんだで音楽におけるストーリーみたいな話は求められている、でもそれを強く発信できる主体が変わりつつある
・自分が聴きたいものを聴けば良いからストーリーなんて関係ないという空気は、世の中全体の大きな風潮とつながっているのでは


という話をしてきました。この2つってなんだか矛盾してませんかね。一方ではストーリーが求められて、一方では必要ないという話になっている気が」

レジー「僕としては、「矛盾してる」のではなくて「それぞれの考え方が混沌として存在している」と捉えています。で、その混沌の中でポップミュージックというものをどう定義してどう発信するか、ということをいろんな人たちがトライしている状況なんじゃないかと思います。そんな中で、そこを今一番ラディカルにやってるのがダイノジの大谷さんかなと。先日オールナイトニッポン初めて聴いたんですけど」

司会者「ほんとにずっと音楽の話をしててびっくりしましたね」

レジー「うん。僕が聴いた回でトライセラの『Raspberry』について語っててすごい面白かったんだけど。リスナーに対して番組全体を通して音楽シーンの「縦と横」、歴史的な位置づけとその時代のシーンにおける意味みたいな話をがっつりやってて。で、素朴に思ったのは「これ若い人が聴いてても面白いのかな?」ってことなんですけど」

司会者「今回触れた「ストーリーとか文脈なんて関係ないし」って人たちからすると全く響かない可能性もゼロではないですよね」

レジー「うん。あの番組が世間的に、特に10代とかの若い人たちにどう受け入れられるかってのは、今後の日本の音楽シーンを考えるうえで大きな試金石になるのかもね。中には回顧主義的にとらえる人もいるのかもしれないけど、僕としては全面支持です。陰ながら応援していきたいと思いますし、自分としてもそういう情報発信ができればいいなと思っています」

司会者「わかりました。では今回はこの辺で。次回はどうしますか」

レジー「来週tofubeatsのアルバム出るんだよね。その辺の話やりたいんですけど、間に合うかわからないので予定は未定で」



司会者「できるだけ早めの更新を期待しています」

シティポップが盛り上がる今こそスムースエースを再評価しようの巻

司会者「4月もあっという間に半ばに差し掛かっています」

レジー「まだ微妙に寒かったりするけどもう春だね。新入社員や新入生と思しき人たちもたくさん見るし」

司会者「初々しいですよね」

レジー「ねえ。俺にもああいう時代があったんだろうか。入社して結構早いタイミングから「態度は管理職」とか言われてたけど」

司会者「新入社員絡みで言うと、カロリーメイトのこんなCMがありますね」



レジー「こういうのにぐっとくるのは自分がおっさんになった証拠なんだろうか。これ見てYUKIのポカリのCM思い出した。これも大塚製薬だね」



司会者「懐かしい」

レジー「ジュディマリ解散の直前だよね。何か新しいステージに行く、ってのを表現するのにこういう「一人で力強く歌う」みたいなのはお決まりなんだろうか」

司会者「4月ですし何か新しいことを始めたいですねえ」

レジー「そうねえ。そういう意味では4月に出るクイックジャパンに自分の原稿が初めて載ったってのはタイミング的に良かったな」



司会者「このブログの元ネタであるkenzeeさんこと中尾賢司さんと見開きで同じページに掲載されてます」

レジー「いやーほんとブログ始めたころにこんなことになるとは思いませんでした」

司会者「kenzeeさんが今回の件について言及してくださってましたが、その中でコラムページを書く際のコツとしてこんなことを言っていました」

QJのコラムでもいっぱい面白い人いるんだけど音楽評とかでとにかく「この新人は世間に知られてないけどスゴイんだ!こんなに新しいんだ!」で終始しちゃう人がいる。つまり「世間にあまり知られていないインディーズ、または新人」を「広くボクが伝える」という論理。ボクは初めからこの論法の逆張りを考えていた。なるべく、誰でも知ってる有名アーティストを取り上げる。(Zeebra、KREVA、BOOWY)で、ホメない。っていうかホメるホメないの別次元の抽象的な話する。でも最後はなんかイイ話だった風で終わる。みたいなことは考えてやってきた。

レジー「こんなこと考えて書いてたのか。てか自分の書いたものがこのパターンになってる気がして微妙に恥ずかしい。機会があればもうちょっといろんなこと意識しながら書きたいな。もう入手できますので、本屋に立ち寄った際にはぜひ読んでみてください」

司会者「そのkenzeeさんですが、相変わらずaikoマラソンを続けています」

レジー「ほんと大変な企画で頭が下がります。で、今取り上げているアルバム『秘密』に関する話の中で、こんな一節に出会いました」

そういやaikoサウンドって結構ファットなオケなのになんでコーラス入れないんだろう。自分以外の声が入るのがイヤだから? そんなバカな。スムースエースみたいなコーラスグループと相性はいいと思うのだが。

司会者「スムースエース」

レジー「意外なところで意外な名前に出会ったなあと」

司会者「どのくらいの知名度なんですかね」

レジー「どうなんだろうね。大ヒット曲があるわけでもないしねえ。ただ、この人たちって今の時代に改めて聴かれてもいいグループなんじゃないかなあと思ってるんですよ。というわけで、今回はこの人たち起点で話を広げていこうかなと」

司会者「わかりました。スムースエースの説明をしておくと、2000年にメジャーデビューしたコーラスグループです。デビュー当時は4人、今は2人で活動しています」

レジー「サイトにヒストリーがまとまってるんだけど、早稲田のアカペラサークル出身で前身のバンドにゴスペラーズの村上てつやがいたってのはその筋ではわりと知られた話ですね。てか2人なんだよなー今。実は4人時代の音源しか知らなかったりする」

司会者「オリジナルのフルアルバムは4人体制で4枚、2人になってからは1枚出してますね」

レジー「しかし売れなかったなあ。2000年初頭って、ハモネプが始まってアカペラブームになったタイミングなわけで。もうちょっと注目が集まっても良かったはずなんだけど、あんまりそっちの流れとはリンクしなかったよね」

司会者「イメージ持ってもらうために音源貼っておきましょうか」

レジー「代表曲ってのがあるかわかんないけど、多少なりとも有名なのはこれなのかしら」



司会者「ザ・コーラスグループって感じですね」

レジー「もうちょっとアッパーなやつだとこういうのとか」



司会者「ふむ」

レジー「で、なんでスムースエースが今聴かれてもいいんじゃないかって話なんですけど、最近シティポップ再評価みたいなムーブメントあるじゃないですか」

司会者「かせきさいだあが『ミスターシティポップ』なんてアルバムを出したりしましたね。昨年のマイベスト10枚でも取り上げました



レジー「去年山下達郎とかユーミンのベスト盤が売れたってのも、もちろんおじさんおばさんリスナーが動いたってのもあるんだろうけど、そういうシーンの流れとリンクしてたんだよね。僕はあっぷるぱいが好きです」





司会者「このあたりの流れは岡村詩野さんのライター講座の方々が出した『asatte増刊 Year In Music 2012~2013』の2012年総括鼎談で詳しく触れられています」

レジー「これすごい面白かったので読んでない方はぜひ読んでみてください。地場のシーンの流れからアイドルの話までフラットに語られてました。その中にあったシティポップに関する岡村さんの発言を一部引用したいと思います」

というのは、あの辺の音楽っていうのには、一見、パンクだとかオルタナティヴな感覚、あくまで音の質感としてのオルタナティヴ・ロック的な物とはかけ離れた物として今まではちょっと「ダサい」と思われていた。ある種、シティ・ポップって言ったらエッジが無くて、誰にでも聴きやすい物だと思われていたものが、それが割と方法論の面白さだとか、感覚的にそういう物をダサいと全く思わない世代からの見直しというのが起こっているのが今だと思うんだよね。

司会者「なるほど」

レジー「一義的な「ロック」から自由になった時に「普通にいい音楽」が作れるんじゃないか、みたいなことかなあと思いました。で、なんかこういう動きの中でスムースエースを捉えなおすことができるんじゃなかろうか、ってのが今回の主題なんですけど。改めてアルバム何枚か聴いたんですけど、結構豪華な人が関わってるのね」

司会者「顕著なのはセカンドの『For Two-Piece』ですかね。高橋幸宏や細野晴臣プロデュースの楽曲が入ってます」

レジー「細野さんプロデュースの『星空と帰り道』はベース細野晴臣、ギター鈴木茂、ドラム林立夫、ピアノ佐藤博ですよ。この動画はライブバージョンだから原曲とアレンジがちょっと違うんだけど」



司会者「その顔ぶれって、ティンパンアレーじゃないですか」

レジー「まさにシティポップの源流ですわ。自分がアカペラやってた頃は、結局「コーラスがどうか」、もっと言うと「アカペラでコピーできそうか」みたいなすごく偏った耳でしか聴いてなかったってことを今回改めてこの人たちの曲聴いてみて思った。トラックのいろんなところにシティポップ的な意匠が取り入れられてるし、それゆえのコンポーザーの人選だったり、いろいろ考えられてたグループだったんだよね。コーラスもあくまでも楽曲の気持ちよさを増幅させるための仕掛けでしかないというか」

司会者「3枚目のアルバムのタイトルに『AOR/DAY』なんてジャンルの名前を使ってたり、ルーツを結構わかりやすく打ち出してたんですね」



レジー「ほんと全然そういう視点がなかった」

司会者「『For Two-Piece』のジャケットも山下達郎の作品を手掛けていた鈴木英人さんのものです



smooth.jpg

レジー「もろなオマージュじゃんね。なんでこれ大学生のころ気がつかなかったんだろうか」

司会者「山下達郎のカバーも結構やってるんですよね」



レジー「そうなんですよ。で、ちょうどkenzeeさんはaikoを取り上げる中でスムースエースの名前を出してましたけど、彼女も実はそっちの文脈の人なんですよね」

司会者「kenzeeさんの記事にはたびたびキャラメルママの話なんかが出てきます」

レジー「昔テレビでシュガーベイブのカバーやってたしそういうのが好きなんだろうね。何気なく検索したら動画あった。これ「LOVE LOVE 愛してる」だよね。10年以上前。便利な時代だ」



司会者「kenzeeさんがaikoを取り上げてるのもシティポップ再評価の一環なのか」

レジー「あれはまた別の動機があるから違うと思うけど。まあaikoもそういう切り口で聴かれても面白いかもね。こんな感じで「最近のシティポップ再評価の流れでスムースエースも再評価されるべきでは?」って話をしてきたわけですが、加えてこのグループの先進性というか時代の先を行っていた点を2つあげたいなと思います」

司会者「はい」

レジー「まず1つ目ですが、さっき山下達郎のカバーを紹介しましたけど、この人らはいろんなカバーアルバムを出してるんですよ。そもそもの出自がアカペラグループなわけで、もともとは「既存の曲をアカペラアレンジでカバーする」ってことをやっていた人たちだと推測されます。そういうDNAを落とし込んだ作品がいくつもある」

司会者「2002年にJ-POPのピアノカバーアルバムを出したのが最初ですね」



レジー「これすごくいい出来なんですが、特筆すべきは時期ですね。徳永英明より3年も早いんですよ。今のJ-POPカバー氾濫時代の10年前に実はこの人たちが決定版を作っていたと。ここはもっと広く知られるべき。で、2つ目はこの人たちのメジャーデビューシングルなんですが」

司会者「2000年9月に『サクラ』でメジャーデビューしてます。以前の結婚式BGMの回でも取り上げた曲ですね」





レジー「僕が着目したのはこのタイトルなんですけど。2000年って福山雅治の『桜坂』が出た年ではありますが、まだ「桜ソング」ってそんなにポピュラーじゃなかったんですよ」

司会者「有名なこちらのブログで「桜ソング」をカウントしていますが、森山直太朗、河口恭吾、ケツメイシあたりから加速度的に数が増えていきますね」

レジー「確かこの曲はテレ東の番組の企画かなんかで作ったものだったと思うんですが、「桜ソング」ブームになる前にナンバーワン桜ソングを産んでしまっていたと」

司会者「ナンバーワンって、単に思い出のワンシーンと結びついてるだけでは」

レジー「大学の入学式で新入生向けにストリートライブやって、桜の花びらがちょうど舞ってる中でこの曲歌ったのはほんといい思い出ですわ。いや、でもそういうの置いといてもこれほんといい曲ですよ。このサビはずっと歌い継がれるべき」

だれにも予想できない明日がやってくる
また今日も心ときめかす
だれも知らないあなたがあなたのなかにいる
信じて 描いた未来 駆け抜けてる

司会者「冒頭で紹介したような広告に使われてもいいですよね」

レジー「ほんとそう思うわ」

司会者「ではぼちぼちまとめていただきたいんですが、今回はシティポップっていう流れの中でスムースエースがもっと聴かれるべきではという話をつらつらとしてきました」

レジー「はい。カバーとか桜ソングの話も含めて、実は今の日本の音楽を考えるうえで重要なグループなのではと思っています。単純に音もいいしね。ジャンクフジヤマとか一十三十一とか好きな人はきっと気に入るはずなのでぜひ。まああとはあれだね、こういう90年代後半からゼロ年代初頭くらいに出てきた「売れたか売れてないかようわからん、でもどっちかというと売れてない」みたいなポジションの人たちの話するのは単純に楽しい」

司会者「以前のラズマタズとかスマイルの話やった記事みたいなやつね

レジー「何かしらピンと来る人がいたら嬉しいです。ただ、真面目な話、そういう時代の埋もれっちゃてる音楽の中で、今の時代の音と共振してるものって結構あるんじゃないかと思うんですよ。堅苦しく「ルーツを探る」とかやんなくても、それこそブックオフのたたき売りコーナーに置いてあるようなCDから今に通じる空気を感じられたりするわけで。シーンの時間軸が曖昧になってる時代だからこそ起こる偶然の一致というか、そういう視点を提供できたらいいなあと思います」

司会者「わかりました。では今回はこの辺で。次回はどうしましょうか」

レジー「この前のカバーに関する記事でいくつか気になる反響があったのでそれについてもやるかもしれませんがもうちょっと考えます」

司会者「できるだけ早めの更新を期待しています」

『OTONARI』と柴那典さんインタビューから考える「音楽」と「仕事」の話

レジー「『OTONARI』を買いました」



司会者「鹿野さんがやってる音楽ジャーナリスト学校の音小屋から発行された雑誌ですね」

レジー「もうこれ時効だから言っていいと思うんだけど、僕申し込んでたんですよ音小屋。あえなく落ちましたけど」

司会者「へえ」

レジー「でもこれ中身見たけど、普通に仕事しながら片手間でやりましょうってレベルの内容じゃないよね。そういう意味では受からなくて良かったのかも」

司会者「もし受かってたら、講義に参加してる最中に例の年末の対談を読むことになりましたね」

レジー「そうそう。そういう意味でも受からなくて良かった。腹立ってそれどころじゃなくなってたと思う。改めて提出書類見てみたけど、好きなアーティストでPerfumeとトマパイとか書いてたからね。受かるわけないっつーの」

司会者「名指しで面白くないものとしてあげられてましたからね」

レジー「ね。まあその辺の話はもういいや。雑誌の中身についてやりたいんですけど」

司会者「リリースプロモーションとしてのインタビューではなくて特集ありきで、ってのが売りとして打ち出されています」

レジー「僕が面白いなあと思ったのは、結構金の話をしてるところですね」

司会者「普通の音楽雑誌だとなかなか出てこない話ですよね」

レジー「うん。その辺は「プロではない人」が相手であるがゆえにミュージシャン側もそういうことを喋りやすかったのかなとか思ったんですけど。たとえばこんな感じで」

メンバーが普段どんだけ稼いでるか知ったらみんなびっくりすると思うよ。きっとミュージシャンになりたいなんて思わない。でも、プロである以上それで食っていかないといけない。
(くるり 岸田繁)

聞いた話ではかなり有名なバンドでもメンバーのお給料は月給10万円だとかって、そんなの話になんないじゃないですか。
(快速東京 一ノ瀬雄太)

司会者「生々しい」

レジー「で、その生々しい部分に徹底的にフォーカスした「WORKING MUSICIAN 働くバンドマンのリアル」って特集があったんですけど、これが一番面白かったな。さっきの一ノ瀬さんの発言もこの特集の中で出てきたものです」

司会者「一ノ瀬さん以外にもATATAの奈部川さん、LITEの井澤さん、0.8秒と衝撃。の塔山さんの4人が音楽とその他の仕事にどのような気持ちで取り組んでいるか、インタビューに答えています」

レジー「なんか「バイトしながら音楽って大変だよね」とか「下積み時代って感じかな」とか漠然としたイメージはあったんだけど、あーこういうこと考えてやってるんだーって発見はすごいあったね。実はどのバンドもあんまり馴染みがないんですが」

司会者「四者四様の考え方でしたね」

音楽は僕にとって、お金を稼ぐものじゃなくてお金を使うものなんですよね。「音楽をガチでやってくぜ!」みたいな人とは根本的に違うんです。
(快速東京 一ノ瀬雄太/グラフィックデザイナー)

たとえば音楽で飯食ってたらさ、自分達の音楽活動なのに自分達以外にもいろんな人が絡んじゃう。それでご飯食べてる人たちがね。それこそ、音楽が「仕事」になっちゃう。そういう縛られた活動をしなきゃいけないってのは辛いよね。
(ATATA 奈部川光義/介護職)

俺も音楽だけで生きていきたいからねえ。だから音楽だけで生きていける状態になったら「やっとバイト辞めれます!」って公の場で言ってやりたい!それこそツイッターとかでね。言いたい!
(LITE 井澤惇/ラーメン店アルバイト)

でも「結局音楽だけやってたら食われへん。バンド潰れるで!」って状況になってくると、音楽に触られたくないからたぶん働くんですよ。仕事というよりは自分がやりたいことを守るための武器だと思うんですよね。
(0.8秒と衝撃。 塔山忠臣/肉体労働)


レジー「この辺結構デリケートな話だし、こういうインタビューが商業媒体として世の中に出てきたってのは結構重要だと思うわ。LITEの井澤さんにバイトも含めて密着とか割と画期的なんじゃないか」

司会者「この特集についてはライターの石井恵梨子さんもこんな反応をされてました」




レジー「ほんとそうね。儲からないとか斜陽産業とか言われてる音楽業界を考えるうえではこういうアングルは必要だと思う」

司会者「音楽業界で働こうとは思ったことはないんですか」

レジー「さすがにミュージシャンになろうとは思わなかったけど、音楽関連の仕事に就きたいとは思ってましたよ。ちょうどこの前OB訪問受けた時にそんなこと思い出してたんですけど」










司会者「ロッキングオンもダメだったんですね」

レジー「何となくESに書いた文章のテーマ覚えてるんだけど、そりゃ受からんわってクオリティだった気がするね。で、今は音楽とは何ら関係のない仕事をしています」

司会者「仕事上で何かしら音楽との接点はありましたか」

レジー「ブランドマネジメントの仕事が長かったので、CMの音楽に自分のアイデアが採用されたこととかはありますよ。それ絡みでコンサート招待してもらったとか」

司会者「完全にクライアントとして、って感じですね」

レジー「うん。で、今回『OTONARI』で別の仕事も持ってるミュージシャンの話を読んで、じゃあミュージシャンではなくて音楽を伝える側の人って何考えてるのかなあと思ったんですよ。というわけで、今回はたびたびお世話になっている柴那典さんにご協力いただいて、「フリーの音楽ライターとして働くこと」についてメールベースでインタビューしてみました」

司会者「柴さんほんとにありがとうございました」

レジー「このブログ読んでくださってる方に結構大学生がいるような雰囲気なんだけど、そういう方々にとっては就活のこととか考えるうえでも参考になるテキストかなと。それではお楽しみください」


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--- 柴さんは1999年にロッキング・オン社に入社されていますが、音楽に対して「リスナー=受信者」ではなく「メジャー音楽メディア=発信者」として関わりたいと思ったきっかけは何ですか。

「音楽について語りたい」と最初に思ったきっかけは、おそらく高校の時だと思います。中高一貫の男子校に通っていたんですけど、当時はゴリゴリのメタル少年で。『ロッキング・オン』よりはむしろ『BURRN!』を愛読してました。で、友達数人と文化祭のときにメタル同人誌を作ってたんですよ。その名も「鋼鉄春秋」。最近、友達とウチで飲んでて『桐島〜』的な文化系思春期トークを開陳しあっていたときに、ふと「まだ捨ててなかったんじゃない?」と思ってクローゼット探したら卒業証書と一緒に出てきました。16歳の自分がキング・クリムゾンについて超熱く語ってたりして、ああ、自分の原点はここにあるなーって思います。


--- 柴さんのご出身の大学では「いわゆるエリートコース」に進む方も周囲に多数いたのではないかと推測しますが、そのような中で「自分の好きなことをやる」ことに振り切った就職に対して何かしらの葛藤を感じたことはありますか。

これは、葛藤は全然なかったです。僕は京都大学の作曲サークル「吉田音楽製作所」というところに入り浸ってたんですが、そこでは大手企業に就職する人もいるし、官僚や弁護士になって毎年フジロックに来る人もいるし、ゲーム会社や楽器メーカーみたいな「音楽の趣味と隣り合う仕事」につく人もいるし、僕のようにメディアを目指す人もいるし、不定期の仕事をやりながらバンドを続ける人もいるし、ニートもいる、みたいなところで。先輩や友達に恵まれたのかなって思います。


--- 音楽が「仕事」になる、つまり「趣味」だった音楽に「お金」が介在するようになって、自分の中で音楽の聴き方に何か変化はありましたか。良い変化/悪い変化それぞれあれば。

聴く量が増えたとか、無責任なこと言えなくなったとか、いろいろありますけど、本質的には16歳の頃と変わってない気がします。


--- 2004年にロッキング・オン社を退社されてフリーとして活動し始めて、仕事に対する意識が変わった部分はありますか。柴さんのいろいろなジャンルでの活動を見るにつけ、音楽に限らず様々な領域の方と絡んでいるのが「“後ろ盾がない不安定さ”を“何でもできる自由さ”と捉えなおして仕事をしている」ような印象を受けるのですが。

なんだかそう捉えていただけると嬉しいです。フリーになった当初は、まさに無我夢中で「とにかくなんでもやります!」という感じでした。で、そういう中で縁があって仕事させていただいた雑誌で、メーカーや商社の、いわゆるサラリーマンの方に自分の担当した製品やプロジェクトについて語ってもらうインタヴューを担当したことがあって。やってみて、これはミュージシャンに完成したアルバムについて話を訊くのと同じスタンスとアプローチの仕事なんだなと感じて、そこで意識が変わったところはあります。僕のやることは基本的に「人が心をこめて作ったものについて、そこにある思いを引き出す」仕事だな、と。


--- 1999年と今を比較すると、音楽業界そのもののプレゼンスがかなり弱くなっている一方で、インターネットの浸透によって「発信する」ことに対するコストが大幅に下がっています。もしも「音楽が大好きな大学生の柴那典」が今の時代にいたとしたら、やはり音楽メディア(もしくは広義の音楽業界)への就職を志しますか。それとも、何か別の道を探りますか。

この質問は難しい……。なんとなく、もし今自分が大学生だったらLINE(NHN Japan)とかDeNAが第一志望だったんじゃないかなーって思います。


--- 「LINEやDeNAが第一志望」というのは「音楽そのものを伝えるよりもコミュニケーションプラットフォームに関心を持ちそう(その中で音楽をどう扱うかということについて考えた方が面白そう)」というイメージでしょうか。

そんな感じです。あとは、実質的にユーザー発信の音楽メディアとしても機能してる「naverまとめ」とか音楽配信サービスの新しい形になりそうな「Groovy」が面白そうなので、あれを作った人と一緒に仕事がしてみたい、というのもあります。


--- ミュージシャンサイドでも、商業ベースの作品リリースとフリー音源の発表を並行して行う人が出てきています。それと同様に、商業媒体での活動と合わせてブログも定期的に更新されている柴さんですが、それぞれの「発信したいメッセージの質」や「発信の方法」について意識的に分けている(もしくは分けていない)部分があれば教えてください。

たしかに、「商業ベースで活動しているミュージシャンも、どんどんYouTubeとかSoundcloudに音源アップしちゃえばいいのに」と思っていながら、自分はライターとしてそうしてなかった、と気付いたのが2011年くらいのことで。そこからはブログには「身辺雑記」や「お仕事報告」ではなく、「記事」を書くよう意識するようになりました。


--- 今回の記事で取り上げている『OTONARI』に関わっている方々もそうだと思いますが、「音楽を発信する側に回りたい/音楽ライターになりたい」という若い人は今でもそれなりのボリュームで存在するのではと思います。最後に、そのような人たちに対して「今の時代に音楽ライターになること」についてのメッセージをいただければと思います。

僕も何回か「音楽ライターになるにはどうすればいいんでしょうか」という質問を受けたことがあります。そういうときは、たいてい「名刺を作ってtwitterのプロフィール欄に“音楽ライター”と書けばなれる」って答えることにしてます。無責任に思われるかもしれないですが、本当にそういう時代だと思います。もちろん、それで食っていけるかどうかは別問題です。

あと、これは質問の回答からズレるかもしれないですが、僕自身や僕の周囲を見回しても「音楽ライター」という職種が、くっきりとそれだけ独立して成立しているような感じはなくなってきているように思います。編集者、ウェブディレクター、プロモーションプランナー、イベンター、USTREAMやニコ生のトーク司会などなど、「音楽について書くこと」以外の仕事を当たり前にこなしている人が多い実感があります。ざっくりとわけると、「メディア(枠組み)を作ること」、「コンテンツ(中身)を作ること」、「評判を作ること」に仕事領域が広がっていて、そこでいろんなタイプの人がそれぞれの得意分野で働いているというか。『ワーク・シフト』で言うところの“連続スペシャリスト”が増えてきているのではないか、と思います。


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司会者「何か感想があれば」

レジー「僕が印象的だったのは最後の質問ですね。音楽ライターには誰でもなれるけど、食っていけるかは別と。で、結局何とかして生きていかないといけないわけで、じゃあその「食っていける」ために何をするのかってところですよね。柴さんが言うような比較的近い領域の仕事への広がりもあるだろうし、もしかしたら「好きではない仕事」をやらないといけないかもしれない」

司会者「とりあえず生活していかないといけないですからね」

レジー「そうそう。で、このまままとめに入っていきたいんですけど。よく「好きなことを仕事にして自己実現!」とか「本当に好きなことを仕事にするのはつらい」とか両極端な話が出てきますけど、今回『OTONARI』読んだり柴さんの話聞いたりして、「本当に好きなことをするために別の仕事を持つ→その中で、本当に好きなことを純度高くやれる環境を作る→場合によってはそれがお金を生むこともある」みたいな話って意外と語られてないなあと改めて思いました」

司会者「インターネットのおかげでやろうと思えばいろんなことができますよね」

レジー「うん。で、その実践としての告知を一つさせてください。このブログきっかけで、来週4月12日に出るクイックジャパンに僕が書いたパスピエのディスクレビューが掲載されることになりました。仕事しながらでも発信を続けてるとこんな展開があるわけですよ」



司会者「何でもやってみるもんですね。思いつきで始めたブログがこういうことになるとは」

レジー「ありがたい話です。勝手がわからずなかなか難しかったけど、ぜひ皆様読んでみてください」

司会者「では告知も済んだところで、今回はこの辺で終わりましょう」

レジー「次回ネタも未定でお願いします」

司会者「できるだけ早めの更新を期待しています」
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