司会者「年明け早々から続いてきたこちらの企画、今回で最終回です」

 

2016年のPerfumeとこれからのPerfumeを巡る五百蔵容さんとの往復書簡

 

レジー「第5回目にして最終回ということで。前回はPerfumeとテクノロジーの関わり方を振り返りながら遠い未来への妄想を展開したのですが、ここでは近い未来への展望について話し合っています。後半の五百蔵さんパートは特にボリューミーなんですが、「TOKYO GIRL」を巡る掘り下げは今までにないものになっている気がするのでお楽しみに。これまでの連載も含めて良かったら読んでみてください。それではどうぞ」

<過去の連載>
①総論と問題提起
②課題
③収穫 
④虚実皮膜 



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⑤レジー→五百蔵
 

 

さて、前回は思わぬ大きな話まで発展してしまいましたが、今回は最終回ということで「近未来に向けたPerfumeの展望」についてお話しさせていただいて締めたいと思っています。

 

本来この連載は「TOKYO GIRL」リリース前までには終わらせたかったのですが、いろいろありまして結局ここまでずれこんでしまいました。すでに3月に突入し、「2016年」という冠のついた記事が続いているのも不自然な感じになってしまいました・・・ただ、けがの功名と言いますか、それによって「TOKYO GIRL」リリースタイミングでのインタビュー記事の中身を反映させることができるようになりました。超結果論ではありますが、このことについては本当に良かったと思っています。

 

今回の連載は、初回で五百蔵さんが投げかけてくださったとおり「Perfumeがマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)でライブを行うのにふさわしいグループに今後なり得るのか?」という問題意識をベースに進んできました。そして、その背景には「チームPerfumeがその目標を「現実的に成し遂げるべきもの」として設定している」という認識がありました。

 

直近のananや音楽と人、ナタリーあたりのインタビューを読む限り、その根幹が軌道修正されているように感じます。「目標」ではなくて「夢」。以前からあ~ちゃんも「夢」という言葉を使ってはいましたが、そのトーンは「成し遂げるべき夢」から「いつか叶えられたらいい夢」くらいに変わっているように思いました。

 

これまでもチームPerfumeは「大きなビジョン」と「そのフィジビリティを精査して現実に落とし込む高度なオペレーション」の両輪によって回ってきたと理解しています。どちらも重要な側面ですが、やはり「ビジョン」なしには進むことができない。そんな構造で考えると、2014年のアメリカツアー以降目指していたものに対して(ほんの少しかもしれませんが)メンバーの心が折れてしまったというのは、チーム全体の推進力にとって重大なネガティブ要因となってしまうかもしれません。

 

現状とり得るアプローチとしては、2つあると思います。「MSGでのライブとは異なる現実的な目標を掲げる」、もしくは「そもそも目標を掲げない」。

 

「夢を掴みとる」というのはPerfumeの成功譚の肝となる部分であり、3人の頑張りのエンジンとなっている部分だとも思います。ただ・・・オリコン1位にもなった、紅白にも出た、東京ドーム公演もやった、海外ツアーもやった。そこまで何もかも実現したうえで、自分たちだけでなく周囲の人たちの想いも背負って飛び出した「目標」が「アメリカの大会場でのライブ」だったわけで、じゃあそれがすぐには難しそうだとなった時に適当なサイズ(現実的に可能ではありそうだけどすぐには到達できないという塩梅)の目標がポンポン出てくるようには到底思えません。

 

僕が期待したいのは、後者のアプローチ、「そもそも目標を掲げない」というものです。何かに追い立てられるように活動するのではなく、より自然体に自分たちの表現を行っていく。今回の挫折(とあえて言いますが)を、Perfumeがそういったことをできるグループとして脱皮していくチャンスと捉えなおすことができないかなと僕自身は思っています。

 

最初にこのことを思ったのは、2013年に東阪のドームライブを行った後のことでした(以前ブログにも書いたので、そちらも合わせてご覧いただければと思います)。

 

Perfumeが人気を獲得していったゼロ年代後半から10年代にかけて、時代は「パッケージの時代」から「ライブの時代」に移り変わっていきました。また、「パッケージの時代」の最後のあだ花として登場したCDを複数枚売るという手法を起点に「アイドルの時代」も到来しました。そんな中で、いろいろなアイドルが掲げる「大きな会場でライブをやる」というゴール設定は、ファンと一緒に共有できるストーリーとして非常に重宝されるようになりました。AKB48が当初から「東京ドーム公演」を夢としていたのが象徴的ですが、「武道館でやりたい」「ドームでやりたい」というグループとしての目標に向かって少しずつライブ会場の規模を拡大させていき、その経過をファンと一緒に共有する。そんな展開がお決まりのものになりました。

 

一方で、この話には「その目標が達成し終わったらどうなる?」という視点が欠けていたように思います。AKB48がここ数年どうにも盛り上がりに欠ける理由として「規模拡大競争の次のストーリー」を長年提示できていないという部分は大きいでしょうし、「武道館を目標!」と言っていたアイドルが武道館公演後に存在として思いっきり萎んでしまっているケースも多数見受けられます。

 

Perfumeというグループの物語も、基本的には「目標を達成する」ということを次々に成し遂げることで紡がれてきています。国内における規模競争を進めていく(名古屋の集客が・・・という話もあったようですが、一応16年で4つのドームを制覇したことになりました)のと並行して、世界に出ていくというタスクも無事に完遂しました。ただ、少し見方を変えると、ここにはドラゴンボール的敵キャラのインフレと言いますか、「もっと強い敵を倒したい」「もっと強い敵を倒さなくては話が先に進まない」というような無理も孕んでいるような気もしていました。そういった中で掲げられていた「MSG公演」という「最強の敵としての目標」。もちろん、それを達成してほしい!Perfumeならできるはず!と思って追いかけていましたが、映画「WE ARE Perfume」におけるラストのくだりを見たときに「あ、またこういう目標設定型のアプローチをとるのか」という感想がほんの少しだけ頭によぎったのもまた事実です(また、「それを達成したらいよいよ解散か・・・」とも思いました)。

 

今回の方針転換、「MSGを現実的な目標として目指す」ことからの撤退は、ある意味では残念なことかもしれません。でも、「Perfumeというグループが今後も続いていってほしい」「彼女たちのライフステージの変化によって状況は多少変われど、長く我々を楽しませてほしい」という側面から考えると、「目標設定→達成というゲームから一度降りること」は良いことなのではないか、とも思います。

 

新曲「TOKYO GIRL」は3人の女性としての成長ともマッチする言葉であったり「STAR TRAIN」から続くそれぞれのリアルな声が感じられるサウンドプロダクションだったりと、今後の新たなトライの片鱗が垣間見えるものになっていました。また、チーム全体で取り組んでいるライブでの表現についても、前回の連載で意見交換させていただいたように、まだまだ深化の余地があるように思います。これらの取り組みを「MSGでのライブを行うために=大きな目標のために」行うのではなくて、「ただただPerfumeとしてのクリエティブのあり方を極めるため」に進めていく、そう置き換えることで、グループやチームへの不自然な負荷がかからなくなるのではないか。そしてその状況が、Perfumeが「より自然体な存在」として継続していくことを後押しするのではないか。そんなことを考えております。

 

というわけで、五百蔵さん的には今回の方針転換=「MSGは目標ではない、叶ったらいいなという夢」ということについてどのようにお考えか、それを踏まえて今後Perfumeにどんな道のりを歩んでほしいと考えているか、お話しいただけますと幸いです。最終回となりますがよろしくお願いいたします。 


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⑤五百蔵→レジー



【はじめに】


議論が良い具合に肉付けされて、核心に戻ってきましたね。

最終回、よろしくお願いいたします


<目標=MSG>からの方向転換……。

そうですね。ぼくも最近のいくつかのインタビューを読んで、同じように感じていました。

そしてやはり同じく、「ちょっと<折れちゃった>のかな」とも。


もちろん、チームPerfumeの中でどんな決断がなされたのか実際のところはわかりません。でも、この人たちは自分たちの意思決定に反するような適当なアウトプットはしないすごくまっとうな作り手なので、直近の作品とプロジェクトの表現内容やその方向性を探ることで多少なりとうかがい知れることがあるかと思います。


というわけで、ちょっと遠回りになりますが、まずは最新シングル「TOKYO GIRL」を起点に考えを巡らせてみよう。そう思う次第です。


【「TOKYO GIRL」は新たな「ワンルーム・ディスコ」か?】


「School of Rocks」でこの曲が最初にオンエアされたとき、レジーさんと「これは、待望されていた「ワンルーム・ディスコ」後継曲ですね」と言い合っていましたが、CDリリース後、繰り返し聴くにつけそれ以上の意味を持つ作品なのではと思うようになりました。

 


この曲は、まずもって「厳しい現状認識のもとで生きる都市生活者の女性たちに向けられた、静かなエールの歌」と言うことができると思います。サウンドメイクはすごくユニークですが、主題的にも、詞的にもわかりやすい。中田ヤスタカらしい、ひとつ捻ったところから普遍性の獲得を狙った楽曲だと。


と同時に、現在のPerfumeの立ち姿を真正面から描き出している曲でもあるんじゃないか、とも感じます。キャリアの要所要所でその時のPerfume自身に宛てたかのような楽曲を中田ヤスタカは送り出してきていますが、「TOKYO GIRL」もそんな風に聞こえるんです。


そして、この曲が宛てられているPerfumeとは……タイアップ先の「東京タラレバ娘」の主人公達と同様、厳しい現状認識のもとにある……ハイパフォーマンスが維持しうる20代のうちにMSGに到達するという目標設定からの方向転換を余儀なくされたPerfumeなんじゃないかと感じています。

タイアップが決まり、もともとそういう主題の原作に合わせ楽曲が制作されたのは、ずっと以前かもしれません。ただ、もしそうだったとしても、この楽曲と主題と今のPerfumeを取り巻く状況には符合する部分がたくさんあります。そして、この曲をめぐるインタビューやアーティストイメージの打ち出しを通してそんな符号を肯定的に扱おうという意図が見られるように思います。


そんな前提を置いたうえで、ではその「厳しい現状認識」の中でPerfumeはどういう未来を描こうとしているのか……。


核心へ踏み込む前に、「TOKYO GIRL」のプロダクトとしてのこういった性格を踏まえつつ、上記ご返信で再掲してくださった2013年のドームツアーをめぐるレジーさんの考察に立ち戻ってみます。そこからMSGの問題を再度考えて、もう一度「TOKYO GIRL」に帰って来れればと考えています。


【<レジー・テーゼ2013>をめぐって】


2013年のドームツアー後にレジーさんがブログに書かれていた内容には、当時から共感していました。


「アイドルたちが陥っている規模拡大競争をもたらす「成長物語」のゲームから抜けだし、音楽やパフォーマンスの質的向上を活動の動機とする、アーティストとしての常道にシフトするべきでは?」

「Perfumeはアルバム「LEVEL3」とそのツアーで、またもや先駆者として、その最初の一歩を踏み出したのではないか?」

「その道を切り開くことが、アイドルが生きうる新しい方向性をうみだすことになるのでは?」


ぼくなりにまとめさせていただきましたが、これらの問題提起は今なお鮮度が高いと思います。便宜上、これを<レジー・テーゼ2013>とさせてください。


アイドルの成長物語を感情移入コンテンツとして消費するという、Perfumeが先鞭をつけたエンターティンメント史上の現象とその盛衰を、この<レジー・テーゼ2013>は正確に反映しています。Perfumeを追ってきたファンの少なからぬ層が、彼女たちの音楽や表現とともに、もしくはそれ以上にその「成長物語」を愛してきたのでは?というのも事実といっていいでしょう。


その一方でぼく自身は、Perfumeにおけるその「物語」にさほど大きな関心を払ってきませんでした。


ぼくが彼女たちを最初に捉えたのは秋葉原時代です。ぼくにとって彼女たちはまずもって「ものすごく質が高くてユニークなプロダクトとパフォーマンスをやる、<SPEEDを観て育った世代>を代表する抜群のグループ」でした。そのグループがこれからいったいどんな素晴らしいパフォーマンスを、作品を残していくのか、それが主要な関心事だったのです。


そういった視線から眺めたPerfumeの道のりは、こういったものです。


広汎なリスナーの前に登場した時から疑いようのないユニークさを備えていた存在が、その地点にとどまることなく新たな作品を発表するたび、新たなステージに立つたびに驚くべき質的向上を遂げてきた。


そういう特別な表現者の、特別な歴史だった。そう言えます。


やや過剰な見方かもしれませんが、これはぼく個人の思い込みではないと考えています。

誰が言い出したのか、ファンの間で長年ささやかれ続けている「最新のPerfumeが最高のPerfume」という言葉を尊重する限り、「アイドルの劇的成長物語」と同時にそういった表現者としての歴史がこのグループのキャリア上には走っており、そのプロセスは今なお進行中であるということは共通認識と言えるでしょうから。


<レジー・テーゼ2013>における問題提起は、Perfumeのキャリアが描いてきたこの二つの面を踏まえているがゆえに、今なおリアリティを持っているのだと考えています。表面的(最初に目につく)な「成長物語」を取っ払っても、Perfumeはその下にもうひとつの歴史=物語を抱えている、ゆえに、第一の「物語」を捨て去っても第二の物語は駆動しうるのであり、表現者としてはむしろその物語の方が実体的で重要なのだから、第一の「物語」による動機づけの補助を受けずとも、ただ道に沿って進んでいけば良い。そのように生きて欲しい。それは、彼女たちの道のりと未来を正面から、しかも論理的一貫性をもって肯定できる見方であるように思います。


こういった腑分けの上で、改めて問うてみます。

PerfumeにとってMSGとは何だったのか?武道館や、東京ドームや、ワールドツアーのように、「ゲーム的な成長物語」「そのために要求される高い目標」の延長線上で設定された場だったのか?


そういう面もあるけれども、そうではない側面の方が強いのではないか?とぼくは考えています。


【特別な表現者のための、特別な場所としてのMSG】


ぼくはそれなりに古いリスナーなので、国際市場、とりわけ北米市場に打って出るミュージシャンにとってのMSGという場が持つ意味を、かなり重い方に取っています。


改めて書くまでもないことかも知れませんが、そこは単なるセールス上の存在感だけでブッキングされる場所ではありません。セールスと共に音楽的なユニークさを評価される、創造性に関して多大なリスペクトを受ける、愛される。商業的な成功と芸術的な成功を両立させた、数少ないアーティストだけが立つことのできる場。それがMSGというステージです。
2015年、シーンにおける存在感とクリエイティビィティの双方で輝かしいキャリアを誇るあのBlurが初めてこのステージに立った時、フロントマンのデーモン・アルバーンは「ここまで来るのに25年かかったよ!」と語りました。

MSGのステータスは今も変わっていない。そういうことだと思います。


ひるがえって、映画「WEeARE Perfume」で初めて公に宣言された、「2年以内にMSGの2days」という目標。レジーさん同様、「いいのか、それで?」という若干鼻白むような不安をどこか感じる一方で、「遂にこの時が来たのか」という思いもぼくは抱いていました。


というのもぼく自身、2008年の武道館を(チケット取れなかったので映像で、ですが)観た時点で「留保なしの正当なブッキングでMSGに立ちうるアーティストが日本から現れるとすれば、それはこの子たちかもしれない」と思っていたんです。


キャリアの最初のピークと言えるあのステージで彼女たちがやっていたパフォーマンスは、当時の世界市場を見渡しても比較対象がないユニークなものでした(今なお、そうです)。エレクトロのガールズポップというのは現時点でもなおニッチではありますが、当時の彼女たちは少なくとも国内の市場においてはそのネガティブな壁を打ち破っていました。それだけの説得力がある音楽をやり、商業的な成功に結びつけていたのです。YouTubeのコメント欄が外国のリスナーたちによって埋められるという状況は当時すでに始まっており、Perfumeのアーティスティックな説得性は国境を越えうるという実感もありました。


ぼくがその可能性の主体として見ていたのは、「アイドル成長物語」の担い手としてのPerfumeではなく、

「セールス上の成功と共に、非常に優れた楽曲と演者としての質をそなえたパフォーマー」としてのPerfumeでした。そして、前者の延長線上ではなく後者の延長線上でなければ立つことができないステージ。上述の通り、それがMSGです。


つまり、MSGというのはそもそも「アイドル成長物語」のルート上で志向しうる「大箱」ではない。

そこはレジー・テーゼの延長線上にある、アーティストとして正道と言える質の追求によってこそ

到達できる場所に他なりません。


ラジオシティー・ホールでもなくメドーランズ・スタジアムでもなく、MSGをPerfumeがターゲットしたのは、

そういう認識ゆえなのではないか。だとしたら、その認識自体は正しいとぼくは思います。Perfumeは、自らの資質と方向性を正しく定義し、その道の先にあるはずの場所を正しくターゲットしたと。


ただ……。


MSGに立つまでに、前述のBlurでも25年。Oasisですらも『(What's the Story) Morning Glory?』から10年後(!)の2005年にようやく。同ジャンルに近いPassion Pitは1stアルバムから3年で到達していますが、彼らはそもそも米国内のアーティストなうえに、ビルボード席巻の瞬間風速がありました。

由緒あるライヴハウスとはいえ、最大収容人数3500人にすぎないハマースタインボールルームをたった1日ソールドアウトさせただけ、北米でのチャート実績はほとんどないPerfumeが、「2年以内」に「MSGで2days」……それがいかに甘く、現実離れした目標設定か。


各種インタビューでかなり明瞭に吐露されているように、2016年のNY2daysで彼女たちはその「厳しい現状」に直面し、率直に「認識」せざるをえなくなったのでしょう。


ここで再び、「TOKYO GIRL」に戻ってみたいと思います。


【「Dream Figter」への返歌としての「TOKYO GIRL」?】


ラジオ音源での初聴時、こう感じました。


「バックトラックの響きがすごくユニークで、美しい曲だ。CDで聴いたらさぞかし深い響きが聴けるだろう」


実際にCD音源を聴いてみて、その予測は裏切られました。

この曲に与えられている美しい響きは、その美しさをじゅうぶんに発揮できるような深いエコーを与えられておらず、どこかで止まってしまう。閉鎖空間中の響きのように作られている。ダニエル・ラノワなんかの音作りに似ていますが、ラノワよりしっかり解像されている。なのに、どこかくぐもっているように聞こえる。


このサウンドメイクの理由は、すぐに合点がいきました。「TOKYO GIRL」たるこの女性は、眺めるだけなら、透き通った壁を通してどこまでも自在に眺めることができる。けれど、自分が放つどんな美しい響きも、その壁にぶつかり、世界に響き渡ること無く断ち切られてしまう。そんな、「平凡をゆるしてくれない水槽」の中にいる。そういう、無いように見えた限界がすぐそこに確実に存在するという「厳しい現状認識」を持ちながら「情報をかき分ける熱帯魚」のように泳ぐ女性の心情を、歌詞やメロディだけでなくサウンドメイクでも描いているのが、「TOKYO GIRL」です。


それに気づいたとき、これは、本当にただの「ワンルーム・ディスコ」の後継曲なのか?と感じました。モチーフ面ではそうかもしれません。でも、「限界はある。なのに平凡であることは許されないという他縛感、自縛感もある」という内容は、むしろ「限界も普通もない、最高を求めてどこまでも行ける」と歌った「Dream Fighter」のアンサーソングとでもいうべきものなのでは?と。

 


そしてもっと重要だと感じ、心動かされたのは、「だから諦めるがいい」ということを歌ってはいない、という点です。歌詞の展開もそうですが、最後のサビ前におよそ30秒にわたって続くミニマルなブリッジパート。低温で、しかしふつふつと血をたぎらせているような音が少しだけ曲全体に性急さを上乗せし、少しだけ音圧が強まり、少しだけ力強く歌われる最後のコーラスを導きます。「Dream Fighter」のようなヒロイズムはありませんが、厳しい現状認識の前でうなだれることなく、けれども静かに、緊張感に満ちた平穏とでもいうべきたたずまいで「踊れ」「奏でるわ」と歌うPerfume。世界中でライヴを行うようになって以降、あ〜ちゃん、かしゆか、のっちそれぞれが三者三様に口にしてきた、「<世界>に行くんじゃない。Perfumeのライヴを観たいという、そこにいるあなた(観客)に会いに行くんだ」という思いの意を汲んだかのように最後に置かれる言葉、「ここにいるあなたへ」。


厳しい現実に直面して、その現状認識に応じ方針を変更しはした。レジーさんのいうように「ゲーム」からは降りたし不自然な負荷がかからない道に踏み出したのも確かだろうと思います。けれどもPerfumeは、折れてはいない。折れちゃった?とか思ってごめんなさい。絶対的な質的向上の象徴(たぶんMSG)をこれまでよりずっと遠くに置き、自分たちの奏でる響きが届く保証の無いその彼方を背筋を伸ばして臨みながら、ただ表現を磨き続けようと、今を生きようとしているだけな気がします。「TOKYO GIRL」は、そう感じさせるだけの力のこもったシングルのように思います。もしかしたら、本人たちはこれを機会に小休止したかったのかもしれない。「Dream Fighter」の時のように、ベストなタイミングで楽曲を通じて中田ヤスタカに背中を押されているだけなのかもしれません。だとしても、MIKIKO先生のベストワークのひとつともいえるこの曲のコレオグラフィー、それをこれまで以上に技巧を凝らし気高く美しく踊る3人を観ると、この曲のメッセージを体現しようとしているんじゃないかと思えてならないです。何を諦めようと、そういうPerfumeを、ぼくは肯定せずにはいられません。


【おわりに】


今回は、ぼくの方の事情で原稿のお渡しがかなり遅れてしまいまして申し訳ありませんでした。けれども更なる怪我の功名といいますか、ひっぱってるうちに3人主演のドラマ「パンセ」も発表されました。意外なプロジェクトですが、「野ブタをプロデュース。」など、ハードな現状認識をベースに相反するような面白みのある方法で乗り越えを計る劇を得意とする木皿泉の手によるものと考えると、「TOKYO GIRL」との整合性はあるように思えます。年齢を重ねるごとに訪れる壁と率直に対峙し向上していこうという、現在のPerfumeが目指している仕事の内容、焦点がますます明確になってきたのではないかとも感じます。


もしかしたら数年後、30代となった彼女たちは、東京五輪の大仕事から解放されたMIKIKO先生とテクニカルチーム、その他歴戦の仲間たちにバックアップされ、想像もつかない進化を遂げているかもしれません。そして無理をせず、身の丈に応じた時間をかけて「現実味のない距離」を越え、今より遥かに洗練され成熟した表現者となってMSGに立っているかもしれません。


根拠のない妄想ですが、レジーさんとのこの往復書簡で扱ったわずか一年の活動からすら、これほどまでに多岐にわたる分厚い論点、視点を導き出せるPerfumeです。今後も一年毎に何を試み、何を成し遂げるかまだまだわかりません。レジーさんもぼくも、過大な期待を控える見守りモードでいこうという点で一致しているとは思いますが、どうなっても前向きな想像はさせてくれるグループなんだなという実感を新たにさせていただいた、楽しい連載でした。今回はどうもありがとうございました!


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司会者「連載は以上になります」

レジー「やっぱりPerfume面白いな、好きだなと改めて感じながらやってましたが、何かしら新しい発券とかがあったら嬉しいですね。とりあえずはドラマ楽しみにしてます。五百蔵さん改めてありがとうございました」

司会者「次回は」

レジー「うっすらネタがあるんですがちょっと未定で。少し空いちゃうかもですが空かないように頑張ります」

司会者「できるだけ早めの更新を期待しています」