November 03, 2006

Paradox

窓の外では、闇に沈んだ住宅街が流れていた。
僕と妙子以外の乗客はみな、うつむいたり携帯を眺めたりで
誰一人顔を上げている人がいなかった。
いつもの車内の風景なのに、そのときにはなぜか
これがとてつもなく、
陰気で絶望的な風景に思えて仕方なかった。

妙子の駅で降りて、家までの道を歩く間も
妙子は黙ったままだった。
前方のアスファルトの道をぼんやり見つめながら
僕なんて横に居ないかのように、黙って歩きつづけていた。
僕も僕で、妙子と家で本題を話し合うまで
どんなことを言えばいいのか分からなかったから
ただただ黙って歩いていた。
僕が妙子の横で黙って歩くのはいつものことなのに、
これもまた今日に限っては不自然な感覚だった。


玄関に入り、部屋の電気をつけ、
バッグをベッドに投げ置いて、
妙子はぺたっと床に座った。
その横に静かに座って、僕が言葉を発しようとしたその時
妙子が先に口を開いた。

「結局さ、なにがしたいの?」

なにがって。

「何がって、だからちゃんと話し合いに…」

「はじめにサトルが言ったのは、
 あたしの秘密なんて無理やり聞こうとは思わないって。
 そう言ったでしょ?

…あっ。確かに、そうだ。

「なのにあたしが本当に秘密があるって分かったら
 気になってしょうがなくなってんじゃん。」

「だって…、お前の秘密がなんかすごく深刻そうだったから。
 深刻で、それを抱えてるのが辛そうだったからさ。
 それをほっとけるわけないだろ、彼氏として。」

「深刻だから秘密にしてるんでしょ?
 でもサトルには結局それが許せないんだね。」

「許せない?なんでだよ?」

この時の妙子はいつものように感情的に喋るのではなく、
実に冷静に、切々と僕に語りかけてきた。
恐らく心の奥にずっとあった思いを、
帰り道に頭の中で整理しておいたんだろう。

「だってそうだよ、辛いことだから簡単に言えないのに
 無理やり吐かせるような、どうしてそんなことできるの?
 そのくせ自分の秘密は言うつもりなんてないくせに。

 いつもそうだよ、
 サトルあたしの前で素直になんてなったことない。
 あたしがね、嬉しいことも悲しいことも
 サトルに対して打ち明けるのは、
 彼氏だからだし信頼してるからなの。
 サトルはあたしの前で感情的に嬉しいとか悲しいとか
 辛いとかムカつくとか、全然出さないでしょ?
 あたしの言動をいつも客観的に見てる感じ。
 客観的っていうか、むしろ上から目線でさ。

 サトルにとっては、彼女なんて依存する相手じゃないんだね。
 ペットみたいに眺めて、都合のいい時だけ可愛がって、
 飼育してるようなつもりでいるだけなんだよ。」

ペットみたいに、と言われて僕もついカッとなった。

「…お前、自分が何言ってんのかわかってんのか?」

「サトルは自分がどんなことしてるのか分かってんの?
 傷を負ってる人に対してその傷をこじ開けて
 『うわー痛そー』って言いに来ただけでしょ?
 それでその人の傷を
 理解して『あげた』つもりで居たいだけなのよ!
 サトルの優しさなんて、自分の思い上がりでしかないの。
 本当に優しい人は、本当に辛い人にそんなことできないもん。」


僕は、何も言い返せなくなった。
元々口ゲンカとか苦手だけど、
自分の優しさが思い上がりだなんて、
それを胸を張って『違う』と言い切れる人間がいるだろうか?

それに、少なくとも妙子の「傷」に対して
僕が浅はかだったのは言われた通りだった。
確かに僕は、『無理やり聞こうなんて思わない』って言った。
なのに、言えない何かを持っている妙子を見て、
その秘密に対する焦りと苛立ちを感じてしまったんだ。
それが僕ら二人の危機なんじゃないかって勝手に決め付けて、
それを正さなくちゃいけないって…

思い上がってたんだ。

「いま、一生懸命
 頭の中で自分の感情を整理してるでしょ?
 整理して、自分に非が出る言動を排除してから
 あたしに反論しようと思ってる?
 そういう時点でちがうよ。
 チリやホコリも入ったまま、
 フィルターになんてかけないでそのままぶつけて欲しいのに。」

「…反論しようなんて思ってないよ。
 妙子に言われた通りだ。」

数十分前の『思い上がってた』自分を振り返って
どうしようもなく情けなくなってきた。

「妙子の言う通りだ。俺、馬鹿だったよ。
 ちょっと頭冷やす。帰るわ。」

席を立って、玄関で靴を履いてドアを開ける直前、
もう一つ思い上がってたかもしれない事を思い出した僕は
振り返って妙子に尋ねてみた。

「今日さ、ユースケたちに会わなかったら
 あのあとどこ行くつもりだった?」

「あのあと?
 罰ゲームのイタリアンだけど?」

突飛な質問に驚いた様子だったけれど
いつもの口ぶりで答えてくれたことに少しホッとして、
それと同時に更に自分に情けなくなって、
僕は妙子の家を出た。


regopark_cafe at 20:57│Comments(0)TrackBack(0)clip!プチコラム小説 

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