プチコラム小説

March 25, 2007

Get straight

ギラギラとした歓楽街の大通りから
斜めに抜け出る小さな脇道。
チラシの表裏で言うところのまさに裏面のように
唐突に色彩を失って、
コンクリートを塗り固めただけの小さな商業ビルが狭々と並ぶ。
その一角に、妙子の副業としての勤め先があった。

雨上がりの夕方、薄紫がかった灰色のヴェールが街を覆う。
これも自分の心のモヤモヤを映し出しているんじゃないか
なんて思ったりしながら、妙子はビルの狭い会談を上った。

重たくきしむドアを開けて中に入ると、
ちょうど事務所の中から
ユリが店長と話し合いを終えて出てきた。

妙子と目が合ったユリが思わず目をそらした瞬間、
「辞めるの?」
とすかさず妙子が問いただした。
ユリは黙って目を伏せたままその場に立ち尽くした。
「そうだろうと思ってたけどさ。
 こないだ青山であの話聞いた時から。」

青山で偶然出くわして、ユースケとの結婚を聞いた時。
即座に妙子にはピンときていた。
隠し事を精算して結婚に打ち出したということは
ユリにとって“ここ”での事をユースケに告白し、
そして“ここ”をやめるということだ。
結婚そのものはもちろん祝福したい気持ちはあるけれど、
“ここ“を去るのは私を裏切ること、
という思いのほうが打ち勝って、
妙子はそのことが頭から離れず、サトルと一緒にいても
その動揺を隠せずにいたのだった。

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January 08, 2007

Psychotherapist

さっきまで一緒に缶ビールを飲んでいたマリコさんが
いつのまにかキッチンに立っていた。
かと思えば手早くそうめんを茹で上げてこちらへ戻ってきた。

温かいそうめんを「にゅうめん」と言うことを
今日始めてマリコさんから知った。
薄口で懐かしいダシの味としなやかで柔らかい麺が
胸元に突っかかっていたトゲトゲやモヤモヤを温めて
つるっとした喉ごしと一緒に流し去ってくれたような気がした。

「これが、こないだ大辛の冷麺を作ったのと
 同じ人とは思えないな」

「それは褒めてくれてんの?」

「もちろん。料理上手いっすよね」

「麺茹でただけだよ(笑)。
 彼女だってこんくらいするでしょ?」

「いや、うちの彼女は料理しないんだ。
 生ゴミが嫌いなのと…」

「のと?」

自分で言うのも恥ずかしいのだが、
気づいた頃には言いかけてしまったのでそのまま続けて答えた。

「それと、せっかく一緒にいるのに
 料理作ってる間ひとりになるのがイヤなんだって。」

マリコさんの表情が一瞬止まった。
止まったまま僕の目を見つめていた。
そこで互いの目が語っているものを互いが察知した途端、
僕らはぶわっと大声で笑い出した。

「一人んなるのがイヤって!!!」

「だろ!?もう3年だぜつきあって!!」

さんざん下品な声で笑いあった後、
呼吸を整えながらマリコさんがさらっと尋ねてきた。

「はー、あーあ。でも別れないんでしょ?」

「はー、あー?
 …んー、そうだね。別れたくないね。」

「ん。それ言えれば十分だよ。
 そんな生ゴミ女に対してさ」

「ぶわぁはっ!!生ゴミ女って言うな!!」

「きったな!ツバとばさないでよもう!!」


マリコさんってのは、
どうしてこう人を笑わさないと話が出来ない人なんだろう。
荒治療ではあるけど確実に一発で直してくれる医者みたいだと思った。

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December 02, 2006

Proof of Love

彼女の家に入った後に、別の女性の家に入るなんて。
妙子にはとてもじゃないけど言えない。

1時間前に妙子の家で見かけた光景と同じように、
マリコさんも家に着くなり、部屋の電気をつけ、
バッグをベッドにおいて
床のクッションにどかっと座った。
さすがに隣に座るわけにはいかないので
テーブルを囲んで右横に座った。

そうめんを茹でる前に
二人とも無意識的に缶ビールを開けてしまったので
そのまま早速、僕は自供モードに入ってしまった。

今日1日のこと、これまでの自分と彼女のこと…。
マリコさんは黙ってタバコをふかしたまま
表情ひとつ変えずに僕の話を聞きつづけていた。
僕が一通り話し終えると、
ひと息の間を置いてからこう答えた。

「それはきっと甘えだね。」

ダメ出しなんだけど、
あまりにさらっと独り言のように言うので
ダメ出しとか説教って感じがしなかった。

「サトル君が、彼氏ってポジションに甘えてたんだよ。
 例えば男女が二人っきりで出かけたら、
 それはもうデートってことになる?違うでしょ?
 ってかそもそもデートをしたら、
 それで二人は両思いだってことになる?
 そんなんだったら
 恋愛で苦労なんてしないよ、っんとに。

 そんな保証はね、どこまで行っても無いのよ結局。
 SEXしてもコクられても籍を入れても、
 自分はこの人に確実に愛されてるなんて証拠は
 どこにも無いんだって。」

マリコさんのぽってりした唇から
薄色の煙が真っ直ぐふき出される。
少し遠い目をしたまま、更に続けた。

「結局はサトル君がそこに気づいて無かった、って
 それだけだよ結局。それだけ。」

「…、それだけ。か。」

「そ。それだけ。
 安心できる相手だからって、
 安心するのと油断するのは違うよ。甘えすぎるのも違う。」

「俺、甘えてたんだ…」

「あまあまだよ」

「彼女には、俺が甘えない男だって言われたんだけど」

「甘えないってのが、つまり甘えてるからでしょ?
 強がって気取って頑張らなくても
 このまま当たり前のように付き合って結婚して
 ずっと一緒に居るんだろう、って。
 当たり前のように付き合ってる奴ら、
 あたし一番嫌いなんだよね」

そこでまた、ある単語が僕の頭をよぎった。
しばらくは消えそうも無いこの言葉。
「思い上がってた」ってこと。

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November 19, 2006

Harmonized

終電を降りて地元の駅に着くと、
自然と周りをキョロキョロと眺めている自分がいた。
僕はあの時、間違いなくマリコさんを探していたのだった。

とはいえ、数ヶ月前にあんな形で知り合ってからは
一度も見かけたことがなかった。
でも今日のようなひどく落ち込んだ日は
あの人がふらっと現れて、またフシギな誘い方で
僕を逆ナンしてくれるんじゃないかと思えてならなかった。
初めて出会った時のマリコさんがそんな状態だったように、
今の僕もボロボロだった。

そんなことをぼんやりと思っていると
奇跡的に、コンビニから出てくるマリコさんに出くわした。
向こうは僕の顔を見てもすぐには気付かなかったようで
ジロジロと見つめてくる男に怪訝そうな顔をしていたが、
その眉間のシワを見て僕には一層マリコさんだという確信が持てた。

「覚えていますか、冷麺を食べにだけ来た男を?」

「…ああ!君ね!!えっと…」

「サトルです。何買ったんですか?」

「えっ…、いいじゃない、なんだって」

「当ててみましょうか?おでんと缶ビール2本」

「なんでわかったの!?」

「僕が今買おうと思ってたから」

「ちなみに2本買ったのは、
 見栄とかカモフラージュとかじゃないからね」

「分かってます。
 じゃ僕も今からもう2本買ってくるんで待っててください!」

「は?何言ってんの、あんた?
 ってかどうしてそんなテンション高いの?」

僕はコンビニに入ろうとしたが一度引き返して、
マリコさんにこう尋ねた。
これを言う日を、僕はあの日からずっと待っていたのかも知れない。

「今日は冷麺ありますか?」

マリコさんはあっけに取られているようだったが、
少し首をかしげて腕を組んだ「キャリアウーマン・ポーズ」のまま
吐息混じりに答えてくれた。

「…温かいそうめんはどう?」


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November 03, 2006

Paradox

窓の外では、闇に沈んだ住宅街が流れていた。
僕と妙子以外の乗客はみな、うつむいたり携帯を眺めたりで
誰一人顔を上げている人がいなかった。
いつもの車内の風景なのに、そのときにはなぜか
これがとてつもなく、
陰気で絶望的な風景に思えて仕方なかった。

妙子の駅で降りて、家までの道を歩く間も
妙子は黙ったままだった。
前方のアスファルトの道をぼんやり見つめながら
僕なんて横に居ないかのように、黙って歩きつづけていた。
僕も僕で、妙子と家で本題を話し合うまで
どんなことを言えばいいのか分からなかったから
ただただ黙って歩いていた。
僕が妙子の横で黙って歩くのはいつものことなのに、
これもまた今日に限っては不自然な感覚だった。


玄関に入り、部屋の電気をつけ、
バッグをベッドに投げ置いて、
妙子はぺたっと床に座った。
その横に静かに座って、僕が言葉を発しようとしたその時
妙子が先に口を開いた。

「結局さ、なにがしたいの?」

なにがって。

「何がって、だからちゃんと話し合いに…」

「はじめにサトルが言ったのは、
 あたしの秘密なんて無理やり聞こうとは思わないって。
 そう言ったでしょ?

…あっ。確かに、そうだ。

「なのにあたしが本当に秘密があるって分かったら
 気になってしょうがなくなってんじゃん。」

「だって…、お前の秘密がなんかすごく深刻そうだったから。
 深刻で、それを抱えてるのが辛そうだったからさ。
 それをほっとけるわけないだろ、彼氏として。」

「深刻だから秘密にしてるんでしょ?
 でもサトルには結局それが許せないんだね。」

「許せない?なんでだよ?」

この時の妙子はいつものように感情的に喋るのではなく、
実に冷静に、切々と僕に語りかけてきた。
恐らく心の奥にずっとあった思いを、
帰り道に頭の中で整理しておいたんだろう。

「だってそうだよ、辛いことだから簡単に言えないのに
 無理やり吐かせるような、どうしてそんなことできるの?
 そのくせ自分の秘密は言うつもりなんてないくせに。

 いつもそうだよ、
 サトルあたしの前で素直になんてなったことない。
 あたしがね、嬉しいことも悲しいことも
 サトルに対して打ち明けるのは、
 彼氏だからだし信頼してるからなの。
 サトルはあたしの前で感情的に嬉しいとか悲しいとか
 辛いとかムカつくとか、全然出さないでしょ?
 あたしの言動をいつも客観的に見てる感じ。
 客観的っていうか、むしろ上から目線でさ。

 サトルにとっては、彼女なんて依存する相手じゃないんだね。
 ペットみたいに眺めて、都合のいい時だけ可愛がって、
 飼育してるようなつもりでいるだけなんだよ。」

ペットみたいに、と言われて僕もついカッとなった。

「…お前、自分が何言ってんのかわかってんのか?」

「サトルは自分がどんなことしてるのか分かってんの?
 傷を負ってる人に対してその傷をこじ開けて
 『うわー痛そー』って言いに来ただけでしょ?
 それでその人の傷を
 理解して『あげた』つもりで居たいだけなのよ!
 サトルの優しさなんて、自分の思い上がりでしかないの。
 本当に優しい人は、本当に辛い人にそんなことできないもん。」


僕は、何も言い返せなくなった。
元々口ゲンカとか苦手だけど、
自分の優しさが思い上がりだなんて、
それを胸を張って『違う』と言い切れる人間がいるだろうか?

それに、少なくとも妙子の「傷」に対して
僕が浅はかだったのは言われた通りだった。
確かに僕は、『無理やり聞こうなんて思わない』って言った。
なのに、言えない何かを持っている妙子を見て、
その秘密に対する焦りと苛立ちを感じてしまったんだ。
それが僕ら二人の危機なんじゃないかって勝手に決め付けて、
それを正さなくちゃいけないって…

思い上がってたんだ。

「いま、一生懸命
 頭の中で自分の感情を整理してるでしょ?
 整理して、自分に非が出る言動を排除してから
 あたしに反論しようと思ってる?
 そういう時点でちがうよ。
 チリやホコリも入ったまま、
 フィルターになんてかけないでそのままぶつけて欲しいのに。」

「…反論しようなんて思ってないよ。
 妙子に言われた通りだ。」

数十分前の『思い上がってた』自分を振り返って
どうしようもなく情けなくなってきた。

「妙子の言う通りだ。俺、馬鹿だったよ。
 ちょっと頭冷やす。帰るわ。」

席を立って、玄関で靴を履いてドアを開ける直前、
もう一つ思い上がってたかもしれない事を思い出した僕は
振り返って妙子に尋ねてみた。

「今日さ、ユースケたちに会わなかったら
 あのあとどこ行くつもりだった?」

「あのあと?
 罰ゲームのイタリアンだけど?」

突飛な質問に驚いた様子だったけれど
いつもの口ぶりで答えてくれたことに少しホッとして、
それと同時に更に自分に情けなくなって、
僕は妙子の家を出た。


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September 21, 2006

Confession 1

しかしながら、帰りの電車での妙子はえらく静かだった。
だからといって僕も、いつもの通り
気を利かせてこちらから何かを話し掛けようともしなかった。
しなかったし、できなかったのも事実だった。

ユースケとユリの結婚の理由は簡単なようで難しいもので、
「お互いへの隠し事がなくなったから」だそうだ。
結婚をするにあたってそうしようと意識したわけではなく、
いつもの痴話ゲンカが発展した流れで
たまたま、互いの隠し事をぶちまけるようになったのがきっかけらしい。
いくら付き合って5年とはいえ、
恋人に隠し事がなくなるなんて、そんなこと本当にあるんだろうか。
それに、それが本当にいいことなんだろうか。

でも、少なくとも今の僕にも妙子にも、
隠し事は山ほどあるのは確かだ。
そのレベルがどれくらいのものかは別として。


「お互いへの隠し事ってさ、」

妙子が口を開いた。

「それが解消されなきゃ、うちらも結婚できない?」

女って本当に楽な身分だ。
どっからどう聞いたってプロポーズにしか思えない発言なのに
女だって理由だけでこれはプロポーズにカウントされないんだ。
それどころか、この発言はアシストとして提示されたのだから、
それを受けてこちらからプロポーズしなければ
男のほうが根性無しで無責任みたいに位置付けてしまうんだから。

「…俺はそんなこと無いと思うけどな。
 そういう秘密無くしたら、
 無いままで維持するほうが不健康だと思うし」

「無いままで維持ね…。そうだよね。」

僕はてっきり、ユースケ夫妻の影響が
妙子の結婚願望にプラスに働くとばかり思っていた。
しかし、現実としてその道を歩む二人を間近で見て
その背景まで見聞きしてしまうと、
意外にも、そうとばかり行かないようであった。

ところがそうやってマイナスに働いたせいで
二人の将来に対して妙子をより不安にさせたことは確かで、
二次的、三次的な影響を考えると
結果的により強い結束を求めた妙子の結婚意識を強めたように、
後々になって今なら思えるのだ。


「俺、別に妙子の秘密とか無理やり聞こうとも思わないし、
 俺もそれを全部ぶちまけるつもりはないよ。
 だからそんなに気にしなくていいから」

「それでもサトルは、あたしと結婚できる?」

「…」

「…」

「…そんなに深刻な秘密があるの?」


電車は僕の駅に近づいていた。
この決定的な質問に対してわずかな沈黙も待ちきれんとばかりに、
窓の外では降車ホームが徐々に速度を緩めて姿を現してきた。

「…それはまた」

電車は完全に止まり、ドアが開いた。

「また、次会った時にはなすよ」

「あるの?」

「着いたよ」

「帰れるわけねぇだろ」




僕はそのまま、妙子の家まで一緒に向かった。




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September 15, 2006

Supporters

サトルは何とかしてこの流れを変えられないかと
妙子との会話の合間にも頭の端っこで一生懸命知恵を絞っていた。

自分の力で別の店に引っ張ろうにも
相手はその程度で流されて
自分の目的を遂行し損ねるような奴ではない。
職場で急に人手が必要になったからと呼び出されたと言っても
もともとそんなに忙しくなるような店ではないし、
普段からそんな都合のいい電話には従わないような
「野中サトル=マイペース」という地位を
店でも既に築き上げていることさえ、妙子には知られている。

結局思いついた限りの最善の手段はこれだった。
携帯のタイマーを20分後にオンにしておき、鳴った途端に
さも友人からの着信が来て
妙子も一緒に仲間内の飲み会に誘われているかのように演じ、
青山からできる限り遠くに移動しながら、
移動の電車の中で手当たり次第友人にメールして呼び出す。

そんな浅はかな作戦でも、
この短時間と慌てふためいた精神状態で考えついたことに
自分で自分が誇らしかった。
会話の流れを途切れさせないように、
妙子の反対側のポケットからこっそりのぞいた携帯で
タイマーを設定しようとしていた、そのとき。
サトルと妙子の共通の親友・ユースケが現れた。


(ユースケ、でかした!!)


サトルは心の中で発狂した。
絶好のタイミングで助っ人があらわれたのだ。
ユースケの隣には高校時代からの彼女であるユリもいた。
もともとはサトルとユースケが親友だったのだが、
どちらにとっても付き合いの長い彼女であるユリと妙子も
いつのまにか彼女同士で仲良くなっていたのである。

とっても自然な流れで、最適な相手とダブルデートだ。
このまま4人でダイニングバーで
いつもの下らない話で飲み明かせばいいんだ。
もうプランは必要なくなった。
サトルは肩の力を一気に抜いて、ユースケと雑談を交わしていた。

「…で、今日はどうしたんだ、こんなところで?」

「いやあ、まあ…。
 うーん、こんなタイミングで言うつもりは無かったんだけど、
 ま、ちょうどいいから言うわ。
 俺たち、結婚することにしたんだ。
 今日はベルコモンズでドレス見にきててさ。」


(お前、マジで死ね!!)


ユースケ達に出くわしてから若干表情の曇っていた妙子も
この発言によって一気に満面の笑みに変わり、
キャーキャー騒ぎながら祝福の言葉を撒き散らしていた。

これで妙子の結婚願望は200%増になったのは明らかだ。
サトルは気の利いた言葉も態度も妙子に任せたとばかりに
あっけに取られたまま、またも頭をフル回転させながら
今日の帰りの電車の中で
いかに妙子の「口撃」をかわそうか、そればかり考えていた。



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September 13, 2006

Presentiment

青山なんて久しぶりだ。
大学の頃は当たり前のように通っていたのに。

青山の好きなところは、オフィスビルに囲まれているのに
新宿や丸の内のような閉塞感がなく、
昔からの人気の店々がその風情を残して街を飾っているところ。
とは言うものの、
当時通っていた穴場のカフェや古着屋も次々に姿を消していて、
通っていた親しみと共存した寂しさ、
よく知っているはずの場所なのに、
そこから自分だけ爪弾きされているような寂しさを感じた。

隣で歩いている妙子にはそんなこと構わないらしく、
いつまでも青山を自分のものにしたがっているようだった。

「結構変わったねぇ、青山も。相変わらず道はわかりにくいけど。
 ね、大学の頃サトルと一緒に行ったイタリアンの店、覚えてる?
 あれどこにあったっけ?」

「イタリアンなんて、そんな高いとこ行ったっけ?」

「行ったよぉ!
 どうしてそんな『高いとこ』に行ったんだと思う?
 付き合って1周年の日だったからだよ!?」

「あー、そういえば行ったっけね」

「うっそ、忘れてるぅ〜!
 じゃ罰として、今日はその店で夕飯おごってよね」

「夕飯!?ランチじゃないの?」

「ランチじゃ罰ゲームになんないでしょ!」

妙子と僕の共通点は、
『ゲーム』という単語が好きだ、って事。
あるとき不意にクイズを出してきたり
競争をもちかけてきたりする大胆なところが
ぶりっこの外見からは予測のつかなかった彼女の面白いところで、
一緒にいる時間を退屈と思ったことが無かった。

今日、青山に連れ出された理由は、薄々感づいている。
あちこちをふらふらしているように見せかけて、
そのルートの先にあるのはベルコモンズだ。僕には分かる。
ベルコモンズのブライダルショップへ行く気なんだ。
洋服好きの妙子が服屋に目もくれず、
インテリアショップやアクセサリー屋には足を止めるあたりから
ちょっと怪しいと思ったんだ。

…、待ってくれ。俺、まだ23だぞ?


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September 10, 2006

Maya

「もしもし」

「もしもし、ごめんね、夜遅くに」

「いやいや、全然大丈夫だけどさ、
 ってかうちらも心配してたんだよ、ハルカ!?
 あのあと急に帰っちゃうからさ!」

「うん。ごめんね」

「いや、別にいいんだけど、ただホント心配だったんだ。
 ほら、うちらは応援に来ただけの身分だったじゃん?
 だからうちらが何言ってもアレかなぁ、と思って」

「そんな、こっちこそ来てもらったのにむしろごめん。
 ホントごめんね。
 言い訳する資格も無いとは思うんだけど、
 あの時は本当に自分で自分が情けなくなって逃げ出したくなって」

「うんうん。そういう時、あたしもある。
 去年、太田先輩にコクって振られた時とかそうだったもん」

「………、マヤぁぁあ〜〜〜っ!!!」

「え?なになに?なによ!?どしたのハルカ??」

ハルカはこれまで強がって、つっぱって、
出さないようにこらえてきたものを全て解き放った。
これまで絶対人に言わなかった大会前の極度の緊張も、
インターハイで大敗した時の悔しさと情けなさも、
そしてカフェでのサトルへの告白も、全部打ち明けていた。

「そっかぁ。でもそれも分かるなぁ。
 もう、どうしようもなく落ち込んだ時にはさ、
 やっぱり好きな人の顔、見たくなるじゃん?
 んでもう、そこでいい具合に優しくされちゃったらさ、
 もうこれはいけるかも!って自身とか勇気が湧いちゃうんだよね。
 きっと精神的に不安定な時だから
 普段の理性とか判断力が鈍ってんだよ。
 その上『どうせ失うものもないし』とかって度胸も生まれてさ。
 そりゃあたしだってコクるよ。だってウサギちゃんでしょ?」

「ウサギちゃんだねぇ。ウサギちゃんじゃぁ、
 …そりゃ勘違いしちゃうよねぇ」

「そーだよ!だいいち、それはサトルが思わせぶり過ぎなんだよ!
 『大好きなハルカちゃん』とか『大歓迎』とか言ってきたんでしょ?
 あんな優しそうな顔して結構プレイボーイなのかもよ!?」

女同士の恋愛話では、その会話の一言一句が
余すところ無く報告されてしまう。
思われてる相手の言動は忘れてしまいがちでも
自分が思っている相手の言動は、特に、生涯覚えているものである。

「うーん、そうかもねぇ。うちらへの扱いも妙に小慣れてたしね」

「そうそう!
 …ま、でもちゃんとした理由を聞いてきたハルカは偉いよ!
 ちゃんとお互い、冷静に話し合ってこれたわけでしょ?」

「うん。
 でもきっと、冷静じゃなかったからそんなことできたんだと思うけど」

「まあ、まあ、でもそれもある意味あんたにとっちゃ成長よ!
 へんな形でこじれないで済んだんだからよかったじゃん!」

「そうだねぇ。まあ、高校生って立場は、確かに言われてみれば
 大人と付き合うのって社会的にも難しいしね」

「そうよ。最近は年上の女のほうがモテるっていうし!
 年下の女を恋愛対象に考えないってのも珍しくないしね」

「でもサトル兄さんは年下とか守ってやるの
 好きそうなイメージだったのにな…」

「まぁ、友達の関係でも守ってくれるって!
 恋愛じゃないとはいえ、
 ハルカが気に入られてるのは確かなんだから!!」

「そっか。そだよね。
 これからも『お兄ちゃん』でいてくれるって、言ってくれたしね」

「そうよ、上出来よあんた!
 大好きな人に自分の気持ちを伝えて、
 なおかつそれ以降も関係が続けられるんだから!
 あたしなんて
 太田先輩に振られてから軽く避けられてたんだからね!!」

「えー!ひどいね、太田先輩ーぃ!」

「でしょ〜!ってかあの時もあたし、
 ハルカとユウコがいてくれなかったらホント1ヶ月は
 ショックで登校拒否してたかもね」

「なにそれ絶対ウソだよ〜!
 だってマヤ、その時秋元君も気に入ってたじゃん!」

「それとこれとは別よぉ!」

「な〜んで別なのよぉ!?」

ハルカはこの日、久しぶりに2時間程に及ぶ長電話をした。
マヤのおせっかいさと陽気さのお陰で、
泣きはらした目もいつの間にか腫れも引いていたようだった。



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September 09, 2006

Hush!!!

「サトル兄さんって、誰にでもそんなに優しいの?
 それとも、あたしがお客さんだから?」

温かいカプチーノを飲みながら、ハルカはこう尋ねた。

「んー…、どっちもあるのかもしれないけど、
 多分、飲食やってる人は
 仕事だと思ってお客さんに優しくしようと努めてる人よりも
 自分が心からそうしたいと思ってしてる人のほうが多いと思うよ。

 それと、今の僕の場合も純粋に、
 大好きなハルカちゃんに、元気になって欲しいと思って、
 最高のカプチーノを楽しんで欲しいと思っただけ。
 それだけだよ。」

『大好きなハルカちゃん』という言葉にドキッとした。
本気の恋愛感情じゃないんだろうなってのはさすがに分かるけど
それでも、その響きの心地よさに、
思わず今の会話から離れて
自分の心の中で何度でもリプレイして味わいたいくらいだった。

「…だめだよ、そんなに簡単に優しくしちゃ。
 だからあたしみたいな小娘が、勘違いして甘えに来ちゃうんだよ?」

突然の大胆な発言だったが、
あまりシリアスにならないよう、サトルはハハッと笑って答えた。

「勘違い?じゃ、たとえ勘違いでも
 ハルカちゃんみたいな子が甘えにきてくれるんなら嬉しいね」

「子供だと思ってからかってるんだ」

「そんなこと無いよ、ほんとに大歓迎だよ」

「じゃあ言うけど、
 あたし本気でサトル兄さんのこと好きなんです。
 付き合ってくれますか?」




あまりにストレートで飾りの無い言葉に
サトルの愛想笑いも吹き飛んだ。
他の客や店員たちには聞こえていなかったので
店内はいつも通り、いくつもの和やかな談笑が場を包んでいる。

大会で大敗して、救いを求めてやってきた中、
こんな形で告白することになるとは
きっと本人にとっても予想外のことだったのだろう。
そんな状態の高校生に、どんな言葉をかけてやれば
いちばん傷つけずにすむのだろう。
女性慣れしているサトルでも、さすがに動揺して
何も言えないまましばらく立ちすくんでいた。


同じ時、ハルカもそのまま固まっていた。
なんてこと言っちゃったんだろう。あたしのバカ。
なんでこんな日に、
こんな場所でこんなタイミングで言っちゃったんだろう。
もっとちゃんと二人きりの時に言いたかった。
相手は仕事中だよ?
あたしに対して『接客中』の時にコクるなんて、
あたしバカにも程があるよ。
あー、でも言っちゃったからには引き下がれないし、
ここで『…な〜んてのはウッソ〜』なんて言っても寒いし、
余計虚しくなるし、それこそウソだってバレバレだし、
でもフォローする言葉も出てこないし、どうしよう…。
サトル兄さん、めちゃくちゃ困ってる…。
ああ、もう、最悪…。生涯でいちばんの最悪な日だ。
もう、今すぐこの場から消えたい。逃げたい…。

「あの」

先に口を開いたのはサトルだった。

「すごくびっくりしたけど、社交辞令じゃなく本当に嬉しいよ。
 でも僕、…彼女居るんだ。ごめんね」

「あ、や、あの、
 こちらこそ仕事中にスミマセンデシタ!
 あたし何言っちゃったんだろ。ほんとごめんなさい!!」

慌ててそう答えたものの、
このときのハルカは動揺と混乱があまりに度を越して
無意識のうちに、もう一人の潜在的な自分が口を開きだしてしまった。

「でも、それ…って、理由になってないと思う。
 彼女居るから、って、それは違いますよね?
 それ取っ払ってあたし個人に対して、答えを聞かせてください。」



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