まぁ、頑張りまっか

自分が気に入ったバンド/ミュージシャンの感想文付きディスコグラフィを作ります。 このブログで掲載しているものは実際に音源を購入した作品に限ります。 なお、無断転載はお断りします。

2017年06月


Crowbar/The Serpent Only Lies (2016)


1. Falling While Rising

2. Plasmic And Pure

3. I Am The Storm

4. Surviving The Abyss

5. The Serpent Only Lies

6. The Enemy Beside You

7. Embrace The Light

8. On Holy Ground

9. Song Of The Dunes

10. As I Heal



アメリカ産スラッジ・メタルバンドです。

通算11作目。

eOne Musicからのリリース。



CROWBAR


脳筋アメリカン・メタルの英雄Phil Anselmo(ex Pantera)、Jamey Jesta(Hatebreed)をして「スローでヘヴィなリフを作らせたら旦那の右に出る者はいない」とまで言わしめる親玉Kirk Windsteinを中心に、アメリカ南部の都市ニューオリンズで結成された今回の主役Crowbarは、ひたすら重鈍で閉鎖的なドゥーム・メタルへ、ハードコア由来の荒々しい凶暴性と、グルーヴ・メタル由来のタメが効いた横揺れ感を盛り込んだ音楽スタイル──スラッジ・メタルの先駆者に位置付けられる界隈の最重要バンドです。

地元の繋がりが深いニューオリンズ産HR/HMミュージックの象徴として押しも押されぬ威厳を備えた存在と評価されていることに加え、アメリカン・スラッジ・シーンを形成したバンド群の中では、Melvins、Neurosis、Eyehategod、-(16)-と並んで世界的に最も強い影響力を保持しており、その勇名を轟かせています。

現在世に溢れている暴力志向のスラッジ/ドゥームコア・サウンドは必然的にCrowbarの影響下にありますし、何ならHatebreed等のメタリック・ハードコア勢による脳筋ビートダウンのお手本は彼らが作ったと言っても過言ではありません。

タフガイ・ドゥームの塊1st、煽情力が飛躍した哀愁メロディとハードコア式の突進を野蛮に融合させた2nd、3rd、初期の集大成+極悪ドゥーム色を強めた4th、メロディに闘う漢の悲哀と苦悩が如実に反映されたキャリア最重量期5th、6th、音像の壮大さと曲展開の多様性を強化した7th、静動/明暗の対比がドラマティックに磨かれた8th、一級正統派メタル顔負けのエピックな高揚感と過去最大のスケール感を封じ込めた9th、陰影に富んだ悲愴感が覆う10thと、作品毎にメロディの質や曲展開など微々たる違いこそあれど、初期から現在に至るまで"漢のドゥーム魂"が徹頭徹尾貫かれた武骨な作品群をコンスタントに発表してきました。


で、今作の話。

1st~6thでベースを担当していたオリジナル・メンバー(親玉Kirk Windsteinを除いてはバンド在籍期間最長)で関取級の巨体の持ち主Todd Strangeが電撃復帰を果たして、リリース前から北米や南米のメタル・コミュニティで話題となっていた彼らですが、肝心の中身としては大方の予想通り、清々しいほどまでの不動っぷりであります。

ここ数作との明らかな違いを挙げるとするならば、Todd Strangeが復帰したことでメンバーの平均体重が増えたこと、初期作に共通していた宗教画風の絵柄に近年前面にフィーチャーされてきたクローバー・マークを添えるという、毎度センスが絶望的に残念なCrowbarとは思えないほど秀逸なアート・ワークが採用されたことぐらいで、とにかく基本的な音像は微塵にもブレていません。

つまり、今回も最高の超重量級スラッジ・メタルが詰まっているということです。

勿論、剛直に固定された軸足の上で細かなタッチの変化を隠し味として加え、過去作の安易な焼き直しに陥らない多様性を与えているのは今作においても見逃せないポイントで、例えば、破天荒な衝動性を放つハードコア色の減退、代わりに2000年代以降の音像で顕著である、まるで巨大な鉄球の足枷を繋がれた闘士達がコロッセオで戦うかのようにヒロイックなドゥーム色の更なる増強及び泥っぽい暗黒性の拡張、サザン・ロック直系の悲哀ハーモニーの練磨、普段以上に歌メロの充実度を重視する姿勢などは作中で明確に機能しています。

長いキャリアを持つバンドの作品を解説する際に度々用いられる"ベテランらしさ"とは、得てしてアイデアの枯渇を暗に意味する場合が多々ある訳だけれど、Crowbarにはネガティヴ・ミーニングが当て嵌まらないと言っておきましょう。

この辺りは、独自のスラッジ・サウンドを長年追求してきた親玉Kirk Windsteinによる匠の技が最大限活きる熟練コンポーズ能力の賜物と言う他ありません。

靭性に富んだ柔軟なタメ感と取っ散らからない程度に器用な小技を駆使しながら、鈍い低速を中心に爆発力マシマシで豪快に叩き込むTommy Buckley(Dr)のドラミングと、Todd Strange(製作段階では未参加)のプレイを明らかに意識した筋肉質で粘り気の強い重低音グルーヴィ・ベースで強靭なサウンドの骨格を鋼鉄精神を以って硬派に形成、太い芯が通った前のめりのパンキッシュな突進から飛び抜けた重厚感を生む鉄槌スロー・パートへと力技で雪崩れ込む脳筋リズム・チェンジといった、デビュー以来お馴染みの方法論も相変わらず冴えています。

そこへKirk Windstein(Vo/Gt/Ba)、Matthew Brunson(Gt)から成る界隈屈指のタフガイ・ギター隊が、足を地に付けドッシリと構えていると言うより重量過多で地面に足がめり込んでいる様相の轟音崇拝系スラッジ・リフ、ヘドロさながらの泥濘に引き摺り込むドゥーム・リフを大変暴力的な感性で次々と振り落とし聴き手を手荒く捩じ伏せていくのですが、あまりにも重々しいリフの応酬が生む説得力は並外れた次元にあり、"スラッジ・メタルはリフの音楽"と言った専門家筋の表現は的を得ていると感じられました。

一方、中期以降じっくりと磨きを掛けてきたメランコリックな叙情性を漂わせる闇メロディや、ボロボロの重戦車に搭乗して敵兵を薙ぎ倒しながら最後の特攻を試みるかのように燃える悲壮感をヒロイック且つエピックに喚起するツイン・リード、スラッシーな殺傷力を鉛色の音に落とし込んだ肉厚な刻み、耽美な鬱性を堪えたアルペジオなどを添え、豊潤なドラマ性を巧みに演出しているのが見事。

こうした正統派メタル勢にも通ずるキャッチーなメロディをさり気なく組み込んでいく手法と、食事をしている時に聴いてもご飯が不味くならないドゥーム加減は、類型的なスラッジ/ドゥームコア勢の追随を許さないCrowbarならではの独自性であると捉えることが出来るでしょう。

そして、親玉Kirk Windstein(Vo/Gt/Ba)による潰れたボーカル・ワークもまた非常に強力な武器であります。

音楽を演るには絶対に不要であろうパンパンに膨れ上がったウエイトリフター系の筋肉を全身に装備し、そこにアメリカンな贅肉を乗せるといったパワー最重視の筋骨逞しい体躯から放たれる声は正に武神の咆哮といったところ。

元々の声質自体は完全なる濁声ながら、抜群に優れた歌心でどこまでもパッショネイトに絶唱する熱血スタイルで、幅広い層の心へ響くであろう魅力を確立している点は特筆に値するファクターでしょう。

吐き捨て気味の豪胆なシャウト、ダイナミックなメロディを積極的に追う悠然とした闘志漲るハーシュ・クリーンの有無を言わさぬ気迫は当然のこと、今作で一際力を入れたブルージーな憂いと厚情を帯びる深い歌声も実に聴き応えがありますね。

今作中でも印象深い存在感を見せる珠玉のダーク・バラード9曲目Song Of The Dunesでの南部らしい空気感と倦怠感が共に宿った歌メロは彼の新境地ではないだろうか。

スラッジ・メタル、グルーヴ・メタルのボーカリストとしては間違いなく最高峰のパフォーマンスだと思います。

また、後続達のようにデジタリックに引き締まった没個性的な音作りではなく、あくまでドゥーミーに澱んだ弦楽器と、抜けの良い打楽器の対比が際立ったミキシングの妙技は何回聴いても面白い。

基本的な音楽性はブラさずとも、自らの理念に沿った深化を遂げていくバンドのあるべき姿="漢のドゥーム魂"が余すところ無く投影された力作に仕上がりました。

苛烈なまでに重く遅い音楽性が故、日本では知名度/人気が未だにサッパリの模様ですが、2nd"Crowbar"、4th"Broken Glass"、9th"Sever The Wicked Hand"辺りは重金属好きの方に是非とも触れて頂きたい雄弁な作品です。


Neurosis/Fires Within Fires (2016)


1. Bending Light

2. A Shadow Memory

3. Fire Is The End Lesson

4. Broken Ground

5. Reach



アメリカ産ポスト・メタルバンドです。

通算12作目。

Neurot Recordingsからのリリース。



NEUROSIS


30年以上のキャリアを誇る古参バンドながら、"異形の破壊神"として今尚HR/HMシーンの覇権を掌握し、その最頂点に君臨しているNeurosis。

英国Terrorizer誌をして「過去20年間で最も影響力の高いバンド」とまで評された彼らの革新性と創造性は正に別次元レベルで、独自の精神世界を擁する先鋭的カリスマ・メタルバンド群の源流を辿れば、全てこのNeurosisに行き着いてしまうほどの絶大な権威を放っています。

最初期こそ、当時黎明期にあったクロスオーバー・ハードコア界隈で名を上げていた彼らですが、世界で初めてポスト・メタルを形作った歴史的名作3rd"Souls At Zero"にてジャンルの枠組みをぶち壊す孤高の音像へと恐竜的進化、以降はバンドが最終目標として掲げる"音の聖杯"の獲得を目指し、無限大のクリエイティブ精神を極限にまで追求し尽くす現在に至ります。

そんなNeurosisの音楽性は、ハードコア由来の初期衝動迸る荒々しい攻撃性、ドゥーム由来の重鈍なテンポと金属的なリフ・ワークを取り込んだ"スラッジ・メタル"を主軸に、原始的に鼓動するリズム感、バグパイプなどの古典楽器を用いた"民族音楽要素"、幻覚系トリップ感を強調したサイケ、音空間をグニュグニュと浮遊するアンビエント、近代拷問の音責めを思わせる轟音ノイズ、同じ音をひたすら反復させるドローンなどの"実験音楽要素"、複雑な曲構成を先進的且つ情緒不安定に展開する"プログレ要素"(本来の概念としての)、無慈悲で機械的な冷たさを宿した"インダストリアル要素"、アンティークな感触を施した寂寥感を醸す"ブルーズ/カントリー要素"、ストリングスを駆使してヨーロピアンな格調を帯びた旋律を奏でる"室内楽要素"、グレゴリオ聖歌的クワイアや、荘厳なオーケストレーションを劇的に重ねる"シンフォニック要素"、触れると壊れてしまいそうなほど脆弱な美しさを醸し出す"ポスト・ロック要素"と、まるで音楽には限界などないと言わんばかりの非常に多種多様なエッセンスを究極にまで破壊的でいながら、観念的スピリチュアリズムを根底に宿した深淵なるセンスで以って、唯一無二の形へと統合させたものであると表すことが出来ます。

特定の型に嵌らず完璧に新しい音世界を切り開いた総合芸術HR/HMジャンル"ポスト・メタル"を単独で誕生させたことは勿論、映像効果を用いたオカルティックなLIVE演出の考案、未来を担う後続バンド達のサポート及びシーンの活性化を促すために自らが主宰するレーベルNeurot Recordingsを設立したという事実などは、メタルの教科書には必ず記載されるべき偉大な功績だと言えるでしょう。

さて、Neurosisは作品毎に作風と世界観を螺旋階段のように変えてくるタイプのバンドなので、まずは過去作の特徴を纏めた記事 をチェックてください。


で、今作の話。

5th"Through Silver Blood"以降不変のバンド体制がLIVE形式で楽曲を生演奏し、それをプロデューサー兼サウンド・エンジニア担当"音の錬金術師"Steve Albiniが音の微粒子までも残さず最上級のアナログ式録音を施す、お馴染み無敵の布陣で製作されました。 

さて、トータル・タイム41分というNeurosisとしては非常にコンパクトな纏まり(40分前後の作品は実に26年ぶり)から、ここ数作では最も軽快な内容なのではと勝手に予想していたのですが、いざ現物を手に取って聴き込みを開始するや否や、自分の短絡的な推測は全くの的外れだったと認めざるを得ない仕上がりになっています。

まず、全体的な作風は、極厚スラッジ・メタルを軸にした普遍的なバンド・サウンド主体で生々しくパッショネイトに進行していくものと判断して間違いないでしょう。

内向きに潜り込みつつ時には神々しい高揚感を喚起する空間意識と、民族的な異質感が徹頭徹尾貫かれていた前作11th"Honor Found In Decay"と比較すると、ストレートと呼んでも差し支えのない力強さを全編で確かに受け取ることが出来、時として6th"Times Of Grace"で顕著だった原始時代さながらの覇気を発散する野性が感じられます。

その変化に伴って、2000年代以降の作品群で頻繁に導入されてきたストリングスや、バグパイプによる古風なシンフォニーは消失、同時に産業排気音のように殺伐としたインダストリアル手法が控えられているのも今作の特徴として挙げられるでしょう。

しかしながら、"異形の破壊神"Neurosisはシンプルな暴力性に今更終始する筈がなく、4th"Enemy Of The Sun"特有の摩訶不思議な怪奇性、7th"A Sun That Never Sets"で開花させた明暗がドロドロに混ざり合う宗教的アトモスフェア、前作で印象深かった神的な光属メロディ、オーガニックな温かみと朧げな丸みを帯びた音圧など、過去に魅せてきた多岐に渡る方法論の数々を自身で改めて再構成し、今作の濃密さを天才的なタッチで拡張することに見事成功しています。 

彼らの作品は常に過去からの集積であるということが度々明言されてきましたが、2000年代に入ってからは特にその部分を認識出来るのではないでしょうか。

例えば、Scott Kelly(Gt/Vo)、Steve Von Till(Gt/Vo)のギター隊は、マンモスの大行進を思わせる古代の重厚感を持たせたスラッジ・リフの波状攻撃、壊れた電子機器から漏れた雑音を変な周波数と漂わせる不協和音、音空間を錯雑に捻じ曲げていく金属的幻想レイドバック、不穏な風が吹き荒ぶようなネイチャー系のエフェクトを塗した魔術的フレーズ、ブルーズ由来の土臭さを纏った叙情美をノスタルジックに描き出すアルペジオなど、緩急/激柔を持ち前の衝動性で使い分けた唯一無二のプレイを雄弁に展開していくのですが、どれも輪郭がサイケデリックにボヤけているため、前作ほどではないにしろ音像の実態を把握し難いのがポイントです。

加えて、70年代スペース・ロック風の古典的な宇宙感を宿したアンビエンス、攻撃性を前衛的に底上げするトランス・ノイズ、意味不明な音色で揺らめきながら神経質に漂揺する幻覚系サンプリングを、荒々しい大波のようなダイナミズムを放出する超重量級ギター・リフへ緻密に組み込んでいくNoah Landis(Key/Samples)の実験音楽アレンジもまた、サウンドの不鮮明さに拍車を掛けていると言えますね。

その反面、トレード・マークである乾いたスネアとタムの響きで独特のトライバルを表出しつつ、いつになく素朴なリズム・パターンを形成する名手Jason Roeder(Dr)のドラミング、グルーヴィーな粘り気と凶暴性を宿したDave Edwardson(Ba)のベースから成るリズム・セクションは今作の直球具合、つまり正統派アグレッションを増強しています。

そこで上述の不透明なアプローチと、聴き手の頭蓋骨をハンマーで叩き潰すが如き爆発力を炸裂させるアンサンブルの間に歪なギャップが生じ、更なる説得力を以ってNeurosisの神秘性を具現化しているのです。

そして、この音像の不安定な懸隔こそが大変コンパクトである今作を良く言えば奥深く、悪く言えば取っ付き辛くしているように思うのですが、Neurosis作品群の深層部分に惹かれているコアな方々にとっては文字通り望むところでしょう。

王者の風格と幽鬼の狂気を備えた獰猛なスクリーム、ヘイトフルに濁った歌声を禍々しい激情と一緒に吐き出すScott Kelly(Gt/Vo)と、エネルギッシュ且つ深い怒気に打ち震えるような迫真の咆哮、魂にじっくりと浸透していく激渋ディープ・ボイスを聴かせるSteve Von Till(Gt/Vo)によるツイン・ボーカル隊の異様な貫禄も相変わらず素晴らしい。

両ボーカリスト共にベテランらしい円熟味が作品毎に増していく一方の中、7thのThe Tide、10thのOriginと同系統の儀式的崇高美を生み出す今作屈指の大曲Reachでは、キャリア初となるゴシカルなメランコリーを堪えた耽美な歌い回しを新境地として披露しています。

こういった未だに挑戦を止めることを知らないアーティスティックな姿勢と創造精神こそが、幅広い層のミュージシャン達から信奉される要因であることに最早何の疑いもありません。

全5曲41分という字面だけを見ると若干ボリューム不足が危惧されるかもしれませんが、個人的には全く気になりませんでした。

と言うのも、今作は5曲で完結していて、ここから足しても引いてもバランスが瞬く間に崩れてしまう絶妙な綱渡り的感覚の上に成り立った作品であると、聴き込み回数を重ねる度に強く実感出来たからです。

我が国日本と海外で評価に露骨な差が出た今作ではありますが、メタル、ロック、実験音楽など余計なバイアスは捨て、音空間全体の流れにただ身を任せて20数回ほど聴き込めば、今作ならではの世界観及び魅力を大方理解出来るのではないでしょうか。

何れにせよ、Neurosisの不滅神話は現在進行形です。


最後に、Neurosisは作品数が多い上、独創的な世界観を常に変化させている化け物バンドなので、どのアルバムから手を出すべきか考えあぐねる方も少なくない(多分)と思います。

彼らのファンの1人としては、まず作品のアート・ワークに注目し、直感的にアート・ワークが気に入った作品から聴いてみるのが一番手っ取り早く効率的な入り方だと考えています。

なぜなら──彼らが意図してのことか或いは否かは分かりかねますが──Neurosisの作品にはアート・ワークからイメージされた通りの音が詰まっているからです。

勿論、イメージの受け取り方は人それぞれ違うので、あくまで一個人の意見と軽く参考にして頂けると幸いであります。

それを踏まえた上で、僕は3rd"Souls At Zero"が最も取っ付き易いと感じました。

少しでも興味が湧いた方は是非ともチェックしてみてくださいね。


果てのない宇宙のように無限に拡大していく創造性と歴史を塗り変えるほどまでに神懸かった革新性を携えて、最終目標である"音の聖杯"の獲得を目指し、究極に混沌とした領域を突き進む"異形の破壊神"Neurosis  �

今回は、彼らの1987年~2012年までのキャリアを振り返っていこうと思います。

最新作レビューはURLからご覧ください。




1st"Pain Of Mind"は、 80年代後期のハードコア・パンク・シーンに衝撃を与えた作品です。

ポスト・メタル開祖としてHR/HM界の頂点に君臨し随分と久しいNeurosisですが、今作での音楽性は現在とは全く異なります。

まず、音楽的な基軸に据えられているのは、スピーディなテンポを以ってド派手な爆走を繰り広げるハードコア・パンクで、平均2分強という一般的なNeurosisのイメージからは想像も付かないほど短尺な楽曲の中、猪突猛進のアグレッションを全面的に押し出しているのが今作最大の特徴です。

しかし、やはり怪物Neurosis、単なる突撃型ハードコア・パンクに終始するのではなく、当時全盛期を迎えていたスラッシュ勢のようなテクニカル・ソロを挟んだり、Black Sabbath由来のオカルティックな怪しさが滲んだメロディやスロー・テンポでどんよりと濁ったスラッジ・リフをアクセント的に添えたり、Amebixを思わせるダークなベース・メロディや血塗れのドラマ性を演出する展開を繰り出したり、Panteraを機械化したかのような剃刀グルーヴ(厳密にはNeurosisの方がPanteraより先に使用しています)を導入したり、はたまたメンバー達の永遠のヒーロー故Ian Curtisからの影響が伺える無気力な歌声を一部で披露したりと、後の作品群でも顕著な引き出しの多さでバラエティを充実化させています。

ボーカル面では、この時点で既にツイン・ボーカル体制を事実上採用しているのがポイントで、まだまだティーンエイジャーの幼さが残ってはいるものの、Scott Kelly(Gt/Vo)特有の聴き手の不安感を煽る癖が強いシャウト、Dave Edwardson(Ba/Vo)の血の気が荒い怒号シャウトを次々と掛け合わせるアングリーな咆哮の応酬は、やはりインパクトがデカいですね。

今作の制作当時14歳であったとは到底信じられないぐらい巧いJason Roeder(Dr)は、後にも先にもキャリア最速の脳筋ドラミングを魅せてくれます。

また、歌詞に関しては、3rd以降のスピリチュアリズムに基づいた精神世界を描き出す抽象的なものではなく、かつてBlack Flagが掲げた反戦主義/アナーキズムがストレートに貫かれた内容となっているので、Neurosisはクラストコアの土壌から誕生して後の進化を辿ったと捉えることが出来るでしょう。

これだけのスピードと攻撃性を前面に出しながらも、妙な圧迫感がアルバム全体で見え隠れしているのも当時のハードコア・パンク界では中々の異端で、未来のNeurosisの姿を否が応でも想起させます。

風変わりなクロスオーバー・ハードコアとして、リリースから30年経った今聴いてみても余裕で通用する作品です。




2nd"The Word As Law"は、自身のルーツであるハードコア・パンクを先鋭化させてことで、バンドとしての方向性を大方固めることに成功した作品です。

前作をリリースして暫く後、ツイン・ギター隊の片割れChad Tofuが脱退し、後任の座へは以降のNeurosisで最重要人物の一角を担うSteve Von Tillを正式に迎え入れました。

楽器隊の足をやや引っ張ってた感が否めなかった前任者と比較すると、新メンバーSteve Von Tillは演奏技術、創作意欲、独自性、存在感など全ての面で完全上位互換と呼んでも差し支えがない逸材です。

そんな彼の加入が相まってか、前作1stと比較するとツイン・ギター隊のメロディとコンビネーションの質が大きく向上した他、純粋に音楽性自体も進化しているのが今作の大きな特徴です。

平均2分台でのスピーディーなハードコア・パンクを演っていた前作に対して、今作は1曲あたりの平均時間が5分と倍以上の長尺化を遂げており、楽曲の速度もミドル・テンポが主軸に変化、同時に前作を異端たらしめていた圧迫感は今作で明確化されました。

Scott Kelly(Gt/Vo)とSteve Von Till(Gt/Vo)による新生ギター隊は、ハードコア的な爆走リフを捨て去り、鈍足で鉛色に濁ったスラッジ・リフを中心に展開、そこにJoy Divisionを筆頭としたポスト・パンク由来の曇った空間意識を感じさせるダークなメロディや、マシーナリーな響きをする剃刀フレーズを頻繁に挿入して楽曲の無国籍化と不気味さを強調させています。

制作時点では正式メンバーではないものの、Simon McIlroy(Key/Samples)によるサンプリング・アレンジも一部の楽曲で聴くことが出来、楽曲展開の多様性が前作から一歩二歩広がりました。

また、次作以降での使用方と比べると実験的で拙い印象は拭えないものの、アクの強い中高音シャウトを得意とするScott Kelly(Gt/Vo)、ヒステリックな高音シャウトと嗄れた呟き声を得意とするSteve Von Till(Gt/Vo)、野獣の如く暴れ回る低音スクリームを得意とするDave Edwardson(Ba/Vo)から成るトリプル・ボーカル体制を今作から採用し、オリジナリティに直結させているのも見事。

Neurosisが今作で提示した音楽的変化が、スラッシュ・メタル由来の方法論を逆輸入的なスタンスでハードコア・パンクへ吸収させた当時のトレンド──クロスオーバー・ハードコア界隈のバンド群とは正反対のベクトルを向いていたことは明白ですし、同じ頃アメリカ南部で発芽したスラッジ・メタル界隈とも一線を隔てた特殊性があります。

そういった流行に左右されない非商業的なクリエイティブ精神はNeurosisというバンドを唯一無二の存在へと押し上げ、今作発表から10数年後に世界各地で出現する後続ポスト・メタル/ポスト・ハードコア勢の基本理念として受け継がれることになります。

一般的にNeurosisが覚醒したのは次作以降からとされていますが、その異様なポテンシャルは今作でもハッキリと実感出来る作品です。




3rd"Souls At Zero"は、人類史上初となるポスト・メタルの原型を創造した歴史的作品です。

前2作は「演奏の仕方を学ぶために必要だった過渡期の作品だ」とメンバー達が語る通り、"異端ハードコア・パンク"というレッテルを破り捨てるほどの独自性はありませんでしたが、今作はジャンルという名の監獄を容易く破壊し、歴史を一瞬にして動かしました。

まず、全体的な作風として前作までと決定的に違う部分は、リズム・セクションが格段に鈍重になった点、Scott Kelly(Gt/Vo)、Steve Von Till(Gt/Vo)から成るギター隊はハードコアらしい突撃型アグレッションを払拭、代わりに驚異的に重量感のあるメタリックなリフ・ワークや乾いた叙情性を紡ぐアルペジオを全面的に解禁した点、アクセント要員に留まっていたSimon McIlroy(Key/Samples)の存在感が強まったことで、不快感の強い轟音系ノイズや戦争映画ばりに荘厳なオーケストレーションのサンプリングなど実験的要素を拡張させた点、躁状態で喚き散らす激情スクリーム、邪悪で粘着質なシャウト、リミッターがぶっ壊れた極太の怒鳴り声を矢継ぎ早に展開するトリプル・ボーカル体制を高次元で確立させた点が挙げられます。

加えて、尺が更に長くなり、精神的な圧を感じさせる曲構成のカオス度合いを一気に増強させた点、無機質なメランコリック・メロディを開花して地域性を脱したアトモスフェアを形成させた点、そして、それらの変化に伴ってバンドが表現する音世界が病的なまでに陰惨で禍々しくなった点から、後世まで語り継がれる完全無欠のオリジナリティは今作で遂に創出されたと捉えられるでしょう。

生のストリングス音や、トランペット、フルートなどの管楽器音をサイケデリックな切り口で挿入したり、グレゴリア聖歌調クワイアや映画風ナレーション・サンプリングを序盤と終盤にかけて炸裂させたり、とにかく前衛的なことを惜しみなく実践しているのですが、肝心の完成度は恐怖を覚えるほど秀逸です。

サウンド・プロダクションに至っては、今作のリリース当時から10年進ませた2000年代並みにクリアで均等の取れたものが施されており、時代を必然的に動かすだけの革新性が細部まで行き届いていると言えますね。

また、ギター・ワークを除いてはハードコア魂が依然として根底に残っているのも印象的で、例えばScott Kelly(Gt/Vo)による獣性剥き出しのブチギレた咆哮、Dave Edwardson(Ba/Vo)のバッキバキに歪ませてブルータルに動き回るド派手なベース・リフ、ミドル~スロー・テンポの中で手数がやたらと多い小技を用いて音の隙間を埋めるJason Roeder(Dr)のドラミングからは、本来のメタルにはない類の衝動的な暴力性を受け取ることが出来ます。

ただ、破壊的な曲展開が生むダイナミズムとドラマ性は既定のハードコアやメタルには全く当て嵌まらず、形容し難い閉塞感があるのは大きなポイント。

謙遜しがちなNeurosisの面々に代わり敢えて野暮なことを言うと、直接的にも間接的にも今作の影響力は絶大極まるもので、仮に今作が世に出ていなかったとすれば、Tool、Converge、Deftones、ISIS及び分家、Mastodon、Baronessなど、現代HR/HMシーンを代表する半分以上のアメリカ産大物メタルバンドが消え失せてしまいます。

そんな訳で、海外有力誌の"殿堂入りアルバム"にバンドの代表作5th"Through Silver Blood"、6th"Times Of Grace"と並んで今作が選出されたのは至極当然な成り行きですし、90年代初頭にリリースされた世界的な影響力を持つ歴史的名作としては、Paradise Lostの2nd"Gothic"、Meshuggahの1st"Contradictions Collapse"、Panteraの2nd"Vulgar Display Of Power"辺りと共に、HR/HM(ハードコア・パンクを含む)シーンの発展と多様化へ偉大なる貢献を果たしました。

それらのクラシック・アルバムで萌芽した方法論の大部分は有象無象の後続達が大量コピーし、現在では良くも悪くもスタンダード化されましたが、Neurosisを模倣出来ているのは極一部の鬼才バンド達だけという事実から「今聴いても斬新で凄い」と懐古的な感情を抜きで思えるので、その先進性は穎を脱したものでしょう。

反商業主義を貫いている上、キャッチーさも殆どなく、ドス黒い憤怒の念が渦巻いているので多少敷居の高さは否めないものの、上述のバンド群が好きなHR/HMファンの方ならマストで通っておきたい不朽の名作です。




4th"Enemy Of The Sun"は、キャリア史上最も実験的な作品にして、 Neurosisという怪物が今後辿っていく数奇な運命を確定した重要作です。

前作にて「Neurosisが奏でる音楽は聴き手をトランス状態にさせて別世界へ連れて行くことが出来る」という規格外れの武器を手にしたバンドは、その方法論を今作で見事に完成させました。

全体的な作風としては、前作に引き続いて激重スラッジ・メタルを主軸に、前衛的なエクスペリメンタル要素を喰らった独自路線=ポスト・メタルとなっているのですが、「脳で考えるのではなく心を解き放ちスピリチュアルな流れに身を委ねた」とメンバー達が語るように、前作までは幾らか見受けられた普遍的なメタル式リフ・ワークを払拭し、直感的でプリミティブなアプローチを大々的に盛り込んでいるのが特徴です。

そして、そのプリミティブな部分こそが、今作以前の作品群と今作以降の作品群を明確に分かち、Neurosisというバンドをメタル、ハードコア、ロック、実験音楽など何れのレッテルも容易に貼ることを許さない、極めて異質な存在と足らしめている非常に大切なファクターであると言えます。

具体的な話に移すと、前作まではハードコア然とした荒々しい叩きっぷりを魅せていたJason Roeder(Dr)が原始的なリズムを織り交ぜたトライバルなドラミングを展開するようになった点、ゲスト陣によるストリングスや管楽器を用いた重奏的な手法、戦闘機の爆撃音のようなノイズ、緊張感のあるダーク・サンプリング、聖歌隊式の女性ボーカルなどのアバンギャルドな手法の導入部に整合性が増した点、曲間を置くことを放棄した数珠繋ぎの流動性をアルバムの核に据えた点が、今作で開花させた魅力的な新機軸として挙げることが出来るでしょう。

それらを混ぜ合わせて生まれる音世界の混沌さは、スイスが誇るアバンギャルド・メタルの始祖Celtic Frostを圧倒する域にまで達している点も見逃せません。

躁なテンションを更に強めた発狂寸前のスクリームで音像の苛烈さを自ら体現するScott Kelly(Gt/Vo)、ダウナーな詠唱的ボイスと粘着質な抑揚を付加したスクリームを放つSteve Von Till(Gt/Vo)、人間離れした極太の咆哮を暴力的にブチかますDave Edwardson(Ba/Vo)から成るトリプル・ボーカル隊の激烈度には拍車がかかっていますし、過度に分厚いディストーションを施した凶悪なベースを基盤に、ゆっくりと蝕んでいくアルペジオ、耳をつんざくような不協和音を挟みつつ、尋常じゃないほどドス黒い激重リフを反復させながら叩き付けるギター隊のエグさは本当に強烈。

あまりにも型破りで偏執的な音像から、自分が知る限り、アルバムをトータルで聴き通すのが最難関のメタル作品の1つではありますが、ラストに配置されている9人編成(!)のドラム隊をフル活用したトライバル・ドローン・ミュージックの金字塔Cleanse(オリジナル版は約26分の大曲)を聴き終えると、暫くの間は全ての生活音に一定のリズムがあると錯覚してしまうレベルの衝撃を聴き手にもたらしてくれます。

2000年代以降のアメリカン・ヘヴィ・ミュージック界で、最も熱烈な賞賛を浴びている天才ノイズ・メイカーAaron Turner(ex ISIS/Old Man Gloom/Sumac etc)、現代プログレ・メタル界の頂点に君臨する猛者バンドの中心人物Troy Sandars(Mastodon)の両者が揃って、"人生で最も影響を受けた/人生観を変えた作品"へ今作を挙げている事実にも深く頷けるというものです。

野に放たれた獣のような獰猛さと地球に宿る超自然エネルギーの熱量を体感出来る、破格の怪作を是非お試しあれ。




5th"Through Silver In Blood"は、キャリア史上最も惨憺たる破滅世界を描いた作品にして、ポスト・メタルというジャンルを世界中に浸透させた歴史的名作です。

海外の音楽専門家/評論家達からは"ポスト・メタルの起源"と見做されており、記念碑的な意味合いを擁する草分け的作品でもあります。

前作発表後にSimon McIlroyが脱退し空席となった専任キーボーディスト/サンプラーの座へ、メンバー達と幼少期からの付き合いを持ち、スタジオとLIVEの両方で狂乱的パフォーマンスを発揮する爆弾魔Noah Landisを正式加入させ、現在に至るまで20年以上続く無敵の編成で今作は制作されました。

"Neurosis=ノイローゼ"をバンド名に冠している通り、このバンドは深刻な精神疾患を抱えたメンバー達で構成されている(公式発言によるとScott Kellyは現在も闘病中とのこと)訳ですが、本アルバム制作当時の精神状態は長年のキャリアを振り返っても読んで字の如く最悪だったらしく、聴くが否や絶句してしまうほど底知れぬ闇が全編を支配しています。

基本的な作風としては、インダストリアル由来の無慈悲でマシーナリーな質感を果敢に血肉化させつつ、それとは相反する原始時代の土着信仰を想起させるトライバルなリズム・パターン、バグパイプやストリングスを効果的に駆使した民族的な手法をカオティックに融合させた異形音楽となっています。

全9曲(内2曲は1分台の短いインスト)でトータル・タイム70分超えという大作志向から察せる通り、楽曲の尺が以前より更に長くなっているのも今作の大きな特徴ですが、曲展開自体には頭で何度も試行錯誤を重ねたようなプログレ的構成術は用いられておらず、前作で芽吹かせた「脳ではなく魂から自然に生じるスピリチュアルな流れに身を委ねる」という方法論を根底に横たえた、極めて情緒不安定な激情展開を始めから終わりまで一貫させているのが実に個性的です。

例えば、長尺で魅せる作品に対して文脈でキーワードのように用いられる"静と動の対比"に関して述べると、Neurosisは静謐アプローチと喧騒アプローチの差異から生まれるコントラストでドラマ性を演出するのではなく、突発的な衝動性こそを重視しています。

言うなれば、"躁鬱病に陥ったテンションの極端な落差"を以って、本質的にはシンプルな曲展開に狂熱の奔流を流し込み、超自然的な崇高さを堪えた混沌を彼らは創造しているのです。

阿修羅の如き憤怒と悪霊に取り憑かれた怨念を自己破壊的なスクリームで吐き出すScott Kelly(Gt/Vo)、枯れた声で呪いの言葉を囁きながら徐々に苦しみ始め、思わず背筋が凍る断末魔を上げるSteve Von Till(Gt/Vo)、業火に身を焼かれながら激昂の雄叫びを喚くDave Edwardson(Ba/Vo)、重戦車が人間を踏み潰しながら進んでいくかのように殺気立った暗黒スラッジ・リフの執拗な反復、無機的な感触の中に死の匂いを封じ込めたアルペジオを奏でつつ、突如として鋼鉄をも切り裂く悪魔的な超轟音リフを撃ち込むギター隊、過重に変形したノイズのような圧殺ベース・リフに、土着的なグルーヴ感をシンクロさせて超弩級の震動を発生させる名手Jason Roeder(Dr)のドラミング、男性の不穏なナレーションや笑い声、女性の甲高い悲鳴、ガラスの破裂音、地球外生命体が増殖していく様なノイズをコラージュさせた独創性溢れるダーク・サンプリング、薄弱な美を孕んだオルゴールの音色、かつて巨匠Fritz Langが描いたディストピア世界を想起させる倒錯的な工場音、畏怖の念を呼び覚ます深厳オーケストレーションなど、幅広いアレンジでバンド・サウンドの屠殺感をブーストをさせるNoah Landis(Key/Samples)と、正気を保った音が皆無というアブノーマルの極みと呼ぶに相応しいパフォーマンスを、極限状態にまで追い込まれたメンバー全員が実行しています。

アルバムを聴き通して得られるのは生易しいカタルシスなどではなく、まるで一寸の光すら見出せない巨大監獄の中に独りで閉じ込められ、自ら命を絶つことも発狂することも許されない非人道的な管理体制の下で永遠の時を生き続けるかのような、とにかく絶望を超越した何かであります。

従って、今作と対峙するには相応の気力が必要ですが、普通のHR/HMミュージックを一通り堪能して未だ見ぬ深淵を恐る恐る覗きたい方や、純粋に音楽が持つ無限の可能性を開拓したい方は今作を手に取ってみては如何でしょうか。

自分の音楽人生で、これほどまでに明確な殺意と芸術性を兼ね備えた作品は他にないです。




6th"Times Of Grace"は、前作に並んで Neurosis最高傑作の1つと位置付けられる歴史的名盤にして、HR/HM史に燦然と輝くポスト・メタルの象徴です。

まず、これまでの作品群との違いを製作部分で挙げるとすれば、NirvanaやJesus Lizardの作品を手掛けたことで勇名を馳せ、"音の錬金術師"の異名を取るシーンきっての辣腕Steve Albiniをプロデューサー兼サウンド・エンジニアに迎えたことでしょう。

バンドの音楽自体に関しては一切口を出さず、ただ黙々と目の前に広がる音の粒子、例えば弦の微かな振動、ボーカルの小さな息遣いまで一つ残らずナチュラルに録音してしまうSteve Albiniの仕事振りとNeurosisの相性は正にベスト・オブ・ベストで、現在に至るまで蜜月状態で続く鉄壁の布陣が遂に整いました。

さて、そんな今作の作風としては「前作での地獄を経て辿り着いた山の頂上から周囲を見渡せば、闇だけでなく光、醜だけでなく美も視界に入ってきた」とメンバーが語るように、まるで巨大監獄の中で行なわれる拷問の如く凄惨極まった作風であった前作と比較すると、絶望の暗闇の中にも一筋の光が差すような救いをほんの少しでも掴み取れるものに仕上がっています。

音楽的な話に移すと、前作で幅を利かせていた機械的なインダストリアル要素は幾分かの減退を見せており、加えて3rd以降の作品群で頻繁に挿入されていたナレーションや賛美歌風のサンプリングは消失している辺りからは、より普遍的なバンド・サウンドを重要視した姿勢が強く感じられました。

それが故、さながら旧世界の原風景が浮かぶような、実にNeurosisらしいプリミティブ・スピリットの息衝いた凶暴性が全面的に押し出されているのです。

そこにバグパイプによる牧歌的な音色や、ブルーズやカントリーに通ずる枯れた叙情美を以前にも増して巧みに絡め合わせ、燃え盛る野生の闘争心が彼方此方で噴き出す本物の生命感を完璧に封じ込めた点が、今作ならではの特徴であり魅力だと言えるでしょう。

勿論、曲展開は引き続いて激情型の揺れ動きを最優先させており、ゆっくりと沈殿していくような静謐パートと、修羅の妄執に取り憑かれたような破壊パートの落差は完全に常軌を逸していますが、歪ながらもウルトラ・メガトン級のカタルシスが渦巻いているのが印象深いです。

前作のように聴き手の精神を殺伐とした独房にブチ込んで支配すると言うよりかは、さながら聴き手の精神を音と一緒に何処か分からない異次元世界へと運んでくれるようなイメージを湧かせます。

また、デビュー以来メイン・ボーカルを担当してきたScott Kelly(Gt/Vo)の激情の咆哮が更なる進化を遂げているのもポイントで、刺々しい歪みを強めつつ声量と懐を深めたことにより、王者の貫禄に一層磨きが掛かっていて非常に頼もしい。

Steve Von Till(Gt/Vo)は普段よりバッキングに徹しながらも、その屈強な体躯から吐き出されるヒステリー気味のロング・トーン・スクリームと情緒的な歌声を以って、Scott Kelly(Gt/Vo)の鬼気迫る激情スクリームとの絶妙なコントラストを生み出しています。

ここぞという場面で猛烈に響き渡るDave Edwardson(Ba/Vo)の獣染みた極太低音シャウトも効果的に作用していますね。

重力下にある全ての物質を木っ端微塵に打ち砕くような尊厳スラッジ・リフ、奇妙なタイミングで地割れの如く破裂して辺りを焼け野原にする刻み、アンニュイな憂いを帯びた幽玄アルペジオ、サイケデリックに音空間を彷徨う薄気味悪いフレーズ、エスニックに掻き鳴らされるアコギなどへ独自の奥行きを与えて弾き出すギター隊、トレード・マークのノイズの塊みたいな圧殺ベース・リフだけでなく、初期とは大分異なる方向性の重々しいメロディを付加させたDave Edwardson(Ba/Vo)の個性的なベース、トライバル・ビートを粗暴に叩き込みつつ、シンバルの細かな響きや嫌な感じの間を駆使して、ひりつくような緊迫感と有り得ないダイナミズムを同時に生む名手Jason Roeder(Dr)の爆発ドラミング、バンド・サウンド主体の変化に伴い登場頻度こそ減ったものの、トリップホップ由来の怪奇的な音階を使ったアレンジや、隕石落下の如き重力を宿したギター・リフへ頻繁に被せる耳障りなノイズ、金属が軋むような不協和音、冷たい風が吹き荒ぶようなネイチャー・サンプリングなどを適所で設置するNoah Landis(Key/Samples)と、各々が一音一音に凄まじい情熱を込めて放たれるパフォーマンスには、只々呆然としてしまうほどの覇気が感じられます。

また、バグパイプやストリングス導入法の熟練具合も大変素晴らしく、辺りを一瞬にして焦土に変えるような破壊的轟音に溶け込み、聴き手に光を与えてくれるバグパイプの神秘の音色には涙を禁じ得ません。

特に、名曲The Last You'll Knowでは、地球上で最も救済的なバグパイプ音が聴けるので是非チェックしてみてください。

アルバム全体での楽曲の魅せ方も自然界の移り変わりの如く流動的で、民族楽器を用いたフォーキーな小品を挟んでスピリチュアリズムが駆け巡る世界観を維持しつつ、宇宙規模のカタルシスを終盤で発生させる彼らの手腕は、HR/HM界広しと言えども比肩し得る存在が見当たらないレベルです。

ミレニアムを目前に控えた怪物から産み落とされた20世紀最後の超傑作であります。




7th"A Sun That Never Sets"は、バンドの新たなる姿を提示した超傑作です。

歴史的名盤の前作にて、3rd~5thで特徴的だった狂気の暗黒インダストリアル要素をやや減退させた代わりに、最重量級スラッジ・メタルを基調にしたストレートなバンド・サウンドと、スピリチュアルな生命感が息衝く情緒的なアプローチを完全融合させることに成功した"異形の破壊神"Neurosis。

そんな彼らが今作で提示した音世界は、3rd以降の作品群で代名詞となっている極めて異質なアトモスフェアを観念的な方法論で拡張し描くというものです。

まず、今作最大の特徴としては、直情的なアグレッションが過去作と比較すると明らかに抑えられており、サイケ由来の幻覚作用とトリップ感を丹念に刷り込ませた空間意識が支配するアンビエント・パートを全編で貫いている点に尽きます。

従って、メタルらしく大仰な手応えやキャッチーさはこれまで以上に希薄であり、前作では裏方要員だったNoah Landis(Key/Samples)の主張が再び強まったことも相まって、持ち前の取っ付きにくさが一段階上がっている印象を受けました。

さながら、彼ら自身が主神として君臨する異空間世界にズブズブと引き摺り込まれていくタイプの内向的作風であると捉えることが出来るでしょう。

しかし、5thのような草の根一つ生えない終焉の巨大監獄の再現では決してなく、今作のアート・ワークが示す通り、もっと不可思議な奥行きとドロドロと濁った鈍い赤色の光が空を染めるような心象風景を想起させます。

そういう意味では、前作リリース後に発表された実験作EP"Sovereign"を最も理想的な形で進化させたと言えますね。

具体的な音楽の話に移ると、Scott Kelly(Gt/Vo)とSteve Von Till(Gt/Vo)によるギター隊は、ネオ・フォークをNeurosis流に解釈した幻想的な霊気の宿るアルペジオや、非現実な寂寥感を生み出すトリッピーなサイケ・フレーズ、ドローン的な手法で金属的な唸りを上げるリフをねっとり反復させるなど、歪な崇高美を不明瞭に構築していきます。

今作ではこうした静パートの比率が格段と高まっているので、Noah Landis(Key/Samples)によるバグパイプ音を加工し白昼夢のような幽美さを帯びさせたアレンジ、生演奏ストリングス音を加工してシンフォニックな美旋律を奏でるアレンジ、民族的歌唱を加工してシュールな異国情緒感を演出するアレンジ、お得意のオーガニック且つ前衛的なノイズ・アレンジ、鐘の音をひたすらループさせた怪奇アレンジなどの実験音楽式サンプリング手法は、その異質感を極限にまで際立たせています。

そこへ開放弦を巧みに駆使して、地割れのような激重轟音スラッジ・リフを突如振り落とす、Neurosis専売特許の壮絶な破壊性を孕んだ動パートを発作紛いに捻じ込んでいくのですが、その間にも美しいアレンジ(勿論、その感触は典型から逸脱しています)を絶えず同時進行させているのは、 5th以降の音像が持つ大きな魅力です。

そんな中でも、静パートの比率が格段と増量した今作は、名手Jason Roeder(Dr)によるシンバルとタムへの強弱を感覚的技能で使い分けた原始ドラミング、Dave Edwardson(Ba/Vo)による残虐性と知性が混ざり合ったベース・リフとの相乗効果で、Neurosis印の"美醜のアバンギャルドな同居"に更なる飛躍が見受けられ、楽曲終盤のカタルシスは文字通り宗教的な神聖さを横溢させています。

また、今作はボーカル面でも大胆な変化が成されており、分かち合えぬ憎悪を亡者の王が如き鬱気と共に咆哮するScott Kelly(Gt/Vo)、円熟味の増したディープ・ボイス、切迫した苦悩が滲んだスクリームを吐き出すSteve Von Till(Gt/Vo)と、事実上ツイン・ボーカル体制にスタイルを移行しています。

以前は若干バッキング気味だったSteve Von Till(Gt/Vo)が、しばしばメイン・ボーカルを執って楽曲を主導するほどの目覚ましい成長を遂げているのは特に印象的。

彼の存在感が増強されたことで、過去作の比じゃないレベルで歌に比重が置かれているのも今作を語る上で重要なファクターでしょう。

ただし、当然ながら歌モノを利用した大衆への媚びなどは微塵もありません、と言うかデビュー当初から大衆は眼中に無いです。

2000年代に突入し、ようやく彼ら自身が創り上げた数々の方法論を模倣出来得る後続達が現れ始めたHR/HM界を尻目に、新たな姿へと進化を果たしたNeurosis渾身の一作であります。

ちなみに、10曲目Stones From The Skyラストの音飛びや雑音は不具合ではなく意図的な仕様なのでご安心を。




8th"Neurosis & Jarboe"は、キャリア最大の異色作です。

まず、今作最大の特徴は、Neurosisを含む先鋭派HR/HMバンド群のみならず、ポスト・ロック、インダストリアル、アンビエント、ドローン、ミニマル、グランジ界隈へも絶大な影響を及ぼした"エクスペリメンタル・ロック最高神"Swansでの活躍で知られる、元祖・鬼才女性ボーカリストJarboeのエキセントリックな歌声がアルバム全編でフル採用されている点に尽きるでしょう。

彼女の参加に伴って、お馴染みの男性ボーカル隊の出番は殆ど0に(唯一、Steve Von Tillのバッキング・ボーカルだけは明確に聴き取ることが可能です)、楽器隊は激重バンド・サウンドを極力排し、実験的ノイズ・アレンジの比重を過去最高値にまで増量させるという実に大胆な変化を遂げています。

これらの変貌振りから、普遍的なバンド・サウンドよりもサイケデリックな空間意識を重視した前作の志向を引き継いだものであると強引に捉えることは出来ますが、大前提として、今作は"メタルの範疇から完全に逸脱したエクスペリメンタル作品"という事実を予め留意しておいた方が良いかもしれません。

民族的なリズム・パターンを何度も繰り返して土着儀式さながらのオカルト性を演出するNeurosis印の原始ドラミングは勿論のこと、作風の変化に合わせてヒップホップ調の無機質でクールなタメ感をも付加する名手Jason Roeder(Dr)、刺々しいノイズを塗した猟奇的な重低音を発散するDave Edwardson(Ba)との異形リズム・セクションへ、耳を劈く不快感満点のモスキート音、近未来ディストピアを想起させる工場音、聴き手の恐怖心を煽る悪夢のような雑音、身の毛がよだつほど美しい音色を漂わせるキーボード、3rd~5thの頃を思わせる薄気味悪い不可思議サンプリングなど、Noah Landis(Key/Samples)による多種多様なノイズ/アンビエントを注入させた変則的な音像を主軸に配置、そこに、普段よりもソリッドな音圧を通して捻じ曲がった唸りを上げるスラッジ・リフ、ネオ・フォーク由来の情緒的なアコギをScott Kelly(Gt)とSteve Von Till(Gt/Vo)が巧みに加えていきます。 

そして、今作の絶対的な主役である鬼女Jarboe(Vo/Effects)がエキセントリック・ボーカルで楽曲を導いていく訳ですが、ゴスロリ風の芝居掛かった猫撫で声、背徳的な喘ぎ声、廃墟を徘徊する亡霊のように冷え切った中高音ボイス、ジメりとした倦怠感を纏わせた不安定な高音ボイス、病的なビブラートを効かせた粘着質な低音ボイス、首を両手で絞め付けられたような嘔吐き系シャウト、生々しい怨念と憎悪を包み隠すことなく吐きまくる断末魔系スクリームなど、とても同一人物とは思えない精神分裂的な異常さを孕んだパフォーマンスを披露しています。

Swansでの経歴をご存知の方なら何となく察せることでしょうが、これほどまで直接的に女性ボーカルを据えながら、所謂"王道歌モノ路線"へ陥らなかったのは、彼女の並外れた技能とNeurosisの面々の作曲能力に寄る部分が非常に大きいですね。

現在に至るまで、このバンドの全カタログ中一際異彩を放つアバンギャルドなスタンスが貫かれた作風ではあるものの、彼らの天才的コンポーズによって高次元の前衛音楽へと昇華されているのは流石の一言。

今作発表後、シーンで着実に根付き始めた"女性Voオリエンテッド・ポスト・メタル"を、世界で初めて提示した革新的なコラボ作品です。




9th"The Eye Of Every Storm"は、キャリア史上最も美しいアンビエンスに比重が置かれた作品です。

異色のコラボ作を経て、再びオーソドックスなバンド体制に"音の錬金術師"Steve Albiniをプロデューサーを加えた鉄壁の布陣で製作された今作ですが、作風的にはまたもや異形の変貌を遂げています。

まず、3rd~6thのトレード・マークであった激重轟音リフ、爆発系ドラミングを力技で振り落としまくる狂騒的スタイルとは全編を通して距離を置いている点が印象深く、誤解を恐れずに言うなれば全作品で一番柔和な音圧を用いています。

また、ボーカル隊は激情迸るスクリームが意図的に抑えた代わりに、クリーン・ボイスを全面的に採用しているのも注目すべき点でしょう。

これらの点から、直情的な攻撃性よりもサイケデリックで宗教的な空間意識を優先させた7thを想起する方も少なくないかもしれませんが、白銀の幻想世界を描くメロウな音色、ある種ファンタジックな輝きを放つ交響音、 SF映画的異質感を空間一杯に広げる幽暗の電子音、機械的な反復を繰り返す異次元ドローン・ノイズ、荒野を吹き抜ける風や雪崩の崩落音を鳴らすネイチャー系サンプリング、物悲しいピアノ音、殺伐とした雑音など、Noah Landis(Key/Samples)による非常に多彩な先鋭アレンジを筆頭に、今作ではもっとポスト・ロック的なアンビエンス、つまり、近未来的で無機質、ガラス細工のように繊弱な叙情美が随所で導入されており、これまでのどの作品群とも違った透明感のある光が差すアトモスフェアを表出しました。

その一方、名手Jason Roeder(Dr)は普段以上に特異な呪術的リズムを積極的に取り入れており、美麗アンビエンスとは正反対に生々しく乾いた独創性の強いドラミングで、音像のアバンギャルドな対比を新しい切り口からの実現に成功しています。

Scott Kelly(Gt/Vo)、Steve Von Till(Gt/Vo)のギター隊は、ダーク・フォーク由来の哀調を帯びたフレーズ、浮遊感を極限にまで突き詰めた幻想アルペジオ、都会的な虚無感さを感じさせる途切れ途切れのレイドバック、壊れたラジオを思わせる捻れたフレーズなど、ポスト・ロック然とした朧げなパフォーマンスを前面で奏でて過去最高の叙情美を形成しますが、Dave Edwardson(Ba)による悪霊の雄叫び染みたデモニック・ベースと共に、鋭利な刃物の切っ先に似たキレを堪える白銀リフ、聴き手を圧死させる異常な超重低音を施した地獄のノイズ・リフを撃ち込んで、超自然的なダイナミズムを突如呼び覚ます場面が時折訪れます。

そして、終始感情を無理矢理抑制したかのようなScott Kelly(Gt/Vo)から不安定に絞り出される歌声と、宙ぶらりんの悲愁を露わにするSteve Von Till(Gt/Vo)の熟成された歌声、稀にコントロール不能状態で吐き出される惨憺とした憎しみと救い難い絶望の咆哮、抑鬱的な狂気を秘めた囁き声からは、信じられないほどの緊迫感が聴き手にひしひしと伝わってくることでしょう。

Neurosis印の超重低音がカットされているので、表面的な音圧は全作中最もソフトではありますが、今作で提示されたサウンドが明るいかと問われれば前述の観点から自分は否と答えます。

特に、徹底された近未来的アンビエンスと眩い後光の帯びたメロディに導かれながら、中盤における作中屈指の苦痛が滲み出たScott Kellyの慟哭、終盤の神話的カタルシスで聴き手の意識を別次元へと連れ去る、ポスト・メタルの象徴的な超名曲The Eye Of Every Storm、5th製作時に自ら命を絶ってしまったScott Kellyの亡き妻へ捧げられる鎮魂歌I Can See You辺りは良い例ですね。

新たに萌芽した数々のアプローチと、Neurosisらしい歪な崇高美の完璧な融合が冴え渡る絶品です。

おそらく、"ポスト・メタル"という字面で一般的に思い起こされるステレオタイプ・イメージに一番近いのが今作かなとも思ったり。




10th"Given To The Rising"は、キャリア史上最も黒々しいスピリチュアリズムが浮き彫りとなった作品です。

この数年間、空間意識に強い拘りが伺える傑作群をリリースしてきたNeurosisですが、今作では6th以来初となる超弩級轟音バンド・サウンド主体のストレートな作風に変化しました。

アルバム全編に渡って幅を効かせるようになったのは、Scott Kelly(Gt/Vo)、Steve Von Till(Gt/Vo)のギター隊による、聴き手の脳髄を破壊する残忍な重低音を施して大地を砕く尊厳スラッジ・リフと、太古の生存競争に敗れた者達の死臭を密閉された空間へ充満させるドス黒く焼き爛れたフレーズであり、単純な音圧自体もここ数作で飛び抜けた威圧感を誇っているのが今作の大きな特徴です。

また、7th以降の作品群で存在感を著しく高めていた両ボーカリストによる熟練クリーンの登場頻度はここに来てまさかの激減、代わりに煉獄へ通ずる憤怒と憎悪を撒き散らす魔獣の咆哮、破滅を静かに示唆する嗄れた囁き声をキャリア最高の覇気(3曲目To The Windでは29秒に及ぶ怪物ロング・スクリームを披露)で発するScott Kelly(Gt/Vo)、ドスが格段と強まった濁声で鬼神のように獅子吼するSteve Von Till(Gt/Vo)と、激情に駆られたエクストリーム・ボイスが再び噴出しているのも特筆すべき点でしょう。

つまり、手っ取り早く今作の判断を試みるとすれば、2000年代に突入してからの彼らの志向性とは打って変わって、アグレッション重視な印象(無論、Neurosis特有の得体の知れない闇沼にどっぷり浸かった極めて異質なもの)を受けるかもしれません。

事実、手数が異様に多い呪術的リズムと不意に破裂する怒涛の畳み掛けで、自然界の不安定さを凄く巧みに演出する名手Jason Roeder(Dr)のトライバルなドラミング、大嵐の中で雷が轟くかの如く唸りを上げるDave Edwardson(Ba)の圧殺ベースから成る超弩級の重量感を備えたバンド・アンサンブルは、彼らの作品としては久方ぶりに常軌を逸した爆発力を提示しています。

しかし、そこは同じ作風を二度と繰り返さないバンドとして世界に知られる"異形の破壊神"Neurosis、7thで培った土着儀式さながらの神秘が息衝くアトモスフェアと、前作9thで開花させた繊細で美しいアンビエンスをブルータルな演奏と共に、自身が創造する何処までも深淵な精神世界の中で再構築させることに見事成功しているのです。

特に、宗教的な情景を感覚的に強く呼び起こさせる特殊なパフォーマンスは、Neurosisを唯一無二の存在足らしめている大変重要なファクターな訳ですが、グロテスクな退廃性を描き出す底気味悪いダーク・ノイズの数々を主軸に、薄汚れた蒸気が吹き出すような産業排気音、7thを思わせるオーガニックな怪奇性を帯びたサンプリングなど、映像喚起的な実験音楽アレンジを加えるNoah Landis(Key/Samples)、超轟音激重ギター・プレイの他に、肌にべっとりと纏わりつく陰鬱な空気を塗したアルペジオ、非日常的な背徳感を滴らせた残響音を漂わせるギター隊は、まるで黒魔術のような妖異を創出しています。

その一方、優美な輝きを放つストリングス音やノスタルジックな温かみと儚さを感じさせるクリーン・トーンのギター・フレーズで、閉鎖空間に一筋の光を悟りの開けた精神性と共に差し込ませ、今作が持つ多面性を芸術的に彩ります。

時空を超えて宇宙にまで到達する勢いの巨大なスケール感と、原始時代の命を喰らった漆黒の崇高美、それらを心行くまで堪能出来る暗い傑作です。




11th"Honor Found In Decay"は、キャリア史上最も精神浄化作用の高い作品です。

前作においては、地球の重力をそのまま変換したかのような超激重バンド・サウンドを主軸に据えつつ、密教的な深淵さ、原始的な神秘性、産業革命の代償を封じ込めた異形の暗黒世界を創出、物理的にも精神的にも聴き手を激しく震撼させたNeurosis 。

そんな彼らの音楽旅行の次なる目的地は、7th由来の内向きにズブズブと引き摺りこんでいくサイケデリックな空間意識、 9th由来の美麗且つ繊細なアンビエンス、4th由来の民族的フィーリングを余すところなく盛り込んだ集大成的な音像を基盤に、前作10th由来の呪術的な暴力性を加え、更には大自然がもたらす生命の恵みが如き包容力を以って完全融合、究極にまで雄大で奇々怪々とした悠久の幻想黄金世界と言ったところでしょうか。

まず、Scott Kelly(Gt/Vo)、Steve Von Till(Gt/Vo)から成るギター隊の音圧については、前作ほど殺人的に轟く重低音は施されておらず、全編を通してアナログ的な温かみと丸みを帯びた音圧が使用されているのが今作の特徴で、Dave Edwardson(Ba/Vo)の暗闇の中で蠢く大蛇のように不吉な邪気を宿したベースと共に繰り出される肉厚スラッジ・リフの波状や、金属的なリバーブを掛けた開放弦の連鎖といったNeurosis流ギター・シンフォニーの応酬には、ベテランらしい濃密な円熟味と何人にも真似出来ない孤高の品格を感じさせます。

また、メカニカルな無機質さを堪えたエフェクトを通して音空間を浮遊する幻覚メロディ、スペース・ロック調の曖昧な輪郭を抽象的に描き出す不可思議なアルペジオ、中近東風の艶かしい妖気を生み出すフレーズ、ネオ・フォーク直系の孤愁が沁み渡る爪弾きなどの新たなギター・アプローチや、Noah Landis(Key/Samples)による厳かな雰囲気を醸し出す恐怖オーケストレーション、禍々しい未来感を纏うダーク・ノイズ、天上で光り輝くホーン、高揚感を底上げするバグパイプ、物悲しいピアノ、情緒的なノスタルジーを刺激するアコーディオン、東洋的な憂いに満ちた二胡に代表されるサンプリング・アレンジを導入、重厚なアンサンブルの隙間を活かした珠玉のプレイが普段にも増して冴え渡っています。

そうした静謐パフォーマンスの比率と練度が高まったからこそ、まるで宇宙の法則が乱れたかのような崩壊音の荘厳さが更に際立ち、自然と一体になって身も心も浄化されるという訳です。

ボーカル面では、Steve Von Till(Gt /Vo)の地獄の苦悩に悶える咆哮がもう一段階進化しているのが特筆に値する点で、より根源的な部分での痛みが聴き手の心に深く突き刺さります。

そして、今作を一聴した段階で聴き手に鮮烈な印象を与えるのが名手Jason Roeder(Dr)によるドラミングでしょう。

4th以降、全ての作品群(異色の8thは除く)で数多の秀逸なトライバル・リズムを構築してきた彼ですが、今作ではキャリア史上でもベストに食い込む手数と足数を駆使した超人的なドラミングを披露しています。

我が国日本の太鼓演舞を想起させる強弱を付けたタム回し、初期から一貫して乾いた質感を持たせたスネアへの破壊的な叩き込み、高い衝撃波を放つシンバル捌き、最低でもドラマーが2人は居そうな職人芸パフォーマンスは技術云々は当然のこと、聴き手を鼓舞する原始エネルギーが一音一音に込もっているのが改めて素晴らしく映ります。

ロック(広義の意味で)におけるトライバル・リズムのループはポスト・パンクから活性化したものだけれど、その質と幅を飛躍的に向上させた彼の功績は、後続への影響を考慮すると偉業と呼んで差し支えないものだと個人的に感じました。

特に、4曲目Bleeding The Pigs、6曲目All Is Found...In Timeにおける尋常じゃない躍動感は必聴。

特別暗くもなければ明るくもなく、ブルータルでもなければソフトでもない、実験的でもなければストレートでもないという、実態が非常に掴み辛い神業的バランス感覚から、スルメ盤しか発表しない彼らの作品群の中でも今作が最も聴き込みを要する作品であることは明白で、そういう意味では良くも悪くも難解と言わざるを得ません。

しかし、一度その世界観に浸ってしまえば、燦然と輝く後光が絶望的な暗闇を暴き、精神が浄化される感覚を味わうことが出来ます。



最新作レビューはこちらからどうぞ。

Oathbreaker/Rheia (2016)

1. 10:56
2. Second Son Of R.
3. Being Able To Feel Nothing
4. Stay Here / Accroche-moi
5. Needles In Your Skin
6. Immortals
7. I’m Sorry, This Is
8. Where I Live
9. Where I Leave
10. Begeerte


ベルギー産ポスト・ブラッケンド・ハードコアバンドです。
通算3作目。
Deathwish Inc.からのリリース。


OATHBREAKER

世界で最も過激で繊細な狂気をブチかます混沌の魔獣Converge、世界で最もドス黒い激情激重異世界を創出するベルギーが産んだ悪霊Amenra。

今回の主役Oathbreakerは、現代HR/HMシーンを象徴する両ダーク・ヒーローから流れる血を受け継いだ新生カルト・バンドです。

そんな彼らの音楽性について端的に述べると、Converge直系の狂騒的な熱量を炸裂させるカオティック・ハードコアをベースに、ブラック・メタル由来の悪魔性を発散するトレモロ、ネオ・フォーク由来の枯れた叙情性と有機的な実験性を盛り込んだ激情音楽であると表現出来ます。

また、女性ボーカリストがフロントを務めているのもOathbreakerの特徴ですが、男勝りなグロウルや無機質なガテラルなど流行りの類は一切使用せず、女性ならではのヒステリックな狂気が滲み出たスクリームを最大の武器としており、典型的な女性スクリーマーのスタイルとは距離を置いた個性をデビュー作の時点で既に備えています。

Dビート連発の暴力的な疾走を全編で繰り広げつつ、脳筋スラッジ・リフと仄かな闇属性メロディを随所で配置して力技で一気に畳み掛ける1st"Mælstrøm"、荒涼とした毒性を振るうトレモロやネオ・フォーク調の翳りなど新要素を積極的に吸収、気持ちの良い疾走から野蛮なブラスト・ビートを駆使した爆走に若干シフトし始めたことで、重鈍なスラッジ・リフとの速度ギャップが際立ち、音像に形容し難い背徳感が発露した出世作2nd"Eros|Anteros"と、確かなオリジナリティを持つ欧州産らしいブラッケンド・ハードコアへと成長してきました。


で、今作の話。

これはかなり大胆な変化を遂げてきました。

まず、音楽的な骨格には、前作で開花させたブラック由来の凄惨さとネオ・フォーク由来の情緒的な薄暗さを融合させたブラッケンド・ハードコアが引き続き据えられています。

しかし、今作最大の特徴は、彼らが過去作で披露してきた音の数々に、陰鬱な破壊性と型破りの先鋭性を宿したポスト・メタルをフィルターとして通し、完璧に新しい音像へと再構築させたことに尽きるでしょう。

そうした目覚ましい変化に伴って、まるでアルバム全体で1曲のような統一感と構築美 、ある種の神々しさを宿した劇場型のドラマ性を喚起する楽曲展開の妙技が飛躍的に向上しており、Oathbreakerならではの独自性をここで完全形成、音像のバラエティを一層豊富にさせました。

例えば、Amenraの刺客としても勇名を馳せているLennart Bossu(Gt)率いるギター隊は、前作で干からびた感触のあった暗黒トレモロにシューゲイズ由来の透明感のある光沢、それとは相反するジメジメとした鬱の波動を絶妙なバランスで配合させ、明暗のギャップを強調することに成功しています。

また、都会的な音色に洗練させた儚い悲哀をユラユラと漂わせる幽玄アルペジオや、穏やかな孤愁を帯びたアコギなど、静パートでの繊細なギター・プレイが著しく増量しているのも特筆に値する点です。

それら静謐のアプローチと、ジャーマン・ブラックさながらの悪魔的な邪気をノイジーに撒き散らすトレモロや、金切り音を立てながら衝動的に落下させるスラッジ・リフの間で生じる静動/緩急の落差は文字通り躁鬱のそれで、サウンドの多様性をアバンギャルドな切り口から拡張させている点には脱帽。

この辺りは、Ivo Debrabandere(Dr)のパフォーマンスを聴いても顕著で、1stのようにハードコアらしい粗暴な突進と力技的な転調は勿論、前作で披露した辺りを焼け野原にする勢いのブラスト・ビートを激烈に強化した黒音の弾幕を筆頭に、Neurosisを想起させる民族的リズム・パターンのドローン染みた反復、重厚なスロー・テンポで充分にタメを利かせて破裂させるドゥーム式ドラミングなど、これまで以上に静動/緩急の対比が意識されていてユニークです。

そして、今作で最も明確な進化を遂げたのは、HR/HMフロント・ウーマンの中で飛び抜けて壮絶なパフォーマンスを持ち味とする紅一点Caro Tanghe(Vo)の常軌を逸したボーカル・ワークでしょう。

静パートの存在感を強めた楽器隊に合わせて過去最高頻度でクリーン・ボイスが導入されているのですが、これまでは彼女が普段メインで使用する絶叫の過剰な熾烈さと、少女のように幼く純朴な元々の声質が相まって、クリーン・パートでは可憐ですらある雰囲気を醸し出していました。

しかし、今作では、危ないクスリをガンギメした粘着質なアヘアヘ系メンヘラ・ボイス、所々でヘロヘロに裏返る気持ち悪い猫撫で声、盟友Chelsea Wolfeへの強いリスペクトを感じさせる非日常的な退廃性を呼び起こすファルセットなど、凄まじくエキセントリックに倒錯した歌声を全編で魅せてくれます。

それと同時に、彼女の代名詞である、怨霊に取り憑かれたかのような狂情を吐き出すヒステリック・スクリームのキチガイ度が異常なほど際立っているのが大きなポイントで、情緒不安定なクリーンからの急激な表情の変化は正に精神分裂的。

一度聴くや否や思わず戦慄してしまうこと必至の闇深さです。

特に、アカペラでの妖異な独唱からそのまま過激な音像に雪崩れ込む、今作の象徴をする名曲Second Son Of R.ラストのおぞましい呪怨が込もった断末魔には本当に背筋が凍りました。

自分が今まで聴いた女性Voのスクリームの中ではダントツのブチギレ具合いで、何より耳を塞ぎたくなるほどの悲痛さが病的にエグい。

ここ10年の間にデス声を出せる女性Voがゾロゾロと現れたことで、音楽メディアやファンがその手のボーカリスト達をアイドル的に持ち上げる機会(良くも悪くも)が別段珍しくなくなってきましたが、オリジナリティを確立出来ているのは男女問わず一握りに留まります。

こうした必然的な状況の中、Caro Tanghe(Vo)はその一握りに当て嵌まる稀有な存在であると自分は感じました。

まぁ、彼女の表現力がここまで大化けするとは正直思いにも寄らなかったのですが、今作を聴く限り、彼女の師匠格にして現代HR/HM界最強のダーク・ヒーローの1人と名高い狂人Colin H. Van Eeckhout(Amenra)と遂に同等の領域にまで上り詰めたと言っても決して過言ではないでしょう。

という訳で、Converge影響下のカオティック・ハードコアからアーティスティック方面への音楽的変遷は、やはり同郷の怪物Amenraを少なからず彷彿とさせますが、Oathbreakerは近年目覚ましい台頭を見せているポスト・ブラック/ブラックゲイズなどのトレンドを野心的に血肉化させているのが印象深く、ジャンルレスな審美眼とスピリチュアルな精神性を更に発展させているので、今作は彼らが辿った進化の形であると好意的に受け止めたいです。

総体的に判断すると、まだまだ伸び代が伺えるのだから末恐ろしい。

このまま非商業的ポスト・メタル色を深めていくのか、はたまたストレートな攻撃性を復活させるのか、とにかく今後の動向に要注目なバンドであります。

芸術派激情HR/HMの新たな傑作がここに誕生しました。

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