2007年03月

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こんにちは〜!
お元気ですか?
来週はイースター休みです〜![にこっ/]
ブログは充電中の為に、お休み中ですが、上からのメッセージ
にて、お休みになる前に書き込みします。
今日はキリストの大親友で一度死んだ人が蘇った人、ラザロスのアイコンの儀式があるらしい。夕方から始まります〜!セント・ラザロス教会にて!
夏時間に1週間してやっとなれました〜!夜が長くて、うきうきです!
では、真面目に行きましょう〜!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。

お便りからの質問と似たようなケースで鑑定依頼を受けた内容で、心の想いが晴れない現代人へのメッセージ。
『現代人の多くは、みな自分勝手だし、自分だけよければ良いと言う考え方に固執し、誰もが個人主義に走っているようにみえてしまいます。他人を押し退け、蹴落としてまでも出世したい人が多すぎる。
少し前までは、give and takeという言葉がありましたが、今日の社会を見てみると、take and takeのように奪い取り合う、強い者が勝つ社会に生きていると思うと憂鬱になって来ます。
それに、日本の美談で、「譲り合い」や「歩み寄り」を悪用している人も大勢いるのではないかと思うと腹が立ってきます。
このような、世の中は、どこかおかしいのではないでしょうか。
人はどうして仲良くなれないのでしょうか。助け合わないのでしょうか。
譲り合って、礼儀正しく物事をすすめれば、何事もスムーズに円満に運ぶと思うのですが、先生はどう思いますか?』 
という質問とさらに、ここ数日の鑑定にて・・・、ほとんどの方が同じようなこころの不安を感じていると思ったので、ブログはお休み中とさせて頂いておりますが、皆さんとシェアーさせて頂きます。よろしくお願いします。
ありがとうございます。
この質問に対して、わたしが思うのは、「この世」がおかしいという意識が怒りを抱いているように思える。もちろん、誰かのことを心配することは大変素晴らしい陰徳修行になるでしょう。
人によっては、「他人の事など、どうでもいい、自分さえ良ければ」という個人主義よりは大変良い傾向でしょう。
個人主義になると、不思議と人生の目標がお金儲けまたは、お金持ち思考になってしまいかねない。お金を儲ける為に働くという課題になってしまう人が少なくないだろう。
私たち人間は生活の為に齷齪(あくせく)働いて、老後の心配をしたり、老後の生活を優雅に暮らしたいが為に、多くの人たちは人生設計を立てていると思う。
だから、この世で生活している基準でお金がある人が偉いとか強いとかいうイメージを抱いて、この世での魂の最終目的を達成できないまま、ご臨終となる魂さんたちも多いだろう。
人生とは何だろう?一生懸命に働くことで、「より多くのお金を手にする」ことが、今の21世紀を生きる私たち人間の本当の目的だろうか。
もしも、一生懸命に働いて、より多くのお金を手に入れることが出来なかったときはどうなるだろうか。お金持ちになることが目標だっただろうから、その人の人生の目標の「お金儲け人生」は失敗したとなるだろうか。
ほとんどの人が多かれ少なかれ、お金を頼りに生き、お金を頼りに働いている。
だから、お金の為に働いているということになるだろう。
どうして、お金の為に働くのだろう。
それは「お金さえあれば、幸福になれる」と信じている人が多いからだろう。
拝金主義の人だと、「この世で、愛情も大金さえ出せば、買える!」と思う人もいるだろう。
だから、大金を得ることで、幸福な生活を夢見てしまう人も少なくないだろう。
しかし、拝金主義の人や人生の目的がお金持ちになりたいと願い、なれなかった場合は、その人の人生は無意味であり、コンプレックスを持ってしまうかも知れない。
多くの人は、より多くのお金を銀行に預け、高給取りになりたいために、一生懸命に齷齪と働いているが、お金持ちになりたいゲームの幻想から逃れない為に、自分で自分に莫大なストレスを与えている。
「お金さえあれば幸福である」あるいは「お金で幸せになれる」と信じている人は、何かとお金でのトラブルに参加してしまう人もいるだろう。たとえば、遺産相続争いや何かあると訴える!というお金で割り切ろうとしている人もいるだろう。
ここの読者の人はお金持ちだからといって、幸福であるとは限らないと分かっているだろう。
「お金がなくても、楽しくて、家族円満!」を望んでいる人の一人だろうと思う。
だから、読者の方は人をうらやましいとか、悔しいと思うことはないだろう。
もしも、人を羨ましいとか悔しいと思う人がいるならば、それはあなたの中に欲望と劣等感が宿っているかもしれない。
白雪姫の童話でのあなたは魔女のおばあさんのような、こころを持ち合わせていることになる。つまり、負け惜しみの呪縛を自ら招いていることになる。
人を羨ましいと思うよりも、今から、老後の短い期間のことで不安になるよりは、死後の世界の生活のことを考えた方が良いだろう。
死んでも、体がなくなるだけで、死後の生活が待っている。
死後の生活のレベルを気にかけた方が、この世よりも長く学ぶ場所にてランクがあることを忘れていけない。
どこのランクで暮らすか決定的なツールになるのが、品性で決まるらしい。
その品性はどうすれば綺麗になるか、それは、人間が持っている「慈悲」のエネルギーであるから、慈悲のこころは、人間の善行の象徴と言えるだろうか。
善い行いは慈悲のこころを無くして、実践できるものではない。
他人のために何かをする行いは、善行という修行のひとつでもある。
この善行こそが、品性を磨くひとつの修行の中で一番の陰徳がある。
昔の大和魂の品性を磨くほかの修行は、「礼儀正しい行い」である。
何かを誰かに教えて貰ったり、尋ねる時には、礼儀正しさもモットーとした時代があったが、今では、この世は「お金儲け」をする場所の為に生きていると錯覚している人が多い為に、本来の輪廻転生の為の最終目的を忘れて、死期が近づいてはじめて、霊界に帰るとランクがあることを思い出してしまう人もいるだろう。
この世での毎日の生活の中で高い霊界に行ける要素がある人は、この世でお金が無くても、この世が修行の場と分かっている人もいるだろう。
だから、人生には楽しいことなど無い方が良い。というとすごっく人生が辛いと思う人もいるだろうが、物欲や欲望が少なければ、さほど苦しむこともないのだ。
だから、この物欲や欲望があるから、苦しむわけだ。
苦しみが多いということは、それだけ自分の修行だと思うことだ。
苦しいから「修行の場」であって、楽しくないから「修行の場」なのだ。
人生を「娯楽の場」だと思ってしまうから、あの世に帰る時期が来ると、この世で修行をしなかったために、あの世で多くの修行が待っているから、帰りたくないという未浄化霊さんに読者の方もならないためにも、今からでも遅くない、苦しく辛いことが今ある人は霊界でのレベルアップの為の修行だと思い。
精進することである。
自分で決めてきた霊界レベルアップの為の「修行」を怠ってはいけない。
苦悩があるから、品性も磨かれ、こころも清められるし、魂も浄化出来る。
そうすることで、あなたは「今を大事に生きれる!」だろうし、慈愛も内から沸いて来るだろうし、欲望も半減して行くだろう。
そして、あのときの葛藤は自分での幻想だったと気づくだろう。
そして、多くの人からの苦労の種は、結果的には自分の霊界でのレベルアップの為に必要だった試練だと、気づくときが来るだろう。
そして、その苦労をくれた人にも、感謝するあなたがいるだろう。
ありがとうございます。

では、日本にいらっしゃる方には、良いお花見になりますように!
ダウンアンダーの方、欧米にいらっしゃる方には、良いイースターをお迎え下さい!
ありがとうございます。
 
 

21:235:350:0:0:NONALNUM-C0BBCAECBBD2C1FC:center:1:1::
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
他のサイトでも書いたのですが、「霊に取り憑かれていますか?」
私に鑑定依頼の予約をする前から、よくこういうことを言われて、相談に来る方がいます。
「霊能者の○○の先生のところに行ったら、あなたには○○が憑いている」「早く、除霊しないと大変なことになるといわれました。」「○○先生がいうには、霊が憑いているからあなたには子供が出来ない!」「○○先生は○○しないと、もっと悪いことが起きると言われたのですが、どう思いますか。」
私が鑑定した内容でないことで、直接その霊能者さんに聞けば良いのだろうが、なぜか、このインターネットが普及してからは、ご自身で少し冷静になって答えを出すことよりも、早く結果が知りたいから、次は○○先生に電話をかけたり、メールをしたりして、自分が悩んでいる内容とは無関係なことで、さらに違う悩みまで招いて、霊が取り憑いていると言われては、眠れないし、食欲もなく、「どうしたら良いのでしょうか。」「除霊して下さい!」「○○○万を払った方が良いでしょうか。」
私の場合は霊能占い師ですから、占いの当たるも八卦、当たらぬも八卦も統計学で勉強しています。
ご相談者の中では、鑑定予約する前から、「当たりますか?」と聞いて来る方もいます。
そんなときは決まって「当たりません!」と返答します。
私がプロとして活動を始めた場所は海外でしたし、ご相談者の8割は外国人でした。
この水がめ座時代に突入してからは、自分のカルマの解消までも、自分でない人にお願いしているように思うときがあります。
ご相談者さんによっては、「ここのサイトの○○霊能者さんを本物だと思いますか?偽者だと思いますか?」と何かのクイズ番組?と思える、理解に苦しむメールが送られて来たりします。
私の意見では、本物も偽者もお役目があって、この世に転生しているでしょう。
ただ、最初は本物でも、途中、欲が出てしまって憑依されてしまっている霊能者の方もいます。
日本では基準がない世界ですから、欲を出してしまった時点で低級霊の餌食になってしまって意味不明な悪いことを言っては、大金を巻き上げようと願うのでしょうね。
ですから、人間不信でなく、霊能者不信になってしまう人もいるでしょう。
霊能者、占い師、セラピスト、ヒーラー達は霊的に生きる必要があります。
神様のお使いなのですから、エゴを出さないことです。
普通の人の人生でも同じです。
欲を抑えて、謙虚に生きる。
そして、感謝と精進を致しましょう。
この感謝することを忘れてしまって、欲に負けて、そこで立ち止まって油断してしまうと
そこに付け入られて、未浄化霊さん達に憑かれても気づかない人もいるでしょう。
基本は自分自身で波動調整をして、霊的な生活をしながら、感謝すれば、別に霊能者さんに個別指導して貰わなくても良いのです。
そして、ご先祖を大切に思う心を持ち、前向きに明るく生きていれば、自分のこころを見極めることも出来るでしょう。
努力なしで、本当の幸せへ辿りつくことはありません。
簡単に手入れた、気休めの幸せは、本当の彼岸の場所はないのです。
ときには辛く苦しい道のりが無くては、幸せの基礎させ築くことが出来ないときもあるのです。
あなたの人生は、あなたのこころです。
ですから、姿勢を正すことを躊躇っていては、いつまでも、魂の成長もないまま、こころの不安も取り除くことも出来ないまま、誰かに自分のカルマの解消まで頼んでいるようなものです。
現世において、個人、個人で背負わなければならないカルマがあるでしょう。
それは決して放棄することは出来ません。
でも、マイナスのカルマだけでは現世ではありません。
私たち人間は、人それぞれの幸せを望むことが許されています。
自分が今、不幸の最中にいるのは、悪い霊が憑いているかも知れないと思う前に、どうぞ、自分の心と身体のバランスを整えましょう。もしかすると、感謝することを忘れていたりして、言い訳ばかりしていなかったか、はたまた、自分でその霊や悩みを育てたのではないか、真面目に考えてみる機会を作って下さい。
簡単そうだけど難しい。
でも、それが現世を生きる人生なんです。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。

さて、わたしも心身ともに、私自身の霊的課題があります。
ですから、こちらのブログは充電の為にお休みさせて頂きます。
「霊的自立」を皆さんも目指して下さい。皆さんも個々の霊的課題を一つ、一つ、クリアーして下さい。
読者の皆様に繋がる方々と共に、良いイースターをお迎え下さい。
ありがとうございます。
合掌

14.4:320:240:0:0:nonohana:center:1:1::
こんにちは〜!
山は鳥達の声、春風のささやき、カラフルな花が至るところで絵の具道具を散らばらしたほどの美しさはこの世にいながら、極楽浄土気分になれました。
月曜日は村にもあまり人がいず、自然と沢山戯れて来ました。
あぁ〜!生きていて良かったと実感出来ました。 ^−^

さてさて、今の時期はご先祖様を敬うお彼岸の季節ですねぇ〜!
でも、意外と知らないと思うのですが、この「先祖供養」はインド仏教では教えていないのです。この先祖供養の教えはお釈迦様の教えでないのです。
私たち日本人の多くは勘違いしているのです。
お盆もお墓参りも、仏教の習慣だと信じているでしょうが、お釈迦様の教えとは無関係なのです。
今日は、この「先祖供養」「仏教」との関係に触れて見ましょう。
仏教の基本となるお釈迦様の教えは沢山あります。その教えはお釈迦様が苦行を重ねてくれて、「悟り」を開いたことから、「輪廻思想」も前提として、生まれて死ぬまでのプロセスを人間の宿命であると同時に、この世に生まれて生きること自体を苦しみました。
四苦である、生・老・病・死は誰もが通る道です。この四苦は人間の宿命でありますが、お釈迦様のお陰で私たちが人間として生きているなかで、「輪廻」とも深い関係があるという思想が生まれたのです。
では、この仏教が目指す最終目的はなんでしょうか。悟りを開いてこの輪廻転生から卒業することです。ですから、私たち人間は何度も生まれ変わり、魂の成長をしていますが、この輪廻転生を繰り返す必要が無くなるのが分かるときに、本当の幸せになれると仰っています。この輪廻を繰り返すから卒業するには、「解脱」する必要があります。その為にさまざまな修行が用意されています。
お釈迦様の生きていた時代のお釈迦様の思想は新興宗教と同じ扱いをされました。
それは、人間は解脱(げだつ)できないかぎり肉体は死んでしまうが、ある一定の期間をあの世という地点にてお休みして、この世に輪廻転生しているという思想は、人間が輪廻する際に、前世、現世、来世との間に接点がないと証明出来ておりません。
スピリチュアリズムを学び、受け入れている人たちにとっては「霊魂」の存在となるでしょうが、お釈迦様は霊的自我としての霊魂の存在を認めていませんでした。
スピリチュアリズムでは「霊魂」こそが輪廻思想の原点であるはずですが、それをお釈迦様は認めていなかったのです。
さて、この輪廻思想はこの辺りにしましょう。
では、お釈迦様の仰る思想に沿って行くと「現世にて必要のなくなった借り物である肉体は単なる抜け殻」であるならば、この死体は火葬にして捨てても良いとなりますし、インド仏教では火葬にして川に灰を撒いたり、山に持って行ったりして、死体→火葬→(遺言などない場合は)それで終わりです。
骨には何の意味もないのです。この点については本来のスピリチュアリズムと同じでしょう。
ですから、仏教ではわたしたち人間はこの世に生きている間に「悟り」を得なければ、輪廻して、世界のどこかにまた、人間として生まれ変わることになるのです。仏教の死後はあの世でもこの世でもない空間の時間に入り、その長さは49日とされています。その間に次に生まれる場所を決めることになります。
良い場所に生まれ変わりたいならば、僧侶に依頼して供養して貰います。供養は初7日に始まり、7日毎に行われて、49日目に、その人の生前の行いなどや善悪と共に次に生まれてくる場所が決まるとなります。
どこに生まれ変わるとなると仏教では6つの界があります。
これを書くとかなり長くなりそうですから、もっと先に進みましょう。
本来の輪廻思想であれば、お墓もお仏壇もお位牌も必要ないとなります。
日本の場合は宗教もメイドインと呼ばれるものは「神道」だったり、自然界を拝む宗教だったりでしょうか。仏教でさえもさまざまな要素の寄せ集めから成り立っている様子です。ある宗教研究者によると日本仏教の多くの要素はインド仏教とは無関係な先祖供養が占めていて、あとの一割がこころの救いになる教えと、あとは祈願的な教えから来ているそうです。
インド仏教のお釈迦様の教えから離れてしまった理由は、仏教が栄え始めていた鎌倉時代に道元師によって禅が中国から日本へ伝えられたからでしょう。
インドから達磨さんが中国に、インド仏教を持って行きます。そのときの武帝は古来からの道教を捨てて仏教信者となった帝でした。
中国はもともと「シャーマニズム」もありましたが、「儒教」が根付いていました。
一時期、インド仏教は中国でも流行ったようですが、儒教の特長で先祖霊崇拝や葬式を重要しするという宗教だったのです。
余談ですが、私は鑑定を通じて多くの韓国人がこの儒教がベースですから、先祖霊を供養するのですが、先祖が多くてキリスト教になる人もいると聞いて驚いたことがあります。
その儒教の影響を受けている中国仏教が日本に伝来されているので、「先祖霊崇拝」もあると思います。
ですから、日本の場合は儒教も民族宗教もインド仏教もミックスされた独特な宗教と言えます。
この日本仏教は先祖供養であると共に、死後の霊魂の存在も認めています。
しかし、この霊魂に関してはインド仏教も中国仏教も明確にしておりません。
でも、先祖供養の必要性を前提にしていることは、インド仏教よりもスピリチュアリズムという意味では霊魂説などの面では近い場所にいるともいえると言えます。
日本での問題点はお墓やお骨をとても大切にしてくれるのは良いとしても、少子化問題や核家族問題もありますし、お墓を立てる場所、お墓にかかる費用も多大ですが、管理費やお寺への寄付も田舎ですと驚くほどの金額だったりします。先祖霊にしてもお墓やお骨に拘ることはないでしょうが、お寺を維持して行く際にこの先祖代々等を出すことで、お寺も継続しているところもあります。
先祖を供養しないと不幸になったりするという人もいますが、そうではありません。
神さまと、先祖霊と、私たちの輪廻思想とは別問題です。
霊的な意味での先祖供養とは皆さんとは繋がっていますので、自分がこの世に再生したことへ感謝し、ご先祖様に感謝して生きること、そして、自分の周りにいる方々に感謝しながら「あるがままに生きる」姿勢が、みんなも幸せ、自分も幸せの法則でご先祖様もあの世から喜んでくれるでしょう。
ありがとうございます。

9.4:350:217:0:0:niji:center:1:1::
こんにちは〜!
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
いつもありがとうございます。 ありがとうございます。
ここ最近、すごっく考えることがある。このスピリチュアル・ブームでヒーラーさんやセラピストになりたい人が多くなって来ていることも人気の職業として注目されていることで、都会の駅前辺りにスピリチュアルプロ養成所みたいなスクールが目立っていると日本に住んでいるご相談者さんで仲良くしている方たちから聞いたりしている。プロになる覚悟がある人は道徳と愛を持ってなって、こころの悩みのお手伝いになるなら、それはそれで良いことだろうと思う。
しかし、お金儲け本位でやっている人もいるだろう。
これは相談する側にも問題があると思う。
人生で生きていると恋愛、仕事、結婚、健康、死別なので心が痛い、寂しい、孤独な出来事もあるだろう。
しかし、人によっては自分で考えないで答えが出ないと言っては、他力本願で占い師さんや霊能者さんにすべてを聞いている、つまり、占いジプシーの人たちも少なくない。
恋愛で彼とコミニケーションが取れない、彼の気持ちが分からない、彼と寄りを戻したい等など、高校生ぐらいなら、ゲーム感覚で聞く人もいるだろうけど、常に誰かに聞かないと心配という大人の女性も少なくない。
生活していると二者選択をしなければならないときは多い。
子供であれば、「♪ どちらにしようか〜 天の神様に聞いてみました。け、けの毛虫の柿の種〜 ♪」
これは私の田舎で子供の頃に二者選択の時に言ってました。
意外と2者で択一をする際は、最初からこちらと決めていることも多いのです。
でも、誰かに聞いて見て、同じ意見だと安心するみたいなところがあります。
シドニーでワンホリ(ワーキングホリデー)で来ていて、今でも友達として仲良くしている女性がいますが、彼女は頻繁に相談に来ていたのですが、家でも彼女の友達も含めて、食事に呼んだりしていて10年以上の交流があります。
そんな彼女はディナーに招いた夜で、私の最後のご相談者さまが帰った後に、「ごめんねぇ〜!じゃ〜!一緒にご飯を作ろうか?」と言うと「もう〜!他にはお客さん、来ないのですか?」と聞くので、「う〜ん、終わったよぉ〜!」と言うと、「え〜!予約してないけど、これから駄目ですかぁ〜!」と言うので、「2週間前にも見たじゃない〜!」と言うと「悩んでいるのですよ」と言うので、他の友達にも迷惑ではと思いつつ、「良いよ〜!」と他の友達。
私は出来るだけ自分で考えて欲しいと思うときがあるので、彼女に「多分、みてあげても、あまり変わって無いかも知れないし、出来れば、自分で少し考えてみたら・・・」と言うと、「カズコさんと話していると安定剤みたいな感じなんですぉ〜!それに元気エネルギーも貰えるし〜!」と言うので、「でも、自分でも安定剤代わりでメディテーションとか教えてあげたじゃない。」「えへぇ」という彼女も私が日本滞在中はそこまで頻繁に来なくて良かったですが、悩むとメールして鑑定して下さい。と来るが最近では少なくなった。もしかすると、他の占い師さんのところに行っている?ということはない。
多分、寂しいとわたしの感では、彼女はお酒に走っている気がする。
以前、メールを貰って返事が無かったので、自宅に電話するとお母さんが出たので、尋ねるといつも1時近くに帰宅すると言うので、携帯の電話番号を教えて貰ったことがあるが、どうも酔っ払っている様子で、次の日のメールでも最近はストレスで飲んで吐くらしいと言っていた。
本当に悩んでいるときに占いは活用して貰うのは大変良いことだと思う。
でも、占い=羅針盤ぐらいで考えるのが良いと思う。
雨の日に傘をささないで外に出るとずぶ濡れになるだろうし、風邪をひいたりしないためにも、そして、自分で決めた占い師さんや霊能者さんに真剣にその思いを伝えれば、必ず、ちゃんとした答えが返って来るだろう。
でも、自分の人生は自分のカルマ解消も含めて自分で最終的に決めるのが良い。
決めるとなると多少なりとも悩むだろうが、それは自分の意思で選ぶのだから、誰かから勧められたのではないし、自分がその人やそれを望んだのだから、誰かが責任をとってくれるわけではない。自分で決めたことだから、責任をとれると感じるから、こちらを選ぶのだ。
この世に生きている中で自分のカルマの清算も同時進行で生きている。
カルマの清算をするには、精神的に自分を律し、自立心を育てるのが大事なのです。
ですから、普段からすべての出来事を通じて自分の責任で物事を選んだり、行動したりすることが必要なのです。
迷いや悩みが湧いたら、まずは自分で考えて見てください。
人に相談するのはその後。
人に甘え過ぎたり、人任せにしないで、自分自身の思考力を高めることも、とても大切なことです。
自分の言動は自分で責任をとることです。
人によっては挫折しないで順調に上手く生きよう!スマートに生きようと思う人もいるでしょうが、それは外の世界で世間体を考えての生き方ですから、それは逆にカルマを増やして行くだけです。
簡単に言うと試験をしないまま、誰かに頼んで○(まる)して貰って、優等生気分でいるだけなのです。でも、学校では大丈夫でしょうが、見えない世界ではそれはカルマを増やしているだけで、そのまま課題を放置しているだけなのです。
こころを強くするには、自分の考えに自信を持つことです。
それが「あなたらしい」に繋がるのです。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。

140.8:350:270:0:0:postcardsakura:center:1:1::
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
キプロスは先週は春爛漫で気温が24度ほどにあがりましたが、今週になって昼間も10度ぐらいで冬服を洗濯して春物を出していて、またまた冬に逆戻り、寒い!
来週には暖かくなるということですが、10度以上の温度差があると身体が驚いちゃいますねぇ〜!薄着していた矢先でしたから・・・。
さて、この2週間ほど色々な精神面を鍛えられる勉強をしました。
鍛えられるほどの勉強でしたから、1本も白髪がなかったのですがこの学びのストレスで20本以上の白髪を昨日の朝に鏡を見て驚いてしまいました。
この学びのプロセスにて白髪と無料のダイエットがセットで来ちゃいました!
そんな中、メッセージを頂きました。
「地球上には、完璧も不完全も存在しません。あなたという存在がいることはそこのあるがままの姿勢でナチュラルに生きることです。その姿勢こそがこの地球にあなたという存在なのです。だから、それ以上求めることは必要ないのです。
完ぺきでいたいと願うこころを手放すと、あなたのエゴが大きくなる前にあなた自身で気づくことが出来るだろう。」

自分ではある程度頑張って来たと思うと、さらなる課題を頂きます。
でも、試されているということはある意味大変うれしいものです。
わたしだけでないと思いますが、わたしの魂はギブ&ギブ精神で奉仕精神が幼少時代からあります。弱い人達には優しく手助けする性格が仇になり、小学生ぐらいには他の学友が虐められているのを身体をはって虐めている子達に突き進んで行ったりした為に陰湿な虐めの対象になったりした経験があります。この気質は母方のご先祖様の侍気質があると思います。
我が強い人や強引な人から依頼を頼まれる際には丁重に「忙しいから」=無理ですというニュアンスで申し上げるのですが、我が強い方には通用しない様子です。
エゴが強い人と関わると競争心がないわたしですが、なんのための戦いなのか?上下関係を作ろうとしているのか?理解に苦しんだりします。
わたしの悪い癖で引き受けられないときには、オージー風で「お手伝いしたいけど、ちょっと忙しいから無理だと思う。すみません。」と言う意味はわたしとすれば「お断り」の意味だと思うのですが、人によって受け取り方が違うのでしょうね。「ちょっと」だったらそんなに忙しくないだろうと思う人もいるのでしょうか?このネット社会になってからは、一方通行で相手の都合を無視たメールが送れる時代。なんだか寂しいと思ってしまいますが、それは相手が気づくまで待つしかないと思います。
常に何かをする際に自分だけのためでなく、この現世にて繋がる他者のために働いていけるようにと願う謙虚さを忘れないように心がけています。
ですから、わたしの価値観とは「協調性」が仇になるんだと思うときがあります。
喧嘩を売られても無視してしまう。だから、相手のプライドが傷ついてしまうためにさらに難関な押し付けをされてしまいます。
逃げるが勝ち精神がありますので、自分から身を引いたりすることもあります。
でも、平和主義でいたい私は、相手の要求を常に受け入れる必要はないと思っております。
わたしはわざわざ外から愛を受けようとか、誰かに強制的に何かして貰いたいと思う気持ちもありません。
一人ぼっちで寂しいと思う気持ちはありません。
だって、側にはいつも忍耐強く、わたしを導いてくれるスピリチュアル・ガイド様たちもいます。そして、愛し愛されているわたしの大好きな旦那の側にいるだけでも十分幸せです。物質欲がないので、あれが欲しいこれが欲しいというのはないのですが、慣れしたんだ地中海気候のように、いつも温暖では自分の精神力が強くならないというのを思い出させていただける学びも必要だと思います。
でも、わたしは出来るだけ「あるがままの人生」を生きたいと思います。
だって、わたしは普通の人間です。
周りの人に、ありがとうございます。
動物、植物に、ありがとうございます。
見えない存在に、ありがとうございます。
感謝しながら生きるだけです。だって、「にんげんなんだから・・・」

読んで頂いて、ありがとうございます。
ありがとうございます。

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