2007年09月

こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
こちらの気温の方が湿気がない分、涼しいと思います。
洗濯物もしながら、掃除もしながら、時々、メールチェックやブログへのリスポンスをしたりして、ちょっと疲れ気味です。明日の夜には20時間ほど飛行機の中でぼっ〜としたいと思いますが、どうなることでしょう。
明後日には日本へ到着していると思うと、不思議な国のアリス状態です。
本当に海外から海外という感覚でいます。きっと時間はさらりと過ぎて行くでしょう。 沢山の直メールをありがとうございます。
時間に余裕があれば、「オフ会」を開催したいなぁ〜!と思っております。
さて、今回の日本行きは父だけの為に行くのでなく、実は私には父の連れ子の姉がいます。兄と私の母は実の母なのですが、父が死に別れで幼い姉を連れての再婚となりました。父と母の時代の再婚となると、後家だったりしますが、母はどこが良かったのか父と結婚することになりました。それはそれで二人にしか分らないことです。死に別れの人と結婚するのは本当に連れ添う側が忍耐や心が寛大でないと難しいと思います。
さらに、父の死に別れの子供はダウン症と呼ばれる子でしたから、周りの反対は凄かったと思います。普通の子供でさえも継母だというだけで大変だったと思います。今でこそ、日本も少しづつ福祉社会になっていますが、私も姉のことで虐められたり、詰られたりしたものです。姉と歳が近い兄は私以上に傷ついたことだと思います。そんな複雑な家庭だと私は思っておりませんでした。姉は常に子供のままの笑顔で物質的にも興味がなく、幼稚園生のほどの知恵を持った大人になっています。
母は死ぬまで自分の腹を痛めた子供でない姉を常に連れてどこかに行っていました。かわいかったんだと思います。大人の様にエゴがない子供のままの姉。
母が亡くなり、公的な用事も済ませたので、ある日、オーストラリアに向かう為に田舎の駅のベンチに座っていると、高校時代の担任の先生に会いました。母の話をしたりしていたのですが、その後、姉の話になりました。田舎で頻繁に姉と母が一緒に歩いていたり、ショッピングしていたりしていたので、母の連れ子だと思っていた様子でした。私が父の死に別れの前妻の子供ですと告げると、大変驚いていました。
それだけ、可愛がっていた母が先に行き、父も歳が歳なのと、途中何かあっては行けないということで、2年前にまかない付きのホームに入居して貰いました。今でも、毎日、作業所という場所にそこから通っています。(1ヶ月のお給料は1万弱です。国から障害者年金が出ています。)
それまでは、その作業所に通う為に父は体調が悪くても朝ごはんを姉の為に作り、バスに乗り遅れない為に送り出し、彼女の下着や服なども洗濯したりして、さらに、夕方には決まって帰って来る彼女。そして、夕飯の仕度などもしていました。
父にとっては姉が側に居てくれるだけでも、良かったのでしょう。
しかし、体調的にも元気であれば、それほど負担にならないでしょうが、毎日では、元気な若い男性でも大変だと思います。
姉は服を着たり、食事の前にお膳にお箸や何やらと並べたり、お片づけも出来ますし、洗濯を取り込んだりすることも出来ます。
ただ、言語障害もありますので、言葉も単発的な「美味しいね〜!」「かわいいね〜!」「これ綺麗!」「あれが好き!これが好き!」という言葉を使います。
作業所には姉みたいな人もいれば、知的障害者で人に暴力を振る人もいます。行き成り、頭から牛みたいに突進して来る人もいます。私が学生のころ、姉はたまに痣を作って帰って来て、「痛い!」と言ってましたが、誰にそれをされたという名前が分りません。「誰に叩かれたの?」と聞いても「あっちが悪い!」と言うだけで理解出来ません。
そんな姉は誰にも被害を与えることなく、生活しています。
しかし、姉を大事に思っている父も弱って来ています。どれだけの寿命かも分りません。その姉も目の手術で全身麻酔をしなければならないということで、父が入院する時期に作業所から連絡がありました。いつもであれば、難聴の父が後見人になっているので、父に連絡が行くのですが、多分、体力的にも無理だと思ったのでしょう。私に姉のことでご相談があるということでした。
父のことも心配ですが、姉のことも気にかかるので、今回は行かざるおえない状態となりました。
兄夫婦が「父の面倒をみたい」と願い出てきたときに、私は姉の入院の件などを軽く聞いてみました。兄は黙っていました。義理の姉は「カズちゃんは大変だね。」と言いながら、「お父さんの面倒もみてくれるなら、Xちゃんはこの10月ぐらいには目の手術をしなきゃいけないらしいけど、身元保証人になってくれるの?」と聞くと、「私たちにはそれは無理だわ・・・。」とのことでしたから、最初から期待していなかったのですが、本当に父の面倒をみたいと願うのであれば、姉の入院の身元保証人ぐらいにはなるだろうと思いました。
姉は金銭的にも問題無いのですが、父が後々のことを考えて兄夫婦には任せないと思います。
私は若い頃から、身体障害者さん達やダウン症の人たちと会う機会が多くありました。そんな彼らと会う度にこの人たちは自分のカルマの為に自分で決めて生まれて来るのだと思いました。慈悲愛がない母親の元には生まれて来ないでしょう。
御母さんが良い魂だから、生まれて来たとも言えるでしょう。
著者で有名になった『五体不満足』という彼も、ご両親がとっても彼を愛していらっしゃったということが分ります。
昭和の時代に、ダウン症や身体障害者などは優遇されていませんでした。臭いモノに蓋をするぐらいの気持ちだったと思います。
弱いモノ虐めという陰湿な風潮の社会だったと思います。
そんな子供を産んだ女性は非礼な扱いをされたり、なじられたり、陰でかわいそうと言われたりしていたでしょう。
人間とは自分より弱い人には、偉そうに振る舞い、自分より強い人には媚を売るということを私は幼少時代から見れたと思います。
色々な気づきを頂けた複雑な家庭環境であり、さらに、弱い立場の人間を虐めたり、心無い言葉を野次ったりしている人たちの方がどれだけ偉いのでしょうかと思ったりもしました。
ただ本で読んだ誰かの話でなく、私自身が体験することでそれでも人を憎まない姉の笑顔を見たり、感じたり出来たことは大きな学びになりました。
彼女達はとっても高貴な魂の人たちでもあります。
物質的な欲もなく、霊界とも言葉が分れば、一般の霊能者達よりも優れた才能を持っていると思います。ピュアなままで生まれ、ピュアなままで死んで行ける彼女達でもあるでしょう。
母が御棺の中にいるのを姉が見たとき、彼女は涙を流していませんでした。
それよりも髪飾りのお花に目が行ったのでしょう。
「これかわいいねぇ〜!^−^」とお花を触っていました。
死んだことよりも、お花がかわいい?と普通の人であれば、何?となりますが、視得るモノが違ったり、死に対しても私たちは植え付けられた感情ですから、彼女達にとってはお役目が終われば、お花畑の天国に帰るだけだと思います。
「かわいいねぇ〜! ^−^」と言った後に、姉はハミングしていました。私が買ってあげた赤い靴が気に入った様子で、スキップしていました。
母も心残りでしたでしょうが、姉の様子を見ていましたら、死=悪いイメージは植え付けられたものであるのでしょう。彼女達はニコニコしていますからね。
そういったプライベートこともあり、父も一言も言わないけど、姉に会いたいと思います。私にも会いたいでしょうけど・・・、でも、自分が介護して貰う側ですから、姉の面倒は数日でも大変だと思います。
姉の目の手術後、経過を見て父宅に何日か一緒に姉には食べたい物を食べて貰い、父は1日6回ほどの食事を食べて貰い、父もとっても喜ぶことでしょう。
長い文章になりましたが、読んで頂きましてありがとうございます。
2ヶ月後には復活して、霊界のお話、死者との対話、精神病と憑依現象などの関係を真面目に綴って行きたいと願っております。
名残惜しいですが、皆さんもお元気でいて下さい。
ありがとうございます。
合掌


☆ダウン症とは何か知らない人の為に、こちらを読んで下さい。
1866年に、イギリスの医師ダウン氏がはじめて論文を書いたことで世に知られる。病気の原因が「染色体異常」と解明されたのは1959年。
染色体の異常が原因の症状。人間の染色体は46本あり、1番から22番はペアになっている。ダウン症の場合、21番目の染色体が通常より1本多く3本存在する。これを21トリソミーとも呼ぶ。
染色体の異常がなぜ起きるのかは、今現在の医学でも不明である。卵子と精子が作られた時の異常という意見がある。大部分は遺伝的なものでもなく、人種による発現の偏りはないと言われている。要するに、誰にでもありえる症状ともいえる。ちなみにダウン症は新生児の染色体異常でもっとも多い病気で、その発現割合は約1000人に1人。
身体的特徴としては「顔が平たい」「目がつりあがってる」「目と目の間が開いている」「長い舌」「太く短い首」「太く短い指」「猿線(俗に「マスカケ」と呼ばれる、横一直線の手のひらのシワ)の発現」「全身の筋力の低下」「心臓の異常」「食道閉鎖症」など。内臓にも異常が起こる例が多い。
眼科的問題も多く、その症状としては、視力の低下、斜視、近視、遠視、乱視、白内障など。耳も聴覚の障害があり 軽度の難聴の為に気がつくのが遅かったりもする。
歯は、乳歯が生える時期が遅れ、生える順番も乱れる事がある。生えてこない場合もある。精神発達の遅れも典型的な症状だが、性格は明るい事が多い。
基本的に遺伝病であるため、根本的な治療法はない。
身体的な要因もあいまって、ダウン症患者が20歳を越えて生きるケースは少ないとまで言われてきた。だが最近では、徐々に生存年令も伸びてはきている。


1191052238_FSPL1046L

1190879290_healinglight
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
さて、この秋頃に書こうと思っていたシリーズ・エッセイ「死者からの教え」を綴って行こうと思っていましたが、父と親子水入らずで2ヶ月ほどパソコン環境がない生活を致すことになります。しかし、日本の霊能者のHPやブログを読む機会がありますが、鑑定やヒーリングにいらっしゃる方に「憑いているよ〜!」と言っては、その方達は自分は高貴な霊能者だと勘違いしている方達を多く見かけます。
昔から日本人の方達は怖いもの見たさで、幽霊屋敷や霊スポットや心霊写真をテレビで暑い夏になると特集を組んだりしていますが、それはこの物質界側の単なる遊び心で本心からその死者(霊達)を助けてあげたいと願う人がどれだけいるでしょうか。
ここ最近のスピリチュアルの氾濫で英語単語を並べた霊能者が多いのに驚きます。スピリチュアルと言えば、人間は納得しても、亡くなって浮かばれない霊達は中途半端に視えている人の側でうろうろとさ迷っています。中には、霊媒体質だということを自慢する人たちも見かけます。霊媒体質を自慢してもその霊と会話が出来ず、ただ、霊のストーカー達に助けを求められているだけで、その助けを必要としている霊を無視してしまう為に、霊達は悪さをしてしまうこともあります。その悪さというのが、憑依現象として、現れます。
私個人が感じることですが、今の日本の精神病と呼ばれる類の現象は死者からのメッセージによって、憑依現象の現われだと感じます。つまり、生きている人と亡くなって肉体がないが魂は生きていますが、本人様は死んだことに気づいてない方達が霊媒体質だと自慢している人に乗り移り、急に叫んだり、人を傷つけたり、お酒を一滴も飲まない人が急に大酒飲みになったりすることもあります。
しかし、一番狙われやすいのは思春期の人たちだったりします。精神的に不安定な時期だったり、家庭の不和から、心を閉ざしてしまう少年少女も多いことでしょう。
家庭によっては行き成り自分の子供が暴力的な言葉を使い始めたり、物を壊したり、罵倒し始めたりして、お祓いして貰ったり、浄霊して貰ったりする中で、お金を出して何とかしても、その霊達はまたその家に帰って行きます。
さらに悪化して行く中で、近所迷惑になるし、自分の子供を恥ずかしいと思う気持ちになったりする親もいるでしょう。そうなると次は精神科医に連れて行き、その精神科医は、カウンセリングでは暴れている大きな子供に意味がないでしょうから、と言って、行き成り安定剤入りの注射をさせ、入院をさせずに自宅療養を勧めたりすることもあるでしょう。もちろん、家族によっては入院させたりすることで、安心感を貰えることになるでしょう。
もしも、あなたの家庭に急変した思春期のお子さんがいるとしたら、あなたの先祖の中で成仏していない霊が気づいて貰いたい為に子孫に乗り移ってしまっている可能性もあります。
戦後から日本人は無宗教者になっている人が多くいます。いいえ、そうではないという人でも「神様」をご利益になる道具として、願いごとばかりしている人もいるでしょう。お仏壇の前に立つと、「ご先祖様、どうぞXXして下さい。」たまにお墓参りに行っても「ご先祖様、XXして下さい。」と言ったりして、さらにはおめでたいことにクリスマスにはキリストを知らない人も「メリークリスマス!」とシャンペンやクリスマスケーキを食べ、どこの宗派か分らないけど、適当に近くの教会に行って、ロマンチックな気分を味わい。
大晦日になると、除夜の鐘を聞きに、お寺に参り、色々な祈願をして貰い、「神様、うちの息子がXX大学に合格しますように!」と100円ぐらいをお賽銭箱に入れ、怪しいグッズをお寺から買い漁り、神様はいつからご利益の役目に成り下がったのでしょうか。
これは物質的な物に価値観を持ってしまい過ぎた敗戦後の日本のカルマと言えるでしょう。どこの宗教も死んだらどうなるかという定義が基本です。つまり、「私は誰?」「自分自身は何者?」「人間とは一体何だ?」「死後の世界」「霊界とは?」などを生きている間に学んでいれば、死の覚悟もあるでしょう。
死ぬ人にとっては死とはあっけなく訪れます。でも、死の直前までに「死んだらどうなるの?」と学ばないまま死んでしまって、物質的な価値観に拘り続ける霊達が多い様子です。死んだら無知な人たちは皆さん「天国」に行けると思うでしょうが、死んでも肉体が無いだけで、この世での感性とあまり変わらないのです。
もしも、生きている間に人を憎み、お金や物質を愛し続け、「自分自身は何者?」とも考えなかった人たちは「無智」のまま肉体から魂が離れてしまいます。
その根強く残ってしまったこの世的な考えは、死んだらそれで一切が消えてなくなると思ったでしょう。しかし、死んでも人間は終わりにならないのです。
だから困るのです。
困るから、霊媒体質の人に現れたり、子孫に憑いたりして困らせるのです。
そのような霊達を追い払っても無理です。かなりの数の霊達が日本国内をうろうろし、浮遊霊として生き続けています。
このままではどんどんそのような霊達が増え続けることでしょう。
そして、子孫に憑いて、助けて欲しい。死を自覚していない死者たちがあの世にも行けず、この世で助けを求めています。
こうした死者達が自分の家系の子孫に意識を寄せる為に色々な現象が起きています。日本で新聞やテレビを騒がせている事件はほとんどが憑依現象から来る、結末でしょう。すでに90年代の「神戸事件」辺りからどんどんそういった子供を狙い、子供が異常な行動を起こす現象が増えています。
死者も一生懸命ですから、この方法であともう少しで気づく予定のはずだったのに・・・。と無念がり、次は違う現象を起こします。家の中で物が動く、人がうろうろしている。心霊写真として顔が写っていたり、色々でしょう。
死者たちは自分の死を自覚出来ないままこの世をさ迷っています。
どうして、この死者はさ迷っているのでしょうか。
その答えは、この世に自分自身を見つめ直すことをしないまま、死に至ったのです。
どうして生まれたのか、なぜこうやって毎日を生きているのか。という人間として生まれた本当の意味を忘れてしまい、物質的に豊かこそが一番だと錯覚を持っている人達が、自分の死を正しく理解出来ないままで、浮かばれない死者となってしまっています。

霊媒体質だからと言って、あそこに霊がいるとか、あの霊スポットに行ってみようなんて思ってはいけません。この世で浮かべれない霊達は波長があう生きている人たちをどうにかその肉体を借りて、その存在を知らせる為にも、必死です。
未浄化霊達は助けを求めています。
一番の繋がりである子孫が助けてあげなければいけません。
それには、あなたがもっと陰徳を積み、さらには人助けをし、感謝しながら生きる必要があるでしょう。
来年、機会があれば、「死者からのメッセージ、死んだことに気づかない死者たちからのメッセージ」などを綴って行きたいと願っております。
長い文章になりましたが、どうぞ、時間を掛けて読んで下さい。
ありがとうございます。
合掌

1197969245_Picture066
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
今日は丹波哲郎様の「命日」ですね。
丹波哲郎様、ありがとうございます。
この時期はお彼岸の時期ですね。
皆さんはご先祖のお墓参りに行かれましたか?
もしも、あなたのご先祖様が仏教徒であれば、お墓という死んだ後に入る場所があるでしょう。キリスト教徒であれば、宗派によりますが、カトリック教会などは墓地の敷地が年々少なくなっているので、土葬でなく、火葬にて粉のような灰を薔薇園に撒いたり、海や川に流す人たちも国によって様々でしょう。
日本の場合は四国、中国、九州などは浄土真宗、鎌倉辺りは曹洞宗でまちまちですが、日本人に現世にてご縁を持ち生まれて方であれば、季節の行事という行いがあります。お正月、桃の節句、端午の節句、お彼岸、お盆などを大事にしている国です。しかし、ここ最近は祝日は自分自身のご先祖を思い出す為のものであるのに、祖父母、さらにご先祖様を思い出す人達が減っているように思います。
私たち日本人の身体には、親の親、祖父母という存在がいたから、親が生まれ、そのご縁があるから、自分の身体を流れる血も祖父母達とは深い縁があってこの世に存在するのです。
この頃は、核家族というか、祖父母の存在をどこか他人様のように話す人たちを見かけます。すでにご自身が生まれたときには、すでに祖父母は他界していたので、その方々と面識もなければ、ご縁もないという人もいます。
会ったことがない自分の親族は、無関係だから、そんな休みの日に一日かけてお墓参りに行く必要はないと思っているのでしょうか。
さらには、温泉地に実家があるので、その温泉や買い物序でにて、お墓参りをする計画をする人たちもいます。
自分が知らない祖父母だから、別にわざわざ3連休は家でごろごろしたいと願う人も多いでしょう。さらには、知らない人のお墓参りほど疲れることはないし、会ったこともないご先祖様の為にわざわざ遠い田舎に行くことなどこれからもないという人たちも多いでしょう。
普段の生活の中で、何事もなく、平穏無事であれば、それはそれで良いでしょう。
しかし、人生(この世)はそんなに甘くありません。特に現世を日本人として生まれ生きているのであれば、霊的な学びをご先祖を通じてしなければならないでしょう。
何事もなければそれはそれで良いでしょうが、実際には霊界とこの世は繋がっていますから、お墓参りもせず、先祖供養もせずという家庭内には何かが起こっています。
いつごろ頃か分りかねますが、日本の僧侶達はいい加減な仕来りやいい加減な習慣を檀家の維持の為に仰る方もいるでしょう。
乞食と坊主は3日やったらやめれない。という言葉があります。
公家などの金銭的に余裕がある方達は道元師のご縁の曹洞宗の方が多いでしょう。しかし、その他の地方は浄土真宗だったりします。これはいつごろかは定かでないでしょうが、僧と呼ばれた人たちが、崇めれられることでお布施やお葬式のときに戒名などの位を付けることで、金銭として変えてしまってきたことになります。
あるお坊さんですと、金のローレックスや高級車に乗って、ハワイでゴルフ三昧という人たちを私は知っています。御祓いしてあげるから、いくらとか、戒名で一番良いのをあげるから、いくらとか、お金のことばかりです。
さらにはお葬式のときに、20分拝んでウン百万を現金で支払って貰っても、説法などを話す僧侶も少なくなりました。
どれぐらいこんな生臭いお坊さんが人を脅かし、悟ってもいないのに、法事にはまたお金、問題があるとお金、さらには身体に良いからと言って、ビタミン剤などを悩んで来る人たちに売るお坊さんもいます。
目に見えない世界から訴えて来ている成仏出来ないでいる霊達が日本には多く存在しています。
いい加減なことをさも本当のことのように、無知な人たちを脅かし、無知な人たちに教え込み、そうしていても、反省しない人たちが多すぎます。
お金にならない行事からは離れて、適当なことを言い、出来る限り怠けているだけのお坊さんが増えたことが日本全体を灰色の雲で覆ってしまっているのでしょう。
無責任に作った教えによって、未浄化霊を増やして行っています。
以前にも書いておりますが、もっとも親しい人種となると韓国人と日本人は深いご縁があるでしょう。その韓国人は供養をするのが大変だからと言って、キリスト教徒にどんどんなっています。それはそれで良いと思います。
神様を信じることには変わりないでしょう。しかし、日本のように無宗教徒が多いとなると、亡くなったときに、未浄化霊になってうろうろしないで、霊界に帰って頂ければ良いのですが、そうでない霊達が日本にはあっちこっちに出て来て、憑依現象を起こしております。普通の人たちが視えると言われる霊達は通常は低級霊です。お墓参りに夕方近くに行って、何だか怖い思いをしたときは、ほとんどが未浄化霊と呼ばれる人達です。そして、ほとんどの人たちはその人たちが自分のご先祖様だと理解しないままなんです。
今の日本はお寺でも何でも「ご利益」というモノが若い女性だけでなく、お年寄りも商売人も高い値段で飛ぶように売れています。
でも、本当の「ご利益」はそんな甘いものではありません。
願えば、直ぐに答えやどんな願いでも、人間に魔法のような結果を簡単に与えてくれることはないでしょう。
それは、私たちが他力本願で、自分に優しく力を貸してくれる人がお金さえ出せばいると思い、ご利益祈願と同じで直ぐに結果を求めるのは次元が低い行いです。
本当の宗教家であれば、真実をきちんと説き、人々に正しい価値観を広めるべきでしょう。それが本来の宗教家の役目でしょうが、それよりも先に、お葬式に少し拝んでくれて、大金を巻き上げることに必死で、「ご利益」などを「信仰」だと思ってはいけません。
もちろん、簡単に他力本願で自分は日々の精進もせずに、ご利益を頂こうと思うところがいけません。決して、勘違いしてはいけません。
大事なのは、ご先祖に感謝したり、敬ったりすることです。
悪霊はいません。
宗教家やヒーラーが「あなたには悪霊が憑いていますよ!」と言う場合はその人に絵を描いて貰いましょう。どんなモノが見えるか似顔でも場所でも聞いて見ましょう。ただの脅かしだったりします。
本当のスピリチュアリストであれば、意味があってこの世に関わって来ている死者たちを「悪霊です!」と言って、追い払う行為は悲しいものです。
死者たちがあの世にもこの世でも悪者扱いでは、本当に悲しくなります。
人によっては、退散させることを願ったでしょう。
私も実は在日韓国人の方に依頼されて浄霊を行ったことがあります。
しかし、行っていて悲しくなりました。それはほとんどの方はあの世に帰れない彼らと繋がりがある人達でした。その方達はバブル期に土地も買い、羽振りの良い生活をしていましたが、透視して見ると、その人たちとそのご先祖様がなされた行いがそのまま子孫に災いとなり降りかかって来ていました。
全身全霊で霊達の話を聞いた為に、私は流産してしまいした。
あの時は頼まれたので、必死で致しましたが、それ以来は大金を積まれても浄霊というものはしません。死ぬかも知れないと思う恐怖を味わいましたし、今は大きくなって私とマイケルの背後で生まれなかった魂さんがスピリチュアル・ワールドで応援してくれています。自分達でも分かっていましたが、去年、SAGBのテリー先生は一言も私が流産したことを言わなくても、「とっても高貴な魂の人がXXと言っています。」さらには、「生まれていれば、このぐらいの歳の方ですね。」とさすがに視えているテリー先生には、ウソはつけませんでした。
だから、わざわざ退散させる力など、キリストやお釈迦様たちぐらいではなければ無理だと思います。しかし、キリストやお釈迦様はそんなさ迷っている死者達を退散させることはしないでしょう。
いずれにしても、今の日本は詐欺まがいな欺瞞の信仰、宗教が溢れていて、お金さえ出せば、なんでも自分の為にしてくれるという風潮をどうにかしないといけません。
お仏壇の前でも、お墓の前でも、自分の為に「ご先祖さま、XXして下さい。」ということは決してしてはいけません。
ただ、お仏壇やお墓の前では、人間、自分のエゴの物質的なことに手を合せてはいけません。出来れば「ご先祖様、いつも感謝しております。ご縁をありがとうございます。ありがとうございます。」または、「おじいさん、おばあさん、いつもありがとうございます。ありがとうございます。」などが良いでしょう。
正しい八正道を毎日の生活でしながら、自分を慕ってこの世でうろうろしている未浄化霊さんが、あの世の世界に早く帰れるようになるためにも、本当は供養をするのが一番です。でも、先ほども申し上げたように、お金の為だけにウソを重ねる宗教家もいます。
しかし、毎日、感謝している人であれば、本当の供養をしていることでしょう。この世でも、また、死後でも、御佛の御心に真に適って、永久に安らげる彼岸へ辿り着く為にも、この世での修行を怠らないことです。
長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。
合掌

1173097322_ushino
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
こちらも朝夕はちょっと肌寒くなって来ております。
さて、今日は皆さんも普段から耳にしたり、多くの人が使っている「カルマ」という言葉ですが、意味はすでに理解しているでしょうから省略致します。
では、「カルマの重さ」とは?
どれぐらいの重さを想像しますか?1キロ、10キロ、100キロ?ご自身の体重と比例している?と思いますか?
カルマの清算、蒔いた種は自分で刈り取りしなければという言葉は本やスピリチュアルなブログなどで語っておりますが、いざ、このカルマの清算と書いてある本を読んでも、実行するとなると困難なときもあるでしょう。
カルマにはマイナスのカルマ、プラスのカルマがあります。
つまり、マイナスは過去生で成し遂げれなかったことが無念にて、この世に再び、輪廻転生したことになります。この過去生ですが、俗にいう前世ですが、実は何人(なにじん)だったとか、何世紀に生まれたとか、男、女とかの性別よりも、前世にてどんな体験をしたか、どんな体験をしようと過去生で思い、その時代も自分が決めてこの世に転生したのに、果たせなかったかということが、現世にて引き続き、形や姿を変えての学びになります。
この世にリゾート気分で転生したわけではないので、一人、一人にカルマがあります。仏教語で言えば、「業」をすべての人が持って生まれていることになります。
では、最初にお尋ねした、カルマの重さはどれぐらいでしょう。
ほとんどの人が1000キロほどのマイナスのカルマを背中に背負って生まれております。キリスト教で言えば、十字架となります。でも、キリストが背負って磔になる場所に背負った十字架は木で1000キロの重さではありませんでした。
そんな!1000キロもあるカルマを現世にて清算出来るでしょうか?
ネガティブに考えてはいけません。生まれてから、日々の生活の中で学び、傷つき、赦す、愛することを繰り返しながら、生活しています。その間に少しずつカルマの清算をしていることでしょう。でも、そんなにすぐに軽くなることはありません。もしも、もっと軽くしたいと願うのであれば、プラスのカルマを現世にて作ることです。カルマと聞くと皆さん、マイナスのカルマばかりの過去生を考える人もいるでしょう。自分自身が今の環境にいるのは、「きっと私は前世にて悪いことをしただろうから、今を苦しみ、不運なことばかり・・・。」と思う人もいるでしょうが、この世に生を受けている人で悪いことをしなかった人はほとんどいません。殺生したり、人を傷つけたり、誰かを裏切ったり、騙したりしたかも知れないでしょう。でも、そういう過去生があったから、現世ではその傷つけた人を愛したい、騙した人の為にお役に立ちたいと願い、この世にて人の縁で繋がっております。
もしも、今、あなたが不遇な人生の中にいると思うのであれば、プラスのカルマを増やして行くことです。
そのプラスのカルマとは、「陰徳」です。
感謝したり、人の為にお役に立ちたいと願う気持ち、さらに見知らぬ外国人の為に寄付したり、親孝行したり、お年寄りの為、これからの子供の為、地球の為など色々と無償の愛で行う行為です。
でも、この陰徳は優越感に浸る為にしてはいけません。
出来れば、さりげなく・・・、募金する、寄付するときもしてやっていると大きな字で自分の名前を書いてはいけません。その時点で陰徳は半減します。
陰徳修行を重ねることで、プラスのカルマとして来世の宇宙貯金として積み立てられます。その繰り返しにて、最終的にこの世の修行を終えることが出来ます。そうすると、もう、この世には毎回、帰って来なくても良いと確認して頂けます。(あの世の指導霊達から合格の証明書が渡されるでしょう。)
さて、私は人生を山登りやマラソンなどに例えることが多いのですが、皆さんは「運命」が気になりますか?
長い人生、短い人生の間には、誰しも避けては通れない運命的な出来事があるとことがあるでしょう。
カバラなどではその山登りに人生は似ていますから、谷あり、山ありの人生です。昔、流行った人生ゲームみたいなものでしょう。
あるインドに伝わる哲学でも、「4つの山」という表現しています。つまり、人生は4つの期間で成り立っているという考えです。
まずは、「成長」の期間。健康な肉体を作る食事と運動、明晰な頭脳を作る為の学習期間です。これは学生時代ですね。
そして、「働く」期間。これまでお世話になった家族や社会の為に働く。つまり、社会人時代でしょう。
さらに、「養う」期間。今度は自分自身が家族を作ったりして、人を養うことです。家族、社会の中で弱い人や部下や両親などにもお返しとして、糧を与えます。これを終えると社会への貢献はある程度終了したことになります。
最後は、「林住期」と呼ばれます。静かに死を受け入れる為の「心の準備期間」です。どんなに働く期間にて、素晴らしい貢献をしていても、地位があろうとお殿様でも、地位を捨て、隠遁生活が待っています。

そんな意味では、過去だけに拘らず、未来を不安がらずに、自分のカルマの清算をしながら、プラスのカルマを作りながら、山を越える必要があります。
皆さん、一人、一人の山の時期や越える時期が違います。人によっては、一緒に山に同伴者と歩き続きながら、感動を分かち合うことになります。
皆さん、違う人生ですから、人と違う体験をし、人と違う感動を得ることが出来るでしょう。
私たち人間は、過去の心の傷を癒しながら、日々の精進もしながらこの4つの山を登り続けてて行く必要があるでしょう。そして、最後の臨終の時期が来るころに後悔がない為にも、一生懸命に歩き続けましょう。
ありがとうございます。

1214644059_mori
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
本当に多くの方から頂いた、お便りを読ませて頂いております。
お返事は致しておりませんが、この場を借りて、ありがとうございます。
ここ数日、家族のことを書いて来ております。共感して頂きましてありがとうございます。自分の事、家族の事を書くことで、似たようなご病気のご家族の方もいらっしゃるでしょう。しかし、家族の業というのは深いものです。
その業という難題の知恵の輪を外そうとする家族のメンバーもいれば、そうでないメンバーもいるでしょう。でも、逃げていては解決しません。悲しみの生活ばかりではありません。
さて、今日は苦しみシリーズの続きを綴ります。
本当は今年は「死者からのメッセージ」という内容も綴りたいと思っておりましたが、来年になりそうです。
この世に生を受けて、頭も良く、財産も豊かに所有して、他人が羨む物質的な物を多く保持している者達が必ずしも、真の幸福者であるかと考えるとそうではないだろう。
豪邸を保持していたり、銀行に多くの貯蓄があることを人は羨ましく思い、それが幸福だと言う人もいるだろう。
多分、この世の95%ほどの人たちは、そう思って齷齪と働き、家の為、老後の為と思い働いているだろう。
しかし、その幸福は、この地球上で変化の連続のように、大きな豪邸を建てたときは嬉しく、その後はそのローンの為、維持の為に悩みの種になることさえもある。物質的な幸福はこの地球で起きていることに比較すると小さな出来事である。
その物質的なモノを手に入れる為に働き、その幸福をどれだけ所有したとしても、本来の人間の魂について何一つ学ばないで生きているのであれば、死後に迷い、苦しみ、その物質を手に入れる為に使ったこの世での時間は返ってこない。
そう考えると物質を持てば持つだけ、不幸ではないだろうか。
その物質を持っていても、生きている間に死後の世界を考えずに快楽の為だけに生きた人が、成仏出来ずにうろうろする。
特に儒教の教えをバックグランドにしてこの世にて生を受けた、現世にて日本人、韓国人は精神的な悩みが増えているのは、死後の世界の死者から影響である。このことは、『死者からのメッセージ』として、来年にでも綴る機会を持てると良いと思う。キリスト教徒が他界しても、それほど、この世でうろうろしていないが、どうも日本人、韓国人として現世にてご縁があった方達は精神病ではないつまり憑依されている人たちが今の日本には多く見られる。
今日はその内容は保留にしておこうと思います。
物質的に余裕もなく、普通の人から見ると、一見どん底と言えるほどの苦しみに悶え、その体験が出来る人は、本来のこの世での修行を忠実に学んでいることになる。この世は体験をしなければ、意味がない。その苦しみの体験により人間の本来の魂磨きをすることが出来るだろうし、それこそが真の幸福と変化して行くことだろう。
すべてお膳立てされた中での暮らしは一見華やかで、明るく安楽の道を歩いているようで、実は暗闇を歩かなければ、その明るい光さえも気づくことなく、この世を去って行って初めて、この世とあの世では学びが違うことに気づいても肉体は持ち合わせておらずということになる。
健康で医者要らずの人に、いくら健康とはとレクチャーしても、病気一つにもならないのに、体の健康に感謝しなさい!と言っても、馬に念仏と同じであろう。
暗い道を歩いているからこそ、その暗闇から明るい道に出たときに、感謝出来るものである。
大きく、沢山、苦労なしでは、人の心の痛みも分らないであろう。
人の苦しみが理解できずして、いくら霊性アップの為に自らの霊的レベルも向上することは難しいだろう。
人と同じ、死者の苦しみ、悲しみ、怒り、喜びもまた、自分のことのように理解すべきだろう。
その身近な死者となると、ご先祖様、両親、愛する人との死別を通じて、学びへと変化する。
祈り、感謝するという行為は自分の為以外にする方が霊性の向上になるだろう。
手と手を合せて、自然界で戯れる蝶や鳥達のさえずりに耳をすませ、せせらぎの音を心で聞き、生の喜びを知り、大自然と心を交わし感謝の暮らしをする中で、真の幸福に一歩、一歩と進んでいることだろう。
だから、痛み、苦しみが多いということは、多くの幸せのバロメーターになることであろう。この世の幸せという物質的な幸福は、実は幸福と呼ばれるには小さいことであろう。
人間は、この世に魂の修行の学びの為に生を受けたと分るのであれば、この世で学べる不幸と呼ばれる苦労を受け入れ、学ぶことで魂磨きになるだろう。
苦労無き状態は、神様からの「教え」という教訓を学ばないままでいるだけであろう。
地上にて、平穏無事に生きることばかり考えてはいけない。
その平穏無事に長いをして、願うのみにて、そこから離れて見る意志がなれば、生きてこの世にいる意味を忘れていることであろう。
肉体があるときに、苦労をして、そこから学びを得ることで、真の幸福を学べるだろう。
そうすることで、死を恐れて長生きのみしたいと願ったところで、死後、学ばないで行ってしまったので、あの世にも帰れず、人に悪さをすることになるだろう。魂が平静になれば、死後、迷うこともないまま、あの世にすんなり帰れることだろう。苦労、病苦を不幸とばかりと決め付けてはいけない。嘆くのみの人生は自分の成長にならず。 神様、高級霊さまたちの慈悲深い下に私たち人間は生きて、今という地上にて苦という体験を求めてこの世に生を受けている。
神様、高級霊、天使、ご先祖様、あの世にいる魂達は常に見守り続けてくれている、しっかり愛されている。苦労を沢山している人ほど、愛してくれている。
だから、迷うことは決してない。ただ、信じて、苦労を受けとめ、魂についている埃を取り除こう、一歩、明るい光の世界に近づいているだろう・・・。
ありがとうございます。

↑このページのトップヘ