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どんなに順調に人生が進んでいるように見える人でも、生きていれば、最低4回は劇的に運命が変わるような出来事が訪れます。

辛いからと言って、避けて通ったとしても、後々、同じ道を通ることになります。

それは、愛する家族との別れ、大切な人との別れ、長年尽くして来た会社の倒産や解雇、職場での人間関係、学校での友人関係、信頼していた友人の裏切り、ママ友とのお付き合い、結婚相手の家族との折り合い、自分の病気、家族の病気、さらには、老いて行く親の介護等・・・。これだけはあって欲しくないと思って来たことが現実に起こり、突然、目の前に現れてしまうことがあります。

突然の出来事で、暗く先の見えないトンネルの中に懐中電灯も持たないで放り出された感覚によって、重く塞がれた扉で、押し潰そうになるかも知れません。

すべての道が失われてしまったかのように、出口を探す気力さえも残っていないかも知れません。

もしも、そんな状態に陥ってしまったときは、誰かにあなたの悩みを声に出して聞いて貰うことです。

その心の痛みを放置していると、いくら心が柔らかい人でも、固くなり始めます。

そうなると、いくら立派で素晴らしいアドバイスをして貰っても、辛い状況を理解してくれない人を拒絶してしまうことで、自分自身を追い詰めてしまうかも知れません。

自分の力で人生を切り開いて来たという人ほど、辛い出来事が訪れたとき、それを何とか自分1人で解決しなければならないと思うものです。

誰の助けも求めず、「今まで、遣れたことだから、出来るはずだ」と、これからもそうしなければならず、その痛みに耐えれば、きっと、道が開かれると考えてしまうかも知れません。

自分を追いつめ、自分に喝を入れ、逆境を克服することは、勇敢な自分という相手(敵)と戦い勝利することになるかも知れません。

もちろん、その考えは正しいでしょう。

しかし、前に進むことだけが、求められている社会の風潮がありますが、人生で訪れる運命を変えるような出来事には、必ず、意味があります。

時には、立ち止まり後ろを振り返り、どんな道を歩んで来たのか?確かめることで、深く自分の人生を見つめることが出来ます。

休むことで、自分が求めていた道へと繋がる人との出会いがあるかも知れません。

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我武者羅に慌てて、前に進んだとしても、それは、山登りに行って景色も見ずに、山を下り、また、次の高い山を目指して登り続けるという、流れ作業のような味気のない人生にある時期に至ると感じることになることでしょう。

私たちは痛みを経験することで、他者に優しく接することが出来るようになり、また、強くもなれるのです。

精神的な痛みがあるときは、心の安定のないことを気づかせてくれます。

私たちが大切にしなければならない状況であることを教えてくれています。

目に見えない辛さと苦しさですが、その痛みを通して、私たちは自分自身の本来の生まれて来た意味を探し始めることが隠されていたりします。

社会的な痛みは、あなたが人と人との結びつきの中でどのような生き方をしているのか、気づかせてくれます。

晩年期頃になると、霊的な痛みを感じる人がいます。

それは、物質的には満たされた人生だったが、「このような人生で良かったのか?」と、いうような、目的を見失ったことへの焦りが現れることがあります。

どのような痛みが訪れたとしても、その痛みが大きければ大きいほど、あなたの心を揺さぶります。

そして、あなたの結論は、「このままではいけない!」と言う、メッセージを受け取ることになります。

健康状態、精神的な苦痛、社会的な失敗・・・。その出来事は宇宙からの呼びかけです。

時間を掛けて、耳を傾けて聞いて下さい。

運命を変えるような新しい生き方を始めるステージに来ているかも知れません。

新しい人生、新しい人との出会い、新しい感覚など、あなたは今見失っていた何かを思い出す時期に来ているかも知れません。

あなたがこの世で本当にやり遂げる使命を思い出すために、何か新しく始めなければならないことがあるかも知れません。

宇宙はあなたに何かを語りかけているときです。

あなたは苦しいからと言って悲しんではいけません。

避けられないほどの苦痛を味わう出来事は、宇宙からの贈り物です。

苦しいときに多くを学ぶことが出来るチャンスでもあるのです。

苦境の中から新しい生き方を見出すことが出来ます。

世界中で活躍する人々は、多くの苦しみを経験しています。

中でも、病気と向き合い、余命が尽きるまで商品を手掛けたスティーブ・ジョブズ氏の凄まじい葛藤によって生み出された商品の数々は、劇的な生き方をした彼らしい生き方の証になりました。

今、痛みを抱え、苦しみの中にある方こそ、事実に目を向けて下さい。

ありがとうございます。

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自分に与えられた運命をすべて受け入れることが出来るものばかりではないでしょう。

 

幼い頃の家族とのトラウマ、貧しい家庭に生まれ育ったことへのコンプレックス、学生時代の思い出したくない過去、社会人になってからの理不尽な現実等。

 

自分ではどうすることも出来ない重荷をどうすればいいのか?

 

重過ぎる自分との過去と向き合うことが出来るのか?

 

「なぜ、こんな親の下に生まれて来たのか?」

 

「なぜ、こんな過酷な境遇を背負ったのだろうか?」

 

「なぜ、この土地に生まれ変わったのだろうか?」

 

「なぜ、この時代に生まれ変わったのだろうか?」

 

「なぜ、お金のことで心配ばかりしなければならない貧しい家庭に生まれたのだろうか?」

 

「なぜ、虐められるのだろうか?」

 

「なぜ、孤独なのだろうか?」

 

「なぜ、結婚できないのだろうか?」

 

「なぜ、子供を持つことが出来ないのだろうか?」

 

誰もが自分の人生に対して受け入れがたい現実の1つや2つは抱えているはずです。

 

なぜ?どうして?と思って後悔し、受け入れ難い過去は、誰でも、背負いたくなかったことでしょう。

 

生まれたことを悔やむほど重い過去があったとしても、その過去を消し去ることは出来ません。

 

もしも、こんな親の下で生まれて来たことを悔やんだとしても、変えることは出来ません。

 

貧しさ、喧嘩の絶えない家庭、両親の離婚、親の不倫、経済的に負担が掛かるという理由で才能を伸ばすことができない環境、肉体的、または、精神的な障害、病弱な身体、自らが犯してしまった罪、愛する人との別れ・・・。

 

そのような過去の重荷を抱えながら生きて行かなければなりません。

 

変えることは不可能ですが、その胸に痞えて、辛くなる過去の重荷に対して、どのようにすれば良いのでしょうか。

 

人によっては、恵まれた環境にいて、不満、不平など持ちようのない人生であるはずなのに、その人自身の運命を受け入れることが出来ない場合もあります。

 

この地球上に生まれ変わった人間であれば、人生に背負った条件のすべてに満足している人は誰もいないでしょう。

 

巨額な富を保持していても、絶世の美女であったとしても、誰もが、何らかの受け入れ難い過去を抱いて生きているのが現実です。


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しかし、恵まれない環境だからといって、その人が不幸になるとも限りません。

 

また、恵まれた環境でも、何かしらのコンプレックスを抱いていることで、苦しみを背負って生きている場合もあります。

 

様々な背景を持つ方々との出会いを持つ中で、確信したことがあります。

 

それは、どのような辛い過去、厳しい人生を強いられたとしても、本人がその運命を引き受ける覚悟を持ったとき、人生観が変わり、どんなに辛い条件の中にも、人生の意味を見出すことが出来るという事です。

その条件という言葉にヒントがあるので、意味を調べて見ました。英語では、conditionと訳されます。

 

《1・ 約束や決定をする際に、その内容に関しての前提や制約となる事柄。「条件をのむ」「条件をつける」「一日だけという条件で借りる」「条件のいい会社」

2 ・ある物事が成立・実現するために必要な、または充分な事柄。「いつ倒産してもおかしくない条件がそろっている」「一定の条件を満たす物件」「条件が整う」》

 

自分の合った最高の条件であったとしても、人生の意味を見出すことが出来なければ、本当に生まれて来た意味を実感することなく、生きて行くのは、航海で羅針盤も地図を持たないで放浪している船のような、どこに向かえば良いのか、分からない生き方は、無難な生き方で若い人であれば、そのような時期もあるでしょうが、中年期を過ぎても、同じような生き方をしていては、本来の生まれた意味を果たすことなく、過去の辛いことばかりに意識を集中していても、誰かが手を差し伸べてくれたとしても、「だって、でも、面倒だし」というような否定的な気持ちが先に内面で芽生えて、自分の人生を惨めな方向に持って行っているのは、自分自身だということに気づかないでいることになります。

 

辛い現実を受け入れることで、少しずつ、自分が変化して行きます。

 

辛い思い出は、脳裏に深い傷として刻まれていることでしょうが、それでも、生きて行かなければなりません。

 

辛い条件で人生を出発した人も、その過去の痛みを受け入れることが出来れば、必ず、その苦難を乗り越えることが出来ます。

 

悲しい出来事を体験した人ほど、声を揃えて言います。

 

「この悲しみも叡智に変わることがあり、それは楽な事ではありませんが、幸福を齎すこともそこにはあります。それは、その体験を生かして、誰かの役に立てればと思うようになったことで、生き方が変わり、幸福に満たされることが増えました。」

 

自分の為だけに生きている人は、その現実を受け入れることが出来ないため、些細なことでも、文句を言い、すこしずつ、波動を下げていることに気づかない人もいます。

過酷な人生を体験した人は、そんな些細なことで文句を言える人には興味を示しません。

 

どんなに辛い条件で生まれ変わったとしても、その条件には深い意味が隠されています。

 

例えば、弱者、醜いもの、不完全なもの、未熟なもの、病気、老い、痛み、悲しみ・・・。この1つでもあれば、人生の重荷として、それを隠して生きて行こうとすればするだけ、生きる意味を見出すことが難しくなって行きます。

 

女性ですと、老化を受け入れることが出来ず、周りからの視線を気にするあまり、顔を弄ってしまい過ぎて、その人の笑顔で励まされていた人もいたはずですが、笑えなくなってしまい、更なるトラウマを作ってしまう人もいます。

 

その本人は気になる部分でしょうが、意外と他人はそれほど気にしていないことの方が多いです。

 

ですから、過去の重荷を人生の汚点として、削除しようと考えることで、気持ちが重たくなります。


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しかし、本当にその過去に意味がないと言えるでしょうか?

 

人生に起きるすべての出来事には意味があります。

 

私たちはすべて自分達で選んで、その条件の下に生まれ変わっています。

 

この時代、両親、環境、価値観等も、選び抜いた上で、地域や国を選択しています。

 

そして、今の時代、少しずつ、すべて条件も変わって来ています。

 

ある意味、通信機が進化したことで、瞬時にインターネットを通じて、海外にいる人とも連絡が取れる時代が当たり前になりました。

 

この20年間で、急速に変化して行っています。

 

親や学校の先生の価値観を鵜呑みにして来た人ほど、もっと、広い世界を学ぶと良いでしょう。

 

自分の中で拭い去りたいほどの辛い過去であるほど、本当は、そのかけがえのない出来事の中から、光を見出すことが出来るかも知れないのです。

 

ですから、今、過酷な条件で生きている人ほど、その体験は磨かれていないダイヤモンドのような光輝く道しるべを持って生まれているのですから、思いもしなかった出会いやメッセージが届き、未来に幸せが待ち構えていると信じて、明るく、素直に進んで行きましょう。

 

ありがとうございます。



 

 

 

 

 

 

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