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今年は久しく旅行していない中東に行くか、アフリカのモロッコに行くか悩みました。

モロッコに行くには、イタリア経由で行くのが、ここキプロスからだと好きな経由なのですが、モロッコのベストシーズンは10月半ば、イタリアはこの6月に行ったので、パフォスに引っ越す前にヨルダンに行く計画を立てましたが、色々と検索している間に、モーゼが十戒を受けた場所やパレスチナも含めて、エルサレムに行きたかったので、その後、機会がなく、エジプトに行ったりしている間に、シリアでの内戦も始まり、とうとう、中東に行く機会がないかな?と、思っていたのですが、やっぱり、なぜか?ペトラ遺跡を見に行きたいという気持ちが強くなり、世界七不思議の1つであるペトラ遺跡に行くことになりました。

旅と言うのは、宿探しから始まります。

パフォスの旅行社にヨルダンツアーを訊ねたのですが、皆さん、個人で行かれる人が多い様子でした。

ヨルダンはキプロスと同じで、電車がありません。

ですから、交通機関が車となります。

7月下旬に友人が3日間ほどペトラ遺跡と死海に行ったというので、交通手段はどうしたのか訊ねたところ、レンタカーを借りて、アンマン国際空港から、ペトラへ移動し、その後、死海に行ったという話を聞きました。

その時点で、ペトラ遺跡の宿泊先を探していましたが、10月半ばは4つ星、5つ星ホテルには、その彼らが泊まった値段では、1つ星ぐらいしかありませんでした。

ペトラ遺跡のゲートから徒歩で行けるホテルに予約を入れました。

3つ星ホテルで、レビューも良かったので、それにとても安いので、3泊が死海の1泊と同じ料金だったので、そこのホテルに泊まることに決めました。

その後、アメリカドルやヨルダンの通貨を銀行で手配して貰いました。

先進国よりも通貨が強く、驚きました。

予約先のペトラのホテルから連絡があり、空港へのタクシーでのお迎えを提案されました。

一番の問題が交通手段だったので、アンマンに1泊して、その後、ペトラに移動する為には、11本のバスがあるらしく、そのバス停に行くにはどうすれば良いかとか、悩んでいたので、料金も提示してくれたので、お願いすることに致しました。

料金もインターネットで検索しているよりも半額近く安く、ボロボロのタクシーでも目的地に着ければ良いかな?と思い、予約をしておきました。

ほぼ旅に出かけるときには、ガイドブックも買わず、何も学ばないまま行くという2人なので、今の時代は、どこでもWIFI環境もあるだろうとのんきにしながら、1週間の旅行の3時間前ぐらいに、暑いのか寒いのか分からないまま、傘とかも必要かどうか分からず、スーツケースに詰め込んで行くことにしました。

空港近くに車を止めて、そこから、送迎してくれる人に空港まで送って貰い、スーツケースを車から降ろすと、「ヨルダンはビザが必要だよ。だから、ヨルダンパスとか先に購入して置くと良いらしい」と言われて、マイケルも私もパニック、「空港で買えないの?」と、聞くと、イギリス人のその人は「僕は行ったことがないから、奥さんが行って、色々と大変らしかったらしいよ。」と、キプロス人の奥さんとマイケルが話し、「どうする?」と、聞かれて、私は「ビザの事は日本人のブログとかでは触れていなかったし、現地で大丈夫ではないのか?」と、言って、飛行機に乗り込みました。

パフォスの気温は夜でも30度以上だったので、炭酸飲料を機内で飲んでいたら、着きました。

1時間ちょっとで、意外と早く着きました。

アンマン国際空港は広くて綺麗でした。

イミグレに行き、マイケルはビザを購入しました。

日本のパスポート保持者はビザが無料と、驚きました。

その後、荷物を取りに行き、空港にお迎えに来ているハイヤーの運転手さんと会い、ペトラへと向かうことになりました。

既に、午後10時半ぐらいで、マイケルは助手席に座りました。

ボロボロの車かと思いきや、新車らしく、とても綺麗で、この車で空港からペトラまで、3時間半を行くのに掛かるガソリン代の方が高いのではないか?と、思うほど、ドライバーさんは「ペトラから来ました。3時間半待っていました。」と、笑顔で対応してくれました。

車の中でも、WIFIが必要ならば、使えると言われて驚きました。

夜だったので、周りがどんな風景かも分からず、29歳のヨルダン人のドライバーさんは、英語がある程度話せたので、色々と話しをしながら、途中、トイレにも行き、真夜中のヨルダンでのドライブをしながら、4時間以上、掛かり、ホテルに行く途中に、夜景が綺麗な場所に連れて行って貰い、漸く、ホテルに着きました。

チェックインをしたのは、午前1時頃でした。

朝一番に、暑くなる前に、ペトラに行きたかったのですが、朝方、午前5時ぴったりに、モスクからチャントが流れて来て、目が覚めました。

マイケルに、「チャントが流れ来てから、一緒に歌っていたよ。」と、言われて、意外と好きなチャントなのでしょう。

目覚ましを掛けないで、眠りについたので、起きたときには、8時頃でした。

夜は温度が10度ぐらいで、毛布が絶対に必要でした。

朝食を食べにレストランに行くと、色々な人種の人達が静かに食事をしていました。

その時点でも、どこへ向かえば、ペトラ遺跡の入口ゲートか知らないまま、バックに水を入れて、ダララダと歩き始めました。

ドライバーさんが言うには、10月は観光客が10倍増えると言われているので、宝物殿は人で溢れていると言っていました。

ビジターセンターで、チケットを購入しました。


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予想はしていましたが、2人で2日間分とペトラナイトも含めて、36000円ほどでした。

1日分と2日分の違いは、500円ほどですが、ペトラナイトに行くには、入場チケットが必要になるので、同じ日でなければ、どうしても、数日間有効のチケットを購入する必要があります。

ペトラ遺跡は1985年以降、ユネスコ世界遺跡に登録され、200777日、ポルトガルのリスボンで、新・世界七不思議の1つに認識されました。

ペトラはギリシャ語で、「石」と、言う意味があります。

日本人のブログでは、岩や崖とか、色々ありますが、小さい石も大きな石も「ペトラ」です。

多分、アフロディーテの生まれた場所がペトラ・トゥ・ロミウと言われていて、ペトラを英語で岩と言っているため、石から岩になっているかも知れません。

さて、そんなペトラの歴史に触れてみましょう。

古代都市ペトラがどの時代に建造されたのかはっきりしないままらしいです。

紀元前1世紀以降には、乳香、没薬、香辛料などの貿易で富を蓄えたネバタイ王国の首都として、ペトラは歴史に示されています。

ローマ帝国に併合された後も、ペトラは繁栄したそうです。

しかし、363年に発生した大地震により、ペトラは壊滅的な被害を受けた後、その頃、貿易路が変わり、ペトラは没落した後、ペトラの町も衰退したと言われています。

その後は、地元のベドゥイン以外には忘れさられた遺跡となっていました。

1812年に、スイス人探検家によって、ペトラ遺跡を再発見されることになります。

それまでは、ベトゥイン以外は、ペトラ遺跡に入ることが出来なかったらしく、スイス人の探検家がベトゥインを説得して、ペトラは魅力的で美しい古代都市として、世界の人々、特に、西欧の人々の知ることになって行きました。

ペトラ遺跡の宝物殿を一躍有名にした映画があります。

インディアナ・ジョーンズで、この巨大な宝物殿を撮影に利用したこともあり、ペトラ遺跡と言えば、この場所になります。

ペトラの町には、神殿や劇場もあり、ローマ帝国の併合後には列柱道路、また、ビサンチン帝国の影響での時代には、修道院が建設されています。

広大な場所で半日や1日では、全てを見て回ることは出来ないでしょう。

すべてをロバや馬に乗らないで歩くとなると、体力が入ります。

夜は気温が10度でしたが、日中は30度ぐらいになっていました。

日陰にいれば、それほど暑くなかったです。

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宝物殿辺りで写真を撮っていると、ベトゥイン人の若い男性や子供に声を掛けられます。

マイケルは写真が撮りたいので、徒歩ですべてを廻りたい派ですが、私はラクダとかに乗りたい派なのですが、驚くほどの値段を吹っかけて来るので、適当に断っていました。

しかし、何度も、何度も、同じ人に、「ロバに乗って、修道院に行かないか?」と、声を掛けられている内に、私がロバと一緒に写真を撮っていると、「ロバに乗って、上まで行こうよ。安くするからさぁ。」と、言われて、値段を聞くと、エジプトでラクダに乗ったときよりも高い値段でしたが、乗る事にしました。

マイケルが乗ったロバと馬とのハーフは賢そうな風合いでした。

私の乗ったロバは、どうやら、この馬に負けまいと対抗心があるのか、人が歩いているところでも、押しのけて登って行くため、ハラハラドキドキでした。

何度も訓練されているのでしょうが、時間内に850段の階段というより、石、石の連続で、綺麗に整備されていないので、もしも、ロバが一歩でも、階段を踏み外してしまうと、振り落とされて崖へと落とされてしまうかと思うと、ジェットコースターよりも心臓に悪いと思えるほどの勢いでした。

それに、兎に角、人を押しのけて登ろうとするので、何度も他の人に謝り続けることになりました。

喉が痛くなるぐらい、謝り続け、行き成り、動かなくなったので、停留所だと分かりました。

一緒に来ていたベドゥインの若い男性は、毎日、何度もこの階段を上がり下りしているのかと思うと、感嘆してしまいました。

やっと、ロバから降ろして貰い、徒歩で修道院に行くのですが、足ががくがくして、歩くのが困難になりました。

エド・ディルという修道院に到着しました。

ナバタイ王国最後の王ラベル2世の治世に建造された修道院には、背後部の壁面には十字架が刻まれました。

それが、修道院の名前の由来だそうです。

ペトラには、教会もあります。

ペトラで物を売ったり、ロバやラクダなどに乗って案内してくれる人は、ベドゥインで、風貌がジョニーデップ似で、ヨルダン人とは顔が異なるので、その背景には、サウジアラビアから難民として、ペトラの町に住み着いたらしく、鼻筋の通っていて、ハンサムな遺伝子なのでしょう。

英語も完璧に話すことが出来るので、「どこで、英語を勉強したのか?」と、訊ねると、「観光客から」と言っていました。

以前は、ペトラ遺跡の洞窟辺りに寝泊まりしていたそうですが、その後、政府がペトラから少し離れた場所に家を建て与え、住んでいるそうです。

子供たちの姿が気になったので、学校には親が行かせず、行ったとしても、数時間で家に帰らせ、観光客に物を売ったりしているそうです。

学校に行かせる時間が特に、ピークシーズンでは勿体ないと言っていました。

修道院から降りて来る時は、徒歩で帰るからと言ったのですが、ロバたちも待っているからと、言われ、降りるときは、登るときよりも、更に怖く、すべらないか、また、他の観光客を押しのけて、スタスタと行くのですが、心臓に悪い体験をしました。

宝物殿まで、ロバに乗って帰りました。

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宝物殿辺りは、太陽が遮断されているので肌寒く感じ、夕方近くになって来たので、その日は、ペトラ遺跡を後にしました。

夕飯探しに困りました。

マイケルも私も中東の香辛料は苦手で、マイケルは和風ベジタリアンなので、魚は食べるのですが、肉料理はダメで、豆系も香辛料が強いと、食べられません。

ホテルのレストランを見たのですが、ヨルダン料理過ぎて、朝ごはんと同じような感じで、止めました。

うろうろと、近所のレストランを見て回りましたが、肉料理ばかりだったので、他のホテルで食事をすることにしました。

バイキングで料理は豊富なのですが、サラダにも肉が含まれているものが多く、野菜スープとトマトとレタス、デザートはカラフルで美味しかったです。

外国人の観光客が出入りするところでは、お酒も支給してくれます。

ただし、値段は欧州の2倍から3倍は覚悟した方が良いです。

イスラム教徒はお酒を飲まない代わりに、タバコや水タバコを吸っています。

タバコも安い様子ですが、吸わない人に取っては、レストランやカフェでも隣で座れてしまいます。

その日は、疲れたので早く寝ました。

同じ時間になると、モスクから聞こえて来るチャントで一度、目を覚ましました。

うとうとしていると、また、大きな音が流れて来ます。

アラームセットをしていないので、7時半ぐらいに起きて、身支度を済ませて、レストランに向かいました。

初日にある程度、回ったのですが、他に行くところもないので、ペトラナイトも行く予定でいたので、ゆっくりと、ペトラ遺跡にあるカフェでお茶をしようと思いつつ、シークを通り、宝物殿に行くと、前の日に、「こんな写真撮れるよ。」と何度も近づいて来たベドゥインの男性、マイケルも「行かないから・・・。」と何度も振り放していましたが、交渉が上手いのか、「安くするから・・・。」の言葉に乗せられて、行くことに、自分達で行けるからと言うと、「ここに行くには、僕たちのガイドの許可が必要だから、そこへはいけないよ。」と、言うので、「どうして?」と、訊ねると、「僕たちの領域だから・・・。」と、答えられました。

根負けしたので、「分かった。行くよ。」と、言われて、通されたところは、何と鉄格子が壊されたところで、普通に、階段を登って行くのかと思いきや、岩、石、階段らしいものはなく、背丈よりも高いところによじ登る、そして、スライドして降りたり、登ったり、塀みたいになっているところもあり、絶対に無理だと思えるところもありましたが、手を引いてくれ、マイケルにも押され、よじ登り、10分で行けると言っていましたが、よろよろしながら、30分以上は掛かっていました。

到着すると、もう、凄い迫力で宝物殿を見下ろすことが出来ます。

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写真をスマホで撮影したいたら、マイケルに、そこは危ないからダメと言われて、安全な場所に移動することになりました。

一歩間違えると、奈落の底に落ちてしまうことになりそうでした。

そんな最中に、フランス語を話す若い男性2人が到着、1人は崖っぷちで写真を撮って貰っていましたが、もう一人は、私が座っていたかなり安全な場所でも、「絶対に無理!」と、友人と言い合いになっていました。

もう一人は、片足で立って、背景が宝物殿で、嬉しそうでした。

その後、カップルがガイドさんにこんな感じで写真を撮って貰っていました。

 

足が長くないと、この体制で写真は撮れないと確信できるほどです。

座って汗を拭いていると、足をふらつかせた中国人の女性とガイドが到着しました。

行き成り、私を見た瞬間、「どこから来たの?」と、聞かれたので、キプロスを知らない人もいるので、「日本から」と、応えると、「この人がガイドさん?」と、マイケルを指さして聞かれたので、「いや、主人です。」と、答え。そのまま、ガイドさんに崖の近くに連れて行かれて、写真を撮られていました。

すこし涼んだので、降りる事にしました。

同じように、よじ登ったり、降りたりと、Tシャツもジーンズも赤い土だらけになりました。

これを一日、1回でも遣れば、身体全体の筋トレになりそうだと思えるほど、辛かったです。

すこしチップも渡し、その後、また、お決まりのロバやラクダに乗れ乗れ攻撃が始まりました。

足をふら付かせながら、ゆるゆると歩いていると、先ほど会った中国人がロバに乗って、「ハロー」と、声を掛けられました。

その後、初日に美味しかったので、ザクロジュースを涼しいところで飲んでいると、また、ロバに乗って修道院まで行って来たのか、中国人女性がシーク方面に向かっていました。

彼女曰く、「ペトラは3時間だけなの~」と、言いながら、通り過ぎていました。

私たちは、列柱道路、ニンファエウム(水の妖精の泉)、王家の墓、大神殿などを見て回り、夜にもペトラに帰って来るので、早めの夕飯を取ることにしました。

外国人がビールを美味しそうに飲んでいるので、その場所で軽くスナックを食べることにしました。

私はコーラとチキンを食べることにしました。

マイケルは、チーズサンドイッチとビールを飲むことにしました。

コーラは甘くて、炭酸が抜けている感じでした。

マイケルは欧州でいうサンドイッチでなく、コッペパンに、チーズがトッピングされた物で、驚いていました。

給食で長い間食べ続けたので、私も苦手です。

マイケルはコッペパンが苦手で、チーズを摘まんで食べていました。

この量で、料金は、7000円ほどでした。

欧州でも、2000円ぐらいでしょう。コーラの缶がそのまま出て来て、800円ぐらいでした。

夜は寒くなると思い、冬用の服に着替えにホテルに帰りました。

ロッククライミング級で崖から見渡す宝物殿とすでに、2日間で歩き回ったため、筋肉痛、また、歩いて帰り、「夜は、あの馬に乗ろか?」と、言いながら、時間前に入場して、またも、宝物殿まで歩いて行くことに、あの馬車は利用できず、歩くことになりました。

キャンドルが道端に敷かれており、幻想的で綺麗でした。

やっと、宝物殿に到着し、行き成り、暗闇で座った途端に、顔も見えないまま、「早く、早く」と、急かされて、お茶を配って貰いました。

その時期のイベントで異なるのでしょうか?

1人の男性が歌を歌い、朗読したりしていました。

その後、目を瞑るように言われ、「願い事をして、目を開けて下さい。」と、言われて、目を開けると、宝物殿がLEDライトで色々な色に変わりました。

LEDライトが利用される前は、どんな感じだったのでしょうか・・・。

30分ほどで終わり、また、ホテルまで歩いて帰ることに、両足に豆が出来ていました。

身体も腰、手足も、筋肉痛になりました。

きっと、その日は、本当に疲れていたのでしょう。

午前5時になっても、目を覚まさなかった様子です。

ゆっくり起きて、朝ごはん、ほぼ、食欲がなく、ピタパンとひよこ豆のフムスばかり食べていました。

ペトラ遺跡から死海まで3時間ほどと言うので、のんきに11時頃にタクシー運転手の来て貰っていました。

高速道路ではなく、違う道を通ってくれているらしく、ヨルダンは広いということを実感しました。

また、ペトラはあの独特なバラ色の石で成り立っているのだと感心しました。

他は白い砂や石で出来ていて、山らしいところもなく、暑かったです。

 

死海のホテルに行く前に、セント・ジョージの教会に行って貰うように頼みました。

行き着いたところは、セント・ジョージでなく、ネボ山と言うところに連れて行かれました。

モーゼが神から授かった「約束の地」を見下ろしながら息を引き取った場所があります。

エジプトのファラオに虐げられたイスラエルの人々を率いてエジプトを脱出し、彼らを約束の地カナンへと導いた預言者、モーゼは、昔、神に背いた罰のせいで、カナンの地へ足を踏み入れることは出来ませんでした。

このネボ山から、約束の地である、「エルサレム」を見渡すことが出来ます。

ネボ山の頂上には、4世紀ごろから教会が作られるようになったそうです。

そこで、ビザンチン時代のモザイクが多く残っています。

ヨルダンでは、モーゼ、ユダヤ関連は無いだろうと思って頂けに、タクシーの運転手に連れて行かれて、驚きました。

シナイ山にも、行き、負の遺産であるアウシュビッツも行きました。

まだ、モーゼとはご縁が続くのでしょうか。

死海のホテルには5時頃に着きました。

海側のお部屋に通して貰い、プールや死海で泳げる時間を訊ねると、1時間ほど時間があるので、急いで、死海に向かって降りて行きました。

イスラエル側で死海は、ソルトロックで足をマイケルは切ってしまったので、念のために、専用の靴を履いてヨルダンの死海に入りました。

ヨルダン側は、イスラエル側とは異なり、透明感がなく、泥と灰色の石でした。

周りには、日本人観光客も多く、お決まりの本を死海でぷかぷかしながら読みポーズを写真に撮っていました。

私は、スマホを持って行くと、落としてしまう気がしたので、1枚も死海での写真は撮りませんでした。

死海でのホテルは高級でもありませんが、とっても高く、スーパーマーケットもなく、夕飯込みで泊ることにしていました。

食べる物があまりなかったので、カラフルなケーキばかり食べておりました。

マイケルは1本ビールを頼んでいました。

1本、2000円ほどです。

びっくりするほど高いです。

売店もないので、お水もバーとかで1600円ほどしました。

スイス並に何でも高いので、本当に驚きました。

次の日も、夕方まで時間があったので、タクシー会社に連絡して、セント・ジョージ教会に行くことにしました。

死海から車で50分ほどの場所に近づくと、建物の雰囲気が変わって来ました。

見慣れた風景の建物は、ビサンチン時代に建てられたものでした。

教会の敷地内は、とても静かでした。

セント・ジョージ教会には、世界で一番古いモザイクで作られたパレスチナ周辺の地図が床に保存されているのが有名です。

今のエルサレムになります。

以前、イスラエルに行ったときに、ヨルダン川の魚の瀬戸物を買ったのですが、空港でスーツケースを開くように言われて、収めるときの具合が悪かったのか、割れていました。

魚のシンボルは、生命の樹とともにキリストを表わす2匹の魚で有名です。

帰る途中に、モザイクアトリエに連れて行って貰ったので、大き目なのが一番好きな魚で、イスラエルで見たモザイクと似ていたのですが、とても高く、小さめのモザイクの魚はシシャモのように、やせ細って、これはちょっと違うと思い、思い切って、大きい目なのを購入しました。

ホテルに帰り、夕日が沈む前に、死海で再度、ぷかぷかすることにしました。

泥を身体中に塗り込み、しばらく経って死海で洗い流すときに、目に1滴の死海の水が入り、目が痛い、本当に痛い・・・。しばらく、痛みと戦いながら、タオルで拭いて、ぷかぷかして、シャワーを浴びて、あまり期待していないディナーに行くことにしました。

マイケルは、ほぼ、スープぐらいしか食べる物が無かったので、スープを美味しそうに食べていました。

私も食べ始めると、スープの中に、牛肉があったので、それを教えると、中断していました。

野菜のグリルとトマトを食べていました。

行き成り、動作が凄いのでどうしたのか聞くと、緑色の唐辛子のグリルを口にしたらしく、そんなに辛いのかと、私も1センチほど口にしてみました。

もう、言葉が出て来ないぐらい辛かったです。

甘い物ばかり食べて、甘い砂糖入りの紅茶ばかり飲んでいたので、私は、痩せるどころか太っておりました。

マイケルは、1週間で2キロ以上痩せていました。

死海からアンマンに移動しました。

ペトラ遺跡を見た後のアンマンでの観光はあまりないです。

スケールが小さいため、観光客がパスするぐらいです。

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マイケルはヨルダンに行く機内で、砂漠の話をするので、「言ってくれれば、変更したのに。」と、言うと、「好きじゃないでしょう?」と、聞かれたので、アンマンで市場に行くよりは、砂漠で夜空を見たかったと言い返すと、ちょっと、残念そうでした。

観光箇所を廻っていたら、チケット購入場所で、若い西洋人の2組のカップルから「昨日、死海で会いましたね。」と、言われて、「へぇ?」と、返答に応えていると、彼ら達はヨルダンに2週間いたそうで、ほぼ、砂漠にいて、その後、死海と、アンマンに1泊滞在して、アムステルダムに帰ると言っていました。

マイケルが「砂漠では何をしていたの?」と、訊ねると、「毎日、水パイプを吸っていたわ。」と、オランダ人の女性が言っていました。

とっても、行きたかったような顔つきで、話していました。

アンマンは市場に行ったり、モスクに行ったりしました。

本当に行くところがなく、カフェもタバコの煙や水パイプの煙でもくもくしているので、オランダ人のカップル達のように1泊でも十分かも知れないと思いました。

ヨーロッパの方が安く感じるというほど、ヨルダンは物価が高い場所でした。

もちろん、中東料理が好きな方とかには、問題ないのでしょうが、独特の匂いは、なかなか、微妙です。

とっても、楽しかった旅ですが、食べ物はイスラエル側では、パンプキンスープ、ベーグル、スモークサーモン、サラダも豊富でした。

でも、異なる文化を体験出来たことは良かったです。

長い旅行記をお読み下さり、ありがとうございます。

ありがとうございます。


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空前の脳科学ブームと運動ブームがこの21世紀に到来してから続いています。

周りには、世界各国の至るところのマラソン大会に参加するアスリートがいます。

日課のウォーキングをしているときにも、走る人を大勢見かけます。

冬の寒いときには、見かけませんでしたが、春先になると凄い数の人達が走っています。

運動している人は、根本的に動くのが好きな人が多い様子です。

じっとしていられない体質で、動くことでストレス解消をしていることになります。

普段、パソコンに向かうお仕事をされている方々であれば、週末も忙しいし、疲れている身体を休めるために、マッサージに行ったり、ダラダラと過ごす方が性に合っていると思う方もいらっしゃるでしょう。

しかし、週明けに職場に戻っても、肩が凝る、腰が痛い、疲れが抜けない。

集中力が持続しない、元気がない、いつも不安を感じている・・・。と、感じている方もいらっしゃると思います。

忙しい合間に病院で検査をして貰っても、「どこも、異常なし」と、お医者さんに言われても、自分ではすっきりした気分でないことで、歳だからしょうがないと諦めている方もいらっしゃることでしょう。

呼吸法を変えるだけで、調子が良くなるのであれば、遣らないよりは遣った方が良いと思いませんか?

私たちは、一日最低、2万回~3万回の呼吸をしていると言われています。

その呼吸の質が悪いと、あらゆる不調の原因になります。

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疲れ・冷え・ネガティブ思考・痛み・不眠・ストレス・血流不足・自律神経の乱れ・老化・むくみ・更年期障害・生活習慣病・・・。

「お腹の底まで息を吸う」だけの呼吸法を習慣化するだけで、細胞レベルで体が元気を取り戻すことが出来ます。

その呼吸法は、私が好きな白隠和尚の秘伝ですが、今では、ほぼ、皆さん、ご存知な「丹田呼吸方法」です。

ただ、丹田呼吸方法も段階があるのですが、今回はシンプルな遣り方を実践して下さい。

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①座った状態で肩の力を抜いてリラックスをし、背筋を伸ばす。

②呼吸は基本的に鼻で行う。

③鼻呼吸のとき、「息を吸っている時にお腹を膨らませ、息を吐く時にお腹がへこませる」ことを意識して行う。

④両手を合わせて丹田(下腹部あたり)に添える。

⑤息を吐く時、丹田がしっかりへこんでいることを意識する。

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毎朝、10回ほど行うと、気分がすっきりします。

深い呼吸は、健康を持続させてくれることになります。

忙しい人こそ、この呼吸を日々の生活に取り入れるだけで、体調が整うことで、やる気が出て来ます。

痛みを和らげることが出来ます。

さらに、瞑想のときにも活用することで、「自分を知る」ことが出来ます。

息をしていないと生きていけません。

自分の心身すべてに繋がる呼吸は、「あなた自身」です。

呼吸が浅いと体の力みが抜けきらない体質になって行っています。

知らない内に少しずつ体が、緊張が解除できなくなり、イライラしたり、怒りぽっくなったり、悲観的になったり、不調の一歩手前になっていることを気づくことが出来ません。

呼吸を整えることで、不調や体調不良からの脱却、体調管理や、傷めない身体づくりのために、絶対に必要なことです。

体調が悪くなると、どうしても、悩みが増えるような出来事に遭遇します。

不安だらけ、未来が見えない、人間関係等にも影響して行きます。

息を吸い続けてしまい、息を吐けないまま、体が膨張している状態が続きます。

吸い込んでしまった息は邪気となって、体内に蓄積されてしまいます。

息を吐き出すことが出来ない、浅い呼吸を続けていると、精神的にも余裕がなくなり、感情的な言動を取ってしまうことになりかねません。

悩みがあっても、その環境から遠ざかることや、旅行に行くことで、ネガティブな事を考えない場所に行くことで、綺麗な空気を吸うことが出来れば越したことはありませんが、現実的には難しいこともあるでしょう。

だからこそ、呼吸を整えることを習慣化することで、プラス思考へと変わることが出来ます。

呼吸の変化とともに、質の良い食事、質の良い環境、質の良い人間関係、そして、サイキック能力さえも開花することが出来るようになれるため、多くの成功者は呼吸法から学び、さらに、瞑想を日課に取り入れることで、宇宙と繋がることで、人生が良くなることを実感できるようになれることでしょう。

どんなに健康知識を学ぶよりも、多くの健康法を実践するよりも、その感覚を知る事が出来、直ぐに使える方法が「呼吸」なのです。

肉体的なメリットだけでなく、意識的にも改善でき、幸運を呼び寄せて、ツキを高めて幸運体質を持続させて下さい。

ありがとうございます。

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思考があなたの運命を支配しているcanstockphoto5193932

あなたの家族、あなたの友人、会社の上司や同僚達も、歳を重ねています。

 

歳を取ったことが分かるのは、やはり、肉体の衰えではないでしょうか?

 

日々の生活で一緒にいる家族の変化や頻繁に会う友人の変化はそれほど感じないときがありますが、急に、その人がとても綺麗に変身したり、その反対に数十年ぶりの同窓会で再会したときに、昔はクラスの中で美人だったのに、周りの同級生も「あの人だれ?」と、気づいて貰えない存在になっている人もいます。

 

良い人相に変わっていれば良いのですが、眉間に皺を寄せて、怖い顔になっていたり、笑顔が見られない人相になっている場合は、会わないでいた間に、その人の人相を変える出来事が訪れた可能性があります。

 

私事で申し訳ありませんが、ここ最近、数十年ぶりに再会した人が数人います。

 

体重も増加し、髪の毛も薄くなり、皺も増えましたが、「昔と変わらないね」と、言われることがあります。

 

私自身は思い切り変わったと思っていますが、周りの印象は「変わらない」との事で、それは思考がある程度、平穏でいられるからだと思います。

 

若い頃の方が、色々な意味でのストレスで息を吐くだけでも辛い時期もありました。

 

その頃と比べると、周りの人々にも恵まれて、さらに、太陽の恵み、植物、ハーブ、良質な塩等を身体に取り入れることが出来ているからだと思います。

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睡眠療法で有名なエドガー・ケイシーもこのように言っています。

 

『美しさは内から湧き出るもので、外面の造作のことではない。見た目の美しさはやがて色あせる。しかし、命の美しさ、人間の美しさは、その人間性を通して光り輝き、決して色あせることのない美を与え続ける・・・。外見や顔かたちを整えようとする前に、人は自分の理想を整えなければならない。魂の奥底が輝き出すならば、外見の美しさは自然に現れるのだから・・・。』

 

誰もが、例外なく、魂がキラキラしている魅力的な顔に私たちは惹かれます。

 

それは当たりまえのことだと思っている方もいらっしゃるでしょう?

 

そんな魅力的な顔はどうやって作られるのでしょうか?

 

それは、「人相」です。

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顔全体ではなく、「顔つき」が、年齢を重ねると変化して行きます。

 

顔というものは、努力をしてきた人の顔には品格が生まれます。

 

その人相、顔つきはどのように変化して行くのでしょうか?

 

その答えは、「思考」つまり、「脳」が、顔つきを変えているのです。

 

魅力的な顔つきになるには、どうすれば良いのでしょうか?

 

それは、「脳=思考」を明るくすることです。

 

簡単なことなのですが、心のクセは自分で自分の事を知り、そして、前向きに努力し続けることです。

 

「ローマは一日にしてならず」と、いう諺がありますが、思考も変えようと思っても、同じようなクセが戻って来ることがあります。

 

もしも、あなたがこれから婚活や自然な出会いによって幸せな結婚をしたいと願うのであれば、運を呼び込む顔を作るためにも、自分の顔をよく見て下さい。

 

男女、関係なくして、鏡を見て下さい。

 

例えば、誰かと初対面で会った時、私たちは第一印象や直感で相手を判断します。

 

この判断は、知らずして知識の中に、観相をしています。

 

出会いの中にあなたに縁のある人を見分けることで、あなたの「運」が変わります。

 

しかし、人の顔は観察出来ますが、自分の顔は見ていない人が多いのです。

 

女性であれば、すっぴんの顔は寝る前の歯磨きした時ぐらいという人もいらっしゃるでしょう。

 

ですから、鏡をみることは重要です。

 

自分大好きな人は、鏡を見る機会が他の人よりも多いでしょう。

 

歳を重ねた人の皺を「人生の年輪が刻まれた」などと言うことがありますが、若い人も同じように、その顔には、それまで生きた歴史が刻まれています。

 

観相師が見れば、その人の生まれた性格や、どんな風に育ち、どんな考え方をするのか、知性や感性、力量、それまでの失敗や成功、さらには、どんな恋愛をして来たのかまでも、顔というキャンバスに描かれています。

 

人の顔には、その人の情報が詰まっています。

 

観相学は占いではありません。

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仏教僧で中国禅宗の開祖である、達磨大師が「人相のもとは脳にある」とする研究をして、中国、朝鮮の皇帝へと受け継がれて行きました。

 

「達磨さんが転んだ」というフレーズは知っている人は少なくないでしょう。

 

でも、達磨大師とはどんな人?と思う人もいらっしゃると思いますので、簡単に説明します。

 

達磨大師は、インドで若くして悟り、伝道師として中国に渡りました。

 

しかし、命がけでシルクロードを越えて、中国に行きましたが、当時の中国な戦の真っ只中で、誰も達磨大師の仏教の教えに耳を傾けてくれませんでした。

 

その後、長い間、9年間、壁に向かい瞑想をし続けました。

 

その時に、人の顔はみんな違うことに気づきました。

 

同じ顔の人はいないこと、そして、性格や職業によって共通点を見つけ、さらには、吉凶を表わす顔の分類までにも到達しました。

 

生まれた子供は親から引き継いだ顔形だけではなく、その人の育ちや学んだことが、顔を作り上げているということに至りました。

 

達磨大師は混沌とした中で、不安に怯える人達に「あなたの運勢をみて差し上げましょう」と、人の顔から運勢を見る事を始めました。

 

ちなみに、日本の禅宗を広めた人は、道元師です。

 

禅宗は座って悟というイメージを持たれるのは、達磨大師が長い瞑想の時間をきっかけに生まれたのが禅だからです。

 

座ること(座禅)により頭を空っぽにし、顔を治すという座禅の教祖でもありました。

 

その達磨大師は、1人ひとりの思考の中にある考え方によって顔は描かれていること、そして、それは変化すること、それは、まさしく「思考こそが、顔つきを変える」ことを意味しています。

 

中国の皇帝などが、庶民に教えなかったのは、先祖は七代まで遡ると考えていたからです。

 

近年の遺伝子行動学でも、遺伝子の影響は七代まで遡ることが研究にて証明されています。

 

1500年以上前に、顕微鏡や医学も発展していなかった時代の達磨大師がすでに発見されていたことには驚かされます。

 

その思考が出来るまでには、段階があります。

 

3歳、10歳、20歳という、3回の節目があります。

 

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日本では表現される「三つ子の魂百まで」という諺があります。

 

意味としては、《幼い頃の性格は、年をとっても変わらないということ。》

 

3歳で自我が生まれ、10歳で大脳ができあがり、20歳で人間の成長期が完了し、成人になり、大人として生きて行きます。

 

顔の素材を見る前に、その人を見た時に、明るい印象を受けるか、暗い印象を受けるか、どちらかになります。

 

ですから、もしも、運を良くしたいと願うのであれば、この印象さえ変えてしまえば、明るい印象を齎すことが出来れば、あなたには運が良くなる兆候があるということです。

 

もう少し、はっきりと運気を上げたいと願うのであれば、目と眉を変えることです。

 

特に女性は、お化粧で印象を明るくすることが出来ます。

 

人によっては、眉をそり落としている人がいますが、眉は観相学の中で大事な部分ですので、剃り落としてしまうと、後々、運気が下降する時期が出て来ます。

 

描き足すぐらいの方が、運気を上げることが出来ます。

 

観相学では、メディアで騒ぐ美人であっても、逆に、運勢としては、苦労するという人相があります。

 

人の造作は数ミリほどしか変わりません。

 

微妙な違いだけで、人の顔の印象が変わります。

 

特に、婚活を頑張る人は、眉は顔の中で印象を大きく変えるパーツであり、眉を変えるだけで運命さえも変えられると言えるほど、重要視します。

 

人の顔には、良い運の顔だけの相とか、悪い運の顔だけの相といった偏った例はありません。

 

必ず、その人の人相には、良い面と悪い面の両方を備えています。

 

人生の運気は5つの運気が主流となります。

 

目と眉を見ただけでも、その人のそれぞれの形によって、性格、財運、愛情運、仕事運、健康運、人気運が分かります。

 

良い面は強調し、悪い面はカバーして行くことで、必ず運は好転して行きます。

 

中年以降は、あなたの持っている運が必ず、顔に現れます。

 

特に、人生の重要な曲がり角に差し掛かる時や、大きな運、不運が訪れようとしているときは、必ず、顔に変化があります。

 

いつも、申し上げていますが、その顔を作る素である思考はプラス思考であり、環境、人間関係、食べる食材、身に着けるパワーストーンも大事です。

 

常日頃から、良い思考・想念を持ち、顔つきを明るく心がければ、そうすれば、運を呼び込む顔を出すことが出来るでしょう。

 

さらに、幸運体質を維持するためには、ご自身の運だけを考えるのではなく、人を思いやる心も大切です。

 

「運」は、謙虚に自分を見つめ、常に、感謝をする者に与えられるということを忘れないで下さい。

 

ありがとうございます。

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子供は親を選べないという表現をする人がいますが、本当の所は、あなたは「親」を選んで生まれ変わっています。


特に、人生を左右する重要人物は「母親」となります。


母体が存在するから、この世に生まれ変わることが出来ます。


また、誕生日も自分で選んで生まれています。


どの国に生まれるかということさえも、守護霊や守護天使、高級霊に至るまで、綿密に計画を立てて生まれ変わっています。


ここ最近は、一昔に比べると、「結婚できない」「恋人と信頼関係を築けない」と思い悩んでいる人が増えている気がします。


結婚率も下がっています。


また、ロマンチックな恋愛期間を経て、幸せな家庭生活を夢見て、家族になり、結婚したにもかかわらず、パートナーや相手の家族、自分の生まれ育った家族、子供との関係に思い悩むことも少なくありません。


多くの人が、愛に溢れた結婚生活を送りたいと願っているのに、なぜ、そう上手く行かないのでしょうか?


現世で出会った人、出会う人、ご縁のある人とは、過去世でも、繋がりを持っています。


つまり、あなたのすべての「人間関係」は、過去世から既に始めっているのです。


あなたは「運命の相手」と必ず、生まれ変わったら、どのような生き方をすることで、魂の成長に繋がることが出来るのかという約束を持ち越して今を生きています。


「人間関係」は幸せな人生を歩んで行く為には、とても大切です。


無人島に住んでいれば別ですが、自分自身と向き合い、他人を通じて、また、新しい自分を発見することが出来ます。


私たちは人と人の間で揺れ動き、悩みながら、そして、経験を通して魂を磨いています。


愛に溢れた完璧な状態に近づく為に、魂はあの世で生まれ変わったときの設定を青写真のように描き、過去世で果たせなかった思いを現世で再チャレンジするために転生して来ています。


人生の目的はひとつだけではありません。


また、大きい天命、使命、目的から、小さな目的や課題もあります。

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様々な試練を乗り越え、目標を達成し、愛ある関係性を創造出来るように、人生の目的や課題は知恵の輪のように複雑に絡み合った形で母親の母体から生まれて来ます。


複雑だからと言って放置していると、何時までも、課題をクリアー出来ません。


昔の人は、「苦労は買ってでもしろ」と、よく言ったものです。


<若い頃の苦労は自分を鍛え、必ず成長に繋がる。苦労を経験せず楽に立ちまわれば、将来自分のためにはならないという意味。>


英語でも同じようなニュアンスの言葉があります。


Heavy work in youth is quiet in old age.  (若い時の重労働は 老いての平安である)


ですから、面倒くさがることは幸運を押しのけていることになります。


なぜから、あなたの現世での人生で目的や課題は、あなたが日々の生活の中で関心を示すこと、好きなこと、楽しいこと、どうしても惹かれてしまうこと、その事を遣っていると時間があっという間に経ってしまうことに隠されているからです。


それらをやり遂げることで、あなたの人生の目的の多くは着実に霊的レベルが向上し続けます。


最初に、現世で影響を受ける重要人物に「母親」とお伝えしました。


お父さんとお母さんが結ばれない限り、あなたはこの世には転生できない仕組みになっています。


80年代にヒットした映画で『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(Back to the Future)というのがあります。


タイムスリップをして、若い頃のお母さんとお父さんが結ばれるために奮闘するという少年と博士との遣り取りはとても興味深い内容でした。


今、生きている人すべての人は、必ず、親を選んで生まれています。


親と上手く行っている人、上手く行っていない人、両親の都合により、片親だけと生活した人、生まれてすぐに血の繋がっていない人の所で育てられた人・・・。どのような親子関係や養育関係であっても、生まれ変わる前に自分自身でこの人達と関係を持ちたいと計画をして来ています。


豊かな経済力を持った親の下に生まれる人もいれば、その逆を選んで生まれて来る人もいます。


すべての条件は、あなたの魂が約束を交わしたものです。


大きな使命を持った人は、魂の成長を加速させるために、敢えて、辛い環境に身を置くことを設定しています。


そういう人は、あえて人間として未熟な人達を両親として選び、彼らの魂の成長のお手伝いをしたり、彼らを反面教師にしたりすることで、その葛藤こそが、現世の課題の可能性があります。


ですから、あなたが自分の家族と上手く行かないことに傷つくことはありません。


どうしても複雑な感情を拭いきれず、辛く苦しい状況にいたとしても、それは両親やあなたが悪いのではありません。


互いの魂の成長のために、「相応しい相手」であり、交じり合わない、理解出来ないということを通じて、「思いやりや愛」を学ぶことになります。


自分が親になったことで、なぜ、今の親を選んだのかということを理解することが出来る日が来ます。


結婚も同じように、あなたの魂を成長させるために、あなたが過去世から、あの世に還り、生まれ変わる前に、この人と結婚することで、お互いに成長でき、使命を果たすために必要な人物になります。


では、その相手と出会うためには、どのような行動を取れば良いのでしょうか?


運命の相手は1人ではありません。


すべての人が数え切れないほどの転生を繰り返していますから、過去世でどの時代に影響を受けた人と、現世で再会します。


再会するためには、「ご縁」がないと、結びつかないものです。


「縁」と聞くと何を想像しますか?


「良縁」「腐れ縁」「因縁」等の言葉があります。


大きな意味では、「縁のある人」とは、あなたが生まれてから死ぬまでに人生で出会う人、全員を意味しています。


そうなると、数え切れないほどの人数になります。


記憶に残っていない幼稚園ぐらいから、今朝、道端で見かけた人、学生の頃、あれだけ仲良くしていたクラスメイトで、今は全く交流がない人、職場の人、先輩後輩、親友、友達、恋人、子供、夫婦、義理の両親、ママ友・・・。と、様々な間柄があります。


どの人も「縁」があったからこそ、あなたとその人は出会ったのです。

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諺に「振袖り合うも多生の縁」があります。


<袖振り合うも多生の縁とは、知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁であるということ。>


英語でも同じような意味の言葉があります。


Even a chance acquaintance is decreed by destiny.(偶然に知り合うことも運命による)


過去世で出会った人とは、現世でも繋がりを持ちます。


その縁も大きく4つに分けられます。


「強い縁」「弱い縁」「良い縁」「悪い縁」です。


出会った人との関係は、この「縁」が組み合わさり、築かれて行きます。


あなたの人生の中で、「あのクラスメイトの名前、何だったかかな?」と、同窓会に参加しても、思い出すことも出来ないような人は、弱い縁です。


もちろん、弱い縁だからと言って意味がないわけではありません。


その時に、何かを学ぶことが必要だった同級生だったことでしょう。


親、兄妹などは、良くも悪くも「強い縁」です。


なかなか離れることが出来ません。


親子、兄弟関係が良好な人は、その人とは「強い縁」であり、「よい縁」を持っていることになります。


その「縁」をプラス思考に変えて、人生を歩んで行くことを応援してくれるサポーターの役目として繋がっていることになります。


しかし、その強い縁だからこそ、なかなか、子離れ、親離れ出来ないまま、居心地が良い場所に長居をしたために、婚期を逃がして、慌てて、婚活を始める人もいます。


親との間が「悪い縁」だからと言って嘆く必要はありません。


親を反面教師として、「忍耐力を鍛えること、寛大な気持ちを持つこと」を学ぶことが現世での課題であるかも知れません。


夫婦仲が悪い縁の間に生まれた子供は早婚の傾向があります。


また、敢えて、結婚を避ける人もいます。


両親も「悪い縁」「強い縁」で一緒になり、そこから、お互いの魂のために学ぶことになります。


人間関係を築くためには、「縁・相性・愛情」です。


縁は前世から繋がりですから、なかなか変えることは出来ませんが、相性と愛情は変化して行きます。


相性と言うのは、見えない波動が合うかどうかになります。


趣味が一緒、好きな食べ物が同じ、一緒にいて居心地がいいか、悪いか?


SNS等も、これらが絡み合い、フォローしたり、フォローされたりしています。


「縁」が合って、出会い、この相性が良いと、すぐに意気投合して関係を深め、仲良くなれます。


縁が弱くても、同じ趣味や興味を抱くことにより、自然とその人に惹かれることになります。


しかし、人は年を重ねて行くと、物事や嗜好が変化して行きます。


また、身を置く環境により、波動が変化して行きます。


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波動が異なると、努力しても、繋がることが難しいときもあります。


好きになった人と強い縁で結ばれるためには、その人と同じ波動になることが近道になります。


ある一定の時間、同じようなファッション、同じような食べ物を取り入れることで、波動が似て来ます。


仲良いカップルは良く似た者同士になるのは、嗜好や好きな事が似ているからです。


そして、肉体から出て来る波動も似て来ます。


同じような物を食べていると、体内から出て来るフェロモンも似て来ます。


それが香水のような役目をしていることがあります。


あなたが幸せになりたいと願うのであれば、波動を上げることです。


さらに、深い意味で先にお話ししている「親との関係」が、結婚出来ないことに関係していることもあります。


親との間のトラウマを解消することで、恋愛や人間関係が上手く行くようになります。


そのお話はまたの機会に致します。


ありがとうございます。

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こんにちは。

いつもありがとうございます。

ありがとうございます。

2017年も終わりに近づきました。

2017年はあなたにとって、どのような年になりましたでしょうか?

良い一年でしたか?

まぁまぁな年でしたでしょうか?

それとも、辛かった一年でしたでしょうか?

どんな年でも、必ず、その年の流れには意味があります。

また、泣いても、笑っても、2017年の11月頃から、2018年への運気へと変化して行っています。

人生の流れは、上がったり、下がったりします。

人によっては、ジェットコースターのように急激な変化が訪れることもあります。

運気や波をしっかりと知っていれば、その波の方向を上に引き上げて行くことが出来ます。

つまり、変化への対応が出来れば、次のステップアップへと繋がる方向へと進むことが出来るでしょう。

一年間という期間の運気を知っていると、変化が起きても、パニックに陥ることなく、対処出来るでしょう。

また、年末年始はバタバタと忙しく、あれこれとしている間に、変化に気づくことなく、何かが違うと感じていても、その「何か」に気づくことが出来なかったために、チャンスを逃がすことになります。

いつも申し上げていますが、志を掲げ、成功する人は「自己対話」「内観」「自分を知る」ことを忘れていません。

朝起きて、歯磨きすることが日課のように、常日頃から、自分と向き合うことをしています。

なぜ、自分と向き合うことが必要なのでしょうか?

それは、どんな事をしているときが幸せなのか?

また、あなたにとっての幸せとは、何なのか?

何がどうあれば、あなたは幸せなのか?

人によって、幸せの形は異なります。


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大勢の人達に囲まれて注目を浴びることが幸せと思う人もいれば、物質的に高級な家、車、ブランド品を身に着けることが喜びになる人もいるでしょう。

また、精神的な真実を追求することこそが、幸せだと感じる人もいるでしょう。

自由に気ままに旅行をしたり、趣味の世界に没頭したりして生きて行くことが幸せな人もいます。

しかし、人によっては何が幸せなのか分からない人もいます。

バブル景気を体験した世代の人達は、テレビやメディアの影響が強く残っているため、どうしても、物質的な物を多く所持することこそが、幸せのバロメーターになっている人もいます。

物が売れない時代ですが、バブル景気世代の人達は、ブランド品を身に着けた経験者が多かったので、今でも、高級ブランドを身に着けていることでしょう。

一着数十万のスーツは縫製が素晴らしかったです。

今の世代は質よりも値段で、数回着たら、捨てちゃう人もいます。

幸せの形や感覚が、メディアや教育、周りの環境によって変化して行きます。

刷り込まれた価値観はなかなか、取り除くことは難しいです。

あなたが本当に幸せを求めているのであれば、世間一般の価値基準に何となく植え付けられた幸せの基準を自分の幸せと勘違いしているか確かめて下さい。

あなたにとって幸せとは何ですか?

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ということ自体、考えたこともない人もいらっしゃると思います。

人生の目標・目的が分からないでさ迷っている人もいらっしゃることでしょう。

目的なくして、進むことは困難でしょう。

その為にも、自己対話、内観、自分を知ることです。

周りが騒いでいるときこそ、静かに座り、自分と向き合う時間を創ることです。

今までの人生で本当に嬉しかったことは何なのか?

今までの人生で楽しかったことは何なのか?

子供の頃の夢は実現出来たのか?

何になりたい?

欲しい物は手に出来たのか?

他に遣りたいことはあるのか?

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今から遣れることは直ぐに始めて下さい。

ダイエットしたいけど、来年になってから始めようと思うと人と、年末年始だからこそ、今から遣れるという人、あなたはどちらを選択しますか?

自分自身に問いかけない限り、答えは見つかりません。

1年の節目だからこそ、自分が求めている方向性を一度見直すことで、あなたの運命を開くことが出来ることになります。

さぁ、新しい幸運の扉を開くカギを握り締めて、より幸せへの道を歩んで行って下さい。

良い年をお迎え下さい。

ありがとうございます。


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さて、いつも多くの方々からリーディング後、ご感想を頂くのですが、なかなかご感想をシェア出来ないでいます。

☆☆☆☆・・・・☆☆☆☆・・・・

最後にK・Tさんからのご感想をシェア致します。

おはようございます。先日コンサルテーション、2018運勢鑑定メールをいただいたKと申します。

本当にびっくりすることばかりで、心の中で思っていてもまとまらずすっきりせずいたことがかずこ先生のメッセージにてはっきりとわかり、はぁ~とその通りです。としか言葉が出ませんでした。

日頃からのくせをただしていかなければと思いながら私にとってすごく難しく、ただ本当に気にかけながらなおしていくように努力していきます。

他にも沢山のメッセージ、響くことばかりで今年メッセージをお願いして本当に良かったと思い感謝しております。

ありがとうございました。


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