期待は裏切られ、そしてまた楽しそうであればいいというものではない

2006年09月12日

好青年とはかくの如し

駒場アゴラで平常の『毛皮のマリー 人形劇版』を観た。

一昨年、全国優秀人形劇顕彰制度の銀賞を最年少で受けたのが本作。

「毛皮のマリー」はいわゆる「棒遣い人形」だが、頭部と両手だけのもので、
平はさりげなくやってるが、手の動きなど相当の技量が要るものなのだろう。
美少女や下男や水夫、そして美少年欣也を演じ分けながらというのは、
超絶テクニックなのにあまりにサラリとこなしている。
だから上述の受賞と相成ったのであろうが、
人形劇に馴染みのないわたしのような者には、
驚愕とか感動とかにはつながらず、なんだか申し訳ないくらいだ。

途中、マリーが気持ちよくセリフを重ねていると、袖からジリリリリリとベルの音が。
「ここは、いつもこぉなの?」とマリー。
しばらく鳴り止まず、初見の観客も次第に気が付き始める。

終演後に平田オリザが登場し「20年にして初めて」と謝ることとなるのだが、
セキュリティシステムの誤作動だったらしいベル音は、
その後も時おり響き渡ったのだが、
平は動揺することなく、アドリブを交えながら見事に演じきった。

終演後も別に誰を責めるでもなく、
作品の余韻を感じながら帰っていただきたいために、
普段ならば演じきった後には舞台を去るのみなのだがと前置きした後、
自らの表現を全うできなかったことを「悔しい」と言い、
自分の非は全くないのに深々と謝ったのだ。

後で気が付いたことだが、妙齢の女性がたくさん観に来ていた。
ありゃあ、やられちゃうよなぁ。
わたくしにさえ母性本能が湧きいずるかの如しでありますよ。

ただね、寺山修司の情念たっぷりの世界をね、出現させるには
十二分な技量をもってしてでも、あの爽やかさはかなりのマイナスではなかろうか?
爽やかさの彼岸の住民だから僻んでいるのではありませんよ。
彼岸とひがむを掛けたわけでもありませんよ。

さらに年を重ねていくと、どんどんすごいことになるだろうということ。
この人が人生の酸いも甘いも味わって、人間のドロドロしたところまで表せるようになったら、
おそろしいくらいでありましょうや、とこちら側へと誘っているのである。

rejio at 00:47│Comments(0)TrackBack(0) 演劇 | 反射的短評

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