応仁の乱以降の畿内史

日本史上最高に面白い時代を特集します

応仁の乱以降の畿内史  
 
「応仁の乱以降の畿内史」へようこそ。このブログでは、応仁の乱が終結してから室町幕府が滅亡する100年の間に着目し、この複雑で実に興味深い時代をまとめて解説しています。 

第一章 応仁の乱終結(1477)~明応の政変(1493)
 
 概要
  応仁の乱が1477年に終結すると、足利義尚が将軍に、畠山政長が管領に就任しました。ところが義尚も政長も大きな力を持てず、実権は細川勝元の子、細川政元や日野富子が握ります。政元はさらに政長の力を削ごうと山城国一揆を引き起こしたり、義就を支援したりしました。1489年に義尚が死んで足利義材が将軍になると両者の立場は逆転し、今度は政長が権力を握ります。しかし細川政元が1493年に明応の政変と呼ばれるクーデターを起こすと政長は殺害され、義材は監禁されてしまいました。新将軍には足利義澄が擁立されています。

 第一回 応仁の乱以降の畿内史
 第二回 応仁の乱の結果
 第三回 足利義尚と長享の乱
 第四回 足利義視の一生
 第五回 畠山家と河内争奪戦
 第六回 山城国一揆と畠山政長
 第七回 明応の政変と延徳の乱
 第八回 室町前期の天皇家
 第九回 本願寺と蓮如
 第十回 水墨画とやまと絵と狩野派

第二章 明応の政変(1493)~細川殿の変(1507)

 概要
  明応の政変で監禁された足利義材は側近の助けを得てひそかに脱出し、越中に逃れました。これを受けて、義材の反撃に備えるためとの口実で政所執事の伊勢貞宗が山城国一揆を解体、山城を自らの領国にしてしまいます。実際に義材は反撃を試み、結局敗れて周防へ落ち延びています。一方、将軍義澄の下での実力者細川政元は政治に興味を失って魔法の修行に没頭し、天狗の真似などの奇行が目立つようになっていました。同性愛者であった彼は三人の養子を迎えていますが、これが災いして養子の一人、細川澄之に修行中を襲われて暗殺されてしまいました。
 
 第十一回 山城国一揆の崩壊と大和国人衆
 第十二回 畠山尚順と越中公方
 第十三回 阿波細川家の不穏
 第十四回 政所執事伊勢家
 第十五回 細川政元の奇行
 第十六回 明応・文亀・そして永正へ
 第十七回 細川政元、死す
 総集編1 細川政元の一生

第三章 永正の錯乱(1507)~等持院の戦い(1520)

 概要
  細川政元が殺害されると三人の養子が家督を巡って争います。その混乱をついて、前将軍足利義材が大内義興を引き連れて上洛しました。この大内軍が非常に強力であったため、最終的に養子争いは義興と同盟した細川高国の勝利となり、足利義材も将軍に返り咲きます。その後10年ほど大内軍は京都に滞在して義稙(義材)と高国の安定政権を支えました。しかし彼が帰国すると早速政元の養子・細川澄元が反撃を開始します。高国は辛くもこれを打ち破りますが、一時義稙が澄元を支援したために対立し、義稙は阿波へ追放されて義澄の子の足利義晴が新将軍になりました。

 第十八回 永正の錯乱
 第十九回 細川澄元の反撃
 第二十回 船岡山合戦
 第二十一回 日明貿易と抽分銭
 第二十二回 大内義興
 第二十三回 等持院の戦い
 第二十四回 足利義稙・畠山尚順の死
 総集編2 足利義稙の一生

第四章 高国独裁(1520)~天文の錯乱(1536)

 概要
  独裁をひいた高国ですが、讒言で重臣を殺害したことがきっかけで政権は内部分裂を起こし、結局澄元の遺志をついだ子の晴元に敗れて将軍義晴とともに近江へ逃れます。細川晴元は空白となった京都には入らず、義晴の兄・足利義維を将軍として堺に疑似幕府を立てました。高国はこの堺幕府に対して反撃を試みますが、あと一歩というところで敗死してしまいます。すると残された足利義晴のもとに細川晴元自身が帰参し、堺幕府を支えていた同盟者達と対立するようになりました。晴元は本願寺の力を借りて堺幕府を滅ぼしたのですが、勢いづいた一向一揆は畿内で大いに暴れまわり、法華宗や延暦寺、興福寺を巻き込んだ宗教戦争に発展してしまいました。
 
 第二十五回 本願寺の改革
 第二十六回 高国政権の平和と陰り
 第二十七回 桂川浜の戦い
 第二十八回 川勝寺口の戦い
 第二十九回 高国派の反撃
 第三十回 大物崩れ
 第三十一回 大小一揆
 第三十二回 飯盛山城の戦い
 第三十三回 天文の錯乱
 第三十四回 天文法難と延暦寺
 第三十五回 狩野派の大成
 総集編3 木沢長政

第五章 天文法華一揆(1536)~東山霊山城の戦い(1553)

 概要 
  長かった宗教戦争が終わって落ち着いたかと思うと、今度は晴元の家臣の反乱が頻発します。また高国の残党もゲリラ活動を続けていたため、畿内が平和になることはありませんでした。そして1548年、家臣の三好長慶が反乱軍に加わると晴元の政権は耐え切れずついに崩壊し、彼は将軍足利義輝を連れて近江へ逃亡します。三好長慶は京都に入って専制政治をひきました。好戦的な性格の義輝は京都を奪還しようと三好軍に戦いを挑み、日本で初めて鉄砲を実戦に使用したり、暗殺魔となって畿内を混乱させたりしますが、結局敵わずに朽木に追いやられました。この過程で細川家は没落してしまいます。

 第三十六回 天文の錯乱後の畿内周辺
 第三十七回 太平寺の戦い
 第三十八回 鉄砲伝来
 第三十九回 舎利寺の戦い
 第四十回 江口の戦い
 第四十一回 中尾城の戦い
 第四十二回 暗殺者義輝
 第四十三回 キリスト教伝来
 総集編4  六角定頼
 第四十四回  細川氏の没落

第六章 東山霊山城の戦い(1553)~永禄の変(1565)  

 概要
  将軍を追い払った三好政権は幕府の業務を継ぎ、その影響力は全国に及ぶようになります。領国は畿内全域に周辺を加えた10か国にも膨れ上がり、一族や有力家臣による軍団によって統治されました。三好政権は5年ほどの最盛期を誇りますが、何度も裏切りを繰り返した足利義輝と和睦し、一族の死や戦乱が相次ぐと徐々に衰退へ向かいます。それでも当主の三好長慶が生きているうちはよかったのですが、彼が死ぬと各地の軍団は独立し、足利義輝は殺害されてしまいました。


 
第四十五回 三好一族と家臣団
 第四十六回 丹波遠征・播磨遠征
 第四十七回 三好政権の最盛期
 第四十八回 畠山尾州家内乱と河内遠征
 第四十九回   正親町天皇と宗教
 第五十回   六角義賢の本気
 第五十一回  天下分け目の教興寺
 第五十二回  三好長慶の死
 第五十三回  永禄の変

第七章 永禄の変(1565)~槙島城の戦い(1573)



 概要
  足利義輝亡き後、足利義栄が14代将軍に擁立されました。一方で義輝弟の足利義昭も将軍職を狙い、まず六角、次いで朝倉、織田を頼ります。折しも三好家が三好三人衆と松永久秀に分かれて内紛を起こしたため、織田信長・足利義昭は松永久秀と組んで京都に進出し、三好勢力を畿内から一掃しました。これに対し、警戒する諸大名は信長包囲網を形成します。足利義昭は二度目の包囲網に加わったために信長の攻撃を受け、敗れて京都を追われました。室町幕府はついに滅亡したのです。

   第五十四回 三好家の分裂と足利義秋
   第五十五回 松永久秀の反撃
   第五十六回 織田信長・足利義昭の上洛
   第五十七回 第一次信長包囲網
   第五十八回 第二次信長包囲網
   第五十九回 室町幕府の滅亡
 

終章 槙島城の戦い(1573)~大阪の陣(1615) 予定

番外編
 番外編1 偏諱と通字 
 番外編2 元号
 
書評
 戦国三好一族 今谷明著
 応仁の乱 呉座勇一著

ゲーム
 戦国史FE  

高屋城の戦い、長篠の戦い、越前一向一揆と相次いで制した信長は1575年12月に事実上の天下人として右近衛大将に任じられると、厄年の42歳になったことから、家督を嫡男の信忠に譲りました。とはいっても、信長はその後も織田家を統括する立場であり続けます。
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