歴史探訪京都から

-旧木津川の地名を歩く会-

祇園天幕映画祭と長刀鉾見学

7月15日初めて協力した「祇園天幕映画祭」。おもちゃ映画ミュージアムの映像は京阪電車「祇園四条」駅すぐ東のスクリーン2で19時半から上映。
DSC05719 (2)ご覧いただいているのは、昔の京都の中心部を撮影した町の様子。1912(大正元)年に京都市電四条線が開通し、その電車が走っているのが映っていたり、1912(明治45)年に開店した「大丸京都店」や「藤井大丸」も映っていました。写真の映像は、祇園商店街に車を止めて買い物に行く様子でしょうか。映像を観て気付くのですが、この頃の花見小路は、北側に道路がまだなかったのですね。DSC05731 (2) 
関東大震災が起こった1912(大正12)年頃以降、日本でも小型映画が人気を呼び、それまで劇場でかかった35㎜フィルムの切り売りを家庭で楽しむしかなかった人々は、自分の家族の成長を記録したり、旅行の思い出を記録したりできることから、ホームムービー作りに楽しみを見出します。当初はどこの家庭でもというわけではなく、高価なものでしたので、中・上流家庭を中心に広がりました。今回上映した祇園祭神幸祭の映像もそうしたご家庭が撮影された映像で、他にも子供の成長記録などもあり、愛情いっぱいに育てられた様子が伝わってきます。 

お金持ちの人たちが興味を持って撮影された映像が、今回のように地域アーカイブに役立ち、業者が小型映写機用に劇場版映画を再編集して販売した映像が家庭から見つかって、欠落した日本の無声映画の歴史を埋める役にも立っています。 2枚目の写真は、戦前のアニメーションを集めて編集した「妖怪と幽霊」をご覧になる様子。来年も、協力できるなら、次は活弁・音楽付上映で楽しんで貰いたいと思っています。
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四条通にエビスビールの屋台が設けられていて、そこに綺麗な舞妓さん、芸子さんがおられて、彼女たちからビールを受け取って、写真を撮ったり、おしゃべりもできるとあって、長蛇の列。好奇心にかられて、私も列に加わりました。
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飲めない連れ合いは、ジュースを、ちょこっとたしなむ私は、もちろんビールを所望。


何て美しいのでしょう‼


ここで思い出して、突然の告知ですが、今年10月1日に、京都五花街の一つ上七軒の「北野をどり」の演出家として活躍した映画監督・石田民三(1901~72年)について研究発表会パート2を開催します。 2月20日に開催したパート1の続編です。
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なかなか舞妓さんたちとこんなに間近で接する機会がないので、何とも幸福な時間。

 







だらりの帯も 季節を意識して、七夕の短冊や、鉾、ここには写っていませんが、御神輿の絵柄もありました。華やかな簪にも、きっと意味合いがあるのでしょう。
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せっかくなので、四条通を西へぶらり鉾見物。









写真は10日に鉾建てを見学したばかりの長刀鉾。粽は既に売り切れていましたが、楽しみにしていた手ぬぐいを購入。今ミュージアムに飾っています。
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手ぬぐいを買ったので、連れ合いは鉾に上ることができました。男性限定ということで、鉾に架けられたのは、ジェンダーを嫌がおうにも自覚せざるを得ない橋。担ぎ手が少なくなって、地方のお祭りではどんどん女性も参画できているのに比べ、祇園祭は今も頑なにルール厳守で成り立っています。
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これが話題を集めている「奇想の画家」伊藤若冲の代表作の一つ「旭日鳳凰図」をもとに川島織物セルコンの5人の職人さんが3年がかりで作った「見送」。鉾の後部を飾る綴織。

錦小路高倉の青物問屋の長男に生まれた若冲が、今年生誕300年を迎え、長刀鉾保存会も設立50年目を迎えるのを記念して「平成の見送」として新調されました。若冲が宝暦5(1755)年に書いた作品です。

縦228㎝、横142㎝の大きさで、約800色の糸が用いられているそうです。17日の巡行で公開されますが、当日は見に行けないので、幸いでした。しかも目の前で。
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これは胴掛「孔雀更紗文」。京友禅の人間国宝・上野為二(1901~80年)の孫にあたる京都の染色工芸作家出二代目為二さんが、おじいさまの代表作の振り袖「孔雀更紗文」をもとに作られたそうです。縦約1.7m、横3.6m。色鮮やかで豪華ですね。
DSC05794他にもいろいろ貴重な品が展示されていましたが、鍾馗好きとしては何とも嬉しい軸も。裏書によれば、寛政10(1798)年、町会所が再建されたのを機に、町の平穏と永世の鎮護を願って、長刀鉾町に寄贈されたこの軸は、鷹司入道前殿下が長刀鉾をご覧になるために、寄贈者の家を訪問されたときに賜ったものだそうです。

300年続く京町家に住む知り合いは、「京町家の屋根に昔から鍾馗さんが乗っていたわけではない。あれは新しい文化だ」と言っていて、彼女の家の屋根には今も鍾馗さんはいません。「へぇ、そうなんだ!」と思っていたのですが、京の町中でも、寛政の時代から、鍾馗さんは疫病神を追い払うと信仰されていたのだと、軸を見てわかりました。

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最後に蟷螂山の写真も。毎年ここは手ぬぐいが異なるので楽しみにしています。今年は水墨画家・小林文雄さんの作品。帰ってネットで検索したら、前掲300年続く京町家で1月31日に開催されたマルシェで偶然隣に座っておしゃべりした方でした。後日、小林さんの紹介で映画好きの女性が来館。その女性の紹介で連れ合いの高校時代の恩師が来館。「映画の楽しさを教えてくださった先生だ」と言います。
世の中は、全く不思議な縁で繋がっています‼

 

ホーム・ムービー「祇園祭神幸祭」に映る最古の武者行列

7月15日夜、初めて協力させていただいた「第9回祇園天幕映画祭」で、おもちゃ映画ミュージアム所蔵の貴重な映像も野外上映されました。当日付け京都新聞夕刊に次の記事が大きく掲載されましたので、ご覧になってお運びいただいた方もおられるかもしれません。
 祇園祭記事2016年7月15日夕刊 (2)記事で紹介された映像は、昨年寄贈をいただいたものの中にあったのですが、公開するのは今回が初めてです。何本かの古いフィルムを繋いだ中の一本で、この映像の前には、四条通の沿道を囲む大勢の人々の中を行く獅子舞の映像や南京町の春節祭で見られる龍の舞の様な出し物もあったので、特別なイベントがあって、その時の武者行列かもしれないと勝手に思っていました。
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ところが、映像を専門家の人に見てもらったところ、かつて祇園祭の神幸祭に奉仕されていた武者行列の映像だとのこと。思いがけないことで、びっくりしました。
1930年代前半の祇園祭神幸祭に参列されていた武者行列には、騎馬武者も参加されていたのですね。

私が京都に来たのは1973年ですから、その翌年の74年までは、武者行列奉仕がなされていたわけで、全く記憶がないというのは情けない話。若いころの私は、祇園祭山鉾巡行より、他のことに目が奪われていたのでしょう。

それから、31年後の2004(平成16)年、私は初めて論文書きに取り組み、「隼人の吠声(はいせい)」をテーマにしました。ここでは触れることはしませんが、その流れで、7月16日記事にも出てくる東山区の弓矢町へ行き、清々講社の高橋社長様(掲載写真)にいろいろ教えていただいたことを昨日のことのように懐かしく思い出しています。この時は町内の11か所に立派な鎧兜が展示されていました。
武者2 (2)その経験があるのだから、初めてこの映像を見た時に「ピン!」と来ても良さそうなものなのに、鈍感な私は、テレビや、新聞で報道される「見慣れた祇園祭山鉾巡行」の様子が基準になっていました。
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「祇園天幕映画祭」を見終わった後、長刀鉾を見学に行きました。その会所に展示してあった祇園祭略年表によれば、清々講社が組織されたのは1875(明治8)年のことだそうです。

武者3今年7月16日付け京都新聞によれば、「明治初期に約30点あった武具は損傷が目立ち、公開できる数が減っている」ということで、今年は町内10か所で14点が展示公開されました。約30点あったというのは、清々講社発足当初の数字なのかもしれませんね。

写真の駒札は、2004年に見学した時のものです。

弓矢町訪問に先立ち、2004年7月10日、中京区の池坊学院で開催された講座「人権ゆかりの地を訪ねて」を受講しました。講師の山本尚友・池坊短大非常勤講師が「祇園社と犬神人(いぬじにん)」の演題で講演をされました。

山本さんは「犬神人は、中世の穢れ思想の広がりに伴い、社会の穢れを取り除く役割を与えられ、さらに『宿』と呼ばれる葬送の際などに特別な権利を持つ集団となった」と説明し、さらに祇園祭の神輿巡行で犬神人が先頭を歩く光景を描いた上杉本「洛中洛外図屏風」を紹介しながら、「背景には、鎌倉時代中期から犬神人が祇園社(八坂神社)の警察力を担い、祭礼時は穢れたもの(動物の死体など)を除く重要な役目を務めた」と説明されました。

jpg上杉本犬神人これはネットで見つけた上杉本「洛中洛外図屏風」画像の一部です。今年4月20日に国宝のこの屏風は記念切手になって発売されました。鴨川に架る太鼓橋から西に向かって犬神人を先頭に行列が通る絵が描かれています。

今回の上映に際して「祇園天幕映画祭」スタッフが用意した説明文を参考にすれば、屏風に描かれた八角形の屋根の御神輿は「八柱御子神」の御神霊が乗った「西御座」。現在「西御座」は、「錦神輿会」が担いでおられますが、1947(昭和22)年までは「壬生村」の農家の「壬生組」が担いでいたそうです。

「壬生」に位置するおもちゃ映画ミュージアムとしては、興味深い事柄です。時間さえあれば、文献にあたって調べてみたいものです。その後方に見える四角形の屋根は、現在でいえば「四若神輿会」が担ぐ「東御座」で「櫛稲田姫命」の御神霊を乗せておられます。御神輿には 、もう1基「素戔嗚命」の御神霊を乗せた六角形の屋根の「中御座」があり、「三若神輿会」が担ぎます。

今回上映された映像には、これら異なった屋根の形をした3基の御神輿が全て映っています。 サイレントの映像なので、武者行列の先頭を行く方が「オー」などの祓い清めの声を発しておられたのか、とても気になります。武者行列参加を取りやめられてからもう40年以上経ちました。当時を覚えておられる方がおられたら、聞いてみたいものです。

毎年 祇園祭りに合わせて、京都文化博物館で特別上映されている『祗園祭』(1968年、日本映画復興協会。山内鉄也監督、中村錦之助、岩下志麻ほか出演)は、連れ合いらが復元した作品です。この作品で、「つるめそ」と呼ばれた人々が御神輿の先を行き祓い清めます。映画では、渥美清さんがその一人を演じていました。映画を観ながら、真っ暗な文化博物館の上映会場で、必死にメモを取っていたことを懐かしく思い出しています。

「祇園天幕映画祭」の方から「祇園祭を取り仕切る宮本組の方々から、今回の映像を組員全体で観たいと要望がある」と連絡がありました。嬉しいことです。ホーム・ムービーとして私蔵されず、寄贈してくださったことから、地域の歴史のアーカイブとして活かされる事例となります。

まだまだ、このようなお宝映像は、どこかに眠っているかもしれません。フィルムが劣化してダメになる前に、どうぞ探し出してください。フィルムになり代わってお願いします。

鉾建て

京都は今、祇園祭一色。コンチキチンの音色を聞くと、ソワソワしてきます。10日朝に来館された方から「今日から鉾建てが始まる」と聞いて、早速チャリで四条通りの長刀鉾へ。
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釘を一切使わず、縄だけで木材を固定する「縄がらみ」という伝統技法で着々と組み立てられています。東西かなりな範囲に部材が用意されていて、良く見ると、誤りがないように部材に墨が入れられています。

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朝日新聞6月22日の記事によれば、これらの縄は、20年前から福知山市三和町友渕の田尻製縄所で作られているのだとか。120mを巻いた束500個が鉾建てに間に合うように用意されました。

















毎年繰り返される真夏の光景。こうして、伝統技法も継承されているのですね。
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集会所には、たくさんの縄が用意されていました。今年は、江戸時代の絵師・伊藤若冲が生誕300年を迎えたこともあり、長刀鉾保存会では、若冲の「旭日鳳凰図」を織物で再現した「見送」を新調。17日の前祭で披露されます。



せっかくなら、新調された「見送」をデザインした手ぬぐいが販売されないかと検索したのですが、良くわかりません。代わりに今頃知ったのですが、各山鉾の朱印があったのですね。今年は、それも楽しみに鉾町を歩いてみまようと思います。



冒頭に鉾建てのことを教えてくださった男性は、お会いするたびに奥様が祇園祭の手ぬぐいで作られた小袋を下げておられて、羨ましく思っていました。いろんな種類をお持ちで、それを見ているだけで楽しいです。
祇園天幕映画祭祇園天幕映画祭裏











根っから不器用な私は、今年、比較的簡単な「あずま袋」手作りに挑戦!その袋を手に、15日夜に開催される祇園天幕映画祭に出かけるのを楽しみにしています。


今年初めて、おもちゃ映画ミュージアムも協力させていただき、昔の祗園祭の貴重な映像や、戦前のアニメーションを集めた「妖怪と幽霊」を上映します。



野外上映は、私の夢でもありました。昨年は台北映画祭に招かれて3500人ほどの観客にご覧いただくことができました。その喜びをぜひ、京都でも味わいたいと思っていましたので、実現する運びになったことをとても喜んでいます。


15日から周辺は歩行者天国になります。皆様もぜひいらしてください。大勢の人に見ていただきたいと願っています。




詳しくは掲げているフライヤーをご覧くださいませ。どうぞ、よろしくお願いいたします‼

人生のお師匠さんから、夏だより

今日町家に届いた郵便物。定型だけど、少し分厚い。何が入っているのだろう?封筒の文字は懐かしい人生のお師匠さんのもの。性格そのままにまじめで端正な筆運び。ワクワクしながら封を切る。
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 「また下手な絵をお送りします。小さいですが、少しは風があたると思います。」 

小ぶりの団扇に、水彩で描かれたツユクサとナデシコ。可憐だ。

手に取って、早速煽いで見る。ほっぺたに心地よい風。ツーっと伝う一筋の涙。感情の起伏が激しい分、優しい思いに触れるとめっぽう弱い。「こんな私でも、気にかけていてくださる人がいる」、その思いが、たまらなくなって、込み上げてくるのだ。

昨年1月に引退するまで、主宰していた会で毎月「古文書勉強会」をしていたが、終わった後いつも二人でお好み焼きを食べながら、おしゃべりするのが楽しみだった。女学校時代に体験した戦争中のこと、4H運動の話など貴重な経験を話してくださった。信念を持って、まっすぐ前を向いて歩まれる姿勢から、学ぶことは数え切れないほどある。そのひとつ、ひとつが私の宝物。

彼女は、今年5月21日に満85歳になられた。お祝いを述べたメールに「長年続けた京都ライトハウスでのボランティアを終える準備をしている」と書かれてあった。京都府内の城陽市から、週に何日も京都市内までボランティアに通われるのは、体力的にもしんどいことだろうと心配していたが、今日の手紙に「25年続けてきたライトハウスでのボランティアを辞めました」とあり、いよいよその時が来たと思った。

目の見えない人の役に立ちたいと、交通費も自費、全くのボランティアで続けてこられたことに頭が下がる。手紙は「体力・気力・実力・経済力など考えると、85歳は辞め時だと思い、自分で定年を決めました。これからは、ゆっくりと好きなように生きたいと思います」と結ばれている。

その一つが、水彩画なのだろう。時々老人施設でこれもボランティアで補助指導をしておられる。これから短歌に、絵画にとのんびり取り組まれることを私も楽しみにしている。母が亡くなり、私にとっては母代わりのように慕ってもいる。健康に気をつけて健やかに過ごしてもらいたいというのが一番の願い。

 

本野精吾自邸見学

6月18日、知り合いに教えてもらって、京都市北区等持院北町の建築家・本野精吾自邸へ行ってきました。
DSC05354 (2) ネットで検索しますと、1882(明治15)年に、本野盛亨(もとのもりみち)の五男として東京に生まれました。このお父さんは、佐賀藩久保田村出身で、1874(明治7)年、子安峻、柴田昌吉と3人で読売新聞社を創業し、子安の後を継いで2代目社長になっています。

正力松太郎の名前の印象が余りに強くて、3人の創業者については、今回初めて知りました。

兄弟皆優秀で各方面で活躍、五男の精吾も東京帝国大学建築科で学びます。同大学の先輩で、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科教授になっていた武田五一に誘われて、同校の教授に就任。2年間欧州留学をしているときに、近代運動やアヴャンギャルドな作品に影響を受けます。

彼の作品は、それまでの様式建築から脱却し、機能主義や合理主義を模索しながら、日本におけるモダニズム建築の先駆けとなる作品を作ります。その一つが、1924 (大正13)年に建てられたこの自邸です。この日は、催しがあり、特別に公開。
DSC05356 (5)表札の「本野」はモザイクタイル。現在はお孫さんの本野陽さんがお住い。


むき出しのコンクリートは、「中村鎮式コンクリートブロック造」というようです。本野は、前年に起きた関東大震災で、この中野鎮のコンクリート造建築が倒壊しなかったことを評価し、以降中村と本野の協働が開始されたそうです。
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これもネットで検索したのですが、中村鎮式コンクリートブロックというのは、L字型を組み合わせることによって空間を作り、その空間に鉄筋を入れて、コンクリートを流し込む方式なんだとか。




この建物は、2003(平成15)年に、「DOCOMOMO Japan 100」に選定されています。




軒や庇もコンクリートで造られ、大きく伸びているのは、日本の気候風土に配慮しているため。




シンプルな玄関に、赤いレンガがアクセント。ネットで検索すると金森式鉄筋煉瓦といい、煉瓦の中に鉄筋を通す穴が開いているそうです。この日は、玄関は閉まったまま。
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イベントは、写真に見えている1階の 部屋で行われました。予約不要なので、通りがかりに建物に魅了されて見学に訪れる人が何人もおられました。
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近代モダニズム建築は、やはり心をギュッとつかむ魅力にあふれています。今は、こうした貴重な建物が、耐震問題や経済的理由で次々姿を消しつつあることを残念に思います。けれども、本野邸は今も住宅として継承されているのが素晴らしいです。こうなると、地域の宝ですよね。
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ここから、中に入ります。



























写真はトイレと浴室などが並んだ一角。
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浴室の鏡もモザイクタイルで素敵。

 




















イベントが繰り広げられた居間には、ピアノがおいてあり、素敵な暖炉もありました。この暖炉の煉瓦も金森式鉄筋煉瓦。

 
本野は多趣味で、バイオリン演奏、エスペラント語、社交ダンス、南画などにも取り組み、すべて極めたそうです。この暖炉がある洋室で、ピアノやバイオリンの演奏に合わせて、社交ダンスに興じていたのかもしれませんね。 


図案科教授であった本野は、建築だけでなく、インテリア、家具、服飾デザインなどあらゆるデザインにわたる教育や活動に携わっていたそうです。

室内の色使い、暖炉のデザインなどにそうした美意識が感じられますね。
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陽さんのご厚意で2階も見せていただきました。

シンプルな階段の天井に、トップライトがあり、採光にも工夫が見てとれました。
二階には本野のご子息で染織作家として活躍された東一さんの 素敵なタペストリーがいくつも飾られていました。

 動線を短くするために室内は機能的でコンパクト。そこここに様々な工夫がしてありました。でも、この建物には、畳が一枚も敷かれていません。たまには、畳の上でごろんと昼寝なんて、ご家族は一度も思われなかったのかしら?俗人の私は、そんなことをふと思ってしまいました。

季節の花々が咲き、緑の木々に包まれた素敵な建物を拝見できて良かったです。本野さま、ありがとうございました。

アケビ

蒸し暑い毎日。「今からこんなでは、この先が思いやられる」と一人ブツブツ言いながら窓を開けると、可愛らしいアケビが6個、目に飛び込んできました。いつも帰りが遅いので、じっくり見ることがなかったので、ちっとも気付かないでいました。

DSC05514 昨年は、種を撒いてから8年後に、待望の1個が実り、感激しましたが、何と今年は、その6倍‼

 嬉しさもことのほか。これからの日々が楽しみです。 

茅の輪くぐり

日ごろ忙しくて、なかなか更新できずにいますが、どうしたわけか6月25日にはアクセスが1246もあり、翌日も230と、いつも少ないのに慣れている私にとっては、正にびっくりポン!な数字が続きました。キーワードはどうやら「他人の不幸は鴨の味」というもののようです。どこかのコラムにこのことわざが引用されたのでしょうか?原因はわからないままですが、こんなこともありますから、書いておけば思わぬ楽しみも味わえるということで、せめて1か月に1回は更新しようと心に決めました‼

さて、昨日6月30日、ふと思いついて近くの梛神社へチャリで行ってきました。同神社については5月16日付けで書いたばかり。私にとっては2度目の参詣となります。前回、京都における映画の初期に大いに関係があった千本組の名前が刻まれた玉垣を見つけてから、何かに付けて関心を寄せる神社となりました。どこかで梛神社夏越祓のポスターを目にしましたので、私も上半期の汚れを祓い、後半を無事に乗り切りたいと出かけた次第。厳しい修業を積まずとも、茅で編まれた大きな茅の輪を3回くぐれば守ってくださるなんて、何てありがたいことでしょう。
DSC05487信ずるものは救われる。梛神社境内は、朝のうちから善男善女で大賑わい。写真右端に少し映っているのが梛神社本殿。その参道の手前に、大きな茅の輪が用意されています。茅の輪の手前に立ち一礼した後、本殿に向かって、先ず左回りで茅の輪をくぐります。元の位置に戻ったら、今度は右回り。元に戻ったらまた左回りと、茅の輪を3回くぐったら、ご神前に進み二拝二拍手一拝してお詣りをします。
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皆さん何をしておられるのかと近づいてみると、それぞれ茅を使って小さな茅の輪を作っておられます。

1人2本ずつ茅をいただいて作るのですが、不器用な私は勝手がわからないので、近くの人に声をかけました。なるべく茎の細いものを選び、茶色い葉の部分は取り除きます。最初に茎の部分で小さな円を拵え、順にグルグル巻いて形を作ります。

まぁ何となく形になったところで、通りがかりの人が「上手ねぇ、写真を撮らせてください」と言われたのには、またもやびっくりポンでした。人生で、こんな言葉をいただける日が来るとは! 「不器用な作品が人様の記録に残っては一大事」と固辞しました。 

知らぬもの同志が教え合いながら、小さな茅の輪を作る様子も 良いものです。
DSC05479さぁ、帰ろうと思ってチャリのところへ戻った時、「さて、この小さな茅の輪はどこに下げるのか?」と思い、また近くの人に尋ねました。「門口に掲げておけば災厄を免れ、一家は繁栄するといわれています。うちは八坂祇園さんの粽を玄関に下げているので、梛神社の茅の輪は玄関くぐってすぐの内側に掲げています」とのこと。見本に取り出して見せてもらったのには、「蘇民将来子孫也」 の可愛いお札が付いています。危うく、そのお札を戴かずして帰るとことでした。このお札がなければ、単なるリースに過ぎません。その年配女性に教えて貰った通り、社務所へ行き、お札と厄除けの粟餅をいただきました。毎年古い茅の輪をお返しして、新しい茅の輪を拵えて、厄除けと繁栄をお祈りするのです。来年もきっと来ようと思います‼
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「 おもちゃ映画ミュージアム」に戻り、早速玄関入り口に掲げました。
一緒に掲げているのは、昨年12月12日の「無声映画の夕べ」の折に、来館者の人にもお配りした「泥棒除け札」 。近所の12歳になる女の子に書いてもらったお札です。

「おもちゃ映画ミュージアム」とここに来られる皆さんの無事と繁栄を願って掲げました。
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帰りに元上司が引き継いでいる三条会商店街のお餅屋さんで、水無月3種を買い求めました。一緒に赤飯も。小豆は邪を祓う意味合いもありますからね。 和菓子「水無月」については以前、「巳の月」の題で書きました。夜、元上司のお母様が丹精込めて作られた水無月をありがたくいただき、後半の無事を祈りました。右上に5個ある丸いのが、梛神社でいただいてきた粟餅。

スサノオノミコトが中国へ旅され病気にになられた折、一夜の宿を求められました。富者の巨旦将来は宿を断りましたが、貧者の蘇民将来は茅の布団と粟の食事であたたかいもてなしをしました。
スサノオノミコトは、そのおかげで元気になり日本に帰ってくることができました。そのお返しに蘇民将来の子孫には病気にかからないことを祈りました。

以上がその由来。入っていた袋には、①ご飯の炊きあがりに入れて蒸らして食す。②汁ものに入れて食す。③レンジで温めて食す。と書いてありました。
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その三条会商店街に鎮座する 「八坂神社御供社」の由緒については駒札の写真をご覧ください。不勉強で、「おもちゃ映画ミュージアム」を開設して初めて、この神社のことを知りました。昨年張り紙で7月24日夜に、八坂神社の神輿3基がこの神社に勢揃いすることを知りました。昨年は見逃しましたが、今年こそ、7月24日に、祇園祭のご神輿が勢揃いして神饌をお供えされる神事を見学しようと思っています。
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「おもちゃ映画ミュージアム」の業務を終えて三条会商店街を通ったら、千本通から堀川通まで続くアーケードにずらりと提灯が掲げてありました。山鉾の鉾町も、今日から祇園祭の様々な行事に賑やかなことでしょう。

三条会商店街は明日7月2日17~21時まで、この長~いアーケードいっぱいに夜店が並ぶそうです。浴衣を着てそぞろ歩きも楽しいでしょうね。


第43回例会「奈良市西部の古刹と石造物めぐり」

今日5月31日(火)は、「木津川の地名を歩く会」の例会。夕べから天気を気にしていましたが、今のところお日様が顔を見せてくれていますので、やれやれ一安心。本当は私も行きたかったのですが、ミュージアムの遅れがちな作業をこなすために参加を見合わせました。2回連続の欠席。

前回4月4日は、仲間が始めた三重県の青山讃頌舎(あおやまうたのいえ)美術館見学と有名な宇陀市の又兵衛桜見物。自分が言い出した企画でしたのに、アクシデントがあって参加できませんでした。そのアクシデントは今も私を悩ませていますが…。

その朝、急いで近鉄電車に乗ろうと近鉄新田辺駅のエスカレーターにまっしぐら。1段目に足をかけようと気持ちが焦っていた私ですが、その手前で、雨で濡れていた床で滑って転んで仰向けになりました。リュックを背負っていたのでそれがクッションになって、幸い頭を打つことはありませんでしたが、今から思えば、良くエスカレーターに足を巻き込まれずに済んだと思います。咄嗟には何が起きたのかわからなかったのですが、「大丈夫ですか?」と声をかけてくださった男性の声で我に返りました。と、同時に「痛い‼」と後頭部を抑えてうずくまる女性が一人。はずみで巻き添えになり倒れた拍子に金属製ポールで頭を打たれたのだそうです。触ると大きな瘤ができていました。痛いと訴えておられるので、自分の怪我を顧みることなく、すぐに近鉄改札口の人に連絡しましたが「歩いてこられるなら、横になって休んで貰う場所がある」とのこと。うずくまる本人に確認すると「医者に見てもらいたい」と希望されるので、近くの田辺中央病院へ。病院についてから警察にも届け出、現場検証もしてもらいました。

様々な検査を希望されて、結果「様子を見てみましょう」ということで、安堵しましたが、2か月近く経った今も「痛みが続く」と治療費と通勤に利用されるタクシー代まで請求されるので 、困惑しています。病院を出たのは午後2時16分。後日けがをされた女性から言われて、同駅に相談に行きましたが、助役さんは二人とも、「駅構内で起こったことは保障の制度がない」と回答。友人からは、「事故が起こった時点で救急車を呼べば良かった」と言われました。このようなご時世、対人・対物保険は必要かしら。何事も自分が経験しないとわからないもの。教訓としては「急いてはことをし損じる」ですかね。そして、人は色々です。

仲間はとても心配してくれましたし、「 青山讃頌舎は、いつでも連絡してくれれば案内する」と親切に言ってくださいました。楽しみにしていた又兵衛桜に会いに行くのは、また先になりました。

で、今回のコースは次の通り。
近鉄平城駅9:22着ー秋篠寺見学ー西大寺―喜光寺ー菅原天満宮ー尼ケ辻の地蔵石仏ー垂仁天皇陵。

いずれの訪問地もかつて自分で行ったことがあるのですが、石造物に詳しい仲間の石田さんが案内役ですから、西大寺の石工集団の高い技術を学べる良い機会となるでしょう。充実した一日になるよう祈っております。

 

梛神社神幸祭と千本組、そして映画

我がおもちゃ映画ミュージアムは、京都市中京区壬生にあり、築約100年の京町家を改装した建物。15日は6月11、12日に開催するイベントにむけて関係者の方と打ち合わせ。と、賑やかな音楽が聞こえてきました。それも聞き覚えのあるもの。祭り好きとしてはジッとしておれずに、話は連れ合いに任せて急ぎカメラを手に表へ飛び出しました。
DSC05059 (2) 後院(こういん)通をお祭りの行列が進行中。四条大宮から少し西へ進んだところに鎮座する梛神社の神幸祭でした。行列は南に向かっていますが、この後院通の北側、千本三条交差点南側に、かつて材木運送業笹井家の「千本組」(明治34年創業)がありました。その少し手前に、大映二代目社長永田雅一の母校で、現在の朱雀第一小学校があります。

昨年は5月17日(日)のミュージアム内覧会と重なり、音楽は耳にしつつも、それどころではなく緊張の連続でしたので、 今回が初めての祭り見学。先頭は少年勤王隊で彼らが演奏しているのは、10月22日に行われる京都三大祭の一つ「時代祭」で先頭を行く維新勤王隊の鼓笛隊と同じものでした。

鼓笛隊の音楽への興味から少し調べてみると映画繋がりで面白いことに気付きました。明治28(1895)年に平安遷都1100年を記念して平安神宮が創建され、その管理と保存のために市民組織「平安講社」が設立されました。「時代祭」はその記念事業として始まりました。先頭を行く維新勤王隊は、幕末期に丹波桑田郡山国郷(京都市右京区京北)で結成された官軍の農兵隊「山国隊」がモデルで、「山国隊」の隊長、藤野斎は「日本映画の父」と言われる牧野省三の父親にあたります。第1回目から大正9(1920)年まで、時代祭には旧山国隊隊士とその子弟が参加していましたが、大正10(1921)年から、朱雀学区が組織した第八社が維新勤王隊として出仕し、今日に至っています。音楽が一緒なのも道理です。
DSC05063 (2)山国郷は古くから木材の供給地。江戸時代初期に角倉了以によって大井川が開削され、嵐山まで運ぶ水運が確保。更に文久3(1863)年に渡月橋上流から千本三条にかけて西高瀬川が開削されました。この水運を使って様々な物資が二条城へ運ばれただけでなく、丹波地方の木材も運ばれました。やがて明治3(1870)年に当時の京都府によって西高瀬川は伏見の鴨川まで開らかれます。京都の最初の撮影所は二条城近くにあり、西高瀬川の水運によって運ばれた木材は映画のセットを組むのにも利用されました。ここで重宝されたのが通称「千本組」と呼ばれた笹井一家。

獅子が子どもたちの頭を噛むと丈夫に育つと信じられているのは何処も同じ。小さい子は怖がって泣きじゃくっていましたが、この少女たちは興味津々の様子。後ろから馬に乗った天狗さんが続きます。DSC05067 (2)梛神社で貰った栞による伝承によれば、清和天皇の時代、貞観11(869)年に京の都に疫病が流行し、その悪疫を鎮めるために牛頭天王(スサノヲノミコト)を播磨国広峰より勧請して四条坊城へ神輿を入れて奉りました。この地に数万本の梛の木があり、源某という者がこの地に居住し、神霊を朱雀大路に近い梛の林中にお祀りしたそうです。
梛は春日大社のご神木で、春日若宮おんまつりの御旅所の玉垣も全て梛の枝でした。梛は凪に通じ、災難除けにしたと、以前調べて書いたことを思い出しました。
DSC05068 (2)でも、ネットで調べてみると、ナギを水葱(ミズアオイ)とする説もあるそうです。よくわかりません。

後に八坂の郷に遷座の時、当地の住人は花を飾った風流傘を立て、棒を振り、楽を奏して神輿を送りました。これが祇園会(祇園祭)の起源と言われ、古来より祇園会に傘鉾の役人は壬生村より出る定めとなっているそうです。 可愛い花笠を被ったお稚児さんたちは、この伝承を可視化したものでしょうか。晴れ舞台です。

DSC05106記紀に出てくる「隼人」に興味を持っていることから、初めて神社名を見た時から「隼神社」を訪問したいと思っていました。それが少年勤王隊の音色に誘われて、この日実現。由緒については京都市の駒札をご覧ください。屋台は四条通から西の御前通近くまで延々と続きます。
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四条通に面した北側の鳥居をくぐり境内へ。この鳥居は昭和4(1929)年3月に建立されたと刻まれています。そこで目にしたのが、鳥居の東柱傍に建つ背の高い玉垣に刻まれた文字。「千本組」とあります。このブログの最初に書いたように、映画と密接な繋がりがあった組織です。

現宮司さんは、神幸祭で馬に乗って行列中なので、代わりに朱印をいただいた先代宮司さんに「あの玉垣はいつ頃寄進されたものか」と尋ねてみました。「おそらく大正時代ではないか」という返事でした。京都市の駒札によれば、隼神社が現在地に遷ったのは、大正7(1918)年ということからその時に寄進されたものかもしれません。遷された事情まではわかりません。

DSC05108DSC05101柏木隆法『千本組始末記ーアナキストやくざ 笹井末三郎の映画渡世』によれば、千本組は丹波の材木を京都まで筏を組んで運ぶ人夫を束ねて運送業・土木業を営む「かたぎやくざ」で、町内の自警団や消防団の役割も兼ね、祭礼も取り仕切っていたそうです。全盛のころは祇園祭の御輿を三基も任されていたとか。京都三条商店街に八坂御供社があり、近くに三若神與会があるのも関係するのかしら?
末三郎は初代笹井三左衛門の三男。三左衛門の時代から、千本組は日活のロケ警護、大道具用材納入、工事請負などをしていた関係もあって、三左衛門の跡を継いだ長男静一は、不良少年だったという若き日の日活のマキノ雅弘監督(牧野省三の長男)や永田雅一とも親しい関係にあったそうです。

DSC05091 (2)梛神社朱印



草創期の京都の映画界は、この祭りの巡行範囲をも取り込み、何でもありの混沌としたエネルギーで突き進んでいったのかもしれません。



明治34(1910年)に京都で最初の二条城撮影所が作られた場所がミュージアムから近いことも要因の一つとして拠点を構える場所に選んだのですが、祭礼まで千本組と関係があったなんて!その具体的な証拠を神社の玉垣に見つけて、全くびっくりポン!です。カメラをひっさげ神幸祭の行列を追っかけた甲斐がありました。 













写真を省きましたが、隼神社が北側に、隣接して南側に梛神社が鎮座。隼神社の建物内部に石燈楼一対があったのも珍しく感じましたが、前宮司さんによれば、大正期に遷されたときになされた配置だろうとのことのことでした。






ミュージアムを開設してから探訪する機会がすっかりなくなり、御朱印をいただくのは久々。そういえば、昨年通りがけに来館された男性、年内に朱印帳100冊達成見込みとおっしゃっていましたが、どうなったかしら?

お雛様などコレクションから

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おもちゃ映画ミュージアムの今の入り口から見た眺めです。手前にあるのは瀬戸内地方のお雛様。男雛の辛子色の衣装は劣化が酷かったので、人形を包んで貰った風呂敷を利用して、手先が器用な連れ合いが縫ってくれました。とっても大きいのですが、大きすぎて目に留まらないお客様も数多くおられます。ものには程よい大きさがあるようで、新聞記事でも大きすぎたり、小さすぎたりすると、案外見落としがちで。3月22日の朝日新聞に今開催中の特別企画展「懐かしいSPレコードを観て!聴いて‼楽しもう!」の案内記事が出たのに、何度も目を凝らしても気付かずにいた仲間がいます。この例だけでなく、人生を生きるとき、 勝手な思い込みというのもいけませんね。往々にして失敗します。SPレコードを楽しむ - コピー
で、これが、今開催しているイベントのチラシです。デジタル全盛の今日ですが、アナログな世界も良いものです。電気が思うように使えなかった時代、様々な工夫をして音と映像を楽しみました。一枚一枚レコードを磨き、針を替えて蓄音機の前で、耳を傾けた佳き日。愛おしくなります。これらは、ほとんどが仲間3人のコレクション。貧乏だった私も連れ合いも、こうした高価な玩具とは縁がありませんでした。

 ピクチャーレコードの絵をみていると、「世の中には、なんて可愛らしいものがあるのか」と羨ましさにため息がでます。今回のイチオシは、チラシでは左中央に描かれたアメリカ製の仕掛けレコード。ムービーレコードといって、レコードをかけると盤に描かれた絵が中央に置かれた鏡に映って動いて見えるというもの。音楽も絵も明るくて可愛いです。当時、ライセンス契約を結ぶ会社がなかったのでしょうか、日本にはどうやら入ってこなかったようです。

こうしたレトロなものを一人でも多くの方に観て、楽しんで貰おうと考え、ついでに私の雛人形も観てもらいたくて未だ飾っています。旧暦の3月3日は、今年は4月9日なので、この日まで。

実は、20~30代女性向けの雑誌『シュシュアリスブック京都本』に当ミュージアムも掲載していただけると連絡があり、1月30日に取材に来ていただきました「若い女性がターゲットなら、可愛らしい雰囲気作りが肝心」と一人合点して、当日は人形を運び込み、朝から大わらわ。にもかかわらず、発行は3月15日だということでライターさんもカメラマンさんも人形には目もくれず…。
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後日出版された本が届きました。なぜかおもちゃ映写機などを展示しているのに、映画のポスターに目が行ったらしく、ここでも勝手な思い込みはいけないと学習しました。







せっかくなので、他のお雛様もご覧ください。
 
雛人形jpgDSC04541jpg雛人形 - コピー (2)
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