歴史探訪京都から

-旧木津川の地名を歩く会-

元離宮二条城 本丸御殿見学

珍しく京都市の広報を見て、二条城の本丸御殿市民内覧会参加者募集記事が目に留まり、「どうせ…」と思いながら応募したところ、「厳正なる抽選の結果」当選‼ くじ運が良いとは言えない人生を長く生きてきて、漸く幸運に恵まれたかと。

8月12日朝9:30本丸御殿前集合。

とあるのをしっかり認知せず、どうせ東門のところで行列しているのだろう、と勝手に判断して用事をこなしてから自転車に乗って、いざ二条城へ。お城の中に入ったのは2016年10月13日第3回京都国際映画祭のオープニングセレモニーのときと、その後の2021年3月21日二条城撮影所開設111年記念イベントとして日本最古の『忠臣蔵』を活弁・生演奏付きで上映された時以来です。2016年の時は、生まれて初めてレッドカーペットを歩く経験もさせて貰いました。この映画祭が今年になって突然、「実は昨年10月の第10回映画祭で終わりました」というアナウンスがあって、「いやぁ、大変。おもちゃ映画ミュージアムの家賃支払いの補填にしていたのが、できなくなる💦」と焦り始め、地価上昇が半端ない京都にあって、家主からも家賃大幅値上げが提示され、来年3月契約満了を持って退去の選択をしました。

いずれこういう日が来るとは思っていましたが、実際映画祭がなくなると、大勢の人に発掘した無声映画や貴重な記録映像などを見て貰う機会が少なくなるのでダメージが大きく、意気消沈していました。でも、改めて二条城に足を踏み入れた途端、レッドカーペットや式典での中島貞夫監督の「よーい、スタート!」の掛け声を思い出して、なかなか経験できない素晴らしい場所での思い出を作って下さったのだと、映画祭実行委員会には、その点では感謝しています。

そういえば、8月8日は中島貞夫監督の誕生日でした。今でも下駄ばきの監督のお声を思い出せます。おもちゃ映画ミュージアムのことも随分気にかけていてくださいました。心残りは2022年8月に内田吐夢監督の思い出についてお話をして貰う予定が他の予定と重なってできなかったこと。それは今でも残念に思っています。

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二条城に入った途端、映画祭の記憶が蘇ってきましたが、市民内覧会会場が東門前ではなく、本丸御殿前だと気が付いて、焦りに焦って駆けました。

写真は唐門(重要文化財)。二の丸御殿の正門で、切妻造、檜皮葺の四脚門、屋根の前後に唐破風が付いています。
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二の丸御殿(国宝)。東南から北西にかけて、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、白書院の棟が雁行形に立ち並びます。狩野派の障壁画が有名ですが、時間がないので省略。

二の丸庭園を過ぎ、東橋を渡って、めざす本丸御殿へ向かいます。
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美しい芝生の向こうにみえているのが本丸御殿(重要文化財)。1893(明治26)年京都御所の北東部にあった桂宮御殿を移築したもの。
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貴重な宮家の御殿建築の遺構として重要文化財指定。見えている部分は「御常御殿」で、主の居室や寝室を備えた棟。
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本丸庭園は明治天皇行幸の際に、枯山水庭園から大改造されました。東南隅に築山を配し、芝生を敷き詰めて曲線的な遠路を設けています。
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幸いにして集合指定時間の前に本丸御殿の玄関前に到着し、何と先頭に並んで見学の9時半を待ちました。10人ぐらいずつのグループ行動でしょうか。

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2017(平成29)年度から耐震補強工事を実施し、同時に障壁画の修理をしてきて、令和5年度末に完了。今年9月1日から18年振りに一般公開されるということです。残念がら撮影は一切禁止で、ビニール袋に入れた靴と荷物は原則ロッカーにしまわねばならず、裸足も厳禁です。新しい畳が廊下に敷き詰めてあり、それぞれの畳の縁が赤い絹でつくってあり、決して縁を踏んではなりませぬ、と注意事項が続きますが、障壁画や各部屋の照明器具、欄間などに目がいきました。と同時に、唐長さんの仕事でしょうか?真新しい唐紙の壁紙や襖が上品で美しかったです。河合早苗プロデューサーの労作『フィシスの波紋』を見ておいて良かったと思いました。唐長十一代目千田堅吉さん夫妻が取り組む唐紙は江戸時代から続く技法を丁寧に守っておられます。次の時代に良い仕事をされたなぁと思いながら見学しました。
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せっかく来たのだからと、天守閣跡へ行ってみました。
元あった天守閣は1626(寛永3)年、伏見城から移築されたと考えられているそうです。屋根が5重ありますが、内部は地上5階建て、地下1階の大きさで、屋根には瓦型の銅板が葺かれていたようです。後水尾天皇は寛永行幸の折、2回天主閣に登られ、ここが天皇が登った唯一の天守閣と言われているそうです。

1750(寛延3)年に落雷に遭って焼失し、今日まで再建されずにいます。
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天守閣跡から眺めた本丸御殿と本丸庭園。蝉の合唱がゆく夏を惜しむかのように降り注ぎます。人間どもは、この酷暑が嫌なんだけど。
DSC01136香雲亭

















本丸御殿を出て、清流園の香雲亭へ。京都の豪商、角倉家の屋敷跡から建築部材、庭石、樹木を譲り受けて、1965(昭和40)年に作庭されました。通常非公開エリアにある香雲亭では、今なら9月30日まで京料理いそべが提供する「京のゆば粥御前」が1日40食限定で食べられるそうです。4200円+入場料で要予約。
DSC01137北大手門


















北大手門(重要文化財)。かつては道路の向かい側に京都所司代屋敷があったそうです。1603(慶長8)年の築城時からこの場所にあったそうですが、現在の建物がその当時のものか、1626年の寛永行幸時のものかわからないそうです。正門の東大手門より長さが3間(6m)短く、門構えも一回り小さいですが、奥行きや高さは同じ。

時折、お城の周囲を自転車で走ることがあるのですが、内側から見ると急に歴史を感じるから不思議。
本丸御殿の見学はネットで事前予約制のようです。何でもかんでもネットでとなると、アクセスできない人は困りますね。

西応寺所蔵絵図が「椿井文書」を理由に滋賀県湖南市指定文化財解除へ

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「ええっ」、と今朝の京都新聞を二度見しちゃいました。江戸後期、京都府南部の今でいえば木津川市山城町椿井に住んでいた偽文書作成請負椿井政隆が作成した絵図と系図と由緒のセットのことを言います。それぞれには事情があったがゆえに高いお金を用意して椿井氏に依頼し、彼は依頼者に有利になるように作りました。最初に知ったのは『京都府田辺町史』にあった中世作成に見せかけた絵地図でした。今も、これらが偽文書だと知った時の衝撃を忘れられずにいます。

馬部さんの研究でそれが実に広範囲にわたって作られ、それが今も当該地域での神社仏閣の由緒や名家の由緒に使われ続けていることを知り、自分なりに調べて京都府南部の地域史研究をされている城南郷土史研究会の冊子『やましろ』25号(2011年)に「地域史研究と偽文書ー『椿井文書』の取り扱いをめぐって」の題で書いたことを思い出しました。

まだ、「木津川の地名を歩く会」でブログを書いていた頃のものですが、例えばこちらで書いています。ここでも「・・・当たり前のことだが「知っている人は知っている」のだ。問題はそれが事実だと思っている人に対し、そのまま知らんふりを続けることが良いのかーということである。(略)「見て見ぬふり」をし続けることは、逆に真実の歴史に対する裏切りでもある・・・

これまでも、何度か「椿井文書」について書きましたが、拙稿は「椿井文書」を近世に創作された史料として捉え直し、作られた背景、目的、使われ方を明らかにすることによって、史実に基づいた地域史を組み立て直そうと呼びかけたものです。」

この思いは、いまも同じですので、私個人の思いとしては、指定解除はやむを得ないと思いますが、江戸後期から地元のお寺で大切に守り続けられてきたという事もまた地域の歴史ですので、きちんと検証をしたうえで、それを明記してこれからも保存していただきたいと思います。

「椿井文書」は近畿一円に夥しい枚数が作られていますので、この文化財指定解除の動きは、他にも影響が及ぶことが懸念されます。どんな事情があって高いお金を苦労して工面しながら偽文書作成を依頼したのか、それを調べる意味でも必要な資料ですので、「偽文書」だからと処分されることがないよう取り扱いに注意をお願いしたいと、記事を読みながら思いました。

4年振り「いつも通りの祇園祭」前祭見学

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2023年7月17日朝の、近所に位置する三若台若中会会所。一番忙しいお弁当作りを終えて休憩中の皆さん。朝6時頃から詰めかけて、祇園祭で神輿にご奉仕される駕輿丁と呼ばれる人々へのお弁当を拵えておられました。
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ご飯粒を残したまま日光消毒。「戦い
済んで」の気配が漂ってきます。
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これは、昨年7月24日祇園祭後祭の日の朝の様子。
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おにぎりを包む筍の皮がたくさん見えます。殺菌力がありますから、猛暑の祇園祭には持って来いの先人の知恵。全て男性ばかりで、女人禁制。好奇心を抑えきれず、許可を得てぎりぎりまで近づいて見せて貰いました。

目的は、このおしゃもじを見ること。以前新聞記事で独特の「四角いおしゃもじ」の文言を読んでから、ずっと自分の目で「どんなものか見たい」と思っていたのです。男性が使うためか、大きなおしゃもじですね。願いを叶えて下さってありがとうございました‼
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昨年は「1000人分を作る」とお聞きしたのですが、大変な数ですね。来週24日の還幸祭の日も同じように早朝から作られるのでしょう。
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さて、京都三条会商店街をずっと東に向かって歩きながら、新町通との角を右折して進みます。目的地はいつも親切にしてくださっている放下鉾会所(中京区新町通四条上る)で、鉾が帰ってくるのを見る事。

新町通を南へ少し歩いた京町家二階から、浴衣姿の可愛らしい兄妹の姿を見つけてパチリ。金屏風と緋毛氈が合いますね。祭り見学の特等席。
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めざす放下鉾会所で、キビキビ動く女性たちの姿を幾人も見かけました。鉾をそこに住む人々だけで維持するのは、もはや困難で、知り合いに声を掛けるなどして後継者を育成して維持されています。女性は直接鉾に乗ったりはできませんが、様々な手伝いをしてくださる方が十数人おられるそうです。写真の彼女もその一人で、伊賀の女忍者だそうです。皆さん、ボランティア。放下鉾のTシャツを着たスタッフさんがおられて格好良いと欲しく思いましたが、完売だそう。来年は早い目に来て、ゲットしたい。こうした売り上げも、祭り保存に役立ちます。
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会所の前に置いてあったカケヤ。許可を得て持たせていただきましたが、樫の木で見た目以上に重いです。大きな鉾の車輪の下に押し込んで操作する時に使いますが、これは予備で、同じものを鉾に積んで巡行しています。
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放下鉾に乗り降りするための階段が、青い夏空に聳えています。
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9時から始まった山鉾巡行ですが、12時を過ぎて、漸く新町通を南下する長刀鉾が遠くに見えてきました。予定をだいぶ過ぎているようですが、待ちくたびれるぐらい待ちました。これからしんがりの放下鉾が到着するまで2時間半はかかるでしょう。DSC08923






























先頭で帰りゆく長刀鉾が、放下鉾会所前に到着。12時24分とゆっくりした歩みです。猛暑で下からの照り返しも強く、どの役目ひとつとっても大変な忍耐を要します。
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先ほどのカケヤとテコで車輪を調節。
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こちらは函谷鉾。新町通は道幅が狭く、電柱が多く、飛び出している看板もあって、大きな鉾が進むには危険が一杯。電線に引っかけないよう黄色の覆いで保護されていますが、屋根に乗っている屋根方さんの技術が、この通りでは一番大事かと。昨年、大船鉾の屋根方さんにお話を聞いたこともあり、私の山鉾巡行見学一番の注目は屋根方さん。自分が高所恐怖症だから、なお一層格好良く思えます。
函谷鉾08940

















草鞋の紐が切れたまま鉾を引っ張っている人も。足にテープを巻くなど工夫されていましたが、歩きにくいでしょうね。アスファルトの温度は如何ほどでしょう。函谷鉾は四条烏丸西の会所までまだ距離があるので、本当に大変だと思います。
函谷鉾08943






























その函谷鉾が放下鉾会所の前を行きます。青い空に、赤や金色の装飾が映えて本当に美しく、一つ一つが豪華です。町衆の人々が、大切に保存し、どうしても劣化した懸想品などは、復元に向けて並々ならぬ覚悟でもって取り組んでおられます。全くもって頭が下がる伝統行事です。
郭巨山巡行責任者08947






























次に続く郭巨山の巡行責任者の方が、放下鉾の代表者に挨拶し、チマキを贈ります。放下鉾代表者の方は、広げた扇子の上でそれを受け取ります。各山鉾で同じシーンがありました。赤い笠の鶏鉾08953







































トサカの色に合わせて引手の笠も赤い鶏鉾がやってきました。

観光戦略もあって、祇園祭と言えば、この山鉾巡行がメインになっていますけれど、あくまでも祭りの主は八坂神社の三基のお神輿の渡御で、そのお渡りの浄めをするのが山鉾巡行なんです。どの鉾の先端も金属でキラキラ輝いて、鈴も付いています。その輝きと音で洛中を巡行しながら厄神たちを集め、美しい懸想品で山鉾を飾り、笛や鉦、太鼓の音色でもてなします。DSC鶏鉾08955































音頭取りの水色の着物が映えます。
鶏鉾と放下鉾階段08956

















鶏鉾が放下鉾の階段の傍を通ります。屋根方さんも注意して通過。鶏鉾の懸想品に描かれた船の帆が緑色なので、青竹を用いて編んだ帆ではないかと思って夢中だった日々も、今は昔。
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一緒に見ていた人から「声を掛けたら、カマキリさんが動いてくれる」と聞いて、一緒に「動いてぇ~💗」と声を掛けたら、その願いが聞き届けられて、からくりのカマキリさんが動いてくれました。

毎年楽しみな蟷螂山の手ぬぐいデザインですが、今年はtupera tuperaさんだったのですね。時間が無くて授与品頒布期間中に行けなかったのが残念。
月鉾08970

















月鉾の屋根方3人ともが東側屋根に集まって、突き出た看板に鉾が当たらないようにしています。新町通は狭いので気を抜くことが出来ませんね。見ている方も「大丈夫かなぁ」とハラハラして見ています。四条通などの大通りを“動く美術館”といわれるように、堂々と進む姿も良いのですが、新町通を行く鉾を見守るのも、とても良いものです。
船鉾08975






























船鉾は形が好きです。7月5日付け京都新聞に「鉾」の読み方は「ほこ」か「ぼこ」かという記事が載っているのを思い出しましたが、幟に「ふねほこ」と読み仮名がふってありますね。

記事によれば、1992年6月に山鉾連合会と八坂神社が記者会見して「来年度からすべて『ほこ』に統一すると発表したそうです。でも、うっかり写真を撮り損ねましたが、函谷鉾の先頭で掲げる幟には「かんこぼこ」と読み仮名が振ってあるそうです。「気心が知れた囃子方同士の会話では、ほぼほぼ『ぼこ』です」と記者の質問に答えた代表の方もおられました。記事は「連合会が決めたことが、すなわちそれぞれの鉾にとっての常識として定着しているわけではない。『うちの鉾が一番』と信じ、誇り高くも難しい町衆の気質の一端に触れた気がした。」と締めくくっています。遠くに放下鉾08979


















そして、漸く遠くに放下鉾が見えました。長く待ちました。代表の方がその到着を待って道の中央にスタンバイ。見守る皆さんも、同じ思いで、遥かな放下鉾を見守っています。
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14時45分、放下鉾が会所前に無事戻ってきました。猛暑の中、皆様無事に戻られて本当に良かったです。DSC08989


















稚児人形“三光丸”の真下に金色も鮮やかな“下水引”が見えますが、今年の巡行に間に合わせて8年をかけて新調されたもの。俳人で画家の与謝蕪村(1716-83年)の下絵を基にした絵柄が鮮やかに蘇りました。江戸中期の1779(安永8)年に町が蕪村に依頼して制作されたことが蕪村の書状から判明しているそうです。1908(明治41)年に修理が行われていましたが、糸の擦り切れ等が目立ち、今回の復元新調に。晴れた日のお披露目になって良かったですね。挨拶の最後に居合わせた皆さんで三本締めをして、放下鉾の巡行を称えました。良い瞬間に立ち会えました。“三光丸”の舞が披露されたので、その様子を動画で撮影しました。


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余韻に浸る暇もなく、放下鉾は、直ちに鉾の解体に着手。DSC09001































巡行して街中の悪なるものを集めてきたので、それをいち早く片付けて厄神たちを祓います。

19日京都文化博物館で江戸時代後期の放下鉾模型と1876(明治9)年の「紅地壁縮緬三国志模様 祇園祭放下鉾稚児衣裳」などを観てきました。1929(昭和4)年から稚児人形“三光丸”が勤めていますが、それ以前は男児の稚児が乗っていました。その生き稚児が着ていた赤い美しい衣装で、両袖に刺繍で「三国志」の“桃園の誓い”の情景が描かれていました。放下鉾の模型は上京区の旧家が持っておられたもので、毎年祇園祭宵山の屏風祭りで飾られていたそうです。放下鉾の象徴である日と月と星の三光を表した鉾頭も再現された大きくて、立派な模型でした。

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おもちゃ映画ミュージアムでは7月30日まで、「祇園祭 所蔵映像と資料展示」ということで、映画『祇園祭』(1968年)に関する資料や、最古の山鉾巡行の映像などの他、NHKドラマ「京都人の密かな愉しみ」で林遣都さんが着用した放下鉾の浴衣なども展示しています。後祭見学の足を延ばして、ぜひ見に来てください‼

20日大阪管区気象台は近畿地方が梅雨明けしたとみられると発表しました。平年より1日遅く、昨年より3日早いそうです。夏本番ですね。にわか雨など心配しましたが、24日の後祭も天候に恵まれて、無事に催行されることを祈ります。


久しぶりの京都府立植物園

二日前、知り合いがFacebookで植物園の満開の桜と真っ赤なチューリップの写真を載せていたので、いてもたっても居れずに、京都府立植物園に行ってきました。子どもがまだ小さかった頃に訪ねたきりだから、もう35年振りぐらいかも。天気は上々の青空。桜は満開🌸DSC08229








































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3月29日Twitterでは#富山県がトレンド入りしていたので、何事かと思ったら、立山連峰を借景にカラフルなチューリップ畑が美しくて話題になっていたようです。私の実家は富山県砺波市にあって、家の玄関から立山の峰々が見渡せてそれがとても綺麗なのです。そして、米作の傍ら、チューリップの球根を海外に出荷するための栽培もしていました。秋、畝ごとに種類の異なる球根を植え、春、花が咲いたら球根を大きくするために花だけをもぎ取ります。籠いっぱいに花を摘んだら、それを耕す前の田んぼに撒き散らします。その様子がまた美しいのです。撒かれた花はやがて朽ちて、耕した畑の肥料となって循環型農業の一つともなっていました。家族総出の作業でした。

今でも、花で一番好きなのはチューリップ。ゴールデンウィークの砺波地方には、チューリップの花絨毯があちこちで見ることができ、チューリップフェアも開催されます。日頃活動している京町家のミュージアムでも、プランターにチュ―リップを植えて今咲いていますが、知り合いの写真を見ているうちに、子どもの頃を思い出し、もっとたくさんのチューリップを見たくなったのです。

平日の昼間にも関わらず、大勢の人々が花と緑、それに小鳥のさえずりを求めて集まっておられました。
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昨年、長く住んだ思い出が詰まった家が新しい持ち主によって更地にされた時、たくさんあった庭木も皆処分されてしまいました。せめて少しでも思い出を持ち帰りたいと、砺波から移植したフキノトウ、菖蒲、そして山桜を鉢植えにしました。
根付くか心配していたのですが、今年可愛らしいフキノトウが顔を見せてくれ、山桜が可愛らしい八重のピンク色の小さな花をたくさん咲かせてくれました。命が繋がったことが嬉しいです。
この山桜は1997年府立農業資源研究センターが精華町にオープンした時に記念に貰ったもの。もう26年も経っているから、本当なら、この写真の山桜まではいかないとしても、少しは大きな木になっていても良いくらいかも。申し訳ないような気がして、見上げました。
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大きな枝垂桜。今頃知りましたが、京都府の花は「枝垂桜」なのだそうです。
淡いピンクの花びらが風にそよいでいました。
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府立植物園の「桜林」には、美しい桜が満開。大勢の人々がそれを楽しみに来ておられ、樹下でお弁当を広げておられました。コロナ禍でできなかったことを大いに楽しんでおられる様子を羨ましく眺めました。来年はここで花見弁当を持参して楽しみたいです。DSC08248 (2)





























舞妓さんの花簪のような可愛い八重桜。
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こちらは、白っぽい花びらのソメイヨシノでしょうか。日本を代表する花木である桜は、10種類の野生種と数百に及ぶ栽培品種があるそうで、この「桜林」には約200種類500本を栽培されているそうです。
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花の時期を終えた新緑が美しい桜と今が盛りのピンク色の桜、足元には黄色のレンギョウ。それぞれが青空に映えて4色のカラーパレット。
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その新緑が美しい桜木には、すでにサクランボの赤ちゃんが。赤い実がなる風情も楽しみです。
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観覧温室前にもチューリップの畝が広がり、桜とのコントラストが美しい。この日は、たくさんのチューリップを眺めることが出来て、記憶の中にあった故郷の風景と重ね合わせて幸せな時間でした。DSC08258


















温室ではいろんな球根ベゴニアが出迎えてくれました。この温室では、食虫植物、洋ラン、高山植物、サボテン、カカオ、バナナ、コーヒーの木などもあって、約4500種の植物を間近で観察することが出来ます。
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この日の珍しい植物として「トーチジンジャー」が掲げられていました。東南アジア原産で、高さが3~4m程度で細長く、ジャンボなショウガのよう。株元に1~1.5mの松明に似た花を咲かせています。果実は果物として、種子は香辛料に用いられるそうです。どんな味がするのか、いつか果実を食べてみたいものです。DSC08270


















もう一つの珍しい植物は「サイコトリア・ペピギアナ(ホットリップス)」。赤い唇に見えるのは苞で、花はこの中にあって、開花時期になると中央の部分から白や黄色の花が現れるのだそうです。ハチドリや蝶などの花粉媒介者を惹きつけようとこうした形状に進化してきたと言われているそうです。メキシコからアルゼンチン原産。
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「西洋シャクナゲ園」で見事な花を咲かせていた「太陽」という名前のシャクナゲ。2004年10月開園80周年を記念して、ここには80本が植栽されているそうです。
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バラ園で少し座って休憩。町家の運営で忙しくしていて、こうしたのんびりした時間を持てないでいましたが、たまには息抜きに良いなぁと思いました。植物園を出て鴨川沿いを歩いたら、そこにも美しい桜並木が連なって。今年は岡崎公園の疎水、木屋町の高野川沿いと本当にたくさんの桜を見ることができました。これも平和なればこそですね。外では統一地方選が始まって選挙カーが行き交い、かまびすしいです。珍しく愚息が4月9日の選挙に投票すると言ってくれて嬉しがらせてくれてます。投票率が上がれば、結果は今と異なってもう少しマシな世の中になると思います。

菅原道真の命日、北野天満宮で


草原真知子・早稲田大学名誉教授に教えて貰った着物の「面白柄」に惹かれて「私も見つけられないか」と久々に北野天満宮の天神市へ。
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丁度2月25日は菅原道真の命日で、道真の遺徳を偲ぶ「梅花祭」が営まれ、野点を楽しもうと長蛇の列。満開の梅を愛でようと繰り出した人々、恒例の骨董市を楽しもうという私のような人々で境内とその周辺は大変な人出。

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正月に知ったばかりの「花手水」。


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傍の大きな撫で牛。辺りは梅の花が見ごろを迎えて良い香りが漂っていました。

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境内には、50種類もの梅の木が1500本もあるそうです。紅白の梅の小枝を使った「紙立(こうだて)」が並んでいましたが、10時に始まった神事では、蒸した米を盛った「大飯(おおばん)」と「小飯(こばん)」とこの「紙立」がお供えとして神前に並んだそうです。

最大の目的「面白柄」は、着物・端切れを商いする幾人にも尋ねましたが「そういう柄は見たことがない」と仰って。結局この日見つけることが出来ませんでしたが、気にかけておいて欲しいと依頼してきました。改めて草原先生のコレクションの凄さを思いました。今印刷中の小冊子8『着物柄に見る 幻燈・映画・映写機』にそれらの画像を載せていますので、どうぞお楽しみに‼算額













もう一つの目的、明治12(1878)年に奉納された算額は、直ぐに見ることは出来ましたが、文字が消えて読めない状態で、残念。

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天神市で一目ぼれして我が家にお迎えしたのは、1889年パリ万博を写した鶏卵紙の立体写真(透かして見るとカラーに)、明治時代の日本を写した写真に手彩色したガラス種板、ジャンヌダルクの演劇を写したものに手彩色したハガキ、そして一対のひな人形。
顔が可愛らしくて💗早速出窓に飾りました。今にも語り掛けてくれそうな口元が愛らしい。デビューして間もない3月3日にしまっては可哀そうなので、4月3日まで飾ります。会いに来てくださいね。背後に掛けているのは袋帯。この袋帯は趣味人用に織られたものと思われ、年中の節句行事と伝統行事が描かれています。

天神市は割と出かける東寺ガラクタ市とまた異なる面白さでした。思い返せば、私が人形好きになったのは、随分前のことですが、同じ2月25日の天神市で、鶴と亀を手にした一対の御所人形と出会ったことからかもしれません。たくさんの人が古いものの中からお気に入りの品物を選んでおられるのを見ると、モノを大切にする思いに触れられて良いものだなぁと思います。時折粉雪が舞ったかと思うと青空が広がって、ややこしい天気の中でしたが、賑わいの中でこうした光景が見られて何よりでした。






衆縁の募 斧斤の力-幕末・明治東本願寺再建の歴史-

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2月7日付け京都新聞を見て、京都市北区にある大谷大学博物館に行ってきました。18日まで開催中の冬季企画展「衆縁しゅえん)の募(つのり) 斧斤(ふぎん)の力(つとめ)-幕末・明治東本願寺再建(さいこん)の歴史-」を見学。実家がお東さんなので、随分昔のことになりますが、母と一緒に京都に来た折、京都駅前の広大な伽藍を擁する東本願寺へお参りしたことを思い出したのです。その時見た、太くて大きい「毛綱」は未だに忘れられずにいるくらいインパクトがありました。

真宗大谷派本山の東本願寺は、江戸時代の慶長期に徳川家康から寺地を寄進されたのが始まりですが、天明、文政、安政、元治の各年間に4回も火災に遭っていますが、その都度再建を果たして今に至っています。その足跡を伝える企画展です。幕末の元治元(1864)年の「禁門の変」からの明治期の再建は宗祖親鸞聖人650回遠忌の明治44(1911)年まで続いたそうです。

チラシに載っている「御影堂上棟式之図」は明治22(1889)年5月に上棟式を迎えた様子を記録しています。大工棟梁の儀式や桟橋に並ぶ僧侶などが描かれ、参拝者や拝観者は20万人以上に上ったそうです。右下の方に玉砂利のようにびっしり描かれているのがそれらの人々。能楽も奏され、内閣総理大臣だった三条実美から贈られた生花が御影堂内陣前に飾られました。明治13(1880)年10月の釘始から10年近くかけての上棟式です。再建を喜ぶ人々の様子が伝わってきます。

私が一番目を引いたのは、「御影堂地築之図」。天明8(1788)年焼失後の寛政2(1790)年に3月12日に開始された「地築」作業を描いた1巻で、前半にあたるこちらは小ぶりに複写して展示されていて、広げて展示されていた後半は「御影堂石築之図」。「全部広げての展示だったら良かったのに」と正直思いました。と言いますのも、複写した前半部分に「越中今石動同行(えっちゅういまいするぎどうぎょう」と書いた濃紺の幟が描き込まれていたからです。

天明8年の焼失から2年後の寛政2(1790)年3月に地築(地固め)が行われた折、全国各地から門徒が上山して参画しました。色とりどりの幟が立ち並び、再建の始まりを喜ぶ様子が見ているこちら側にも伝わってきます。描いたのは江戸中期から後期の画家、江村春甫だそうです。

たまたま居合わせた人は滋賀県からお越しの人で、ご住職から「この巻物が凄い」と聞いて見に来られたそうですが、私が砺波市内の実家近くに位置する「石動の幟」があることに注目していると「富山県は熱心な信者さんが多いからね」と仰って。

「今石動」をネットで検索すると、例えばこのサイトによれば、加賀藩領だったこの地は、砺波地方の政治・経済の中核地として栄えていたそうです。実家にいる頃は地理や歴史にさほど関心がなかったこともあり、「今石動」の地名があることを今頃になって知り、その歴史にも興味を覚えました。今度帰省する時には訪ねてみようと思います。展示では、ほんとに小さな幟にしか見えませんが、おかげで地元の歴史を知る契機になりました。

と同時に、たくさんの幟一つ一つに、それぞれの地から馳せ参じた信仰心の篤い人々の思いが感じられたので、1巻全部広げて見ることが出来たら、どんなに感動的かと思いました。スペースの問題もあるでしょうから、ないものねだりであることは重々承知しつつ。

先に書いた「毛綱」について新しく入手された資料展示もありました。「毛綱寄附者名簿控」。明治時代の紙本墨書1冊。明治12(1879)年から明治19(1886)年にかけて寄進された毛綱の長さ、重さや本数、門徒関係者の名義などが書き込まれています。その内訳は秋田10本、福島1本、新潟34本、富山21本、福井1本、兵庫2本、香川4本、不明1本の合計74本。

再建の作業に駆けつけられない女性たちが、大切な毛髪を切って、それを麻に混ぜて撚り合わせた綱です。18m以上あり、太さも約10㎝から約18㎝、1本で100㎏優に越す重さのものもあるそうです。江戸時代の再建では大量の材木を幕府が所有林から伐採して調達できましたが、明治期は本山が全国の門徒へ献木を呼びかけたそうで、北信越などの門徒は木の献納で応えました。女性たちは巨木の重みに耐えて安全に作業が滞りなくできるようにとの願いを込めて奉納したのです。最初に書いた京都新聞7面記事によると、このことは海外でも報じられて大きな感動を呼び起こし、各国の要人が東本願寺を訪問。ロシア皇太子は大津の襲撃に遭う前日に再建現場を訪れ、ロシアの詩人が「毛綱の長詩」を雑誌に発表しているのだそうです。

富山県内には東本願寺の信徒が多いことは亡き母から聞き、「毛綱」が多く寄進されていることも知っていましたが、福島県からも1本寄進されていたので、あることを連想しました。天明3(1783)年の飢饉と疫病で相馬中村藩では多くの人が死亡し、失踪者も多く出ました。人手不足で農地が荒廃し、その状態が30年経ても回復しなかったので、藩は北陸を中心とした領外から移民を受け入れる政策を考えます。文化8(1811)年越中砺波郡の浄土真宗普願寺(現在は南砺市)は、門徒約80人と共に住職の兄弟二人を福島の相馬藩に送り、正西寺(相馬市)と正福寺(南相馬市)を移民たちの心の拠り所にしました。年貢の軽減などで優遇されたこともあり、それ以降も続いた北陸各地からの移住民は最終的には1万人前後と考えられていて、彼らの働きにより3万石余りの土地が開発されたと言います。

以上は千秋譲治「砺波農民の相馬中村藩への移民」(『砺波散村地域研究所紀要第26号』、2009年)を参照して書いたブログでも触れています。何年経とうが故郷を思う絆は強く、富山の篤い信仰心は移民した先の福島でも継続して、同じように毛綱を奉じた信仰心の発露ではないかと思ったのです。

2012年8月25日、120年振りに全面修復中の東本願寺阿弥陀堂を見学した様子は、こちらで書いています。おもちゃ映画ミュージアムを開館して以来、時間がなくてこうした場を見学できないのがとても残念です。とはいえ、身近でこうした歴史に触れる機会がある京都暮らしの良さも感じています。

この「衆縁の募 斧斤の力-幕末・明治東本願寺再建の歴史-」展は、いよいよ明日まで。ご都合がよければ京博連(京都市内博物館施設連絡協議会)のスタンプラリーの訪問先の一つとしてお出かけください。ちなみに、当館もその1施設として参加しております。



壬生寺節分会

今朝、いつものように町家へ行こうとしたら、“金つば”が売り物の「幸福堂」の前に長蛇の列。「あっ、そうか。今日は節分か」と。会社勤めを辞めてから、すっかり曜日感覚が衰えてしまい、「今日は何の日か」も覚束なくなっています。一年中、町家運営のことだけに一生懸命で。

とはいえ、つい先日、節分の夜に“宝船”の版画を枕の下に敷いて寝ると吉夢を見られる風習があったと知ったばかりでもあり、宝船コレクターの知人に「壬生寺にも“宝船”はありますか?」と尋ねたところ「壬生寺には新作“宝船”だけ」と返事が届きました。「じゃ、行って見よう」ということで、ひょいと出かけてきました。           
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長い間、左京区の吉田神社の節分祭へ行っていたのですが、“おもちゃ映画ミュージアム”を始めてからは時間もないことから、近場の壬生寺へお参りに行っています。3年も続いているコロナ禍脱を願い、新しい年の多幸を願う人々で賑わっていました。
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炮烙を求めて、そこに願いを書いて奉納します。焙烙を奉納すると福を得るという壬生寺にしか見られない風習で、その炮烙が春の壬生狂言の折に割られる様は迫力満点です。昨年の壬生狂言見学の様子は、こちらで書いています。

訪れた時は、丁度聖護院の山伏による採燈大護摩祈祷が行われていて、護摩を焚いた煙が境内中に。
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今日は15時から“おもちゃ映画ミュージアム”にテレビ局が収録に来られるので、それに間に合うように急いでやってきたのですが、偶然14時から始まったばかりの大護摩祈祷にも間に合ったという幸運。
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たくさんの善男善女が各地から集まりました。どうぞ、皆様其々の良い年越しとなりますように。

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そして、これが主目的の“宝船”。お守りなどの授与所で、係りの人に「“宝船”はありますか?」と尋ねたところ、壁に飾ってあるこの絵を指し示してくださいました。大きなしっかりした紙。先月武信稲荷神社で初めて見た“宝船”には絵を描いた人の名前が書いてあったこともあり、「誰が描いた絵ですか?」と尋ねましたら、近くで手描き絵馬を売っておられた
京都の絵描きユニット「だるま商店」さんだということでした。係りの人は「自分も初めて見た。“宝船”は今年から始まった」と教えて下さいました。ちょっと意外なことで、「知り合いが“宝船”の面白さを発信している効果が表れたのかも」と思った次第。

明日3日の夜は、武信稲荷神社と壬生寺の“宝船”の絵を枕の下に敷いて寝るつもり。「欲深い」と却って良い夢が見られないかもしれませんが、今は町家存続がかかっている事態でもありますので、神様、仏様、どうぞお目こぼしを。

“宝船”の版画を枕の下に敷いて寝ることが、昔のように風習として広がっていけば面白いなぁと思います。節分に巻きずしを恵方を向いて食べる「恵方巻」の風習は、大阪から始まった比較的新しい文化ですが、それが今やすっかり定着してきました。それと同じように、なれば良いなぁと。ちなみに今年の恵方は南南東だそうです。

なお、今日取材を受けたKBS京都テレビの番組「岡崎体育の京の観察日記」は、3月25日22:30~23:00に放送されるそうです。フィルムに油性ペンで連続した絵を描いて貰い、手回しの映写機で映写する体験をして貰いました。岡崎さん、即興で描かれたのですが、それが大変に上手で‼ どのような仕上がりだったのか、視聴可能な方はぜひご覧くださいね💗

【2月3日追記】
“宝船”コレクターの友人から連絡があり、「壬生寺の“宝船”授与は2021年に復活したのだそうです。授与所の人だけじゃなく、壬生寺“宝船”への関心はこれからですね。「良い夢を見たい」とみんなが“宝船”の版画を求め、2月3日夜に枕の下に敷いて寝る様子を想像するだけでも楽しい。「平和な時代なればこそ」ですね。この平和がいつまでも続きますように。

灯台下暗し、近くの神社にお宝が

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おもちゃ映画ミュージアム午前中のお客様は、アメリカのバージニア州にあるランドルフ・メーコン大学客員日本語講師カイル・マグラクラン先生。写真は、上映後に切り売りされていた35ミリフィルムの「おもちゃ映画」を家庭用映写機で観る体験をされているところ。

ランドルフ・メーコン大学音楽学部のジム・ドーリング教授たちが2017年1月17日に初めて来館いただいてから、幸いにも同校と交流が継続しています。おもちゃ映画ミュージアムのYouTubeには、最初に来館された折に「チャップリン短編集」として編集した作品にジム先生が即興で伴奏して下さった愉快な動画を公開していますので、ぜひご覧ください。

もう一つ、おもちゃ映画ミュージアムで発見された小津安二郎監督最初期の無声喜劇映画『突貫小僧』にジム先生がピアノ伴奏、落語が好きなカイル先生が、初めて英語で活弁を付けて授業で上映された折の映像も公開しています。ぜひアンダーバー部分をクリックして、ご覧ください。

カイル先生は若い頃宮城県に住んでおられたことがあるので、日本の文化をよく理解されていて、今日もその一つを教わりました。「算額」です。昔テレビ番組で「算額」を取り上げていたのを覚えてはいましたが、ネットで検索しているとすぐ近くの武信稲荷神社にも奉納されていることが分かってビックリ。カイル先生ご自身もご存じじゃなかったので、早速行ってきました‼
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昨日は、引率した学生さんたちと岐阜県大垣市にある明星輪寺へ参られ、県重要文化財の「算額」をご覧になったようです。写真を見せて貰いましたが横長の大きなものでした。その大きさは横224㎝、縦58㎝。元治2(1865)年のものそうで、額を前に居並ぶランドルフ・メーコン大学の学生さんたちの満足そうな表情がしっかり記録されていました。

そして、カイル先生が手にしているのが、今日行ってきたばかりの武信稲荷神社の「算額」。
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嘉永6(1853)年4月と書いてありますので明星輪寺よりも古い算額ですね。実物はかつて絵馬堂に掛けてあったそうですが、傷みがひどくなったので今は蔵で保存されているため、実見はならず。でも、その複写したものを分けて下さいました。これはA3判ですが、実際の扁額がどれぐらいの大きさなのかは、巫女さんも実際に見ていないのでわからないそう。

ネット検索するところによれば、江戸時代に算額が流行し、数学の問題やその回答を「額」や「絵馬」にして神社やお寺に奉納したのが始まり。算額は、和算において数学の問題が解けたことを神仏に感謝し、ますます勉学に励むことを祈念して奉納されました。やがて、人々が集まる神社仏閣を数学の問題の発表の場として、難問や問題だけを書いて解答を付けずに奉納するものも現れ、それを見て解答や想定される問題を再度算額にして奉納することも行われたのだそうです。算数はチンプンカンプンの私ですが、海外の人が「算額」に興味を持たれていることの方が、私には興味深いです。京都には北野天満宮や、八坂神社、御香宮、長岡天満宮などにもあるそうですが、よく見学者を案内する武信稲荷神社にその一つがあるなんて、まさに「灯台下暗し」でした‼
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さらに驚いたのが「宝船図」。7日に友人のコレクション展を見に行って知ったばかりの「宝船図」が、社務所に掲げてあったのには、びっくりぽん!でした。何度も来ているのに目に留まらなかったのです。「知る」って、こういうことなんですね。

早速300円で分けて貰いました。これを節分の夜に枕の下に敷いて寝ます。縁起の良い夢が見られますようにと、願いを込めて。
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神社に掲示されていたのには、神社名の上に武信稲荷神社の御神紋(稲荷宝珠、稲魂、稲霊)が押印してありましたが、頒布された図になかったのが残念。

神社の説明文には「幸福を求める心はいつの世にも変わらない人々の願いであり宝船の版画は古くから正月や節分に、幸福を願って人に贈ったり、贈られたりしたものです。昔から宮中では宝船の絵を宮家や公卿に賜るのが例であり、武家では将軍家にこれを献じ、民間では「おたからおたから」とよびながら宝船の版画を売り歩くお宝売りが明治に中ごろまでみられ、宝船船の収集は最近でも広く行われています。この宝船は皆様方の幸福を願い平和な社会の繁栄を祈って、版画の大家徳力富吉郎先生にとくにお願いして新たに彫刻していただき御神前で厚く御祈願をしたものです」と書いてありました。

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もうひとつ一寸法師縁だと最近では謳っておられますので、この際「信じるものは救われる」の心境で。ミュージアムの町家使用契約10年満了が刻々近づいている今、「背に腹は代えられない」と神頼み。良い夢を見て、それが正夢になりますように‼
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新婚のカイルさんもいつまでも仲良く暮らせますようにと手を合わせて祈っておられました。この神社、坂本龍馬、おりょうさん縁の神社として縁結びにご利益があると参拝客が訪れます。

カイルさんが訪れて「算額」のことを話して下さったおかげで、「灯台下暗し」その2、「宝船図」にも辿り着けました。メールを介して会話するのも良いですが、こうして直接お目にかかれると親しみが一層感じられて良いものですね。カールさん、お会い出来てとても嬉しかったです💖





北野天満宮の花手水

昨夜、他のひとのFacebookで「花手水(はなちょうず)」のことを知りました。「ちっとも知らなかった」というわけで、雨が上がるのを待って、夕方自転車でひとっ走りして、北野天満宮へ行ってきました。
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今年の干支の兎の絵を描いた大きな絵馬が楼門に掲げられています。白兎と紅梅を描いたのは、日本画家の三輪純子さんで、高さ2.2メートル余り、重さは何と約20キロもあるそうです。25日まで掲げられているそうなので、ジャンボ絵馬を見ることが出来て良かったです。
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これが「花手水」。そんなに昔からやっていたわけではないようですが、ネットで調べると「花手水」発祥の地は、京都府長岡京市にある柳谷観音 楊谷寺で、2017年にアジサイの花を浮かべたのが始まりでした。目の病に霊験あらたかだと信仰を集めている柳谷観音 楊谷寺境内には6か所それぞれ異なる花手水があるそうで、綺麗でしょうね。一度訪れたことがありますが、その頃はやっていなかったので、いつか機会があれば出かけて見たいです。

美しい花は見ているだけで、心が癒されますから、良いものですね。京都市内には他にも、勝林寺、二尊院、祇王寺、上賀茂神社、金戒光明寺などにも花手水があるそうです。
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他所の花手水は見たことがないのでわかりませんが、北野天満宮の手水舎は2mもあって大きいので、お正月らしいいろんな花々が浮かべてあります。何より新年を祝う餅花が沢山あって、綺麗で可愛らしいし、実に賑やかです。季節に応じて花の入れ替えが行われるそうなので、今後は散歩がてら折々に訪ねてみようと思います。

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北野天満宮と言えば梅。そして、梅と言えば、「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」がすぐに口にでます。その梅の花もちらほら咲いていました。「寒い冬もあと少しの辛抱だなぁ」と花に励まされる思いです。来週頭には、久しぶりに京田辺市までいくので、帰りに私が市の記念植樹祭で植えた「紅梅」を見てこようかしら。無事に育っていますように。
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紅梅もつぼみが膨らんでいます。梅苑「花の庭」開苑は今月28日だそうです。どの木々も本番に備えて順調に。長い冬を辛抱強く我慢して、ようやく訪れる春はもうすぐそこです。

奈良時代に白梅が渡来し、遅れて紅梅が渡来します。その違いですが、花の色で白梅か紅梅かが区別されるわけではないと、これも今頃知りました。NHK趣味の園芸のサイトによれば「枝の内部が赤っぽいのが紅梅で、白っぽい色をしているのが白梅なのだそうです。で、場合によっては白い花をつける紅梅、赤い蕾を付けた白梅もあるようです。ちょっと意外な豆知識。

北野天満宮は学問の神様菅原道真をお祀りしているので、受験生の守り神様。今日14日、大学入学共通テストが全国一斉に始まりました。どの受験生も持てる力を精一杯発揮して、春を掴んで欲しいです。頑張れ‼

京都東山の恵美須神社「宵ゑびす祭」

京都市東山区にある恵美須神社で、8日の招福祭から始まった今年の“ゑびす祭”。今日は12日なので「のこり福祭・撤福祭」が営まれています。

8日招福祭の日に、知り合いのコレクション展を見に中京区内のお食事度処に入ったところ、小さな一休さんのような人型が沢山下がっている「人気大寄せ」を見たことから、「うちにも欲しい」との思いが募り、居ても立っても居られずに、翌9日早い目に夕じまいをして恵比寿神社へ詣でました。

記憶では1981年の1月にお参りして以来42年振り。久々にそぞろ歩いた大和大路通りには露店がズラリと並び、いい匂いが漂って胃袋を刺激し、大勢の参拝客らでにぎわっていました。
IMG_2339「成人の日」の祝日と重なったこともあり、例年より多くの参拝客だったようです。IMG_2343




















5日TVのワイドショーで、豊洲市場でのマグロ初競りの話題を報じてましたが、京都水産協会会長名で拝殿に奉納されているマグロの大きいこと!実際に目の前でみてびっくり。“招福マグロ”はこの日午前中に奉納されたようです。見ているだけで縁起が良いですね。漁業だけでなく、万の商売が繁盛しますようにと手を合わせて祈りました。
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見よう見まねで人の列に連なって「吉兆笹」を買い求めました。既にいくつか飾りがついています。
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宝船や小判などいろんな招福の飾りが並んでいましたが、浄めの鈴が欲しいと買い求めて付けて貰ってから、目的の「人気大寄せ」の小ぶりのものを選んで「吉兆笹」がようやく賑やかに。8日京都市内のお食事処で見た「人気大寄せ」は大きかったので、値段も相当。分相応の大きさでも、満足。白黒の人型と金色の人型の二種類ありましたが、お店の人に聞くと「昔からの人は、白黒を買って帰ります。金色のは後からできたもの」という違いだけだそうで、少しでも金運にあやかりたいと欲張って、金色の「人気大寄せ」を選びました。

ゑびす様は、七福神唯一の日本土着の神様。神話で語られるイザナミ(女神)とイザナギ(男神)の間に生まれた子どもとされ、大漁追福、商売繁盛、五穀豊穣をもたらす神様として信仰されています。そして、「吉兆笹」はゑびす様が手にしている釣り竿に見立てています。その笹の大元である竹は真冬でも青々とした葉を付けていて、真っ直ぐに伸びている姿もあって生命力を感じさせ、どんな厳しい風雪にも耐える植物。どんな困難な状況にあってもへこたれない忍耐強さが、商売繁盛の縁起物として尊ばれている所以。なかなか小さな私設博物館を運営するのは困難なので、すこしでもゑびすさまにあやかりたい思いで、手を合わせてきました。
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ということで、半世紀近く振りの京都の「ゑびす祭」を終えて、早速おもちゃ映画ミュージアム内に飾りました。
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早速ご利益があって、昨日は開催中の「チャップリンと喜劇の黄金時代」について京都新聞の取材をうけました。記事を読まれて、少しでも多くの方に見に来てもらいたいです。
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2月11日のチャップリンコレクター河田隆史さんの解説とピアノ生演奏付きで上映するイベントは、今のうちでしたらお席が予約できます。ご来館の時に、ぜひこの「吉兆笹」もご覧くださいね。皆様にも福が授かりますように。
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