珍しく京都市の広報を見て、二条城の本丸御殿市民内覧会参加者募集記事が目に留まり、「どうせ…」と思いながら応募したところ、「厳正なる抽選の結果」当選‼ くじ運が良いとは言えない人生を長く生きてきて、漸く幸運に恵まれたかと。
8月12日朝9:30本丸御殿前集合。
とあるのをしっかり認知せず、どうせ東門のところで行列しているのだろう、と勝手に判断して用事をこなしてから自転車に乗って、いざ二条城へ。お城の中に入ったのは2016年10月13日第3回京都国際映画祭のオープニングセレモニーのときと、その後の2021年3月21日二条城撮影所開設111年記念イベントとして日本最古の『忠臣蔵』を活弁・生演奏付きで上映された時以来です。2016年の時は、生まれて初めてレッドカーペットを歩く経験もさせて貰いました。この映画祭が今年になって突然、「実は昨年10月の第10回映画祭で終わりました」というアナウンスがあって、「いやぁ、大変。おもちゃ映画ミュージアムの家賃支払いの補填にしていたのが、できなくなる💦」と焦り始め、地価上昇が半端ない京都にあって、家主からも家賃大幅値上げが提示され、来年3月契約満了を持って退去の選択をしました。
いずれこういう日が来るとは思っていましたが、実際映画祭がなくなると、大勢の人に発掘した無声映画や貴重な記録映像などを見て貰う機会が少なくなるのでダメージが大きく、意気消沈していました。でも、改めて二条城に足を踏み入れた途端、レッドカーペットや式典での中島貞夫監督の「よーい、スタート!」の掛け声を思い出して、なかなか経験できない素晴らしい場所での思い出を作って下さったのだと、映画祭実行委員会には、その点では感謝しています。
そういえば、8月8日は中島貞夫監督の誕生日でした。今でも下駄ばきの監督のお声を思い出せます。おもちゃ映画ミュージアムのことも随分気にかけていてくださいました。心残りは2022年8月に内田吐夢監督の思い出についてお話をして貰う予定が他の予定と重なってできなかったこと。それは今でも残念に思っています。

二条城に入った途端、映画祭の記憶が蘇ってきましたが、市民内覧会会場が東門前ではなく、本丸御殿前だと気が付いて、焦りに焦って駆けました。
写真は唐門(重要文化財)。二の丸御殿の正門で、切妻造、檜皮葺の四脚門、屋根の前後に唐破風が付いています。

二の丸御殿(国宝)。東南から北西にかけて、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、白書院の棟が雁行形に立ち並びます。狩野派の障壁画が有名ですが、時間がないので省略。
二の丸庭園を過ぎ、東橋を渡って、めざす本丸御殿へ向かいます。

美しい芝生の向こうにみえているのが本丸御殿(重要文化財)。1893(明治26)年京都御所の北東部にあった桂宮御殿を移築したもの。

貴重な宮家の御殿建築の遺構として重要文化財指定。見えている部分は「御常御殿」で、主の居室や寝室を備えた棟。

本丸庭園は明治天皇行幸の際に、枯山水庭園から大改造されました。東南隅に築山を配し、芝生を敷き詰めて曲線的な遠路を設けています。

幸いにして集合指定時間の前に本丸御殿の玄関前に到着し、何と先頭に並んで見学の9時半を待ちました。10人ぐらいずつのグループ行動でしょうか。

2017(平成29)年度から耐震補強工事を実施し、同時に障壁画の修理をしてきて、令和5年度末に完了。今年9月1日から18年振りに一般公開されるということです。残念がら撮影は一切禁止で、ビニール袋に入れた靴と荷物は原則ロッカーにしまわねばならず、裸足も厳禁です。新しい畳が廊下に敷き詰めてあり、それぞれの畳の縁が赤い絹でつくってあり、決して縁を踏んではなりませぬ、と注意事項が続きますが、障壁画や各部屋の照明器具、欄間などに目がいきました。と同時に、唐長さんの仕事でしょうか?真新しい唐紙の壁紙や襖が上品で美しかったです。河合早苗プロデューサーの労作『フィシスの波紋』を見ておいて良かったと思いました。唐長十一代目千田堅吉さん夫妻が取り組む唐紙は江戸時代から続く技法を丁寧に守っておられます。次の時代に良い仕事をされたなぁと思いながら見学しました。

せっかく来たのだからと、天守閣跡へ行ってみました。
元あった天守閣は1626(寛永3)年、伏見城から移築されたと考えられているそうです。屋根が5重ありますが、内部は地上5階建て、地下1階の大きさで、屋根には瓦型の銅板が葺かれていたようです。後水尾天皇は寛永行幸の折、2回天主閣に登られ、ここが天皇が登った唯一の天守閣と言われているそうです。
1750(寛延3)年に落雷に遭って焼失し、今日まで再建されずにいます。

天守閣跡から眺めた本丸御殿と本丸庭園。蝉の合唱がゆく夏を惜しむかのように降り注ぎます。人間どもは、この酷暑が嫌なんだけど。

本丸御殿を出て、清流園の香雲亭へ。京都の豪商、角倉家の屋敷跡から建築部材、庭石、樹木を譲り受けて、1965(昭和40)年に作庭されました。通常非公開エリアにある香雲亭では、今なら9月30日まで京料理いそべが提供する「京のゆば粥御前」が1日40食限定で食べられるそうです。4200円+入場料で要予約。

北大手門(重要文化財)。かつては道路の向かい側に京都所司代屋敷があったそうです。1603(慶長8)年の築城時からこの場所にあったそうですが、現在の建物がその当時のものか、1626年の寛永行幸時のものかわからないそうです。正門の東大手門より長さが3間(6m)短く、門構えも一回り小さいですが、奥行きや高さは同じ。
時折、お城の周囲を自転車で走ることがあるのですが、内側から見ると急に歴史を感じるから不思議。
本丸御殿の見学はネットで事前予約制のようです。何でもかんでもネットでとなると、アクセスできない人は困りますね。
8月12日朝9:30本丸御殿前集合。
とあるのをしっかり認知せず、どうせ東門のところで行列しているのだろう、と勝手に判断して用事をこなしてから自転車に乗って、いざ二条城へ。お城の中に入ったのは2016年10月13日第3回京都国際映画祭のオープニングセレモニーのときと、その後の2021年3月21日二条城撮影所開設111年記念イベントとして日本最古の『忠臣蔵』を活弁・生演奏付きで上映された時以来です。2016年の時は、生まれて初めてレッドカーペットを歩く経験もさせて貰いました。この映画祭が今年になって突然、「実は昨年10月の第10回映画祭で終わりました」というアナウンスがあって、「いやぁ、大変。おもちゃ映画ミュージアムの家賃支払いの補填にしていたのが、できなくなる💦」と焦り始め、地価上昇が半端ない京都にあって、家主からも家賃大幅値上げが提示され、来年3月契約満了を持って退去の選択をしました。
いずれこういう日が来るとは思っていましたが、実際映画祭がなくなると、大勢の人に発掘した無声映画や貴重な記録映像などを見て貰う機会が少なくなるのでダメージが大きく、意気消沈していました。でも、改めて二条城に足を踏み入れた途端、レッドカーペットや式典での中島貞夫監督の「よーい、スタート!」の掛け声を思い出して、なかなか経験できない素晴らしい場所での思い出を作って下さったのだと、映画祭実行委員会には、その点では感謝しています。
そういえば、8月8日は中島貞夫監督の誕生日でした。今でも下駄ばきの監督のお声を思い出せます。おもちゃ映画ミュージアムのことも随分気にかけていてくださいました。心残りは2022年8月に内田吐夢監督の思い出についてお話をして貰う予定が他の予定と重なってできなかったこと。それは今でも残念に思っています。

二条城に入った途端、映画祭の記憶が蘇ってきましたが、市民内覧会会場が東門前ではなく、本丸御殿前だと気が付いて、焦りに焦って駆けました。
写真は唐門(重要文化財)。二の丸御殿の正門で、切妻造、檜皮葺の四脚門、屋根の前後に唐破風が付いています。

二の丸御殿(国宝)。東南から北西にかけて、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、白書院の棟が雁行形に立ち並びます。狩野派の障壁画が有名ですが、時間がないので省略。
二の丸庭園を過ぎ、東橋を渡って、めざす本丸御殿へ向かいます。

美しい芝生の向こうにみえているのが本丸御殿(重要文化財)。1893(明治26)年京都御所の北東部にあった桂宮御殿を移築したもの。

貴重な宮家の御殿建築の遺構として重要文化財指定。見えている部分は「御常御殿」で、主の居室や寝室を備えた棟。

本丸庭園は明治天皇行幸の際に、枯山水庭園から大改造されました。東南隅に築山を配し、芝生を敷き詰めて曲線的な遠路を設けています。

幸いにして集合指定時間の前に本丸御殿の玄関前に到着し、何と先頭に並んで見学の9時半を待ちました。10人ぐらいずつのグループ行動でしょうか。

2017(平成29)年度から耐震補強工事を実施し、同時に障壁画の修理をしてきて、令和5年度末に完了。今年9月1日から18年振りに一般公開されるということです。残念がら撮影は一切禁止で、ビニール袋に入れた靴と荷物は原則ロッカーにしまわねばならず、裸足も厳禁です。新しい畳が廊下に敷き詰めてあり、それぞれの畳の縁が赤い絹でつくってあり、決して縁を踏んではなりませぬ、と注意事項が続きますが、障壁画や各部屋の照明器具、欄間などに目がいきました。と同時に、唐長さんの仕事でしょうか?真新しい唐紙の壁紙や襖が上品で美しかったです。河合早苗プロデューサーの労作『フィシスの波紋』を見ておいて良かったと思いました。唐長十一代目千田堅吉さん夫妻が取り組む唐紙は江戸時代から続く技法を丁寧に守っておられます。次の時代に良い仕事をされたなぁと思いながら見学しました。

せっかく来たのだからと、天守閣跡へ行ってみました。
元あった天守閣は1626(寛永3)年、伏見城から移築されたと考えられているそうです。屋根が5重ありますが、内部は地上5階建て、地下1階の大きさで、屋根には瓦型の銅板が葺かれていたようです。後水尾天皇は寛永行幸の折、2回天主閣に登られ、ここが天皇が登った唯一の天守閣と言われているそうです。
1750(寛延3)年に落雷に遭って焼失し、今日まで再建されずにいます。

天守閣跡から眺めた本丸御殿と本丸庭園。蝉の合唱がゆく夏を惜しむかのように降り注ぎます。人間どもは、この酷暑が嫌なんだけど。

本丸御殿を出て、清流園の香雲亭へ。京都の豪商、角倉家の屋敷跡から建築部材、庭石、樹木を譲り受けて、1965(昭和40)年に作庭されました。通常非公開エリアにある香雲亭では、今なら9月30日まで京料理いそべが提供する「京のゆば粥御前」が1日40食限定で食べられるそうです。4200円+入場料で要予約。

北大手門(重要文化財)。かつては道路の向かい側に京都所司代屋敷があったそうです。1603(慶長8)年の築城時からこの場所にあったそうですが、現在の建物がその当時のものか、1626年の寛永行幸時のものかわからないそうです。正門の東大手門より長さが3間(6m)短く、門構えも一回り小さいですが、奥行きや高さは同じ。
時折、お城の周囲を自転車で走ることがあるのですが、内側から見ると急に歴史を感じるから不思議。
本丸御殿の見学はネットで事前予約制のようです。何でもかんでもネットでとなると、アクセスできない人は困りますね。




































































「成人の日」の祝日と重なったこともあり、例年より多くの参拝客だったようです。




