歴史探訪京都から

-旧木津川の地名を歩く会-

祇園祭2022後祭の山鉾見学

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7月17日、祇園祭前祭の山鉾巡行に夢中になって引き上げてきて、知人のFacebookを読んだら、その日既に大船鉾の鉾建て作業が始まったとありました。「後祭も縄絡みを見に行かなきゃ」と思いつつ日にちばかりが過ぎ、20日に。午後3時に大船鉾(新町通四条下ル四条町)の曳初めがあるとのことでしたので、早速見学に行ってきました。既に曳初めに参加される地域の方などがたくさん集まっておられましたが、コロナウイルス感染拡大防止のため、一般の参加はできないということで、例年より見物客は少ないらしく、かえって間近でゆっくり見学することができました。

294158655_5147461252038007_2747550036109722765_nこれも、その方の記事で21日に知ったのですが、大船鉾では13時から剣鉾の奉納があったそうです。剣鉾については、2018年2月24日に「京都の魔を祓う剣鉾」の題で、大森康宏・国立民族学博物館名誉教授の解説と作品上映をしたことが契機になって関心があっただけに、見逃したことが何とも惜しい。まさしく後の祭り。来年こそ!という思いです。

動画からとった小さな写真で分かり辛いですが、大船鉾の前を行くのが剣鉾です。長い竿の先に薄くてよくしなる剣が付いています。剣と竿の間に花や龍などを形作った美しい錺金物が取り付けられ、遠くから見るとそれが楕円形をした造形に見えます。さらに鈴と吹散が付けられていて、この鈴の響きによって周囲を浄める呪力があるとされ、神輿巡行などの祭礼では先陣を切って進みます。

大船鉾は幕末の蛤御門の変で焼失しましたが、2014(平成26)年に後祭復活とともに150年ぶりに再興され大きな話題になりました。2016年に巨大な龍頭が2年がかりで新調されました。今年は木目から金色の龍になって初めての巡行参加になるそうです。
瀧尾神社の龍頭06414(大船鉾)






























その龍頭は東山にある瀧尾神社拝殿にある全長8メートルもある昇り龍の木彫り像をモデルに作られました。そのご縁で瀧尾神社の剣鉾が大船鉾の曳初めの折に奉納されることになったようです。17日まで、大船鉾の龍頭と艪幕板飾りの彫刻が大丸京都店の店頭に飾られていました。傍で見ると、どでかいです。大丸百貨店を創業した下村彦右衛門正啓はいつも瀬尾神社に参拝していて、下村家の崇敬は代々継承され、多額の寄進により本殿、拝殿、手水舎などが整備されました。大船鉾、瀬尾神社、大丸のご縁は深いのですね。
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15時になり、「エンヤラヤー」の掛け声とともに大きな鉾が動き出しました。
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大船鉾関係者の視線は大きな車輪にばかり注がれていますが、私は屋根の上に乗って障害物がないか巡行の安全を確認する屋根方さんに注がれっぱなし。いやーっ、実に格好良いです。
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音頭取りのお二人も決まっていますね‼ 鉾を建てる作事方(大工方、手伝い方、車方)の皆さんは専門職で保存会が依頼した町外の方。何しろ12トンもある巨大な鉾を操るわけで命がかかっていますから絶えず緊張を伴います。コロナ禍で丸2年巡行がなされなかったですから、技術の継承からみれば今年実施されて本当に良かったと思います。
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出発したのが遅かったので、縄絡みの様子は、下から覗いた程度。それでも美しい造形です。鉾は「四」のワッペンを付けた地元の人々によって綱を引かれ、四条通まで。
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残っていた荒縄。今朝の京都新聞によれば、荒縄を作る製縄所が京都市北部の福知山市三和町にあって、田尻太さん(71歳)夫妻が、丹後地域などの農家を回り厳選したもち米やブランド米の藁を用いて拵えておられるそうです。「祇園祭にふさわしい縄」に拘って、見た目の美しさに最も気を遣うそう。独自で改良した製縄機で藁を編み込み、1センチ余りの太さとねじり幅を均一にし、縄状にした後は表面の突起物を取り除いて、滑らかに仕上がりにと。

記事を読みながら、富山の農家で生まれ育った私には、厳しい冬の間、納屋で父が黙々と縄を編んでいた様子を懐かしく思い出します。刈り取った後の藁は、製紙工場の人がトラックで買取にも来ていたように思います。今でいうモノを大切に使い切る循環型社会ですね。

藁については、昨年6月5日に来館された島林利郎さん(84歳)からお話を伺ったことも思い出します。お父様が函谷鉾の会長さんをやっておられて、囃子方の太鼓を担当されていたそうです。利郎さんと同級生の方は鉦方、笛は二人おられたそう。1981(昭和56)年1月2日関西テレビ放送「和宮様御留」に山鉾が登場し、お父さまと利郎さんは囃子方として出演。生まれたばかりの利郎さんのお子さんを主演の初々しい大竹しのぶさんが抱っこしてくださった忘れがたい思い出があるそうです。

使う縄は1巻3貫目、1つの鉾に40~50の縄が必要で、今は稲刈りをコンバインでするので藁の入手が難しくなったと島林さん。かつては滋賀県で作って貰っていたそうですが、穂が固いので、今は穂が柔らかい福井県の農家から入れているそうです。昔は京都の大宮七条に6軒の縄・ロープ屋があって、島林さん宅もロープを商いされていて、祇園祭のロープ、縄を担当されていました。鉾が建つ7月12~13日の朝は大忙しだったそうです。それぞれの山鉾にそれぞれの縄に関するお話もありそうですが、年々入手が困難になるのは同じでしょう。

たった今、巡行が終わった後の縄を肥料として循環型活用しようという情報が入りましたが、全て使い切って活かすことは神様にも喜んで貰えるのではないかと私的には思います。
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四条通まで行った大船鉾は、今度は音頭取りが鉾の後ろに立ち位置を変えて、高辻通まで曳初めです。
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北の四条通から会所の前を通り過ぎ、綾小路通、仏光寺通、高辻通と南へ。
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再び音頭取り二人が船首に位置を戻して、高辻通から会所前まで曳きます。来年、コロナがマシになって一般の人も曳初めに参加できるようになったら、ぜひ加わりたいと思いながら指をくわえて見ていました。
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屋根方さんお二人が、鉾が安全に通行できるよう電線や突起物などに目配りをしながら、木製の長い棒状の道具を使って、抑えています。四条通のような大通りでの巡行ならいざ知らず、昔ながらの道幅の新町通りでは、巡行中少しも気が抜けない重要な見張り役ですね。
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そうして、無事会所に戻ってきた大船鉾。途中大船鉾の役員さんらしい人に、屋根方さんが手にしておられる道具の名称をお尋ねしたのですが、ご存じじゃなくて、直接教えてもらう機会を狙っていました。
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それが、こちらのお二人。普段この道具の名称を口にすることがないようで、思案しつつ「“さすまた”の“さす”で良いのではないか」との返事をGETしました。それが嬉しくて、記念写真を撮らせてもらいました。高所恐怖症の私にとって、屋根方さんは一番のヒーローです。どうぞ、24日の巡行もご安全にと祈ります。
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大船鉾の会所の中。「ウナギの寝床」の表現がぴったりですね。
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木村商店さんも恐らく大船鉾の中心として支えておられるのでしょう。オーナーさんらしい方に「代々染物屋をなさっていた家柄でしょうか?」と尋ねましたら、「はい、呉服を商っていました」と教えていただきました。17日のBSプレミアムで研究者の方が「江戸時代、船鉾の中心になって支えたのが、染物屋の丸屋(木村)勘兵衛だった」と教わったばかりでしたので、同じ木村姓なので気になったのです。オーナーさんらしい方は、この話をご存じではなく、先ほどお話を聞いた役員さんらしき人も「先祖を辿れば同じに行きつくのかもしれませんが、知らない」と話しておられました。
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こちらが、17日前祭で巡行した船鉾の会所。前の道路に鉾建て柱穴4つが埋められています。
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向かいにあるのが、今も残る呉服問屋「長江家住宅」。
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京都市指定有形文化財。船鉾町には、長江家のような豪商が軒を連ねていたそうです。たまたま映画『祇園祭』の主人公新吉が染物職人だったことから、興味をもったのですが、これから訪ねる北観音山にある吉田家も元は白生地問屋だったりと、室町を中心に呉服に関する老舗が多いですから、わざわざ映画の主人公新吉の職業とつなげて考える必要もないのでしょうけど。
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黒主山がある誉田屋源兵衛さん宅前に、キーヤンこと木村英揮さんが描かれた「昇り鯉」という幟が目に飛び込んできました。2008年に同社創業270周年を記念して270匹の鯉が描かれ、毎年1匹ずつ描き加えられているそうです。そして今回3匹を書き加えて284匹の鯉たちが時空を舞っています。
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三条室町西の鷹山。応仁の乱以前から続く山なのですが、1826(文政9)年以来休み山となっていました。今年196年ぶりに巡行に復帰するということで注目の的です。丁度曳初めが終わった後で、山田純司理事長が取材に応じておられます。
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曳初めは午後3時に始まり、「エンヤラヤー」の掛け声で約100名の関係者らが綱を引き、三条通の室町と新町間を3往復したそうです。分身術があれば大船鉾と鷹山の両方の曳初めが見られたのですが、そういうわけにもいかず。翌21日付け京都新聞で山田理事長は「夢にまで見た地元町内の曳初めができて感無量。巡行まで焦ることなく、じっくり準備したい」と感慨深げだった由。24日の巡行が一層楽しみです。

鷹山の「手伝い方」さんたちは、毎月1回のペースで櫓を組み立てては分解する作業を繰り返してこの日に臨まれました。縄絡みは強く締め付きすぎて完全に固定してはだめで、地震工学のように振動を適度に吸収する柔軟さが必要なのだそうです。竹田工務店さんが縄絡みや組み立ての技術を教え協力もされたそうです。
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山の製作を担当されたのは向日市の安井杢工務店。江戸時代の大工集団をルーツにして、桂離宮をはじめ有名な社寺や茶室などを手掛けてきた工務店なのだそうです。大工方棟梁を務める同工務店大工職長の馬場浩太朗さんは、音頭取りの一員に選ばれたそう。この日の曳初めでもお姿が見られたでしょうに、到着がチト遅すぎて見られずじまい。

ご神体は中納言在原行平といわれる「鷹匠」と、樽を背負い美味しそうに粽を食べる「樽負」、「犬遣」の三体で、行平が光孝天皇の御幸で鷹狩りをする場面を表しているのだそうです。黄色地に麒麟と雲竜が描かれた一番水引を手掛けたのは龍村美術織物さん。図柄の参考にされたのが、江戸時代後期の京で活躍した横山崋山の30メートルもある「祇園祭礼図巻」で、「休み山」になる前の鷹山の往時の様子を伝えています。

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ふと真松に鳥の造作物がとまっているのが見えました。単純に鷹かと思ったのですが、獲物の雉でした。

IMG_20220722_0001参考に、今年4月28日付け京都新聞に載っていた写真の一部分を。美しい彩色が施してありますね。

囃子方や車方、音頭取りの衣装は京都市立芸術大学美術学部の学生メンバーがデザインし、裾幕も鷹狩りで風に揺れる草を表現したそうです。才能あふれる若者たちがデザインを担当しながら一緒に作り上げたことも素晴らしいです。

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八幡山がある場所の京都市指定有形文化財の川﨑家住宅。1926(大正15)年に建築された折には、著名な武田五一も設計に参与しています。この家でも展示(有料)をしていましたが、先を急いでいたのでパス。
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八幡山には、運慶が彫ったと伝わる応神天皇騎馬像が安置されているほか、これも有名な左甚五郎作の雌雄一対の鳩が伝わり、巡行の時には鳥居の上に載せられるそうです。

この日駆け足で見て回った山は、おおよそこの八幡山のような形で建てられ始めていました。
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北観音山。1353(文和2)年創建であることが町有古文書に記されている山で、楊柳観音と韋駄天立像を安置しています。
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鷹山で学習したので、真松を見上げて、枝に綺麗な尾を持つ尾長鳥がとまっているのが見えました。
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柱に「天保弐辛卯歳六月吉日 観音山」と彫ってありました。1831年にあたります。年表によれば、この前年文政13年7月2日に京都地震が起こっています。京都大地震とも文政京都地震とも呼ばれる地下直下型で、京都市街を中心に大きな被害をだしたそうです。
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楊柳観音像は元は恵心僧都の作だったそうですが、天明の大火で焼亡した後は、法橋定春作となりました。
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この日は、北観音山、南観音山も曳初めが行われたため、ここでも縄絡みを隙間から覗くのみに。
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美しい設えの国登録有形文化財の吉田孝二郎家住宅。もとは白生地問屋を営まれていた家。吉田さんは祇園祭山鉾巡行で後祭復興に尽力された方で、美術品工芸収集家でもあって、ため息が出るほど素敵な眺めです。
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祇園祭に欠かせない花ヒオウギがこんなに豪勢に活けてあります。
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蒸し暑い京都の夏ですが、目で、風が通り抜ける涼やかさが感じられますね。
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お向かいにあったお店のショーウインドーに陶製祇園祭人形の一行が飾ってありました。隙間からなので、上手く撮れなかったのが残念。
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南観音山。以前は最後尾を巡行していたそうです。楊柳観音と善財童子を祭り、巡行には諸病を防ぐといわれる柳の大枝を差し、山の四隅には松竹梅蘭の木彫り薬玉を付けます。天水引は塩川文鱗下絵の「四神の図」、見送は加山又造の「龍王渡海図」が飾られます。
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ここでも真木の松を見上げました。下から3番目あたりの枝に白い鳩がとまっています。何度も見てきたように思っていた山鉾ですが、まだまだ知らない、気付いてないことが、たくさんあるのだなぁと改めて思いました。
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こちらも隙間から縄絡みをチラッと見ただけ。南観音山と北観音山では、19日にシンボルの真松を決める儀式「松選び」が行われました。松は京北町で切り出され、この日運ばれたばかり。二つの山の中間にテントが張られ、その中で両保存会の役員が「おめでとうございます」と挨拶を交わして籤を引く順を決めるじゃんけん。南観音山が結び目のある荒縄を引き当てました。その松が天に向かって聳えています。20日の京都新聞の見出しは「松選び 今年は“南”に軍配」。どちらも良い巡行になりますように。
大橋弌峰祇園祭鉾人形


























昨日千本通りを今出川まで自転車で走っていたら、大橋弌峰人形店のショーウィンドーに祇園祭人形が並んでいました。

大橋弌峰祇園祭御所人形





















可愛らしい御所人形。アンティークフェアでこういう可愛い人形が売っていたら、直ぐ買っちゃうなぁと思いながら、ペダルを踏んで目的地に向かいました。

山鉾巡行後祭まであと2日。このところすっきりしない天気が続いていますが、どうぞ天候に恵まれ、無事に催行できますように‼


































喝采、3年ぶりに祇園祭山鉾巡行(2)

祇園祭はこのコロナ禍でも工夫を凝らしながら神事そのものは継続されてきましたが、多くの観光客が楽しみにされている山鉾巡行は今年3年ぶりに実施されました。それに伴って宵山には歩行者天国が実施され、同時に屋台も軒を連ねたので、もの凄い人出でした。皆さん「待ちに待った」という感じでしたね。関係各位の皆様は、感染防止対策など随分と苦心されたことだろうと思います。先ずは、先祭が無事に済んで良かったですね。

では、7月17日祇園祭山鉾巡行見物振り返りの続きを菊水鉾から。

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天高く菊水鉾が聳えます。町内に古くからあった井戸「菊水井」からとった命名。鉾頭には金色の菊花をつけているそうです。菊の露を飲んで700歳まで生き続けたという謡曲「菊慈童」の故事に因み、稚児人形の衣装はその能装束の舞姿。
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歩みを止めている間、その稚児人形の顔に日が当たるのを避けようと扇子で覆っておられました。
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懸装品の多くは昭和を代表する日本画家や工芸染色家の作品で、「昭和の鉾」としての威容を誇ります。七福神をモチーフにした全4面の懸装品は4年がかりで新調されたもの。映画『祇園祭』(1968年)が作られた時、この本体と囃子方も出演されました。
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芦刈山。世阿弥作と言われる謡曲「芦刈」を題材に、故あって妻と離れ離れになった男が難波の浦で芦を刈る姿を表しています。後に夫婦は再会を果たし和歌を詠み合い、都に戻ったというお話。ご神体の旧お頭は仏師康運の手によるという銘がある逸品。康運は生没年は不詳ながら、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍し、有名な運慶の次男だということです。古い衣装の小袖は天正17(1589)年の銘を持つ山鉾最古のもので、重要文化財です。
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伯牙山。中国の周の時代、琴の名人であった伯牙が、自分の琴を理解してくれていた友人・鍾子期の死を嘆いて、琴を割ったという故事が題材。ご神体は琴を前に、斧を持つ伯牙の像。前懸の上下に詩文、真ん中に人物風景を描いた長寿のお祝いに贈られる「慶寿裂」は明代に作られた逸品で保存され、現在は復元品を使用されています。
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近年、後掛「龍文模様」と裾幕を新調されています。全体に中国風意匠で統一されています。明治4年に多くの山鉾が改称されましたが、この伯牙山も元は「琴割山」でした。戦後町会所がなくなったため、旧家で重要文化財指定の杉本家住宅の表の間で飾られています。いつか見学したいと思いつつ未だ実現していないので、今後の楽しみに。
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太子山。聖徳太子を祀り、四天王寺建立にあたり。聖徳太子自らが自ら山中に入って良材を求めたという所伝に基づき、太子山のみ杉の真木を立てています。少年の聖徳太子が右手に斧、左手に衵扇(あこめおうぎ)を持つご神体。秦家住宅を会所に展示されています。

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楽しみにしていた放下鉾。鉾頭は日・月・星三光が外界を照らす形を示しています。その形が州浜に似ているので「すはま鉾」とも呼ばれています。真木の中ほどにある「天王座」に、昔芸能をしたという話が伝わる放下僧を祀ることから鉾の名前になりました。
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稚児人形「三光丸」はとても可愛いお顔をされています。中に人形を操る人が3名おられて、稚児舞を披露しています。昭和3年ぐらいまでは生き稚児を乗せていましたが、人形に変えようという事になって、他の鉾との違いを出そうと舞うことができる人形を用意されたのだそうです。囃子方ナンバー1の梅原さんといつもお世話になっている堀さんが並んで見えます。昨年は、梅原さんと、ナンバー2の冨田さん、そしてナンバー3の堀さんとお母さまにもお越しいただいて囃子方笛担当者として、映画『祇園祭』に出演された時の思い出話をお聞きしました。堀さんのお父様(故人)を含め3名の方が映画に映っていやしないかと目を凝らして見た日から、もう1年経ったのですね。
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岩戸山。天照大神の岩戸隠れの神話による山ですが、大きな車輪がある曳山です。室町時代狩野永徳の洛中洛外図屏風に描かれている岩戸山には、既に車輪が描かれているそうです。ご神体は白衣姿で胸に鏡を掛けた天照大神、白衣に唐冠を被った手力男命、屋根の上で太刀をはき天瓊矛(あめのぬぼこ)を突き出した伊弉諾尊の三体。
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山とは名乗っても、鉾と同じ車を付けた曳山なので、辻回し用の割り竹を積んでいます。
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先祭のしんがりを務める船鉾。遠くからも船首に据えられている金色に輝く大きな鷁(げき・想像上の鳥)が目に飛び込みます。全長6.48メートル、高さ6.66メートル、幅3.3メートルもあるそうです。
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船鉾は全部総刺繍というのがウリになっているそうです。龍の目は厚さが7センチもあって、今から180年ほど前に作られたもの。
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後方の大舵は1792年に作られた螺鈿細工。青貝を500以上使ったと言われているそうです。とても美しいですね。
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江戸時代丸屋(木村)勘兵衛という染物屋が住んでいて、その人が船鉾の運営やお金を出すなど中心的な人物だったそうです。長江家住宅(今も残る呉服問屋の屋敷)など船鉾町にはかつて豪商が軒を連ねていて、そうした財力があって、こうした贅を尽くした船鉾が維持できていたのですね。
船鉾町は仏光寺通から綾小路通までの間で、120メートル×120メートルの大きさなんだそうです。今は34町あり、だいたいどこの町も同じ大きさだそうです。この範囲の中で偉大な山鉾を維持運営するのは本当に大変なことだろうと思います。船鉾町でも30年前までは多くの家がありましたが、今はマンションに変化。それでも「鉾町だから」と保存会に入ってこられる人が結構おられるのだそうです。

船鉾は今は町会所で仕舞われていて、奥の土蔵で保存されています。最も大切な神功皇后の神面は室町時代に作られ、ずっと守られてきました。大変な危機があったとのは、1864年の蛤御門の変の時。京都の町はほとんど焼けてしまいましたが、当時の町年寄の人が神面を持って竹藪で三日三晩守り抜いたのだそうです。毎年7月3日に神面の無事を確かめる「神面改め」が行われるのはこの鉾のことだったのです。
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これで帰ろうかと思って町家の方に歩き始めたところ、四条室町の交差点のところにたくさんの人が待ち構えておられるのに気が付きました。室町時代は室町通が上京と下京を結ぶメインストリートで、四条室町を「鉾の辻」と言って、ここに鉾が集まりました。山鉾は広い四条通りに出たところで、籤改めの順番通りに並び替えて東の八坂神社に向かって進みます。

ならば自分も山鉾が帰ってくるのを見ようと思って、室町通から西の新町通まで進み、四条新町から北へ向かって放下鉾の会所まで行きました。山鉾巡行の出発は何度も見ましたが、町内に帰ってくる様子を見た記憶がなくて。新町通は昔と同じ幅で大変狭いので、警察官や整理の方が「立ち止まらないでください。見学は大通りでお願いします」と盛んに呼びかけているので、声に促されて北へゆっくりと歩を進めました。本当はここに堀さんたちが戻って来られるのを見たかったのですけど。
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新町通六角の交差点で、待ちにまった長刀鉾がやってきました。
広い御池通から狭い新町通に入るときの辻回しは、大変気を遣われ、難しかったことでしょう。
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この狭い交差点の中央にちょっとしたでっぱりがあって、それにどの山鉾も難儀しておられました。
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すぐ目の前で長刀鉾の巡行を見られたのが、迫力があって見ごたえがあり、強く印象に残りました。
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電線などもあり、屋根に乗っておられる「屋根方」さんはずっと緊張が続きますね。狭い通りだからこそ、巡行には心配なことも多いでしょうけど、見る分には大変良かったです。より一層懸想品の豪華さを間近で見ることができ、迫力もありました。
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保昌山。社会人になって最初に勤めた会社が保昌山の町内だったこともあり馴染みがあります。丹後守平井保昌が和泉式部のために危険を冒して紫宸殿の紅梅を手折って与え、恋を実らせたという物語を題材にしていて、縁結びにご利益があるとされています。
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前懸と胴懸は円山応挙下絵の逸品。
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白楽天山。「お帰りなさい」と心の中で呼びかけました。
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先頭を行く長刀鉾の後ろに昔ながらの狭い新町通りを行く山が連なっています。これは油天神山。見送は平成2年から梅原龍三郎さんが描かれた「朝陽図」綴織。放下鉾囃子方笛のトップで長年活躍されている梅原さんのご親戚にあたるそうです。

ここまで見学して引き上げました。今回の振り返りで紹介できなかったのは、孟宗山と郭巨山でした。もう少し早く見物に出かけていれば23基全て見ることができたので残念。

山鉾は各町内に戻ったら直ぐに解体を始めます。もともと町から疫病の神である疫神を集める依り代と考えられ、そのままにしておくと集めた疫病がまた町に戻ってしまうと考えられるからで、小さな山はその日のうちに、大きな鉾も翌日には解体を終えて日常に戻ります。

テレビで船鉾の役員さんが「船鉾の部材は数百点。7月11~13日の3日間かけて完成します。3年ぶりの鉾建てがうまくいって良かった。毎年行うことが文化を受け継いでいくことで、とても大切なんだと思う。祇園祭はマニュアルがないので、毎年繰り返し、体得しながら覚えていくこと。新しい人が先輩のやり方を見ながら体得していく。2年なかったのは危機感が大きかった」と話しておられたのが印象に残りました。3年ぶりに山鉾巡行が実施できて本当に良かったです。関係者の皆様の努力に敬意を表しますとともに、良いものを見せて頂いたことに御礼を申し上げます。続く24日後祭の巡行も無事に催行されることを祈っています。

喝采、3年ぶりに祇園祭山鉾巡行(1)

世間では3連休中日だった17日。3年ぶりに祇園祭山鉾巡行が催行されました。天候を心配してテルテル坊主さんを下げて好天を祈った甲斐があり、雨傘の出番がないまま。時折真夏の強い日が差し、今朝見たら後ろ首あたりが日焼けして赤くなっていました。こうした人たくさんおられたと思います。都大路をゆったりと進む豪華絢爛な山鉾に見入って、日焼けのことすっかり忘れていました。今朝の京都新聞朝刊によれば、23基の山鉾巡行を観ようと、約14万人もの人が沿線でご覧になったそうです。
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午前9時出発の時刻、おもちゃ映画ミュージアムのすぐ傍に位置する三若台若中会所を外か覗いてみると、大勢の男性方がお神輿にご奉仕される人たちのお弁当を作っておられました。この様子を確認した時、2年間この光景が見られなかったので、「お祭りが復興した‼」と実感しました。
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広間でみんなでお弁当を作っておられるのでしょう。外におられた方に尋ねましたら、朝の6時から千人分を拵えておられるのだそう。

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おそらく写真の男性が手にしておられるのは3基のお神輿の一番上に飾られる丹波下山の八坂神社神田で育てられた「お稲さん」。
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昨日、山鉾巡行が終わった後で八坂神社前から四条御旅所に向かう3基のお神輿が神社石段下に集結。お神輿の上に「お稲さん」がのっています。コロナが終息したわけではないので、24日の還幸祭では、従来のように神泉苑や京都三条商店街にある御旅所に神輿渡御がなされないのが残念です。

ともあれ、三条台若中会所を覗いたことも契機になって、昨年から親しくさせて頂いている放下鉾の巡行を見たいという気持ちが勝って、四条烏丸へ足を延ばしました。
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着いた時には、既に長刀鉾、孟宗山、保昌山、郭巨山は通り過ぎ、函谷鉾の後姿を見送る場面。録画予約しておいたBSプレミアム「復活!祇園祭」を夕べ見ましたが、長刀鉾の生稚児の岡本善太さん(11歳)が真剣で注連縄を見事に切って大役を果たしていました。
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白楽天山。唐の詩人白楽天と道林禅師が仏法について問答を交わしている姿を表しているそうです。前懸はトロイ戦争の一場面を描いた16世紀ベルギー製毛綴。胴懸と水引はフランスで17世紀に製作された毛綴。
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四条傘鉾の可愛らしい子どもたちによる「棒振り踊り」。赤熊(シャグマ)を被って人ならぬものに化身して、ケンケンをする踊りを披露します。
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四条傘鉾は応仁の乱以前に起源を持ち、傘の上に御幣と若松を飾っています。明治4年以降巡行参加が途絶えていましたが、1985年に町内の人々の努力で本体が再興され、1988年に棒振り踊りも復興しました。振付を担当されたのが上方舞吉村流師範の喜多川正子さんで、室町時代の『洛中洛外図屏風』で描かれている踊りと滋賀県の滝樹神社に伝わる「ケントト踊り」をもとにされたそうです。
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油天神山。ご神体は菅原道真で、山は正面に朱の鳥居があり、社殿に天神様を安置しています。真木の松のほかに紅梅の枝を立てて鈴をつけています。胴懸は2002年より前田青邨原画の「紅白梅綴錦」。以前の19世初頭カザフスタンで織られた「星に鉤菱文」は宵山の町会所で展示されているようです。
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月鉾の先端、見上げた鉾頭に新月型(みかづき)をつけ、真木の中ほどにある「天王座」には、月読尊を祀っています。写真では小さくてわかりませんが、稚児人形は明治時代実際にいた稚児の顔をそのままモデルに作ったそうです。
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屋根裏の金地彩色草花図は円山応挙の筆。天井の金地著彩源氏五十四帖扇面散図は岩城九右衛門の筆。破風蟇股の彫刻は左甚五郎作。金具はどれも華麗で優れた工芸品揃い。細部にわたって凝った装飾で見ごたえがあります。

月鉾辻回し














これはテレビで見ていた月鉾の辻回しの様子。四条河原町で90度方向変換をしないといけないのですが、何しろ鉾は重さ12トンもあって、それに囃子方や音頭取り(辻回しの時は4人に)、屋根には屋根方さんが乗っておられるので相当な重量。それをアスファルトの上に割竹を敷いて、その上に水を撒いて滑りをよくしながら回転させるのですから、ダイナミックに見えて、実は非常に繊細さを要し、緊張する場面です。アスファルトの癖も読みながら水平を探って、割竹を敷きます。車方は気持ちを一つにしないとできない仕事。月鉾は15度、15度、60度で回すそうで、画像を見ると、車輪に対して引手は90度の角度に並んでいます。上手くいって沿道から盛んに拍手が送られます。囃子方も辻回しの時は励ますので大いに囃しますが、うまく回った後はクールダウンした囃子に。お囃子でコントロールしている面もあるのですね。この車輪一つが数百キロもあるそうです。
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蟷螂山。中国の故事「蟷螂の斧を以って隆車のわだちを禦(ふせ)がんと欲す」に因みます。小さなものが大きなものに立ち向かう様子を表していて、山鉾の中で唯一のからくり。一時休止していましたが、戦後に復活しました。前のカマキリをもとに新しく作られましたが、今も「先代さん」は大切に保存されているそうです。カマキリと御所車の車輪が動くと、盛んに拍手が送られていました。懸想品は人間国宝羽田登喜男さんの友山伏山06494 (2)禅染。



















山伏山。ご神体の山伏・浄蔵貴所は八坂の塔が皇居の方へ傾いたのを畏れ多いとして、終夜塔の前に座って祈祷したところ真っ直ぐに戻ったという伝説に基づきます。
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巡行の数日前より聖護院の山伏たちの巡拝があり、八坂神社からの清祓いとともに六角堂から法印の祈祷も行われるなど神仏習合の姿をみることができます。

2021年水引「養蚕機織図綴錦」が復元新調されました。元になったのは200年前の江戸時代後期の幕。蚕を育て、糸をひき、織物を織り、献上するまでを描いたもので、6年の歳月をかけて完成した様子が、こちらでご覧になれます。
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今まで一度も燃えたことがない霰天神山。抜群の火難除け。永正年間(1504-1520年)京都で大火があったとき、時ならぬ霰が降って火を鎮めたが、その時1寸6分の小さな天神様が降ってきたのでそれをお祀りしたのが始まりと言われていて、宵山には「火伏せ雷除け」のお守りが授与されます。最近の異常気象で大きな霰が降って大変な被害をもたらしていますが、ご利益があると良いですね。左右の胴懸は上村松篁・淳之親子の花鳥綴織だそうです。前懸タペストリーは16世紀のベルギーからやってきたトロイ戦争を描いた部分をパッチワークで繋ぎ合わせているとても貴重なもの。その絵の続きが長浜曳山祭りの一つに掛けられるタペストリーなのだそうです。生糸の生産地であった長浜と呉服で栄えた京都とは昔から繋がりがあり、祇園祭の影響を受けて400年前に長浜の祭りが始まったそうです。豊臣秀吉は祇園祭に関心を持っていて、お金を集めて円滑にできるよう寄町など合理的な方法を考え、江戸時代を通じて祇園祭を支えることに繋がりました。
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鶏鉾の長い列。夏空に真木が聳え立っています。鶏鉾なので、車方が被る笠は赤くてかわいい。鶏鉾06513


















NHKの番組では、この御朱印船の絵を描いたのかが誰かは仰らなかったので、今現在はわからずじまい。今年200年ぶりに鶏鉾の水引が新たなデザインで作られました。二番水引と三番水引で、赤地に金糸で鶏頭のモチーフが描かれています。鶏だから鶏頭の連想ですね。これまでの二番水引は松村景文が描いた蝶のデザインだったそうです。伝統を守りながらも、新しいものも楽しんでもらおうという「風流」が京都にはあります。

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見送はトロイの王子と妻子の別れを描いた16世紀ベルギー製毛綴。国の重要文化財です。
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木賊山には、海外出身者の姿が多く見かけられました。謡曲「木賊」を題材にした山で、我が子を人にさらわれて一人木賊を刈る翁が、やがて再会の喜びに浸るお話。ご神体は腰に蓑をつけ、左手に木賊、右手に鎌を持ちます。

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綾傘鉾の可愛いお稚児さん6人。暑い中大変でしたね。よく頑張りました。
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子どもが踊る四条傘鉾と異なり、赤熊を被って棒を振りながら大人が踊ります。踊り手は「壬生六歳念仏保存会」の皆さんで、そことのコンビネーションで祇園祭に華を添えています。
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綾傘鉾は応仁の乱以前の15世紀前半の記録に登場していたり、佛教大学所蔵で17世紀後半に描かれた「洛中洛外図屏風」にも、ご神体の鶏が描かれていて、古くからあることが分かります。傘の下がりに飛天の図や草花図が描かれています。人間国宝の染色家森口華弘さんが描いたもので、華やかな演出になっています。江戸時代に車を付けた屋台形式で10年間だけ巡行したことがあったそうですが、火事に遭って燃えてしまい、今の形に戻ったのだとか。祇園祭は古い形を伝承しつつ、変化もしている例ですね。
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占出山。ご神体の神功皇后は古来安産の神として信仰され、山鉾巡行のこの山の籤順が早いとお産が軽いと言われているそうです。神功皇后が肥前国松浦で鮎を釣って戦勝の兆しとしたという日本書紀の説話を題材にしています。水引は三十六歌仙図の刺繍、前懸・胴懸には日本三景の綴錦など懸装品に特徴があります。

菊水鉾の模型

7月の展示では、1968年に作られた映画『祇園祭』に関して、2019年から4年間にわたって集めた資料の一部を展示しています。その中に、1953(昭和28)年に復興した菊水鉾の20分の1の図面があります。青焼きしたものを複写したので、正直薄くてわかりにくいのですが、京都新聞でこの菊水鉾の10分の1サイズで忠実に再現した模型が見られると報じていたので、16日夜に模型を所有する啓明商事(京都市下京区仏光寺烏丸西入ル)に行ってきました。

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模型作成を依頼されたのは同社の野瀬兼次郎会長で、請け負ったのは、1953年の図面を引き、実物の菊水鉾を製作された竹田工務店(京都市南区)。

模型の高さは約2メートル70センチ、幅約30センチ。実物と同じヒノキやカシなどの建材を用い、釘を使わずに作っていて、13日見て歩いた縄絡みで組み立てています。15日の夜に初披露され、この夜は2日目。
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目的が菊水鉾模型見学だったのですが、折も良く、アカペラグループVOXRAYの歌も聞くことができました。天井が高いホールに、美しいハーモニーが響いていました。長男は本業のほかに好きな歌を歌っているので、こういう場所で歌うことができたらいいのに、と少しの間夢を見た愚母です。
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呉服卸商の啓明商事さんがある場所は、与謝蕪村の終の棲家があったところ。

京都には、いたるところに後世に名の知れた人々に関する駒札があって、それを見て「へぇっ!」と思うことも度々。それが何とも楽しい。

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これは、祇園祭のため、市バスが迂回走行をしていたので、烏丸五条で下車して、啓明商事に向かう途中見かけた京町家。国指定有形文化財の建物で「十四春」と書いてある旅館でした。烏丸通より1本西に入った諏訪町通(すわんちょうどおり)にありました。明治42年建築だそうです。

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これは、船鉾の縄絡みを見に行った時に見かけた町家の“忍び返し“。泥棒除けの工夫。

かつて、京都の町家の屋根に乗っている“鍾馗さん”に夢中になったことがありましたが、その流れで、土壁の面白さに嵌り、忍び返しにも興味を持ちました。京都の街から年々趣のある京町家が姿を消し、ホテルがニョキニョキ建っていますが、残念に思いつつも、実際に自分が築100年を超えた京町家を改修して使ってみると、貧乏人には負担が大変重かった改修費用と月々の家賃負担に青息吐息の毎日。それぞれの方にも事情があって仕方がないのかも、と思うようになりました。

さて、17日の京都新聞によれば、祇園祭宵山だった昨夜の人出は、午後9時半現在で約30万人だったとか。啓明商事から出て歩行者天国になっていた烏丸通は19時時点でも、大変な人出でした。3年ぶりに露店が軒を連ね、香ばしい匂いを嗅ぎながら町家へ戻りました。

放下鉾の堀さんに約束した通り、山鉾巡行が好天に恵まれるようテルテル坊主さんを下げて巡行の無事催行を祈った宵山の夜でした。

3年ぶりに祇園祭山鉾巡行へ

昨年7月の映画『祇園祭』(1968年)をテーマにした展示をした折に、ずいぶんと協力をしてくださった放下鉾囃子方の堀 真也さんに「縄絡みは鉾により違います。一度見て回られたら如何でしょう。新町や室町通は13日が引き初めのため、午前中までなら縄絡みの状態が見られます」と教えて頂いたので、昨日出かけてきました。もう少し早く出発すればよかったのでしょうが、既に四条通りの鉾は12日に曳き初めを終えているので懸想品を付けていて骨組みを見ることはできませんでしたが、放下鉾は13日午後に曳き初めでしたので、美しい縄絡みの様子を間近で見ることができました。
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これは、大丸京都店1階で展示されていた鷹山の「縄絡み」。今年の後祭で196年ぶりに巡行に本格復帰するので注目されているのが鷹山です。保存会は昨年から鉾を建てる研修を積み重ねてこられました。山鉾は釘を一切使わず、部材を縄だけで固定し、結び目をご覧のように美しく表現しています。

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大丸を出て直ぐに目にしたのは、祇園祭山鉾巡行の先頭を行く長刀鉾。前日の曳き初めを終えていて、隙間から縄絡みを覗き見。惜しいですが、全体の縄絡みを見ること叶わず。
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次に目にしたのは、1953(昭和27)年7月に88年目にして再建された菊水鉾。昨年はこの時の図面の複写を掲示させていただきました。映画『祇園祭』(1968年)では、映画撮影用に長刀鉾が新しく作られましたが、その時参照されたのがこの時の図面でした。手掛けたのは市内南区の竹田工務店。昨日の京都新聞によれば、12日に菊水鉾の運営を巡って内部紛争が起こり地裁に提訴された由。少し残念なニュースです。お祭りなのだから、みんな仲良く。
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初めて、お供えされている神饌を見ました。
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菊水鉾の車輪。今朝の京都新聞によれば、函谷鉾で鉾を操る「車方」は、車輪のことを「玉」と呼んでおられましたが、この呼び方は他の鉾でも共通するのかも。
函谷鉾の「玉」の樫製外周部材「大羽(おおばね)」の一部を取り換えたのも竹田工務店でした。

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昨年9月2日に竹田工務店に行って、映画『祇園祭』製作当時の思い出を会長さんと大工さんに尋ねに行ってきましたが、その時目にしたのが、ひょっとしたら函谷鉾の「玉」だったのかもしれませんね。
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台車と比べても「玉」の大きさが分かります。
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振り向いて、初めて気が付きましたが、菊水鉾の真木の先に菊の花が3輪活けてありました。この台を「天王座」と呼ぶのでしょうか。

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堀さんたちの放下鉾。本当に美しい縄絡みです。12日付け京都新聞によれば、放下鉾の作事方棟梁は西京区の谷口造園谷口康夫さん。記事によれば、放下鉾は最大級の鉾で揺れながら巡行する約12トンもの重さを縄だけで支えるのだそうです。「ひょっとしたら、映画『祇園祭』の時の資料や記憶が伝わっていないかしら?」と思い、堀さんに尋ねたのですが、まだ新しい棟梁さんなのだそうで、残念ながら、望み薄。
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今日も夕方からこの放下鉾会所で祇園囃子の音色が響くでしょう。雨の晴れ間をぬって出かけてこようと思います。
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先ほど、堀さんから放下鉾の厄除け“ちまき”をプレゼントして頂きました。早速戸口に飾りました。ありがとうございます‼

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放下鉾のところでも見かけましたが、後祭巡行の鷹山の方が鉾建ての見学に来ておられました。この会所は大船鉾の提灯が揺れていますが、船鉾の会所も兼ねているのかしら?お地蔵さんと並んで、京都の町家らしい眺めです。この近くの花屋さんで祇園祭に活けられる前掲写真に写る“ヒオウギ(檜扇、日扇)”の鉢を買い求めました。産地の宮津市HPによれば、平安時代の歴史書『古語拾遺』に、厄災が村を襲った際に、ヒオウギでできた扇で扇ぐと、たちまち村が元通りになったという話が載っているそうです。その檜扇と似ていることから同じ名前で呼ばれるようになったヒオウギは病気にかかりにくく、葉も長持ちするため縁起物・魔除けの花として重宝されてきて、祇園祭には欠かせない植物として床の間などに飾られています。昨日この鉢を抱えていましたら、声をかけてくださるご婦人がおられ、昨年植えたヒオウギに今年花が1つ咲いたのだそうです。「でも、花は一日しか持たないのよ」と。葉の部分が大きくて、長く、反りがあるのが良質なのだとか。

ついでながら「ぬばたまの」は、ヒオウギの真っ黒で艶がある種子のことを指すそうで、黒、夜、夕、宵、髪などにかかる枕詞として使われています。
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船鉾の縄絡み。

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続いて見たのは岩戸山。丁度車輪を入れる作業のところでした。「何の油ですか?」と尋ねたら、最初は「荏胡麻」と仰ったのですが、次には「菜種油かな?」と。結局わからずじまいで。
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上手く嵌りそうになったところで、更に手前からと向こうからと塗重ね、
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阿吽の呼吸で「車輪の左右からギゴギゴと押し進めながら軸に嵌めます。
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最後に楔にも油を塗り、上から差し込んで固定して完成。
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見ているだけで下腹に力が入りました。


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岩戸山を後方から見た様子。それぞれの山鉾保存会で、毎年のように少しずつ修理しながら歴史を繋いでおられます。大勢の人を乗せて縄絡みだけで巡行するのですから、命がかかっているだけに、引き受けてくださる工務店は貴重な存在です。
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そして、夏空に映える鶏鉾。
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随分昔、“竹”のことを調べていて、竹で編んだ帆船が描かれていると知って、鶏鉾を見に来たことを思い出します。御朱印船角倉船図。確か清水寺にも竹で編んだ緑色の帆船を描いた角倉船の絵馬が奉納されていると聞いて清水寺にも向かいましたが、良く調べずに行ったため、結局見られなかった記憶が。。。今改めて検索すると国の重要文化財として寶蔵殿で保存されているのですね。寛永11(1634)年に角倉了以の息子素庵が、清水寺に絵馬を奉納したものだそうです。

「この絵は誰が描いたのですか?」と尋ねましたが、係りの人は首を傾げられました。7月16日と17日にBSプレミアムで祇園祭生中継がされるそうなので、その中で教えてもらえると嬉しいのですが。
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鶏鉾の縄絡みでこの日の見て歩きは終えて、町家に戻りました。

来週水曜日あたりに、後祭の鉾の縄絡みも見て歩き出来たらと思っています。とりわけ楽しみにしているのは鷹山ですね。今年の山鉾巡行の一番注目の鉾ですから。昨年買った「鷹山」の格好いいマスクを着けて見に行くつもり。







一条戻橋の河津桜を見て思うこと

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京都西陣織会館で確定申告を終えた帰り道、一条戻橋へ河津桜を見に行きました。まだ蕾は固かったですが、それでもチラホラ咲いていました。

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戻橋の由来は、駒札をご覧下さい。

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たくさんの蕾を見ながら、飛躍するようですが、ウクライナの民衆を思いました。国を思い、身を賭して武器を手に闘う人々にも、明日咲こうとする命がギュッと詰まっています。

どの蕾も咲いて欲しい、咲かないままで散らないで欲しい。ロシアの民衆も立ち上がっています。ロシアのトップは、古い歴史観にとらわれないで、民衆の声に耳を傾けて、即刻ウクライナから撤退して欲しい。

戦争は絶対にいけません!!!!!
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明日は上巳の節句 ひなまつり🎎

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昨年、友人から寄贈して頂いたお雛様一揃い。彼の亡くなったお母様が大切にしておられたのですが、実家を手放すことになり、処分をするということで人形好きの私にお声がけいただきました。寄贈頂いたお雛様のおもちゃ映画ミュージアム初披露です。大正時代以前のとても上品なお顔をされています。京風雛の並びにしています。男雛が向かって右に、女雛が左に。関東ならこの逆ですね。関東の並びになったのは、明治時代になって、西洋風に天皇皇后の並び方が変わった影響です。

三人官女と、随身の右大臣、左大臣がお仕えしています。今回は披露していませんが、三人上戸も付いていたらしく、箱に入ったままなのかもしれません。緑色の着物に袴姿の座ったままの人形1体が、どなたなのかわかりません。このお人形のことをご存じの方がおられましたら、お教えください。本来なら赤白緑三色の菱餅を飾るところなのですが、フェルトで作ろうと思いつつ今年は用意がままならず、代りに紅白のハート型お供えで我慢して貰いました。

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母が健在の頃は、毎年、食紅で赤、白、緑に色付けをした手作りの大きな菱餅が、故郷の新聞紙に包まれて届いたものでした。懐かしい思い出です。場所が狭いので、お内裏様の後ろにお膳を置いています。ままごと遊びのような可愛らしい塗り椀、高坏などがあります。もちろん、右近の桜、左近の立花も。本当に立派なお雛様一式で、幾つになっても、嬉しいものです💖
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今日お見えになった方は、お雛様の写真を撮って下さいましたので、そのことも嬉しかったです。手土産に桜餅とうぐいす餅を頂きましたので、早速お内裏様にお供えしました。
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菜の花も頂戴しました。春の香りが漂っています。ロシアの軍事侵攻で非常に困難な状況にあるウクライナの人々にも、花を愛でる暮らしが早く戻ると良いなぁと思います。信じられないような光景が毎日報じられて、心を痛めています。

旧ソ連によるシベリア抑留や日ソ戦を経験した98歳の男性が、「国際法を守らないのはソ連時代と同じ。心から怒りを感じる」と語っておられることが、今朝の京都新聞に載っていました。1945年8月9日ソ連が日ソ中立条約を破り、満洲に侵攻。男性たちはシベリア南部・チタ州の収容所に連行されました。戦争が終わったら日本兵を祖国に帰さないといけないのに労働力が欲しいため、ソ連全土に連れて行かれたのです。

先日見たドキュメンタリーでモンゴルでの日本人抑留者について知りました。人手が足りなかったモンゴルからソ連に要請があり、シベリア抑留者の中からモンゴルに移動させられ、強制労働に従事させられた人もたくさんおられました。収容所はウクライナにもあり、この男性の証言によると、ウクライナの一般の人たちは差別をせず、日本の家族のことを心配してくれたそうです。ソ連に抑留された人は約60万人、約6万人が亡くなったということです。

男性は国外に逃れようとするウクライナの人たちの姿が、満洲から逃れようとする当時の日本人の様子に重なると言います。「子どもや女性、病気の人が先ず犠牲になる。ソ連の戦車に爆弾を抱えて突撃した兵士もいた。戦争は地獄だ、二度と戦争をおこしたらいかんのです」と仰って憤っておられます。暢気に人形を愛でている場合ではないと充分承知しているのですが、自分に果たして何が出来るだろうかと考えると、とても頼りないです。。。

ウクライナの人々が、美しいもの、愛らしいものを見て、心を癒やせる平和な日々が早く戻るよう心から祈っています。とにかくご無事で。
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倉田たまえさん作お雛様。今は超有名な創作人形作家さんですが、まだそんなになる前の頃に買ったお人形の一組。シンプルで、とってもお気に入りのお人形さんです。写真にみえる1対の燭台と屏風を連れ合いが手作りしてくれました。紙フィルムのレフシーと家庭トーキーを展示しているケース内に並べています。ぜひ見ていって下さい。
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こちらは出窓に飾っている奈良一刀彫りの立ち雛。ちょっと大きめでがっしりしています。共箱入り。

次は五月人形の設えですね。京都三条会商店街の花屋さんで貰った武者人形があるので、それを飾ろうかしら。今月25~27日には恒例の京都アンティークフェアがあるので、掘り出し物があれば、予定が変わるかも。こういうことを考えているときが、私には楽しいです。

【3月3日追記】
Twitterで信州戦争資料センターさんが掲載されていましたの、許可を得て写真を載せます。
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日中戦争下の1938(昭和13)年の雛祭りにあわせて作られたとみられる変わり雛です。皇軍万歳の旗と、女子青年団の見送りで戦地へ。長野県軽井沢町の出物で、当時の信濃毎日新聞に同型の変わり雛が店頭に出ているとあるそうです。
投稿者さんは「いろんな形式があったようです。時流に乗ったこうした商売が、一層戦争気分を盛り上げたことでしょう」とコメントを添えて下さいました。2日に開催された国連総会で、ロシアを非難しウクライナからの無条件での即時撤退を求める決議案が圧倒的な賛成票を集めて採択されましたが、プーチン大統領は全く聞く耳を持たず、核までちらつかせながら軍事作戦を完遂すると強調しています。全く恐ろしい人物がいたものです。

元ミス・ウクライナのアナスタシア・レナさんが銃を手に国を守る決意をインスタグラムに載せていることが話題になっています。もはや男性だけが戦場へ行き、銃後を女性が守る時代ではないのでしょう。このような雛人形が再び登場することがないよう、しっかりと国の舵取りを見ていかねばと改めて思います。







香老舗 林龍昇堂

一昨日、印刷屋に行こうと京都で一番長い“京都三条会商店街”のアーケードを抜けて、そのまま三条通を東に向かって自転車のペダルをこいでいたら、赤い何かが店先に干してあるのが見えました。急いでいたので、そのまま通り過ぎて帰りに確かめようと思ったのですが、帰り道、「染料の店だったかなぁ、お薬屋さんだったかなぁ」と思いながら、三条通をキョロキョロしながらそのお店を探したのですが、見当たりませんでした。夕方だから湿ってはいけないので、既に仕舞われていたのでしょう。

「何だったのだろう」と気になって仕方がないので、春到来を思わせる良い天気だった昨日、「今日も干しておられるかもしれない」と、出掛けた帰りに再びその店を探しました。
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目指すお店が、ありました‼ 周辺には何とも言えない良い香りが漂っていました。京都市中京区三条通堀川東入橋東詰町15の林龍昇堂さんです。
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この赤いものが何なのか、知りたくてたまらないので、思い切って、風情あるお店のガラス戸を開けました。「こんにちはー」「すみませーん」と何度か声を掛けたら、奥からお店の方が出て来て下さいました。
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赤いものは、お香を型抜きした後の残り。“ところてん”のように木型で抜いて形を作って商品にしますが、その残滓を別の用途に用いるために干しておられるのだそうです。「試してみますか?」と仰って、火を付けて下さいました。
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干してあったのは“試し焚き”して下さった「梅街道」の残滓でした。小さな1本を焚いただけなのに、紅梅の良い香りが漂ってきます。今の季節にピッタリですね。
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白檀、沈香、伽羅、桂皮などいろんな香木があり、手作りされています。創業は何と、天保5(1834)年。今から188年も前にお香作りを始められた老舗でした。
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いろんな木型がありました。ちょうど和菓子くずきり”で有名な祇園の鍵善さんの「ZENBIー鍵善良房」で4月10日まで「美しいお菓子の木型」展をされていますが、こうした木型を作る職人さんも今では少なくなったことでしょうね。

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いろんな香木の見本が展示してありました。d71a7f53-s












これは随分前に「木津川の地名を歩く会」の例会の時に紹介したものですが、仏像に用いた木は、飛鳥時代のクスノキから時代を経てカヤ、ヒノキに変わっていきます。最近は行けてませんが、毎年秋に公開される正倉院宝物展にも香木が展示され、古来から重要視されていた文化です。275067796_4757846850999451_3690642720069690773_n




















玄関前にお香作りの道具が展示してありました。前から気になっていたお店ですが、初めてのぞきました。一般のお客様が店先で気軽に自分好みのお香を買えるのも良いですね。歴史ある京都ならではの良さです。京都の街を自転車で走っていると、様々な歴史を記した石碑や案内板があって「へぇ、こんなところにあったのか」と気付かせて貰えて楽しいのですが、こうした歴史あるお店も今に継承されていて、そうした点も堪らない京都の魅力です。

林龍昇堂へは世界遺産二条城からぶらり歩いて行けますので、京都観光の折にぜひ訪ねてみて下さい。お勧めです‼












「旧前川邸」東隣の土地で、今日から建設工事開始


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写真は、京都市中京区にある新選組屯所だった「旧前川邸」です。

この東に隣接する土地は、所有者が幾人も変わったようですが、2020年2月頃に高さ20mのワンルームマンション建設計画が発表されました。それに対して、歴史的景観が損なわれるほか、建設予定地に接する道路が都市計画法、施工令の基準を満たしていないことから、住民側が署名運動を行い、市に対して5月に市が出した開発許可の取消を求めて審査請求と開発許可処分執行停止の申し立てを行いました。

道路は交通量が多く、通行上の支障をもたらすほか、建設予定地に接する道路の幅員が最低必要な4mに満たないなど開発許可は違法・不当と訴えました。
「旧前川邸」は市の景観重要建築物に指定されているだけでなく、文化庁文化財部記念物課編纂『近代遺跡調査報告書、政治(官公庁等)』(2014年)」でも、新選組を語る上で重要な施設として取り上げられています。

結果、住民側の要求が通り、一旦建設工事は白紙になりましたが、新たに計画が練り上げられ、自治会が承認したことで建設に着手となりました。自治会から資料配布があったのですが、整理整頓が悪く、生憎見当たりません。記憶では以前の計画より低い高さで、家族向けのマンションだったと思います。

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その建物の建設工事が今朝から始まりました。工事の方は「おはようございます」と気持ちの良い挨拶をしてくださいましたが、これからこの歴史的な景観がどのように変わっていくのか、見届けようと思います。

「旧前川邸」は、文久3(1863年)に上洛した浪士組が宿舎に用い、元治
元(1864)年6月5日蔵で局長近藤勇や副長の土方歳三から古高俊太郎が凄まじい拷問を受けたり(この時自白した内容が池田屋事件に繋がります)、幹部の山南敬助が切腹した場所とされ、今もその長屋門や土蔵などが残っています。

壬生狂言「節分」

今日は立春。その響きの通り、京都市中京区は青空が広がり、日差しも心なしか暖かくなってきたように感じます。残り福を求めて、今朝からも多くの善男善女が壬生寺「節分会」へお参りされています。
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今朝の新聞には、京都市上京区の廬山寺で2年ぶりに行われた「追儺式鬼法要」の様子が載っていました。小さな子ども達には恐ろしく感じるのでしょうけど、“鬼おどり”とも呼ばれているようにユーモラスな雰囲気も感じられます。来年は時間を拵えて、ぜひ観に行きたいです。

2019年秋に壬生寺の近くに越して以来、時間の都合もあって、恒例行事にしていた京都市左京区の吉田神社「節分祭」で梔色の「疫神齋」の厄除けお札を貰いに行くことが出来なくなっています。今、2013年の節分祭を見に行ったときの文章を読み直していて、もう一度、皆様にお尋ねしたいと思いましたので、その一部をコピペします。

…… 折口信夫によると、大阪の子どもたちは、節分の夜、よその家の軒へ悪い癖を売りに行ったらしい。歯ぎしりとか枕をはずす癖など。軒先で「歯ぎしり、いりませんか」と小さな声でつぶやく。すると、誰かが来たと思ってその家の人が返事する。返事があったら、「売った!」と叫んで逃げた。(略)癖を捨てるのではなく癖を売るところは、いかにも商いの町・大阪の子どもだという気がする(略)」・・・


この思い出をお持ちの方がおられましたら、ぜひお話をお伺いしたいものです。「うちでは、代々申し伝えている」なんて話が聞けたら楽しいですね。いい年をした私も直したいことがありますから、大人がやっても有効なのかしら?

さて、昨日壬生寺「節分会」にお参りしたことをブログで綴り、壬生狂言を見るために出直すと書きました。例年なら2日、3日の13時から、1時間おきに壬生狂言「節分」が8回上演されるのですが、このコロナ禍で昨年は公開中止、今年は17時から4回に減らし、座席数も半分にして開催というわけで、19時からの公演を見学しました。
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外は寒かったのですが、とにかく雨や雪に降られずに開催できて良かったです。

今も鬼が嫌うという柊にイワシの頭を挿して、門口に下げるおまじないをやっておられるお宅も多いでしょう。場面はこの演目の主人公である美しい後家が、家の柱にその柊とイワシの頭を括り付けるところ。このあと後家は、豆を奉書で包んで拝み、節分の用意をします。
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そこに、ひっとこのような面をつけた厄払い(やくはらい)が登場します。
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後家にまじないを言祝ぐのですが、無言劇なのでパントマイムでそれを表現。その動作がとても滑稽なのですが、おそらく演じているのは小学校高学年か中学生の男子。上手いものです👏👏👏後見はベテランのようですが、笛、太鼓、鉦を担当しているのも若者でした。松浦俊昭ご住職が話された過去記事を読むと「狂言はすべて口伝によって伝えられてきました。信者同士の人と人の繋がり、講としての結束があったからこそ、(中世から近年まで何度も)火災に遭ってものは無くなっても、人が伝える狂言は残されてきたのです」とあり、目の前で繰り広げられる幅広い年齢層の講の人々によって、丁寧に伝統行事・文化が継承されている様子に感動しました。
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厄払いと後妻が舞台の袖に引っ込んだ後、赤鬼がやってきます。

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鬼は足を踏み鳴らし、邪魔な鰯の頭を挿した柊を柱から取り外します。
黒い着物に着替え、手拭いで角を隠して頭巾をつけ、人間に化けます。
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後家にも打ち出の小槌で取り出した美しい着物や帯などを与えます。

後家が大きな盃に打ち出の小槌で取り出した酒をどんどん鬼に飲ませ、鬼は浴びるように飲んで酔いつぶれ寝込みます。それを確かめた後家は打ち出の小槌を奪い、恐る恐る手拭いを取り、角を見つけ、着物の下の本当の姿を見て驚きます。急いで打ち出の小槌と隠れ蓑を隠したところで、鬼が目を覚まします。
打ち出の小槌を取られた鬼は、後家に掴みかかろうとしますが、
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後家は豆を撒いて、鬼をやっつけます。
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後家が撒く豆で鬼は降参、降参と逃げていって、無事追い出すことが出来ました。

お終い。

先ほどの松浦ご住職の話では、「豆を撒くとは、『魔を滅す』からきているので、壬生寺では人に向かって豆を投げる豆撒きはしない」のだそうです。

演じられている場所は、重要文化財の大念仏堂(狂言堂)。壬生狂言は国の重要無形民俗文化財の指定を受けていて「節分」は壬生狂言三十番のうちのひとつ。ユーモラスな中にも、人間はまめ(勤勉に努め、精進すること)になることが大事で、そのことによって鬼(不幸や災難)を追い出し、福を得ることが出来るという教訓的なお話です。鎌倉時代の円覚上人(1223ー1311)が、仏教を民衆にわかりやすく教えようと、身振り手振りで表現したことに始まると言われています。

まだ直接聞いたことはありませんが、地元では「壬生さんのカンデンデン」と呼んで親しまれているそうです。公演中ずっと鳴っていた鉦と太鼓の音色から来ているのでしょう。
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