今日は長崎市の平和記念公園で、原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれました。田上富久市長は『ノーモア・ヒバクシャ』を訴えてきた被爆国で、放射線の被害が繰り返された事態を深く憂慮し、「原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要」と平和宣言で述べられました。

夜放送のNHK「ニュースウオッチ9 」で、広島と長崎の両市で被爆した故・山口彊(つとむ)さんを取り上げていました。昨年1月に
93歳で亡くなるまで国内外へ反核の思いを訴え続けて おられた山口さんを5年にわたって追い続けた稲塚秀孝監督の映画「二重被爆〜語り部 山口彊の遺言」は既に完成していたのですが、福島第一原発の惨状に、生前山口さんが語っていた言葉「人間の力には限界がある。今の技術では事故は防げない。核は人間の世界にあってはいけない」を加えて再編集されました。船の設計士だった山口さん自らの経験からでた発言です(同作品は、13日から京都シネマで公開されます)。

同じNHKが8月6日に放送した「原爆投下・いかされなかった極秘情報」の内容も衝撃を受けました。これまで広島・長崎への原爆投下は不意打ちのような形で起きたとされてきましたが、日本陸軍は事前にB29 の動きを知っていたのです。陸軍参謀本部に所属する「特殊情報部」は、グアム、テニアン、サイパンなどに展開するアメリカ軍の動向を監視していましたが、暗号を解読する中で独特の動きをする小規模部隊に気付いていました。

広島原爆の投下1時間前に、その小規模部隊がテニアンから広島に向かって接近していることを特殊情報部は参謀本部の中枢に伝えましたが、参謀本部は空襲警報を発令するでもなく、何ら手を打ちませんでした。3日後の長崎では、原爆投下の5時間前に察知し、参謀本部中枢に伝えましたが、この時もなぜか何もしませんでした。広島の惨状の後で小規模部隊の正体も分かっていたはずなのに。5時間もあれば長崎の悲劇は防げたかも知れません。あの時、参謀本部が適切な判断指示をしていれば、戦後66年経ってもなお、悲しい思いで泣く人の姿を目にしなくて済んだのにと思うと怒りがこみ上げてきます。

戦後、特殊情報部は自分たちに責任追及が及ぶのを恐れて証拠隠滅をはかりましたが、すでに高齢になった関係者の証言から今回の事実が明らかになりました。国民の命を守らずに、自分たちの延命を優先しました。今回の原発問題でも同じような展開を毎日のように見聞しています。

番組を見ながら、以前読んだ記事(2009年8月13日付、毎日新聞)を思い出しました。特攻機の整備をしていた兵士が、見送りで涙を見せて上官に殴られました。その時「おまえの命は1銭5厘(召集令状のはがき代)だ。馬の方が高いんだ」と怒鳴られたそうです。軍の「お偉い人たち」は、国民の命をはがき1枚としか考えていなかったのでしょう。また、怒りが湧いてきました。