15日夜降りしきる雨音を聞きながら「西陣ぶらり歩き」を書いている段階では、台風26号の記録的豪雨によって蒙った伊豆大島の惨状を想像もできませんでした。深く、鋭くえぐられた山肌、そこから流出した大量の土砂と倒木が一瞬にして人々の暮らしをのみ込んでしまいました。「津波のようだった」とその恐怖を語る人もおられます。21人の死亡が確認され、今も33人の安否が不明です。難しい状況の中、1100人態勢で懸命に捜索を続けておられますが、お一人でも多く尊い命が救われるよう願うばかりです。

そんな状況で前回の続きを書くのも気が引けるのですが、少々お許しをいただいて…。
DSCN8383DSCN8386DSCN8388千本中立売界隈「西陣京極」の看板が掲げられている一画には、「西陣キネマ」「西陣大映」「西陣東映」「千中劇場」がありました。昭和47(1972)年まで千本通りを市電が走っていて、「西陣京極」は東の「新京極」と並ぶ賑わいでした。今は住宅や居酒屋が軒を連ねています。

「西陣キネマ」は大正9年の「大黒座」が始まりで、「マキノ倶楽部」→「西陣マキノシネマ」→「西陣キネマ」と名を変え、昭和59年に閉館。「西陣大映」は明治44年芝居小屋の「福の家」が始まり。この辺りに芝居小屋ができる前は、一面アンズ畑だったそうです。ちょっと想像できませんね。「西陣東映」(浄福寺通西筋一条下ル)は明治43年の「京極座」が始まり。昭和35年に東映直営劇場となったとき、黒川弥太郎、雪代敬子が挨拶をして賑わったそうです。雪代さんの名前は、二十歳頃挨拶した思い出があるので私には懐かしい響き。「千中劇場」は明治43年の「朝日座」が始まりで、後にはストリップ興業の「千中ミュージック」に(昭和62年焼失)。

案内していただいた井村さんは、「芝居小屋が変形して映画館になった。働くには娯楽が必要。うどんを食べて、木戸銭を払って裏で義太夫や地唄などを楽しんだ。食べ物屋さんもいっぱいあった。亀岡や園部の人々も二条駅で降りて、千本へ遊びに来た。昭和の初頭は、ここが一番活気があった。時代は変わったが『西陣京極』の名前は今も残る」と懐かしそうに話してくださいました。
DSCN8391DSCN8393DSCN8401千本通中立売を東へ。浄福寺通と智恵光院通の真ん中辺りに「聚楽第址」の石碑。かつてこの辺りが聚楽第の中心地でした。

智恵光院通中立売交差点近く(中央写真)に稲畑勝太郎(1862−1949)が明治28年に設立したモスリン紡績工場がありました。稲畑は紡績会社の商用で渡仏中に、知己のリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフの興行権を買い、明治30(1897)年にシネマトグラフ、フィルムを携え、映写技術兼撮影技術者を伴って帰国。早速、京都電燈会社や島津製作所の協力を得て、京都電燈会社(その跡地に立誠小学校建設〈現在廃校〉)で試写実験を行いました。

一行は智恵光院通を下り、日暮通りの金光教中立売教会へ(右写真)。「日本映画の父」と呼ばれた牧野省三(1878−1929)はこの教会の信者でした。
DSCN8398DSCN8404DSCN8406ご親切に教会の中に上がらせていただき、お話も聞かせていただきました。牧野はこの畳に座って、興業の成功を祈っていたのかもしれません。彼が信者だった昭和初期は、金光教が全国に広がり安定していた時期だそうです。

上長者通を西へ進み、千本通へ向かう途中、鍾馗さんがセンターを務めるマンションの壁面にニンマリ。他にもいろんな鍾馗さんを目にしました。西陣は鍾馗さんを大切にする土地柄なのですね。
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鍾馗さん探しを楽しみながら歩いて、着いた所が「千本日活」(上長者町通千本西入ル西側)。今も世の男性がお好みの映画を上映しています。元は五番町遊郭の組合事務所があったところで、昭和32年「五番町東宝」が開場し、昭和37年「千本日活」に改名。
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現在スギ薬局がある場所に、昭和2年開館の「昭和館」(千本通下長者町上ル東側)がありました。佐田啓二、岸恵子主演の映画には長蛇の列ができたそうです。映画が最大の娯楽だった時代を語ります。写真中央は、この日最後に訪れた映画館跡地。昭和28年開場の「北野劇場」(千本通中立売下ル東側)。後に「北野東宝」、「北野東映」と改められ昭和40年に幕を下ろし、今はマンションが建っています。そのまま千本通を北へ進み、今出川交差点の西にある老舗喫茶店「静香」で解散。昭和12年、上七軒の芸妓静香さんが開かれたお店だとか。花街研究者の中原さんは、この後急いで上七軒秋の踊り「寿会」へ。毎年10月上旬に5日間行われ、この日が最終日でした。

私たちは、せっかくの機会だからと、映画監督山中貞雄(1909−1938)が眠る浄土宗「大雄寺」(七本松通下立売上ル)へ。右写真の門前向かって左に江戸時代の儒学者「松下見林翁之墓」と刻まれた石碑があり、境内の墓地に彼も眠っています。本堂は現在建て替え中で、お忙しい中をご住職が山中貞雄の墓まで案内して下さいました。
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9月の命日前後の日曜日に、毎年「山中貞雄を偲ぶ会」が催されています。墓碑(中央と右写真)は、日中戦争に従軍した中国で戦病死した彼の死を悼み、仲間が集まって建立。揮毫したのは親友の映画監督小津安二郎です。従軍記には「『人情紙風船』が山中貞雄遺作ではチトサビシイ」と書いてあったそうです。戦争さえなければ、もっともっと好きな映画を撮りたかったでしょう。無念の胸中に思いを馳せると、哀しくなります。
西陣地図