座談会「震災から3年、神楽と漁業で地域づくり」には、鵜鳥神楽舞で大活躍された工藤さん、鵜鳥神社宮司の熊谷さん、普代村広報の森田さん、それに主催者の追手門学院大の河合先生と橋本先生が出演されました。
表紙1表紙当日は参加者全員に、特産品の「すき昆布」と普代村に関する資料をいただきました。ここに掲載したのはその資料の一部。「何て美しい景色なのだろう」と思いながら頁をめくります。そして目に入ったのが1編の詩「いちばんの朝」

新しい朝が 北緯40度東端の村ふだい村にやってくる。
北京よりもマドリードよりも、ニューヨークよりも先に
いちばん最初にふだい村に朝がやってくる。

いちばん最初の「おはよう」は、海に出ている漁師さん。
暗いうちから漁に出たごほうびだ。
大漁ならなおさらいい朝。
(略)
次から次へ、村のいのちがすべて目覚める。
風が運ぶ潮の匂い、暮らしの匂い、町の匂い。
靴の音、車の音、船の音、一番列車もそろそろ着くころ。
さあ新しい未来が始まるよ。
北緯40度のいちばん東の小さな村に、
今日もいちばんの朝が来た。

とっても良い詩です。3年前に津波で大変な被害に遭ったのに、そんな辛さを微塵も表さないで前向きで、言葉がキラキラ輝いています。広報誌もネットで見てみました。普代村を思う気持ちに溢れています。広報担当10年の森田さん、昨年4月から担当の下道さんが作る素敵なこれらの発行物に感動しました。人口わずか2944人、世帯数1131(2月末現在)。私の身近で例えれば京都府唯一の村「南山城村」とよく似た規模と言えるのかも。こちらは人口3021人、世帯数1246(3月1日現在)。

座談会で聞いてて驚いたのは、小さい村だからこそ、他所にはない良い点があるという発想。100歳以上が4人もいて、実は隠れた医療と福祉の村だったのです。例えば高校まで医療費と学校費用が無料(給食費が8千円だけ)。とはいえ、漁業の後継者問題、民俗文化の後継者問題はどこも同じ。そこで教育委員会が、小・中学校と連携して「こども神楽の教室」をやり、中学校には神楽の同好会もあるそうです。神楽を学校で学ぶことでコミュニケーション能力UP効果も。地域ぐるみで教育を支え、伝統文化を守ろうと取り組んでおられる様子が素晴らしいと思いました。印象に残った言葉に「子どもが育つと、大人も育つ。子どもが変わると、大人も変わる」「神楽は人が一歩踏み出せるツールになっている」があります。普代村の魅力がこの言葉からも伝わってきます。

中学生の時から17、18年やっているという工藤さんは「何が楽しくて見に来るんだろうと思っていたが、神楽の良さを学者から教わった。今は来てくれる人の幸せを願って、楽しんで帰ってもらう」ことを思って舞っているそうです。そして巡業の変化も話してくださいました。昔は権現様(獅子頭)や道具を肩に背負って、村から村へ歩いて行き、一回行けば2カ月くらいかかり、終われば船で帰ったそうです。今は土日がメインの日帰り。神楽宿も民家でやるのは今は数軒で、主に公民館で神楽を見せるだけになっているそうです。宿をする家の住宅事情や生活スタイルの変化、神楽衆の職業もサラリーマンなど様々で、かつてと同じような巡業を求めてもそれは無理というものでしょう。時代にあったスタイルでも伝統文化の火が燃え続けて貰えたら良いなぁと思いながら聞いておりました。

熊谷宮司さんは、震災後「お祝いが神楽の役目だと思って、犠牲になられたところを廻るのは、やるべきではないと考えた。今年3年ぶりに本格的巡業をして、思った以上の反響に正直とまどった。『神楽には念仏もあるので、神様に来て貰って清めて欲しい」と思う神楽宿の人が多かった」、「5月最初の例大祭の鵜鳥神楽奉納には、三陸沿岸の人がたくさん来て『ここに来ないと一年が始まらない。上手くいかない』と言った」、「震災後の例大祭の時、宮古の人が『家が流されたけど、船が残ったんで、参りに来た』という漁師が来た」という話をして下さいました。主に漁師さんを中心に、深く篤く信仰されている様子が伝わってきました。

今年も旧暦4月8日、鵜鳥神社の朱塗りの神楽殿で鵜鳥神楽が奉納されます。今のカレンダーに直すと5月6日GW最終日ですね。できることなら普代村で見てみたい。