6月18日、知り合いに教えてもらって、京都市北区等持院北町の建築家・本野精吾自邸へ行ってきました。
DSC05354 (2) ネットで検索しますと、1882(明治15)年に、本野盛亨(もとのもりみち)の五男として東京に生まれました。このお父さんは、佐賀藩久保田村出身で、1874(明治7)年、子安峻、柴田昌吉と3人で読売新聞社を創業し、子安の後を継いで2代目社長になっています。

正力松太郎の名前の印象が余りに強くて、3人の創業者については、今回初めて知りました。

兄弟皆優秀で各方面で活躍、五男の精吾も東京帝国大学建築科で学びます。同大学の先輩で、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科教授になっていた武田五一に誘われて、同校の教授に就任。2年間欧州留学をしているときに、近代運動やアヴャンギャルドな作品に影響を受けます。

彼の作品は、それまでの様式建築から脱却し、機能主義や合理主義を模索しながら、日本におけるモダニズム建築の先駆けとなる作品を作ります。その一つが、1924 (大正13)年に建てられたこの自邸です。この日は、催しがあり、特別に公開。
DSC05356 (5)表札の「本野」はモザイクタイル。現在はお孫さんの本野陽さんがお住い。


むき出しのコンクリートは、「中村鎮式コンクリートブロック造」というようです。本野は、前年に起きた関東大震災で、この中野鎮のコンクリート造建築が倒壊しなかったことを評価し、以降中村と本野の協働が開始されたそうです。
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これもネットで検索したのですが、中村鎮式コンクリートブロックというのは、L字型を組み合わせることによって空間を作り、その空間に鉄筋を入れて、コンクリートを流し込む方式なんだとか。




この建物は、2003(平成15)年に、「DOCOMOMO Japan 100」に選定されています。




軒や庇もコンクリートで造られ、大きく伸びているのは、日本の気候風土に配慮しているため。




シンプルな玄関に、赤いレンガがアクセント。ネットで検索すると金森式鉄筋煉瓦といい、煉瓦の中に鉄筋を通す穴が開いているそうです。この日は、玄関は閉まったまま。
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イベントは、写真に見えている1階の 部屋で行われました。予約不要なので、通りがかりに建物に魅了されて見学に訪れる人が何人もおられました。
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近代モダニズム建築は、やはり心をギュッとつかむ魅力にあふれています。今は、こうした貴重な建物が、耐震問題や経済的理由で次々姿を消しつつあることを残念に思います。けれども、本野邸は今も住宅として継承されているのが素晴らしいです。こうなると、地域の宝ですよね。
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ここから、中に入ります。



























写真はトイレと浴室などが並んだ一角。
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浴室の鏡もモザイクタイルで素敵。

 




















イベントが繰り広げられた居間には、ピアノがおいてあり、素敵な暖炉もありました。この暖炉の煉瓦も金森式鉄筋煉瓦。

 
本野は多趣味で、バイオリン演奏、エスペラント語、社交ダンス、南画などにも取り組み、すべて極めたそうです。この暖炉がある洋室で、ピアノやバイオリンの演奏に合わせて、社交ダンスに興じていたのかもしれませんね。 


図案科教授であった本野は、建築だけでなく、インテリア、家具、服飾デザインなどあらゆるデザインにわたる教育や活動に携わっていたそうです。

室内の色使い、暖炉のデザインなどにそうした美意識が感じられますね。
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陽さんのご厚意で2階も見せていただきました。

シンプルな階段の天井に、トップライトがあり、採光にも工夫が見てとれました。
二階には本野のご子息で染織作家として活躍された東一さんの 素敵なタペストリーがいくつも飾られていました。

 動線を短くするために室内は機能的でコンパクト。そこここに様々な工夫がしてありました。でも、この建物には、畳が一枚も敷かれていません。たまには、畳の上でごろんと昼寝なんて、ご家族は一度も思われなかったのかしら?俗人の私は、そんなことをふと思ってしまいました。

季節の花々が咲き、緑の木々に包まれた素敵な建物を拝見できて良かったです。本野さま、ありがとうございました。