前回から2か月も更新していない。その間にグリーンカーテンにしていたアケビはグングン蔓を延ばし、そこらじゅうをグルグル巻きにしてしまうため、その先端を切る作業だけは忘れずにしてきた。そうしないと、えらい目にあってしまう。フジ同様に、もの凄い生命力なのだ。その甲斐あってか、昨年は1個だけの収穫だったが、今年は何と8個も実った。
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不思議なことに、今年は蝶番のように2個並んで実を付けたのが3組あった。
    
DSC07880つい先日までは、まだ緑色の大きなそら豆のような実だったが、日ごとに薄紫色にほっぺを染めるようない色合いに。やがて、縦に一筋切れ目が入り、裂け目から黒い種をたくさんくるんだ白い果肉が見えてきた。

もうそろそろ食べ時かと、昨夜一個をハサミで切り、スプーンで口に。

ややねっとりとした果肉はほのかに甘く、子どもの頃食べた記憶が甦ってきた。一緒に食べた下の兄は、もうこの世にいない。ツーンとくる思い出の味。

今朝ゴミ出しに行ったら、私が勝手に「植木のお師匠はん」と呼んでいるご近所さんと久しぶりに出会った。

「あんた、アケビなっているの知ってるか?もう食べんと鳥がやってきてみんな食べられてしまうで」

「うん、わかっている。今年はぎょうさん生ったわ。食べはる?」

「いや、アケビやイチジクみたいにツブツブのあるもんは嫌いや」

子どもの頃庭に大きなイチジクの木があり、たくさん実をつけたが、余り美味しいと思うことはなかった。それが、年を取ってから大好物になった。「木津川の地名を歩く会」を立ち上げ、イチジクが特産の城陽市内の人たちと交流するようになってからのことだ。

アケビは、確かにたくさんある黒い種が面倒で、実際に食べられる果肉はちょびっとしかない。「たらふく食べた」というものでは決してない。それでも「秋を味わった」という幸福感が私には感じられる。
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写真を撮ろうとまじまじとアケビを見ていると、不意にこれまで思いもしなかった事柄を連想してしまって、一人赤面してしまった。

ネットで歌がないかと検索したら次のような都都逸がヒットした。

「山のアケビは何見て開く 下の松茸見て開く♪」
 
かの牧野富太郎先生も「アケビ」の項で「その口を開けたのに向かってじいっとこれを見つめていると、にいっとせねばならぬ感じが起こってくる。その形がいかにもウーメンのあれに似ている。その形の相似でだれでもすぐそう感ずるものと見え、とっくの昔にこのものを山女とも山姫ともいったのだ」と書いておられる。 

昔の連歌に、山女すなわちアケビを見て「いが栗は心よわくぞ落ちにけるこの山姫のゑめる顔みて」があり、歌の返しに「いが栗は君がこころにならひてや此山姫のゑむに落つらん」というのがあり、人の微笑する姿に比せられることもあったようだ。微笑している人の顔に似ているのを見て、いが栗が心打たれて枝から落ちたと。こちらの見方の方がホッとしますね。

アケビは本来この果実の名称で、植物としていう場合は、アケビカズラというのが正しく、我が家のアケビのように三葉のものは「ミツバアケビ」、五葉のものを単に「アケビ」といって植物学会では区別しているそうだ。ミツバアケビの方が紫が美麗で形が大きく、食用には五葉のものより良く、しかも蔓細工で籠を作るにも適しているとのこと。今朝は生ごみの日で、慌てて柔らかで肉厚の皮を捨ててしまったが、牧野先生の書かれたものを読むと、油でいためてから味付けをすると、風流な味わいだそうだ。実の皮は「肉袋子」という名の薬剤として薬屋で売っていたともある。

果実を食べて良し、蔓を編んで良し、皮を食べて良し、皮を煎じて薬に良しと、良いこと尽くしのアケビと今頃知った。明日はアケビをおもちゃ映画ミュージアムに持っていって、飾っておこう。小さな秋を楽しんで貰いたいから。アケビのことを知らない人も、たくさんおられるだろうな。過ぎ去りし故郷の思い出に浸りながら、にわか知識を教えてあげたい。