歴史探訪京都から

-旧木津川の地名を歩く会-

2018年01月

JRの試験車

昨日1月23の朝11時半ごろ、JR京都駅33番線ホームで、変わった電車を見ました。
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「試運転」と書いてある電車。ほとんどの車両の窓はカーテンが引かれて中が見えなくなっています。
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U@techと側面に書いてあります。余り注目している人がおられないので、珍しくないのかもしれませんが、私的には充分興味深い車両です。

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最後尾の車両も無人で機械類がたくさんありましたが、写真で見る車両も機械ばかり。DSC03853 - コピー


















車両の窓にホームにいる人が映り込んでいますが、それでも、車両の中が機械でいっぱいなのがご覧になれると思います。私が見た範囲では、どこにも人の姿が見えませんでした。ホームにおられた駅員さんに「こ゚の電車はどういうたぐいの電車ですか?」と尋ねたら「電車の試験をしています」と至極当然なお答えが返ってきました。

あとで、ネットで調べましたら、少し古い記事ですが、こちらが割と詳しく「何をしているのか」書いてありました。興味がある方は、どうぞご覧ください。ここに書かれていることによれば、JR西日本の在来線試験車「U@tech(ユーテック)」を見かけることは滅多にないので、貴重な出来事のようでした。

ネットで他の人が動画をupしておられるのを見ると、この後園部迄走行しながら様々な運行に関するテストをしていたようです。もちろん先頭車両には人がおられて操縦されていました。吹田総合車両所構内で「基本昨日の試験をしたあと、2012年度からJR嵯峨野線を中心に試験走行をしているのだとか。珍しい車両を見ることができて、俄か撮り鉄気分を味わいました。
電源検測車1
珍しい電車を見たついでに思い出すのは、2011年8月23日に偶然遭遇した電気検測試験車でしょうか。京都府木津川市山城町のJR上狛駅でのことでした。その時のことは、こちらで書きました。


平成戊戌(つちのえいぬ、ぼうじゅ)元旦の初詣


年賀状2018






































皆さま、新年あけましておめでとうございます

大好きな箱根駅伝を見ながら書いています。好天に恵まれたとはいえ、今日は風がきつくて大変な中、懸命にタスキをつなぐ若い選手たちの頑張りに感動の連続です。

年末まで多忙で、ろくに家の掃除もできなかったことを悔い、ゴミ屋敷同然になりつつある我が家を掃除し、庭も掃き清めました。正月早々大きなゴミ袋が山のように積み上がっています。次男も仕事が忙しいストレスからか、買い集めて部屋いっぱいに積み上がったフィギュアの山を手放すことに方向転換。いくつかは知り会いに差し上げ、多くのものは処分。もったいないけれど、人間が窮屈な思いをして過ごすのは本末転倒かと。それでも稀少なものは明日以降お店屋さんに持っていくことにしました。

次は着なくなった服の断捨離。この貴重な年始休みは、家族そろって掃除に費やされそうです。

と言いながらも、その合間に初詣へ。
最初に向かったのは、地元の氏神さまをお祀りする月読神社。
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平安時代の『延喜式』で大社に列せられている神社です。京田辺市内には、大社に列せられている神社が他に2社もあります。毎年10月には、この月読神社で隼人舞を奉納しています。いつの時代かは確定していませんが、九州南部から移配された隼人たちが少なくとも天平時代には、この大住の地に住まいしていたことが正倉院文書から明らかになっています。

隼人舞は古来、天皇の大嘗祭や即位の礼など重要な場で奉納していたのですが、明治以降他の国栖奏や久米舞など中央の支援を得て復興したのとは異なり、抜け落ちていて、近年になって民間で復興しました。なぜ、隼人舞は中央の支援を受けなかったのかー明治政府は薩長が中心なので、もともと山幸彦(天皇家の祖)に屈して、俳優(わざおき)として仕えるようになった海幸彦(隼人の祖)の神話に依拠した隼人舞を快く思わなかったのではないか―というのが私の考えですが、今は郷土史から遠ざかり、調べる時間もないことから、心の中に据え置かれたまま。

この後何処へお参りに行こうかと考えて、久しぶりに石清水八幡宮へ向かいましたが、適当な駐車場が見当たらないことから、そのまま京都市内へ。町家に届いている年賀状が気になったこともありますが、次男が「行ったことがない」というので、いったん町家に行ってから、近くの神泉苑へ。
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京都市中京区御池通神泉苑町東入ル門前町166の神泉苑。二条城の南に位置します。平安京大内裏に接して造営された禁苑で、今は境内は小さくなりましたが、元は二条通から三条通まで南北約500m、東西約240mの池を中心にした広大な大庭園でした。『日本紀略』のよれば、延暦19(800)年7月19日に桓武天皇が行幸し、延暦21年に雅宴が催された記述があり、神泉苑はこの頃から天皇や貴族の宴遊の地でした。
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淳和天皇の天長元(824)年、西寺の守敏と東寺の空海が祈雨の法を競い、天竺の無熱池から善女龍王を勧請した空海が勝ち、以降も密教僧による雨乞いが何度も行われています。神泉苑の池にはこの龍神が住むと言われています。

また、清和天皇の貞観5(863)年に疫病が流行った時にも、神泉苑で御霊会が行われ、貞観11(869)年には、神泉苑の南端(現・京都三条会商店街にある八坂神社三条供御社の位置)で、当時の国の数66本の鉾を立てて祇園社から神輿を出したことが、現在の祇園祭の始まりとされています。

他にも、源義経が白拍子の静御前を見染めたのも、神泉苑だという言い伝えもあり、縁結びのパワースポットとしても注目されています。次男にもそろそろお嫁さんが来て欲しいので、手を合わせて良縁を祈りましたら、連れ合いが申すには「神さまにお願いごとをするところではなく、一年の報告とお礼をするのが本来らしい」というので、ちょっと首をすくめました。そうですよね、僅か100円のお賽銭でどんな願い事も叶えて貰おうとするのは、ちょっと厚かましいかも、ですね。
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日本で唯一の恵方社で、今年の良い方角は南南東と書いてありました。「えーっと、南南東って、どっち?」と超方向音痴の私が、お日さまの位置を確認しながら呟くと、傍におられた年配の男性が「このお社の方向が南南東だ」と教えて下さいました。聞けば毎年12月31日の夜10時に、神主さんが祈祷をして、このお社が乗った丸い台座をぐるりと回して恵方に直されるのだそうです。これなら、私のような方向音痴も間違えずに恵方に向かって祈ることができます。

ミュージアムへ戻る途中、武信神社へ。坂本龍馬とおりょうさん縁の言い伝えが評判になり、ここも恋愛成就のパワースポットとして、近年人気があります。ご多聞に漏れず、私も次男があやかれるようにと、またもや願い事をして手を合わせました。そして、町家にくっ付くようにお祀りされている長野弁財天さまにも手を合わせて、一年の無事を祈りました。年々年老いていくのが実感されるだけに、日々つつがなく過ごして行けることが一番の願いです。
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次男が「北野天満宮にお参りしたことがない」というので、日も暮れた北野天満宮へ向かいました。大変な人出です。参道には出店がずらりと並び、良いにおいを振りまき空腹を刺激しますが、先ずはお参りを。立派な楼門に巨大な絵馬が掲げられています。檜製で、幅3.3m、高さ2.25m、重さ120㎏もあります。京都市北区にお住いの日本画家三輪晃久さん(83歳)が年男の気合を込めて描かれました。日の出を背景にした柴犬と北野天満宮御神木の梅の花を描いたジャンボ絵馬は25日迄ご覧になれるそうです。
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本殿前も大変な人。大勢の人々に混じって家族の健康と平穏を祈りました。この夜のお月さまは満丸く、とってもきれいでした。月夜に照らされながら、日本映画の父牧野省三ゆかりの蔵、上七軒、歌舞練場などをそぞろ歩きしながら見歩いて、2018年元旦の初詣を終え、家路に向かいました。先ずは穏やかな年の始まりに感謝です!
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