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第24回 「さよならだけが人生か?」をみる

はじめに

 6月18日(日)は、自宅マンションの集会所で、自治会主催の講演会で直虎の話をいたしました。参加した皆さんは、大河ドラマをご覧になっていました。なかには井伊谷の近くで青少年期を過ごした方もいて、感慨深そうでした。ドラマのセリフで出演者が「~だに。」と言っていましたが、これは地元で用いる方言だと教えてもらいました。

 

 さて、今回は「さよならだけが人生か?」がタイトルでしたが、出典を探すのにはいささか苦労しました。「さよならだけが人生だ」という歌があるようですが、あまり聞いたことがないので、これが出典か否かは判然としません。

 

 ただし、書籍のタイトルでは、いくつか発見することができました。おおむね「サヨナラだけが人生だ」というのが多く、「サヨナラだけ」という部分は共通しているようです。これは、挙げるときりがないくらいです。いいだもも『サヨナラだけが人生、か。』(はる書房、1998年)がほぼぴったりですが、微妙に句読点の打ち方が異なっています。同名タイトルに配慮したのでしょうか?

 

 ともあれ、今回のドラマは、おもしろかったのでしょうか???

 

塩留の話


 今回のドラマでは、今川氏による武田氏に対する「塩留」の話題が家臣たちの間で持ち上がりました。周知のとおり、もともと今川氏と武田氏は婚姻関係を通して、非常に良好な関係を築いていました。しかし、今川義元の死も一つの要因だったのですが、両者の関係が決裂してしまったのは、ドラマで放映していたとおりです。そこで、今川氏は仕返しに塩を武田領内に送らないように手配したのです。

 

 武田氏の領国は甲斐を中心に信濃にもおよんでいましたが、領国は海と接していなかったので、海産物や塩を自前で準備できませんでした。塩というのは武田氏に限らず、人間が生きていくうえで重要なものです。今川氏の塩留により、武田氏は窮地に陥ります。

 

 ところが、ここで武田氏に手を差し伸べる大名がいました。なんとライバルの「越後の虎」こと上杉謙信が塩を送ったのです。これは今でも故事として「敵に塩を送る」という言葉で伝わっており、「敵が苦しんでいるときに、かえってその苦境を救う」という意味で使われています。麗しき友情をあらわす言葉といえるかもしれませんね。

 

 ただ、この話が史実か否かといえば、最近では疑問視する向きも少なくありません。今川氏は商人に対して、あくまで政策的な意図をもって、武田領への塩を禁止したのですが、上杉氏はそんなことをしていません。つまり、謙信が塩を送ったというよりも、越後領内の塩を扱う商人が、別に禁止をされていないので、普通に販売したということになりましょう。

 

 中世には、塩に限らず「荷留」というものがありました。領主が領内の関所や港で、物資が通過することを制限または禁止することを「荷留」といいます。「荷留」を行う理由は、いくつかあります。主な原因は座が商品(生活物資など)に関する専売権を保持していましたが、その特権が犯される場合、「荷留」を行ったのです。

 

 今回のドラマでは、塩留が徹底されておらず、今川氏と通じていない商人は、武田氏に塩を売っているのだろうと瀬戸方久(役・ムロツヨシ)はいいます。どうやら直虎(役・柴咲コウ)は、方久も大儲けしていると考えたようですね。それゆえ直虎は、材木の販売について、今川氏領国の駿府を避け、気賀の商人に依頼することを決めます。

 

婚姻の話

 今回の話のもう一つのキーワードは、婚姻の話になりましょう。話はそれますが、よく女性の実名について、江戸期の史料『寛政重修諸家譜』などを見ておりましても、女性の名前は単に「女」と書いてあるだけで、運が良ければ法名が書いてある程度です。ただし、多くの場合は、どの男性と婚姻したのかは書いてあることが多いようです。

 

 以前にも触れたことがありましたが、当時の武将の婚姻は基本的に政略によるものでした。婚姻によって、武将間の関係性を築き強化するのです。それゆえ、男性もそうですが、女性も「誰と結婚したい」という希望はおおむね通りませんでした。

 

 ドラマのなかでは、直虎が女性ながらも大活躍しており、その奮闘ぶりが今川氏真(役・尾上松也)の耳に入ります。そこで、氏真は井伊氏と結ぶのも得策と考え、小野政次(役・高橋一生)を通して、縁談の話を持ち掛けます。

 

 井伊谷に戻った政次は、早速、縁談の話を直虎にします。直虎は高瀬(役・高橋ひかる)が選ばれたのかと思ったのですが、新野の娘・桜(役・真凛)が候補だったので安堵します。桜の縁談の相手は、庵原助右衛門朝昌という人物で、今川氏の重臣です。朝昌は今川氏の家臣でしたが、今川氏の滅亡後は武田氏に仕え、武田氏の滅亡後は戸田勝隆に仕えました。

 

 その後、井伊直政の家臣になりましたが、結局は直政と仲たがいをして出奔。出奔後、再び直政に仕えた変わり種で、大坂の陣で木村重成を討ち取ったことで知られています。非常にユニークな経歴の人物といえましょう。

 

 直虎は桜の縁談について、非常に心配しています。というのも、今川氏と井伊氏との関係は微妙であり、苦労しないかということになりましょう。直虎の母・祐椿尼(役・財前直見)は、今川一族の新野親矩の妹だったので、大変苦労した話を聞いていたからなおさらです。ただ祐椿尼によると、夫の直盛(役・杉本哲太)が優しくしてくれたので、その苦労もやがては和らいだとのこと。麗しい話です。桜を心配したのは、しの(役・貫地谷しほり)も同じだったようです。

 

 そのようなこともあって、直虎は南溪(役・小林薫)とともに、桜の縁談の相手である庵原助右衛門朝昌と会って話をします。その結果、朝昌がしっかりとした人物であったことが確認され、直虎と南溪はほっと安堵するのです。

 

 ただ、常識的に考えると、わざわざこんなことをするわけはなく、「嫁に行ってこい」と言われれば、それまでのことであったと思います。

 

 直虎は桜に続いて、桔梗(役・吉倉あおい)の縁談を進めるべく、政次に相談をします。相手は大胆にも、北条氏はどうかと話を持ち掛けます。種々交渉の結果、桔梗の縁談の相手は、北条氏照の家臣・狩野一庵の子息に決定します。

 

 一方、家康(役・阿部サダヲ)の方はというと、子息の竹千代(のちの信康)を武田氏の関係者と結婚させようとしますが、それが織田信長(役・市川海老蔵)の耳に入り、強引に止めさせられます。家康は信長の前で平身低頭。まったく何も言えませんでしたが、まさかそんなことはないでしょう。結果、竹千代の縁談相手は、信長の娘の徳姫に決定しました。

 

おわりに

 今回の話のもう一つのヤマ場は、乳母の「たけ」(役・梅沢昌代)が里へ帰るシーンでしょう。たけは祐椿尼に暇をいただきたいと告げ、直虎とは名残惜しいので、そっと井伊家を出ていきます。それを知った直虎は、馬であとを追いかけて、「たけ」に家に残るよう懇願します。しかし、「たけ」は自分が役に立てないので、きちんと働けるものを雇ってほしいと涙を流します。

 

 この言葉を聞いた直虎は、やむえず「たけ」の気持ちを尊重しますが、しばらくしてびっくり。なんと「たけ」が帰ってきているではないですか! と思ったら、それは違っていて、その女性は「たけ」の姪である梅ということでした。よかったですね。

 

 しつこいようですが、相変わらずどうでもいいような話が続いてうんざりです。見ていて死にそうになります。せっかく信長が登場したのですが、相変わらずマントを着用しており、もうそういうのは止めてほしいなと心の底から思います。

 

 今回の視聴率は、12.4%と少しだけ上昇しました。おおむね12%台で定着していますね。次に期待しましょう。

<了>

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第32回 「泰平の世」のオタク侍

「キチガヒ」と呼ばれて喜ぶ

 信濃国松代藩で医者を務める渋谷修軒は、中国宋代の文人(政治家でもあった)蘇軾(10361101 東坡と号し蘇東坡の名で知られる)の大ファンだった。「春宵一刻値千金」の詩句で知られるあの大詩人である。修軒は蘇軾だけでなく、その父の蘇洵も弟の蘇轍も大好きだった。

 蘇軾、蘇轍、蘇洵は、いずれも宋代を代表する詩人かつ文章家で、唐代・宋代の卓越した8人の名文家(唐宋八家)に選ばれている。8人のうち3人が蘇父子だなんて、すごいことだ。このため3人あわせて「三蘇」と呼ばれていた。

 江戸時代の文人の評価は、漢文と漢詩をいかに巧みに作るかで決まった。当時の知識人の教養の多くが、儒学ほか中国の学芸だったことは言うまでもない。医学だって漢方が学ばれ、西洋医学を学ぶ医者はごくわずかだった。

 だから渋谷修軒が三蘇に傾倒したのは不思議ではない。問題はその傾倒ぶり。いくら大ファンだとしても、心酔の度がちょっと異常なのである。

 まず「唯有蘇斎」と号した。「ただ蘇だけ」という意味。「蘇軾さま命」と意訳しても間違いではないだろう。文集から雑著まで三蘇の作品を読み尽くしたのは言うまでもない。3人に関する書物を片っ端から読み、3人が活躍した宋の元祐年間(108693)に発行された元祐通宝という古銭まで蒐集した(江戸後期以降、古銭の蒐集が盛んになり、多くのコレクターがいたので、中国の古銭も比較的容易に入手できたのである)。

 さらに修軒は蘇軾の像(木像か)まで造らせ、住居の一間に安置して朝夕これを拝み、香をたきながら「蘇文」(蘇軾の文章)一篇を読むのを楽しみにしていた。誰かに三蘇の履歴や事蹟を問われれば、よく聞いてくれた(待ってました!)とばかりに、豊富な知識を披露した。3人の経歴なら月日まで正確に記憶していたのだ。

 私が蘇軾(蘇東坡)が揮毫した「宸奎閣全碑」を手に入れたと知ったときも……。そう書いたのは、浦賀奉行・京都町奉行・江戸町奉行などを歴任した旗本、浅井長祚(181680)である。名は「ながよし」と読むらしい。梅堂の号でも知られる。

そう、渋谷修軒に関する逸事は、浅井が維新後に著した『寒檠璅綴』(かんけいさてつ)という随筆に書きとめられている。

 ぜひ拝見したいと手紙を寄越した修軒。中国の書物や書画の研究家でもあった浅井が、機会をこしらえて見せてあげると、修軒は狂ったように感激して拝観した(「拝喜狂ノゴトシ」)。「これでようやく生涯の願望が叶いました」というのである。人柄は快活でいつも楽しそう。まるで「憂患」(心痛)という言葉すら知らないかのようだったと、浅井は修軒の印象を記している。加えて次のような話も(意訳)。 

 

  人を訪問するときはいつも腰に弁当を下げ、弁当を食べ終わると、瓢簞から、持参した「銀鍾」(銀の盃か)に酒を注いで、3杯飲む。なぜ3杯か。蘇軾が3杯の酒を飲んだ例に従ったのである。

 

 たぶん「銀鍾」は彼だけのマイ盃だったのだろう。だから人に酒をすすめることもなかった。ひとりだけで3杯の酒を飲み、蘇軾の世界に浸りきっていた。

 性格は悪くないとしても、やっぱり変だ。人はみな、彼を名前で呼ばず「東坡キチガヒ」(原文)と呼んだ。怒ったかって? とんでもない。大好きな蘇東坡の名で呼ばれた修軒は「愈(いよいよ)喜ンデ自得ス」、ますます喜び、得意になったという。「キチガヒ」と笑われてもいい、「東坡キチガヒ」ならば大満足というわけ。

 

さまざまな癖(偏愛)

 本連載でお馴染みの幕臣、大谷木醇堂(183897)も、明治半ばに著した『醇堂叢稿』で、旧幕時代の著名な(といっても私は1人も知らなかったが)趣味人(オタク)を挙げている。

 曰く。――石川与次右衛門という老人は「瓢を好み」(ひょうたんマニアで)、大小の瓢を秘蔵するばかりか、座敷の張付(紙や布を張り付けた戸や壁)から承塵(長押)、衣服の模様、調度の形まで、瓢簞尽くし。「千器万物これならざるはなし」という凝りようで、「瓢簞石川」と呼ばれていた――。

 石川与次右衛門は、大番組頭、先手鉄炮頭などを経て弘化2年(1845)に老衰を理由に引退した(「老衰御免」)旗本、石川与次右衛門政徳であろう。

 醇堂が次に挙げたのは、片桐靫負。――この人は沐猴(サル)をこよなく愛し、身の回りの品はすべてサルの形にしていた(「何品たるもこの形ならさるなし」)。これまた人呼んで「猿片桐」――。

 片桐靫負は千石の旗本で、安政年間(185460)に小性組に所属していた。

 醇堂が「奇なる」マニアとして挙げた3人のなかには、春画のコレクターもいる。――古郡栄之助は、古今の春画を蒐集し所蔵していた。かといって特に好色な人ではなかった――。

 好色でもないのに、春画の蒐集に熱中したこの人物は、安政年間に留守居与力だった幕臣(御目見以下)古郡栄之助と思われる。小石川白山御殿跡に250坪の居屋敷があった。

 醇堂は自身の趣味にも触れている。友人から「すゞり醇堂」と呼ばれたほどの硯マニアで、端渓・龍尾・澄泥など中国産の名硯をはじめ国産の名硯、さらには羅生門・国分寺・橘寺の古瓦(瓦を硯として用いた)など、さまざまな形の物を所蔵していた。ある日、秘蔵していた橘寺の瓦硯ほかを、親交のある河野雪巌に贈ったとも。

 河野雪巌という人も前の3人に劣らぬ奇人だった。雪巌が愛を注いだのは、なんと木魚。衣服の紋にまで木魚(の形)を添えていたというのだから尋常じゃない。みずから「木魚道人」と称していたという。奧州三春藩の人というから、明治大正期の政党政治家、河野広中の親族かもしれない(いずれ調査しなければ)。

 木魚マニアというだけでなく、画もよく描き、江戸に出て芝高輪に「希有の家屋」(豪邸という意味だろうか。それとも趣向を凝らした変な邸だったのか)を普請して住んでいた。醇堂はしばしば訪れて歓談していたらしい。醇堂は最後に次のように述べている(意訳)。

 

  諺に〝無くて七癖、有って四十八癖〟と言うが、喜悦癖・笑癖・仁慈癖・愛隣癖は結構だが、憤怒癖・侫媚癖・諂諛癖はいただけない。酒癖にも困ったものだ。ところで予(私)の癖は古今珍書癖である。

 

 ちなみに「侫媚癖」は、やたらおべっかを言う癖で、「諂諛癖」はこびへつらう癖。「古今珍書癖」は、古今の珍しい書物を蒐集する癖。醇堂は、硯だけでなく珍書や稀覯本の蒐集家だった。いずれにしろマニアやコレクター、そしてオタクの偏愛が「癖」で総称されているのは面白い。『日本国語大辞典』(第二版)で「癖」の語義を調べると、「かたよりのある好みや傾向が習慣化したもの」とある。

 

旗本の刀剣癖

 瓢簞、猿、春画、そして木魚。硯と珍書を加えたとしても、武士の「癖」としては、いささか見栄えがしない。かりにも武士なのだから、もっと勇壮な「癖」があってもいいのではないか、とお嘆きの方の期待に応えるわけではないが、旗本の刀剣「癖」にも触れておこう。出典は同じく『醇堂叢稿』。これはまず原文で。

 

  列侯にて刀剱を多く所有せる家は彦根侯也 また万石以下の籏下にては久貝因幡守也 久貝家如きは内福の聞へある家なれども 近習の士に両人刀掛りと云ふありて 連日交番して錆を防ぐ事のみに従事し居ると云々

 

 大名で多くの刀剣を所持していたのは彦根藩主井伊家。1万石未満の旗本では久貝因幡守だったという。久貝(くがい)因幡守は、留守居・大目付・講武所総裁兼帯・講武所奉行などを歴任し、慶応元年(1865)に60歳で没した久貝正典であろう。5500石で牛込加賀屋敷に3000坪の居屋敷があった大身の旗本だ。

禄高以上に裕福だった久貝家では、正典の刀の錆を防ぐ仕事を2人の近習が毎日交代で務めていた。驚くなかれ、2人の仕事は刀を錆びさせないこと、ただそれだけだったというのである。久貝正典は、当然多くの刀を所持していたはず。醇堂は維新前に目にした光景も紹介している。

 

  久貝氏の登営の時 その佩ふる所を見に 連日の登営に一日々々に替りて 凡そ弐ケ月を閲せされは さきに帯する所の物を見ず 其多きや察せらる

 

 久貝正典が江戸城に出勤するところを見たが、腰に差している刀は日替わりで、同じ刀は2ヶ月後にならないと再び見ることができなかった。つまり60振近く所持していたというのである。これまた武士の心得というよりは、刀剣癖と言うべきだろう。

<了>


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第23回 「盗賊は二度仏を盗む」をみる

はじめに

 6月10日(土)は上総大多喜城立葵の会の主催により(於:大多喜町立中央公民館)、「おんな戦国城主・井伊直虎の実像」と題して講演をしてまいりました。大変熱心に聞いていただき、誠にありがたかったです。参加者からは「NHKにはしっかりと史実を踏まえたドラマを制作してほしい」というご意見もありましたが、視聴者を楽しませることを優先しているので、いろいろな難しい問題があるのでしょう。

 

 なお、上総大多喜城立葵の会では、大多喜町にゆかりの深い本多忠勝・忠朝を主人公とした大河ドラマの放映を実現すべく、熱心に誘致活動をされています。皆様もぜひ応援してください。私への講演依頼も大歓迎です。

 

 今回のタイトルは「盗賊は二度仏を盗む」でしたが、これは小説「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(ジェームズ・M・ケイン作、1934年)をもじったものでしょう。この作品は3度も映画化された名作で、小説のほうもかなり売れたようです。ちょっと文字数が合わなかったですね。

 

 さて、今回のドラマは、おもしろかったのでしょうか???

 

盗賊をめぐる問題

 前回(22話)では、直虎(役・柴咲コウ)の配慮によって酒宴が催され、井伊谷の村人と盗賊たちが腹を割って話をしたので、誤解が解け仲がよくなりました。話の終盤、酒を飲み過ぎて酔っぱらった直虎は、さかんに龍雲丸(役・柳楽優也)対して「家来になれ」と迫ります。しかし、翌日酔いがさめた直虎は、そんなことをすっかり忘れています。勝手なものです。

 

 当時のお酒は清酒ではなく、いわゆる濁り酒でした(ビールやウイスキーはないですよ)。私の亡くなった祖父は和菓子を製造していましたが、当時でいうところの密造酒を作って飲んでいました(家で飲む分は法律違反ではない)。亡父に聞くと、それが一番うまかったとのことです。今のお酒はいろいろな混ざりものがありますが(安い日本酒には、醸造用アルコールが混じっています)、当時はそうしたものがなかったので、そんなに悪酔いしなかったかもしれません。

 

 ところが、井伊谷三人衆のひとり、近藤康用(役・橋本じゅん)は、以前、盗賊らが領内の木を盗んだことを根に持っていました。すると、グッドタイミング(?)というべきか、近藤氏の菩提寺の本尊が盗まれ、その犯人探しをすることになります。康用が犯人を捜していると、盗賊が井伊家のもとで普通に働いている噂を耳にし、政次(役・高橋一生)に確認をします。

 

 結局、井伊家が盗賊を匿っていたことが露見し、政次はただちに盗賊を引き渡すと約束をします。康用は政次を伴って、すぐに直虎のもとへと向かいました。菩提寺の本尊が盗まれたという話を聞いた直虎は、自分が匿っている盗賊を弁護しますが、康用は容易に引き下がりません。積年の恨みと申しますか、武士の意地とでも言えましょう。

 

 政次のスタンスというのは、いつもわかりづらいものですが(敵か味方かよくわからない)、康用の「考えがある」との言葉を聞いて、盗賊を引き渡すよう話をつけようとします。直虎は諦めて盗賊を引き渡すことを約束しますが、直之(役・矢本悠馬)を先に盗賊のもとに向かわせ、逃がすように指示しました。案の定、康用らが到着しましたが、すでに盗賊の姿はありませんでした。

 

 その後、康用は全力を挙げて盗賊を探しますが、もちろん見つかるはずがありません。まあ、これで一件落着かといえば、そうでもありませんでした。

 

 以上の話が史実であるか否かは、まったく判然としません。おそらく創作であるように思います。普通に考えると、他領に逃亡した盗賊を領主自らが匿うとは考えられず、いささか現実味のない話のように思います。犯罪者を引き渡す引き渡さないという話も、妙なことだと思います。普通は、速やかに引き渡すように思うのですが・・・。

 

本尊はあった

 相変わらず本尊は見つからず、直虎が逃がした盗賊もどこに行ったのかわかりません。そこで、南溪(役・小林薫)はあることを提案します。それは、本尊が盗まれた康用の菩提寺に本尊を寄進するというものでした。盗賊も逃げてしまったので、本尊を寄進することで仲直りしようということでしょう。直虎にはいささか不満の色が見えますが、致し方なく同意したというところですね。

 

 南溪と直虎は康用のもとに向かい、本尊を寄進する旨を申し出ますが、康用は「本尊の代わりは簡単にはきかない」などと嫌味を散々にいいます。これには直虎もムカッとしますが、代わりに南溪が頭を下げて、何とか話をまとめようとします。不満の表情が顔に出ることは、社会人としては失格ですが、当時も同じだったのでは? かなり幼いような気がします。

 

 南溪は本尊をお祀りするので、ぜひ収めていた仏壇を見せてほしいと要望します。仏壇を開いてみると、なんと本尊があるではないですか! 康用も住持もしどろもどろになりますが、要は自分たちで本尊をしまい込んで仏壇を空にし、「本尊がなくなった!」という狂言もしくは自作自演が事件の真相といえましょう。さすがに南溪は大人ですので、「ご本尊が帰ってきたのですな」と一言。これで一件落着です。

 

 帰り道で、南溪は直虎にことの顛末をすべて話します。つまり、康用らが本尊を隠して、「なくなった」と騒ぎ立てていることはすでに知っていたようで、龍雲丸が先回りして、隠してあった本尊を仏壇に安置していたのです。当然、康用らはびっくりということになりましょう。

 

 こういうことを言ったらいけないのかもしれませんが、「いったい何がおもしろいのか」とか、「こうした場面がどうしても必要なのか」という疑問を感じざるを得ません。小学生の学芸会くらいなら、子供たちは大喜びかもしれませんが、大人の私たちはどう反応したらよいのかわかりません。こうしたコントまがいの演出はこれまでもたくさんありましたが、少しは「大河」の名にふさわしい緊迫感や重厚感ある演出をお願いしたいものです。

 

盗賊を家臣に

 南溪は、盗賊たちは井伊谷に戻ってこないだろうと言っていましたが、なんと帰ってきているではないですか。これには直虎も大喜びですが、やはり龍雲丸に恋心を抱いていたのでしょうか? 盗賊たちは、もとのとおり材木を切る仕事に従事していました。

 

 盗賊の処遇について、井伊家で話し合いが行われます。直之と瀬戸方久(役・ムロツヨシ)は、盗賊らを家臣にしてはどうかと提案します。最後は政次だけですが、直虎は政次のもとに向かい、意見を聞きます。政次は「お好きなようになさっては」と答えます。

 

 直虎は材木を切りだしている現場に行って、龍雲丸に家臣になる気持ちはないか質問します。ただ、龍雲丸は今一つ反応が鈍く、態度が明確ではありません。龍雲丸が手下たちに「家臣にならないか」と勧誘された話を披露すると、手下たちは龍雲丸についていくと賛意を示します。

むろん直虎は大喜びで、その様子を見た高瀬(役・高橋ひかる)と祐椿尼(役・財前直見)は、「まるで乙女のようだ」と感想を話していました。

 

 ところが、いざ龍雲丸に井伊家の家臣になるのかを確認すると、なぜか断りを申し入れるではありませか! これには直虎も盗賊の手下も驚きです。理由は判然としませんが、龍雲丸は侍の柄ではないと言うだけでした。結局、手下も龍雲丸について行って、ジ・エンドです。

 

おわりに

 ここしばらくは話に山がなく、観ていて眠くなってしまいます。「次はどうなるのか!?」という期待感もあまりありません。ほとんど惰性で見ているようなものです。今回は残念ながら、深く掘り下げるトピックスすらありませんでした・・・。

 

 TBS系列の「小さな巨人」を見ていますが、こちらは演出がやや過剰ながらも(香川照之の演技も歌舞伎みたいでかなりのオーバーアクション)、観ていておもしろい。さかんにどんでん返しがあるのには閉口しますが、それなりに作品作りの苦労の跡が見えます。

 

 現代劇ですら生きるか死ぬかの迫真のドラマになっているのですから、時代劇こそそうあってほしいと思います。「朝ドラ」の延長では視聴者も満足しないのでは、と。

 

 今回の視聴率は、12.3%と少しだけ上昇しました。裏番組の「世界卓球・全仏テニス」が終わったのですが、視聴者は帰ってこなかった模様ですね。

<了>

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