はじめに
 

 2月19日(日)は、信篤公民館主催の講演「井伊直虎と井伊一族の歴史を学ぶ」の最終回でした。大変ご熱心な皆様に聴講いただき、厚く感謝を申し上げます。ただ、大河ドラマ「おんな城主 直虎」がおもしろいか質問させていただくと、いささか微妙な雰囲気を感じ取れます。まだまだ様子見というところでございましょうか・・・。

 

 第7回目のタイトルは「検地がやってきた」です。これは、大河ドラマの前の時間帯に放映されている「ダーウィンが来た」に対するオマージュのような気がいたしましたが、いかがなものでしょうか? 揚げ足取りかもしれませんが、検地がやってくるわけではありません。「検地役人がやってきた」というのが正確なように思います。

 

 とはいいながら、検地を取り上げるとは、なかなかマニアックなような気がいたしております。これまでの大河ドラマにおいても、正面から検地を取り上げたことは、なかったのではないかと記憶しています。果たして今回はおもしろかったのでしょうか?

 

検地とは?
 

 検地というのは、農民の支配と年貢の徴収を目的として、戦国大名が行った土地の測量のことです。ドラマのなかでも帳面が出ておりましたが、そこには田畠の面積、田畠の等級(上・中・下など)、石高、名請人(耕作者=年貢の負担者)が書かれています。すなわち検地帳とは、土地の基本台帳と言えましょう。これを全国レベルで推し進めたのが豊臣秀吉になるわけです。

 

 検地の方法は、丈量検地と指出検地とがあります。丈量検地とは、検地役人が実際に縄や竿を用いて、田畠の測量を行うことです。一般的には、丈量検地のイメージが強いように思います。逆に、指出検地とは、戦国大名がわざわざ立入調査することなく、領内の家臣にそれぞれ知行する土地の調査結果を申告させるものです。多くの戦国大名は、指出検地をメインにしていたといわれています。

 

 改めて検地の目的について考えてみると、単なる年貢の台帳づくりでなかったことは明らかです。たとえば、ドラマでも取り上げていましたが、申告することなく別に田畠を持っていることがあります。これを隠田(ドラマでは隠里)といいます。隠田は申告していないので、年貢の負担を逃れられるわけです。現在で言えば、「税金逃れ」ということになりましょうか。

 

 一方、領主の側からすると、隠田の摘発というのはなかなか難しいという側面があります。そもそも土地をくまなく調査して正確な面積を割り出したり、隠田を見つけて課税するというのは、人手や時間、そして手間の問題もあって難しかったと考えられます。現在でも税務申告はルールにのっとった自己申告によるものになっており、それを一からすべて税務職員が調べるわけにはいかないのと同じです。

 

 それゆえ、基本的には家臣らを信用して指出検地とし、ときどき調査に出向くというのが基本であったと思います。それは、現在の税務調査と通じるところがあると推測されます。

 

 では、今川検地には、どのような特色があったのでしょうか? 今川氏の領内では、局地的な小規模の検地が行われていたに過ぎなかったと指摘されています。その検地は、在地紛争の解決手段として主に行われていたので、「公事検地」と称されています(公事とは裁判のこと)。

 

 これは、領主間の境界争いや所領争いだけではなく、名主・百姓層の土地紛争も含まれます。そして、検地で把握された「増分」(新たに増えた年貢)は、隠田の摘発の結果であったと指摘されています(有光友學先生のご研究による)。ただ、公事検地については、下村效先生の反論もあります。

 

 史料の少なさから、どうやってドラマを展開させるのか興味津々でしたが、検地という難しい素材を取り上げたことに、敬意を表したいと存じます。

 

検地役人がやってくる
 

 今回は、今川氏の検地役人がやってくるというのが大きなポイントです。井伊氏は完全に今川氏に牛耳られていた雰囲気ですね。井伊家は正直に検地に応じるわけですが、川名(浜松市北区。井伊谷の北に位置する)に隠田(ドラマでは隠里)を持っています。直平(役・前田吟)は不測の事態に備えて(年貢を貯めこんでおきたい)、何とか川名だけは検地が入らぬようにしたいわけです。ただ、常識的に考えると、隠田にしてはあまりに規模が大きく、すぐにバレてしまう(隠しようがない?)と思ったのは私だけでしょうか?

 

 直親(役・三浦春馬)は、今川家の検地が入ったのは自分が舞い戻ったことにあると責任を痛感し、役人をうまく接待すべく、次郎法師(役・柴咲コウ)に担当役人の素性を探らせます。そのために、瀬名(役・菜々緒)に手紙を出します。直親は盛んに次郎法師のことを「竜宮小僧」と申しますが、以後は恐らく次郎法師は、直親の「お助けマン」いや「お助けウーマン」としての役割を与えられるような気がしております・・・。

 

 ただし、今川家の目付でもある小野政次(役・高橋一生)は、入念に検地帳をチェックするなどし、川名に隠田があることを把握しています。そこで、直親は何とか川名だけは今川家の調査の手が入らぬよう、政次にお願いをするわけですが・・・。

 

 そこへ、ついに検地役人の岩松(役・木村祐一)がやってきます。最初、誰かと思ったのですが、なんと「キム兄」ではないですか! 役人とは愛想がないものですが、仏頂面であまりしゃべることなく、なかなか良かったように思います。実は、昨年の「真田丸」(それ以前も)の場合は、あまりに役者がペラペラしゃべるのが気にかかったものでした。うれしさ、悲しさ、怒りといった感情は、言葉だけでなく、表情で演技することも必要と思いました。

 

 昔のことですから、検地にやってきた岩松は歓待を受けて、すっかり目こぼしかと思ったら、そうは簡単にはいきません。井伊家の過剰な接待を断り、明日は早目に川名に行くと申します。ここは、井伊家の間一髪というところでございましょう。

 

 一方、気が気でない次郎法師は、政次のもとに出向き、直親のために一肌脱いでくれと懇願します。それに対して政次は、還俗してオレと結婚しろと迫ります。まあ、これは無理な注文ですが、次郎法師は願いを聞いてくれるまで小野の屋敷内で待つわけです。しかし、早朝から検地役人の一行は川名へと行くのです。

 

 同じ頃、次郎法師は瀬名からの返事の手紙を受け取り、岩松が好きなものの一つが、亡き妻であることを知ります。そして、この日が月命日だったわけです。次郎法師は慌てて馬を飛ばして、一行が向かった川名へと急ぎます。

 

 川名では岩松が視察を終え、さて帰ろうかというところで、何やら察したのか隠田のほうに向かい、ついに発見してしまいます。直親は役人から咎められ、窮地に陥ります。しかし、直親は井伊家の所領ではないと抗弁し、目付の政次が「南朝の皇子がお隠れになった場所」であった旨を告げ、あくまで井伊家の所領ではないと言い張ります。「南朝の皇子」というのは、宗良親王になりましょう。たしかに宗良親王は井伊氏を頼り、三岳城に籠っていました。

 

 ここで、岩松がどう判断するのか興味津々でしたが、あっけなく「よかろう」の一言だけでした。まあ、ここが落としどころなのでしょうが。

 

 そこへ次郎法師が駆け付け、岩松の亡き妻の菩提を弔うため、ぜひ念仏を唱えさせてほしいと申し出ます。そして、岩松も念仏を唱え、万事めでたしで終わるわけです。

 

おわりに
 

 最後に、政次の弟・玄蕃(役・井上芳雄)が奥山家から「なつ」(役・山口紗弥加)を妻として迎えます。時を同じくして、松平竹千代(元信・家康。役・阿部サダヲ)は瀬名を妻として迎えます。瀬名はいささか不満な感じがしましたが・・・。

 

 個人的な意見としては、今回のような話というのは、史実か否かであるかは別として、井伊家の苦労した状況がうかがえ、非常に良かったように思います。脚本家の方の苦労がしのばれました。大変勉強をなさったように思います。

 

 今回の視聴率は、また12.9%と少し下落しました。私がおもしろいと思った回で、視聴率がさらに下落したというのは、いささか残念なのですが・・・。

<了>


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